メドック・システムに身を預け、ハルシャは、身の内の震えに耐えた。
今、メリーウェザ医師は、再び自身の内側を見せてくれている。
自分では処理しきれない、押し寄せる現実に、うろたえ怯えるハルシャのために。
「メリーウェザ先生……」
もう、いいです。
と言いかけた言葉を制するように、彼女は話しを続けた。
「許されないことだ。血縁関係にある叔父と姪の結婚は、帝国法で禁じられている。解っていたから、私は一言も叔父に自分の思いを告げなかった。
気付かれないように、慎重に隠し続けていた。
知れば、叔父が苦しむ――私は叔父にとって姉の遺児に過ぎない。
私が成人したら、叔父の保護者としての責任は終わる。
前にも言ったように、側に居る理由を作るために、私は叔父の宇宙船の船医になった。
必死だったよ。宇宙船乗りを目指す子は、ほとんど三歳ぐらいから専門の知識を積み重ねていくからね。私はいかにも、スタートが遅かった。
だが――叔父と一緒の宇宙を飛ぶために、がむしゃらに学び続けた」
ふふと、彼女は笑う。
「動機が不純で、その上、みっともないだろう? だが、それしか叔父と一緒に居られる方法がなかった――」
遠い場所を、彼女は見つめる。
「宇宙船への切符を手に入れた時は、歓喜のあまり、気がどうにかなりそうだった。叔父も手離しで喜んでくれていた。
危険な航路を、リスク覚悟で突っ込んでいく叔父の航宙は、結構怪我人がでたからね――」
過去を思い出すのか、彼女は優しい眼差しになっていた。
「楽しかったよ。この上なく」
視線が不意にハルシャに向けられる。
「宇宙船の中で、よく宴会を開いて、ぐでんぐでんになるまで仲間たちと、飲み明かした。目が覚めると必ず自分の部屋に居て――いつも叔父が、酔っぱらった私を、自室まで運んでくれていたらしい。
幸せだったよ。愛する叔父の側を離れずに、ずっと居られる。それだけで私は十分だった。
だが――」
言葉を途切れさせると、ミア・メリーウェザは、不意に眉を寄せた。切ない眼差しをハルシャに向けながら、
「自分の幸せの陰で、苦しんでいる人がいるなど私は思いもしなかった」
と、血が滴るような言葉を呟き、再び沈黙した。
自分の内側を見つめるように、彼女は目を閉じた。
「叔父の宇宙船に乗務員として登録されてから、十五標準年が過ぎた頃だった。
厳しい旅程を潜り抜け、無事に荷物を届け先に渡した後、船長命で一標準日の休暇が寄港地で与えられた。
豪華な宿泊施設に泊まる許可も下りた。
私は久々の地上に、きっと嬉しかったんだろうな。
皆は外へ遊びに行ったが、私は叔父の部屋を訪ねていって、そこで一日をすごしていた。少しでも、一緒に居たかったんだ。
部屋のソファーに寝ころんでいた時、横でニュースを眺めていたキルドン叔父が、ふと言ったんだ。
ミアには、いい相手がいないのかい、と。
唐突に切り出されて、私は戸惑った。
まだ宇宙が楽しくて仕方がないから、先のことは考えていないと、私はとっさにごまかすように言った。
叔父は、そうか、と微笑みながら、一瞬、子どもの頃のように髪を撫でようとして、手を引っ込めたんだ。
沈黙の後、叔父は静かに呟いた。
ミアが幸せになってくれるのを、私は願っているよ、と。
私は、盛大に笑いながら、起き上がって、叔父に返した。
なら、今、私はとっても幸せだから、安心して。叔父さんの宇宙船に乗って、みんなと旅をするのが、楽しくて仕方がない、と。
キルドン叔父は、優しく微笑んで、静かに言った。
私は、姉さんからミアを預かっていると考えているんだ。ミアには、姉さんと義兄さんの分まで幸せになって欲しい。
しばらく沈黙してから、次に、思いもかけないことを言った」
彼女の眉が、細かく震えていた。
「もう、
