ほしのくさり

第9話  ヴィンドース家の祖







 惑星トルディアを照らす、恒星ラーガンナの淡い光が、地平線の向こうに見え始めた。
 ハルシャ達が暮らす惑星トルディアは、平坦な地形をしている。
 惑星ガイアからは、ほとんど目視できないほど小さな恒星が従える、七つの惑星の内の、五番目の星。
 質量と重力がほぼ、惑星ガイアと同じであり、大気に酸素が多く含まれていたために、当初惑星トルディアは、人類が移住するのに適した星だと思われていた。
 発見者のケルファ・ナドッグ船長は、彼の故国の言葉で「希望」を意味する「トルディア」という名を、惑星に与えた。

 移住可能な惑星の発見に、帝星ディストニアの科学者たちは、歓喜した。
 いい加減、人類が増えすぎていたのだ。
 膨れ上がる人口は、新たな移住地を求めていた。
 その上、先発隊で調査を行った科学者たちからもたらされた、地下に宇宙船の材料として欠かせない、カーヴァルト鉱石が豊富に含まれているという情報に、ぜひ、移民星として開拓しようという機運が、帝星に満ちる。
 かくして――
 二十五人からなる惑星開発事業の精鋭たちが、新発見の惑星に派遣される。
 彼らは、それぞれの分野のスペシャリストで、これほど強力なチームは組めないだろう、と銀河帝国皇帝をうならせるほどの、顔ぶれだった。
 着陸に使用した宇宙船を実験棟として、作業を開始する。
 彼らは、自分たちに託された責務――惑星トルディアが人類の移住に適する星かどうかの見極めの作業を、黙々と行った。
 惑星トルディアには、惑星ガイアとよく似た、植物群が生育している。
 ガイアと違い、トルディアの植物は、紫を基本の色としている。その植物は、光合成とよく似た現象を体内で行い、結果、酸素を多く含む大気が、トルディアを厚く覆っていた。
 その上、地下には、貴重な鉱物の他にも、水とおぼしきものが含まれていた。

 報告に、帝星ディストニアの科学者たちは、喜びを隠せなかった。
 酸素が存在する星は、非常に珍しい。多くは、アンモニアや窒素、二酸化炭素、時に、四塩化炭素など人類の生存に不適合な大気が、ほとんどだった。
 トルディアは、命名された通り、人類の希望となるはずだった。

 だが――
 その大気には、酸素の他にも、人類にとって有害な物質が含まれていた。
 人類、というよりも、ガイアで進化した、哺乳類にとって。

 トルディアの大気を直接取り込んだ宇宙船の実験室で、マウスは一日ほどしか、生存できなかったのだ。
 最初はとても元気であるのだが、二十時間を超える頃、肺から血を流して倒れてしまう。解剖したマウスは、肺の組織がグズグズに崩れていた。

 派遣されていた科学者たちは、頭を抱えた。
 
 原因は、特定できなかった。
 惑星開発事業で使用される、大気分析装置でいくら測っても、有毒物質とおぼしきものは、検出されない。
 なのに、確実に、マウスは死亡するのだ。
 原因物質を特定するべく、努力が重ねられた。
 けれど、あざ笑うかのように、あらゆる成分を調整した大気でも、マウスは死んでいった。
 標準年で半年を過ぎる頃、調査団の団長は、惑星トルディアは、人類の移住には向かない星である、という、決断を下した。
 今後は、鉱物資源を採掘するために、機械だけが置かれる無人の星となるだろう。
 誰もがそう考えていた。

 しかし。
 一人の男だけは、違った。

 彼は、惑星トルディアの美しい大地を、人類の第二の故郷としたいという、強い願いを抱きはじめていた。
 薄桃色の夜明けも、珊瑚色の夕日も、幻のように美しい紫色の森も――彼の心を捉えて離さなかった。
 諦めが漂う中、彼は黙々と研究を続けた。
 肺の崩れたマウスの体内から、原因物質を探ろうと、寝食を忘れて取り組む。
 彼は、一つの事実を見出す。
 大気をそのまま取り込んだ状態の中、昆虫たちは、生き延びていた。
 昆虫にとって、惑星トルディアの大気は、生存できるレベルなのだ。
 だが、哺乳類である、マウスは、違う。
 そこに、何か重要なものが秘められていることに、男は、気付く。
 だが、あまりに時間が経ちすぎていた。
 調査団の長は、ついに報告を待つ帝星の上司に、惑星トルディアは生存不可能なレベル四四の星だと、調査結果を報せた。
 帝星の人々に、動揺が走った。彼らは、すでに新しい移住地の販売すら、始めていたのだ。
 だが、結果は結果として、抱きとめるだけの度量が、当時の銀河帝国民には、あった。
 惑星トルディアの住宅地は、速やかに返金され、あとは、帝星の上層部が、調査中止の命令を下すだけとなる。
 人類が惑星トルディアを見捨てるのは、時間の問題だった。
 皆が荷物をまとめ始める中、男は、研究の手を、緩めなかった。
 間もなく、撤去命令が来るだろうという中――
 一人の男の執念が、ついに、原因物質を、マウスの肺の組織の中から、見つけ出した。

