ほしのくさり

第83話  スペースコロニー『アイギッド』-01


 



 惑星ダナシアは、自由政府によって統治されている。
 企業に対して、税の優遇措置がなされるこの惑星は、多くの企業の隠し資金の巣窟となっていた。
 寛容な政策を隠れ蓑に、『ダイモン』の頭領ケファルイズル・ザヒルは、惑星ダナシアの空域に巨大なスペースコロニーを浮かべ、そこを自分の根城として長く商売を営んできた。

 ジェイ・ゼルは、スペースコロニー『アイギッド』から見下ろせる美しい青の星、惑星ダナシアの姿へ目を向けていた。
 彼方に目を馳せるジェイ・ゼルの前に、帝星さながらの豪華な食事が運ばれてくる。
 準備が整ったことを感じ取り、彼はゆっくりと視線を前に向けた。
 大きな四角いテーブルを挟んで、前には、彼の仕える『ダイモン』の頭領ケファルイズル・ザヒルが、静かに微笑んでいた。

 〇・七光年先の『アイギッド』には、時空航法を使って二時間前に着いていた。
 本来の会合の時間は、とっくに過ぎていた。
 イズル・ザヒルの配下の者たちが会合を行う中に、ジェイ・ゼルは遅れて入って行った。
 それでも、イズル・ザヒルは嫌な顔一つせずに、ジェイ・ゼルの事業の報告に注意深く耳を傾けている。報告は、ジェイ・ゼルが信を置く会計係、マシュー・フェルズが行った。そのために彼らを伴ってきたのだった。

 ジェイ・ゼルは定期的に頭領ケファルイズル・ザヒルの元を直接訪れ、報告と顔見せをするのが常だった。
 聞き終えたイズル・ザヒルは、前回よりも収益が上がっているね、と微笑み、褒め言葉を呟いた。
 業績を落とすことは出来なかった。
 自分が、イズル・ザヒルから特別扱いを受けていることは誰もが知っている。
 それに甘え、収益を上げることができなければ、叩かれるのはジェイ・ゼルだった。
 自分は常に、抜身の剣の中いた。
 甘く蜜が垂れる言葉を互いにかけあい、思いやりを滴らせながら、毒を含んだ眼差しで見つめ合う。
 周りは、全て、敵だ。

 イズル・ザヒルが、自分たちの働きに満足したことは、彼の部下たちに伝わった。
 次の会合まで、自分の首がつながったことを、ジェイ・ゼルは悟る。
 イズル・ザヒルは、上機嫌だった。
 『アイギッド』で行う催しも、富裕層に人気があり、着実に収益が上がっている。惑星アマンダで売れっ子になるほどの人材を、イズル・ザヒルは自分のコロニーに抱え、質の良いサービスを提供している。
 賭博と、売春と人身売買と、他では入手できない薬物や催事。
 それが、イズル・ザヒルの収益を支えている。
 どこの支配も受けない宇宙に浮かぶ白い島で、彼は思うままに利益を貪っていた。

 会合を終えた後、ジェイ・ゼルは個人的に食事に招かれる。
 羨望と嫉妬と憎悪の目を背中に受けながら、ジェイ・ゼルはイズル・ザヒルと並んで、コロニー内の彼の個人的なスペースへと進んだ。
 真っ白なテーブルクロスがかかる、豪奢なイズル・ザヒルの私的な食堂で、ジェイ・ゼルは彼と、彼の愛人――自分の双子の妹、エメラーダと向き合っていた。

 ブルー・グレーの瞳を細め、イズル・ザヒルが静かに微笑む。
「君が来るというので、エメラーダは昨日から、落ち着きがなくてね」
 愛しそうに、イズル・ザヒルは呟いた。
「今日もご機嫌で、とても顔色がいい」
 他には、冷酷な視線しか向けない『ダイモン』の頭領ケファルが、エメラーダに温かな眼差しを注ぐ。
 きれいだよ、エメラーダと、小さく彼は呟いている。
 
