ほしのくさり

第86話  それぞれの想い-01





 



「思ったよりも、良い買い物が出来ましたね」
 服の入った紙袋を抱えるサーシャに、リュウジが微笑みながら声をかけている。
 古着屋を後にして、しばらく歩いてからのことだった。
 戦利品をぎゅっと抱きしめ、ほくほくしながら、サーシャが笑顔をリュウジに向ける。
「ほんとうに、リュウジは、お買い物が上手だね」
 尊敬の眼差しで見上げるサーシャに、小さくリュウジが笑う。
「たまたま上手くいっただけです」
 謙遜する言葉に、ぶんぶんとサーシャは首を振る。
「最初にお店のおじちゃんが言っていた、服四着分のお値段で、結局七着も買えたよ。すごいよ、リュウジ!」
 にこっと、リュウジが笑う。
「それはきっと、サーシャが、とても可愛らしかったからです。僕の力ではありません」
 臆面もない褒め言葉に、サーシャがちょっと頬を赤らめた。
「そんなことは、ないよ……リュウジのお陰だよ」
 妹は照れながら、紙袋をぎゅっと腕に抱きしめ直している。


 リュウジの値切りは、芸術的だった。
 オキュラ地域のはずれにあるロンダルは、長いアーケード街に狭い店がひしめき合う場所だ。
 メリーウェザ医師の医療院を出た後、徒歩で三人は目的の場所に向う。
 比較的治安がいいので、遅くまで灯りをともしながら、多くの店がまだ営業を続けていた。

 どの店が良いでしょうね、とサーシャと相談しながら、ぶらぶらと歩いていたリュウジは、ふと一つの店に目を止め、あそこにしましょうと、まっしぐらに一軒の古着屋へ入って行った。
 そして、店の主人らしい老人を見つけると、丁寧に挨拶をする。
 リュウジは、実はこの子が、懸命に働いたお金で、自分に服を買ってくれようとしているのです、と、柔らかな口調で告げた。
 アルバイトを二つもかけ持ちをして、一生懸命に稼いだお金です。
 本当に思いやりのある子です、と、サーシャの心根の優しさと、お金の由来を|滔々《とうとう》と、主人に述べ立てる。
 その上で、古着屋の亭主のことを褒めはじめた。
 あなたはお店の前に服をほとんど並べていない。
 それはきっと、古着といえど光に当てないようにして、服を大切に扱っているからだろうと、相手を持ち上げる。
 確かに。
 ハルシャは言葉を聞きながら、リュウジがどうしてこの店を選んだのかを、理解する。他の店は、店の前に、のれんのように服が並んでいたが、この店だけは、違ったのだ。
 リュウジは切々と、せっかくこの子がお金を出してくれるのなら、あなたのような店で服を買いたいと、心を込めて訴える。
 サーシャは、学校に携えていたぬいぐるみ生物を、ぎゅっと抱きしめ、リュウジの説明に頬を赤らめ続けていた。
 恐らく。
 その段階でもう、勝利は決まっていたのだろう。
 
 自由にお店の中を見ていいと、主人の言葉を得て、サーシャは店の中をくまなく見て回る。
 古い服が、地層のように店の中に積み上がり、独特のにおいを発している。
 サーシャは懸命に服を探し、上を二着、下を二着、組み合わせが出来るように考えて、リュウジのために選び出した。
 服の金額を訊ね、支払おうとした時――
 その上下一着分で、彼女の服を買わせてください、と、リュウジが言ったのだ。
 自分は、一着だけで十分です。サーシャは女の子ですから、新しい服が欲しいでしょう。僕の分を使って購入してください、と。優しい声で語り掛ける。
 サーシャは、メリーウェザ先生が、リュウジにと言って渡してくれたお金だから、リュウジの服に使わなくては、と譲らない。
 二人でしばらく押し問答をしていると、主人が、
 わかった、わかった、お嬢ちゃんの服を、一着おまけにつけてあげよう。
 と、間を取るように言ってくれる。

 ええっ!
 とサーシャは驚く。
 い、い、いいの? と震える声で尋ねた彼女に、古着屋の老人はいいよ、いいよ、と、優しく言った。
 が。
 サーシャはしばらく黙り込むと。
 でも、それなら、お兄ちゃんの服を買いたいと、言いはじめた。
 ええ? と、こちらが驚く番だった。
 ハルシャは、せっかくお店のご主人が、御親切にサーシャの服をつけてくださろうとしているのだから、自分の服のことは気にしなくていい。と、言葉を尽くす。
 だが。
 サーシャは青いきれいな目を潤ませながら、
 お兄ちゃんが一生懸命働いてくれているから、サーシャは暮らしていける。
 サーシャはいいから、お兄ちゃんの服が欲しいと、切々と訴えてきた。
 その時、リュウジがぼそりと
 あの二人は兄妹で支え合いながら、懸命に暮らしているのです。
 と、店の店主の耳元で呟いていた。
 オキュラ地域で、たった二人で――
 言葉を切った後、深い藍色の瞳でじっと、主人を見つめ続けた。
 にこっと、笑ってから、彼は兄思いの、可愛らしい妹です。と、静かに呟いた。
 不意に、リュウジはサーシャに、
 わかりました、ハルシャの服を買いましょう。
 と、譲る様に言う。
 そして、二人で仲良く、積み上げられた膨大な服の中から、選び始める。
 ハルシャは呆気にとられていた。
 それは、店の主人も同じらしい。
 思わず、目が合う。
 古着屋の主人が、服を選ぶ二人の背中を見ながら
 親はどうしたんだ、と、ハルシャに訊く。
 どう答えたものかと思ったが、隠すことでもないので、
 事故で亡くなった。
 とだけ、ハルシャは伝えておいた。
 そうか。
 と、古着屋の老人は小さく呟いている。
 会話はそこで終わり、ハルシャは楽しそうに服を選ぶ、サーシャとリュウジの背中を見つめていた。

