ほしのくさり

第43話  森に眠る命-02






 ジェイ・ゼルは、ヴィンドース家が大切にしていた場所に、ハルシャを誘ったのだ。
 あふれる想いに、唇を噛み締めるハルシャに、優しいジェイ・ゼルの言葉がかけられる。
「居間に、あったな。惑星トルディアの父、ファルアス・ヴィンドースの直筆の額が」
 かつてハルシャが住んでいた自宅の居間に、直系ならではの品として、ファルアス・ヴィンドースが書いたものを、額に入れて飾ってあった。
 ジェイ・ゼルは、そのことを言っている。

「君の先祖は、詩人だったんだな」
 小さく、微笑みがジェイ・ゼルの顔に浮かぶ。
 彼の視線が前を向き、光の中にまどろむような、墓石へと向けられた。

 額に入れてあったのは、ファルアス・ヴィンドースが、走り書きにした、短い詩だった。
 粘り強い科学者に似合わない、優しい詩。
 その額も、ジェイ・ゼルは競売にかけていた。

 思わぬ高値で売れたよ、ハルシャ。
 ファルアス・ヴィンドースは、今でも惑星トルディアでは、人気なんだな。

 そう言って、大切な祖先が残したものの値段を、ジェイ・ゼルは薄い紙切れ一枚で、示してくれた。
 三〇二ヴォゼル。
 それが、歴代のヴィンドース家が大切にして来た、ファルアス・ヴィンドースの直筆の額に付けられた値段だった。

 どうして。
 この場所に連れてきたんだ、ジェイ・ゼル。

 ハルシャは、叫びそうになるのを、懸命に抑えた。
 森が見られれば、それで良かった。
 この場所は――自分たちにヴィンドース家にとって、聖地というべき場所だ。
 どうして。
 こんなに薄汚れた自分の身で、この場所に来ることが出来るのだろう。
 ヴィンドース家の名を汚し、借金に塗れ、男に抱かれている自分が。
 惑星トルディアの父と呼ばれた人の墓に、顔向けなどできない。
 五年前との違いを、思い知らされるだけだ。

 ジェイ・ゼルは、墓石を見つめ続ける。
 その傍らで、身を強張らせながら、ハルシャは唇を噛み締めて、恥辱に震えていた。

「君の先祖が、諦めていたら――」
 静かな声が、ハルシャの耳に響いた。
「私たちは、この地にいなかった」

 ジェイ・ゼルが、呟いている。
 ハルシャは、ふと、視線を上げて、彼の横顔を見つめた。
 紫の葉越しの光が降り注ぐ中、眼差しを前に向けたまま、彼は言葉を続けた。

「彼の粘りがなかったら、惑星トルディアは、無人の大地にただ、採掘機の音だけが響く星になっていただろう。珊瑚色の夕暮れの色も、この美しい紫の森も、誰にも知られることなく、人類が生存できない星として、打ち捨てられていた」
 かすかに、彼は笑みを浮かべた。
「都心ラグレンも存在せず、交易路もなく、そして」
 ゆっくりと、ジェイ・ゼルがハルシャへ顔を向けた。
 不思議に静かな眼差しで、ジェイ・ゼルが自分を見ていた。
「君の父親は借金などすることなく、私と君は、出会うことはなかった」

 ハルシャは、無言で、彼の灰色の瞳を、見つめ返す。
 葉陰の落とす光が、ジェイ・ゼルの瞳の中で、踊っている。

 ふっと、彼が微笑んだ。
「そのことを、この場所で確認したかっただけだ。ハルシャ」
 ゆっくりと、彼は身を伸ばした。
「君の先祖は諦めず、そして私たちは、出会った。それを確かめられた。もう十分だ」
 ジェイ・ゼルの目が、制御盤に向けられた。駆動部の力を高め、飛び立つ準備をしている。
「付き合ってくれて、ありがとう。ハルシャ」

 ふわっと、飛行車が浮いた。
 それだけ?
 たったそれだけのために、彼は高額なチャーター料を支払って、この場所に来たのか。
 ハルシャは、思わずジェイ・ゼルの腕を掴んでいた。
 真剣な眼差しに、彼が小さく笑った。
「どうした? ハルシャ」
 問いかけの言葉が、思い浮かばない。
 戸惑うハルシャの頬に、ジェイ・ゼルの手が触れた。
「ハルシャ。君の中には、決して諦めることのなかった、惑星トルディアを作り上げた人間の血が、流れている。
 そのことを、この場所で確認したかった。それだけだ。私の目的は、もう済んだ」
 
