「借金をする、予定でもあるのかい?」
なみなみと、泡立つファグラーダ酒を杯に注ぎながら、廃材屋のリンダが微笑む。
「私なら、ジェイ・ゼルのところは、あまりお勧めしないね」
瓶を置きながら、一つの眼差しが、リュウジを映す。
「金貸しとしてはそこそこの規模だが……彼の後ろには、厄介な組織がついているからね」
リュウジは穏やかな笑顔を消さなかった。
「それは」
藍色の瞳が真っ直ぐに廃材屋を見つめる。
「どんな組織ですか、リンダ・セラストンさん」
ふっと、彼女は笑った。
「リンダでいいよ。リュウジ」
席に座ると、彼女は毒々しく泡立つ、ファグラーダ酒の杯を掲げた。
「金髪の天使のような女の子が、あんたをその名で呼んでいたね。私も、リュウジと呼ばせてもらって良いかな?」
「事後承諾ですね、リンダ」
ふふと、笑いながら、リュウジも杯を手に取った。
「強引なやり方ですが、僕は嫌いではありませんよ。ことに、こんなに美しい方なら」
目が細められる。
「本望です」
リンダが小さく首を振った。
「生憎、私には操を立てている人がいてね」
静かに微笑む。
「リュウジの申し出は嬉しいが、遠慮させていただくよ」
にこっと、リュウジは微笑む。
「左のリングを確認していますよ、ご安心ください。ダイヤモンドをくりぬいた結婚指輪を渡すとは、中々粋な方ですね」
くっくと、リンダが笑う。
「宇宙で最高の男さ」
リュウジは静かに言う。
「だとしたらあなたは、宇宙で最高の男を射止めるほど、魅力的ということですね」
静かに彼女は笑みを深めた。
「宇宙《そら》には、負けてしまったけどね」
言葉を途切れさせてから、不意に彼女は杯を掲げた。
「見た目を裏切る、したたかなリュウジと、気前のよい帝星からの旅行者に」
「素晴らしい鑑定眼をもつ、美しいリンダと、良い品を手に入れられたイトウさんに」
リュウジとリンダの視線が集中する中、黒髪の青年は杯を上げ
「この出会いに」
と無難な献辞を述べた。
チンと優しく杯を触れ合わせて、全員が一気に、ファグラーダ酒を飲み干した。
脳が崩れると、噂の酒だった。
飲んだ後は、赤くなるより青くなり、病院送りになる者の方が多い、という噂は、嘘ではない。
平然と杯を乾した後、リュウジは笑顔をリンダに向けた。
「それで、ジェイ・ゼルの後ろの組織とは、一体なんですか。教えてください。リンダ」
きらりと深い藍色の瞳が光る。
「素晴らしい商談が成立したのです。きっと喜びのあまり、あなたの口も、いつもよりも軽くなっているでしょうね――リンダ」
*
ハルシャは、ぬめりのある液を、手の平に載せていた。
挿入する前に、たっぷり塗るように、ジェイ・ゼルに言われたのだ。
彼がいつもしてくれるように、容器から出したときは冷たい液を、手の平で温める。
人の肌の温度に、中々ならない。
相手に施すまでに、結構忍耐が必要なのだと、ハルシャは気付いた。
手の上で液を動かしながら、静かにいつも、ジェイ・ゼルは温めてくれていた。
自分の行為だけが目的なら、こんなまどろっこしいことは、しないだろう。ギランジュがそのまま垂らしたことを、ハルシャは思い出していた。
それが、手軽くて簡単だ。
相手のために温もりを与えるのは、優しさと思いやりなのだと、改めて知る。
温かくなると、液が少しだけ滑らかになる。体温で変化するのだろうか。
