サジタウル・ゲートには、三つの区画がある。
第一エリアから、第三エリアまで、扉で各区画は仕切られている。
ドームをそのまま外界にむけて開いてしまえば、大切な浄化された空気が、外へと放出されてしまう。
それを防ぐために、まず、第一エリアと呼ばれる場所に、外界へ出る車両は待機する。ラグレンとの扉が完全に閉じてから、前の扉が開く。
扉が開いたら、第一エリアから、第二エリアへ、移動する。ここも、厳重に扉で守られていて、第二エリア後方の扉が閉じてから、さらに第三エリアに至る扉が、開く。
第三エリアの前方の扉の向こうは、もう、外界だ。
そうやって、三つの区画を順次通過して、やっとラグレンから、外界へと、出ることが出来るのだ。
外界から中へ入る時は、ラグレンの南側にある、ヴォーデン・ゲートを使う。
ここは、バルキサス宇宙空港からの物資の搬入口でもあった。
北は出口、南は入り口。二つのゲートを厳重に管理し、都心ラグレンは、外界の大気から、人々の暮らしを守っている。
ジェイ・ゼルの運転手、ネルソンはサジタウル・ゲートを利用する人たちのための、来訪者《ヴィジター》用駐車場に、ふわりと飛行車を停めた。
そうだ。この飛行車では、外界の大気に適さない。
浄化装置を搭載した車両でないと、外に出ることが出来ない。
観光用の車両に乗り換えるのだろうか?
外界ツアーのために、定期的に、観光車が出ているはずだ。
「降りよう」
ジェイ・ゼルが声をかける。ネルソンが素早く外に出て、扉を開けてジェイ・ゼルが降りるのを助けている。ハルシャは、自分で扉をひらき、駐車場へ出た。
前に、巨大な半透明の四角い建造物が見える。
サジタウル・ゲートの本体だ。
風が、ふわっと吹き抜ける。
たくさんの車両が、ゲートに吸い込まれていくのが、遠目に見えた。
かつて、幼い頃――サジタウル・ゲートに立つだけで、ワクワクした。
思い出と、感覚が蘇る。
佇み見とれるハルシャの肩に、ジェイ・ゼルの手が置かれた。
「ここで、一日ゲートを眺めて、過ごすつもりか?」
はっと、彼を見上げる。
優しい笑みが顔に浮かんでいた。
「行こう、ハルシャ。向こうに外界用の車両を用意してある」
肩を手で包んで、ジェイ・ゼルが歩き出した。
ネルソンが、二人を先導する。
茶色の髪のネルソンは、親しげな二人を見ても、何も感じないように、静かに自分の仕事に徹している。
彼が、運転して外界へ、連れて行ってくれるのだろうか。
考えているうちに、少し離れた場所にたどり着いた。そこには、一台の飛行車が停めてあった。
「ジェイ・ゼル様。ご用意したものです」
ネルソンが、車両を示しながら、ジェイ・ゼルに声をかけている。
外界を走るように開発された、小型の飛行車だった。
車両のほとんどが、浄化装置のためか、座席は狭く、二人ほどしか乗ることが出来ない。だが、ほぼ全面が透明な素材で作られていて、視界は極めて良さそうだった。
五年の間に技術が向上し、小型でも性能の良い、外界用車両が開発されたらしい。ハルシャは、技術者の眼で、じっと車を見つめていた。
「ありがとう、ネルソン。いいのを用意してくれた」
ジェイ・ゼルのうなずきに、ほっとしたように、ネルソンが口角を上げる。
「これが、鍵です。ジェイ・ゼル様」
差し出されたカード状の鍵を、ジェイ・ゼルが無言で受け取った。
ハルシャの肩から、手が離れる。
「乗ってくれ、ハルシャ」
言いながら、彼は運転席に向かった。
え。
ハルシャは、驚きに足を止めたまま、ジェイ・ゼルを見つめる。
彼は、外界を走るように開発された飛行車の、扉を開く。
「ジェイ・ゼルが、運転するのか!?」
思わず、ハルシャは大声で問いかけていた。
ハルシャの声に、ネルソンの方が驚いていた。
くすっと、ジェイ・ゼルが笑う。
「私が運転してはいけないか、ハルシャ?」
開いた扉に手をかけたまま、ジェイ・ゼルが目を細めて問いかける。
「いや……」
ハルシャは、突然大声を出したことが恥ずかしくなり、顔を赤らめる。
「ジェイ・ゼルが、運転できると、知らなかったから――」
なぜか、ネルソンの方が、慌てている。
「ジェイ・ゼル様は、卓越した運転技術をお持ちです」
と、小さな声で、ハルシャを嗜める。
「いい、ネルソン。どうやらハルシャは、ネルソンしか、運転できないと思っていたらしい」
くすくすと、彼は笑う。
「私の運転で、不安だろうが」にやっと笑ってから、彼は扉から手を離した。「乗ってくれ。ハルシャ」
そのまま、座席に滑り込む。
ハルシャは、ネルソンに目礼してから、恐る恐る、ジェイ・ゼルの隣に腰を下ろした。
くすくすと笑いながら、ジェイ・ゼルが駆動部を立ち上げた。低い唸りがする。
「そんなに、心配そうな顔をするな。ラグレンと違って、外界には障害物がほとんどない。目をつぶっても、目的地にはたどり着く」
それはない、と生真面目にハルシャは考えた。
「ジェイ・ゼル様。申請はもう通っています。このまま、第一エリアへお出ましください」
「ありがとう、ネルソン。行ってくる」
「はい。では、ヴォーデン・ゲートで、お帰りをお待ちしております」
ネルソンの言葉に、静かにうなずくと、ジェイ・ゼルはふわっと外界用の飛行車を浮かせた。
瞬時に、ハルシャは、ジェイ・ゼルの力量を推察した。