 ドクンと、中に流れる血の音が聞こえた。
 すっと手が離れる。

「この場所に、長居したくないのだろう。戻ろう」

 苦しげな、さきほどの表情を見られていたのだと、ハルシャは気付く。
 頬を染め、唇を噛み締める、自分の姿を。
 
「それだけのために」
 ハルシャは、言葉を呟いていた。
「俺を連れてきてくれたのか?」
 やっと、ジェイ・ゼルに疑問をぶつけることが出来た。
 制御盤から手を離し、ジェイ・ゼルがハルシャを見た。
 無言で見つめてから、彼は小さく笑った。
「ああ、そうだ」

 短く答えてから、彼は再び制御盤に向かった。
「安心しろ、きちんと元の場所に戻る。ハルシャは、森を眺めていたらいい」
 掴んでいるハルシャの手を、別に振りほどくこともなく、彼は再び飛行車を浮かせた。
「好きなんだろう、この森が」
 小さく呟いて、彼は飛行車の向きを変える。
「どうして!」
 ハルシャは、叫んでいた。
「どうして、森が好きだと、知っているんだ、ジェイ・ゼル!」
 そんなことを、一言もジェイ・ゼルに言ったことはなかった。
 なのに、彼はあたかも、当然のように事実を述べた。
 ハルシャは、混乱のあまり口調を尖らせて彼に迫った。
「どうしてなんだ、ジェイ・ゼル!」

 何かを求めるように、ハルシャは懸命に言葉を発していた。
 解らない。
 彼の考えていることが。
 自分に何をさせたいのか、どうしたいのか。
 なぜこの場所に、自分を連れてきたのか。
 解らない、何も。

 ジェイ・ゼルの腕をつかむハルシャの手に、温かい手の平が触れた。
 駆動音が低くなり、飛行車が静かに地面に降りた。
 停車しながら、ジェイ・ゼルが呟く。
「落ち着け、ハルシャ」
 制御盤から手を離して、ハルシャの身がジェイ・ゼルに抱きしめられていた。
「どうやら、私はまた、君の心を理解していなかったようだな」
 髪に、唇が触れた。
「そんなに、動揺させるつもりはなかった。この場所は、君にとって、特別なんだね。私の理解が行き届かなかった」
 背中に回した手が、なだめるように服を滑る。
「森が好きだと言ったのは、『エリュシオン』の部屋で、君が、壁にかけられていた森の写真を、じっと見ていたからだ。
 もしかしたら、と勝手に思っただけだよ」

 三年ほど前のことだ。
 呼び出された部屋の入り口に、写真が掲げてあった。
 きれいな森の写真に心惹かれ、ハルシャは確かに無心に眺めていた。
 ジェイ・ゼルは気付いていたのだ。

「混乱、させてしまったね。ハルシャ」
 
 髪にこぼれる優しい言葉に、ハルシャはぎゅっと、ジェイ・ゼルの服を握りしめた。
 やっと、奥底に押し込めていた言葉を、口に出す。
「ここは、家族でいつも、訪れていた場所だった――だから」
 目を閉じ、額をジェイ・ゼルに押し当てる。
「思い出が、多すぎるんだ」

 ジェイ・ゼルの体が、かすかに強張った。
「そうか」
 髪を、手が撫でる。
「知らずに連れてきて、すまなかったな。ハルシャ」
 首を振る。
「もう」
 静かに首を振り続ける。
「過去のことだ」
 
 言えば、本当になるような気がする。
 過ぎ去ってしまったことのように。それでいいはずだ。
 戻らない時を嘆いても、時間は巻き戻らない。
 幸せは手の平からこぼれ落ちて、二度と返ってこない。
 今――
 穢れ果てたこの身が、自分だ。
 仕方のないことだ。
 祖先に顔向けできない生き様を、自分は選んでしまった。
 浅い呼吸の中で、懸命に心の整理をつける。
 
 決して諦めなかった人間の血が、自分にも流れている――

 そのことを伝えるためだけに、ジェイ・ゼルはここへ連れてきてくれたのだろう。
 ジェイ・ゼルの思いだけを、必死に手の平の内に掴む。
 諦めるな、と。
 言ってくれているのかもしれない。
 メリーウェザ医師のように。
 借金を返し続ける人生だが、それに負けずに生きて行けと。
 彼は自分に、伝えたかったのかもしれない。

