ほしのくさり

第84話  スペースコロニー『アイギッド』-02







 ジェイ・ゼルは、すぐに、言葉を返せなかった。
 何をイズル・ザヒルが聞きたいのか。
 何を問いかけているのか。
 わかりながら、言葉にするのがひどく億劫だった。
 恐らく、イズル・ザヒルは全てを知っているのだろう。
 自分と、ギランジュ・ロアとのやり取りを。
 知っていて、自分の口から言わそうとしている。
 何を思って、ギランジュ・ロアにハルシャを抱かせようとしたのかを。

 ジェイ・ゼルは、視線を伏せた。

 ハルシャは、頑なに自分に反応を示そうとしなかった。
 最初の行為で傷つけられた彼の心と身体と誇りが、ジェイ・ゼルを全身で拒んだのだ。
 それでも、馴染めば自分に心を開いてくれる。
 ジェイ・ゼルは信じて疑わなかった。
 もう、彼の後孔を傷つけないようにしよう。
 行為に及ぶ前に、丁寧にほぐしてあげよう。
 中で一度だけしか達さないことを、ハルシャが望んでいるのなら彼の想いに従おう。
 もしかしたら、遅すぎる後悔だったかもしれない。
 それでも自分なりに、ハルシャを慈しんできたつもりだった。
 だが。
 彼はやはり、どんなにジェイ・ゼルが心を尽くしても、自分を拒み続けた。
 感じまいと、自分の感覚を閉じているのが手に取るように解った。
 肌を合わせば、伝わってくる。
 けれどハルシャは、契約を交わしている身だという自覚があり、口淫やジェイ・ゼルが望む行為には素直に従った。
 体は支配できているのに――虚しかった。
 一年ほど前から、彼を自分に反応させようという気持ちから、次第に諦めに近いものが生じ始めた。

 どんなに手を尽くしても、彼は自分の方を向いてくれない。
 一方通行の想いが、次第に自分自身を苛みだした。
 最初の行為の後悔が、いつも重く胸にあった。
 どうすれば、彼が反応を示すようになるのか。
 考え続け、思い続け、方策を探り続けた。
 考え抜いて、ジェイ・ゼルはハルシャに自慰行為を強いた。

 自慰を行いながら、ハルシャは明らかに自らが快楽を求めようとしていた。
 ジェイ・ゼルが与えた乳首の刺激を、消えた後も探すように左手でまさぐり始める。
その行為に恥辱を覚えていたが、ハルシャの身体には彼が積み上げてきた快楽が確かに染みついていた。そして、鳥が蜜を求めるように、快楽に向けて手を伸ばしていた。

 自身の手なら、彼は快楽を求められる。
 なら。
 反応しないのは、相手が自分だからだ。

 そういう結論に、ジェイ・ゼルは達した。
 一番悦楽を与えたい相手は、自分の手では永遠に快楽を得ることはない。
 自分は――ハルシャにとっては、恐怖と恥辱そのものだからだ。
 恐らく。
 あの時の気持ちを、絶望というのだろう。

 たどり着いた結論に打ちのめされていた時、商売相手のギランジュ・ロアが、工場で見かけたハルシャを、抱かせてくれと相談を持ちかけてきた。
 工場長が、ハルシャはジェイ・ゼル様のものだから許可を得ろと言ってきたからなと、悪びれずに彼は言った。
 一笑に付し、断ろうとした。
 見越したように、ギランジュは多額の金を現金で、ジェイ・ゼルの前に積んだ。
 その金額があれば、ハルシャの借金が少し楽になる。
 と、ふと、隙間風が吹き込むような考えが、ジェイ・ゼルの中に忍び込んだ。
 金額の多さに驚いていると思ったのかもしれない、ギランジュは言葉を続けた。

