ほしのくさり

第69話  相手を想う心-02






 *


 ファグラーダ酒の瓶を三つ空けたときに、やっと廃材屋のリンダ・セラストンは、リュウジが知りたかったことを口にした。
 もちろん、リュウジも彼女と同じだけ飲んでいる。
 ナメクジのように机に突っ伏しながら、廃材屋はうわ言のように言葉を呟いた。

「ジェイ・ゼルは、イズル・ザヒルの下で働いている」
 ぐでんぐでんだが、強力なリュウジの誘導によって、彼女は知識を口から吐き出していた。
 リュウジは、表情を消した。

 とろんとした目を上げて、彼女が続ける。
「奴の妹がイズル・ザヒルの愛人だ――まあ、ジェイ・ゼルは、イズルにとっては、身内のようなものなんだろうね。実入りの良い仕事をあてがって色々便宜を図ってやっているようだ。
 だから――誰も、ジェイ・ゼルには逆らえない。彼の後ろにはイズル・ザヒルがいる」

 一つだけある薄青の瞳が、リュウジを見つめる。
「実際、奴は上手く立ち回っているよ。決して警察沙汰にならないように、負債者を生かさず殺さず手の平で転がしながら、骨の髄まで金を搾り取る――惑星アマンダと何らかのつてがあるようでね、容姿の可愛い子たちは、高値であの惑星に売り払うこともしているようだ」
 リュウジの顔が冷たく強張った。
 隣に座っていた、黒髪の青年がすっと視線をリュウジに向ける。

 リュウジの表情の変化に気付かずに、廃材屋のリンダは言葉を続けた。
「生活費も必要なく、厄介払いが出来た上に、向こうで稼げば家族に送金も出来るって言うらしい」
 ふふ、と彼女は笑った。
「あのぬいぐるみ生物も……前の持ち主がどこかに身を売られて、ここに払い下げられてきたんだよ。あの大きさになるまでには相当愛情を注いで育てただろうにね。ま、借金の相手は、その時はジェイ・ゼルじゃなかったが――このオキュラ地域ではありふれた話さ」

 惑星トルディアは、生きていくのには厳しい場所だ。
 命の基礎である水が、とんでもなく高価なのだ。

 リュウジは、静かに瞬きを繰り返していた。

 沈黙の後、彼は口を開いた。
「借金を取り立てるために、相当汚い手を使うのでしょうね、ジェイ・ゼルは」
 眉を寄せるリュウジに、リンダはふっと笑った。
「手口の汚さから言うと、リヴァイスたちの方がえげつないけどね。奴らは、負債者を臓器として売り払う。
 だが……そうだね。ジェイ・ゼルは、必ず支払いをさせるしつこい奴だが、やり方としてはそれほど悪辣ではないね。どちらかというと、生活を安定させてきちんと返済をさせるように仕向けて行く……ただし、彼らの監視下に人生を置かれる、ってところが嫌らしいだけで。
 ただ、後ろにイズル・ザヒルがいるからね。資金は必ず回収される。
 それが恐ろしいんだよ、ジェイ・ゼルは」

 リンダの目が、リュウジを見つめる。
「どこに逃げても、必ずイズル・ザヒルの組織は見つけ出すからね」

 ふふっと、リンダが笑う。
「どうかな、リュウジ。私は君の支払い分の話は、したかな?」
 カラカラとリュウジは笑った。
「酔ってしまったのですか? お買い上げ下さったのは、イトウさんですよ」
 声を上げて、リンダが笑う。
「そのイトウさんは、リュウジが承諾するまで、静かに待っていたようだけどね」

 リュウジは、ファグラーダ酒を浴びるように飲んだ目の前の女性が、その実全く酔っていないことにふと気付いた。
 どうやらこちらが様子をみるつもりが、逆に相手に力量を探られていたようだ。
 彼女の一つだけの瞳が、リュウジを映す。

「あんたは、支配者の目をしている。人に命令する立場の人間だ。これでも荒海を渡って来たからね。目の前の人間が、どれぐらいの力を持つのかぐらい解るんだよ」
 リュウジも、笑みで答えた。
「『クリュウ号』――宇宙海賊『ヴェンドルダ』の頭領、エルド・グランディスの愛機は、レンドル・ヴァジョナ型の駆動機関部を搭載していたそうですね」
 笑みが深まる。
「ご存知でしたか、リンダ・グランディス」

 おっと、と、リュウジが声を上げる。
「すみません。リンダ・セラストンでしたね」

 くっと、リンダは笑った。
 その声が大きくなり、部屋中に響き渡った。
「お見通しだったのか、リュウジ。私が誰なのか」

 彼女は可笑しくて仕方がないというように、身を折って笑った。
 その内に、その眼に涙が浮かび、机を拳で打つと黙り込んだ。

「そうだよ。私の最愛の人は宇宙海賊だった。私も宇宙船乗りだったからね、仲間と一緒に宇宙を暴れまわったさ。
 だが。
 宇宙が嫉妬したんだろうね。
 あの人を、自分の腕の中に捕えて離さなかった――」