 ジェイ・ゼルも、双子の妹へ視線を向けた。
 彼女はイズル・ザヒルの横で、顔を愛人に向け静かに微笑んでいた。

 男女の双子だが、ジェイ・ゼルとエメラーダは、鏡に映したように酷似している。
 男性のジェイ・ゼルにくらべ、妹はもっと繊細な顔の作りで、芸術品のように美しかった。
 青い血管が透けて見えるほど、彼女の肌は白い。
 漆黒の黒髪は優雅に長く、柔らかに顔の周囲を取り巻いている。
 瞳は、自分と同じ灰色だった。
 細い首を動かし、彼女が兄へ顔を向ける。
 視線が出会うと、艶やかな笑みがエメラーダの顔に浮かんだ。
 ジェイ・ゼルも、微笑みを返す。
 喜びを表現しているのだろう。
 陶器のような染み一つない真っ白な肌に、ほのかな赤みが差し、えも言われない美しさを醸し出す。
 目を細めて、イズル・ザヒルは自分の最愛の女性を見つめている。
「君に逢えるのを、エメラーダはとても楽しみにしているのだよ、いつも」

 この上なくイズル・ザヒルに慈しまれている妹は、どことなく儚げで、頼りなげな風情を醸し出す。それが男の保護欲を刺激し、心を捕えて離さない。
 透明な美しさのあるエメラーダは、朝露に生まれた、妖精のようでもあった。

「今回は、少しゆっくりしていけるのかね、ジェイ・ゼル」
 イズル・ザヒルは、エメラーダの微笑みを眺めながら、ジェイ・ゼルに言葉をかける。
「火急の用がない限り、滞在していくといい。エメラーダも喜ぶ」
 妹は笑みを深めて、灰色の潤みを帯びた眼差しをジェイ・ゼルに注ぐ。
「ご配慮に、感謝いたします」
 ジェイ・ゼルは礼の言葉を呟く。
 イズル・ザヒルは、うなずくと、
「さあ、食事にしようか」
 と、机の上のグラスをとった。
 最上級のクラヴァッシュ酒だった。

 ふと。
 ハルシャのことが、ジェイ・ゼルの心をかすめて通り過ぎる。
 口移しで自分にクラヴァッシュ酒を飲ませようとしていた、彼の飾りのない懸命な姿が胸の中に痛みを持って蘇る。
 ――これでは、ジェイ・ゼルのご褒美にならない。
 こぼれたクラヴァッシュ酒を、ひどく慌てて、彼は自分の服から拭っていた。
 あれほど焦らなくてもいいものを。
 心に呟きながら、ジェイ・ゼルは思い出に静かに笑う。

 それを、イズル・ザヒルが目に留めたらしい。
「どうした。ジェイ・ゼル。やけにご機嫌だな」
 クラヴァッシュ酒のグラスを持ったまま、彼は眼差しを愛人の兄に注ぐ。
「失礼いたしました、頭領ケファル。少し、思い出すことがありまして」
 ジェイ・ゼルはそつなく、言葉を返す。
「素晴らしく美味な前菜ですね。これは、ナドルダ鴨のテリーヌですか」
「そうだよ。さすがだね、ジェイ・ゼル。君は舌が肥えている」
頭領ケファルのお陰です。感謝しています」
 ジェイ・ゼルの言葉に、静かに笑いながら、イズル・ザヒルはグラスを傾けた。
「さきほどは、君が可愛がっているペットのことでも、思い出していたのかな? ジェイ・ゼル」

 イズル・ザヒルは、全てをお見通しだった。

「申し訳ありません、頭領ケファル。私は、動物を飼っておりません」
 意図を感じながらも、詫びるようにジェイ・ゼルは言葉を返す。
 ふふと、イズル・ザヒルが笑みを深めた。
「ペット扱いしてはいけなかったかね? なら、きちんと尋ねて上げよう。君が特別に目をかけている、ヴィンドース家の子のことでも思っていたのかね?」
 静かな声が響く。
「相変わらず、手中の珠として愛玩しているようだね」
 笑いを含んだ声で、彼が微笑みながら言う。
 やはり。
 イズル・ザヒルは、全てをお見通しだった。

