ほしのくさり

第46話  本当の心-01 





 結局、ヴォーデン・ゲートを抜けるまでに、小一時間ほどかかってしまった。

 交易の車両もあるために、どうしても混雑するのだ。
 待つ間に、ハルシャはたわいもない会話を、ジェイ・ゼルと交わす。
 珍妙な味のパウチから始まって、それの購入主であるメリーウェザ医師の話。
 ジェイ・ゼルが今まで食べた中で、最悪のパウチの味の話。
 『惑星ファングーラの泡立つ海風味』は、それに匹敵する味だと彼は請け合った。

 なろうと思えば、ジェイ・ゼルはいくらでも社交的な明るさを出せる人だった。
 話術が巧みで、どちらかというと口が重いハルシャから、会話を自在に引き出してくる。
 彼とこれほど打ち解けて話すときが来るなど、ハルシャは想像もしていなかった。
 待つ間に、夕暮れが空を埋め尽くしていく。
 珊瑚色に空が染まり、恒星ラーガンナの光が、地平の彼方に没していく。
 透明な覆いのために、荒々しいまでの自然の風景が、真っ直ぐに目に飛び込んでくる。
 故郷の夕焼けは、美しかった。

 ヴォーデン・ゲートも、三つの区画で、外界から隔てられている。
 今、順調に進み、最終エリア前で足止めを食っていた。
 会話が出尽くした後、ふと、ハルシャはジェイ・ゼルに尋ねてみた。
「ジェイ・ゼルは、『暗黒の砦』という昔話を、知っているか?」
 リュウジがしてくれた昨日の話は、ハルシャは初耳だった。
 もしかしたら、一般的なのだろうか、と疑念が湧いたのだ。
 ジェイ・ゼルが、制御盤に腕を預けながら、眉を片方上げた。
「『暗黒の砦』?」
「ああ」
 ハルシャは、記憶を呼び起こす。
「エンガナウ宙域に伝わる話だそうだが……」
 宙域の名に、思い当たる節があったのだろう。
 ああ、とジェイ・ゼルが呟いてかすかに頭を揺らした。
「『暗黒の砦』か。宇宙船が行方不明になったことから出来た話だな」
「知っているのか、ジェイ・ゼル」
「有名な話だからな」
 そうなのだ。
 ジェイ・ゼルの言葉に、ハルシャは自分の知識不足を思い知る。
 自分の知識は、十五で止まってしまっている。
 くすっと、ジェイ・ゼルが笑ってから、ハルシャを見つめる。
「確か、加虐趣味の悪魔と、被虐趣味の天使との間で、嗜好の合致を見た話ではなかったかな」
 灰色の眼が細められる。
「互いの性癖が合うほど、幸せなことはない」

 ハルシャは、無言でジェイ・ゼルを見返していた。
 そんな、物語だったろうか?
 どうも微妙に、違うような気がする。
 リュウジが話をしてくれたのは、もっと純粋だったように思う。
 伝播するうちに、色々派生したのだろうか。

 何だか納得のいかないハルシャをしばらく眺めてから、ジェイ・ゼルが口を開いた。
「どうした。『暗黒の砦』の話を、どこかで聞いたのか?」
「サーシャが興味を持っていて……」
 ふと、言葉を途切れさせる。

 ジェイ・ゼルに、オオタキ・リュウジを保護し、家で預かっていることは報せていない。
 借金を決められた額、きちんと返済さえしていれば、自分たちの行動を規制されるいわれはない。わざわざ報告する必要など、ないはずだ。
 彼から聞いたということを、なんとなく、ジェイ・ゼルに告げない方が、良いような気がした。
「俺は知らなかったから――どんな話かと、思っただけだ」
 ハルシャは言葉を濁した。

 なるほどね、とジェイ・ゼルの頭が揺れる。
「時間があるから、話してあげようか。ハルシャ」
 ジェイ・ゼルが?
 突然の申し出に、ハルシャは面食らった。
 戸惑う顔を楽しそうに見つめてから、彼は微笑みを浮かべた。
「どうせ、ここで待機させられて、することもない。
 サーシャが興味あるのなら、覚えて帰って話してあげたらいい――もっとも、この話が子ども向きとは、私は思えないがな」
 笑いを含んで彼は優しい声で言った。
 自分は随分、知らないことが多いようだ。
「もしよかった、話してくれないか。ジェイ・ゼル」
 ハルシャの言葉に、彼は片頬を歪めて応えた。

