時が凍り付く。
確信に近い予感が、した。
リュウジは知っている。
ジェイ・ゼルが惑星アマンダで作り出された『
どうして。
自分は一度も大切な人の出自を、他人に告げたことはない。
それだけは、命を賭けても守らなくてはならない、二人の秘密だった。
なのに。
なぜ。
リュウジは知っているんだ――
彼はとても勘が鋭い。
自分の言動のどこかが、彼に疑いを抱かせてしまったのだろうか。
動揺のあまり、呼吸が荒くなる。
「混乱させてしまったようですね、ハルシャ」
静かな声でリュウジが呟く。
「大丈夫です。あなたは何も悪くありません。僕が直接ジェイ・ゼルから、聞いたのです」
藍色の瞳が自分を見つめていた。
「自分が帝国法違反の人工生命体、『
違う衝撃が身を襲う。
ジェイ・ゼルが、リュウジに話していた。
あれほどまでに、忌避していた過去を。
「――な……」
言葉が、出ない。
驚きに凍り付くハルシャの耳に、淡々としたリュウジの声が響いた。
「あなた方が、帝星で一緒に暮らし始めてから、間もない頃です」
過去を思い出すように、わずかに目を細めてリュウジが言葉を続ける。
「ジェイ・ゼルからコンタクトがあって、僕と個人的に会いたいと申し出て来たのです。話し合いたい事案があるから、と。よほど重要な要件のようでした。もちろん、僕は快諾しました。
彼をあまり人目につく場所に出したくなかったので、僕がジェイ・ゼルの元へ赴きました。あなたたちの湖の家にです。昼間、あなたが仕事に出かけている間を縫って、彼と話をしたのです」
事実だけを、リュウジが告げる。
語る言葉はひどく優しかった。
まるで、音もなく降り注ぐ惑星ガイアの雨のようだ。しっとりと自分を包んで、内側に沁み込んでいく。
呼吸をし一拍おいてから、真っ直ぐに視線を合わせたまま彼は言った。
「その時に、ジェイ・ゼルの口から直接、彼が『
リュウジの藍色の瞳を見つめる。
帝星に移り住んでから間もなく――。
だとすれば。彼はずっと、ジェイ・ゼルの真実を知っていたのだ。
身が、震える。
「ジェイ・ゼルは僕に伝えるまでに、相当迷っていたようでした。けれど、最終的に真実を話そうと決めたのは……」
不意に強い視線でリュウジがハルシャを見つめた。
「自分に残されている時間があとわずかであることを、『
黙したまま、ハルシャはリュウジと視線を交わし続ける。
「彼はこう僕に言いました。命の続く限り、ハルシャの側にいて彼と共に歩みたいと思っている。だが、残念ながら、自分には短い寿命しか与えられていない。だから。もし、自分に何かあった時には」
眉を寄せると、リュウジは言葉を続けた。
「ハルシャを、頼む。と」
藍色の瞳を、ハルシャは見つめ続けることしか出来なかった。
唐突に、一緒にコスモス畑に行ったときのことが、思い出された。
満開の花の中で、ジェイ・ゼルは微笑んでいた。
その笑顔が遠くなるような、錯覚にとらわれる。
嘘だ。
ジェイ・ゼルが、自分を置いていくはずがない。
ずっと側にいると――彼は約束してくれた。
長い沈黙の後、リュウジは惑星アマンダで作られる『
「『
ちょっと眉を寄せて、彼は説明を続けた。
「噂では、契約時に科学者たちの脳にマイクロチップが埋め込まれ、惑星アマンダを出るとそのチップが脳を破壊するとか。
それでも――巨万の富を生む『
一瞬、リュウジは言葉を切った。小さく首を振る。
「それだけの膨大な資金と技術と時間をかけて作り上げられる、遺伝子の芸術品。それが、ジェイ・ゼルたち『
ふっと、彼は虚空へ視線を向けた。
「門外不出の技術を注ぎこまれた彼らは、子孫を残すことが許されていません」
硬い口調で話される言葉を、身を強張らせたまま、ハルシャは聞いていた。
「違法に遺伝子がコピーされないように、細胞レベルでセキュリティがかけられているのです。そして若く美しいままで命を終えるように、醜悪な死のプログラムも遺伝子に仕込まれています。老いを迎える前に、命を散らすように――全ては、惑星アマンダの『商品』としての価値を上げるため、です」
耳にしたことが、受け入れられずに、ハルシャはただ、黙り込んでいた。
一気に話した後、リュウジは短く息を吐いた。
