ほしのくさり

余話 ~天からこぼれた物語~

ハルシャの隠しごと Ⅰ




はじめに

※ジェイ・ゼルとハルシャが、帝星で暮らし始めて一年がまだ経たない、残暑厳しい頃のお話です。
※本編後日談『花咲く丘に、君と』の二ヶ月ぐらい後のちょっとした事件の物語になります。(全三話です)





「おかえり、ハルシャ」

 自宅から一番近いアルトア空港のロビーで、ジェイ・ゼルが笑顔で迎えてくれる。
 帝都ハルシオンにも近いこの空港は、人で賑わっていた。

 空の旅を終えたハルシャは、荷物を受け取ってゲートを出たところだった。
 出迎えてくれるジェイ・ゼルを探していたハルシャへ、軽く手を振り合図をしてから足早に近づいてくる。
 彼の顔を見ると、ハルシャはほっとして、満面の笑みを浮かべてしまった。
「ただいま、ジェイ・ゼル」

 人ごみに出るので、帽子をかぶり、サングラスをした姿でジェイ・ゼルは自分を迎えに来てくれていた。
 顔をほとんど隠していても、彼の容姿は目立つのだろう。数人がちらっと、無意識のようにジェイ・ゼルを振り返って見ている。
 その動きを見て、ハルシャの内側にふと、警戒心が巻き起こる。

 雑多な人が行きかう空港には、どんな人がいるか解からない。
 もし、過去のジェイ・ゼルを知る人がいたとしたら――と疑念がよぎり早くこの場から立ち去らなくてはならないと、妙に焦ってしまった。

「わざわざ来てくれて、ありがとう」
 足早に近づき、歩を少し緩めてジェイ・ゼルに並ぶ。
 彼の手がそっと背中に触れた。
 空いている手が静かに荷物の一つを持ってくれていた。
 身を寄せて歩きながら、彼が語り掛ける。
「急な出張だったから大変だったね。無事に用事は済ませられたのかな?」
 ねぎらう声に、ハルシャは笑顔で応えた。
「契約を無事に交わすことが出来た。相手方も満足をしていた。役割は果たせたと思う」
 静かな笑みが、ジェイ・ゼルの顔に浮かんだ。
「そうか。それは良かったね」
 優しく、指が髪に触れる。
「頑張ったのだね、ハルシャ」

 この出張が決まったのは、突然のことだった。
 ハルシャの勤務する工場が、新しい技術の提携をめぐって長く交渉を続けて来た会社と、正式に契約を結ぶことになった。
 本来ならハルシャの上司が向かうはずの契約だったのだが、急病を得て彼は入院を余儀なくされてしまった。
 急遽、代役として抜擢されたのがハルシャだった。
 ほとんど下話が終わっているから、ただ契約を交わして来てくれればいい、と病院のベッドの上で上司がハルシャに委託してくる。君が携わっている分野だから、専門知識もある。相手の話もきちんと分かるだろう。工場長も同行するから大丈夫だと。
 世話になってきた人の頼みだ。
 治療に専念してもらうためにも、ハルシャは快諾をした。
 上司はほっとした顔で微笑んでくれた。

 話のあった次の日、工場長と二人、ハルシャは空路で六時間の場所にある、帝星のショルドロン地域へと飛んだ。
 技術提携の詳細を詰め、今後のことも話し合うためにどうしても数日を必要とした。日帰りは無理な距離だったために、ジェイ・ゼルを自宅に残して、三日間泊りがけでの出張になってしまった。これほど長く離れたのは、帝星に住み始めてからはじめてのことだ。
「独りにしてしまって、すまなかった、ジェイ・ゼル」
 詫びる言葉に、静かに彼は微笑む。
「大丈夫だよ、ハルシャ。それなりにすることは色々あったからね」

 空港の大きなターミナルを出て、ジェイ・ゼルが飛行車を停めてある場所に向かう。
 季節はもう秋だが、帝星に射す太陽の力は強い。夏の名残のように日差しが上から照り付ける。

