ほしのくさり

第93話  追いつめ、求めあう-01






 

 灰色の瞳が、静かに自分を映している。
 見つめる瞳の奥に、深く傷ついてきたような、影があることに、ハルシャは気が付いた。
 我知らず、腕をついて、ハルシャは身を起こしていた。

 自分が両親を失って、限りない喪失感を味わったように、ジェイ・ゼルも過去に、辛い体験をしてきたことがあるような気がした。
 傷を負った獣が、互いの傷を本能的に嗅ぎ取るように、ハルシャはジェイ・ゼルの中の深い痛みを手触りのように感じ取る。

 きっと。
 今、ジェイ・ゼルが、剥き出しの自分を見せてくれているせいだろう。
 心の一番深いところに、隠していたものが、表層に浮かび上がっている。
 感じ取りながら、ハルシャは、身の震えが抑えられなかった。
 理由は、わからない。
 けれど――
 彼の傷に向けて、手を伸ばさずにはいられなかった。

 腕で支えて体を立て、ハルシャは、ジェイ・ゼルの灰色の瞳を真っ直ぐに見つめた。
 かたかたと、身が震える。
 ジェイ・ゼルが微かに眉を寄せた。

「寒いのか? ハルシャ」
 彼の手が、肌に触れる。
「濡れたまま、乾かしていなかったから――」

 風呂から上がった時、きちんと身を乾かさなかったことを、ジェイ・ゼルは気にしはじめた。
 言いながら、いつものジェイ・ゼルに戻ろうとしている。
 余裕のある、理知的で抑制のきいた、彼に。
 せっかく、彼が本当の姿を見せてくれようとしているのに――
 震えながら、ハルシャは首を振った。

「そうじゃない」
 やっと言葉に出す。
「ジェイ・ゼルを、今。とても近くに感じる」
 灰色の瞳を真っ直ぐに捉えたまま、ハルシャは必死に言葉に想いを乗せる。
「それが、嬉しいんだ。だから、身が震えている――」

 あなたの、傷ついた心が見える。
 今。
 心を開いて、ジェイ・ゼルが自分に見せてくれている。
 それが、どうしようもなく嬉しいのだと――

「寒くはない。ジェイ・ゼル」

 繊細な心を隠した瞳の奥を見つめる。
 ハルシャは両手を、ジェイ・ゼルに向けて差し伸べた。
 彼の頬を両手で包む。
 瞳を見つめながら、自分から顔を寄せる。
 ジェイ・ゼルの唇を、求める。

 柔らかな唇の温もりに触れて、身の内に痺れが走るような感覚が広がる。
 ハルシャは、頬から首の後ろに手を滑らし腕で抱きしめた。
 彼の手が、背中に当てられ、自分の身を引き寄せてきた。
 ぴたりと触れ合う肌が、熱かった。
 ジェイ・ゼルの呼吸と心臓の動きが合わせた場所から伝わる。

 唇に触れたまま、ジェイ・ゼルが身を折るようにして、ハルシャの身体をベッドの上に横たえた。
 背中に、ひんやりとした白いシーツを感じる。
 冷たい背中と、触れている熱い場所と。
 二つの温度の差に挟まれて、ハルシャはジェイ・ゼルを感じ続ける。
 そのまましばらく、固く抱き合ったまま唇を合わせていた。
 ゆったりとした時間が流れていく。
 別離の間隙を埋めるように、静かに穏やかに時間が過ぎる。

 どのぐらいそうしていたのか、感覚がなくなるほどの長い時間の末、ジェイ・ゼルが口を離した。
 上からハルシャを見つめた後、微笑むと身を起こした。
 目の奥の暗いものが微かに薄らいでいるようで、ハルシャは彼の瞳を見つめ続けていた。
 ジェイ・ゼルは動くと、ぬめりのある液を手に取り自分自身に塗っている。

 挿れてくれるのだ。

 内側にこみ上げる想いを、懸命にこらえながら、ハルシャは彼の静かな動きを見つめていた。
 軽く自身を捌きながら、ジェイ・ゼルはハルシャの足元に動き、もう一度身を横にするように手で指示をする。

 ハルシャは従って、横向けになった。
 微笑みながら、上になっているハルシャの右足を、ジェイ・ゼルは肩にそっと担ぎ上げた。
 開いた足の間に身を収めると、撫でる様な手つきで先ほど丁寧にほぐしてくれた場所の状態を確かめている。
 少しだけ指先を入れてから、すっと抜き、自身の昂ぶりの先を、静かに押し当てた。

這入はいるよ」
 優しく呟きながら、ジェイ・ゼルの圧が身の内にかかる。
「ああっ!」
 待ち望んだ質量に、ハルシャは身を反らして歓喜に震えた。

 ハルシャが声を絞る中、ジェイ・ゼルがゆっくりと身を進めていく。
 一度も止まることなく、ゆるゆると、押し広げるように彼の熱がハルシャの中を埋めていく。
 息を必死にしながら、ハルシャは体の力を抜いて彼を受け入れた。
 丹念にほぐされていた場所が、柔らかくジェイ・ゼルを飲み込んでいく。
 何の引っ掛かりもない。
 かつてないほど、時間をかけてくつろげてくれていたお陰だと、ハルシャは、気付く。
 奥の深いところに、ジェイ・ゼルが突き当たった。

