ほしのくさり

第77話  身に秘める毒-01



 



「今度は一体何があったんだ? ハルシャ」

 深夜に叩き起こされたミア・メリーウェザは片頬を歪めて笑った。
 ハルシャの腕に横抱きにされたリュウジの様子に目を止めて、彼女は素早く二人を中に招き入れる。
 寝間着姿で長い髪を揺らし、先導するように歩きながら、問いをハルシャに投げかけている。
 
「ひどい熱を出している」
 腕に荒い息をもらすリュウジを抱えて、ハルシャは足早に医療室へむかう、メリーウェザ医師の横に従った。
「右の手の平に怪我をして、まだ血が止まっていない」
 ずり落ちかけたリュウジの身体を、抱え直す。
「その上、ファグラーダ酒をかなりの量、飲んでいる」

 ふむ、とメリーウェザ医師が呟きをもらす。
「優先順位は、一、ファグラーダ酒の解毒。二、手の縫合。三、解熱剤の投与。だね」
 意識を失う体を運びながら、ハルシャは眉を寄せた。
「リュウジは帰りの遅い俺を、ずっと部屋の前で待っていた」
 ラグレンはほとんど気温の変動はないが、それでも恒星の恵みを受けられない夜は、相応に冷える。
 苦しい思いが、言葉となって滴り落ちる。
「こんなに、熱があるのに――」

 メリーウェザ医師が医療室の扉を開ける。
 壁の横に触れて、素早く照明をつけた。

「リュウジにはどうしても、ハルシャに話したいことがあったんだろうね」

 呟きが彼女の口からこぼれた。
 言い方に、ハルシャは眼差しをリュウジから医師の背中に向ける。
 足早に、メリーウェザ医師はメドック・システムへと進んでいく。

「強制解毒をする」
 迷いのない動作でメドック・システムを素早く起動させ、画面に指を走らせる。
「解毒用の高酸素の液剤に全身を浸して、体液を強制的に交換する――いつもは使わない機能だから、ちょっと設定に時間がかかるが――」
 独り言のような言葉をハルシャに与えながら、引き締まった顔で操作を続ける。

 メリーウェザ医師の指先が何かを押したらしい。
 軽い駆動音がして、以前と同じように、円柱状のメドック・システムの上部が割れて、人が横たわるだけのスペースが現れる。
 かつて指示された向きで、ハルシャはリュウジを横たえようとした。

「ハルシャ。リュウジの服を脱がせてくれ。なるべく広い体表面を液剤に浸す必要がある。服が邪魔だ」
 操作画面から手を離しながら、メリーウェザ医師が視線をハルシャに向ける。
「倉庫から、強制解毒用の液剤を運んでくる。服を脱がせてリュウジを入れておいてくれ」

 言い捨てて、彼女は足早に医療室を出て行った。
 前回、体の怪我を治すときは、体半分がひたるぐらいの液の量だった。
 だが。
 今回は全身を、浸ける必要があるようだ。
 メリーウェザ医師は、それほど今のリュウジの状態が危険だと判断している。

 ハルシャは唇を噛み締めると、腕に抱くリュウジの足先の方を、先にメドック・システムに入れ、腰から下を機械の床に預けると、膝の裏の手を抜いた。
 そのままリュウジの上半身を起こした状態で支え、自分にもたれさせる。
 彼の熱を帯びた息遣いが、ハルシャの服に触れている。
 苦しそうだった。
 限界の状態で、彼は部屋の外で自分を待ち、懸命に知った事実を伝えようとしていた。

 ハルシャは目を細める。
 得た事実から、彼は一つの結論を導き出した。
 巨額の借金は、ジェイ・ゼルが仕組んだことだとリュウジは言いたかったのだ。両親はジェイ・ゼルによって殺害されたのだと。
 必死に否定するハルシャの顔を、彼は静かに見つめていた。
 悲しむように、辛そうに、切なげに。

 首を一振りすると、メリーウェザ医師から託された仕事に取り掛かった。

 熱でぐったりとするリュウジの上体を、自分の身で支えながら、ハルシャは手際よく服を脱がせていく。
 リュウジが着ているのは、ハルシャの服だった。
 作業用の服を買いに行く時間がなかったために、サーシャが一番きれいな服をとりあえずリュウジに着てもらっていたのだ。