ふむ、と仔細に観察するハルシャに、
「面白そうだね、ハルシャ」
と、ジェイ・ゼルの声が飛ぶ。
え、と顔を向けると
「君は、根っからの科学者だね。今も品質を吟味するような顔になっている。今は科学実験の時間じゃないよ、ハルシャ」
と柔らかな笑みと共に、彼は言う。
「もう少し、色気のある顔になってもらうと、こちらとしても興奮するのだがね」
い。
色気のある顔。
突然そんなものを、求められても、困る。
ハルシャは、眉を寄せてジェイ・ゼルへ視線を向けた。
「色気のある顔、とは、どんな顔だ。ジェイ・ゼル」
静かに、ジェイ・ゼルが微笑む。
「今、君が見ているのは、液そのものだろう?」
彼は腕を立てて、ハルシャが良く見えるように、顔を起こす。
「違うかい?」
「そうだ。液を見ている。それでは、だめなのか?」
こぼしてはいけないと思ったからだ。ジェイ・ゼルを見れば良かったのだろうか。
ハルシャは、盛大に困惑した。
ふふと、ジェイ・ゼルが頬杖をつきながら、笑いを含める。
「ハルシャは、思うことを素直に口にしてくれるから、側にいてとても安心できる。君は、本当に心が真っ直ぐなんだね」
液とは全く関係のないことを、突然、ジェイ・ゼルは話し始める。
眉を寄せるハルシャに、
「そうそう、液の話をしていたんだね」
と、話題を戻してくれた。
ジェイ・ゼルが首を傾ける。
「ハルシャは、どうして今、手の上に液を載せているんだい?」
手の平に頭を預け、立てた腕で重みを支えながら、彼が優しく問いかける。
え。
ハルシャは戸惑いながら、少し顔が赤くなる。
「あ、温めるために、だ」
「どうして、温めているんだい?」
「いつも、ジェイ・ゼルが、そうしてくれるから――」
彼は軽く笑い声を上げた。
「そうか。よく見てくれていたんだね。じゃあ、どうして私がしていたからといって、今、ハルシャは、手の平に載せる必要があるんだ? 容器から直接では駄目なのかな、ハルシャ?」
しばらくハルシャは、ジェイ・ゼルを見つめていた。
「ハルシャは、どうして温めようと思ったのかな?」
少し、質問を彼は変えてきた。
彼はどうやら、ハルシャの口から、直接的なことを言わせたいらしい。
ぐっと息を飲むと、覚悟を決める。
「つ……冷たい液だと、ジェイ・ゼルの、その、局部が、刺激を、受けてしまう。不快な、思いを……させたくないから、温めている」
切れ切れに、何とか、言い切る。
ジェイ・ゼルの笑みが、深くなった。
「気づいていてくれたのだね、私がどうして温めていたのか」
こぼれる優しい言葉に、トクンと心臓が痛みを帯びて打った。
ハルシャが理解してくれたことが、ジェイ・ゼルはとても嬉しいようだ。
本当は、五年間気付けなかった。
彼の優しさと思いやりに。
しばらく無言でジェイ・ゼルが、灰色の瞳でハルシャを包んでいた。
ゆっくりと瞬きをすると、彼は静かに続けた。
「ハルシャ。その液はこれから、どんな風になると思う?」
どんな風?
どうなる、ではなく、どんな風という言い方に、彼の含みを感じる。
だが、ハルシャには、文学的な深みが、今一つ理解できない。
「ジェイ・ゼルに、塗る」
ハルシャは、短く事実を答えた。
くっくと、彼は喉の奥で、笑う。
「君は、実に即物的に物を言うね」
笑いながら、髪を掻き揚げる。
「とても可愛いよ、ハルシャ」
馬鹿にされているのだろうか?
