ほしのくさり

第61話  大切な時間-02







 温かなパスタ料理が運ばれてきた。
 蟹が入ったクリーム仕立てのものだった。
 美味しいと笑顔で言いながら、サーシャがこの前、アングランダルの大サソリ風味の角煮を食べたことを披露する。
 面食らうハルシャの前で、サーシャとジェイ・ゼルは大サソリの毒針の凌ぎ方について、それぞれの意見を戦わせていた。

 何かにわざと刺させて、毒針を封じてはどうか、というサーシャに、それよりも毒針自体を吹き飛ばした方が良いだろうと、ジェイ・ゼルが意見を述べる。
 それでは、毒針の周囲の肉が飛んでしまう、と、サーシャが真面目に言う。
 毒針の下にある毒胞は、調理方法によっては、美味な食材になると全銀河食材辞典に書いてあると、サーシャは主張していた。

 何という話題だ。
 と、ハルシャは思ったが、二人が楽しそうなので、目をつぶることにした。
 パスタの次には、肉料理が運ばれてきた。
 周囲はカリッとしているが、中は半生の恐ろしく高価そうなラム肉だった。
 この前も思ったが、どうやら、ジェイ・ゼルはラム肉が好きなようだ。
 頬が落ちそうな顔で、サーシャは肉汁があふれるお肉を食べている。
 添えられた温野菜も、オリーブオイルと塩味が効いていて、舌に優しい。
「一年分のお野菜を食べたね、お兄ちゃん」
 と、サーシャが笑顔で言う。
 次に、チーズが三種類乗ったお皿が出され、ワインが替えられる。
 サーシャは、見るからに満腹だった。
 その様子に楽しげに目を向けてから、
「次は、お待ちかねのお菓子だよ。サーシャ」
 と、ジェイ・ゼルが優しい声で言う。
 一瞬、きらんとサーシャの眼が輝いた。
 だが、次の瞬間、ふと、考え込むように視線が落とされる。
 何かを考える間だけ沈黙すると
「ジェイ・ゼルさん」
 と、意を決したように、顔を上げてサーシャが呼びかける。
 ん? とジェイ・ゼルが視線を向ける。
「あの……まことに申し上げにくいのですが。実は、お腹が一杯で」
 かあっと、サーシャの顔が、耳まで赤くなる。
「も、もしお菓子が、焼き菓子なら、家に持ち帰ってはいけないでしょうか」
 懸命なサーシャの言葉に、ジェイ・ゼルが思わず声を上げて笑った。
「そうか。少し時間を置いてから、部屋でハルシャと一緒に食べるかね?」
 一生懸命に、サーシャがうなずく。
「もし、可能なら、で良いです。無作法なことで、申し訳ありません」
「いいよ、サーシャ」
 
 ジェイ・ゼルが近くに支配人を呼びつけて、菓子を持ち帰れるように、指示をしている。
 自分も必要ない、このあとコーヒーを出してくれと、言葉をかけている。
「すまない、ジェイ・ゼル」
 妹の不手際をかばうように、ハルシャも声をかける。
 小さくジェイ・ゼルが首を振った。
「子どもには、少し量が多かったかな」
「でも、美味しかったです、ジェイ・ゼルさん」
 服を握りしめながら、サーシャが言う。
「とても忘れがたい味です。一生の思い出になります」

 その言い方が、ハルシャの胸を突く。
 五年前は――これが自分たちの日常だったと、言いかけた言葉を、ハルシャは飲み込んだ。言葉にすれば、余計虚しくなるだけだ。
 代わりに、ハルシャは呟く。
「良かったな、サーシャ」
 ゆっくりと、ジェイ・ゼルへ顔を向ける。
「感謝している、ジェイ・ゼル。妹も招いてくれて。とても楽しい時間を過ごさせてもらった」
 
