ほしのくさり

第41話  サジタウル・ゲート-02






 
 サジタウル・ゲートには、三つの区画がある。
 第一エリアから、第三エリアまで、扉で各区画は仕切られている。
 ドームをそのまま外界にむけて開いてしまえば、大切な浄化された空気が、外へと放出されてしまう。
 それを防ぐために、まず、第一エリアと呼ばれる場所に、外界へ出る車両は待機する。ラグレンとの扉が完全に閉じてから、前の扉が開く。
 扉が開いたら、第一エリアから、第二エリアへ、移動する。ここも、厳重に扉で守られていて、第二エリア後方の扉が閉じてから、さらに第三エリアに至る扉が、開く。
 第三エリアの前方の扉の向こうは、もう、外界だ。
 そうやって、三つの区画を順次通過して、やっとラグレンから、外界へと、出ることが出来るのだ。
 外界から中へ入る時は、ラグレンの南側にある、ヴォーデン・ゲートを使う。
 ここは、バルキサス宇宙空港からの物資の搬入口でもあった。
 北は出口、南は入り口。二つのゲートを厳重に管理し、都心ラグレンは、外界の大気から、人々の暮らしを守っている。

 ジェイ・ゼルの運転手、ネルソンはサジタウル・ゲートを利用する人たちのための、来訪者《ヴィジター》用駐車場に、ふわりと飛行車を停めた。
 そうだ。この飛行車では、外界の大気に適さない。
 浄化装置を搭載した車両でないと、外に出ることが出来ない。
 観光用の車両に乗り換えるのだろうか?
 外界ツアーのために、定期的に、観光車が出ているはずだ。
「降りよう」
 ジェイ・ゼルが声をかける。ネルソンが素早く外に出て、扉を開けてジェイ・ゼルが降りるのを助けている。ハルシャは、自分で扉をひらき、駐車場へ出た。
 前に、巨大な半透明の四角い建造物が見える。
 サジタウル・ゲートの本体だ。
 風が、ふわっと吹き抜ける。
 たくさんの車両が、ゲートに吸い込まれていくのが、遠目に見えた。
 かつて、幼い頃――サジタウル・ゲートに立つだけで、ワクワクした。
 思い出と、感覚が蘇る。
 佇み見とれるハルシャの肩に、ジェイ・ゼルの手が置かれた。
「ここで、一日ゲートを眺めて、過ごすつもりか?」
 はっと、彼を見上げる。
 優しい笑みが顔に浮かんでいた。
「行こう、ハルシャ。向こうに外界用の車両を用意してある」
 肩を手で包んで、ジェイ・ゼルが歩き出した。
 ネルソンが、二人を先導する。
 茶色の髪のネルソンは、親しげな二人を見ても、何も感じないように、静かに自分の仕事に徹している。
 彼が、運転して外界へ、連れて行ってくれるのだろうか。
 考えているうちに、少し離れた場所にたどり着いた。そこには、一台の飛行車が停めてあった。
「ジェイ・ゼル様。ご用意したものです」
 ネルソンが、車両を示しながら、ジェイ・ゼルに声をかけている。
 外界を走るように開発された、小型の飛行車だった。
 車両のほとんどが、浄化装置のためか、座席は狭く、二人ほどしか乗ることが出来ない。だが、ほぼ全面が透明な素材で作られていて、視界は極めて良さそうだった。
 五年の間に技術が向上し、小型でも性能の良い、外界用車両が開発されたらしい。ハルシャは、技術者の眼で、じっと車を見つめていた。