 聞くところによると、かなり手こずっているようじゃないか、ジェイ・ゼル。
 私が、君の躾を手伝ってあげようか。

 ギランジュ・ロアは俗物だった。
 昨日も、街で商売をする子どもを宿泊施設に招いていた。
 自信にあふれた口調で、俺は躾が上手い、どんな子でも快楽に鳴かせてみせると言い切ったのだ。
 心が、動いてしまった。
 今なら、ばかなことだと切り捨てるだろうに、あの時自分は絶望の淵に居た。
 一縷のかすかな光に、すがってしまったのかもしれない。
 決して手管を使わないこと、ハルシャを傷つけないこと。彼が痛みを得たら中断すること。
 こまごまとした注文を付けたが、彼は解った、任せておけと気楽に請け合った。
 ジェイ・ゼルは、彼に簡単なメディカルチェックも受けさせ、ハルシャにうつす病がないことまで確認した。
 そこまでして。
 どうして――あんな男に、相手をさせようとしたのか。

 ふっと息を吐くと、長い物思いから浮上し、ジェイ・ゼルは前で、静かに自分の言葉を待ってくれていた、イズル・ザヒルへ顔を向けた。
「さきほど申しましたように、ハルシャは私の愛撫に反応しない体でした」

 イズル・ザヒルは、自分の本音を知りたがっている。
 そのことを、ジェイ・ゼルは手触りとして感じ取った。
 恐らく、彼がさきほど口にしたのは本当だ。
 再三、彼の大物の顧客から、ハルシャに対する打診があるのだろう。
 だが、イズル・ザヒルは、自分がハルシャを大切にしていると知っていて、握りつぶしてきてくれた。
 けれど。
 ここで、ジェイ・ゼルがギランジュ・ロアに、ハルシャを抱かそうとしたという情報を得て、自分が何を考えているのか確認しようとしている。
 もし――
 ジェイ・ゼルが、ハルシャに対してそれほど執着がないのなら、遊戯の場に呼び出すことも視野に入れているのだろう。

 この答え方一つで、ハルシャの今後が決まる。
 自分にとって、ハルシャ・ヴィンドースがどういう存在なのか。
 イズル・ザヒルは、それを尋ねているのだ。
 ジェイ・ゼルは静かに覚悟を集めると、包み隠さずに彼に告げることに心を決める。
 ハルシャを遊戯の場に引き出させることだけは、何としても阻止したかった。
 慎重に言葉を選びながら、ジェイ・ゼルは話しを続ける。

「彼は、名家の長子として育ち、俗世間を全く知らない無垢で純粋な少年でした。
 私が強いた性行為は、彼のこれまでの生き方に完全に背くものであり、強い倫理観で縛られてきた彼にっては地獄の責め苦に等しいものです。
 私はそれを彼に、五年間強要し続けてきたのです。心が壊れなかったのが不思議なほどです。
 ヴィンドース家の家長としての誇りと責任が、彼を辛うじて立たせていたのでしょう。私は彼の傷つきやすい心などお構いなしに、当然の権利として彼の身体を求めました。
 だから」
 言葉を切ると、静かに内省するように、目を伏せる。
「彼は、私に一切の反応を示しませんでした。どれほど快楽を与えようとしても、彼は頑なに私を拒み続けたのです」

 なぜ。
 自分はこんなに改悛するように、イズル・ザヒルに告げているのだろう、と、ジェイ・ゼルは心に呟く。
 ハルシャのためだ。
 彼と自分のことを理解してもらうために、自分は言葉を尽くしているのだ。
 ふっと、心に落ち着きを取り戻し、ジェイ・ゼルは続けた。

「それが、私は辛かったのでしょう。
 ギランジュ・ロアがハルシャに興味を示し、彼を求めた時、思ってしまったのです。
 彼なら、ハルシャの身の内の反応を引き出せるかもしれない。
 ハルシャ自身の中には本当は、快楽を求める心がありました。ただ、それが私だから反応できないだけで――
 ギランジュになら、ハルシャは反応するかもしれない。彼は私ではないのだから。
 そう思ったのです」
 吐息を一つ吐くと、ジェイ・ゼルは醜い心の内を、静かに吐き出した。
「もしかしたら、それは、ハルシャに対する私なりの罰だったかもしれません。五年間、愛撫に応えてくれないことに対する――他人に身を任せるように命ずることが」