ネルソンの言う通りだった。
彼は、ほとんど振動なく、飛行車を操る。
上手い――。
ネルソンが呟いた通り、ジェイ・ゼルは卓越した運転技術を持っていた。
じっとジェイ・ゼルを見つめていたのだろう、
「どうした」
と、前を向いたまま、彼が声をかけてきた。
「少しは安心したか。ちゃんと前に進んでいるだろう?」
ハルシャは、緊張を解いて、座席に深く座った。
「飛行車が、運転できたんだな」
ハルシャの呟きに、くすっと、ジェイ・ゼルが笑う。
「まるで、私が騙したような言い方だな、ハルシャ」
「騙したなど、言っていない」
「だが、思いがけなかったのだろう」
ジェイ・ゼルの笑みが深くなる。
「どうした。自分が、運転したいのか?」
ふと、痛いところを突かれた。
「俺は、免許を持っていない」
呟いた後、ハルシャは、黙り込んだ。
十六になったら、飛行車の免許を取るつもりだった。法的にその年齢から、飛行車運転許可証が交付される。
免許を取ったら、お祝いに飛行車を一台買ってあげようと、父は自分に約束をしていた。
最初は小さくて、使いやすい物から――買う予定の車種も、決めていた。
だが。
もう、そんな夢は捨てた。
飛行車運転許可証を取るには、相当の金額が必要になる。望むべくもないことだった。
どうして、こんなことを思い出さなくてはならないのだろう。
手に出来たはずの未来が、もうどこにも存在しないなど――
そうだ。
外界へ出ることで、過去の記憶が内からあふれ出たのだ。
楽しかった両親との思い出が、すぐ傍らにあるような気がするのだ。
あらあら、サーシャ。サンドウィッチは、森についてから、頂きましょうね。
今から食べてしまったら、ピクニックで頂くものが、何もなくなってしまうわ。
母の、明るい声が耳に蘇る。幼いサーシャが、あまり状況を理解出来ずに、ピクニックの食事を探し出して、一つを食べてしまったのだ。母は怒ることなく、大笑いしていた。
今――森は、若葉の季節だから、きれいだぞ。ハルシャ。
何と言っても、この頃が最高だな。
一緒に並んで前を見ながら、父が笑みを浮かべていた。
私たちの先祖が愛した森が、今も惑星トルディアにあることが、私には嬉しくて仕方がないんだよ、ハルシャ。
森は今も美しく紫に輝いているのに――
それを愛した両親は、もう、どこにもいない。
気付かされた事実が、胸に深く突き刺さる。
「どうした」
ジェイ・ゼルの手が、ハルシャの頭に触れた。
「外界に、出たくないのか」
ハルシャの沈黙をどう取ったのか、ジェイ・ゼルが呟いた。
自分が嬉しいと言った時、彼は喜んでくれていたのに、その彼の心尽くしを、踏みにじることはしてはならない、と、咄嗟にハルシャは、心を入れ替える。
「そうじゃない、ジェイ・ゼル」
小さく頭を振る。
何かを言おうとした。
だが、上手く言葉にならなかった。
この場所には、両親との思い出が多すぎて、苦しくなっただけだ。
とも。
両親はもうこの世に居ないのに、一緒に見た森が、かつてと同じように美しいのが、たとえようもなく辛いのだ、とも――
ハルシャは、ジェイ・ゼルに言えなかった。
「サジタウル・ゲートを抜けるのに、どの位時間がかかるのか、ちょっと考えていただけだ」
全く違う疑問を、口にする。
心の表面に浮き上がって来た思いを、ハルシャは丁寧に底に沈めた。
忘れなくてはならない。
もう、自分はかつてのハルシャ・ヴィンドースではない。
過去に捕らわれていては、前に進めない。
ジェイ・ゼルは――
借金の返済とは何のかかわりもないにも拘わらず、自分を外界に連れ出そうとしてくれた。
その心を、考える。
彼の優しさを、身に受け止める。
「そうだな。半時間ぐらいだろうか」
ジェイ・ゼルが答えながら、手を引き、第一エリアに進む列に並んだ。
車両がひしめき合うここは、結構事故が多い。そのためだろう、ジェイ・ゼルが運転に集中する。
第一エリアと大きく書かれた扉に、待機時間が表示されている。
後、五分でこの門が開く。
同じ空間に、観光車や、宇宙空港への搬送車が宙に浮いて待っていた。
半透明のゲートの向こうに、外界が薄く透いて見える。
待機する車両の番号を、交通管理局の機械がチェックしに来た。あらかじめ申請している情報と、照らし合わせて、最終確認をする。
自分たちが乗る車両の番号を確かめ、許可という緑の文字を浮かび上がらせてから、機械は隣の車両へと移って行った。
「時間が、気になるのか?」
交通管理局の一連の作業を見守ってから、ジェイ・ゼルがハルシャに問いかけた。
ハルシャは小さく首を振った。
「早く、外界に出られればいいと、そう……思っただけだ」
自分へと、ジェイ・ゼルが顔を向ける。
ハルシャは、笑みを浮かべて、
「五年ぶりだ。本当に嬉しい――ありがとう、ジェイ・ゼル」
と、礼を述べる。
一瞬、ジェイ・ゼルは眉を寄せてから、前を向いた。
運転に集中するためか、そこから彼は沈黙を保っている。
ハルシャも、前を向いて、湧き上がりそうになる思い出を、必死に押し殺していた。
扉の前の光る文字が、カウントダウンに入った。
見ている前で、ゼロが表示され、ゆっくりと、第一エリアの扉が開いていく。
ジェイ・ゼルは、前を向いたまま、指示に従い、丁寧な運転で飛行車を前に進めた。