 宇宙船乗りの恐れるものは、三つ。
 磁気嵐と、不機嫌な仲間と、そして、宇宙海賊だった。

 エルド・グランディスは金持ちの宇宙船だけを狙うことで有名な宇宙海賊だった。
 本人は義賊を名乗っていたが、宇宙海賊であることには間違いなかった。
 金持ちたちも、手をこまねいていたわけではない。
 彼らなりに宇宙海賊に方策を立てていた。
 ある日――
 エルドたちが襲って巻き上げた積み荷の中にそっと、対宇宙海賊用の、強力な爆薬が仕込まれていた。
 企みに気付いたとき、エルドは爆薬を抱え、搭載していた小型艇を使い、全速力で愛機の側を離れた。
 単に宇宙空間に投擲とうてきしただけでは、強力な爆発に巻き込まれると判断したからだった。
 エルド・グランディスは、爆薬を傍らに載せたまま小型艇で翔け、そのまま身を宇宙に散らした。

 彼は、命を懸けて愛機と仲間と、そして最愛の妻を守ったのだ。
 だが、爆薬の発見が遅かったために、エルドの懸命な飛行にも拘わらず、『クリュウ号』は爆風のあおりを受け損傷した。
 その時に、妻も片目を失ったと聞いている。
 エルドの仲間は、何とか近くの惑星に不時着し、命は取り留めたが、もうエルドの愛機は飛ぶことが出来なかった。
 伝わっているのは、そこまでだった。
 彼の最愛の妻は、夫の大切な思い出の品である『クリュウ号』の心臓部を惑星トルディアに運び、そこで余生を送っていたのだ。

「エルドは、自分の命を顧みず、仲間とそして私を守ってくれた」
 一つしかない瞳が、虚空を見つめる。
「宇宙で最高の男だよ。彼が残してくれた命だからね、大事に生きているんだよ。リュウジ」
 虚空から、リュウジへと彼女は目を動かした。
「よく、私のことがわかったね」

 エルド・グランディスがこよなく愛した亜麻色の髪の元宇宙船乗りが、リュウジに微笑みながら言った。
 リュウジは静かにうなずいた。
「そのダイヤモンドをくりぬいた、指輪を見たからです。百十五カラットのダイヤモンドの原石から、あなたの指に合わせて削り出したと聞いています。
 それ以上の価値があなたにはあると、エルド・グランディスが言ったという言葉と、一緒に」

 小さくリンダは笑った。
「大げさだね。私は単に百十五カラットの指輪なんて、重くて嫌だと言っただけなんだよ。
 そしたらあの人が、じゃあ軽くしてあげようと削り出して渡してくれただけだ」
 愛しげに、指に輝くきらめく輪を見つめる。
「売り言葉に、買い言葉――それだけだよ。リュウジ」


 静かな藍色の瞳が、リンダを映す。
「ご夫君の大切な思い出の品を、無粋に買い取って申し訳ありません。ですが、あの品は素晴らしい逸品です。
 この地に埋もれさせるのは惜しい。
 宇宙の藻屑になる所を、あなたが必死に保護しこの地で守り続けて来たものです。あなた方ご夫婦の絆と共に、永遠に帝星ディストニアに保管され人々の目に触れるのも、また、駆動機関部としては幸せだと僕は思います。
 あなたの失われた右目が永遠に夫君を映しているように、かつて『クリュウ号』だった駆動機関部も、あなた方の思い出を永遠に人々に語ってくれると思います。
 あなたが、天でご夫君ともう一度出会われた後も、美しい駆動機関部は残り続け、あなた方をこの世界に刻み続けます」
 ふっとリュウジは優しい笑みを彼女に向けた。
「それを、僕は幸せだと思いますよ。リンダ」


 長い沈黙の後。
「一緒に来た、ヴィンドース家の兄妹のために、ジェイ・ゼルの情報が欲しかったのか、リュウジ」
 と、リンダは静かに口を開いた。
「優しいあんたの心根にほだされて、忠告しておくよ」
 すっと背が伸びて、凛とした表情が彼女の顔に浮かぶ。

「止めておきな。下手に手を出すと殺されるよ。あの赤毛の男の子にジェイ・ゼルは首ったけだからね。あの子を自分の相手だと公言してはばからない。相当の入れ込みようだ。赤毛の子が知ってるか知らないかは、解らないがね。意外と鈍そうだから、案外気づいていないかもしれないが」
 ファグラーダ酒を三本空けたとは、とても思えない顔で彼女は言う。

「おかしいと思わなかったか?
 あんなお育ちのいい彼ら兄妹が、どうしてこの乱暴なオキュラ地域で生きて行けるのだろう、と。
 その理由がこれさ。ジェイ・ゼルが囲っていると皆が知っているからだよ。
 誰も、ジェイ・ゼルの持ち物に手を出すほど愚かではないからね」
 警告するように、言う。
「私は、本当は心配していたんだよ、あんたのことを」