 それは、大気中にあっては、人体に影響与えなかった。
 だが、肺に取り込まれ、血液中のヘモグロビンと反応した途端、ヘモグロビン自体を、細胞壁を溶解させる物質へと変質させるものだった。
 人類がかつて出会ったことのない、新しい物質――それを、男は分離することに成功した。
 大発見と言っても良かった。
 原因物質が特定された。
 男のもたらした情報を元に、銀河帝国の中でも、トップクラスの知能が揃った調査団は、急遽、原因物質が除去できる装置を作り出す。
 物質は、鉄と反応する。それを利用した、除去装置だった。

 原因と目される物質が除かれた大気の中で――マウスは、二十五時間を、生き延びた。

 撤収命令と入れ違いに、調査団の団長は、結果を高額な惑星間通信で、送る。
 人類移住の可能性を、自分たちは見出したと――。
 どん底に沈んでいた帝星の上層部は、喜びに沸きたった。

 新たに、除去装置を組み立てる目的で、調査団が追加派遣される。
 そして――発見者の男によって、トルディオキシンと名付けられた有害物質を除去された大気の中――マウスは、三十日以上を健康に過ごすことが出来た。
 惑星トルディアが、人類の第二の故郷となった、瞬間だった。

 かくして、大気からトルディオキシンを除去した空気をたたえた、巨大なドームが、惑星トルディアに建設される。今の、都心ラグレンの基礎となった街だった。返金された土地は、再び、販売される。
 トルディアはそうして、長きに渡り、人類の移住を受け入れ続けた。

 全ての者が匙を投げる中、たった一人、黙々と努力を続け、決して諦めなかった男。
 惑星トルディアを、故郷の星のように、愛した男。
 彼の名は――ファルアス・ヴィンドース。
 ハルシャの、直接の先祖だった。
 人々は彼のことを「惑星トルディアの父」と、敬意を込めて呼ぶ。
 そのことを、かつては、何よりも誇らしく思っていた。


 内に湧き上がる思いに、一瞬、ハルシャは目を細める。
 彼は今仕事を終えて、都心へと続く一本道を、ボードで滑っていた。
 昇り始めた恒星ラーガンナの光が、地面を照らす。
 自分の疲労状態を考慮して、比較的簡単な作業を選んだハルシャは、事故なく仕事を終えることが出来た。
 夜明けの道を馳せながらも、足元から泥のような疲労がまとわっりつくのが、拭えなかった。
 意識をしっかりしないと、ボードから落ちてしまいそうだ。
 ボードは不安定なものを、ただ、足だけで操る乗り物だった。
 こんなところで転倒し、怪我をするわけにはいかない。
 納期まで、あと少ししかない。

 風を切り進んでいくうちに、都心の聳え立つ建造物が見え始める。
 夜明けの淡い桃色の空に、先住者が不屈の闘志で作り上げた街が、黒々としたシルエットとなって、浮かんでいた。
 遠くからラグレンの街を見るのが、ハルシャは好きだった。
 自分の遙かな先祖が、信念を持って粘り続け、勝ち取った人類の栄光。
 それが、目の前に広がるのを見ると、心が湧きたつ。
 どんな現状に置かれているとしても――自分はやはり、惑星トルディアが好きなのだ。
 薄紫の若葉の頃の森も、柔らかな夜明けの淡い桃色の空も――祖先がそうであったように、自分も故郷の星を愛していた。
 誇らしく、愛しい故郷。
 どんなに宇宙を旅しても、老年になれば、この星に帰ってきたいと、ハルシャは思っていた。そして、骨をトルディアの大地に埋める。全宇宙を旅した男、故郷の星に眠る、墓標にはそう刻もうとまで、考えていた。
 はるかな昔。無邪気な、少年であった頃――
 借金返済のため、一生涯を奴隷として地上に縛り付けられるなどと、考えもしなかった時代の、身の程知らずの夢だった。


