ほしのくさり

第45話  ファルアス・ヴィンドースの詩-02





 ジェイ・ゼルは真っ直ぐ前を見て、制御盤のパッドの上に、手を走らせている。
 地面からの距離を報せる情報に細かく対応し、車の高さを一定に保つ。
 ほぼ自動でこなせるが、彼は手で修正を入れて、車体の揺れを、最小限にとどめていた。
 素晴らしい技術だ。
 ハルシャは、素直にジェイ・ゼルの運転技術を賛美する。
 トルディオキシンを大気から取り除き、浄化装置から新鮮な空気が送られてくる。駆動部の音だけが聞こえる車内で、ハルシャはジェイ・ゼルの熱を感じた。
 
 沈黙の中、ジェイ・ゼルは迷うことなく、森を抜ける。
 梢の先を、ハルシャは目で追いかけ、後ろを振り向いた。
 森が、遠くなる。
 いつか――
 ファルアス・ヴィンドースのように、この森に眠りたいと、ハルシャは一瞬考えた。だが、森に眠るなど、今は許可が出ない。両親の骨も、小さな密閉容器に入れて墓地に収めてある。
 惑星ガイアの生物群と異なるために、炭素系生命体の人類の身体は、大地の中でも分解されることがない。
 だから。
 ファルアス・ヴィンドースは、特別なのだ。
 彼だから、あの場所に墓石を立てることができた。
 
 ジェイ・ゼルは、真っ直ぐに都心ラグレンへ帰るのかと、ハルシャは思っていた。南にある、ヴォーデン・ゲートでネルソンは待っていると、別れる時に言っていた。
 だが。
 彼は、ラグレンへは向かわなかった。
 森とラグレンの中間から、飛行車用の道を折れ、地平の彼方へと向かう。
 どこへ、行くんだ。ジェイ・ゼル。
 問いかけたい思いを、ハルシャは飲み込む。
 彼が目的地をハルシャにこれまで知らせなかったことを、思い出す。
 黙って乗っていれば、その内どこかへつくだろう。
 もしかしたら――
 ジェイ・ゼルが自分の用事で出かけているかもしれない。たまたま時間があるから、その前にハルシャを森へ誘ったということもある。
 彼は、利益にならないことは、しない。
 随分前に、彼の口からはっきりと、そう、聞いた。
 その時は、ひどく冷たい言葉のように思えた。

 目的もなく進んでいるように見えた飛行車の前に、見えてきたものに、ハルシャは再び腰を浮かしていた。
 くすくすと笑いながら、ジェイ・ゼルが膝に再び手を置く。
「危ないよ、ハルシャ」
 笑いを含んで彼が言う。
「飛行車は、結構不安定だ。座っていてくれ」

 ハルシャは、ジェイ・ゼルへ顔を向けた。
 向こうに見えるのは――バルキサス宇宙空港だ。
 ジェイ・ゼルは自分を、宇宙空港へ連れてきたのだ。
 手を膝の上にまだ置いたままで、ジェイ・ゼルが静かに呟いた。

「宇宙船が好きだろう。ハルシャ」

 その時。
 自分は子どものような顔をしていたのだと思う。
 迷子になり、途方に暮れたような、ひどく幼い顔に。
 ちらっと眼を向けたジェイ・ゼルの表情が、変わった。
 柔らかな笑みが消えて、顔を引き締めると、膝に乗っていた手を浮かせて、ハルシャの肩を包んだ。
 片手で自分を引き寄せて、じっと前を見ている。

「嫌か?」
 
 短い問いが、ジェイ・ゼルの口から漏れる。
 ハルシャは首を振った。
 どうして。
 ジェイ・ゼルはこんなに自分の感情を揺さぶってくるのだろう。
 ハルシャが失った大切なものを、思い出させるように。
 バルキサス宇宙空港には、父が頻繁に連れてきてくれた、思い出の場所――そして、夢の残骸を思い知る所だ。

 あれは、アンタレス星系の宇宙船だ。
 貨物船だな。ほら、赤い羽根のマークがあるだろう?