 リュウジの表情が消えた。

「外から来たあんたは、そんなことは知らない。だから彼らに近すぎるんだよ。ジェイ・ゼルが存在に気づいたら、命だけでは済まないかもしれないよ」
 彼女は瓶を引き寄せて、乾していた自分の杯にファグラーダを注いだ。
「悪いことは言わない。あまりあの赤毛の男の子に近づかないことだね」

 沈黙するリュウジの前で、リンダは手酌でファグラーダ酒を飲んでいる。

「そうやって」
 静かな声で、リュウジが呟いた。
「誰もが自分の幸せのために、彼を犠牲にして来たのですね」
 ゆっくりと、深い宇宙のような瞳が、リンダへ向かう。
「ジェイ・ゼルの息がかかっているハルシャを、忌んだように避けてきたのですね。工場でも、どこでも」
 ふっと、リンダは笑う。
「ミアは違うよ。筋金入りだからね、あの子は」

 ぐいっと、リンダは杯を呷った。
「とにかく、赤毛の男の子は、ジェイ・ゼルにとっては特別なのさ。あれだけ溺愛しながら、行動の自由を規制していないのがその証拠さ。
 きちんと自分たちで生活させている。
 借金をとにかく支払わすためなんだろうが、情におぼれずに、ジェイ・ゼルもよく辛抱しているよ。
 完済させないと、イズル・ザヒルが手を出してくると骨身に沁みて知っているからだろうね」
 
 リュウジは固く杯を握りしめていた。
 淡々と、リンダの声が続く。

「リュウジ。あんたの目から見ると厳しく映るだろうが、仕事と住む場所を破格の待遇で与えきちんと月々の返済をさせているのは、結局あの兄妹のために、一番いい方法なんだ。
 ジェイ・ゼルは賢明だよ。
 返済が順調であれば、イズル・ザヒルは何もしてこない。
 でなければ、あの天使のように可愛い女の子は、とっくの昔に惑星アマンダ行きになっているだろうね。知ってるかい? 競りに出されて、一番高値を付けた者に買い取られるんだよ。あの子なら、かなりの高額で競り落とされただろうね」

 リュウジの手の中で、杯が砕けた。

「失礼」
 冷静な顔で、リュウジが言う。
「杯を、壊してしまいました」
 さっと、黒髪の青年が立ち上がり、血が吹き出すリュウジの手首を掴んで、上げさせた。
 破片を素早く抜き去り、服から簡易の血止め剤を出して、リュウジの手の平を止血する。
 その間も、激しい光を宿したリュウジの目は、リンダから動かなかった。

 一連の作業をリンダは黙って見つめていた。
「イトウさん」
 リンダが呟く。
「いつも、そんな止血剤を持ち歩いているのかい?」
「彼は用意周到なのですよ」
 明るい声で、リュウジが言う。
「僕みたいにうかつな人間が近くにいたら、大変ですからね」

 リンダが笑う。
「そうだね。大変だね」

 リュウジは顔を黒髪の青年に向ける。
「ありがとう、イトウさん。もう大丈夫です」
 静かに止血剤で保護された、自分の手を見る。
「うっかりしていました。イトウさんが、帝星の最新医療器セットを持っていて下さって助かります」
「医療施設に行った方がいい」
 ぶっきらぼうな口調で、彼は言った。
 静かにリュウジは笑った。
「支払うお金がありません。僕は、居候ですから」

 リュウジは机を見つめる。
「汚してしまってすみません。杯も壊してしまって」
「いいよ。私がリュウジを傷つけたのだろう。
 ここの現実は、人の心を切り裂くからね――長くいると慣れてしまって、何も感じなくなるけれど」
「色々教えて頂いて、ありがとうございました。とても参考になりました」
 リュウジは、短く礼を言って、立ち上がった。
「イトウさんにも、ご迷惑をかけてすみません」
 言う側から、重い響きが外に聞こえた。
「駆動機関部を移動するように、業者を頼んだ」
 黒髪の青年が言う。
「もう、積み込んでも良いか」

 
 偉大な駆動機関部を積み込む重機が来たところで、リュウジは二人に礼を言ってその場を離れた。
 あまり遅くなると、サーシャが帰ってくるからだった。
 ハルシャから、家の鍵を預かっていた。
 一緒に生活をし始めた次の日、おかえりなさいサーシャと、家で迎えた時に、彼女は玄関でボロボロと涙を流して立ち尽くしていた。
 理由を聞くと、家に誰かがいておかえりなさいとずっと言ってもらったことがないのでとても嬉しかったのだ、と、しゃくりながら伝えてくれた。
 リュウジは黙って、サーシャの頭を撫でるしかなかった。

 そうやって――
 ギリギリの状態で生きざるを得ない状況を、廃材屋はジェイ・ゼルの温情だと切り捨てた。
 ずきん、ずきんと、手の平が痛みを帯びる。
 それよりももっと、リュウジの心が、痛みに悲鳴を上げていた。
 傷ついた手をもう一方の手で包みながら、リュウジはサーシャのために、オキュラ地域の中家路を急いだ。







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