 ジェイ・ゼルは前を向き、最終エリアの扉の威容を眺めながら、話し始めた。

「昔、むかし。エンガナウ宙域に、宇宙船乗り達に恐れられる場所があった。不用意に立ち行った宇宙船が行方不明になる、宙域だ。
 人々はそこを『暗黒の砦』と呼んだ。
 砦には能力を奪われ、地面に縛り付けられた一人の悪魔が住んでいた。
 能力を奪われた憎しみに凝り固まった悪魔は、宇宙船を捕え、乗組員を殺すことでうさを晴らしていた。
 なるべく、苦しみを長くしながら殺したいと思うのだが、いかんせん、生命体は脆く、すぐに絶命する。
 常に、悪魔は殺し足りなく、物足りなかった。
 そこへ、ある日、一人の天使が訪れた。
 天使は悪魔に言ったんだ。
 私は死ぬことがありません、百人の乗組員を殺すよりも、私一人を痛めつけた方が、より、合理的で満足が深いと思いますよ、と。
 もう宇宙船を襲わないと約束をするのなら、私はあなたの側に居ましょう。
 そこで、悪魔は、天使を専属で痛めつける代わりに、宇宙船を襲撃しないと約束をしたんだ。
 悪魔の誓いだ。どこまで拘束力があるかはわからないが、とにかく、契約がなされた。
 言葉の通り、天使は、死ななかった。どんなに残虐な傷を受けても、腕をちぎられても、神々の加護を受けている天使は、身体が数日で回復するんだ。
 悪魔は狂喜乱舞した。
 貴重なおもちゃを手に入れたんだからな。
 痛め続ける日々は、百年もの間続いた。
 その間、天使は悪魔に責められ続け、幾度も命の瀬戸際まで行ったが、それでもやはり天使は蘇って来た。
 百年間、天使をいたぶり続けた悪魔は、ある日、ふと気づいた。
 自分がもう、それほど相手を痛めつけることに、興味を抱いていないことに。
 現に、これまでは天使の身が癒えるとともに、すぐさま傷つけていたんだが、次第に間隔があきだした。
 時には何もせずに、天使の側に居るだけで、時を過ごすこともあった。
 百年の間に、大方の残虐なことはし尽してしまったんだ。
 その代わり、むくむくと、もう一つの要求が頭をもたげてきた。
 命を奪いたい。
 神々が作った生命体の命を奪い、究極の凌辱を与えたい。
 自分はそれを望んでいるのだと、悪魔は自分の内側の声に気付いた。
 天使の命を、どんなことをしても奪えなかった。そして、なお悪いことに、天使は決して、悪魔を恐れていなかった。
 相手の恐怖を味わいながら、命を奪う。
 二つの楽しみを、天使と契約することで失ってしまったことに、悪魔は百年目にして、気付いてしまったんだ」

 随分と、リュウジが語ってくれた内容とは違う。
 目を見開きながら、ハルシャは静かなジェイ・ゼルの言葉に耳を傾けた。
 夜が、西の方角から迫ってきていた。ラグレンの街の光が、ほのかに辺りを照らし始める。
 その中で、淡々と、ジェイ・ゼルは物語っていた。

