今回は本編『ほしのくさり』第170話『遠い歌声』の前にあった、出来事をお届けいたします。
お互いの想いを確認し合い、打ち解けた食事をとったあと、クラヴァッシュ酒を飲み過ぎてしまった(いえ、ジェイ・ゼルに酔い潰された)ハルシャが、どうしてジェイ・ゼルの上に抱き締められたまま目覚めたか、の謎を解く鍵がここに!!
……お楽しみいただけたら、とても嬉しいです♪
※ハルシャが酔い潰されて目が覚めるまでの間に、さて、何があったのでしょう。 ジェイ・ゼルが口を開きたがらなかった秘密が、ここに……
*
夕食の片づけをすべて終えた後、ジェイ・ゼルは、水が満たされたグラスを手に、ハルシャの眠るベッドルームへと向かっていた。
空いている方の手には、二日酔い止めの錠剤があった。
ハルシャがアルコールに弱いことを承知の上で、ジェイ・ゼルは酩酊まで彼を追い込んでいた。
目的はただ、一つ。
リュウジの元へ、ハルシャを帰さないためだった。
我ながら必死だったと、苦笑いが思わずこぼれる。
ハルシャの口から、リュウジの名が出た途端、理性が吹き飛びそうになった。
帰したくなかった、彼の元に。
今夜だけは。
素直に、クラヴァッシュ酒を口にしていたハルシャの姿が、視界をよぎる。
自分の服をまとい、酔いに頬を赤らめていた彼の姿が。
胸の奥が痺れるようだ。
いとしさが、湧き上がってくる。
ジェイ・ゼルのベッドの上で、ハルシャは屈託なく眠り続けていた。
「ハルシャ」
声をかけても、彼はすぐに反応しない。
まだ酔いが回っているようだ。
飲ませ過ぎたかもしれない。
ハルシャは極めてアルコールに弱い。
宇宙船乗りには、酒豪が多い。
彼が夢を実現するためには、アルコールに慣れることも必要かもしれない。焦らずに毎日、少しずつ酒量を上げていけば、耐性が付くだろうか。
ふと、そんなことまで考えて、ジェイ・ゼルは再び、苦笑いをした。
ハルシャの人生に、この後も関わり続けることが出来る。
もう彼の身を、契約で縛ることもなく。
困難を承知の上で下した決断は、予想以上に自分の心を解放していた。
惑星ガイアで、海の側を一緒に歩く――
そんな未来を、思わず夢見てしまうほどに。
「ハルシャ」
顔を寄せて、語り掛ける。
「水を飲まないか」
言葉に、わずかにハルシャが目を開いた。
それでもまだ、意識はぼんやりしているようだ。
焦点の合わない目が、虚空へ向けられている。
「喉が渇いただろう」
アルコールの分解には水が不可欠だ。
身体が水を欲しているはずだった。
問いかけたジェイ・ゼルの声に、無意識のようにハルシャが首を揺らしている。
虚ろな眼差しのハルシャに向けて、優しく言葉をこぼす。
「なら、飲ませてあげよう。身体を起こすよ」
声をかけてから、ジェイ・ゼルはベッドの脇に座り、彼の首の下に手を差し入れると、そっと体を上げた。
触れたハルシャの体はまだ、熱かった。
起こした腕で頭を支えながら、ジェイ・ゼルは錠剤を自分の口に入れてから、グラスを傾けて、水を含んだ。
そのまま、ハルシャの唇に押し当てる。
少しずつ送り込んだ水を、こくんこくんと、ハルシャが飲み下している。
錠剤も、のどに詰まらせることなく、無事に飲み込んだようだ。
確認してから、ジェイ・ゼルは語りかける。
「もう少し、欲しいか?」
言葉に、ハルシャがうなずく。
二回、水を飲んだ後、彼は満足したらしい。
もう、いいと、小さく呟く。