くすくすと、ジェイ・ゼルが笑っている。
愛しげに、目を細めながら。
「そうだね、君の肌の温もりを得た液を、これから私にハルシャは施してくれる。私が不快でないように、君の身体で作り出した、貴重な熱を吸い込んだ、ぬめりのある液体を――とても敏感になっている、私の昂ぶりに――君はその手で静かに、塗ってくれる。これから」
笑みが消えて、静かな眼差しが、ハルシャを射る。
「私と君が、愛し合うために」
どきんと、ハルシャの心臓が重く打った。
手で温めた液を、ジェイ・ゼルに塗る。
至極シンプルな事実が、ジェイ・ゼルの口から出ると、とんでもない官能的な事柄に変換されている。
にこっと、ジェイ・ゼルが笑う。
「想像したのかな? 今、ハルシャは、少し色気のある表情になったよ」
かっと頬が赤くなる。
不意に重い声でジェイ・ゼルが呟く。
「頬を赤らめるのが、どれだけ私をそそるのか、君はきっと自覚していないのだろうね」
そんなこと、知るものか。と言おうとして、彼の真剣な眼差しに出会い、ハルシャは言葉を飲む。
「想像するんだよ、ハルシャ」
灰色の瞳が、ハルシャを捕える。
「今していることが、これからどんな行為につながるのか。ぬめりを与えられた私の昂ぶりが、君の後孔でどう動くのか。君にどんな快楽を与えるのか」
彼の瞳の奥に、暗い炎のようなものがある。魅入られたように、ハルシャは動けなくなった。
ハルシャを瞳で捕えたまま、ジェイ・ゼルの唇から、言葉が綴られ続ける。
「このぬめりが、私たちを滑らかにつないで、限りない快感へと誘ってくれる。耐えられないほど、身の内に熱が高まり、やがて快楽とともに吐き出される頂点へと、その手の上の液が導いてくれる――」
耳にした言葉に、ぞわぞわと、ハルシャの内側に奇妙な感覚が湧き上がる。
ただ、ジェイ・ゼルが話しているだけなのに、身に熟れた様な熱が溜まってくる。
「想像するんだ、ハルシャ。行為の最中でも、いつでも。目に映っていることだけでなく、相手の心を、目に見えないものを、相手が得ている快楽を、合わせた肌から想像するんだ。与える行為で、乱れるさまを――たどり着く絶頂を」
ジェイ・ゼルが、ハルシャを見据えている。
灰色の瞳の檻の中に、入れ込められた様な気がする。
「想像で、引き寄せるのだよ。相手の内側の感覚を――自分の中に」
ドクン、ドクンとハルシャの心臓が、重く打ち続ける。
単に手の上で温めていただけの透明な液が、とてつもない淫猥なものに見えてくる。
ジェイ・ゼルに塗られたこれが、自分の中で滑らかに動くさまを想像しただけで、顔が次第に、燃えるように赤くなる。
彼の甘い吐息も、耳に聞こえてくるようだ。
しばらくハルシャを見つめてから、にこっと、ジェイ・ゼルが笑った。
「今、とても、色気のある顔をしているよ、ハルシャ」
褒めたたえるように、彼は言う。
唇をちょっと震わせてから、ハルシャは顔を伏せた。
つまり、何かをするときに、あれこれ想像していればいいのだ。そうすれば、科学実験ではなく、ジェイ・ゼルの望むような、色気のある顔になるのだろう。
「なんとなく、わかった。今後は、努力してみる」
真面目に答えたハルシャの言葉に、ジェイ・ゼルが笑う。
腹筋を震わせながら、彼は声を押し殺して、笑い続ける。
やっと落ち着いたときに、彼の口から言葉がこぼれた。
「ハルシャは、本当に素直で、可愛いな」
横になっていてくれと、最初にハルシャが言っていなければ、彼は今、確実に起き上がって、ハルシャを腕に包み、唇を合わしている。
と。
早速に、想像してみる。
「動かずに、横になっていてくれ」
ハルシャは、会話をそこで終わらせようとするように、ジェイ・ゼルに言う。
「もちろん。ここに横たわっているよ、ハルシャ」
今――
彼はこれから、ハルシャが何をするのかを、想像しているのだろうか。
ハルシャが、ジェイ・ゼルの上に乗って、行為に及ぶさまを……。
