※軽いスカ表現入ります。苦手な方はご注意ください。
チューブの地上階から、『エリュシオン』の総合受付まで、上がっていくのは初めてのことだった。降りることはあっても、昇ったことは今までない。いつもなら、ジェイ・ゼルに伴われ玄関に着くのが常だった。
今回は、初めてのことばかりだった。
自分が鍵を受け取り、誰もいない部屋に入るのも。
そこでジェイ・ゼルを待つことも。
扉を開けて、ハルシャが最初に入る部屋は、妙によそよそしかった。
掃除が行き届き、前客の気配を消された部屋が、よそ行きの顔で自分を出迎える。
いつもなら、そこにジェイ・ゼルがいて、彼の存在で部屋の中が満たされていた。
人の気配のない室内は、しんとして、冷たい空気だけがただあった。
ボードを戸口の横に立てかけると、ハルシャは歩を進め部屋の中に入った。
たすきにかけていた鞄を外し、椅子を引いて背もたれに引っ掛ける。
手にしている虹色のキーカードを、側の机の上に、ジェイ・ゼルにも解るように置いた。
それでもう、自分のすることはなくなる。
後は、ジェイ・ゼルが来るのを、ここで待ち続けるだけだ。
ハルシャは、引いた椅子に、腰を下ろして、入り口を見つめる。
サーシャとリュウジに断りを言い、彼女がせっかく買ってくれていたフライを慌ただしく口にしてから、ハルシャは部屋を飛び出していた。
ボードだと、二十分ほどで『エリュシオン』の地上部分につく。
いざ上階に行こうとして、ハルシャは上昇のボタンが無いことに気付いた。
上から降りてくるときは、自動で扉が開くが、下からは入り込めないようになっている。
恐らく、地上部の者が『エリュシオン』に侵入しないようになっているのだろう。
どうしたらいいのだろう。
戸惑うハルシャは、上の方にインターホンがあることに気付いた。
押すと、総合受付に通じたようだ。やや、尖った声が用向きを聞いてくる。
ハルシャは、ジェイ・ゼルの連れで部屋で待つようにと言われている、と言葉をかけると急に相手の態度が軟化した。
少々お待ちください、という声と共に、しばらくしてから、チューブの扉が開く。
上の方で、操作したのだろう。
ハルシャはほっと胸をなでおろしチューブに乗った。
『エリュシオン』を使うほどの人々なら、飛行車で訪れるのが通常なのだろう。
地上から来るものなどほとんどいない。
自分はもう『エリュシオン』に着いたと、彼に伝えたほうが良いだろうか。
椅子に座ったまま、ハルシャは考える。
だが。
連絡を不用意に入れて、彼に迷惑をかけては、と思ってしまう。
ジェイ・ゼルは、自分が先に着くことを知っている。
わざわざ報せる必要はないのだろうか。
待っていろと、彼は言っていた。
待つ。
というのは、慣れない。
ジェイ・ゼルは、いつもこんな時間を過ごしていたのだろうか。
手持ち無沙汰でどうしていいのか解らない。
静かな時を過ごしていると、様々な想いが内側にざわめいてくる。
ハルシャは、机に肘をのせ、頬杖をついた。
最初の行為の時――
自分は乱雑に、ジェイ・ゼルに身を引き裂かれたと思っていた。
労りも、思いやりもない、暴力的な行為だと。
それからも、屈辱的な行為を重ねることに、身が拒否反応を示し続けた。
彼だけを受け入れ続けなくてはならない、支配的な関係。
確かにそうに違いない。
けれど。
本当は、自分に対する思いやりに満ちている行為だったと気付かされた。
ハルシャは、きゅっと唇を噛み締めた。
だが。
リュウジの身に起こったのは、自分と全く質が違う。
処理しきれない思いが、内側に渦巻く。
今日。
メリーウェザ医師から聞かされたことが、今も重石のように、胸を押しつぶしてくる。
リュウジが、実際にどんな目に遭ったのか。
本当は、思い出してほしくなどなかった。
額に手を当てて、ハルシャは痛みに耐え続ける。
胸が重苦しい。