メリーウェザ医師は、目を閉じたまま、静かに首を振った。
「突然、繋いでいた手を、振りほどかれたような気がした。
どうして、と、私は叔父に迫った。
叔父と暮らしはじめてから今まで、キルドン叔父は、一度も私に反対の意見を言ったことがなかった。いいね、ミアと言って、どんなことでも支援してくれていた。
なのに――叔父はもう、自分の
ゆっくりと、ミア・メリーウェザが目を開いた。
その時の衝撃がまだ残っているかのように、彼女の目は潤んでいた。
「意味が解らなかった。
自分は宇宙船乗りとして、どこかふさわしくないところがあるのか、あるなら直す。どうか乗せてくれと、私は叔父に懇願した」
ふふっと、彼女が笑う。
「たとえ叔父でも、船長だ。船長の命令は絶対だった。それが、あやふやなことの多い宇宙にあって、たった一つ、揺るがせない鉄則だからね。
私はただひたすら、乗せてくれと言い続けることしか出来なかった」
苦しげに、それでも、彼女は笑う。
「だが、叔父の意志は固かった。この船に乗っていては、ミアは幸せになれないよ、降りなさいと、私が散々喋った後、叔父が言ったんだ。最後通告だった。
私は船を降ろされた」
ふっと、息をメリーウェザ医師が吐いた。
「当時の私は愚かだった。
そこで引き下がればいいのに、今まで自分の意思を尊重してもらっていたことに、甘えていたんだろう。
どうして幸せになれないんだと、叔父に詰め寄った。
この船を降りて、どうして自分が幸せになると思うのだと、船長に食って掛かったんだ。
それでも叔父は忍耐強く、なにも宇宙船に乗るなと言っている訳ではない。この宇宙船に乗っていては、ミアは幸せになれないと、そう言っているだけだ。
ミアは優秀だ。すぐに乗る宇宙船がみつかるだろう、と、懸命に言葉を尽くしてくれた。
だが。
私は叔父の船でなければ意味がなかった。
宇宙など、どうでも良かった。
叔父が生きるのが宇宙だから、私はそこを居場所に選んだだけだ。
突然の酷い仕打ちに、私は恐らく激怒していたのだろうな。
その時、私は、若くて、愚かで、浅はかだった。
叔父が懸命に真実を隠して自分を傷つけないようにしてくれていたことに、一片も気付かなかった」
過去の自分に、困ったように彼女は笑った。
「なぜ宇宙船を降ろされるのか、理由を教えてくれ、それが納得できなければ、自分は降りない、と、叔父に食い下がったんだ。
その瞬間、叔父の雰囲気が変わった」
茶色の目が、ハルシャを見つめる。
「本当の理由を知りたいのか、ミア。低い声で、彼は言ったんだ。
初めて聞く、叔父の声だった。
怒らせた。
瞬間、私は悟った。
叔父の許容を、自分は踏み越えてしまったらしい。
船長の命令は絶対で、口答えは許されない。解っていたはずなのに、自分は身内という安心感からその禁を犯してしまった」
組んでいた腕が滑り、彼女はゆっくりと、自分自身を抱きしめた。
「それでも、まだ、叔父が自分に甘いと、思ってしまったのかもしれない。
私は、生意気にも、知りたい、本当の理由を教えてくれと、叔父の目を見て、宣言した。
その瞬間、私は手首を叔父に捕えられて、並んで座っていたソファーに、押し倒されていた。
目の前に、見たことのない表情の叔父がいた。
彼は真っ直ぐに自分を見て、そして言ったんだ」
首を伸ばし、凛として彼女は続けた。
「『このまま一緒の宇宙船にいたら、いつか、私は君にこうしてしまう。
叔父と姪でいるうちに、私の
叔父が、かつて告げた言葉を呟いてから、彼女はしばらく沈黙していた。
ぎゅっと自分自身に腕を回しながら、ミア・メリーウェザは、これまで見たことのない、静かな内省をにじませる表情になった。
「叔父は気付いていたんだ。
私が、気が狂いそうなほど、彼を、愛していることに――」