自分で慰めることなど、ラグレンを離れてからしたことが無かった。
ジェイ・ゼルが刑務所に入っているときはなおさら、彼が苦労しているのにと、自分も禁欲を強いてきた。何より、宇宙飛行士になるための勉強を積み重ねていた日々だった。
だから。
本当に久々だったのだ。
自分の手で慰めたのに、昂ぶりが持ち上がらなかった。手を尽くしても、絶頂には程遠かったのだ。
こんなことは初めてだった。
身体が異変を起こしてしまったのかもしれないと思うと、余計悲しくなってしまった。
ショックを受けながら、ハルシャはまんじりともせずに、夜明けを迎えることしか出来なかった。
「――身体がどうか、してしまったのかもしれない」
ハルシャは恥辱を噛み締めながら、心の内をジェイ・ゼルに吐き出した。
手で顔を覆ったために、くぐもった声しか出ない。
不安を、彼にようやく訴える。
「この先ずっと、達せなくなってしまったら……どうしたらいいのだろう、ジェイ・ゼル」
口に出してから、自分がそれを恐れていたことを、はっきりと悟る。
もう二度と、達せない体になってしまったら、どうしよう。
短慮に走ってしでかしてしまったことで、致命的な過ちを犯してしまったかもしれない。
ひたすらに、それが恐かった。
初めての事態が、不安で仕方がなかった。
顔色が悪くなっていたようで、心配した工場長が、職場に寄らずに帰っても良いと言ってくれたほどだ。
ジェイ・ゼルを見たときに、安心すると同時に、変化を見抜かれることが恐くて動揺してしまった。
だから、無意識に彼から目を逸らしてしまったのかもしれない。
羞恥と不安とジェイ・ゼルからの軽蔑を恐れて、ハルシャは身を震わせ続けた。
急に、ふわりと彼の腕に包まれていた。
「それが、恐かったのだね」
熱で慰撫しながら、彼の声が耳元に滴る。
呟きに首を揺らすと、まだ顔から手を外せないままに、言葉を呟く。
「すぐに、伝えられなくてすまなかった。ジェイ・ゼルに隠すつもりはなかった。ただ、あまりに恥ずかしくて……言い出せなかったんだ……」
なだめる様に背中にジェイ・ゼルの大きな手が滑る。
「かわいそうに。さぞ不安だったろうね」
優しい声が耳朶に触れる。
「ハルシャ。男性の身体はね、思ったよりも繊細なのだよ。ハルシャは慣れない環境で、与えられた役割をきちんと果たそうとして、ストレスを感じていたのだよ。だから――常とは違う反応を、体がしてしまっただけだ。大丈夫だからね」
穏やかに手が滑る。
「そんなに震えなくても大丈夫だよ、ハルシャ。一時的なものだからね」
経験豊富なジェイ・ゼルに慰めてもらうと、少しだけ心が楽になる。
けれど、動揺が去らない。
まだ不安をたぎらせるハルシャに、しばらくしてからジェイ・ゼルが、髪に唇を押し当てながら呟いた。
「それでも不安かな?」
わずかにハルシャは頭を揺らした。
くすっと小さな笑いが髪に触れる。
「そうか。なら、実験してみようか、ハルシャ」
と、ジェイ・ゼルが提案する色のある声で言う。
ハルシャはようやく顔を覆っていた手を緩めて、指の先から彼を見た。
「実験?」
問いかける言葉に、ジェイ・ゼルが優しく微笑む。
「そう、実験だ」
髪に、大きな手が滑る。
灰色の瞳が自分を包むように見つめていた。
「昨夜、ハルシャはどこで自分を慰めたのかな?」
引いた熱が再び頬に戻る。
「――ベ、ベッドの上で……」
「寝る前に?」
「そうだ。灯りを落として……」
「なるほど。では、同じ状態でしてみようか」
見上げるハルシャに、ジェイ・ゼルはこの上なく爽やかな笑顔で告げた。
「これから準備をして、昨日と同じ状態で、ベッドで自分を慰めてみようか、ハルシャ。本当に達せなくなったのかどうか、一緒に調べてみよう」
*
爽やかに提案された通りに――
ハルシャはジェイ・ゼルに腸を清めてもらい風呂で身を温めてから、ベッドに一人で横になっていた。
大きなベッドの端にジェイ・ゼルは腰を下ろし、身を捻るようにしてハルシャへ視線を向けている。
「上掛けは、かけていたのかな?」
ジェイ・ゼルは、昨日の状態を出来るだけ再現しようとしているらしい。照明の強さも服も、同じようなものになるようにと配慮している。
「布団に入ってから、我慢が出来なくなったから――かけていた」