怒りがあふれてきそうになる。
それでも――
自分は、心が不安定なリュウジの側ではなく、ジェイ・ゼルの呼び出しをとっさに選んでしまった。
あの時、断ることは出来たというのに、その選択肢は、一切頭に浮かばなかった。
寝る前に、身を震わせていたリュウジの姿が、胸を締め付ける。
自分は身勝手だと、責めながらハルシャは、視線を落とした。
逢いたかったのだ。
ジェイ・ゼルに。
彼の目を見て確かめたかった。
両親の命を奪ったのは彼ではないと――
信じさせてほしかった。
彫像のように、ハルシャは椅子に座り続けた。
想いがあふれて胸が苦しい。
どうして――こんな悲しみがこの世界にあるのだろう。
どうして。
誰もが幸せになるのを、願っているはずなのに。
目を閉じ、沈黙したまま考え続けるハルシャの耳に、しゅっと扉の開く音が聞こえた。
はっと目を開ける。
扉の向こうに、ジェイ・ゼルが立っていた。
荷物をポーターに運ばせてきていて、入り口に置くように指示してから、ハルシャへ視線を向ける。
ハルシャは、椅子から立ち上がれなかった。
突然のことに、脳が反応しない。
もっと、彼は遅くなると思っていた。
「ああ、ありがとう。ご苦労だったね」
チップを渡してから、ジェイ・ゼルがポーターを下がらせている。
扉が閉まる。
ジェイ・ゼルが、荷物から再び視線を、ハルシャへ送る。
優しい笑みが、彼の顔に浮かんだ。
「戻ったよ、ハルシャ」
椅子が後ろで派手な音を立てて、倒れた。
勢いのあまり、蹴倒してしまったようだ。
それも気にせず、ハルシャは真っ直ぐに、ジェイ・ゼルに向かった。
夢で見た時のように、広げてくれている彼の腕の中に、ためらいもなく、飛び込んだ。
強い力で、ジェイ・ゼルを抱きしめる。
包むように、彼もハルシャに腕を回す。
「ジェイ・ゼル……」
逢いたかった。
想いを言葉に出来ずに、ハルシャは黙り込む。
ジェイ・ゼルが、頬でハルシャの髪に触れた。
「いい子にしていたか?」
留守番を任されていた幼い子どもに対するように、ジェイ・ゼルが笑いを含んで言う。
髪を、手が優しく撫でる。
「仕事中に怪我はしていないか、ハルシャ」
こくんとうなずくハルシャの頭に、ジェイ・ゼルが唇を押し当てる。
「それは、何よりだ」
息が、髪に触れる。
「離れている間――私の温もりを、忘れていなかったか」
ジェイ・ゼルの呟きに、ハルシャは少し身を動かして、彼の顔へ視線を向ける。
眼差しを捉えてから、ジェイ・ゼルが静かに微笑んだ。
顔が寄せられ、唇が触れ合う。
温もりが、伝わってくる。
目を閉じると、全身の力を抜いて彼の唇をハルシャは受け入れた。
意識が、触れている一点に集中する。
世界の全てが、与えられる熱だけになる。
消えていく。
疑念も苦しみも、切なさも。
内に渦巻く懊悩が、ジェイ・ゼルの熱に融かされていく。
彼の存在が、消し去っていく。
ハルシャはただ、受け入れ続けた。
しばらく唇を味わってから、ゆっくりと、ジェイ・ゼルが顔を離した。
ごく、近い距離で言葉が呟かれる。
「私は忘れなかったよ、ハルシャ。この温もりを」
眼差しの奥に揺らめく、暗い炎が、ハルシャの背中を、ぞわっと撫であげた。
彼の身からは、いつもと違うにおいがしている。
旅をして来た匂いだ。
宇宙の香りが、ふわりと鼻孔をくすぐる。
ふっと笑ってから、ジェイ・ゼルが腕を解いた。
「急に呼び出してすまなかったね。旅先から、上質なクラヴァッシュ酒をお土産にもらってきてね。アルコールは苦手だろうが、少しだったら飲めるかな」
穏やかな言葉が、紡がれる。
「君を置いて行ったからね、せめて食事でも一緒にと思ったのだよ」
何かを言い訳するように、ジェイ・ゼルが続ける。
「前回、食事の埋め合わせをすると、約束していたね。珍しいものをお土産に持って帰って来たよ。帝星で流行している冷たいお菓子だ。サーシャに持って帰ってあげてくれ。喜ぶのではないかな」
