ほしのくさり

第68話  相手を想う心-01



 


「借金をする、予定でもあるのかい?」
 なみなみと、泡立つファグラーダ酒を杯に注ぎながら、廃材屋のリンダが微笑む。
「私なら、ジェイ・ゼルのところは、あまりお勧めしないね」
 瓶を置きながら、一つの眼差しが、リュウジを映す。
「金貸しとしてはそこそこの規模だが……彼の後ろには、厄介な組織がついているからね」

 リュウジは穏やかな笑顔を消さなかった。
「それは」
 藍色の瞳が真っ直ぐに廃材屋を見つめる。
「どんな組織ですか、リンダ・セラストンさん」
 ふっと、彼女は笑った。
「リンダでいいよ。リュウジ」
 席に座ると、彼女は毒々しく泡立つ、ファグラーダ酒の杯を掲げた。
「金髪の天使のような女の子が、あんたをその名で呼んでいたね。私も、リュウジと呼ばせてもらって良いかな?」
「事後承諾ですね、リンダ」
 ふふと、笑いながら、リュウジも杯を手に取った。
「強引なやり方ですが、僕は嫌いではありませんよ。ことに、こんなに美しい方なら」
 目が細められる。
「本望です」
 
 リンダが小さく首を振った。
「生憎、私には操を立てている人がいてね」
 静かに微笑む。
「リュウジの申し出は嬉しいが、遠慮させていただくよ」
 にこっと、リュウジは微笑む。
「左のリングを確認していますよ、ご安心ください。ダイヤモンドをくりぬいた結婚指輪を渡すとは、中々粋な方ですね」
 くっくと、リンダが笑う。
「宇宙で最高の男さ」
 リュウジは静かに言う。
「だとしたらあなたは、宇宙で最高の男を射止めるほど、魅力的ということですね」
 静かに彼女は笑みを深めた。
「宇宙《そら》には、負けてしまったけどね」

 言葉を途切れさせてから、不意に彼女は杯を掲げた。
「見た目を裏切る、したたかなリュウジと、気前のよい帝星からの旅行者に」
「素晴らしい鑑定眼をもつ、美しいリンダと、良い品を手に入れられたイトウさんに」
 リュウジとリンダの視線が集中する中、黒髪の青年は杯を上げ
「この出会いに」
 と無難な献辞を述べた。
 チンと優しく杯を触れ合わせて、全員が一気に、ファグラーダ酒を飲み干した。
 脳が崩れると、噂の酒だった。
 飲んだ後は、赤くなるより青くなり、病院送りになる者の方が多い、という噂は、嘘ではない。
 平然と杯を乾した後、リュウジは笑顔をリンダに向けた。
「それで、ジェイ・ゼルの後ろの組織とは、一体なんですか。教えてください。リンダ」
 きらりと深い藍色の瞳が光る。
「素晴らしい商談が成立したのです。きっと喜びのあまり、あなたの口も、いつもよりも軽くなっているでしょうね――リンダ」


 *


 ハルシャは、ぬめりのある液を、手の平に載せていた。
 挿入する前に、たっぷり塗るように、ジェイ・ゼルに言われたのだ。
 彼がいつもしてくれるように、容器から出したときは冷たい液を、手の平で温める。
 人の肌の温度に、中々ならない。
 相手に施すまでに、結構忍耐が必要なのだと、ハルシャは気付いた。
 手の上で液を動かしながら、静かにいつも、ジェイ・ゼルは温めてくれていた。
 自分の行為だけが目的なら、こんなまどろっこしいことは、しないだろう。ギランジュがそのまま垂らしたことを、ハルシャは思い出していた。
 それが、手軽くて簡単だ。
 相手のために温もりを与えるのは、優しさと思いやりなのだと、改めて知る。
 温かくなると、液が少しだけ滑らかになる。体温で変化するのだろうか。
 ふむ、と仔細に観察するハルシャに、
「面白そうだね、ハルシャ」
 と、ジェイ・ゼルの声が飛ぶ。
 え、と顔を向けると
「君は、根っからの科学者だね。今も品質を吟味するような顔になっている。今は科学実験の時間じゃないよ、ハルシャ」
 と柔らかな笑みと共に、彼は言う。
「もう少し、色気のある顔になってもらうと、こちらとしても興奮するのだがね」

