ほしのくさり

第95話  一瞬の永遠





 リュウジは、闇に目を開いていた。
 三枚並べて敷いた布団の真ん中で、すでにサーシャが安らかな寝息を立てている。
 ぬいぐるみ生物を抱きしめて、微笑む彼女の眠る様子を、リュウジは闇の中で見つめる。

 ハルシャは、まだ、戻らない。
 職場からの急な呼び出しなど、今までなかったようだ。戸惑うサーシャに、リュウジは、静かに説明をし、彼女を落ち着かせる。
 今、自分たちが手掛けている駆動機関部は、かつてない型です。急遽、製法の細かい打ち合わせが必要になったのでしょう、と。
 やっとサーシャは納得し、二人だけの夕餉を、それでも和やかにとることが出来た。
 リュウジは、闇を見つめ続ける。
 ハルシャは、今――
 ジェイ・ゼルと、一緒にいる。

 行くのですか。
 彼の元へ。

 言いかけた言葉を、リュウジは意志を総動員して飲み込んだ。
 咎めても、困るのはハルシャだ。
 彼はジェイ・ゼルの要求に応えざるを得ない、状況にある。
 解っているのに。
 胸に、痛みが渦巻く。
 リュウジは目を伏せた。
 昨夜、闇の中に眉を寄せて頬を赤らめていた、ハルシャの艶めく姿が、記憶に蘇る。自分の手で、絶頂を迎えた時の、解き放たれたような快楽の表情と。
 唇に触れた、熱い吐息と。

 思いを巡らせるリュウジの、歯に仕込んだ通信装置が、震えた。

 吉野ヨシノだ。

 そっと寝返りを打ち、サーシャに背を向けてからリュウジは歯の先で通信を入れた。
「私だ吉野ヨシノ
竜司リュウジ様』
 ほっとしたような、吉野の声が響く。
『今、バルキサス宇宙空港を出たところです。ディー・マイルズ警部をお連れしています』
 ぱっと、リュウジの顔が明るくなる。
「そうか。無事に着いたのか」
『はい。マイルズ警部はお元気そうです。今、隣に座っていらっしゃいます』
「代わってくれないか、吉野ヨシノ
『はい、竜司リュウジ様』
 通話装置が動く音がした。
 骨に、低く響くマイルズ警部の声が伝わる。
『よう、坊。お前さんが行方不明だと、皆が泡を喰っていたぞ。こんなところで、何を遊んでいるんだ。しかも、俺を帝星からわざわざ呼び出して、な』
 ディー・マイルズ警部の大らかな口調に、リュウジは微かな笑みを浮かべた。
「ご足労をおかけいたします。警部」
『今回の件には、イズル・ザヒルが、絡んでいるんだってな。吉野ヨシノからあらましは聞いた。厄介だな』
 相変わらず、彼は話が早い。
「違法な負債金を、不当な手段で、しかも未成年が背負わされていた事案です」
『お前さんは、子どもの両親が、スクナ人によって爆破されたと疑っているんだな』
「はい」
 リュウジは、彼は今、吉野と一緒に移動中だろうと踏んだ。外に情報が洩れる可能性が低い場所でしゃべっている。やたらと突っ込んだ言葉が、口から漏れている。
『そうか。スクナ人を保有している組織は少ない。イズル・ザヒルは噂では、スクナ人を持っているらしいが、外には持ち出せないはずだ。
 スクナ人たちは極めて環境の変化に弱いからな』
 やはり。
 イズル・ザヒルは、スクナ人を所持していた。
 違法なことをいくらでもする男だ。
 予測していたことだ。
 だが。
 動かせないのなら、ハルシャの両親を狙った可能性は、低い。
「マイルズ警部。後ほど、直接会ってお話をさせていただきたいと思います。また、こちらから連絡をいれます」
『ああ。俺たちの方も、あんたの吉野ヨシノと一緒に、当たれるところを当たってみるわ。お前さんが一緒に住んでいる子は、なんていう名だ。外見もちょっと教えてくれ』
「ハルシャ・ヴィンドースです。赤毛に金色の目の、特徴ある姿をしています」
『なるほどね。こちらの情報は伏せて、機会を見つけて個人的に会っておくよ。もし俺がその、ハルシャ・ヴィンドースに近づいても、知らぬふりをしておいてくれよ、リュウジ』
「もちろんです、マイルズ警部」
 ふっと笑ってから、
『目立たぬように取ってもらった安宿に、今から入るよ。またな、坊』
「ほんとうにありがとうございます、警部」
 言葉を切ってから、リュウジは舌で通信装置を切った。

