ほしのくさり

第58話  オキュラ地域に生きるということ-01



 

 朝一の巡回系統のバスに乗って、ハルシャはリュウジを工場のあるラグレンのクラハナ地域へと案内した。

 バスは飛行車仕様のもので、高い所を走るバスからの風景を眺めて、リュウジは喜んでいた。
 オキュラ地域は、昼でも暗い。
 淀んだ空気とすえた臭いが、常に辺りに漂っている。
 だが、市内を離れ、郊外へと向かうバスの中では、雄大な惑星トルディアの風景が楽しめる。
 外の景色が見られるのが、リュウジはとても嬉しそうだった。
 ずっと彼は窓の外を見ている。
 
 朝一番の巡回系統のバスには、ほとんど乗客はいなかった。
 バスでの往復になれば、時間が限られてくる。
 今日は作業を集中して行い、定時の六時までには、作業を終えたかった。
 通勤の時間を利用して、ハルシャはリュウジと打ち合わせをする。
「今日は、外枠の工法を確認して、出来れば打ち込みまでしてしまいたい」
「外枠は、いつもはどうやって作るんですか?」
 惑星トルディアの眺めから、ハルシャへ視線を戻しながら首を傾げて、リュウジが問いかける。
「用途に応じて変えている。だが、これほど小型で高出力のものなら、カーヴァルト鉱石の塊から、削り出すのが安全かと考えている。溶接だと、どうしても接合部分が弱くなってしまう」
 リュウジはしばらく考えていた。
 ダイヤモンドよりも硬い、カーヴァルト鉱石を精錬し直方体にしたものから、緻密に計算して形を削り出す。
 それが、手間と時間はかかるが、一番歪みに強い工法だった。
 
「そうですね」
 リュウジがうなずく。
「外枠は、その作り方が一番確実で強度があります。それで行きましょう」
 ハルシャは彼の力強い言葉に、ほっと安堵する。

 削り出すには、形を電脳に仕込んで、高出力のレーザーカッターで切り抜いていく。
 粗方の形はそれでつくり、後は手で磨き上げる。
 ハルシャは、緻密な計算と絶妙な道具使いで、削り出しを得意としていた。
 あとは、外枠のどこまでを削り出しで作るのかを、確認していく作業が、工場に行けば待っている。
 宇宙空間での、金属の伸び縮みも計算に入れなくてはならない。
 ハルシャの言葉に、リュウジが黙って耳を傾けてくれている。
 お互いに、設計図が頭に完璧に入っているので、工場に着くまでの間に、大体の打ち合わせが出来た。
 誰かに相談できるのは、とてもありがたいと、今更ながらハルシャは思う。
 今まで、工場ではいつも、ハルシャは独りだった。


 工場に着き、最初にハルシャは工場長の部屋へと、リュウジを案内した。
 始業時間よりも、半時間ほど早く着いたので、まだ工場長のシヴォルトはいないかと思ったら、彼は部屋に居た。
 その上、上機嫌だった。
 朝の挨拶をしたハルシャに、シヴォルトはその理由を、自慢げに話してくれた。
 この工場から、彼は異動になるのだ。
 ラグレン市内にある、もっと給料の良い上位の工場に。そこに、相応の地位で迎え入れられるらしい。
 事実上の栄転だった。
「おめでとう、工場長」
 ひとしきり自慢話を聞いてから、ハルシャは人として、礼節は守るべきだという判断から、彼に祝意を述べる。
「ハルシャが、ジェイ・ゼル様に口添えしてくれたらしいな」
 嬉しげなシヴォルトの口調に、ハルシャは瞬きをする。
「工場長は、優秀だと。それで、ジェイ・ゼル様も考えて下さったらしい。辺境の工場長で終わらせるのは、惜しいと」
 
 そんなことは、言っていない。
 だが。
 もしかしたら、それが、シヴォルトのやっかみを回避するために、ジェイ・ゼルが打った手なのかもしれない。
 事実上、シヴォルトはハルシャの側から、去る。
 なのに、彼は嬉しげだ。
 それが、ジェイ・ゼルの采配であることは、間違いない。
「工場長の、実力を、経営主が認めただけだと思う」
 
 ジェイ・ゼルの思いを無駄にしないように、配慮しながらハルシャは空虚な言葉を呟く。
 それでも、シヴォルトは嬉しそうだった。
「そうだな。俺はジェイ・ゼル様には、忠実に仕えてきた」
 独り言のように、彼は呟く。
 気付いたことがある。
 ジェイ・ゼルは周りの人間を、なぜか引き付ける。会社にいる者たちもそうだが、単に上司というだけではない目で、彼らはジェイ・ゼルを見る。
 崇拝というのだろうか、憧れというのだろうか。
 仕事だけでなく、人間として惹かれて、彼の元で働いているような気がする。
 その魅力が、ハルシャにはこれまで、全く理解出来なかった。
 だが、心を開いて彼を受け入れてから、おぼろながら皆の気持ちが解るような気がした。