頬を赤らめて正直に申告する言葉に、ジェイ・ゼルが静かに微笑んだ。
「そうか。なら、きちんと身にかけようね。なるべく同じ状況にしなくてはね」
シルクのシーツが肌に触れる。
布団から顔を出して、ハルシャは観察するジェイ・ゼルへ視線を向ける。
ジェイ・ゼルは静かな眼差しを自分に注いでいた。
確認するように彼が口を開く。
「昨日のホテルの部屋は、こんな感じだったのかな?」
一人部屋で、照明が暗い。
おおむねそうだ。
ハルシャが頷くと、ジェイ・ゼルは笑顔で告げる。
「なら、昨夜と同じように――してみてくれないか、ハルシャ」
これは検証実験だから、とジェイ・ゼルは戸惑うハルシャを説得していた。
原因を探らなくてはならないからね。
昨夜と同じ状況を作り出して、再現し検証してみよう。と。
そうしたらきっと対処方法が見つかるよと、彼はにこやかに断言した。
実験、と言われると、ハルシャは何となく納得してしまう。
原因解明のためという大義名分を掲げて、ジェイ・ゼルはハルシャに自慰をしてみようか、と明朗に告げてくる。
「解った」
と、言ったものの。
信じられないほど恥ずかしい。
そこにジェイ・ゼルがいるのに、自分で慰めるなど――
だが、彼は真剣そのものの表情だった。
この先二度と達することが出来なければ、どうしたらいいのだろう、と怯えていたハルシャのことを、心から心配しているようだ。
彼の心に応えようと、ハルシャは眼を閉じて、昨日の状況を思い出す。
ジェイ・ゼルと通話装置を通じて話をして、それから風呂に入った。
もう、明日で彼の側へ戻ることが出来ると思いながら、布団にくるまっていた。
そうすると――
ジェイ・ゼルの香りが恋しくなってきた。
ホテルは他人行儀な匂いしかしない。初日は緊張していたために早く寝たが、契約もまとまり、ほっとした間隙を突くように、寂しさが湧き上がってくる。
ジェイ・ゼルが恋しかった。
彼の与えてくれる熱と愛撫と。
全てがただ恋しかった。
彼を求めるように知らず知らずの内に、手が下腹部へと向かっていた。
思い出して、ハルシャは頬を染めながら下穿きの中へ、手を動かす。
ジェイ・ゼルはいつも、三日に一度身を慈しんでくれていた。習慣になっていた周期を、身体の方が覚えていたようだ。愛して欲しいと、内側からねだってきた。彼を想っている段階で、すでに半立ちの状態だった。けれど、そこからいっこうに硬くならなかったのだ。思い出してまた、顔が赤くなる。
昨日は、ぬめりのある液が無いので、ハルシャは何もつけずに愛撫してみた。ジェイ・ゼルがいつもしてくれるように、優しく、そっと。
昨夜と同じようにすると、ぴくっと身が震えた。
目を閉じているので解らないが、自分の反応をジェイ・ゼルは見つめているのだろう。
そう思うと、下腹部に熱が集まっていく。
昨夜のホテルとは、全く違う。
もう、兆し始めている。
唇を引き締めて、声が漏れないように気を付けながら、ハルシャは手を動かした。優しく亀頭の先を撫でる。そうやって自慰をしなさいと、十代の頃ジェイ・ゼルに教えられた通りに。今でもハルシャは、律儀に彼の言葉を守っていた。
先の愛撫に、自然と体が揺れる。
同じような状況のはずなのに、身の反応が昨夜と全然違う。
ホテルの一室で、自分で慰めていた時は昂ぶりに触れても、立ち上がってこなかった。
あまりきつい摩擦をすると、亀頭が傷む。
ジェイ・ゼルに注意を受けていた通りだった。
いつまでたっても反応しないことに焦り、執拗に擦り過ぎたのだろう。
先がひりひりと痛くなってしまった。
全く訪れない絶頂感に戸惑いながら、痛みに負けて昨日は途中で手を止めてしまった。
だが今は――
ほんの少し擦っているだけなのに、身がびくびくと反応してしまう。
じわっと、ぬめりが先端に宿る。
押し殺した喘ぎが思わず口から漏れた。
行為に集中するハルシャの身の上から、静かに上掛けが動いた。
はっと目を開けると、ジェイ・ゼルが掴んで上から取り去っていた。
パジャマを着て横たわり、服の中に手を入れる姿を、彼に見られてしまった。
無性に恥ずかしい。
それよりも――
検証のために、同じ状況にする必要があったのではないか?
どうして取るのだ、ジェイ・ゼル?