「『死のプログラム』。まさにそうです。惑星アマンダは、体細胞の分裂の回数を限定し、ストレス環境下に置かれるなど、ある一定の体内条件を満たした時に『死の指令』が発動するように、『
指令を受けた細胞は、細胞壁が崩壊して内側から
膝の上に置いていた手が、カタカタと震え出した。
言葉を切ると、彼は虚空へ視線を向けた。
「実際、『
淡々と言葉が紡がれる。
「そのために、ごく早期に彼ら『
リュウジの声が、ひどく遠いところで聞こえた。
ジェイ・ゼルは、今四十二歳だった。あと半年で、四十三になる。
血の気が下がる。
五十年、生きられた『
だとしたら――
長くて七年、短ければ数年しか、自分とジェイ・ゼルには、残されていない。
「――シャ」
声が聞こえる。
耳した方向に機械的に顔を向けると、いつの間にか、自分の横にリュウジが座っていた。
向かいから移動してきたようだ。
藍色の瞳が自分を覗き込んでいる。
震える手に、リュウジの温かな手が重ねられた。
「ハルシャ。大丈夫ですか」
寒くもないのに体が震える。
何かを言おうとして、何も言えずに黙り込む。
ぎゅっと、リュウジはハルシャの手を上から握りしめた。
「ジェイ・ゼルは、残されるハルシャのことを、心底心配していました。自分とハルシャの間に子どもがいれば、それを支えにしてハルシャは生きていけるかもしれない。けれど、自分は遺伝子を残せないように惑星アマンダのコントロールを受けているので、それも叶わない。
だから、自分の寿命が尽きた時は――ハルシャを頼むと、彼は頭を下げて言ったのです」
側で、手の温もりを与えながら、リュウジが静かに告げる。
「あなたを一人残していくことが、彼は何よりも辛いのです」
コスモス畑が見えた。
リュウジの座る向こうに。
はるかな地平線の向こうまで続く、ピンクの優しい花の海。
振り向いても、そこにジェイ・ゼルはいない。
探しても、彼がいない。
あの時の、理由の解らない寂寥が、不意に胸を焼いた。
「ジェイ・ゼルから、この話を聞いた時」
リュウジが、沈黙の後、口を開いた。
「僕は、ジェイ・ゼルの申し出を断りました」
きっぱりとした口調で、リュウジが言う。
二重の驚きを浮かべるハルシャに、リュウジは深い宇宙の色の瞳を細めて、静かに呟いた。
「ジェイ・ゼル以外の誰も、ハルシャを幸せに出来ません。後事を託す前に、僕たちには出来ることがあるはずですと、彼に告げました。まだ、僕たちは何もしていない。出来る努力を探せるはずだと」
不思議に静かで、力強い言葉だった。
婚姻の保証人の話を持ち込んだ時、リュウジは手放しで喜んでくれた。ジェイ・ゼルの決意を褒めたたえ、どんなことがあっても、自分はハルシャたちをサポートしますと言い切ってくれたのだ。
その時と、今と。
彼は同じ目をしていた。
リュウジだけがあの時、ジェイ・ゼルの覚悟を読み取っていたのだろう。
残された時間が短くても、自分と本当の家族になりたいと願った、ジェイ・ゼルの――
切ないまでに自分を想う気持ちを。
「狡猾に仕組まれたプログラムですが、何とか太刀打ちする方法があるはずです。人が作り出したものなら、人の手で何とか出来るかもしれない。あらゆる手を尽くして、彼の寿命を延ばす努力をすると、僕はジェイ・ゼルに誓いました」
彼は静かに微笑んだ。
「ジェイ・ゼルから話を聞いた後すぐに、僕は極秘でプロジェクトを立ち上げ、彼から採集した細胞を使って、何とか仕込まれたプログラムを阻止する方法を模索しました」
自分が何も知らない間に、リュウジが努力を重ねてくれていたのだと、気付く。
リュウジは――ジェイ・ゼルのために研究費を使って、遺伝子治療の方法を探ってくれていたのだ。最初、彼から事実を告げられた時の衝撃が薄らぎ、家族としての温もりが身の内を満たす。
そうだ、彼は、有言実行の人だった。
不思議に身の震えが収まってくる。
揺るぎない信頼を感じながら、ハルシャはリュウジを見つめていた。
言葉を告げてから、リュウジの視線が落ちた。
「正直。惑星アマンダの遺伝子プログラムに逆らうのは、非常に困難でした」
瞼を伏せて、リュウジが呟く。
「惑星アマンダは『商品』である『
苦味を含んだ言葉が、リュウジの口から滴り落ちた。