喋るジェイ・ゼルを、ハルシャは見つめ続けていた。
「ありがとう、ジェイ・ゼル」
言葉に、彼は笑みを深める。
「お菓子なんて子どもの土産のようだが――他に思いつかなくてね」
ジェイ・ゼルの手が、ハルシャの頬に触れる。
「君が一番喜ぶのは、サーシャが楽しそうにしていることかな、と思ってしまったのだよ」
ふふと、彼が目を細める。
「芸のない土産で、すまないね」
旅先で――
ジェイ・ゼルが自分のことを考えていてくれた、という事実が、妙に嬉しかった。
忙しさに紛れて思い出しもしないと、自分は思い込んでいた。
だが。
違った。
「十分だ。ありがとう、ジェイ・ゼル。とても嬉しい。サーシャも喜ぶと思う。前回のお菓子も本当に嬉しそうに食べていた」
ハルシャの笑顔を見つめてから、ジェイ・ゼルはゆっくりと表情を消した。
思考にふけっているように、ただハルシャを眺めている。
「私のことを、思い出していたか。ハルシャ」
あまりに静かな問いかけに、心臓を射抜かれたようにハルシャは沈黙する。
ジェイ・ゼルの、灰色の瞳を、見つめる。
長くためらってから、かあっと頬を赤らめながら
「……ゆ、夢に見た」
と、短く、答える。
「ほう」
急に生き生きとした表情を浮かべて、ジェイ・ゼルがハルシャへ優しい笑みを浮かべる。
「どんな夢だろうね、ハルシャ。私が出てきたのは」
ジェイ・ゼルの問いかけに、ハルシャはますます、顔が赤くなる。
この表情で内容を読み取ってくれ、と思ったが、ジェイ・ゼルは許してくれなかった。
「どうして、顔が赤いのかな?」
無邪気を装って、再度ジェイ・ゼルが問う。
ふふと、笑いながら彼が顔を寄せてくる。
「夢の中の私は、君にどんなことをしたのかな? 例えば――」
優しく、唇が触れる。
顔を離しながら、ジェイ・ゼルが呟く。
「こんなこと、かな?」
頬を染めたまま、ハルシャは小さくうなずいた。
ジェイ・ゼルの笑みが深くなる。
「それと――」
頬に触れていた手が、胴を滑って胸に触れる。
ぴくっと、ハルシャは反応した。
「ここにも触れたのかな?」
喘ぎを飲み込みながら、ハルシャは、再び頭を諾と揺らした。
「そうしたら――」
手が下に滑り落ちて、確かな高まりを主張している場所に、そっと触れる。
「ここにも、夢の私は触れたのかな?」
顔が、燃えそうだ。
唇を噛み締め、目が潤みそうになるのをこらえながら、ハルシャはジェイ・ゼルを見つめたまま動けなかった。
すっと手が離れ、浮いた手が髪を撫でる。
「私が、恋しかったのだね、ハルシャ」
優しい言葉が呟かれ、身が彼の腕に抱きしめられていた。
「私もだよ」
髪に言葉がこぼれる。
「ハルシャ――」
恋しい。
新しく覚えた言葉が、ハルシャの中に沁み込んでいく。
ジェイ・ゼルを欲することを、恋しいというのだ。
甘い痛みを伴う感覚だった。
切ないほどの強さで、ジェイ・ゼルがハルシャを腕に抱きしめていた。
彼の息の大きさに、胸が強く動いている。
その動きを感じながらハルシャは目を閉じた。
ジェイ・ゼル。
あなたは、私の両親を殺していない。
そうだよと。
この温もりで、信じさせてくれ――
頼む。
ジェイ・ゼル。
絡めとるように、腕に抱き込んだまま、ジェイ・ゼルが小さく呟いた。
「すまない、ハルシャ。食事は後でも良いか」
耳元に、静かな言葉が呟かれる。
「今すぐ、君を抱きたい」
飾りも何もない言葉が、ジェイ・ゼルの口から滴り落ちる。
ハルシャは、強い力に捕らわれたまま、彼の腕の中でうなずきを返した。
ちゅっと、髪にジェイ・ゼルの唇が触れる。
「なら、準備をしようか。ハルシャ」
強すぎる快楽のため、自分で処理が出来なかったハルシャの身を、以前ジェイ・ゼルは丁寧に洗浄してくれた。
その時に、味をしめたのかもしれない。