 ジェイ・ゼルは、すぐに応えられなかった。
 どう答えればいいのか、思慮を巡らせる。
 なぜ、ここでハルシャのことをイズル・ザヒルが持ち出したのか、理由を懸命に探る。
 いやな予感がする。
 イズル・ザヒルは、意味なく言葉を出す人ではない。
 ハルシャのことが話題の中心になる可能性があるということだ。
 意図が感じられた。

 沈黙するジェイ・ゼルの耳に、優しいイズル・ザヒルの声が響く。
「君がかつてないほどに、大切にしているからね。
 みんなが、赤毛の少年に興味を持ってしまってね――ここへ呼んでくれと、よく要望を受ける」
 ジェイ・ゼルは、表情を動かさなかった。
 淡々と、イズル・ザヒルが続ける。
「惑星トルディアでは、知らない人がないほど有名なヴィンドース家の直系であるのも珍しいし、極めて美しい品の良い顔立ちに、赤毛と金色の瞳の組み合わせもまた稀有だ。
 その上」

 言葉の力に、ジェイ・ゼルは視線を上げて、イズル・ザヒルを見た。
 彼の薄色の瞳が自分を捉えている。

「君が手元から離さず、五年もかけて、性技を身体に仕込んでいる」

 ゆっくりと、イズル・ザヒルの顔に笑みが浮かんだ。

「さぞ美味だろうと、皆は興味津々なのだよ。
 一切外に出さず、人目に触れもさせずに、君が囲い込んでいるからなおさらだ。
 隠されると、人は知りたくなるものだよ。
 君が大切にしているハルシャ・ヴィンドースという存在を――さぞ具合がいいのだろうと皆が思っているようでね、噂が独り歩きをしている。
 私は客が求める遊戯を提供するのを、信条としているからね。
 あまりに要望が上がると、経営者として否むことが難しくなる」

 微笑むイズル・ザヒルに、ジェイ・ゼルは笑みを返せなかった。
 灰色の瞳を、真っ直ぐに、彼に向ける。
 イズル・ザヒルの目が、細められた。

「悪い話ではないよ、ジェイ・ゼル。特別にオークション形式で権利を競らせ、高値を付けた者に抱かせてやれば、彼の借金も楽になるのではないかな。
 希少性を考えれば、一晩で二〇〇ヴォゼルは固いだろう。
 もちろん、金額相応の行為は強制されるだろうが――君の仕込みだ。耐えられるのではないかね」

 短い沈黙の後、ジェイ・ゼルは口を開いた。
頭領ケファル
 真っ直ぐに、妹の愛人であり、自分の恩人である男を見つめる。
「私は――皆さまが思われる以上に、相当悪趣味かもしれませんよ」
 
 イズル・ザヒルの目が、ジェイ・ゼルを見つめる。
 その眼を見返したまま彼は続けた。

「五年間仕込んだ、と言えば聞こえはいいですが、逆に、仕込むのに五年もかかったと申し上げた方がいいかもしれません。
 私の教育不足で、愛撫にろくに反応出来なかった身体です。
 あなたが各地から集められた、素直で物覚えのよい、優秀な子たちと比べ物にもなりません。
 ここでの遊戯に出すのは、考え直された方が賢明です。彼の質の悪さに、頭領ケファルが築かれてきた評判が下がっては、大変申し訳ないことです」

 言葉に必死さがにじまないように、慎重に配慮しながら、ジェイ・ゼルは修辞法を駆使して畳みかける。

 オークションに参加する客は、加虐趣味の者が多い。その上、行為に刺激を求める。
 金で買った身体をどう扱おうが自分の勝手だと、傲慢な行為に及ぶのがほとんどだ。
 それが、ハルシャの身に与えられたらと思うだけで、ジェイ・ゼルは血が逆流しそうになっていた。