「んっああっ……」
 ハルシャはシーツを掴んで、彼の圧に耐える。
 熱いジェイ・ゼルを全て中に収めて、ハルシャは荒く息を吐いていた。
 そのまま、彼は動かなかった。
 大きさがハルシャの中に馴染むのを待つように、身を動かさずに抱えあげていたハルシャの右足をそっと肩から外す。
 右膝が曲げられた。
 彼の大きさを受け入れて、身を横たえていたハルシャは、びくっと身を跳ね上げた。
 与えられた刺激に、驚きと共に身をひねって顔を向ける。

 ジェイ・ゼルが――
 自分の足の指を、舐めていた。

 かあっと、顔が赤くなる。
 ジェイ・ゼルはハルシャの足の指を、小指から丹念に舌で舐め上げている。
 今まで、そんなことを、されたことなどなかった。

「ジェ……ジェイ・ゼル」

 ハルシャの呼びかけを無視して、大好きなキャンディを与えられた子どものように、ジェイ・ゼルがハルシャの足の指を一心に舐め続ける。
 指と指の間の柔らかな皮膚に舌を這わされた時、びくっと、ハルシャの身が震えた。

「ああぁっ」
 小さく声が上がる。

 足の裏を、大きく舌でなぞられ、ジェイ・ゼルを収めている内側が強く締め付けるほど鋭敏に反応してしまった。
 ゆっくりと与えられる、ジェイ・ゼルの舌の動きからの未知の快楽に、ハルシャはシーツを握りしめて耐え続ける。
 足の指先を口に含み、乳首にしたように舌先で弄ぶような刺激が与えられ、ハルシャは身を捩った。
「ああ、ああっ!」
 びくっ、びくっと、動きに、身が細かく反応を示す。

 ジェイ・ゼルを身に挿れたまま、別の場所から刺激を受けると、内側に熱が溜まってくるようだ。
 それでも――ジェイ・ゼルは足の指を弄ぶだけで、中に収めたものを動かさない。ハルシャが本当に欲しい刺激を彼は与えてくれなかった。

 動いて、ほしい。

 切羽詰まった祈りのように、ハルシャは心の内に想いが湧き上がってくるのが止められなかった。
 そんな思いなど知らないように、ジェイ・ゼルは、ハルシャの足の甲に舌を這わせている。
 また違う感覚が呼び覚まされ、ハルシャは声を上げていた。
 息が荒くなる。

 爪の間に割り込ませるように、尖らせた舌先が入り込む。
 その刺激に、ハルシャは眉を寄せて、身を強張らせた。
 びくっと、痙攣する。
 甘い痺れのような感覚が湧き上がってきた。

 さっきから一度も触れられていない局所が、熱を帯びて昂ぶり始める。
 下腹部が熱い。
 ジェイ・ゼルの舌が、足先から足首へ、ふくらはぎへと移動していく。
 太ももの内側に舌を這わされた時、ハルシャの中が激しく反応した。
 違う場所への刺激はふんだんにあるのに、肝心の欲しい刺激が与えられない。
 ハルシャは、段々、自分が追い詰められているような気がしてきた。

 ジェイ・ゼルに、動いてほしい。

 そのことだけが、溢れてくる。
 再び足の指をジェイ・ゼルが舐め始めた時、こらえきれずに、ハルシャはかすれた声で彼を呼んだ。
「ジェイ・ゼル――」
 動きが止まる。
 足の指から口を離して、ジェイ・ゼルが
「どうした、ハルシャ」
 と穏やかに問いかけてきた。
 ハルシャは、羞恥に顔を赤らめながらも
「う……動いて、くれないか……ジェイ・ゼル」
 と、消えそうな声で、呟いた。

 一瞬の間の後
「私は動いているよ、ハルシャ」
 という言葉と、その証拠であるように、小指がジェイ・ゼルの口に含まれた。

 違う。
 解っていて、わざとジェイ・ゼルは自分に言わそうとしているのだ。

 意図を感じながらも、刺激の欲しさにハルシャは、羞恥をかなぐり捨てて言葉を絞った。
「中で――動いてくれ。頼む、ジェイ・ゼル」
 懸命に伝えた言葉に、ジェイ・ゼルが静かに返す。
「どんな動きが欲しいのかな――ハルシャ」
 深く低い声が、問いかけている。
「動いて、私に教えてくれないか」

 自分がどう動いて欲しいのか、態度で示してくれとジェイ・ゼルが言っている。
 解っているはずだ。
 なのに、実際に動いて教えてくれとあえて口にしている。
 そこまであさましくジェイ・ゼルを求める自分に眉を寄せながら、唇を噛み締めて身を動かした。
 彼を収めている場所を感じながら、腹筋を使って上に身を動かし、ゆっくりとまた、沈める。
 顔が、燃えるように赤くなった。