 い。
 色気のある顔。

 突然そんなものを、求められても、困る。
 ハルシャは、眉を寄せてジェイ・ゼルへ視線を向けた。
「色気のある顔、とは、どんな顔だ。ジェイ・ゼル」
 静かに、ジェイ・ゼルが微笑む。
「今、君が見ているのは、液そのものだろう?」
 彼は腕を立てて、ハルシャが良く見えるように、顔を起こす。
「違うかい?」

「そうだ。液を見ている。それでは、だめなのか?」
 こぼしてはいけないと思ったからだ。ジェイ・ゼルを見れば良かったのだろうか。
 ハルシャは、盛大に困惑した。
 ふふと、ジェイ・ゼルが頬杖をつきながら、笑いを含める。
「ハルシャは、思うことを素直に口にしてくれるから、側にいてとても安心できる。君は、本当に心が真っ直ぐなんだね」
 液とは全く関係のないことを、突然、ジェイ・ゼルは話し始める。
 眉を寄せるハルシャに、
「そうそう、液の話をしていたんだね」
 と、話題を戻してくれた。
 ジェイ・ゼルが首を傾ける。
「ハルシャは、どうして今、手の上に液を載せているんだい?」
 手の平に頭を預け、立てた腕で重みを支えながら、彼が優しく問いかける。
 え。
 ハルシャは戸惑いながら、少し顔が赤くなる。
「あ、温めるために、だ」
「どうして、温めているんだい?」
「いつも、ジェイ・ゼルが、そうしてくれるから――」
 彼は軽く笑い声を上げた。
「そうか。よく見てくれていたんだね。じゃあ、どうして私がしていたからといって、今、ハルシャは、手の平に載せる必要があるんだ? 容器から直接では駄目なのかな、ハルシャ?」
 
 しばらくハルシャは、ジェイ・ゼルを見つめていた。
「ハルシャは、どうして温めようと思ったのかな?」
 少し、質問を彼は変えてきた。
 彼はどうやら、ハルシャの口から、直接的なことを言わせたいらしい。
 ぐっと息を飲むと、覚悟を決める。
「つ……冷たい液だと、ジェイ・ゼルの、その、局部が、刺激を、受けてしまう。不快な、思いを……させたくないから、温めている」
 切れ切れに、何とか、言い切る。

 ジェイ・ゼルの笑みが、深くなった。
「気づいていてくれたのだね、私がどうして温めていたのか」
 こぼれる優しい言葉に、トクンと心臓が痛みを帯びて打った。
 ハルシャが理解してくれたことが、ジェイ・ゼルはとても嬉しいようだ。
 本当は、五年間気付けなかった。
 彼の優しさと思いやりに。

 しばらく無言でジェイ・ゼルが、灰色の瞳でハルシャを包んでいた。
 ゆっくりと瞬きをすると、彼は静かに続けた。
「ハルシャ。その液はこれから、どんな風になると思う?」
 どんな風?
 どうなる、ではなく、どんな風という言い方に、彼の含みを感じる。
 だが、ハルシャには、文学的な深みが、今一つ理解できない。
「ジェイ・ゼルに、塗る」
 ハルシャは、短く事実を答えた。

 くっくと、彼は喉の奥で、笑う。
「君は、実に即物的に物を言うね」
 笑いながら、髪を掻き揚げる。
「とても可愛いよ、ハルシャ」

 馬鹿にされているのだろうか?
 くすくすと、ジェイ・ゼルが笑っている。
 愛しげに、目を細めながら。
「そうだね、君の肌の温もりを得た液を、これから私にハルシャは施してくれる。私が不快でないように、君の身体で作り出した、貴重な熱を吸い込んだ、ぬめりのある液体を――とても敏感になっている、私の昂ぶりに――君はその手で静かに、塗ってくれる。これから」
 笑みが消えて、静かな眼差しが、ハルシャを射る。
「私と君が、愛し合うために」

 どきんと、ハルシャの心臓が重く打った。
 手で温めた液を、ジェイ・ゼルに塗る。
 至極シンプルな事実が、ジェイ・ゼルの口から出ると、とんでもない官能的な事柄に変換されている。