 その中を歩いて、ハルシャはジェイ・ゼルの車がある駐車場へと向かった。
 シルガネン湖のほとりで暮らすようになってから、それぞれの足として飛行車が必要になってきた。
 それで、ジェイ・ゼルは自分用に一台購入したのだが、なんと彼の選んだ車体の色は、目の覚めるような赤だった。
 意外だった。
 ラグレンでは黒い服しか着ていなかったから、てっきり黒が好きなのだとハルシャは勝手に思い込んでいたのだ。
 ジェイ・ゼルは、この色が好きなのか?
 車体を選ぶ横で、思わず問いかけたハルシャに、ジェイ・ゼルは逆に、おや、ハルシャは赤が苦手かな? と質問をしてくる。別に嫌いではないというと、ではどんな色が好みなのかな? と問い返されてしまった。答えているうちに話が移り変わっていく。
 彼は話術が巧みなのでいつの間にかうやむやにされて、ハルシャが質問の答えを貰っていないことに気付いたのは、随分後だった。

 その赤の飛行車が、駐車場の一角に停まっている。ジェイ・ゼルは背中に当てた手で、自分を導いていった。
 後部座席に荷物を入れて、ジェイ・ゼルが運転席に座る。
 ハルシャは横の助手席に腰を下ろしてふっと息を吐いた。
 彼の傍にいると、それだけで身の内に安堵が広がる。慣れない契約の仕事は、やはり精神的に負担だった。
「ハルシャは」
 飛行車の駆動部を入れながら、ジェイ・ゼルが静かに呟いた。
「寂しくなかったか?」
 問いかけの優しさに、思わず顔をジェイ・ゼルヘ向ける。
 サングラスを外しながら、彼は自分へ視線与えてくれる。
「独りで、大丈夫だったかな」

 出張の間、ハルシャは宿泊先からジェイ・ゼルに毎日連絡を入れていた。
 無事に一日を終えることが出来た報告と、ジェイ・ゼルが大過なく暮らしているかの確認と。
 そして何よりも――
 ジェイ・ゼルの声が聞きたかったからだった。

「だ、大丈夫だ。毎日ジェイ・ゼルと話が出来たから」
 視線を逸らし、慌てて言った言葉に彼が静かに微笑んだ。
「そうか。なら良かった」

 言葉が途切れた後、右手が伸ばされてハルシャの頬に触れた。
 軽く引き寄せられて、唇が触れる。
 挨拶のような口づけの後、彼は顔を離した。
「くたびれているね。早く家に戻ろうか。ハルシャ」

 呟いてから手が引かれる。
 家に戻る。
 その言葉に、なぜか胸の奥がきゅんと痺れる。
 湖のほとりのあの家が、自分の帰る場所なのだ。
 ジェイ・ゼルが待っていてくれる、二人が暮らす場所。
 一年足らず過ごした日々が、シルガネン湖の湖畔の家を、故郷へと変えていた。

「夕食は、ハルシャの好きな白身魚の料理だよ」
 ふわっと飛行車を浮かせながらジェイ・ゼルが微笑とともに言葉をかけてくれる。自分の帰る日に合わせて、彼が食材を選んでくれたのだと、気付く。
「ありがとう、ジェイ・ゼル。とても楽しみだ」
 ふふっと、笑みを深めると、ジェイ・ゼルは駐車場から静かに家路をたどった。


 *


 やはり、相当緊張して過ごしていたのだろう。
 思ったよりも疲労をしていたようだ。
 夕食を終えて座ったソファーで、ぼうっとハルシャは虚空を見たまま動けなかった。

 食事の後片付けは、ジェイ・ゼルがしてくれている。
 いつもなら手伝うのだが、ハルシャはくたびれているからゆっくりしていなさいと、彼が断わったのだ。
 馴染んだ家具に囲まれて、身も心も寛いでいく。何よりも、この家にはジェイ・ゼルの香りがしている。
 彼の内側から漂う、爽やかな香り。
 瞼を閉じて、気配に身を浸していると、横のソファーが揺れた。
 とっさに目を開くと、飲み物を手に、ジェイ・ゼルが傍らに腰を下ろしていた。
「飲むかい?」
 ハニーレモンだった。氷が入ったグラスが差し出されている。
「ありがとう」
 笑顔で、グラスを手に受け取る。