 都心が近づく。
 美しい街の地上部分には、犯罪と貧困が淀むように存在している。
 一部の高級住宅街を除いて、ラグレンの地表部分は、危険な場所だった。
 裕福な人々は、空中に彼ら専用の駐車場を持ち、地上には、降りてこない。
 すえた臭いが常に漂う街の中を、ハルシャは、ボードで滑っていた。
 夜明けに近い時刻になり、人がぽつぽつと動き始めている。
 狭い道を、縫うようにハルシャは、家路を急ぐ。
 妹のサーシャが、家で自分を待っている。
 きつい労働をするハルシャのために、サーシャは食事に懸命に気を遣ってくれている。彼女の前でハルシャは、どうでもいいとは、決して言わなかった。
 幼い頃から、互いだけを支えに生きてきた兄と妹は、自分よりも相手の方を大切にしていた。
 いつも。
 いつでも――
 ジェイ・ゼルは、ここでも約束を守ってくれていた。
 サーシャに、彼は無理を強いなかった。
 労働をほのめかしながらも、彼がサーシャに用意してくれたのは、民間学校の椅子だった。

 工場で働き始めてから間もなく、何の前触れもなく、工場長の案内を受けながらジェイ・ゼルが作業場に姿を現わした。
 様子を見に来た、と、彼は、作業中のハルシャに声をかける。
 しばらく仕事を見守った後、彼はハルシャを、静かな場所へ呼び寄せた。
 そこで、一枚の地図がハルシャに手渡された。
 いぶかしげに見るハルシャに、彼は、静かに告げた。

 帝星で教育に携わっていた老人が、何を思ったのか、ここへ移住して下層階級の子どもを集めて、私設の学校を開いている。
 ほぼ無料で、教育が受けられるらしい。
 君の返却する金額の負担が増えるが、それでもいいなら、妹を通わせるといい。
 
 ハルシャは、視線を上げて、彼を見た。
 彼は、ハルシャを見下ろしていた。
 灰色の瞳が、自分を見ている。
 ハルシャは、謝意と共に、意見を述べた。
 ありがとうございます。一度様子を見に行き、良ければ通わせたいと思います。
 ハルシャは、彼の目を見ながら、言った。
 教育は、洗脳にもなると、ハルシャは知っていた。疑う訳ではないが、どんな意図で帝星からトルディアに老人が来たのか、この眼で確かめたかった。
 時に、地下の教育機関が、反政府組織の温床となることもあったのだ。妹が、そんなことに巻き込まれる事態は避けたかった。

 用心深いハルシャの言葉に、静かにジェイ・ゼルが微笑みを浮かべる。
 なら、今から確かめに行くか?
 軽い口調で、彼は言った。
 驚きに、ハルシャは目を瞠る。
 作業の途中です。抜けられません。
 労働時間が減れば、それだけ給料も減額される。彼に呼び出されたこの時間も、惜しかった。
 ハルシャの気持ちを汲み取ったのか、
 そうだな。
 と、ジェイ・ゼルが、静かに呟く。
 それで、会話は済んだとハルシャは理解する。
 わざわざ情報をありがとうございました。
 と、丁寧に礼を述べて、ハルシャは辞去の挨拶をした。
 失礼します。
 彼を見ずに踵を返し、立ち去ろうとした。
 その時、不意に手首が掴まれていた。そのまま、引きずるようにして、工場長の元へ連れて行かれる。
 ハルシャの手首を逃がさぬように捉え、ジェイ・ゼルは、工場長に直談判をした。

 するべき手続きの関係で、急遽、彼を連れていかねばならない。
 今から私と、移動する。不在は私の都合だ。欠勤扱いにはするな。

 それだけを述べると、ハルシャは黒い飛行車に連れて行かれる。
 問答無用で、車内に押し込まれた。
 作業を途中で放り出してしまった。怒りを覚えながらハルシャは沈黙する。
 彼は、横暴だった。
 自分が働かせているのに、ハルシャが責任を持って行おうとしている仕事の、邪魔をした。
 重い沈黙の中で、ジェイ・ゼルがぽつりと呟く。
 今行かなければ、時間など作れない。夜に、学校はやっていない。
 まるで、ハルシャの心の声が聞こえたような、ジェイ・ゼルの言葉だった。
 学校を見せるために、ハルシャを連れ出したのだと、悟る。
 ハルシャは、まだ納得が行かないながら、怒りを収めた。
 沈黙に、再び車内が支配される。
 掴まれていた手首が痛かった。
 痛みをなだめるように、手で手首を包むハルシャに、視線を逸らしたまま、ジェイ・ゼルが、問いかけた。
 
 体は、大丈夫か。

 ジェイ・ゼルは、ハルシャへ顔を向けなかった。
 手荒く初めて彼に抱かれたのは、ほんの数日前のことだ。
 ハルシャは、きっと彼を睨みながら、言葉を放つ。

 大丈夫です。
 
 ジェイ・ゼルは、やはり、顔を動かさないまま、呟く。

 そうか。

 その口調に、もしかしたら、わざわざ工場を訪ねてきたのは、自分の体調を知るためではなかったのか、という、一念がよぎる。
 微かな安堵の滲む、ジェイ・ゼルの言葉だった。
 それを、問い質すことなど、ハルシャには出来なかった。