今回も、私がしてあげようと、ジェイ・ゼルはやんわりと強制してきた。
真っ赤になるハルシャの顔を見つめてから、君は少々乱暴なところがある、身が傷ついてはいけないと、優しくたしなめる。
ジェイ・ゼルが持ってきてくれていた、腸内の洗浄の道具を前に、二人はやり取りを繰り広げていたのだ。
結局、ハルシャは根負けして、ジェイ・ゼルに身を委ねることにする。
下穿きを脱ぎ去り、無防備な状態でジェイ・ゼルの作業を受け入れる。
最初に腸内の洗浄を受けた時も、彼が手ずから指導をしてくれた。初めてのことに戸惑うハルシャに、彼は大丈夫だよ、と言いながら、穏やかな手つきで道具の説明をしながら、作業を教えてくれる。
ぬめりを塗り込んだ器具の先を後孔に入れ、液剤を加減しながら、入れ込んでいく。
最初の量は、少なかった。それでも、ハルシャは違和感に顔をしかめる。
十分間ぐらい、腹部の膨張に耐えながら待ち、排出をする。
その様子をジェイ・ゼルに見られているのが、ハルシャは気を失うほどに、恥ずかしかった。
ジェイ・ゼルは、表情一つ変えずに、ハルシャの様子を見つめていた。
一度出してから、再度、腸内に液が入れられる。
さっきと違い、ジェイ・ゼルはハルシャに横になるようにと、指示をする。素直に横になったハルシャの後孔に、再び器具が入れられ、人肌の液剤が流し込まれる。
二度目の量は多かった。
苦痛に顔を歪めるハルシャに、ジェイ・ゼルが、大丈夫だよ。初めてだから、量は少なくしているからね、と優しく言葉をかけてくれる。
だが、その言葉すら耳に入らないほど、腹部の膨張感が凄まじい。
液の注入後、ハルシャのお腹をジェイ・ゼルが軽く撫で始める。
こうしてあげると、液が良く浸透するからね。
眉を寄せる自分に向けて、彼は説明をするように、呟いていた。
横になっているハルシャの身体の位置も、こまめに変えてくる。
耐え続ける十分の時間が、とてつもなく長く感じられた。
やっとジェイ・ゼルの許しを得て体内のものを出せた時は、安堵で気が遠くなりそうだった。
行為の前の儀式のように腸内の洗浄を行うことにも、ハルシャはすぐに慣れ、ジェイ・ゼルの手を煩わせなくても自力でこなせるようになってきた。
それでも――彼はハルシャが行う現場に居合わせて、じっと様子を見つめていた。
もしかしたら。
洗浄で手荒いことをしないようにと、彼なりに気を配っていてくれていたのかもしれない。
最初の時にしてくれたように、ジェイ・ゼルは優しい手つきで作業をこなしていく。
排出を我慢する十分の間、気を紛らわせるように、言葉をかけてくれる。
ヴォーデン・ゲートの混雑ぶりは、何とかするべきだね、とジェイ・ゼルは腕を組んでハルシャに語り掛ける。
税金を支払っているのだから、もう一つゲートを作ればいいものを、と彼は肩をすくめながらいう。
よほど長く足止めを喰らったようだ。
ハルシャは腸内の苦痛に耐えながら、彼の話に耳を傾ける。
彼は話しをしながらも、時間をきっちり見ていたようだ。
十分経ったよ、ハルシャ。と、教えてくれる。
彼を受け入れる準備ですら行為の一つであるように、ジェイ・ゼルはハルシャの身に触れる。
いい子だね、と、時折言葉が呟かれる。
二度ほど液を換えて、ジェイ・ゼルの納得する効果が得られたようだ。
よく頑張ったね、と言葉をかけて、身が抱きしめられた。
拭ってから、そのまま風呂へとハルシャは|誘《いざな》われた。
服を脱ぎ去り、いつものように、ジェイ・ゼルはハルシャの身体に、石鹸をふんだんに泡立てて、塗り込めるように洗っていく。
最初にジェイ・ゼルに風呂に入れられた時から、彼は当然の権利のようにハルシャの身を自分の手で洗った。
十五の少年だったハルシャは、その扱いに真っ赤になりながら耐え続ける。
隅々までチェックするように、ジェイ・ゼルはハルシャの身体に指を滑らせる。