 ジェイ・ゼルは意外とこまめで、自家製のドリンクをよく作ってくれる。
 これも出来合いのものではなく、ジェイ・ゼル自らが素材を選んで漬け込んだ原液を水で割ってくれたものだった。冬はお湯で温かな飲み物にしてくれる。残暑の厳しいこの季節は、冷たいものを用意してくれたようだ。
「レモンがたっぷり入っているから、疲労回復にはうってつけだよ」
 グラスを手渡しながら、にこっと笑ってジェイ・ゼルが言った。
 ひんやりとした器が、手に心地よかった。一口飲んで、ほっとする。
 美味しかった。
 隣に座ったジェイ・ゼルが、片手を肩にかける。
「随分くたびれているようだね、ハルシャ」
 と、触れた肩をもみほぐすように指を動かしながら呟いた。

「自分の言動が、勤め先の不利益になってはいけないと思ったから」
 ハルシャは、グラスから視線を上げて呟いた。
「緊張したのだと思う」
 ちょっと笑って付け加える。
「話すことは、得意ではないから」

 その言葉に、ジェイ・ゼルの手が髪に動いて、そこを静かに撫でる。
「ハルシャが誠実なことは、言葉ではなくても通じるよ」
 優しい動きで、手が髪の上を滑る。
「相手も信頼できる取引先だと、解ってくれたのではないかな」

 人見知りな性格のために、必要以上に自分は物事を負担に感じてしまうのかもしれない。そして初めてのことに、つい身構えてしまう。
 全てを解ってくれているジェイ・ゼルの傍にいると、とても安心する。
 心からくつろいで、ハルシャは手にしていたグラスを傾けた。
 中身が半分になるまで、一気に飲む。
 美味しかった。
 思わず顔がほころぶ。
 その様子をジェイ・ゼルが傍らで見守っていた。
 一息ついたタイミングを見計らって
「ところで、ハルシャ。一つ質問をしてもいいかな」
 と不意に彼が問いかけた。
 もちろんだとハルシャが承諾を伝える前に、優しく滑っていた手が、頭の後ろに触れた。
 顔を寄せて、ジェイ・ゼルが静かに問いかける。
「出張先で一体何があったのかな? 私に教えてくれないか、ハルシャ」

 低めた声が、耳に触れた。

「気付いているかな、ハルシャ? 家に戻ってきてから、君は私と目を合わそうとしないのだよ。何か――私に対して気まずいことでも、あるのかな?」

 無意識に身が強張る。
 先ほどまでの和やかな会話の雰囲気が、一変した。
 ドキンドキンと、心臓の音が聞こえる。
 どうして――ジェイ・ゼルは、すぐに自分の心を見抜いてくるのだろう。
 ごく普通に、いつもと変わらずに接しているつもりだった。なのに。
 ジェイ・ゼルに悟られてしまった。
 妙な汗が背中に滲む。

 グラスを握りしめたまま動けないハルシャの耳元へ、ジェイ・ゼルが口を寄せて呟く。
「君が言い出すまで、待つつもりだったけれど、どうやら話してくれなさそうだからね」
 ふふっと彼が微笑む。
 その息が耳朶をなぶる。
「一体、私に何を隠しているのかな、ハルシャ。教えてくれないか」

 気付く。
 これは問いではなかった。
 断言だ。

 手が細かく震えていたのかもしれない。
 ジェイ・ゼルはふっと耳元で笑ってから、ハルシャの手の中からグラスを取ると、前の机の上にそっと置いた。
「ハルシャ」
 器から離れた手が、頬に触れる。
 グラスの表面に触ったせいだろうか。指先がひんやりとしている。
 手が促すように動き、ジェイ・ゼルの方へ顔を向かされる。
 気まずさにとっさに視線が泳いでしまう。
 ジェイ・ゼルの指摘の通りだ。
 自分は今、ジェイ・ゼルの眼をまともに見ることが出来ない。

 かあっと、彼の触れている場所が赤くなる。
 ハルシャの様子を、ジェイ・ゼルが仔細に観察している。
 視線が痛いほどだ。

 もう片方の手も浮かせて、ハルシャの頬がジェイ・ゼルの両手に包まれていた。
「どうして、私の眼を真っ直ぐに、見ることが出来ないのかな?」
 柔らかな口調で、ジェイ・ゼルが問いかけている。
「後ろめたいことでもあったのかと、勘ぐってしまうよ――ハルシャ」