「ありがとう、ネルソン。いいのを用意してくれた」
 ジェイ・ゼルのうなずきに、ほっとしたように、ネルソンが口角を上げる。
「これが、鍵です。ジェイ・ゼル様」
 差し出されたカード状の鍵を、ジェイ・ゼルが無言で受け取った。
 ハルシャの肩から、手が離れる。
「乗ってくれ、ハルシャ」
 言いながら、彼は運転席に向かった。
 え。
 ハルシャは、驚きに足を止めたまま、ジェイ・ゼルを見つめる。
 彼は、外界を走るように開発された飛行車の、扉を開く。 
「ジェイ・ゼルが、運転するのか!?」
 思わず、ハルシャは大声で問いかけていた。
 ハルシャの声に、ネルソンの方が驚いていた。
 くすっと、ジェイ・ゼルが笑う。
「私が運転してはいけないか、ハルシャ?」
 開いた扉に手をかけたまま、ジェイ・ゼルが目を細めて問いかける。
「いや……」
 ハルシャは、突然大声を出したことが恥ずかしくなり、顔を赤らめる。
「ジェイ・ゼルが、運転できると、知らなかったから――」
 なぜか、ネルソンの方が、慌てている。
「ジェイ・ゼル様は、卓越した運転技術をお持ちです」
 と、小さな声で、ハルシャを嗜める。

「いい、ネルソン。どうやらハルシャは、ネルソンしか、運転できないと思っていたらしい」
 くすくすと、彼は笑う。
「私の運転で、不安だろうが」にやっと笑ってから、彼は扉から手を離した。「乗ってくれ。ハルシャ」
 そのまま、座席に滑り込む。

 ハルシャは、ネルソンに目礼してから、恐る恐る、ジェイ・ゼルの隣に腰を下ろした。
 くすくすと笑いながら、ジェイ・ゼルが駆動部を立ち上げた。低い唸りがする。
「そんなに、心配そうな顔をするな。ラグレンと違って、外界には障害物がほとんどない。目をつぶっても、目的地にはたどり着く」
 それはない、と生真面目にハルシャは考えた。
「ジェイ・ゼル様。申請はもう通っています。このまま、第一エリアへお出ましください」
「ありがとう、ネルソン。行ってくる」
「はい。では、ヴォーデン・ゲートで、お帰りをお待ちしております」
 ネルソンの言葉に、静かにうなずくと、ジェイ・ゼルはふわっと外界用の飛行車を浮かせた。
 瞬時に、ハルシャは、ジェイ・ゼルの力量を推察した。
 ネルソンの言う通りだった。
 彼は、ほとんど振動なく、飛行車を操る。
 上手い――。
 ネルソンが呟いた通り、ジェイ・ゼルは卓越した運転技術を持っていた。

 じっとジェイ・ゼルを見つめていたのだろう、
「どうした」
 と、前を向いたまま、彼が声をかけてきた。
「少しは安心したか。ちゃんと前に進んでいるだろう?」
 ハルシャは、緊張を解いて、座席に深く座った。
「飛行車が、運転できたんだな」
 ハルシャの呟きに、くすっと、ジェイ・ゼルが笑う。
「まるで、私が騙したような言い方だな、ハルシャ」
「騙したなど、言っていない」
「だが、思いがけなかったのだろう」
 ジェイ・ゼルの笑みが深くなる。
「どうした。自分が、運転したいのか?」
 ふと、痛いところを突かれた。
「俺は、免許を持っていない」
 呟いた後、ハルシャは、黙り込んだ。

 十六になったら、飛行車の免許を取るつもりだった。法的にその年齢から、飛行車運転許可証が交付される。
 免許を取ったら、お祝いに飛行車を一台買ってあげようと、父は自分に約束をしていた。
 最初は小さくて、使いやすい物から――買う予定の車種も、決めていた。
 だが。
 もう、そんな夢は捨てた。
 飛行車運転許可証を取るには、相当の金額が必要になる。望むべくもないことだった。
 どうして、こんなことを思い出さなくてはならないのだろう。
 手に出来たはずの未来が、もうどこにも存在しないなど――
 そうだ。
 外界へ出ることで、過去の記憶が内からあふれ出たのだ。
 楽しかった両親との思い出が、すぐ傍らにあるような気がするのだ。