恥辱以外の、何ものでもなかった。
随分、背が高くなってきたね。
腕周りに筋肉がよくついてきた。
そんな細かい気付いたことを、ジェイ・ゼルは口にする。
彼の管理下に自分の身体が置かれているようで、その時間が苦手だった。
今も、ゆっくりとジェイ・ゼルの手が、身の上を滑らかに滑っていく。
腕から脇へ、背中へ、下の昂ぶりへ。
柔らかな泡越しに触れられて、ぴくっと反応するハルシャに、ジェイ・ゼルが小さく笑う。
「少し、強すぎたかな。すまないね、ハルシャ」
ちっとも悪びれた様子もなく、ジェイ・ゼルが呟く。
わざとだ。
と思ったが、ハルシャは唇を嚙み締めたまま、何も言わなかった。
ジェイ・ゼルの灰色の瞳が、ハルシャをのぞき込む。
視線を触れ合わせたまま、手が、昂ぶりをそっと撫であげる。
亀頭を手の平で包み、ハルシャの反応をうかがっている。
呻きがもれそうなのを、唇を噛んで耐える。
ふっと、表情を和らげてから、彼は手を移動させていく。
先ほど洗浄した後孔へ、手が這っていった。
周囲を優しく撫であげて、再びハルシャの瞳を見つめている。
「夢の中の私は、ここには触れたのかな?」
唐突に、ジェイ・ゼルが問いかける。
一瞬驚きに目を開いてから、ハルシャは小さく横に首を振った。
「そうか」
優しい笑みが、ジェイ・ゼルの顔に浮かんだ。
「勝手にハルシャに触れるなど、夢の中の自分に腹が立っていたが、ここには触れていないのなら、まあ、許してあげようか」
言葉の奥に籠る、思いもかけない激しい感情に、ハルシャはますます目を見開いた。
「どうした?」
ジェイ・ゼルが手を動かしながら、呟く。
「何を驚いているんだい? ハルシャ」
夢に現れた自分自身が許せないなど、思ってもみなかった。
上手く言葉に出来ずに黙り込むハルシャに、優しい笑みをジェイ・ゼルが向ける。
「私の許可なく、君に触れるなど――たとえ夢の中の自分でも、許容できないのだよ」
言葉の強さとは裏腹に、穏やかに後孔を手が撫でる。
「君がそれだけ、私を思っていてくれたのだと、必死に納得させてはいるのだけれどね」
ジェイ・ゼルの瞳の奥は、ゆらめく炎がある。
穏やかさの陰に秘められた、激情。
意志の力で抑えつけ、表には出さないように気を配っているが、時折こぼれ落ちてくる彼の本質。
彼は、嵐のようだった。
微笑みながら、ジェイ・ゼルは膝を折り、身を屈めるとハルシャの足を手の平で静かに撫でながら、洗い続ける。
時折、わざとのように、敏感な場所に触れながら、左足から、右足へと手を滑らせ続ける。
ハルシャの身体の中で、ジェイ・ゼルの手が触れていない場所などなかった。
足が終わると、床にハルシャは座らされて、足の爪先から裏まで丁寧に、洗い上げられる。
ジェイ・ゼルは、楽しそうだった。
ハルシャが終わると、自分の身に移る。その時はスポンジを使っている。
ジェイ・ゼルが洗い終えてから、一緒にシャワーを浴びて泡を落とすのが、いつものことだった。
彼が身を洗う様子を見つめながら
「洗おうか、ジェイ・ゼル」
と、ハルシャは声をかけてみた。
いつも、ジェイ・ゼルは自分だけで洗い、ハルシャに触れさせなかった。
ふっと、彼は笑った。
「折角だが、止めておくよ、ハルシャ」
笑いながら、ジェイ・ゼルが言う。
「君の手が触れると、私は我慢が出来なくなるからね――愛し合うのは、ベッドでいい」
言葉の持つ意味に、ハルシャは顔を赤らめて、目を反らした。
「珍しいね」
顔を背けたハルシャの耳に、ジェイ・ゼルの言葉が響く。
「どうしたんだい、ハルシャ? 君からそんな言葉が聞けるとは、思ってもみなかったよ」
からかいのない、素朴な言葉だった。
そうだ。
いつも、ジェイ・ゼルから与えられるだけで、自分はジェイ・ゼルに行為を返そうとはしていなかった。