「これが、もしかしたら、天使の計略かもしれない。
 悪魔は疑いを抱き、天使を憎んだ。
 いくら全力で痛めつけても、死ぬことのない天使の前に、不思議な無力感すら、悪魔は味わっていた。
 ある日、怒りに駆られて、悪魔は百年目にして一番と思えるほど、激しく天使を傷つけた。
 黙って天使は鮮血をほとばしらせながら、耐えていた。
 その顔すら、悪魔の怒りに油を注いだ。
 お前を殺すことさえ、出来れば。
 悪魔は、天使に激しい口調で叫んだ。
 この永劫の苦しみが消えるだろうに。
 悪魔の無情な言葉に、天使は顔を上げて、悪魔を見つめた。
 しばらく無言で見てから、苦しい息の下から
 私の消滅を願うのですか。
 と、天使は言った。
 もちろんだ、と、激情のまま、悪魔は言った。
 だが、お前は取り澄ました顔で、いくらでも蘇ってくる。憎くて仕方がない、と。
 天使は無言で悪魔を見つめてから、言葉をかけた。
 どんなに私を傷つけても、あなたは満足しないのですね。暗黒の穴があなたの心の中に空いていて、全てを憎しみで飲み込んでしまい、私の苦痛でも、あなたの心は埋められないのですね。
 天使は消えそうな声で、言ったんだ。
 その時、悪魔は天使が痛めつけられるたびに、やはり痛く苦しかったのだと、やっとわかったんだ。
 平気であるはずがない。
 死に近いほど、痛めつけたのだから。
 そんな単純な事にも、自分の暴力に夢中だった悪魔は気付かなかったんだ。
 天使はきれいな瞳で、真っ直ぐに悪魔を見つめると、
 では。
 私の羽根をむしりなさい。羽根を失うと、天使は死にます。
 私を殺しなさい。
 そう、天使は悪魔に告げたのだそうだ」

 ジェイ・ゼルは前を向いたまま、話しを続ける。
 灰色の瞳が、ラグレンの光を見つめる。
 ハルシャは、動くことが出来なかった。

「天使を殺すことが出来る。
 知った悪魔は、喜んでも良かったはずだ。
 だが、実際は、殺す手段を教えられることで、悪魔はとてつもない困惑を抱いたんだ。
 秘密を知らされれば、天使を殺すしかない。
 自分は悪魔なのだから。
 神々から忌まれ、恐ろしい力と醜い容姿を与えられた、悪の象徴なのだから。
 そう思いながらも、悪魔は動けなかった。
 きれいな天使の瞳を見つめながら、どうしても、その命を奪うことが出来ない自分に、気付いたんだ」

 ふと、ジェイ・ゼルは言葉を切った。
 待っていた最終エリアのカウントダウンが始まり、ゼロが表示される。
「すまないな、ハルシャ。続きはまた今度だ――やっとラグレンに入ることが出来る」
 物語を中断させると、ジェイ・ゼルはゆっくりと開く最終エリアの扉を見つめながら、駆動部の出力を上げる。
 各車両も、出発に備えはじめた。周りの駆動音が大きくなる。
 優雅に左右に開いてく扉の向こうに、都心ラグレンの姿が見え始めた。
 戻ってきたのだ。
 不思議な郷愁が、胸を打つ。
 たった半日離れていただけなのに、懐かしい気持ちになるのは、なぜだろう。
 都心ラグレンには、生命の息吹が満ちている。
 外界の、人類を寄せ付けない雰囲気とは、あまりにも違う。
 それがきっと、心に安らぎを与えるのだろう。
 宇宙空港から戻る時、大地に半円形の姿をみせるラグレンを、ハルシャは遠くから見つめていた。
 繊細で壊れやすい、命の宝石箱のような気がした。
 透明なドームに守られた、生命の故郷。
 祖先が困難に勝たなければ、この都市は存在しなかった。
 そのことを、ふと、思った。

 ジェイ・ゼルは、誘導に従って、しずしずとラグレンに入っていく。
 最終エリアを出たところで、交通管理局の機械が再び飛んできて、車両番号を確認している。緑の文字で、再び許可と出て、やっと、ラグレンを自由に航行することが、認められる。
 