 案内された民間の学校は、ハルシャたちの住まいから、近かった。
 教育理念は、良識あふれるものだった。面会した帝星から移住してきたという老人、ハロン・ダーシュは、貧富の差が、後の人生の差となることを憂いている、心温かな人だった。生涯を、貧困にあえぐ子どもたちのために捧げたいという思いで、私財を投げうって移住してきたらしい。
 ハルシャの横で、ジェイ・ゼルも一緒に話を聞いていた。
 その場で、ハルシャは、妹の入学を依頼する。建物も粗末な青空学校というべきものだったが、教えていることは、しっかりしている。
 フリップを見ながら、文字を覚える元気な子どもたちの声が、響いていた。
 こんな風に――
 どこかに、救いはあるのだろう。
 悪意に満ちた中でも、誰かの好意に救われるということが。
 穏やかに微笑むハロン・ダーシュ校長の顔を見ながら、ハルシャは心に呟く。
 偉大な祖先の名に恥ずかしくないだけの教育を、妹に受けさせたいというハルシャの想いを、老人は静かに、受け止めてくれた。

 明日からのサーシャのことを依頼して、席を立とうとしたハルシャに、ためらいがちに、ダーシュ校長が言葉をかける。
 見たところ、君も未成年のようだが――学校は良いのかね。
 ハルシャは、静かに微笑む。
 私は、大丈夫です。お心遣いありがとうございます。どうか妹を、よろしくお願いいたします。
 そして、逃げるように、ハルシャはその場を立ち去った。
 
 もう、自分には学問は、必要ないのだ。
 銀河帝国最高学府として名高い、シンクン・ナルキーサスへ進むことを目的に、ハルシャは懸命に勉学に励んでいた。
 だがもう、意味はないのだ。
 何も。
 高次方程式の解の公式も、次元航法に必要な物理方程式も、銀河帝国公用語も――宇宙飛行士となるために必死にたくわえ続けた知識など、何もかも。
 自分には、借金を返すために働き続ける道しか、残されていない。
 解っていたはずの現実が、身を刺す。
 手に出来たはずの未来が、心を痛めつける。
 ジェイ・ゼルの飛行車に戻り、彼に短く礼を言う。
 私の言葉を無視せずに、妹のことを考えてくれて、感謝している、と。
 彼の顔は、見ることが出来なかった。
 ハルシャは、飛行車の窓に額を押し当てて、懸命に耐え続ける。
 目の前の男が、自分から全ての未来を奪ったという、事実に。

 彼は、何も言わなかった。
 長い沈黙の後、肩がジェイ・ゼルの手に包まれ、静かに彼に引き寄せられた。
 ハルシャは逆らわなかった。
 どんな行為にも従うと、彼に約束したからだった。
 無言で、ジェイ・ゼルがハルシャの頭を自分の肩に預けさせる。
 叫びたい心を抑えつけて、ハルシャは親密な時間を耐えた。
 工場へ戻ると思った飛行車は、別の方向へ向かっていた。
 気付いたときには『エリュシオン』の前に、飛行車は着いていた。
 連れていかれた、高価な部屋の一室で――
 ハルシャは再び、彼に抱かれた。



 思い出に、わずかにハルシャは目を細める。
 サーシャは、学校へ通うことで地域にも徐々に馴染み始めた。
 事情をよく解ってくれていたダーシュ校長が、サーシャを丁寧に導いてくれたらしい。彼らの話す言葉も自然と覚え、今ではこの土地で生まれ育ったように、自在に話す。
 十歳になった時から、兄の苦労を少しでも減らしたいと思ったのか、彼女はアルバイトを始めた。
 近くの飲食店と、民間の医療院の掛け持ちだった。
 昼間は学校へ通い、夜は二つの場所をはしごしながら、働いている。
 飲食店は、金銭を稼ぐため。医療院は、勉強のためだと、サーシャは言っている。もう一年、大過なく仕事を続けていた。自分の稼ぎに比べたら微々たるものだが、彼女の心を一番にして、ハルシャは働くことを認めていた。
 飲食店でのアルバイトをフルに利用して、彼女は残り物をよく持ち帰っている。
 今朝も、ハルシャのために、食事を用意してサーシャは待っているはずだった。
 
 見慣れた風景の中を、ハルシャは、真っ直ぐに進んでいく。
 あと少しで、家に着く。

 と、思った時、通り過ぎた風景の中に、ふと目を引くものがあった。
 大きく弧を描き、ボードを停める。
 まだ宙に浮きながら、ハルシャは、目の端に捉えたものを、真っ直ぐに見つめた。
 目を細めて、静かに見下ろす。

 そこには、夜の内に不法投棄されたゴミのように、一人の男が、倒れていた。
 まるで、壊れた人形のように――彼はぴくりともしなかった。




Page Top