 にこっと、ジェイ・ゼルが笑う。
「想像したのかな? 今、ハルシャは、少し色気のある表情になったよ」
 かっと頬が赤くなる。
 不意に重い声でジェイ・ゼルが呟く。
「頬を赤らめるのが、どれだけ私をそそるのか、君はきっと自覚していないのだろうね」
 そんなこと、知るものか。と言おうとして、彼の真剣な眼差しに出会い、ハルシャは言葉を飲む。

「想像するんだよ、ハルシャ」
 灰色の瞳が、ハルシャを捕える。
「今していることが、これからどんな行為につながるのか。ぬめりを与えられた私の昂ぶりが、君の後孔でどう動くのか。君にどんな快楽を与えるのか」

 彼の瞳の奥に、暗い炎のようなものがある。魅入られたように、ハルシャは動けなくなった。
 ハルシャを瞳で捕えたまま、ジェイ・ゼルの唇から、言葉が綴られ続ける。

「このぬめりが、私たちを滑らかにつないで、限りない快感へと誘ってくれる。耐えられないほど、身の内に熱が高まり、やがて快楽とともに吐き出される頂点へと、その手の上の液が導いてくれる――」

 耳にした言葉に、ぞわぞわと、ハルシャの内側に奇妙な感覚が湧き上がる。
 ただ、ジェイ・ゼルが話しているだけなのに、身に熟れた様な熱が溜まってくる。
 
「想像するんだ、ハルシャ。行為の最中でも、いつでも。目に映っていることだけでなく、相手の心を、目に見えないものを、相手が得ている快楽を、合わせた肌から想像するんだ。与える行為で、乱れるさまを――たどり着く絶頂を」
 ジェイ・ゼルが、ハルシャを見据えている。
 灰色の瞳の檻の中に、入れ込められた様な気がする。
「想像で、引き寄せるのだよ。相手の内側の感覚を――自分の中に」

 ドクン、ドクンとハルシャの心臓が、重く打ち続ける。

 単に手の上で温めていただけの透明な液が、とてつもない淫猥なものに見えてくる。
 ジェイ・ゼルに塗られたこれが、自分の中で滑らかに動くさまを想像しただけで、顔が次第に、燃えるように赤くなる。
 彼の甘い吐息も、耳に聞こえてくるようだ。
 
 しばらくハルシャを見つめてから、にこっと、ジェイ・ゼルが笑った。
「今、とても、色気のある顔をしているよ、ハルシャ」

 褒めたたえるように、彼は言う。
 唇をちょっと震わせてから、ハルシャは顔を伏せた。
 つまり、何かをするときに、あれこれ想像していればいいのだ。そうすれば、科学実験ではなく、ジェイ・ゼルの望むような、色気のある顔になるのだろう。
「なんとなく、わかった。今後は、努力してみる」

 真面目に答えたハルシャの言葉に、ジェイ・ゼルが笑う。
 腹筋を震わせながら、彼は声を押し殺して、笑い続ける。
 やっと落ち着いたときに、彼の口から言葉がこぼれた。
「ハルシャは、本当に素直で、可愛いな」

 横になっていてくれと、最初にハルシャが言っていなければ、彼は今、確実に起き上がって、ハルシャを腕に包み、唇を合わしている。
 と。
 早速に、想像してみる。
「動かずに、横になっていてくれ」
 ハルシャは、会話をそこで終わらせようとするように、ジェイ・ゼルに言う。
「もちろん。ここに横たわっているよ、ハルシャ」
 今――
 彼はこれから、ハルシャが何をするのかを、想像しているのだろうか。
 ハルシャが、ジェイ・ゼルの上に乗って、行為に及ぶさまを……。
 心臓が、バクバクし始めた。
 目の前だけでなく、色々考えると、ハルシャの許容範囲を超えてくる。
 とりあえず、手の上のものを、ジェイ・ゼルに塗ろう。
 そう心を決めて、ハルシャは彼が開いてくれている、足の間に入った。
 塗ろうとして、視線を上げると、ジェイ・ゼルと目が合う。
 彼は、細めた眼で、ハルシャを見つめていた。
 どきんと、心臓が打つ。