と問いかける眼差しに、彼は笑顔を返した。
「原因を探らなくてはならないからね。ハルシャの状況が詳しく観察できるように、上掛けを外すよ」
と潜めた声で告げる。
ああ、そういうことか、と納得する。
シルクのシーツのかかった上掛けを取り除きながら
「続けて、ハルシャ」
とジェイ・ゼルが指示する。
ハルシャは我に返り、止めていた手を動かし始めた。
より直接的にジェイ・ゼルに見られているというだけで、身の内が甘く痺れてくる。どうしようもない羞恥が身を苛む。
それでも、昂ぶりは確実に反応していた。
「どうかな、ハルシャ? やはり、達せそうにないかな?」
内緒話をするように、小さな声で彼が問いかける。
ハルシャの邪魔をしないようにとの配慮らしい。
「――昨日、とは、違う」
はあっ、と、思わず息を漏らしながら、ハルシャは自分の現状を告げる。
「達せ、そうだ」
ベッドが揺れた。
顔を向けると、端に座っていたジェイ・ゼルが、自分の側へと動いてきている。
ハルシャは手を止めないままに、彼の動きを目で追っていた。
「やはり」
すぐ横に座り、ジェイ・ゼルが顔を寄せて呟く。
「昨日は、ストレスのかかる環境だったから、身が反応しなかったのだね。疲労もあったかもしれないよ」
低く静かな声で彼が告げる。
「安心できる環境に戻り――私の側なら、君は達することが出来る」
優しく大きな手が頬に触れる。
灰色の瞳が、自分を包み込むように見つめていた。
「大丈夫だよ。ハルシャ。もうそんなに不安そうな顔をしなくてもいいからね」
するっと頬を撫でおろした手が、服の上から胸の尖りに触れる。
思いがけない衝撃に、ハルシャは叫んでいた。
びくんと身が跳ねる。
ジェイ・ゼルの指の動きに合わせて、声が漏れる。
「あっ、ああっ、んっ、ああっ」
ぴたりと指の動きが止まる。
「昨日、ホテルの部屋で」
ジェイ・ゼルが顔を寄せて問いかける。
「こんな風に声を上げたのかな? ハルシャ」
脳が痺れたような快楽を感じながら、反射的に首を横に振る。
「……声は、出していない。出さないようにしていた」
素直に答えた言葉に、ジェイ・ゼルが静かに微笑んだ。
「そうか」
息が触れる。
「他の人には声が聞こえないようにしていたのだね。賢かったね、ハルシャ」
正しい答えを呟いた口を褒めるように、柔らかく唇が覆われていた。
そのまま、乳首を捕らえた手が再び動き出す。
ジェイ・ゼルに愛されるのは五日ぶりだった。待ち望んでいた刺激に、身が甘く痺れていく。
声が抑えられない。
「もっと鳴いていいんだよ、ハルシャ。かわいそうにね、自分で慰めたのに、達することが出来なかったのだね。けれど、大丈夫だよ。ほら、もうこんなに兆している」
絶え間なく指先を動かし、刺激を与えながら、離した唇でジェイ・ゼルが呟く。
証明するように、空いているジェイ・ゼルの手が、服の上から昂ぶりをそっと撫でた。
「すぐに達することが出来るよ。心配しなくても大丈夫だからね、ハルシャ」
言葉を証明するように、ハルシャ自身が張りつめている。
もう二度と、達することが出来ないのではないか、と思った恐怖が拭い去られる。ジェイ・ゼルの手に身を委ねる安心感に包まれたままに、馴染んだ熱がせり上がってきた。
口から喘ぎが滴り落ちる。
変化を仔細に観察しながら、ジェイ・ゼルが目を細めて呟いた。
「大丈夫だよ、ハルシャ」
呟きを残し、服の上から撫でていたジェイ・ゼルの左手が、ハルシャの下穿きの中に入ってくる。
繊細な指先が、敏感な亀頭に触れている。そよ風のように優しい指遣いに、昨日は得ることが出来なかった絶頂が、急速に迫ってくるのを感じる。
ひゅっと息を飲むほどの愉悦が、身の内に広がった。
「んあああっ!」
背中を反らして、ハルシャは叫んでいた。
「可愛いよ、ハルシャ」
静かな声が、耳朶に触れる。
一瞬手を離すと、ジェイ・ゼルはハルシャの下の服を、そっと引き下ろしてそこから昂ぶりを取り出していた。
それに気づいた瞬間、ハルシャは
「ジェイ・ゼル」と、彼を呼んだ。
服から手を離して、ジェイ・ゼルが身を寄せる。
「どうした、ハルシャ」
潤んだ眼で見上げながら
「――昨夜のホテルと、同じ状況でするのではなかったのか?」
と、問いかける。
原因を探るために、必要だったはずだ。
当初の目的をまだ果たしていないと、疑問を呈する。
ジェイ・ゼルは不意に笑顔になった。
「検証結果は出ただろう、ハルシャ」
優しい声で彼は顔を寄せて呟いた。
「達せなかった原因はね、私がハルシャの側にいなかったから、だよ」