 船体に刻まれたエンブレムを見ながら、父が教えてくれる。
 
 ハルシャはどんな宇宙船に乗りたいんだ?

 笑顔で問いかけてくれる父に、ハルシャは自分の夢を懸命に語った。
 白亜の流線型の宇宙船。図鑑で見た、皇帝機アルキュオネ号のような、美しい宇宙船が欲しいと。
 父は声を上げて笑った。

 皇帝機アルキュオネ号か――それではあまり、貨物は運べないな。

 当時は知らなかったが、アルキュオネ号は戦艦だった。機動力に特化された戦闘艦は、貨物を運ぶには不向きな、優美な姿をしていた。
 貨物用の宇宙船はもっと胴がずんぐりしたものになる。
 それでも、少年の頃夢に見たのは、真っ白でいかにも機敏な宇宙船だった。

「父の交易に、よく同伴してもらって、バルキサス宇宙空港には、立ち寄っていた」
 ハルシャは、ジェイ・ゼルの服に呟く。
「少し、思い出しただけだ」
 彼の温もりを感じながら、言葉を続ける。
「嫌じゃない。ジェイ・ゼル」

 ふっと、小さくジェイ・ゼルが息を吐いた。
「宇宙空港には寄らない」
 なだめるように、彼が呟く。
「外から少し、眺めるだけだ」
 ジェイ・ゼルは時間を気にしていた。
 自分のために、少し足を延ばして、バルキサス宇宙空港へ連れてきてくれたのかもしれない。
 了承を示して、ハルシャはうなずいた。

 どうして。
 こんな些細なことで、自分はすぐに動揺してしまうのだろう。
 きちんと、地に足を付けて、責務を果たしているつもりなのに。
 大人として、自立しているつもりなのに。
 過去が蘇ると、すぐに心が波立つ。
 自分の心のもろさが、辛かった。
「もう、大丈夫だ。ジェイ・ゼル」
 服に呟き、ハルシャは彼から距離を取った。
 片手の運転では、負担をかけると、判断を付ける。
 すっとジェイ・ゼルの手が離れた。
 ハルシャは、前を向き、宇宙空港を見つめる。
 広大な土地の上に、バルキサス宇宙空港は存在した。
 惑星トルディアは、この宙域では一番重要な交易拠点だ。安全性を加味して、都心ラグレンからはるかな距離を取った赤道付近に、宇宙空港は置かれている。

 空港には、ドームはなかった。
 宇宙から直接降りてくるので、余計なものはかえって邪魔になる。
 今も、後ろに光を引きながら、貨物仕様の宇宙船がトルディアの地を旅立っていった。
 プロキオン星系船籍の宇宙船だ。
 凄まじい速さで光の点となる、銀色の船体をハルシャは見つめていた。

 先ほど言ったように、ジェイ・ゼルは宇宙空港から少し距離のある場所で、飛行車を停めた。
 時間を気にしている
 ハルシャは、遠くに展開される、交易のさまを眺める。
 着陸した宇宙船から、荷物が下ろされている。
 物資は、ラグレンに運ばれて、人々の暮らしに豊かさをもたらすのだろう。
 憧れていた世界に見入るハルシャの耳に、静かなジェイ・ゼルの言葉が聞こえた。
「もうそろそろだ、ハルシャ」

 何が、だろう?

 ハルシャは、ジェイ・ゼルへ顔を向けた。
 彼は静かに、微笑んでいた。
「前を見ていろ。ハルシャ」
 言ってから、彼も視線を宇宙空港へ向ける。
 意図することが理解できないまま、ハルシャは促されたように、前を見ていた。