 だから。
 止めなかった。
 ギランジュがハルシャの後孔に挿ろうとしたとき。
 自分の心が、引き裂かれるように痛んでいたのに、ジェイ・ゼルはギランジュを止めなかった。
 解っていたのに。
 ハルシャがどれほど、苦痛を受けているのかを――
 その苦しみを、この身に引き受けたいと思うほど、辛かったというのに。

「ハルシャが関わると、私は愚かになるようです」
 苦い言葉を、口から滴らせる。
「彼の苦しみでもっと自分が苦しめられると解っていながら、私は彼をギランジュ・ロアに抱かせようとしました。
 これが理由です。頭領ケファル

 目を上げると、イズル・ザヒルは手元のグラスを見つめていた。
 静かに彼は視線を上げて、ジェイ・ゼルを見つめる。

「なるほど。よくわかったよ」
 静かに杯を乾すと、彼は自分の手でグラスに新しいクラヴァッシュ酒を満たした。
「君の意図に反し、ギランジュ・ロアは媚薬を持ち出して来て――君は激怒した。なるほどね。それだけ大切にしていたのに、勝手に媚薬を使われたら、君としては腹に据えかねるだろう」
 静かな微笑みが、イズル・ザヒルの顔に浮かぶ。
「君は、本当に媚薬が嫌いだからね――」

 呟かれた言葉に、過去が蘇る。
 その記憶に、ジェイ・ゼルは形のいい眉をわずかに寄せた。

「それで――」
 イズル・ザヒルが、グラスを引き寄せて手に持った。
「ギランジュを怒らして去らした後、君とハルシャはどうしたんだね」
 
 ジェイ・ゼルは表情を変えなかった。
 彼は、現在のジェイ・ゼルとハルシャ関係を聞きたいだけだと結論付ける。

「部屋を、替わりました」
「ほう」
 イズル・ザヒルが微笑みを深める。
「ギランジュが持ってきた媚薬が、床にこぼれてしまいましたので」
「なるほど。あれは、粘膜から吸収される。鼻から身に取り入れられるからね、君にとってはたいそう不愉快だっただろう。それで?」
 それで――
「部屋を移り」
 言葉を切る。
 目を閉じて、静かにジェイ・ゼルは、告げた。
「彼と、愛し合いました」

 ふっと、小さな笑いを含んだ声が響いた。
「結果としては、良かったということではないか、ジェイ・ゼル」
 思いもかけない、優しい声が前から響く。
 ゆっくりと目を上げると、イズル・ザヒルがグラスを携えたまま、ジェイ・ゼルを見つめていた。

「俗物のギランジュのお陰で、懐かなかった彼も目が覚めたのだろう。君がどれだけ、ハルシャ・ヴィンドースを大切にしていたのか。
 人は、差異の中でしか、真実に気付けない。
 彼は君にしか抱かれていないから、他の者がどれだけ醜悪で自分勝手かなど、思ってもみなかったのだろう」
 ふふっと、彼は笑みを深める。
「よく解ったよ、ジェイ・ゼル。君の気持ちはね」

 静かに、グラスを傾けてから、彼は呟いた。
「私は気にしないよ。ハルシャ・ヴィンドースの借金が順当に返却されている間は。君がどれだけ赤毛の少年を囲い込もうと、大切に愛玩しようと。
 全く気にしない。好きにするといい。
 君が包み隠さぬ心を教えてくれたからね、私も君の係累として望まぬことは決して強いない。
 それだけ大事にしているハルシャ・ヴィンドースに、私の遊戯に参加しろとは言わないよ」