 サーシャに向けられていた、灰色の瞳が、静かにハルシャへ滑ってくる。
 妹への笑みが消え、深い眼差しが、自分を捕らえる。
 どくんと、心臓がうずく。
 甘やかな痺れが、身の内に湧き上がってくるようだ。
 ジェイ・ゼルの眼が細められる。
「君が喜んでくれて――これ以上の幸せはないよ、ハルシャ」

 重く熟れた言葉が、彼の口からこぼれる。
 夜明けに聞いた睦言のように、低く深く声が響く。

 これは、君のための時間だ。

 ジェイ・ゼルが言葉にならない言葉で、呟いているような気がした。
 彼の眼差しが、熱い。
 サーシャがここに居なければ、恐らく自分はジェイ・ゼルの腕に包まれて、唇を覆われていただろう。
 そんな瞳と、言葉だった。

 ふっと、笑みを浮かべると情念の絡んだ視線を消し、穏やかにサーシャにジェイ・ゼルが語り掛ける。
「先程の作文の、結果が出たらまた教えてくれないか、サーシャ」
「は、はい。でも、そんな大した作品ではないですから。参加賞として、商品券が頂けるのが、とても嬉しくて。それだけで私は十分です」
 現実的なサーシャの言葉に、ジェイ・ゼルが声を上げて笑った。
「なるほど、参加賞に商品券がもらえるのだね。それで何を交換するつもりなんだね、サーシャ」
 急に勢い込んで、サーシャがまず、兄の服と、指を折る。
 ふんふんと、ジェイ・ゼルが楽しそうに聞いている。
 それに、兄の靴。
 足りないかもしれないけれど、と、サーシャは眉を寄せながら言う。
 それが交換出来たら嬉しいです。と、満面の笑みで言う。
 ジェイ・ゼルは、無言でサーシャを見つめていた。
「ハルシャのものばかりだね」
「はい。お兄ちゃんは労働が激しいので。少しでも助けになると嬉しいです」

 知らなかった。
 そんな計画を胸に抱いているなど――

「サーシャ」
 恥ずかしくなって、ハルシャは妹の言葉を止めようとした。
「自分よりも、相手のことを思えるのは、幸せなことだね、サーシャ」
 ジェイ・ゼルの声に、ハルシャの言葉が重なりかき消される。

 最後の料理が運ばれてくる。
 コーヒーと、小皿に載せられた、小さな焼き菓子がいくつか、だった。
「ドルチェは自宅で食べると良いが、何か甘い物がないと寂しいだろう」
 焼き菓子はジェイ・ゼルの指示らしかった。

 約二時間をかけて、夢のような食事の時間が終わった。
 満腹し、幸せな笑顔になって、サーシャはジェイ・ゼルに最後の挨拶を述べている。
 その手には、梱包してもらったドルチェが、しっかりと握られていた。
「また、ぜひ一緒に食事をしたいね、サーシャ」
 ジェイ・ゼルが優しい声で言う。
「新しい作品を書いたなら、その話をまた聞かせて欲しいな」
「頑張ってみます」
 笑顔でサーシャが言う。

「ありがとう、ジェイ・ゼル」
 ハルシャも丁寧に礼を述べる。
「感謝の言葉もないぐらいだ」
 呟くハルシャの金色の瞳を、ジェイ・ゼルが静かに見返している。
「楽しんでもらえたなら、何よりだ」
 ふと、シヴォルトのことも感謝を述べようとしたが、サーシャが側に居たので、思いとどまる。
 ハルシャに触れようとしたジェイ・ゼルの手が、握り込まれた。
「また、連絡をする。ハルシャ」
 それだけを、彼は呟く。
 ハルシャは静かに頭を揺らした。
「待っている」
 一瞬、濃厚に視線が絡み合った。
 間違いなく。
 サーシャが居なければ、自分は今、彼の腕の中にいる。
 ジェイ・ゼルが苦い笑いを浮かべた。
「外にネルソンを待たせている。気を付けて帰るんだよ」
 ジェイ・ゼルの言葉を機に、ハルシャたちは動いた。
 彼を部屋に残し、二人で手を繋いで、玄関で待つネルソンの元へと急ぐ。
 