 必死に言葉をかき集めて、何とか答える。
「つ、つまらないことだ。ジェイ・ゼルの耳に入れるほどのことではないから……」
「そうかな」
 ジェイ・ゼルがまだ穏やかな口調で呟く。
「私には、そうは見えないのだけれどね」
 こぼれた言葉の中に、わずかな痛みが滲んでいることに、ハルシャは気付いた。
 ゆっくりと顔を上げてジェイ・ゼルを見る。

 ドキンと、心臓が躍った。
 彼の灰色の瞳が、真っ直ぐに自分を見ていた。
「今回の出張の中で、私を正視出来ないようなことが、あったのだね」
 確信を込めて彼は言葉を続ける。
「何があったのか、話してごらん。前にも言っただろう。心の中に溜めておくと良くないよ、ハルシャ」

 隠しごとを話すように促す言葉に答えることが出来ず、ますます顔を真っ赤にしてしまった。
 その様子に、ジェイ・ゼルは微かに眉を寄せる。

「出張先で……誰かに、言い寄られたのかな?」
 僅かに尖った口調で彼が問う。
 驚きに口を開くと、ハルシャはジェイ・ゼルの手に包まれたまま、慌てて首をブンブンと大きく振った。
「そっ、そんなことは、ない! 絶対に!」
 ハルシャの全面的な否定に、ジェイ・ゼルが眼を細めた。
 疑いを解こうと、懸命に言葉を続ける。
「本当だ。相手方とは、仕事の話だけしかしていない。誰とも私的な接触などなかった。本当だ」

 ジェイ・ゼルは瞬きをゆっくりとした。
 ハルシャはジェイ・ゼルの目を、今度こそ真っ直ぐに見つめる。
「――そうじゃないんだ、ジェイ・ゼル」
 言いかけて、言葉を飲む。
 あまりの恥ずかしさに、顔から火が出そうだ。
「とても個人的なこと、なんだ」
 消え入るような声で告げた言葉に、ジェイ・ゼルは疑念をたぎらせた表情を解いた。
 穏やかな口調に戻って、彼が再び問いかけた。
「では個人的なことで――何があったのかな? 私に教えてくれないか」

 問いかけられても、羞恥のあまり口を開けない。
 唇を引き結んで、微かに身を震わせながらジェイ・ゼルを見つめ続ける。
 頬を包むジェイ・ゼルの親指が、なだめる様にゆっくりと動き出した。

「君が居ない三日は、とても寂しかったよ」
 痛みを得たように、微笑みながらジェイ・ゼルが呟く。
「でも、仕事だからね。そちらを優先させるのは正しいことだ。待ちかねて戻って来た君が――」
 言葉を切ると、灰色の瞳が自分の奥を見つめるように、正面から視線を捉える。
「私から目を逸らしたとしたら……一体何があったのかと、心配してしまうのは、当たり前だね、ハルシャ」

 ハルシャに後ろめたい気持ちがあることを、ジェイ・ゼルは鋭敏に見抜いて、少なからぬ衝撃を受けている。自分の態度が彼を傷つけてしまったのだ。
 急に胸が痛んだ。
 はっきりと彼の気持ちが解って、ハルシャは情けなさに眉を寄せてしまった。
「――すまない、ジェイ・ゼル」
 声を落として呟くハルシャを、じっと灰色の瞳が見つめる。
 無言でしばらく頬の形を親指でなぞってから、彼は口を開いた。
「何があったのかな、ハルシャ。包み隠さず教えてくれないかな。いつも言っているだろう。私はどんな君でも受け入れる。だから、安心しておくれ」
 罠を緩めてそっと逃がしてくれるような、柔らかな物言いだった。

 もう、告白するしかないと、ハルシャは覚悟を決める。
 それでも、顔が、再び真っ赤になってしまう。
 勇気を振り絞って、何とか口火を切った。
「――三日間、ジェイ・ゼルに会えなかった」
 ひゅっと、形のいい眉を上げて、ジェイ・ゼルがハルシャの言葉の続きを待っている。
「毎日、連絡を入れたけれど……通信を切った後、とても寂しくなってしまった」
 途切れた言葉の後、ゆったりと、ジェイ・ゼルの親指が再び頬を滑る。
 穏やかな口調で彼は呟いた。
「私が、恋しかったのだね。ハルシャ」