 想像することは、心臓に悪い。と、ハルシャは思った。
 ジェイ・ゼルは、敏感になっていると言っていた。ハルシャはぬめりを両手に分けて、なるべくそっと昂ぶりを手の平で包んだ。
 馴染ませるように、ゆっくりと手を動かす。
 うっと、小さくジェイ・ゼルの声が聞こえた。
 想像するんだよ、と言った彼の言葉が、耳にまだ響いている。
 今、どんな感覚をジェイ・ゼルが得ているのか、ハルシャは考えてみた。
 極限まで張りつめたようなジェイ・ゼルが、ハルシャの手で、快楽を得ていることを――
 
 顔が、やはり、赤くなった。
 唇を噛み締めて、黙々と、ハルシャはジェイ・ゼルの全体に、くまなく液を施す。
 こんな時に、よくジェイ・ゼルは、ハルシャが喜びに震えているよ、とか、いろいろ言ってくる。
 相手の立場になって考えれば、解るということなのだろうか。
 一瞬、言おうとした。
 だが、淫語を口にするのは、あまりにもハルシャにとって、高い壁だった。

 けれど――
 ハルシャに言うということは、逆に言ってもらうと、ジェイ・ゼルも嬉しいということだろうか。
 よく、父がハルシャに教えてくれていた。
 相手がしてくれることを、よく見て学びなさい。自分に相手がしてくれる行為は、大体相手がして欲しいことだ、と。

 ジェイ・ゼルも、言って欲しいのだろうか。

 ハルシャは、視線を上げた。
 彼は頬を微かに赤くして、ハルシャを見つめている。
 視線が、絡む。
 彼を、喜ばせたい気持ちが、ふっと、ハルシャの中に湧き上がってきた。
 自分があられもないことを言えば、ジェイ・ゼルは喜ぶだろうか。
 快楽を、得るのだろうか。
 眉を寄せて考えてから、ハルシャは、不意に覚悟を決めた。

「ジェ……ジェイ・ゼル」
 まだ手で包み、頬を赤らめながら、ハルシャは懸命に言葉を続けた。
「――ここが……とても、硬くなっている。も……もうすぐ、挿れるから、待っていてくれ」

 たどたどしく言ってから、冷や汗のようなものが、どっと体からあふれてきた。

 今のは、聞かなかったことにしてくれ!

 と、叫ぼうとした瞬間、ジェイ・ゼルが身を起こして、ハルシャを腕に包んでいた。
「待ちきれないな、ハルシャ」
 耳元で言葉が呟かれる。
「君は、本当に私を煽るのが、上手だ――」
 ちゅっと、頬に唇を触れてから、彼は何事もなかったかのように、身を横たえた。

 起き上がらないのではないのか、という抗議の声を、ハルシャは上げなかった。
 これは、愛情と信頼の上に成り立つ、情愛に満ちた行為なのだ。
 ハルシャの言葉に、ジェイ・ゼルが喜びを返してくれた。
 それで、良いような気がした。
 まだ手に余る液体を、身を捩じるようにして、自分の中に押し込む。
 たぶん、これで大丈夫なはずだ。

 ハルシャはゆっくりと、横たわるジェイ・ゼルをまたいで、彼の脇に膝をついた。
 位置を、受け入れやすいように調節する。
 これから、自分の意思で、彼を中に飲み込まなくてはならない。
 かつては、このあまりに淫猥な行為に、ハルシャの神経が焼き切れそうになった。
 でも。
 今なら、出来るはずだ。
 ハルシャは、膝で突っ張り、腰を浮かせたまま、彼の昂ぶりを、後ろ手で支えた。
 ジェイ・ゼルが十分ほぐしてくれた、後孔に、そっと彼の頂をあてがう。
 準備を終えると、ハルシャは、ジェイ・ゼルへ視線を向けた。
 彼がいつも言ってくれるように、ハルシャも言葉をこぼす。
「挿れるよ、ジェイ・ゼル」
 見つめる彼の頬が、ぴくっと震えた。
 唇を引き結ぶと、灰色の瞳に自分の視線を絡めながら、ハルシャはゆっくりと腰を落としていった。











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