 ぎゅっと、服を掴む。
「もう少し――」
 ハルシャは、呟く。
「もう少し、ここに居させてくれないか。ジェイ・ゼル」

 ジェイ・ゼルが髪を撫でながら呟く。
「もちろんだ、ハルシャ。まだ、時間はたくさんある」

 くつろいで時間を過ごすためにか、彼は座っていたシートを、どこかを操作して静かに倒した。
 誘われるように、ハルシャはジェイ・ゼルと共に、身をシートに横たえた。
 そうすると、真正面に紫の葉に覆われた天蓋が飛び込んでくる。
 ちらちらと、木漏れ日が降り注ぐ。
 ハルシャは、天を見つめた。
 傍らのジェイ・ゼルは無言で、ハルシャを腕に包んでくれている。
 腕に頭を預けて、ハルシャは、彼に身を寄せていた。
 親密なのに、嫌ではなかった。
 不思議だ。
 二人きりのためだろうか。
 苦痛ではない沈黙が、飛行車の中に満ちていた。
 静寂が、心地良かった。
 押し当てた場所から、静かな鼓動が聞こえる。
 彼が生きている音がする。
 耳を傾けながら、ハルシャは、先ほどジェイ・ゼルが呟いた言葉を思い出す。

 もし、ファルアス・ヴィンドースが諦めていたら、自分とジェイ・ゼルは出会わなかった。

 確かにそうだ。
 だが。
 どうして、そのことを、この場所でジェイ・ゼルは確かめる必要があったんだろう。

 先ほどは動揺のあまり、心に受け入れられなかった事実を、ハルシャは考えてみる。
 そうだ、彼が言ったように、父の借金がなければ、自分はジェイ・ゼルと出会わなかったのだ。
 ふと、気付く。
 自分はこの五年間、借金を取り立てるジェイ・ゼルを、地獄の使いのように思っていた。
 だが今、違う側面が見えてきた。

 もし――父が借金をしなければ、ジェイ・ゼルは自分から取り立てる必要がなかったのでは、ないのか。

 裏の金融業という仕事をしているために、ジェイ・ゼルはハルシャから借金を回収せざるを得なかった。
 法的に拘束力がある、と、ジェイ・ゼルは最初に言っていた。
 契約内容を把握しながら、父は彼の融資を受けていたのだ。
 ならば――もしかしたら、借金をした父が、全ての元凶ではないのか。
 父がジェイ・ゼルに借金をしなければ、彼は自分から過酷な取り立てをしなくても良かったのだ。
 借金を回収することが、彼のビジネスだ。
 ハルシャが、託された駆動機関部を、誠心誠意作り上げようと努力するように、ジェイ・ゼルも手を抜けば戻らない借金を、相手から取り立てることに、心を尽くしているのだ。
 逃げようとする相手を追い詰め、きちんと返させるように技術を駆使する。
 それが、彼の仕事なのだ。

 見えた新しい側面が、ハルシャの内側をゆすぶった。
 彼は、仕事をしているだけだ。
 貿易商が、交易によって利益を得るように。
 製造業が商品を作ることで、商売を成り立たせるように。
 膨大な借金を回収し続ける仕事を、彼はこなしているのだ。
 ジェイ・ゼルが相手にしているのは、自分だけではない。他の人からも憎まれ、蛇蝎のごとく嫌われながら彼は資金を回収している。
 それが彼の、仕事――なのだ。
 
 息が、出来ない。

 借金を取り立てる側の気持ちなど、今まで考えたこともなかった。
 どうして。
 こんなに苦しいのだろう。
 彼は――ハルシャのために、外界へと連れ出してくれた。
 ジェイ・ゼルにとって、何の益にも、ならないというのに。


 天を見つめるハルシャの視界に、高い場所で木の葉が揺らめいていた。
 千年も昔から、枝を開き続けて来た、巨木。
 過去の過酷な闘いを勝ち抜き、今、確かな存在感で森を形作っている。
 穏やかに見える森も、命の闘争が繰り返されている場所なのだ。
 この森には、たくさんの命が眠っている。
 ジェイ・ゼルの温もりに包まれながら、ハルシャはただ、紫の木漏れ日を見つめ続けていた。










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