錠剤が上手く効けば、二日酔いの酷い頭痛は免れるはずだ。
そっと頭を元に戻すと、彼は目を閉じて、再び眠りに引き込まれていく。
喉の渇きが癒えて安らぐ寝顔を、ジェイ・ゼルはしばらく見つめていた。
熱を帯びる髪を撫でて手を引き、ベッドサイドの小卓に、水が半分ほど残ったグラスを、置いた。
ベッドを回り、まとう服をさらりと脱ぎ捨てると、ハルシャが眠る反対側の上掛けを静かにめくりあげる。
そのままジェイ・ゼルはシーツの間に、身を滑り込ませた。
反射的に、ハルシャが目を開いた。
まだ意識が朦朧としたまま、異変の原因を無意識に探るように、頭を動かしている。
「私だよ」
優しく声をかけて、ジェイ・ゼルは彼の疑念を解く。
「お休み、ハルシャ」
熱い身体の横に、身を沈めると、ハルシャがわずかに動いた。
酔いで火照る体が、熱かったのかもしれない。
冷たさを求めるように、ジェイ・ゼルの身に、体を寄せてくる。
無邪気な仕草に微笑みながら、ジェイ・ゼルはハルシャの体を腕に包んだ。
「ジェイ・ゼル……」
触れた場所に、熱い息を吐きながらハルシャが呟いている。
消えそうな声を、耳を寄せるようにして、拾い上げる。
「どうした、ハルシャ」
問いかけたジェイ・ゼルの声に、一度閉じていた目を、ぼんやりとハルシャが開く。
照明を暗くしているので、自分の顔が見えないのかもしれない。ハルシャは、不思議そうに、しばらく自分へ視線を向けていた。
「ジェイ・ゼル?」
語尾を上げて、ハルシャが問いかける。
思わず、笑みがこぼれる。
「そうだよ。私だよ」
瞬きをしながら、ハルシャが酔いに濁る眼で、自分を見つめ続ける。
「すまなかった」
唐突に、ハルシャが詫びの言葉を呟く。
ジェイ・ゼルは、片眉をきゅっと上げた。
「何がだい? ハルシャ」
酩酊したハルシャのうわ言に、それでもジェイ・ゼルはきちんと言葉を返した。
金色の深い瞳が自分を見つめている。
「ジェイ・ゼルを、傷つけた」
酔いで解き放たれた言葉なのだろう。
五年間、反応しないことで傷つけてきたと、彼はひどく気にしていた。
今、半覚醒の状態で、懸命に詫びを口にしていた。
ジェイ・ゼルは、笑みを深めると、彼の髪を撫でた。
「大丈夫だよ、ハルシャ。もう、気にしなくても……それ以上のものを、私は君から受け取っているからね」
髪に、唇を触れる。
「何も気にせずに、ゆっくりお休み」
呟いた言葉に、とろんとした目をハルシャが向けている。
こくんと、頷いてから、彼は視線を落として、素直にジェイ・ゼルの腕の中に包まれた。
そのまま、ジェイ・ゼルも目を閉じて、眠りに入ろうとした。
が。
すぐさま、目を見開いた。
とっさに、ハルシャへ視線を向ける。
ハルシャは自分の胸元に、顔を寄せていた。
酔いの助けがあるのか、普段の恥じらいなどどこ吹く風で、そこにあるジェイ・ゼルの胸の尖りを、口に含んでいた。
無心に、舌先で弄んでいる。
「ハ、ハルシャ……」
思いもかけない行動に、困惑の混じった声を、思わずジェイ・ゼルは上げてしまう。
緩慢な動作で、ハルシャが口を離して、顔を向けてくる。
「――嫌、なのか? ジェイ・ゼル」
酔いの極みにある中で、危惧するように、ハルシャが呟く。
意識が朦朧としているのに、懸命に自分を気遣う姿に、切ないほどの愛しさが湧き上がって来た。
どうしても、彼の行動を否定する言葉を吐くことが出来ず、
「いいや、嫌ではないよ」
と、ジェイ・ゼルは思わず返していた。