 闇の中で、リュウジは考え続ける。

 ハルシャは、ジェイ・ゼルは両親を殺していないと主張していた。
 主観が入っていたとしても、ずっと側にいるハルシャがそう感じるということは、ジェイ・ゼルが直接手を下していない可能性がある。
 だとしたら。
 ジェイ・ゼル以外に、誰がハルシャの両親を殺す必要があったのだろう。
 わざわざ、スクナ人を使うなど、常識ではありえない。そこまでして、彼らの命を奪う必要が、誰かにあったということだ。
 果たして、金銭的な問題だけだろうか。
 ハルシャの両親は名士だった。
 惑星トルディアでは、名の売れた存在だ。
 誰かが、彼ら夫妻の存在が、邪魔になった。
 そして。
 彼らの死によって――真に利益を得た者が、どこかに居るのだ。
 もしかしたら。
 意外とヴィンドース夫妻の死の原因は、根深いのかもしれない。

 闇に目を開いたまま、リュウジは考え続けていた。



 *



 何かに呼ばれた気がして、ハルシャはゆっくりと目を開いた。
 薄暗かった。
 一瞬、自分の部屋かと錯覚したがそうではなかった。
 ぼんやりと、現状を把握する。
 どうやら自分は、誰かの腕の中に包まれているようだ。
 座る形で、抱き締められている。

「目が、覚めたか?」
 自分が頬を押し当てている胸から声が響いた。
 瞬きをしてから、ハルシャは視線を上げる。
 ジェイ・ゼルだった。
 覚醒していく意識の中で、自分はジェイ・ゼルの腕の中に包まれて眠っていたことを悟る。
 ジェイ・ゼルは、ベッドのヘッドボードに背中を預けていた。
 その姿勢で、ハルシャを抱き、布団を身にまとって静かに座り続けていたようだ。

「ジェイ・ゼル――」
 かすれた声しかでない。
 叫び過ぎたためだと、ハルシャは気付く。

 達したいあまりに我を忘れて声を放ち続けていた。直前でせき止められる快楽が、あれほど苦しいものだと知らなかった。
 ハルシャの額にかかる髪がさらっと撫でられた。

「無理を、させてしまったね。最後、私は自分を抑えられなかった」
 ハルシャを抱きしめる腕に力が籠る。
「君を追いつめてしまった」
 ハルシャはジェイ・ゼルに頬を触れさせたまま、首を振った。
「嬉しかった」
 何が、と、上手く伝えられない。
 彼が自分をなりふり構わず求めてくれたことも。
 制御出来ないほど、彼自身が追い詰められたことも。
 ありのままの姿を見せてくれたことも。
 心の傷に触れさせてくれたことも。
 全てが、嬉しかった。

「私はまた、精を吐かずに、達してしまったのか?」
 ハルシャのかすれた声の問いかけに、ジェイ・ゼルは髪を撫でながら、
「そうだね。幾度も快楽の波に、君の中が痙攣していた。そのたびに私を甘く締め付けて、こちらも意識が飛びそうになってしまったよ」

 いつもの、ジェイ・ゼルの口調だった。
 小さく、ハルシャは笑った。
 さらっと髪が撫でられる。
「どうした。ハルシャ。何がおかしいんだ?」
 彼の温もりに抱きしめられながら、ハルシャは小声で呟いた。
「いつものジェイ・ゼルだと思って。ジェイ・ゼルは本気になると無口になるんだな。初めて知った――」
 優しく手が、髪を撫でる。
「そうだね。君のことを気遣うことも忘れるぐらい、本気で君を求めていた」
 ハルシャの髪に、ジェイ・ゼルが頬を寄せる。
「意外と不器用だったようだ。私も初めて知ったよ」