 最初にメドック・システムに運んだ時は、ほとんど服が原型をとどめておらず、メリーウェザ医師も急かしたために破れた服のまま入れている。
 だが今回は、体表を広く液剤に浸けるため、服を除去する必要があるのだ。
 リュウジの力の抜けた身体をそっと動かし、ハルシャは服を取り除く。
 触れた素肌は、燃えるように熱い。
 ハルシャの手が冷たいのか、彼は小さく呻いた。
「すまない、リュウジ」
 聞こえないとわかっていても、ハルシャは詫びを呟いた。

 熱のこもる後頭部を支えながら、静かにリュウジを機械の中に横たえる。
 脱がせた服を身にかけ、寒さを得ないようにしてから、ハルシャは下穿きも取り去った。
 メリーウェザ医師が帰ってくるまで、脱がせた服で身を覆い待機する。
 部屋の空気が冷えているのか、服をまとわないリュウジの身が、小さく震え出した。

「寒いか、リュウジ」
 身にかけた上着の上から、ハルシャは手を触れる。
「すぐに、メリーウェザ先生が治療してくれる。もう少しの辛抱だ」

 彼の汗を帯びる髪に触れる。
 触れる場所がひどく熱い。
 一体、体温は何度あるのだろう。これほどの熱は、サーシャも出したことがない。
 苦しげに息をするリュウジの髪を、ハルシャは妹にするようにゆっくりと撫でた。
「もう少しで楽になる。大丈夫だ、リュウジ」

 声に、かすかにリュウジが反応を示した。
 閉じていた睫毛が震えて、わずかに目を開く。
 潤んだ瞳が宙を漂い、何かを探している。
 ハルシャは、顔を寄せて、リュウジへ声をかけた。
「リュウジ、苦しいか。もう少しの辛抱だ」

 深い藍色の瞳が、ハルシャを認めた。
 しばらく据えられてから、唇が動いた。
「――ハル……シャ」
 消えそうな声が、自分の名を呼ぶ。

 顔を寄せたまま、ハルシャは彼の髪を撫でながら安心させる言葉をこぼす。
「メリーウェザ先生が、ファグラーダ酒の強制解毒の準備をして下さっている」
 ハルシャの言葉に、リュウジがゆっくりと瞬きをする。
「何も心配しなくていい。大丈夫だ、すぐ楽になる」

 リュウジが、腕を上げる。
 弱々しい動きに、とっさにハルシャはその手の平を受けた。
 傷を負った、右の手の平だった。
 顔を赤く熱に染めながら、リュウジの唇が動く。
 彼の言葉を聞こうと、ハルシャは耳を口元に近づけた。
 熱い息と共に、言葉が切れ切れに呟かれる。

「しごと……に」

 仕事?
 いぶかりながらも、ハルシャは彼の言葉に意識を傾けた。
 ハルシャの手を、弱い力で握りながらリュウジが呟く。

「いっ……しょ……に」

 仕事に、一緒に?
 こんな時でも真面目な彼は、仕事の心配をしているのかもしれない。
 危惧を解くようにハルシャはリュウジの耳元に呟いた。
「仕事のことは気にするな。大丈夫だ。工場長に言っておく」
 その言葉に、リュウジが首を振る。
「ひとりに……に……したく……な…い」

 ぐっと、リュウジの手に力が籠る。
 
 独りにしたくない。

 職場で、ハルシャが一人になる状況を心配しているのだ。
 だから、一緒に明日も仕事に行くと、伝えようとしたのだ。
 ひどい熱に意識が朦朧とする中で、リュウジは――
 自分の身よりも、ハルシャのことに心を砕いていた。
 
「リュウジ――」

 それ以上の言葉が出なかった。
 怪我をしていると解っていても、ハルシャは触れるリュウジの手を握り返していた。

 ゆっくりと瞬きをしてから、リュウジは再び、目を閉じた。
 手から力が抜ける。
 意識が混濁してきたようだ。
「リュウジ!」
 熱のある頬に触れる。

 不意に、医療室の扉が開かれた。
 無重力移動装置に四角いコンテナを積み、メリーウェザ医師がよっこいせと押してきていた。
「手伝ってくれ、ハルシャ。メドック・システムにこいつを接続する」
 