 商品券が手に入ったら、兄の服と靴を買うと、ジェイ・ゼルにも彼女は言っていた。
 きりっと、胸が痛んだ。
 自分が書いた作文でもらった商品券なのに、妹は、兄のために使うことしか、考えていなかった。
 身を飾りたい年頃だろうに。
 現金は、朝のバス代に残しておかなくてはならない。たくさんの服に囲まれながら、ハルシャはその一着も買えない自分の立場が苦しかった。
 これなら、お兄ちゃんに似合うね!
 と、リュウジと二人で作業着を広げて、サーシャが喜んでいる。
 目を細めて、ハルシャは彼女の思いを受け止め続けていた。
 サーシャに、自分の服を買わせてあげたかった。
 だが。
 今ハルシャが譲ると、サーシャは買った服を見るたびに、兄をないがしろにしてしまったと、自責の念を抱く。それがわかっていて、ハルシャはただ、妹のなすがままに任せていた。
 結局、リュウジの服上下と、ハルシャの服の上下。それだけの値段を、サーシャは支払った。主人が提示した金額は、最初に言ったものと、同じだ。
 服を袋に入れてもらいながら、サーシャの目は、最初に選んだリュウジの服に、ずっと向かっていた。
 まだ、カウンターの上に置いたままだったのだ。
 ふっと店の主人は笑うと、サーシャの目の前でその服を畳み、黙って買った服と一緒に、袋に入れてくれた。
 え?
 と、サーシャは目を見開いて、店の主人を見ている。
 服のことには触れず、老人はちょっと笑ってみせた。
 オキュラ地域に生きる者独特の、鋭い眼差しがその瞬間だけ和らぐ。
 その後、老人はカウンターの下から、服を一着取り出した。
 優しい淡い桃色をした上の服だった。
 孫が着ていた服なんだが。
 老人が服を畳みながら言った。
 これは売りものじゃないからね、お嬢ちゃんにプレゼントしてあげよう。
 と、同じ袋に入れてくれる。
 サーシャは、感激して、声を震わせながら、ありがとう、おじちゃんと、感謝の言葉をほとばしらせた。

 そうして――
 最初に提示してくれた四着分の値段で、七着もの服を手に入れ、満面の笑みを湛えて、サーシャは帰途をたどっていた。
 紙袋とぬいぐるみ生物をぎゅっと抱きしめながら、
「でも、あのおじちゃんの孫。服がなくなって悲しまないかな――」
 と、サーシャは呟いた。
 孫の服というのは、おそらく方便だ。
 仕入れたばかりで、まだ値段の付けられていない服を、理由を付けてサーシャに渡してくれたのだと、ハルシャは感じ取っていた。
「きっと、ご老人のお孫さんが成長して、着なくなった服なのでしょう」
 リュウジが微笑みながら、サーシャが納得する説明を述べている。
「商品にならないものだから、渡して下さったのです。サーシャが心配する必要は、ないとおもいますよ」
「そうかな」
「そうです」
 言い切ったリュウジの言葉に、こくんと、サーシャがうなずく。
「それだったら、嬉しいな。服を頂けて」
 笑顔のサーシャに、リュウジも笑顔を返している。
 服が、重たくはないですか?
 と手を差し伸べて、彼はサーシャから服の袋を受け取っている。
 嬉しくて持って歩きたかったようだが、十一歳の女の子には、七着分の服は重い荷物だった。
 察知して、リュウジが引き受けてくれたのだ。
 やり取りを見守っていたハルシャは、ふと、何かの気配を感じた。
 後ろを振り向く。
 何だろう。
 視線のようなものを感じた。
 だが、背後には闇が広がっているだけで、誰も居なかった。
「どうしましたか?」
 突然後ろを振り向いたハルシャに、リュウジが声をかけてくる。
「いや」
 まだ、なんとなく気になりながら、ハルシャは前を向いた。
「誰かに、見られているような気がした」
 嫌な感じがする。
 メリーウェザ医師が告げていた言葉が不意に、耳に響いた。
 もし、リュウジに乱暴を働いた者が、この近くにいたとしたら。
 そして、彼の存在に気付いたとしたら。
 不用意に出歩きすぎただろうか。
 もしかしたら、自分はリュウジを危険な目に遭わせかけているのかもしれない。
 きょとんとする彼の顔に視線を向けると、
「夜も遅い。早く帰ろう」
 と、警戒を滴らせながら、ハルシャは言った。
 何かを感じ取ったのだろう。
「そうですね、ハルシャ」
 と、リュウジはうなずく。
「急ごう、サーシャ」
 ハルシャは、妹の空いた方の手を取り、歩き始めた。
 しばらく歩くと、気配は何も感じられなくなった。
 だが。
 嫌な手触りだけが、ハルシャの中に、残り続けた。









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