 あらあら、サーシャ。サンドウィッチは、森についてから、頂きましょうね。
 今から食べてしまったら、ピクニックで頂くものが、何もなくなってしまうわ。
 

 母の、明るい声が耳に蘇る。幼いサーシャが、あまり状況を理解出来ずに、ピクニックの食事を探し出して、一つを食べてしまったのだ。母は怒ることなく、大笑いしていた。
 

 今――森は、若葉の季節だから、きれいだぞ。ハルシャ。
 何と言っても、この頃が最高だな。
 

 一緒に並んで前を見ながら、父が笑みを浮かべていた。
 
 私たちの先祖が愛した森が、今も惑星トルディアにあることが、私には嬉しくて仕方がないんだよ、ハルシャ。


 森は今も美しく紫に輝いているのに――
 それを愛した両親は、もう、どこにもいない。
 気付かされた事実が、胸に深く突き刺さる。


「どうした」
 ジェイ・ゼルの手が、ハルシャの頭に触れた。
「外界に、出たくないのか」
 ハルシャの沈黙をどう取ったのか、ジェイ・ゼルが呟いた。
 自分が嬉しいと言った時、彼は喜んでくれていたのに、その彼の心尽くしを、踏みにじることはしてはならない、と、咄嗟にハルシャは、心を入れ替える。
「そうじゃない、ジェイ・ゼル」
 小さく頭を振る。
 何かを言おうとした。
 だが、上手く言葉にならなかった。
 この場所には、両親との思い出が多すぎて、苦しくなっただけだ。
 とも。
 両親はもうこの世に居ないのに、一緒に見た森が、かつてと同じように美しいのが、たとえようもなく辛いのだ、とも――
 ハルシャは、ジェイ・ゼルに言えなかった。

「サジタウル・ゲートを抜けるのに、どの位時間がかかるのか、ちょっと考えていただけだ」
 全く違う疑問を、口にする。
 心の表面に浮き上がって来た思いを、ハルシャは丁寧に底に沈めた。
 忘れなくてはならない。
 もう、自分はかつてのハルシャ・ヴィンドースではない。
 過去に捕らわれていては、前に進めない。
 ジェイ・ゼルは――
 借金の返済とは何のかかわりもないにも拘わらず、自分を外界に連れ出そうとしてくれた。
 その心を、考える。
 彼の優しさを、身に受け止める。

「そうだな。半時間ぐらいだろうか」
 ジェイ・ゼルが答えながら、手を引き、第一エリアに進む列に並んだ。
 車両がひしめき合うここは、結構事故が多い。そのためだろう、ジェイ・ゼルが運転に集中する。
 第一エリアと大きく書かれた扉に、待機時間が表示されている。
 後、五分でこの門が開く。
 同じ空間に、観光車や、宇宙空港への搬送車が宙に浮いて待っていた。
 半透明のゲートの向こうに、外界が薄く透いて見える。
 待機する車両の番号を、交通管理局の機械がチェックしに来た。あらかじめ申請している情報と、照らし合わせて、最終確認をする。
 自分たちが乗る車両の番号を確かめ、許可という緑の文字を浮かび上がらせてから、機械は隣の車両へと移って行った。
「時間が、気になるのか?」
 交通管理局の一連の作業を見守ってから、ジェイ・ゼルがハルシャに問いかけた。
 ハルシャは小さく首を振った。
「早く、外界に出られればいいと、そう……思っただけだ」
 自分へと、ジェイ・ゼルが顔を向ける。
 ハルシャは、笑みを浮かべて、
「五年ぶりだ。本当に嬉しい――ありがとう、ジェイ・ゼル」
 と、礼を述べる。
 一瞬、ジェイ・ゼルは眉を寄せてから、前を向いた。
 運転に集中するためか、そこから彼は沈黙を保っている。
 ハルシャも、前を向いて、湧き上がりそうになる思い出を、必死に押し殺していた。

 扉の前の光る文字が、カウントダウンに入った。
 見ている前で、ゼロが表示され、ゆっくりと、第一エリアの扉が開いていく。
 ジェイ・ゼルは、前を向いたまま、指示に従い、丁寧な運転で飛行車を前に進めた。









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