 メリーウェザ医師が運んで来たのは、充填用と書いてある、高酸素含有の解毒用液剤だった。
 普段は使っていない機能らしく、メドック・システムの上の端を開けて、パイプを引っ張り出している。そのパイプをコンテナの最下部の金具に接続する。

 作業は、メリーウェザ医師の指示により、ハルシャが行った。
 接続部から少し流して、液漏れがないことを確かめると、うんと、メリーウェザ医師がうなずく。
「よし、強制解毒を始める。ハルシャ。リュウジの服をとっぱらってくれ」

 リュウジの体を隠すようにかけてあった服を、指示に従ってハルシャは身から取り去った。
 彼は、服を着ると華奢に見えるが、意外と筋肉質だった。
 そして、透明感のある白い肌をしている。
 ぐったりと機械に身を横たえるリュウジの様子に、ハルシャは眉を寄せる。
「ほい、閉めるよ。手を引いて、後ろに下がってくれ、ハルシャ」

 自分は服を取り去ったまま、リュウジの腕に手を触れて、立ち尽くしていたようだ。
 メリーウェザ医師の注意を受けて、素早く数歩後ろに下がる。
 彼女はいつの間にかコンテナの側を離れ、操作画面に指を走らせていた。
 静かに、メドック・システムの上部が閉じる。
 同時にごぼごぼと、コンテナから音がし始め、一瞬の間の後、ざーっとパイプの中を、メドック・システムに向けて液剤が流れ込む。

 メドック・システムの上部は、顔の部分だけ透明な素材になっている。
 ハルシャはそこから、治療を受けるリュウジの様子を見守っていた。
 液の容積がだんだん増えていく。
 黒い髪が液の中でたゆたう。
 耳が浸かり、次第にリュウジの顔が液に飲み込まれていく。

「苦しくないのか、メリーウェザ先生」
 その様子に、思わずハルシャは問いかけた。
「大丈夫だよ。解毒剤には高濃度の酸素が含有されている。肺が液剤で満たされても、きちんと酸素は肺胞から取り込まれる。厄介なのは、液を抜くときだが、まあ、慣れた作業だ」
 心配そうな顔をしていたのだろう、メリーウェザ医師が静かに笑いながら言う。
「おぼれやしないから、安心しろ。ハルシャ」

 凄まじい勢いで、液がメドック・システムの中に注いでいく。
 ほんの数分で、中が完全に液で満たされた。
 その中に、揺らめくように、リュウジの姿が見える。
 彼は、ひどく無防備だった。

 画面を読んでいたメリーウェザ医師が、
「一時間ほどで、解毒が完了する。まあ、解毒具合としては、中程度かな」
 と、ハルシャに明るい顔を向けながら、診断結果を述べる。
「リュウジが飲んでいた量は、約九八〇リグレン相当。ファグラーダ酒一瓶を、一人で空けた計算になるな」

 ハルシャは、開いた口がふさがらなかった。
「ファグラーダ酒を、一瓶空けたのか、リュウジは……」
 メリーウェザ医師がうなずきで、同意を示す。
「メドック・システムは、そう計算している。きっと」
 にこっと、ミア・メリーウェザが笑う。
「宇宙海賊とでも一緒に杯をみ交わしたんだろう。彼らは何かあると、ファグラーダ酒で乾杯するからな」

 悪い冗談だ。
 宇宙海賊が惑星トルディアにいるはずがない。

 笑えない冗談に、ハルシャは黙り込んだ。
 液剤の中のリュウジは、苦しげな顔はしていない。
 むしろ、次第に表情が穏やかになっていくようだ。
 解毒が作用し始めているのだろう。
 リュウジの様子を、ハルシャはじっと見つめ続けていた。

「どうした、ハルシャ。リュウジとの間に、何があった」

 長い沈黙の後、メリーウェザ医師が静かに問いかけた。

 リュウジの顔から、目が上げられなかった。
 沈黙するハルシャの耳に、再び彼女の静かな声が響いた。

「サーシャに聞かせたくないどんな話を、リュウジは君にしたんだ、ハルシャ」

 お見通しだ。
 メリーウェザ医師は、とても鋭い。
 リュウジが部屋の外で待っていたという情報から、彼女は状況を的確に導き出したらしい。

 重くはない沈黙をまといながら、ミア・メリーウェザは、ハルシャが話し始めるのを忍耐強く待っている。
 熟れた果物のようだったリュウジの顔の赤みが、徐々に引いていく。
「熱は、ファグラーダ酒のせいもあったようだな」
 不意に、メリーウェザ医師が、ハルシャから計器へ顔を向けながら呟いた。
「体温が下がって来た。安心しろ、ハルシャ」