 心を、そのままずばりと言い当てられて、ますます頬が燃える。
 ハルシャはうなずきで、想いを伝える。

 次の言葉が中々出ない。
 しばらく沈黙していると
「それで、どうしたのかな、ハルシャ?」
 とジェイ・ゼルに促されてしまった。
「それで」
 つられて言ってから、羞恥に言葉を飲む。
「それで?」
 ジェイ・ゼルが告白を続けるように、静かに誘導してくる。
 ハルシャは、思わず視線を落としてしまった。
「たった三日だから、我慢をしようと思っていた」
 訥々と、消えそうな声でハルシャは真実を告げる。
「けれど」
「けれど?」
 すかさず、ジェイ・ゼルに先を催促される。
 ごくっと唾を飲んでから、ハルシャは何とか言葉を続けた。
「――明日にはジェイ・ゼルに会えると解っていた。けれど、なぜかとても寂しくて……。それで、我慢できなくて……一人で……」
 語尾が消える。
 ジェイ・ゼルは言葉の先を素早く理解してくれたようだ。
「なるほど。ホテルの部屋で、一人で自分を慰めたのだね」

 ためらいも何もなく、ずばりとジェイ・ゼルが言い当てる。
 頬が燃える。
 顔を上げられないままに、ハルシャはうなずいた。
 出張の二日目。
 明日にはジェイ・ゼルに逢えると連絡を入れた後、消えた画面を見つめて、寂しくて仕方がなかった。
 急な、拒むことのできない出張だった。
 心の準備も出来ないままに、自分は家を慌ただしく飛び出してきていた。
 夜眠る時と、朝目覚める時と――
 側にジェイ・ゼルの存在があることが当たり前だったのに。
 夜眠る横に彼は、いなかった。
 それに。
 この家に住んでから、ジェイ・ゼルは定期的に自分を慈しんでくれていた。
 心と体が寂しかった。
 彼と離れていた七年間の寂寥が、不意に胸を締め付けてきた。
 ジェイ・ゼルに会いたかった。彼のぬくもりが欲しかった。
 だから。
 堪え切れずに、ハルシャは――灯りを落としたベッドの上で、一人で慰めてしまったのだ。

 頬から手が離れ、優しく抱き締められていた。
「恥ずかしく思うことはないよ、ハルシャ。それだけ私が恋しかったのだね」
 トクントクンと自分の中の心臓の音が聞こえる。
「だから、私に後ろめたいような気持ちになったのかな?」
 ふっと笑いながらジェイ・ゼルが呟く。
 それもある。
 けれど――
 沈黙するハルシャに、何か違和感を覚えたのだろう。柔らかく包んでいた手をほどいて、ジェイ・ゼルが自分の顔を見つめてくる。
 また、ハルシャは真っ赤になってしまった。
 少し首を傾げて、ジェイ・ゼルがハルシャの戸惑いを見つめている。
 笑いを含んで、彼はなだめる声で言った。
「どうしたんだ、ハルシャ。それほど恥じ入ることではないよ」
 手の甲がするすると頬に滑らされる。
 労わる声に、ハルシャは身が再び震え出した。
 本当は……事態はもっと深刻だった。

「ジェ……」
 灰色の瞳へようやく視線を向けて、内側に秘めていた苦悩を、ハルシャは吐露していた。
「――ジェイ・ゼル……実は」
 顔を寄せないと聞こえないほどの声だった。
 思わず近づいたジェイ・ゼルの耳に、ハルシャは困惑の原因を告げる。
「慰めても……一人で、達することが、出来なかったんだ……」

 消えそうな囁き声で、ハルシャは、目を合わすことが出来ない本当の理由を、ようやく告白した。

 言葉を絞り出した後、恥ずかしさに、ハルシャは自分の顔を手で覆って俯いてしまった。
 体が、羞恥のあまり小刻みに震える。
 言ってから、後悔が汗のようになって身から噴き出してきた。

 ジェイ・ゼルは沈黙していた。

 どうしよう。
 ジェイ・ゼルはきっと、呆れている。
 恥ずかしくて、切なくて、ハルシャは顔を覆った手を外すことが出来なかった。






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