 もしかしたら、ほっとしたのかもしれない。
 自分の顔を見守りながら、イズル・ザヒルが静かに呟く。

「ただし、返却が順当な時、は、だ。
 滞るような場合は、考えさせてもらおう。さっきも言ったように、彼に興味を抱く者は多い」

 解っていた。

「ありがとうございます、頭領ケファル
 ハルシャの身の安全は守られたのだと、ジェイ・ゼルは、イズル・ザヒルに気付かれないように安堵の息を漏らす。
 愚かなことだ。
 逆らっていると、イズル・ザヒルにとられかねない言動を尽くしてまで、ハルシャを守ろうとするなど。
 本当に、愚かなことだ。
 その愚を、自分はハルシャと関わる限り犯してしまうのだろう。

「とりあえず、ギランジュ・ロアには断りを入れておくが」
 イズル・ザヒルの言葉に、ジェイ・ゼルは視線を上げた。
 彼は、クラヴァッシュ酒のグラスを弄んでいた。
「それで、ことが済むと思うのは、甘いかもしれないよ。ジェイ・ゼル」
 にこっと、彼は笑う。
「ギランジュはしつこく小才が効く男だ。その上、肝が小さい。ああいう男は厄介だ。逆恨みをして君の敵に回る」
 
 静かな言葉だった。
「申し訳ありません、取引先を潰すようなことをしてしまい――」
 ジェイ・ゼルの言葉に、彼は首を振った。
「そんなことは気にしていないよ。君がきちんと収益を上げてくれれば、私としては満足だ。君が困るだけで私は気にしない」

 それが、イズル・ザヒルの基本姿勢だった。
 最後の帳尻さえ合っていれば、彼は大らかに見逃してくれる。
 沈黙の後、イズル・ザヒルは小さく呟いた。

「あの男は、今後邪魔になるかもしれないな。裏でいろいろ姑息な手を使う人物だ」
 優しい笑みが、ジェイ・ゼルへ向けられた。
「早めに、始末をしておいてあげようか? ジェイ・ゼル」

 薄い色の瞳が静かに、ジェイ・ゼルの表情を見守る。
 始末。
 こともなげに、彼は言う。
 そうやって、反対勢力を潰しながら、彼はここまで事業を大きくしてきた。
 今。
 たった一回、首を縦に揺らすだけで、ギランジュ・ロアはこの世から消される。
 イズル・ザヒルが手を下したとは思われることなく、あたかも事故のようにみせかけて。

「お心はありがたいですが、元はと言えば私の浅薄さから出た身の錆です。ギランジュ・ロアのことは、自分で始末を付けます。頭領ケファルのお手を煩わせるまでもありません」
 ジェイ・ゼルの言葉に、ふふと、イズル・ザヒルは微笑む。
「君は、本当に人の命を奪うのが、嫌いだね――とても簡単で効果的なのにね」
「格別のご配慮を頂いているのに、申し訳ありません」
「いいよ」
 イズル・ザヒルが静かに呟く。
「命を奪うのは、君たちの本質に反するのだろうね」


 少し沈黙してから、彼は微笑みを、傍らの女性に向ける。
「すまないね、エメラーダ」
 優しい言葉が、静かに彼の口から、紡がれる。
「ジェイ・ゼルとの会話に夢中になって、食事も君も、ほったからしだったね」
「いいえ、イズル様」
 深く穏やかな、音楽的な響きのある声で、エメラーダが静かに語る。
「お兄さまに、深いお心をかけて下さって、本当にありがとうございます」
 君の兄だからね、と、イズル・ザヒルが優しく応える。

 その後は、日常の会話に戻り、静かに食事が進んでいく。
 ジェイ・ゼルは、会話の間に、食事を口に運ぶ間に、ふっと意識が遠くへ向かうのが止められなかった。
 はるか。
 惑星トルディアにいる、一つの命の元へと。

 彼は今、何をしているのだろう、か――
 自分の帰りを、待っているのだろうか。

   漂い出す思考を、ジェイ・ゼルは止めることが出来なかった。




 






Page Top