 ほっと、安堵が身の内に広がっていった。
 心が和らいだのかもしれない。
 ハルシャは、口を開いていた。

「リュウジは、俺たちの借金のことを知っていた」
 
 呟いてから、目を上げる。
 メリーウェザ医師は腕を組んで、静かにハルシャを見つめていた。
 見守るような優しい瞳に向けて、ハルシャは呟く。

「以前、ここで先生と交わした会話を、奥で聞いてしまったようだ。俺が気にするから、黙っていたらしいが、相当心配していたのだろう。今日も、再び訪れた廃材屋から、借金相手のジェイ・ゼルの情報を聞き込んできて、俺に伝えてくれようとしていた」

 ハルシャは、視線を、目を閉じるリュウジの顔へ戻した。

「俺が借金をしているのは、ジェイ・ゼルという男だ。
 彼の後ろには、『ダイモン』という、悪質な組織があるらしい。イズル・ザヒルという人物が頭領ケファルで、ジェイ・ゼルはその下で働いている」
 棘のあるもので、無理矢理に全身を拘束されたような、痛みと苦しさが身を覆う。自分の内側を見つめながら、ハルシャは、ぽつ、ぽつと話した。
「『ダイモン』は違法な行為も平気で行う闇の組織で、目的のためには手段を選ばない。
 リュウジは――」

 必死に告げていた、リュウジの眼差しを思い出し、ハルシャは目を細めた。

「ジェイ・ゼルが――」
 胸が引き裂かれるような痛みを覚えながら、ハルシャは無理矢理に言葉を続けた。
「爆破事故を偽装して、俺の両親を殺害し、自分たちに不当な借金を背負わせていると考えている。それを教えようと、部屋の前で俺を待っていた」

 口をつぐむと、随分顔色が良くなってきたリュウジの姿を視界に捉える。

 あの時、リュウジははっきりとしたことは口にしなかった。
 ジェイ・ゼルが、両親を殺害したのだろうとは。ただ、真実をすでにハルシャは知っていると彼は言った。
 見つめるのが、恐いだけなのだと。
 言葉を濁した原因を、ハルシャはうっすらと悟る。
 リュウジは知ってしまったのだ。自分とジェイ・ゼルの関係を。
 ジェイ・ゼルは、ハルシャが自分の相手なのだと、誰にはばかることなく態度で示している。
 だから。
 オキュラ地域では有名なのかもしれない。
 情報通の廃材屋から、リュウジは事実を聞かされたのだろう。
 ふっと、小さな息が漏れる。
 
 ジェイ・ゼルが、好きなのですね、ハルシャ。

 優しい言葉だった。
 その後、彼は唇を触れ合わせた。
 欲望を少しも感じない、穏やかな口づけだった。
 今。
 リュウジが、どうして突然、そんな行動に出たのかわかるような気がした。
 彼は――
 ハルシャが何も言わなくてすむように、唇を封じたのだ。

 そうだ、とも。
 違う、とも。
 ジェイ・ゼルとの関係を示す言葉を、リュウジはハルシャに言わせなかった。
 
 ハルシャが言いたくない言葉を、言わなくても良いと――言葉の代わりに、行動で示してくれたのだ。
 熱で意識が朦朧とする中で、それがリュウジにとれる、精一杯の行動だったのだろう。

 誰にも、触れられたくないことは、あるのに……僕は。

 必死に詫びていた、リュウジの言葉を思い出す。
 表面上、穏やかに過ごすだけなら、リュウジは黙っていれば良かった。借金に気付きながらも、何事もなかったように一緒に笑って暮らせばよかったはずだ。
 だが。
 リュウジは見逃さなかった。
 ハルシャたちの窮状を。
 何とかしようと、彼なりに働きかけを行ってくれていたのだ。
 ジェイ・ゼルの話も――
 偶然話題に出たことではなく、リュウジが切り出したのだろう。
 自分たちが借金をしている相手が、どんな人物かを知るために。