「通常、体内から採取された細胞でも、一定の条件を与えれば体内と同じように分裂し、複製を繰り返して増殖します。当初はそうやって彼から採取した細胞を増やしてから、研究のために使うつもりでした。
ですが――ジェイ・ゼルの細胞は厄介でした。体内から取り出され外気に触れるとストレス状態になり、一時間ほどで自死プロブラムが発動してしまうのです。細胞が自動的に、自らの細胞壁を破壊して死滅するのです。貴重な『
リュウジはぐっと、両手を握りしめた。
「細胞が短命なため、その都度新鮮な細胞を採取する必要がありました。
ハルシャが仕事に出ている間に、ジェイ・ゼルには僕たちの研究室に何度も足を運んでもらっています。あなたに気付かれないように、彼は随分配慮をしていたと思います」
知らなかった。
そんな努力が積み重ねられていたなど。
何も知らずに、この二年を彼に守られて、ぬくぬくと暮らしてきた。
仕事を終えて戻った家で、いつも彼は温かな笑みを浮かべて、自分を迎え入れてくれていた。
その底で――彼は戦っていたのだ。
「採取できる細胞の寿命が短いために苦労しましたが、何とか自死を引き起こすプログラムを特定することに成功しました。システムを解析することで、デスドメインに結合し、細胞死《アポトーシス》を阻害する物質を開発することが出来たのです。
先日、ジェイ・ゼルから採取した細胞で実験しましたが、投与したものと、未投与のものを比較したところ、外気に曝した状態での生存率が、明らかに違っていました。大変満足のいく結果です」
言い終えた後、リュウジは立ち上った。
椅子が動き、身が揺れる。
静かな所作で彼は自分の机へと歩いていく。
大きな木製の机の引き出しを開けると、彼はそこから何かを取り出した。
両手に乗るほどの大きさの箱だった。
リュウジは箱を手にすると、ハルシャの横へと戻って来た。
椅子に腰を下ろし、慎重に小卓の上に箱を置く。
瞬きを一つしてから、彼は口を開いた。
「これが、僕たちの
白い箱の蓋を、彼はそっと開いた。
中には、ガラスの瓶の中に、ピンクの錠剤がいくつか入っていた。
「服用についての詳しい説明は、こちらに入れてあります。電脳で読み取って下さい」
彼の手が、箱の中に入っている黒い小さなチップを示す。
ハルシャは錠剤に向けていた視線を、リュウジへ上げた。
彼は苦しみを抑えて、無理矢理に笑ったような顔をしていた。
「治験もなにもなしにいきなり服用して頂くので、副作用などあるかもしれません。ジェイ・ゼルの身体は、僕たち人類とは少し異なっています。不測の事態が起これば、すぐに治療に当たれるように態勢はとっておきます。どんな些細な変化でも、報告してください」
蓋を締めて、リュウジは箱をハルシャの膝の上にそっと乗せた。
「これを――あなたから、ジェイ・ゼルに渡していただけますか。ハルシャ」
静かな声で彼が呟く。
「僕からだと」
見つめ合う。
「――ジェイ・ゼルは」
ハルシャは口の中の渇きを覚えながら、何とか言葉を呟いていた。
「私に黙っていてくれと、リュウジに依頼したのだろう」
リュウジは箱から手を離さずに、ゆっくりと瞬きをした。
「ジェイ・ゼルは最後まで、あなたに自分の真実を告げるつもりはなかったようです。僕がいくら言葉を尽くしても、そこだけは彼は譲りませんでした」
過去を想いながら、リュウジが言葉を口にする。
「恐らく、寿命が短いことを知ったあなたが」
眉を寄せて彼は痛みに耐えるように呟いた。
「悲しむことを――何よりも彼は恐れているのだと思います。残された時間が短いのなら、何も知らせずに、あなたの心が苦しまない道を、彼は選ぼうとしていました。それでどんなに自分が苦しくても、彼は耐え続けるつもりだったのでしょう」
僅かに潤んだ眼で彼は口角を上げて、微笑んだ。
「実に、ジェイ・ゼルらしい遣り方です」
ジェイ・ゼルは、一人で苦しんでいたのだ。
自分に真実を告げることが出来ずに。
独りにはしないよ。
ずっと、君の側にいるよ、ハルシャ――
一面のコスモスの海の中で。
離れないでくれと言ったハルシャに、彼は優しく呟いてくれた。
あの時。
どんな気持ちで、ジェイ・ゼルは言葉を口にしていたのだろう。