 飛行車で、元のロンダルド駅へ送り届けてもらい、再び手を握り合って、チューブで地上に降りる。
 もう、オキュラ地域は、危険地帯と化している。
 気配を消しながら、二人は夜のオキュラ地域を漂っていく。
 さっきから作文に書かれた内容が、ハルシャの頭の中に渦巻いていた。
「美味しくて、楽しかったね、お兄ちゃん」
 無言で歩を進めていたハルシャの耳に、サーシャの静かな声が響いた。
「ジェイ・ゼルさんは、いい人だね」
 ハルシャは、目を細めた。
「そうだね、サーシャ」
 ただ、そう答える。
 再び言葉が途切れ、二人は黙々と、自宅へと向かっていた。
「サーシャは、幸せだよ、お兄ちゃん」

 不意に、思いもかけない強い言葉で、サーシャが呟いた。
 ぎゅっと手が握り締められる。
「お兄ちゃんがいてくれて、学校も楽しくて、大将夫妻も、メリーウェザ先生も優しくて、今は、リュウジも居てくれて――」
 言葉を耳に挟みながら、ハルシャは前を向いて歩いていく。
 サーシャの言葉が、夜の街に滔々と流れる。
「お兄ちゃんは、昔の暮らしと比べているかもしれないけど、サーシャは少しも不幸じゃないよ。
 毎日が、とっても楽しいよ。することはたくさんあるし、お兄ちゃんが笑っていてくれるから」
 握りしめた手に、サーシャが身を寄せる。
「いつも幸せだよ。お兄ちゃん」

 手の平が、温かだった。
 命に代えても護りたかった存在が、静かに自分を肯定してくれている。
 自分がいてくれるから、幸せだと。
 不幸ではないと――
 だから、安心してくれと、懸命に伝えようとしている。

 ハルシャは、サーシャの手を握り返した。
 借金のかたとして、家をジェイ・ゼルに渡して、飛行車で運ばれていたとき、握っていた六歳のサーシャの手は、とても小さかった。
 いつの間にか、彼女の手は、大きくなり、自分の手をしっかりと包んでいる。
 握る力の確かさに、ハルシャは胸が震えた。

「私も、幸せだよ、サーシャ」
 返した言葉に、小さく触れる頭が揺れた。
「うん、お兄ちゃん」

 固く手を握り合ったまま、二人はリュウジの待つ自宅へと、静かに歩を進めた。



 *


 リュウジは部屋で、ハルシャとサーシャの帰りを黙したまま待っていた。
 部屋にかかる時計が、二人が去ってから、二時間近くが経つことを、告げている。
 時計は、恐らく壊れてどこかに捨てられていた物を、拾って修理して使っているのだろう。割れた透明な覆いを丁寧に継ぎ合わせ、いくつかハルシャらしい手が入っている。
 こうやって――
 壊れたものも、丁寧に直しながら二人は暮らしてきたのだ。
 彼らの生きた軌跡があふれる部屋の中で、リュウジはただ、無言だった。

 ふと。
 微かな音で、扉が叩かれた。
 ぱっと、リュウジの顔に笑みが浮かぶ。
「ハルシャ、サーシャ」
 立ち上がり、扉へ向かう。
「おかえりなさい」
 その耳に、決まったリズムが響く。
 符牒のようだった。
 浮かべていたリュウジの笑みが、消える。

 リュウジは扉の前で、足を止めた。
 ゆっくりと、瞬きをする。
 笑みを消したまま、リュウジは扉の鍵を解放し静かに開いた。
 扉の前には、身を折る、黒髪の青年の姿があった。

竜司リュウジ様」
 深く静かな声で、青年はリュウジの名を呼ぶ。
「――お探しいたしました」
 青年の姿を認めると、リュウジは目を細めて呟いた。

「思ったより、早く僕は見つかってしまったようだね。さすがだ、吉野ヨシノ








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