 申し合わせがしてあったのだろう。
 ジェイ・ゼルは飛行車を、行く先を知っている確かさで、進めていく。
 ゲートから離れた駐車場に、彼は静かに飛行車を停めた。
 
 ジェイ・ゼルの姿を認めて、素早くネルソンが近づいてきた。
「お帰りなさいませ、ジェイ・ゼル様」
 扉を開けながら、彼は礼で報いる。
「思ったよりヴォーデン・ゲートを抜けるのに時間がかかった。待たせたな、ネルソン」
「いえ。ほとんど時間通りです、ジェイ・ゼル様」
 飛行車から出て、ジェイ・ゼルは鍵をネルソンに渡している。彼は恭しくそれを、受けていた。
 ハルシャは自分で、飛行車から出た。
 やはり、ラグレンの中は大気が安定している。
 夕暮れから夜に変わった空を、ハルシャは見上げる。
 明日からは、これまでと同じ日々が始まる。
 夢のような時間を、今日は半日過ごすことが出来た。
 ジェイ・ゼルが心を尽くしてくれたお陰だった。
 静かな感謝と感動が、胸の中にさざ波を立てる。
 空を見つめて動かないハルシャの肩が、ジェイ・ゼルの手に包まれた。
「ここで、夜中まで過ごすつもりか」
 ハルシャは、ジェイ・ゼルを見上げる。
 灰色の瞳が、優しく細められて、ハルシャを見ていた。
「行こう、ハルシャ。食事の予約がしてある」
 押すようにして、ジェイ・ゼルが動く。促されるままに、ハルシャは彼に従った。
 すぐ側に、ネルソンはジェイ・ゼルの飛行車を停めてあった。
 乗り込んだ場所に、きちんとハルシャのボードが置いてある。
 何だか、嬉しかった。
 隣に座ったジェイ・ゼルへ、ハルシャは視線を向けた。
「感謝をしている、ジェイ・ゼル」
 言葉に、彼が顔を向ける。
 灰色の瞳の中に、自分の姿が映っていた。
「貴重な時間とお金を自分のために、使ってくれて。心遣いにどう言葉を尽くしたらいいのか、解らないほどだ」
 素直な言葉が、口からこぼれだす。
「お陰で自分が何者なのか、もう一度確認できたような気がする」
 しなやかに前を向いて、歩いて行ける勇気を、ジェイ・ゼルからもらったようだ。心が穏やかになっている。
 彼の優しさに向けて、言葉をこぼす。
「明日からも、頑張っていけそうだ。ジェイ・ゼルのお陰だ――今日は、本当にありがとう」
 もっと上手な言葉で感謝を述べたかったが、これがハルシャの精一杯だった。
 どうも自分には、文学的な才能がなさそうな気がする。
 思いがきちんと言葉にならずに、もどかしい。
 唇を噛み締めて、ハルシャはジェイ・ゼルへ視線を向け続けた。
 
 ふわっと、飛行車が浮かぶ。
 長くジェイ・ゼルはハルシャを見つめたまま、沈黙していた。
 やはり、言葉が足らなかっただろうか、と、危惧するほど、長い沈黙だった。
 すっと、両手が伸ばされ、ハルシャの頬を挟んだ。
 じっと、ジェイ・ゼルがハルシャを見つめる。
「君は――」
 顔を近づけながら、ジェイ・ゼルが言葉を滴らせる。
「私を煽るのが、本当に、上手だ」
 重く、熟れた様な言葉だった。
 呟きと共に、ハルシャの唇が覆われていた。
 チャーターした飛行車の中では、ジェイ・ゼルは唇を重ねてこなかった。
 自制していたのだと、今の激しい口づけの中で、ハルシャは悟った。
 彼が保っていた平静を、自分は不用意に突き崩してしまったらしい。
 口づけが次第に深く、強くなっていく。
 舌が絡めとるように、ハルシャの中を探る。
 ネルソンが側に居ることに気兼ねして、ハルシャは声を押し殺した。
 しばらくそうやって、口を探っていたジェイ・ゼルは、不意に顔を離した。

「ネルソン」
 低い声で、運転手に指示をする。
「予定変更だ。先に『エリュシオン』に向かってくれ」
 はい、と短い応えが聞こえる。

「食事は、部屋に運ばせる」
 低い声のまま、ジェイ・ゼルが呟く。
「予約したところへは、また今度連れて行ってあげよう。ハルシャ」
 髪に、唇が触れる。
「予定を変更して、すまない」
 詫びが、耳朶を打つ。
 ハルシャは首を振って、大丈夫だと伝えた。
 今も、ジェイ・ゼルは懸命に平静を保とうとしているのだと、ハルシャは気付く。
 もう彼は唇を重ねることなく、ハルシャの肩を抱き、自分に引き寄せた。
 今日の一日の最後に、当然のように、自分はジェイ・ゼルに抱かれるのだと、ハルシャは思う。
 それが、契約だ。
 彼の相手をするのが。
 彼だけの相手をするのが――






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