 そうか。
 ハルシャは、一人で納得した。

 以前に工場にジェイ・ゼルが来たら紹介すると言った時、彼は無言だった。
 礼儀正しい彼にしては珍しいとその時思った。
 彼は、ジェイ・ゼルに対して、不信感を抱いていたのだ。
 ハルシャに対する不当性を、その時からリュウジは感じていたのかもしれない。
 何かが、かちん、かちんと組みあがっていく。
 手に傷を負いファグラーダ酒に体を炙られながら、彼は懸命にハルシャに得た事実を伝えようとしていた。

 その優しさが、身を切るように、痛かった。

「で」
 ミア・メリーウェザの声が、低く唸るメドック・システムの音の向こうに聞こえた。
「ハルシャは、どう思うんだ」

 自分は、どう思うのか――
 聞かれても、すぐに答えられなかった。
 穏やかに液剤の中で目を閉じる、リュウジの顔を見つめる。

「両親が、誰かに意図的に爆発物を仕掛けられて、殺害されたのは事実だ」

 長い沈黙の後、やっと、ハルシャは口を開いた。
 ラグレンの警察から、爆発物が特定できないとは聞いていた。
 しかし、母のすぐ側で爆発は起き、父も巻き添えになり死亡した。
 それだけは、確実だった。

「だが――」
 ハルシャは、ぎゅっと手の平を握り込んだ。
「それがジェイ・ゼルの差し金とは思えない」

 違う。
 思いたくない。
 だ。

 自分だけに聞こえるように、小さく呟く。
 息が、苦しい。
 懸命に平静を保ちながら、ハルシャは言葉を続ける。
「どんな悪質な闇の金融業者でも、違法な組織に所属していても、ジェイ・ゼルは――人の命を奪うことまではしないと思う」
 
 ジェイ・ゼルが、好きなのですね、ハルシャ。

 リュウジの優しい声が、再び耳に響いた。
 
 ジェイ・ゼルを、信じたかった。
 信じさせてさせてほしかった。
 必死に真実を告げようとしていた、リュウジの優しさがただ、痛かった。

 小さな吐息が、メリーウェザ医師の口からもれた。
「なら」
 声の持つ力強さに、ハルシャは彼女へ顔を向けた。
「信じればいいんじゃないのか、ハルシャ」
 深い茶色の瞳が、ハルシャを見つめていた。
「自分の人生だ。自分が信じるものを、信じ抜けばいい。
 誰が何と言っても――相手の言うことが、たとえ真実であったとしても、自分が信じたいものを、信じればいい」
 ミア・メリーウェザが静かに微笑む。
「正しいか、間違っているかなんて、どうでもいいことだ」

 瞳の奥の光に、ハルシャは打たれた。
 腕を組み、寝乱れたままの長髪で、ピンク地に黄色のひよこ模様の寝間着姿のメリーウェザ医師には、何かを越えた者の強さがあった。
 
 腕を解くと、彼女はさらっと髪をかき上げた。茶色の髪が、指の先でほんの少し整えられる。

「誰でも内側に毒を持っているものだ。他人に話せない焼けつくような苦しみを抱えながら、それでも生きている」
 どきんと、ハルシャは胸が鳴った。
 自分のことを、言い当てられたと瞬間思った。
 だが。
 メリーウェザ医師は、動揺を解くように小さく笑った。
「君のことじゃないよ、ハルシャ。私のことだ――」
 言いながらゆっくりと、彼女は手櫛で寝起きの髪をなだめる。

 髪を梳き終わると、メリーウェザ医師が静かに呟いた。
「私は、叔父を愛していた」

 その響きが、とん、と、ハルシャの胸を打った。
 なぜだろう。
 どこかにすがらないと、立ち続けられないような気がした。
 ハルシャは、反射的に、リュウジが横たわるメドック・システムに触れた。
 手の平に微かに機械の震えを感じながら、吸いつけられるように、メリーウェザ医師を見つめる。

 ふっと、彼女は笑った。
「気づいたか、ハルシャ。そうだ。家族としての愛ではない。私は、叔父を――母の弟を、異性として愛した。彼以外を、愛したことなどない」
 言葉を切ると、静かに虚空へ瞳を据える。
「キルドン・ランジャイルは、私の全てだった。それは――今も変わらない」












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