にこっと、ハルシャが、花のように笑う。
その笑みだけで、ジェイ・ゼルは全てを許していた。
安心したように、ハルシャは先ほどまで行っていた行動に戻り、ジェイ・ゼルを口に含んで無心に舐め始める。
いとけない、幼子のような姿だった。
酩酊の中にありながら、ハルシャは自分に快楽を与えようとしているのだろう。
五年間、傷つけ続けたことの詫びを、言葉でなく態度で告げようとするかのように。
ハルシャのひたむきな様子を見守りながら、ジェイ・ゼルの胸の奥に、甘い痺れのようなものが広がる。
誰の行為の中でも、覚えたことのない感覚だった。
ハルシャから注がれる慈しみに、心が甘く熟れる。
愛しいと、我知らず心に呟いていた。
彼は全てを受け入れてくれた。
自分の本当の名前が、ハルシャの口からこぼれ落ちたとき、魂が震えた。
彼と身を繋げながら、はっきりと、悟る。
これは、愛の交歓なのだと。
身を通じて魂に触れ合うために、この行為はあるのだと。
生まれたときから身を浸してきた行為の、本当の意味を、自分はハルシャから教えられた。
皮膚も細胞も魂も――
全てを溶け合わせて、彼と一つになりたかった。
抱き締め合った腕の強さに、互いの思いを感じ取る。
彼は、自分の緑に変わる瞳を、大好きだと言ってくれた。
私の宝物だと――
醜い行為を強いられ続け、それでも生き延びて来た自分の生を、柔らかく腕に抱きとめて、ハルシャは許してくれたような気がした。
生きていてもいいのだと。
『愛玩人形』として作り出された、自分だとしても――
酔いが彼の理性のタガを外しているのだろう。快楽を与えようとするハルシャの動きはなかなか止まらなかった。
思考が乱れてしまうほどに、内側から快感が湧き上がってくる。
どうやら、ハルシャは酔うと人格が変じてしまうらしい。
本能のままに、ひたむきに自分の胸を口に含み続けている。
そろそろ、止めさせないと、自分の忍耐がもたないかもしれない。
兆し始めてしまいそうだ。
意識がはっきりしない状態のハルシャに、手を出したくなかった。
かつて、自分の意思と反して身を弄ばれた過去の忌まわしい記憶が、同じ行為をハルシャに強いることを、嫌悪する。
目が覚めて、意識がある状態でしか、彼を抱きたくなかった。
このままだと、無理矢理に彼を抱いてしまうかもしれない。
「ハルシャ」
髪を撫でながら、やんわりとジェイ・ゼルは言葉をかける。
「もう十分だよ――そろそろ、寝ようか」
声が、自分へと顔を向けさせた。
とろんとした金色の瞳が、自分を見上げている。
彼はしばらく、何かを考えているようだった。
瞬きをしてから、口を開く。
「ジェイ・ゼルは、気持ちよくないのか?」
心配げな声だった。
微かに眉を寄せて、一心に自分を見つめてくる。
ふと、胸を突かれた。
彼は以前、自分が上になって、懸命に動いてくれた。彼の思うようにさせてあげたいと、ギリギリまで忍耐したが、あまりに愛らしい姿に、忍耐が焼き切れた。
最後で動きたくなったジェイ・ゼルの行動に、彼は自分の技術が拙いからだと、誤解をしてしまっている。
今も――止めたのは、気持ちが良くなかったからだと、思ってしまったのかもしれない。
ジェイ・ゼルは、一瞬、言葉を飲んだ。
ハルシャの真剣な顔を見つめてから、
「いや。とても、気持ちがいいよ、ハルシャ」
と、制止どころか、彼を煽るような言葉を口にしていた。
再び彼は、この上なく嬉しそうに、屈託なく笑った。