心臓が、バクバクし始めた。
目の前だけでなく、色々考えると、ハルシャの許容範囲を超えてくる。
とりあえず、手の上のものを、ジェイ・ゼルに塗ろう。
そう心を決めて、ハルシャは彼が開いてくれている、足の間に入った。
塗ろうとして、視線を上げると、ジェイ・ゼルと目が合う。
彼は、細めた眼で、ハルシャを見つめていた。
どきんと、心臓が打つ。
想像することは、心臓に悪い。と、ハルシャは思った。
ジェイ・ゼルは、敏感になっていると言っていた。ハルシャはぬめりを両手に分けて、なるべくそっと昂ぶりを手の平で包んだ。
馴染ませるように、ゆっくりと手を動かす。
うっと、小さくジェイ・ゼルの声が聞こえた。
想像するんだよ、と言った彼の言葉が、耳にまだ響いている。
今、どんな感覚をジェイ・ゼルが得ているのか、ハルシャは考えてみた。
極限まで張りつめたようなジェイ・ゼルが、ハルシャの手で、快楽を得ていることを――
顔が、やはり、赤くなった。
唇を噛み締めて、黙々と、ハルシャはジェイ・ゼルの全体に、くまなく液を施す。
こんな時に、よくジェイ・ゼルは、ハルシャが喜びに震えているよ、とか、いろいろ言ってくる。
相手の立場になって考えれば、解るということなのだろうか。
一瞬、言おうとした。
だが、淫語を口にするのは、あまりにもハルシャにとって、高い壁だった。
けれど――
ハルシャに言うということは、逆に言ってもらうと、ジェイ・ゼルも嬉しいということだろうか。
よく、父がハルシャに教えてくれていた。
相手がしてくれることを、よく見て学びなさい。自分に相手がしてくれる行為は、大体相手がして欲しいことだ、と。
ジェイ・ゼルも、言って欲しいのだろうか。
ハルシャは、視線を上げた。
彼は頬を微かに赤くして、ハルシャを見つめている。
視線が、絡む。
彼を、喜ばせたい気持ちが、ふっと、ハルシャの中に湧き上がってきた。
自分があられもないことを言えば、ジェイ・ゼルは喜ぶだろうか。
快楽を、得るのだろうか。
眉を寄せて考えてから、ハルシャは、不意に覚悟を決めた。
「ジェ……ジェイ・ゼル」
まだ手で包み、頬を赤らめながら、ハルシャは懸命に言葉を続けた。
「――ここが……とても、硬くなっている。も……もうすぐ、挿れるから、待っていてくれ」
たどたどしく言ってから、冷や汗のようなものが、どっと体からあふれてきた。
今のは、聞かなかったことにしてくれ!
と、叫ぼうとした瞬間、ジェイ・ゼルが身を起こして、ハルシャを腕に包んでいた。
「待ちきれないな、ハルシャ」
耳元で言葉が呟かれる。
「君は、本当に私を煽るのが、上手だ――」
ちゅっと、頬に唇を触れてから、彼は何事もなかったかのように、身を横たえた。
起き上がらないのではないのか、という抗議の声を、ハルシャは上げなかった。
これは、愛情と信頼の上に成り立つ、情愛に満ちた行為なのだ。
ハルシャの言葉に、ジェイ・ゼルが喜びを返してくれた。
それで、良いような気がした。
まだ手に余る液体を、身を捩じるようにして、自分の中に押し込む。
たぶん、これで大丈夫なはずだ。
ハルシャはゆっくりと、横たわるジェイ・ゼルをまたいで、彼の脇に膝をついた。
位置を、受け入れやすいように調節する。
これから、自分の意思で、彼を中に飲み込まなくてはならない。
かつては、このあまりに淫猥な行為に、ハルシャの神経が焼き切れそうになった。
でも。
今なら、出来るはずだ。
ハルシャは、膝で突っ張り、腰を浮かせたまま、彼の昂ぶりを、後ろ手で支えた。
ジェイ・ゼルが十分ほぐしてくれた、後孔に、そっと彼の頂をあてがう。
準備を終えると、ハルシャは、ジェイ・ゼルへ視線を向けた。
彼がいつも言ってくれるように、ハルシャも言葉をこぼす。
「挿れるよ、ジェイ・ゼル」
見つめる彼の頬が、ぴくっと震えた。
唇を引き結ぶと、灰色の瞳に自分の視線を絡めながら、ハルシャはゆっくりと腰を落としていった。