「その動きが欲しいんだね、ハルシャ」

 ちゅっと、足先に唇を触れてから、彼は右足を再び肩に担ぎあげた。
 そして、静かに、腰を引いて、ゆっくりとハルシャの中に押し込んだ。
 望んだ刺激が与えられて、ハルシャは大きく息を吐く。
 だが。
 次の刺激は、中々与えられなかった。

 ジェイ・ゼルは、担いだ右足に再び唇を触れ、腰の動きを止める。
「――ジェイ・ゼル」
 ハルシャは、切羽詰まって、彼の名を呼ぶ。
「お願いだ……」
「動いてほしいんだね、ハルシャ」
 いちいち確かめるように、彼が言う。
 ハルシャは、必死に肯いた。
 静かに腰が引かれ奥が突かれる。
 眉を寄せて、ハルシャはその衝撃を受け止める。
 再び――待っても次の動きが来ない。

 ゆっくりと、ハルシャは悟る。
 ジェイ・ゼルは――
 どんなことをして欲しいのか、ハルシャの口から言わせたいのだ。
 肉体的ではなく、精神的に追い込まれていくのを感じる。
 あさましく、彼の愛撫を求めてこいと、そうでないと与えられないと、ジェイ・ゼルに告げられているような気がした。
 以前ジェイ・ゼルが呟いていた言葉が、ふと心をよぎる

 ――いつになったら、君から私を求めてくれるのだろうね。

 そんな日は一生来ることはないと、その時は思っていた。自分からジェイ・ゼルを求めることなどあり得ないと。

 与えられる愛撫を拒み続けていた。
 彼の心を踏みにじるように。
 それだけが――唯一、ハルシャに出来る儚い抵抗だったからだ。

 そのことで、彼は傷ついていたのだ。
 暗いジェイ・ゼルの瞳の奥の傷の一つは、ハルシャがつけたものだ。
 内に収まる動かない彼の熱を感じながら、ハルシャは再び身が震え出した。

 一切の虚飾を取り去って、素肌を合わしているこの行為は――
 魂を触れ合わせる、行為でもあるのだ。

「ジェイ・ゼル――」
 ハルシャは目を閉じて呟いた。
「動いてくれ。あなたを中に感じさせてくれ」
 言葉に応えるように、ジェイ・ゼルが動く。
 ゆっくりと身を引き、熱い昂ぶりが、ハルシャの中に押し込まれる。
「もっと……」
 ハルシャはうわ言のように、喉を反らして呟いた。
「もっと、欲しい。ジェイ・ゼル」
 言葉に、ジェイ・ゼルが応えてくれる。
 これは――与えられている行為ではない。

 ハルシャが、求めている、行為なのだ。

「もっと……もっと、激しくしてくれ、ジェイ・ゼル」
 目を閉じて、内側から絞り出すように、ハルシャは声を放っていた。
「ああっ!」
 それまでの穏やかな動きが嘘であったように、ジェイ・ゼルが動きを早めて、深く激しく、ハルシャの中に自分自身を叩き込む。
 動きに抑えがたく声がもれる。
 ジェイ・ゼルを求めることしか、だんだんハルシャは考えられなくなってきた。
 一度も触られていない局所が、熱くたぎってくる。
 ハルシャは眉を寄せて、きつくシーツに指を絡めた。
 教え込まれた絶頂が、訪れそうな予感が、内側に盛り上がってくる。
 ハルシャの息遣いが荒くなってきた。
 その瞬間――
 ジェイ・ゼルが動きを止めた。

 はっと、ハルシャは目を開いて、身を捩じりジェイ・ゼルを見た。
 彼は荒い息を吐きながら、肩に担いだハルシャの足に唇を寄せていた。
「ジェイ・ゼル――」
 もう少しで、達せそうだった。
 なのに、ジェイ・ゼルが動きを止めたので、目の前にあった絶頂がすうっと冷めていく。
 自分の懇願が解っているのに、ジェイ・ゼルは先ほどまでの刺激をハルシャに与えようとはしてくれない。
 焦れて、ハルシャは自分からゆっくりと、身を動かそうとした。
 唇で足を愛撫していたジェイ・ゼルが、目をハルシャの顔に向ける。
 微笑みが浮かぶ。
 ハルシャが、自ら刺激を求めて、懸命に身を動かそうということが伝わってしまったようだ。
 担いでいた足を、そっと下ろして、左の膝に預けるようにして重ねる。
 そのまま彼は静かに身を引いて、ハルシャの中から自身の昂ぶりを抜いた。

 はっと、ハルシャは身を起こしてジェイ・ゼルを見る。

 どうして、抜くんだ。
 もうこれで、終わりなのか、ジェイ・ゼル。

 驚愕が浮かんでいたのかもしれない。
 行為の途中に、昂ぶりを抜くことなど、ジェイ・ゼルはしたことがない。
 ハルシャは、戸惑いを覚えた。
 その顔を見守りながら、ジェイ・ゼルは静かに微笑んだ。

 彼は位置を少し動く。後ろに下がり、そこに腰を据えると、足を胡坐に組んだ。

 端正に座って、眼差しを向けてくる。
「ハルシャ」
 腕を広げ、ジェイ・ゼルが笑みを深めた。
「おいで」










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