「――良かった」
安堵の言葉をこぼしてから、彼は再び自分の胸元に顔を戻した。
熱心に舐め上げ、舌で尖りを転がしている。
まずい。
熱い昂ぶりが、持ち上がってきそうだ。
解っていたが、ハルシャの心を傷つけることが、どうしても出来なかった。
彼は、片側だけに刺激を与えては不公平になると、酔っぱらいながらも考えたのかもしれない。
自分の身を押すようにして横たわらせると、反対側も、丁寧に口に含んで慈しみだした。
熱心に胸に取りつくハルシャの頭が、小刻みに揺れている。
思いもかけない、苦行を強いられているような、気がする。
自分の胸に口を寄せて、一生懸命に高めようとするハルシャの姿を、横たわったまま、ジェイ・ゼルは見つめていた。
彼が起きていたら、この上なく嬉しい状況なのだが、酔いで意識が朦朧とする体を、無理に押し開くことがジェイ・ゼルには出来なかった。
無心に揺れるハルシャの髪に指をからめ、ゆっくりと撫でる。
どうしたら、彼を止めることができるだろう。
これ以上刺激されたら、自分の理性が飛んでしまいそうになる。
酔っぱらったハルシャが、これほど積極的だとは、思ってもみないことだった。
自分が側に居る時以外、彼を酩酊させてはいけないと、ジェイ・ゼルは心につけとめる。
ことに。
――リュウジの側では。
忍耐の甲斐あってか、ハルシャの動きが、次第に鈍り始めた。
眠気が襲ってきているのだろう。
尖りを舌先で動かしていた口が止まり、そのまま眠り込むかと思うと、はっと意識を取り戻したように再び刺激を与えてくる。
油断を突かれるようで、余計に高められてしまう。
五年間、彼に教え込んだ成果なのか、舌遣いが思った以上にハルシャは巧みだった。
不覚にも、翻弄される。
髪を撫で続けている動きに、ハルシャはゆっくりと、眠りに引き込まれていきそうになる。
それでも、ジェイ・ゼルに快楽を与えたいと、彼なりに一途に思っているのだろう。
口の動きが止まらない。
もう、さすがにジェイ・ゼルも、限界に近かった。
髪を一撫ですると、ジェイ・ゼルは行動に移った。
身を横にして、まだ火照るハルシャの身体を、強い力で抱きしめると、そのまま腕に包んで、正面を向く。
自分の体の上にハルシャをうつ伏せの状態に乗せて、横たわった。
ハルシャは、さっきまで行っていた行動を中断され、微かな抗議の声を上げた。
身を引き上げて、自分の肩口にハルシャの顔を持ってくると、ジェイ・ゼルは強制的に、身を布団で包み込んだ。
布団の上から、自分の上に横たえたハルシャの背を、ゆっくりとしたリズムで叩きながら、ジェイ・ゼルは、惑星ガイアに伝わる古い子守唄を口ずさみ始める。
最初は抵抗を見せたハルシャは、耳元に響く、低く穏やかな歌声に、意識を攫われたように、抵抗を止めた。
様子を見ながら、ジェイ・ゼルはゆったりと、背を叩く。
幼い子どもにするように、静かに穏やかに、眠りに誘う子守唄を歌う。
不意に、体の上のハルシャの身から、力が抜けた。
しばらくしてから、穏やかな寝息が、ジェイ・ゼルの耳へと聞こえだした。
ジェイ・ゼルの口元に、小さな笑みが浮かぶ。
歌に誘われ眠りに着いたハルシャの顔を一瞬見つめてから、ジェイ・ゼルも目を閉じた。
身の上で、安らいで眠る愛しい命の存在をただ、感じながら、ジェイ・ゼルは歌を口ずさむ。
ジェイ・ゼル自身が眠りに引き込まれるまで、歌は、穏やかに部屋の中に、響き続けていた。
(了)