 見ている前で、一機の宇宙船が離陸の態勢に入った。
 重水素核融合型の動力を使用している。
 吐き出す炎の色で、ハルシャはそれと知った。
 離陸誘導台に設置された宇宙船が激しく炎を吹き、優雅に宇宙に向けて飛び立った。
 ハルシャは、確かな動きを見つめていた。
「ベテルギウス星系船籍の船だ」
 ジェイ・ゼルが静かに横で語る。
「所有者は、ランカー商会。中規模の交易会社だ」
 やけに詳しい宇宙船の情報をジェイ・ゼルが告げている。
「宇宙船の名前は、ヴィアトリーチェ号。竣工したのは、二年前」
 揺るぎない動きで、宇宙船が惑星トルディアの大気圏を抜ける。
 大気圏を抜ける前に、再ブーストする。
 力のある、駆動機関部だ。
「駆動機関部は、レジェル・ドラン型。長期航路に向けて開発された逸品」
 はっと、ハルシャは、ジェイ・ゼルへ顔を向けた。
 彼はまだ、宇宙船を見つめていた。
「あの船は、長距離輸送用の宇宙船だよ。ハルシャ」

 宇宙船から、視線をハルシャに向けると、ジェイ・ゼルが静かに微笑んだ。
「君の作成した駆動機関部を、船は搭載している」

 とっさに、ハルシャはジェイ・ゼルから、もう光の点となった宇宙船へ視線を戻した。
 自分の作った駆動機関部を載せた宇宙船。
 それが、立派に機能し、宇宙を旅している。
 膝の上に乗せていたハルシャの手を、ジェイ・ゼルの手の平が包んだ。
「優秀な駆動機関部で、今まで一度も故障したことがないそうだ。持ち主が褒めていた。
 君が、真心を込めて作ったお陰だろうな」

 自分の作った製品が、宇宙を飛んでいる。

 手の甲の温もりを感じながら、ハルシャはジェイ・ゼルに顔を向けた。
 彼の優しい灰色の瞳を見つめる。
 
 これを、見せるために――ジェイ・ゼルは宇宙空港へ足を運んだのだと、ハルシャは悟った。
 宇宙を、飛んでいる、と。
 長期航路に耐えて、故障もしていないと。
 実際に、見せてくれようとしたのだ。

「ヴィアトリーチェ号は、ベテルギウスに向かうそうだ。長い旅だが、君の駆動機関部なら、大丈夫だろう」
 手の甲を離れ、ジェイ・ゼルは飛行車の制御盤に顔を向けた。
「ラグレンに、戻ろうか」
 静かに呟いて、彼は駆動部をスタートさせた。
 あまりの出来事に、ハルシャは対応しきれずに、ただ、ジェイ・ゼルを見つめていた。

 くすっと、ジェイ・ゼルが小さく笑う。
「想定外のことが起こると、君は素の顔になる」
 駆動部が唸る。
「冷静で取り澄ました、いつもの顔ではなくて、ね」

 静かに方向転換し、光の道を辿って、ジェイ・ゼルが飛行車を操る。
 今度は真っ直ぐに、ラグレンに――南の入り口であるヴォーデン・ゲートへとジェイ・ゼルは向かっている。
 いつの間にか、辺りは夕暮れに近くなっていた。
 平坦な土地がほとんどの惑星トルディアは、ぐるりが地平線になる。
 しばらく走っても、ハルシャはまだ、ジェイ・ゼルから目が動かせなかった。

「どうして――」
 やっと、ハルシャは、疑問を口にした。
 どうして、自分が駆動機関部を作った宇宙船を、見せてくれたのか。
 言おうと思っても、上手く言葉に出来ない。
 前を向いたまま、ジェイ・ゼルが静かに呟いた。
「さあ」
 微笑みがこぼれる。
「なんでかな」

 お前の作った製品は、立派に用をなしている。
 このことを励みに、一層良い商品を作れ。
 
 そう、言いたいのだろうか。
 と、思ったハルシャは、何だか納得がいかなかった。
 それだけでは、無いような気がした。
 単純なことではない、深いところで――彼は自分に、駆動機関部が搭載された宇宙船が旅立つ様を、見せてくれた。
 わざわざ時間を合わせ、高価な浄化装置付きの飛行車を、チャーターして。