 工場長のシヴォルトも、そうなのかもしれない。
 シヴォルトは悦に入りながら、ハルシャの側に佇むリュウジに目を止める。
「それが、ハルシャの言っていた男か」
 言葉を潮に、丁寧にリュウジを工場長に紹介する。
 リュウジは頭を下げる。

「初めまして。オオタキ・リュウジと申します。この度はご無理を聞いていただき、そして働く機会を与えて下さり、感謝いたします。
 至りませんが、しっかりと仕事を覚えたいと思います。よろしくお願いいたします」

 事前に打ち合わせをしていた通り、リュウジはきっちりと口上を述べる。
 いつもの穏やかな笑みを消し、真面目な顔で彼は言い切った。
 上から下まで、値踏みするように工場長が、リュウジを見る。
 ふんと、いつもの鼻を鳴らす仕草をしてから
「まあ、お前が何かをしたら、ハルシャが割を食うだけだ」
 と、嫌味な口調になって言う。
「俺たちは、何一つ不利益はこうむらない。せいぜい働いてくれ」
 
 リュウジは静かに微笑んだ。
「お許しを頂き、ありがとうございます。シヴォルト工場長」

 ふと、シヴォルトは眉をひそめた。
 微笑むリュウジが、ただの頭の軽い男ではないと、初めて気づいたように。
「仕事を、説明しよう。失礼する、工場長」
 口を開きかけたシヴォルトの先を折るように、ハルシャは言った。

 何か、一触即発のような雰囲気があったのだ。
 挨拶を終えて、リュウジを自分の仕事場に案内していく。

 リュウジは黙ってついてきていた。
 彼は、不気味に沈黙している。
 工場長の嫌味な言い方に、気分を害したのかもしれない。
「すまない」
 小さな声で、前を歩きながらハルシャは呟く。
「嫌な思いをさせた」
 足を速めて、リュウジがハルシャの横に並んだ。
「あなたが謝る必要は、何一つありませんよ。ハルシャ」
 微笑みが、顔に戻っていた。
「今から、ハルシャと一緒に仕事をするのが、楽しみです」
 にこにこと、リュウジが笑っている。
 無礼な工場長の言葉を、彼は気にしていないようだ。
 ちょっと、ほっとする。
「こんなことが、ちょこちょこあるかもしれない。気にしないでくれ」
 ハルシャの小さな声に、リュウジは静かにうなずいた。
「謝る必要はありませんからね、ハルシャ」


 リュウジとの仕事は、正直とても楽しく、刺激的だった。
 彼は工場の備蓄品のリストから、これからの製作に必要な材料をピックアップし、瞬時に押さえた。
 外枠に必要なカーヴァルト鉱石の直方体を計算し、縦十シグレン、横十五シグレン、高さ十シグレンだとはじき出した。
 工場に資材が無いとみると、すぐさま発注をかけるように、ハルシャに指示してくれる。
 ハルシャは、工場長に申請用紙を提出する。上機嫌だったシヴォルトは、一両日中に取り寄せてくれると約束をしてくれた。
 その時に、立ち話で、三日後にラグレン中心部の工場へ異動になるという、話を聞く。
 後は、副工場長が、工場長へと昇格するらしい。
 さらりと祝意をまた伝え、ハルシャは、シヴォルトの側を離れた。
「ハルシャ」
 呼び止められた。
 嫌々ながら、ハルシャは振り向く。

「ジェイ・ゼル様は、お前をことの外お気に入りだ」
 染みで汚れた手で、自分の心を掴まれたような気がする。
「せいぜい、飽きられないように気を付けるんだな」
 まるで忠告のように、シヴォルトが言う。
 吐きそうになる。
 ハルシャは、黙礼して、彼の前を去った。

 ひどく汚いもののように、シヴォルトは自分を見る。
 彼に、ジェイ・ゼルとの情事の時間を告げられることが、本当に苦しかったのだと、ハルシャは足早に去りながら、改めて内側に気付く。
 何かにすがるように、左の手首に触れる。
 そこに、ジェイ・ゼルと繋がる、通話装置がある。
 
 ――ジェイ・ゼル。

 心に彼の名を呼ぶ。
 貶《おとし》めるように、辱《はずかし》めるように、シヴォルトは自分の名を呼ぶ。
 ジェイ・ゼルが、宝物のように、大切に口にしてくれる名を。
 ただ、苦しかった。

 動揺が、外にあふれていたのかもしれない。
 たどり着いた自分の作業スペースで、笑顔で迎えてくれたリュウジの顔が、ハルシャを認めた途端、不意に曇った。
「何か、あったのですか?」
 ハルシャは、触れていた通話装置から、手を離した。
「いや。何でもない」
 リュウジの眉が寄せられる。
「カーヴァルト鉱石の申請が通らなかったのですか?」
「大丈夫だ。一両日中に、運び込んでくれると、工場長が約束してくれた」
 じっと、ハルシャを見守ってから、リュウジの顔に再び笑顔が浮かんだ。
 彼は、それ以上は追及をしなかった。
「ハルシャが、いない間に、ざっとした削り出しの数値を出しておきました。見て頂けますか」