 言葉にこもる愛しげな響きに、ハルシャの身が震える。
「寒いのか?」
 再び、ジェイ・ゼルが問いかける。
 ハルシャは首を振った。
「違う。寒くはない、ジェイ・ゼル」
 ジェイ・ゼルの身に体を預ける。
「とても、温かい」

 布団とジェイ・ゼルの熱に挟まれて、ハルシャはひどく身がくつろいでいるのを感じた。身体の中は、激しい絶頂を経験した余波で、ほとんど力が入らないというのに。
 充足感に、目の前がきらめていているようだった。

 ゆっくりと、ジェイ・ゼルが髪を撫でる。
 穏やかな動きに、ハルシャは眠りの中に引きずり込まれそうになる。
 ジェイ・ゼルは――自分を腕に抱いていてくれたのだろうか。
 行為を終えた後も、ずっと。
 身がさっぱりとしているのを感じる。
 行為の後始末をした後、気を失い眠り続けるハルシャの身体を、抱き締めていたのだろうか。

「あの時、君が気付いてくれたとおり」
 ぽつりとジェイ・ゼルの口から言葉がこぼれた。
「私は行為の最中でもいつでも、自分を失わないように最大限の注意を払ってきた」
 小さな呟きだった。
「自分自身が制御出来なくなるのが私は恐かったのだ――タガを外せば、私はひどく暴力的になる。解っていても抑えられない衝動に支配されるのが――」
 押し当てられた場所から言葉が響き続ける。
「その一番醜い部分を、私は君にぶつけてしまった。こともあろうに――君との最初の時に」

 長く沈鬱な吐息が、ジェイ・ゼルの口から漏れた。

「私はね、ハルシャ」
悔いの滲む言葉が静かに耳朶に響く。
「全く無垢の、慣らされていない後孔に入るのは、君が初めてだったのだよ」

 優しく手が動き、胸元に顔を押し付けるハルシャの髪が撫でられた。

「大切にしてあげたいと思っていた。痛みを得ないように、丁寧にほぐしてあげて、行為に慣れさせてあげたいと。
 十五の君に選択肢を与えなかったのは私だ。
 君は借金の返済のために、この行為を受け入れなくてはならなかった。それなら、せめて君が自ら望むようにしてあげたいと心から願っていた。
 しかし、契約は契約だ。今後、君が私との行為を拒まないように、確実に契約が果たされるように――私はあの時、君を無理やりに抱いた」

 ふうっと長く静かな吐息が再びこぼれる。

「最初の時、受け入れる側がどれだけ大変か解っているはずなのに、私はあの時、君の抵抗にあって我を忘れてしまった」
 ぎゅっと腕に力が籠る。
「どれだけ悔いても、悔やみきれない――決して自分を失ってしまってはならないところで、私は君を乱暴に抱いてしまった。その傷がずっと君を苛んできたのだね」
 ジェイ・ゼルの頬が、そっと髪に押し当てられる。
「だから余計に、君との行為の最中は自分を厳しく制御してきた。もう二度と君を傷つけたくなかった――」
 
 まるで血が滴り落ちるような言葉だった。
 ジェイ・ゼルの心が傷を受けたまま、未だに血を流しているような気がした。

「二度と我を忘れて君の中を穿つことなどあってはならないと――ずっと戒め続けてきた」

 ジェイ・ゼルの、心臓の音が早くなる。

「なのに君は私に手を差し伸べてくれた。ギランジュとのことで君を傷つけた時も――君はその身で、私に許しを与えてくれた」

 ぎゅっと、ジェイ・ゼルが強くハルシャを抱きしめる。

「君が、私を受け入れてくれると言ってくれたから、君を信じて私は君をぎりぎりまで追い込んでしまった。
 私はね、ハルシャ。君にずっと求めてほしかったのだよ」

 溢れる血を拭いもせずに、己の傷をさらすように、ジェイ・ゼルが静かに呟いていた。

「私を、私だけを――魂の底から求めてほしかった」

 五年間、彼をどれほど孤独に叩き込んでいたのか、今さらながらハルシャは気付いた。
 ジェイ・ゼルの身が震えている。
 ハルシャは腕を回してぎゅっと抱き締めた。
 肌を触れ合わす行為では、人は自分を欺けない。
 それはジェイ・ゼルが教えてくれたことだ。
 素肌を触れ合わせ、一切の心の障壁を取り払った今、ハルシャはジェイ・ゼルと真っ直ぐに向き合えているような気がした。