そのことを、改めて突き付けられたような気がした。
「いつも、ジェイ・ゼルにしてもらってばかり、だから」
小声になって、ハルシャは呟く。
「申し訳ないと、思っている」
彼の方を見ずに、言葉を続ける。
「ジェイ・ゼルは、いつも私のことを考えてくれている」
かあっと、頬が熱くなる。
「その……こ、行為の最中も、私の様子を、いつも見守ってくれている」
かすかに、ジェイ・ゼルが息をのむ気配がした。
顔を向ける勇気が出ないまま、ハルシャは思いついたことを、懸命に言葉にする。
「私のことばかりを気にしてくれて、ジェイ・ゼルは本当に、楽しんでくれているのだろうか、と、考えていた。もし――そうなら」
何を言っているんだ、と自分で突っ込みながらも、ハルシャは、言葉を止めることが出来ずに、口にする。
「私のことは気にせずに、ジェイ・ゼル自身が楽しんでくれたらいい――そんな風に、思ったんだ」
どっと、汗が噴き出してきそうだ。
泡まみれでジェイ・ゼルを待ちながら、自分は何を言っているのだろう。
そう思いながらも、言葉が止まらない。
「わ、私が未熟で、ジェイ・ゼルを、楽しませてあげることが、出来ないから……」
ふっと小さな笑い声が聞こえて、ジェイ・ゼルが動き、床に座るハルシャの横に、膝をついた。
「前回のことを、まだ気にしていたのかな、ハルシャ?」
自分が上に乗って、ジェイ・ゼルを満足させてあげられなかったことを、悔いていると気付かれた。
「あ、いや。そうじゃない。だが」
顔を赤らめるハルシャに、ジェイ・ゼルの優しい眼差しが注がれる。
「君が快楽に身を委ねている姿を見るのが、私にとっては至福の時間なんだよ」
手が伸びてきて、さらっとハルシャの胸の尖りを刺激した。
不意打ちに近い動きに、ハルシャがあっと声をあげると、ジェイ・ゼルは笑みを深めた。
「その声を聴かせてくれるだけで、幸福に身が震える」
灰色の瞳が、真っ直ぐにハルシャを見つめている。
何の手管も使わずに、ジェイ・ゼルが真実を教えてくれている。
理解は出来る。
自分を大切にしてくれていると。
それでも、ハルシャは自分の想いを伝えようと、考え、考え言葉を口にする。
「この前――自分から動いてみて、ジェイ・ゼルは常に先のことを考えながら、行為をなしていると、気付かされた」
飾りのない心を、ジェイ・ゼルに向けて開いて、語る。
「私のために、ジェイ・ゼルは、ずっと、考え続けてくれている。私はただ、それを受け取っていただけだ」
上手く、言葉に出来ない。
眉を寄せながら、ハルシャは何とか言葉を続ける。
「ジェイ・ゼルがしたいことを、してくれたらいい。私はそれを受け取るから――私のために、考え続けなくてもいい。心のままに、為してくれ」
ますます、眉が寄る。
何だか、思っていることと、口に出したことが違う。
どうやったら、上手に伝えることが出来るのだろう。
ジェイ・ゼルは、無言でハルシャを見つめていた。
気分を損ねただろうか。
長い沈黙に耐えきれずに
「すまない。思い付きを、考えなしに口にしてしまった――ジェイ・ゼルの、したいようにしてくれたらいい。私は……」
「ハルシャ」
詫びの言葉を、やんわりとジェイ・ゼルが断ち切った。
言葉の強さに、ハルシャは視線を上げて、彼を見つめる。
灰色の瞳が、真っ直ぐに自分を見つめている。
真摯な眼差しを向けたまま、彼は口を開いた。
「私が――」
一瞬ためらってから、覚悟を決めたように、彼は静かに呟いた。
「心のままに行為をなせば、君の身体に負担を強いてしまう。だから私は、ずっと自分を抑えてきた」
笑みを消した、真剣な顔が、ハルシャに向けられている。
「そのタガを外せば、私は自分自身を制御出来なくなる――君を、極限まで追い詰めてしまうかもしれない。それが恐くて冷静さを保ち続けて来た」
やっと彼の顔に、笑みが浮かんだ。