 冷静になれ。
 イズル・ザヒルは、命令をしているのではない。
 打診をしているだけだ。
 ハルシャ・ヴィンドースを本気でオークションにかけるのなら、たった一本の連絡が来るだけだ。日時の指定と、ハルシャを伴えというたった一言だけ。
 彼は、愛人の兄に対して、経営者ではなく個人的に尋ねている。
 まだ、交渉の余地はあるはずだ。

 自分に言い聞かせながら、ジェイ・ゼルは言葉を続けた。

「たとえ、オークションで高値を付けて頂いても、お客さまを失望させることは目に見えています。
 私が囲い込んでいると、皆さまは誤解なさっているようですが、むしろ……彼を外に出せない状態だと申し上げた方が適切かもしれません。とても頭領ケファルの供する遊戯で、ご満足いただけるレベルではございません」

 どうして。
 ハルシャに対してそんな動きが出たのだろう。

 ジェイ・ゼルは推理を巡らせる。
 これまで遊戯に出すなどという話は一切なかった。
 ハルシャを自分が相手として選んでいることは、イズル・ザヒルは五年前から知っている。全て承知の上でハルシャを手元に置いていた。
 なのに、なぜ。

 ふっと、イズル・ザヒルが微笑む。
「そんなに、必死にならなくても良いよ、ジェイ・ゼル。冷静な君らしくないね」
 彼はグラスを引き寄せると、静かに口に運んだ。
「なるほどね」
 クラヴァッシュ酒を賞味してから、彼はグラスを静かに置いた。
「赤毛の少年に入れ込むあまり、君は――ギランジュ・ロアを手ひどく怒らせたのだね」

 奴か。

 ジェイ・ゼルは納得すると、目を細めた。
 あの時に恥をかかせた意趣返しを、ギランジュ・ロアはこんな形でしようとしたのだ。
 頭領ケファルであるイズル・ザヒルを焚きつけ、ハルシャを傷つける行為に及ぼうとしている。
 オークションを持ちかけたのもギランジュ・ロアだろう。
 個人としてではなく、客としてハルシャを買うために。
 遊戯の一部に組み込み、ジェイ・ゼルが拒否できないように持ち込もうとしたのだ。

「私事でご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ありません。頭領ケファル
 ジェイ・ゼルは、静かに頭を下げた。
「ギランジュ・ロアとの個人的なことで、ご不快な思いをさせました」

 ふふっと、イズル・ザヒルは笑みを絶やさずに言う。
「すごい剣幕で、私のところにギランジュ・ロアが来てね。君がヴィンドースの直系を囲い込んでいるのは卑怯だと言い出したのだよ。
 私の管轄下にあるのなら、遊戯に供してくれと――
 いくらでも金額を吊り上げて、何としてでも抱きたかったらしい。
 私からの言葉なら、君は拒めないと思っていたようだがね」

 くっくと、喉の奥で、イズル・ザヒルが珍しく笑い声を上げる。

「なんでも、ギランジュ・ロアにおあずけを喰らわせたんだってな。そこまで思わせぶりに行為をさせながら、肝心なところで怒らせて放りだしたそうじゃないか」
 しばらく、彼はくっくと笑っていた。
「男の矜持がずたずたになっていたようだぞ、ジェイ・ゼル」

 笑みを消して、ジェイ・ゼルは机の上の、華やかに盛り付けられた料理を見つめていた。
「御聞き苦しいことで、お耳を汚して申し訳ありません」
 ひたすら、ジェイ・ゼルは詫びた。
 まさかギランジュが、自分にではなくイズル・ザヒルに鬱憤を持って行くとは思っても見なかった。
 姑息で卑怯な男だと思っていたが、そういう手に出たのだ。
 ゆっくりと笑いを収めると、イズル・ザヒルは穏やかな声で呟いた。

「五年――」
 静かなイズル・ザヒルの薄い青を帯びた瞳が、ジェイ・ゼルを見つめる。
「君は、少年の硬い体を、自分の手だけで大事に開発してきた。そこまでして大切にして来たハルシャ・ヴィンドースを――どうして、あんな男に相手をさせようとしたのかな? 私はそれが知りたいのだけれどね、ジェイ・ゼル」







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