 傾けて見せてくれた電脳の画面に、削り出した後の形が、緑の線で表されている。
「仕事が早いな。今日は、この打ち込みだけで終わるかと思っていた」
「僕が設計者ですから」
 小声になりながらリュウジが呟く。
「数値は全て、頭の中に入っています」
 さすがだ。
「後の手で削る分の含みの付け方が解らないので、設計図通りです――どうですか」
 ハルシャは、他所から借りてきた椅子に座り、リュウジの傍らで、浮かぶ立体を見つめる。
「ここは、強度が必要だから、もう少し厚みが欲しい――五ドルダほどでいい」
「五ドルダですね。内へ? 外へ?」
「内へ」
「了解です、ハルシャ」
 素早くリュウジの手が動き、画面が書き換えられる。
 そうやって、削り出しの微調整を続けて、昼食の時間になる。
 作業を中断するのが惜しいので、サーシャが持たせてくれたランチを、取り出して、その場でリュウジと一緒に食べる。
 今日は『焼きおにぎり』というものだと、サーシャが言っていた。ご飯の握り飯が、香ばしい香りのするたれをかけて焼かれている。
 それと、白身魚の煮ものだった。
 焼きおにぎりは、一人に二個づつあった。
「美味しいですね」
 ほくほくとした笑顔を浮かべて、リュウジが言う。
 メリーウェザ医師のパウチを平気で食べたと知ってから、サーシャはリュウジが美味しいと言うと、複雑な顔をするようになった。
 ハルシャはあえて、指摘をしなかったが、サーシャの中で、微かな疑問が渦巻いているようだ。
 本当に、リュウジは味が解っているのだろうか?
 と。

 我知らず、ハルシャは笑っていたらしい。
「何か、顔についていますか?」
 リュウジが慌てて、口の周りを拭う。
「いや」
 ハルシャは、静かに首を振る。
「『惑星ファングーラの泡立つ海風味』のパウチを、まさかリュウジが食べるとは思わなかったな、と思って」
 リュウジが眉を上げる。
「見たらパウチの数が減っていました。……ハルシャが食べたのだと思ったのですが、違いましたか?」
 彼の観察力は、半端ないと、ハルシャは心の中に呟く。
「そうだ。昨日の昼に食べた」
 にこっと、リュウジが笑う。
「ハルシャが食べることが出来るなら、僕も大丈夫かと思ったのです」
 そんないい加減な。
「私は、あまり味にこだわりが無いから……」
 言ってから、合わせた唇から、ジェイ・ゼルにパウチの味がばれたことが、唐突に思い出され、ハルシャはすっと頬が赤くなる。
 照れくさくて、顔を焼きおにぎりに向ける。
「食べられればいいんだ。あまり、真似をしない方がいい」
 くすっとリュウジが笑う。
「でも、ドルディスタ・メリーウェザも、処理にお困りでしたので、僕たちが食べ切ったとお知りになったら、きっと心が軽くなると思いますよ」
 
 ハルシャは、ゆっくりと、リュウジへ顔を向けた。
 優しい笑みが、彼の顔に浮かぶ。
「協力しますよ、ハルシャ」
 
 どうして――
 リュウジには、自分の心が解ってしまうのだろう。
 買ったものの、処理に困っていたメリーウェザ医師のために、サーシャの反対を押し切って、ハルシャはパウチを持って帰った。
 味にはこだわりがない。だから、彼女の心の負担を軽くするために、あえて、『惑星ファングーラの泡立つ海風味』から、食べようと思ったのだ。
 それを――
 リュウジは見抜いていた。
 朝、選ぶところを見られていたのだろうか。
 適当に掴んできたように、見せかけていたのに。
 彼は、観察力が半端ない。
 それ以外の味なら、サーシャでも食べられるかもしれないと、思ったのだ。

「無理を、しなくてもいい」
 驚きが引かないままに、ハルシャは呟いていた。
 リュウジの笑みが深まる。
「同じ言葉をお返ししますよ、ハルシャ」
 焼きおにぎりを頬張りながら、リュウジが微笑む。
「無理をしないでください。ハルシャ。同じ荷物でも、一人より、二人で担げば、重さは半分になります。余力で、出来ることも増えます――」
 しばらく、リュウジは、おにぎりを無心に食べる。
「一人で、何もかにも、背負おうとしないでください」
 ぽつりと、彼は前を見て呟いた。
「ハルシャの側には、僕がいますよ」

 きっと――
 どこかで、こうやって、手を差し伸べてくれる人がいるのだろう。
 無心に、ただ――

「ありがとう」
 それ以上、何も言えずに、ハルシャは焼きおにぎりを口に運んだ。
 食事を終えるまで、沈黙が続いた。
 不意に、リュウジが口を開いた。
「礼を言うのは、僕の方です」
 静かな声が、喧騒に満ちた工場の中に、凛として響く。
「あなたがいなければ、僕は死んでいた」

 にこっと笑って、リュウジがハルシャを見る。
「食事を終えたら、もう一仕事、がんばりますか」








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