「君にはどうやら見抜かれてしまったのだね、ハルシャ」
今。
初めて、彼の本当の言葉を、聞いたような気がした。
ハルシャは、黙したまま自分を見つめる瞳へ、眼差しを返す。
彼は、微笑んでいた。
ひどく孤独な笑みだった。
手を伸ばせば届く距離にいるのに――とても遠くに感じられる。
彼は――自分自身の内側にある何かを、忌避しているような気がした。
見ることも、触れることも厭うほどの暗い存在を内側に抱え込みながら、懸命に正気を保とうとしているように見える。
ハルシャは、今、本能的に彼の想いを感じ取って――。
その暗黒部分を、受け入れると言ったのだ。
そうだ。
やっと、ハルシャは自分自身に、納得する。
ジェイ・ゼルは、きちんと自分の言葉を正しく解釈してくれた。
彼の言葉に、自分の言いたかったことをハルシャは逆に教えられた。
行為に没頭することが、ジェイ・ゼルはなかった。
どんな状況でも、彼の頭の一部はつねに冴え冴えと、冷徹なまでに意識を保っていた。
それは、ジェイ・ゼルが恐ろしいほどの鉄の意志で、自分自身を抑えていたからだったのだ。
ハルシャに負担をかけないために、彼の暗黒部分に引きずり込まないために。
常に思い遣ってくれていたのだ。
けれど。
制御をかなぐり捨てて、ありのままのジェイ・ゼルとして、自分に向き合って欲しかった。
それを――
自分は、伝えたかったのだ。
「ジェイ・ゼル」
長い沈黙の後、やっとハルシャは口を開いていた。
「私はもう、十五歳ではない。二十歳の、成人した大人だ」
言ってから、ちょっと気恥ずかしくなる。
「ジェイ・ゼルから、今まで色々教えられてきた。今なら、ジェイ・ゼルの想いを受け止められると思う」
灰色の瞳を、見つめ返す。
ジェイ・ゼルの中では、自分はまだ、十五歳の少年のような気がしていた。
やたらと子ども扱いするのが、その証拠だと。
だが。
もう――
「五年経ったんだ、ジェイ・ゼル」
ハルシャは、想いが伝わるように、祈りながら、言葉を口にした。
「私はもう、子どもじゃない。大丈夫だ――ジェイ・ゼル。あなたをきっと、受け止められる」
今まで、意識が混濁するほどの快楽に、ハルシャは連れていかれた。
だが。
それですら、ジェイ・ゼルは力を抑えた末のことだったのだと、じわりと実感する。彼が制御を外せばどうなるのか、未知の恐怖が脳裏をよぎる。
けれど、彼の本当の想いを受け止めたかった。
ハルシャが全てをジェイ・ゼルにさらしたように、彼にも本当の姿を見せてほしかった。
ジェイ・ゼルが、無言でハルシャを見つめる。
きれいな澄んだ灰色の瞳の中に、自分の姿が映っている。
ハルシャは、きゅっと唇を噛み締めた。
心を決めかねているのか、迷っているのか、拒否をしようとしているのか、ハルシャには皆目見当がとれなかった。
それでも――
ジェイ・ゼルを信じて、ハルシャは、言葉を待ち続けた。
ふっと、彼が静かに笑った。
優しく手を差し伸べる。
手を取ると、そのまま立ち上がり、シャワーの下へと|誘《いざな》われる。
無言で、滴る湯の下に立ち、ジェイ・ゼルの手が、ハルシャの身から泡を拭っていく。身を打つ貴重な水の下で、彼が真っ直ぐにハルシャを見つめていた。
激しく打ち付ける湯を受けながら、ジェイ・ゼルが腕にハルシャを包み、唇を合わせる。
ハルシャは、目を閉じた。
足元で、水音が跳ねる。
肌に当たる温かな水は、惑星ガイアに振る、雨を思わせた。
まだ見ぬ雨の存在を思いながら、素肌を触れ合わせる。ジェイ・ゼルに応えるように、ハルシャもまた、彼の身に腕を回した。
ジェイ・ゼルの口づけは、今までと少し違っていた。
技巧を少しも感じさせない、率直な動きだった。
彼が、心のままに自分を求めてくれているのを、合わせた場所からハルシャは静かに感じる。
示してくれる彼の想いを、ハルシャはただ、受け止め続けた。