さらさらと、手の指の間から砂がこぼれ落ちるように、命がすり減っていくことを感じながらも、それでもジェイ・ゼルは、独りにしないと誓うように呟いていた。
自分を不安がらせないために。
彼の深い愛情と優しさが、胸を締め付けた。
動きを止めるハルシャを、リュウジは静かに見つめていた。
「ジェイ・ゼルが僕に話したのは、何かあった時に残されるハルシャのことを、心の底から心配したからです。だから――誰にも言えない秘密を、僕だけに教えてくれたのだと思います。帝国法違反の生命体であることを、告げても悔いのないほどに」
リュウジの藍色の瞳が自分を見つめ続ける。
「ジェイ・ゼルはあなたのことを、真実愛しているのです」
切ないほどの笑みを、再び彼は浮かべて呟いた。
「彼の想いの深さに、僕は心が揺さぶられました。だから、何としてでも治療薬を開発しようと努力を重ねました。
あなたの側に、ジェイ・ゼルはいるべきです。そして、あなたはジェイ・ゼルの真実を知るべきです。ジェイ・ゼルは僕に口止めをしました。気持ちは理解しています。それを守るのが仁義だとも解っています。ですが、この先、治療薬の副作用で彼が苦しむかもしれない。そんな折に、あなたにジェイ・ゼルが嘘を吐き続けるのが、僕は苦しいのです。
だから」
静かな眼差しが自分を包む。
「あなたに、知っている真実をお知らせしました」
箱に手を触れると、わずかにリュウジはハルシャの方へそれを押した。
「ジェイ・ゼルは」
穏やかな声が、滴る。
「いつも全てを一人で抱えて、誰にも苦しみを悟らせません。それが、彼の優しさだとは理解出来るのです。が、それでも、僕は辛いのです」
苦しげに、切なげに、リュウジが微笑んだ。
「もう、彼を楽にしてあげてください。お願いです、ハルシャ」
沈黙のまま、見つめ合う。
言えない秘密を持つことの苦しさを、リュウジは誰よりも知っているような気がした。
ジェイ・ゼルのために、リュウジは裏切り者となじられる道を選んだのだ。
深い藍色の瞳が自分を見つめていた。
きっと。
このことを自分に告げるまでに、リュウジも苦しんだのだろう。
何も知らない自分と、何も言わないジェイ・ゼルの姿を目に映すたびに。
そして、薬が完成したことを機に、真実を告げることを決めた。
誰よりも、ジェイ・ゼルのために、リュウジは覚悟を決めて自分に話してくれたのだ。
ハルシャは膝の上の箱を両手で包んだ。
箱を見つめる。
この中に、ジェイ・ゼルの命を延ばすものが入っている。
彼の未来が、ここにあるのだ。
目頭が、熱くなってきた。
「ありがとう、リュウジ」
それ以外の言葉を言えずに、ハルシャは顔を上げた。
「ありがとう」
リュウジの瞳が揺れた。
長い沈黙の後、彼は静かに笑った。
「ジェイ・ゼルにお伝えください」
笑いを含んだ声で彼は続ける。
「約束違反で、殴られる覚悟は出来ています、と」
ハルシャも笑おうとした。
だが。
熱いものが込み上げて来て、慌てて視線を伏せた。
「ありがとう、リュウジ」
同じ言葉を、繰り返すことしか出来なかった。
「また、僕からジェイ・ゼルには連絡を入れます。後のことも含めて、これから一緒に乗り越えていきましょう」
優しい声でリュウジが言う。
「僕たちは家族です。安心してください、ハルシャ。辛いことなら分け合って生きていきましょう。重い荷物も、皆で担げば負担は減ります。大丈夫です。あなたは一人ではありません」
昔、ラグレンで言ってくれたことと同じ言葉を、彼は今も自分に与えてくれる。
力強い声に、ただ、ハルシャは頷くことしかできなかった。
短い沈黙の後
「あまり引き留めてもいけませんね。これからハルシャは家に戻らなくてならないので」
とリュウジが会話を終わらせる口調で言う。
「ハルシャも早く、ジェイ・ゼルに薬を渡したいでしょう」
そう言うと、彼は一瞬言葉を切ってから
「
と静かな声で呟いた。
その声と共に、扉が静かに開いた。
ヨシノさんは手提げ袋を持ち、リュウジの側に立った。膨らんでいるところを見ると、約束したコーヒーが入っているようだった。
ヨシノさんの手から袋を受け取ると、座ったまま見上げてリュウジが指示する。
「ああ、ありがとう。この後、ハルシャを送ってあげてくれるか、
「はい。竜司様」
リュウジは視線をハルシャに戻すと