「君が達したいと私を求めてくれた時、心から嬉しかった。いつもは忌避する体勢でも君が極まりを迎えてくれて――この上なく幸せだったのだよ、ハルシャ」
 穏やかな言葉がこぼれ落ちる。
「君はいつでも、その身で私に許しを与えてくれる。こんなに愚かで醜い私でも――君は受け入れてくれる。それだけで、この世に生まれた許しを与えられたように思えるのだよ、ハルシャ」

 滴り落ちた言葉の詳細を、ハルシャは問わなかった。
 今。
 ジェイ・ゼルは、自分自身から、少し解放されて楽になったのだと。
 その真実だけを受け止める。
 彼の温もりと、愛し合った後の緑に変じる美しい瞳と。
 制御を失った時の彼がみせた、切ないほどハルシャを求める動きと、打ち付ける力の強さと。
 冷静に言葉を告げながらも、早鐘を打つ彼の心臓の音と。

 全てが、愛しかった。


 ずきんと、胸が痛んだ。
 高熱の中にありながら、呟いたリュウジの言葉が、耳に蘇る。

 ジェイ・ゼルが、好きなのですね、ハルシャ。

 ハルシャは押し当てられていた場所から少し顔を動かした。
 そこに、ジェイ・ゼルの胸の尖りがあった。
 ハルシャは顔を寄せて、そっと口に含む。
 ぴくっと、ジェイ・ゼルが身を震わせた。
 どうして、彼があれほど大切に口であやしてくれるのか、ハルシャは今、その理由が解った。
 愛しいと、思ってくれているからだ。
 湧き上がる感情に突き動かされるように、ハルシャもジェイ・ゼルの乳首を口で転がした。
 うっと、小さい呻きが漏れた。
 真っ直ぐな赤い髪に、ジェイ・ゼルの指が絡みつく。
「――ハルシャ」
 呻きのように、彼の声が上から降る。
 おさな子が、乳房に縋りつくように、ハルシャはジェイ・ゼルの胸の昂ぶりを一心に口に含み続けた。
 押し殺した、官能の声が、ジェイ・ゼルの口から漏れる。

 愛しい。
 あなたが。
 愛しい、ジェイ・ゼル。

 言葉に出来ないまま、ハルシャは彼を高め続ける。
「ハルシャ……」
 髪を撫でる手に、ハルシャは顔を上げた。
 灰色の瞳の中央に、微かな緑がにじむように見えた。
 彼が、感じてくれている。
 瞳を見つめながら、濡れた唇でハルシャは呟いた。
「あなたと愛し合いたい――いますぐ。お願いだ、ジェイ・ゼル」

 目に映るジェイ・ゼルの瞳の色が、ゆっくりと、変わっていく。

 瞳孔から滲むように緑が広がり――ハルシャの見守る前で、鮮やかな翡翠の色にと染め上げられる。
 脳が痺れていくような快楽が、それだけでハルシャの中に広がっていった。

 これは自分だけが知っているジェイ・ゼルの姿だ。
 髪に絡んでいた手が、頭の後ろに回され、ハルシャをジェイ・ゼルに引き寄せる。
 緑の瞳で見つめたままで、ジェイ・ゼルが囁いた。
「私も、愛し合いたい。君と――ハルシャ」
 言葉が途切れると同時に、唇が覆われていた。

 きっと。
 これを、永遠と呼ぶのだろう。
 ジェイ・ゼルが自分を求め。
 自分もジェイ・ゼルを求めずにはいられない、この一瞬のことを――

 永遠と呼ぶのだと、ハルシャは思った。











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