 ハルシャは、黙り込んだ。
 いうべき言葉が見つからない。

「君の船は、宇宙を渡る」
 長い沈黙の後、ぽつりと、ジェイ・ゼルが呟いた。
「人々に愛され、大切にされている。そういう駆動機関部を、君は作っている」

 言葉を切り、ジェイ・ゼルは近づくラグレンを見つめる。
 南の入り口、ヴォーデン・ゲートが近づいてきた。
 ハルシャが、そちらに気を取られた時、不意に彼の声が聞こえた。

「私は君が、誇らしい」

 風のように、微かな声だった。聞き逃しそうな声。
 駆動部の音に紛れてしまいそうな、囁き。
 けれど、呟かれた、ジェイ・ゼルの言葉。

 それ以上、ジェイ・ゼルは何も言わなかった。
 ハルシャは迷ってから
「これからも、良い製品を作るようにする」
 と、誓うように呟く。
 ジェイ・ゼルの眉がひゅっと上がった。
 さらに迷ってから、顔を赤らめて、やっと絞り出すように言う。
「ジェイ・ゼルが、誇りに出来るような、駆動機関部を――」

 一瞬の沈黙の後、ゆっくりと口角を上げると、
「それは頼もしいな」
 と、ジェイ・ゼルが優しい声で言った。
「君の製品の評判が上がれば、製品を高値で交渉でき、結果として、君の借金も、早く返済することが出来る」
 実利的な言葉になりながら、ジェイ・ゼルが呟く。
「私も利益を上げられる。ぜひ、精進してもらいたいものだ」

 ハルシャはうなずいた。
「わかった」
 結果として、双方が利益になるのなら、ありがたいことだ。
 内に呟きながら、ハルシャは前へ視線を向けた。
 もう会話は、終わったと思ったのだ。
 だが、ジェイ・ゼルの中では、終わっていなかったようだ。
「借金を、早く返したいか」
 不意に、彼は問いかけてきた。
 え、と、ハルシャは横へ顔を向ける。
 ジェイ・ゼルは、前を向いていた。顔に、笑みがない。
 問いかけに、ハルシャは戸惑った。
「借金を全額返済することが、今の俺の目的だ」
 何をいまさらのことを、という困惑だった。
「早く返せば、それだけ妹にも負担をかけなくて済む」
 サーシャは賢く、優しい子だ。
 もう少し大人になり、現状が把握できて来れば、ハルシャと一緒に借金を返済するために、働くと言い出すだろう。結婚も何も諦めて、ただ、働き続ける。そんな人生を、ハルシャは妹に送らせたくなかった。
 懸命なハルシャの言葉に耳を傾けてから、ジェイ・ゼルは小さく笑った。
「そうだな」
 ふっと息を吐く。
「そのために、君は働いている」

 自明の理を告げてから、彼は黙り込んだ。
 どうして。
 そんなことを、突然言い出すのだろう。
 借金を返すために、ヴィンドース家の至宝の数々を、ハルシャは手放したというのに。一刻も早く、自由になるために。
 
 ジェイ・ゼルはもう、それ以上何も言わなかった。
 ヴォーデン・ゲートには、ラグレンへの通行待ちの車両が多く並んでいた。
 出るよりも、入る方が混雑している。
 しばらく待つ必要があるようだ。
「やはり、ヴォーデン・ゲートは、混むな」
 諦めたように、ジェイ・ゼルが呟く。
 彼の口調はもう、元に戻っていた。微笑みを浮かべて、彼はハルシャへ顔を向けた。
「抜けるまで、しばらくかかる」
 告げる言葉に、ハルシャは了承を込めてこくんとうなずいた。
 ふっと、ジェイ・ゼルの笑みが深まった。
 思い出し笑いだ。
「しかし、どうして『惑星ファングーラの泡立つ海風味』なんてパウチを、手にしたんだ、ハルシャ? 罰ゲームか?」
 砕けた物言いに、ハルシャの肩の力が抜ける。
「そ、それは」
 言い淀むハルシャに、優しいジェイ・ゼルの言葉がかけられる。
「ぜひ教えてくれないか、ハルシャ。ヴォーデン・ゲートを抜けるまでには、どうせまだまだ時間がかかる」








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