「お約束の品です。豆の名前は中に入っています。ジェイ・ゼルが喜んでくれると嬉しいですね」
と、袋の代わりに手を出しだした。
「それも、入れておきましょう。荷物は一つの方が良いでしょう」
ハルシャが膝に乗せていた箱を、リュウジは渡すように促してきた。
小さな箱なので、コーヒーの入っている袋にちょうど収まる。
リュウジはてきぱきと箱を中に入れると、改めてハルシャに袋を渡してくれた。
ヨシノさんが居るからか、彼は世間話をしながら立ち上がり、ハルシャを出口まで導いていく。
「また、ゆっくりと家に遊びに来て下さい。サーシャも、ドルディスタ・メリーウェザもハルシャに会いたがっていました」
「解った。ジェイ・ゼルと一緒に訪ねることにする」
「はい、お待ちしています」
再会を約して、笑顔でリュウジと別れた。
ヨシノさんの運転で職場に戻る道中、ハルシャは足の震えが止められなかった。
飛行車の窓から帝都ハルシオンの輝きを見つめながら、リュウジの語った言葉が耳にこだまする。
――ハルシャは『
知らなかった。
その事実も。
ジェイ・ゼルが告げずに、自分にひた隠しにしていたことも。
陰で苦しんでいたことも。
リュウジに密かに後事を託していたことも。
何も。
自分は知らなかった。
知らずに彼の優しさに守られていた。
託された袋を抱き締めながら、煌めく大都会の光を見つめる。
次第に光がまばらになり、やがて元の駐車場に戻っていた。
飛行車の扉を開けて、ヨシノさんが自分を下ろしてくれる。
「ご自宅まで、お送りいたしましょうか」
降りて礼を言ったハルシャに、彼はわずかな沈黙の後そう尋ねた。
「大丈夫だ、ありがとう。ヨシノさん」
ハルシャは笑って続ける。
「リュウジがヨシノさんはコーヒーを淹れるのが上手だと褒めていた。わざわざ淹れてくれて、ありがとう」
ハルシャの言葉に、優しくヨシノさんが微笑む。
あまり表情を表に出さないけれど、彼はとても感情が豊かだとハルシャは知っていた。
短い会話を交わした後、自分は大丈夫だと判断したのか、ヨシノさんはリュウジの元へと戻っていった。
ハルシャも、飛行車へ向かう。
座席に腰を下ろし駆動部を立ち上げてから、震える指で飛行車の自動運転装置を呼び出した。
ハルシャは運転することが好きなので、搭載されているものの、使ったことのない機能だった。
これを使うと、目的地まで自動で走行してくれる。
今だけは、この装置に頼りたかった。
『目的地をご指定下さい』
人工知能が問いかける。
「自宅へ」
『了解いたしました。自動走行を開始いたします』
人工知能が、最短ルートを告げる。ハルシャが了承すると、現在時間と目的地への到着時間を述べてきた。確定すると、自動走行が開始される。
ハルシャは膝に乗せた袋を抱き締めて、身を震わせた。
すっと飛行車が浮き、静かに駐車場を出る。
しばらく沈黙を守った後、ハルシャは通話装置を取り出した。
ワンコールで、ジェイ・ゼルが出た。
「ジェイ・ゼル」
なるべく自然に聞こえるように気を付けながら、ハルシャは
「今、仕事が終わった。これから戻るから――」
と、いつもの習慣になっている帰宅連絡を入れる。
『連絡をありがとう、ハルシャ。気を付けて戻っておいで』
ジェイ・ゼルの声が通話口から響く。
ぎゅっと通話装置を握りしめる。
「解った。待っていてくれ、ジェイ・ゼル」
ふふっと、彼の笑い声が耳元にこぼれる。
『今日は前にリクエストをしてくれたハンバーグを作ったよ。帰ったら食べられるようにしておくから、楽しみにして戻っておいで』
いつもと変わらない声でジェイ・ゼルがいう。
「ありがとう、とても嬉しい」
彼の笑い声がする。
『気を付けて。運転の邪魔になるから、もう切るよ、ハルシャ』
名残を惜しみながら彼が通話を切った。
彼の声の響いていた通話装置を、ハルシャは抱きしめた。
日常を安らかに過ごさせるために、彼は毒を飲み込んで、ハルシャに悟らせなかったのだ。
その優しさに自分はずっと守られ続けていた。
震える手で通話装置を握りしめる。
「――ジェイド」
目を閉じて、自動運転に身を任せる。
一時間の後、自宅の前にふわりと飛行車が降り立つまで、ハルシャは身を強張らせたまま動かなかった。