ほしのくさり

第4話  五年前の記憶-01





 五年前――

 あの時、自分は十五歳だった。
 惑星トルディアで屈指の名門校、アジェルダ学院で授業を受けていた時、突然廊下へ呼び出された。
 青ざめた顔の校長から、ご両親が大変なことになっている、すぐに中央病院に向かいなさい、と、指示を受けた。
 両親が、大変なこと?
 ハルシャは、瞬間、走っていた。
 学院の門の外には、慌てて駆け付けたらしい使用人の運転する飛行車が停まった。
「お坊ちゃま!」
 執事のカイエン・リーヴスが、色を失った顔で、ハルシャを呼んだ。
「旦那様と、奥様が、事故に遭われました!」

 飛び込んだ飛行車の中で、ハルシャは執事のカイエンから、ラグレンの記念式典に出席していた両親が、爆発物の被害に遭い、大変危険な状態であることを聞かされる。
「爆発物! なぜだ」
 厳しい声で問いかけたハルシャに、カイエンは首を振った。
「警務の者が直前に調べた時には、何もなかったそうです。どうやら、奥様の席で爆発があったらしく、隣の旦那様も――」
 それ以上、言えなくなったように、カイエンが口を閉ざす。
「――サーシャは」
 ハルシャは、妹の名を口にして、執事に問いかけた。
「別の者がお迎えに向かっています」
 その言葉はハルシャに安堵と困惑という、二つの相克する感情を引き起こした。

 サーシャは、年が離れた妹だった。まだ、六歳にしかなっていない。
 九歳年下の妹のことを、ハルシャは危惧した。
 爆発物で瀕死の状態の両親。
 そんな父と母の現実を、幼い妹に突き付けていも良いのか。だが、もし、危篤なら、少しでも会わせてあげたい。
 だが、しかし。幼い妹に、現実が受け止めきれるだろうか。
 煩悶が内側に渦巻いた。

 重い沈黙の中、握りしめた両手に汗が滲む。
 焦りと恐怖を押しつぶしながら、ハルシャはひたすら前を見て、病院が姿を現すのを待った。

 宙を駆け抜けてたどり着いた病院で、ハルシャは厳しい現実を突きつけられる。
 両親は、絶命していた。
 母は即死、父は、運ばれてから間もなく死亡していた。
 爆発物の爪痕の残る遺体を前に、ハルシャは血の気を失った。
 面影が、どこにもなかった。
 飛び散った部位を、辛うじて寄せ集めて人の形にした――そんな姿で、両親は並んで遺体霊安室に、横たわっていた。
 髪の色と、服。
 それで、どうにか、ハルシャは両親を認識した。
 ハルシャが二人をダルシャ・ヴィンドースと、その妻シェリア・ヴィンドースと認めたことで、爆破事件として警察が動き始める。

 茫然と両親を見つめるハルシャの側に、カイエンが近づき、サーシャの到着を告げた。
 ハルシャは慌てて死体霊安室から、出て、妹を迎えた。
 部屋から出ても、身に爆薬と血の匂いが沁みついているようだった。
 その腕で、戸惑う妹を抱きしめる。
「お兄ちゃま」
 サーシャが、屈んで腕に妹を包むハルシャを見つめる。
「どうして、お病院に急いで来なくてはいけないの?」
 真実を言おうとしたハルシャの唇が、震える。
 無言で、強く、妹を抱きしめる。
「……お兄ちゃま」
 意味が良く理解できていないサーシャに、何も言えずに、ハルシャの身が小刻みに震え続ける。

「お父さまと、お母さまは、遠い所に、行かれたんだ」
 長い沈黙の後、ようやくハルシャは言葉を口にする。
「いつ、お戻りになるの?」
 ぎゅっと、幼い体を、ハルシャは強く抱きしめる。
「もう二度と、戻って来られない――サーシャ。兄さまと二人で、これから、生きて行かなくてはならない」

 ゆっくりと、サーシャにも意味が理解できてきたようだ。
 病院であること。
 両親が戻らないこと。
 自分が震えていること。
 それらすべてを、サーシャは結びあわせたようだった。
 不意に、妹の体が震えはじめた。
「お父さまとお母さまは、天へお帰りになったんだ」
 やっと、ハルシャはそれだけを言った。
 激しくサーシャの体が震え、不意に大きく彼女の口から哀哭が漏れた。
 ハルシャは腕に、妹を包んだ。
「大丈夫だ、サーシャ。兄さまがいる。大丈夫だ」
 ハルシャは、妹の震える体に、必死にそう言い続けた。それは、自分への言葉でもあった。
 父と母は、爆発物で殺された。
 警察はきっと、犯人を見つけてくれる。
 これから、どうなるのかはわからない。けれど、きっと何とか、生きていける。
 大丈夫だ。
 父が営んでいた事業は、必ず私が守り通す。
 人の出入りの激しい病院の廊下で、ハルシャはそう、胸に呟いていた。


 だが――
 全ては、儚い望みだった。
 思い知らされたのは、両親の葬儀が終わってから、三日後だった。
 親戚たちが訃報に駆け付け、気をしっかりね、大丈夫よ、と温かい言葉を残して去っていき、家に自分とサーシャだけとなった時。
 不意に――黒い飛行車で、この男が姿を現した。
 闇の金融を握ると言われている、ジェイ・ゼル、が。



 庭に突然乗り付けた飛行車を、ハルシャは窓から見ていた。
 葬儀も滞りなく終わり、ほっとした時だった。
 黒い飛行車と後一台、物々しい装備の車だった。
 誰だろう、とハルシャは窓越しに見つめていた。
 父の知り合いだろうか。
 車から降りたのは、全身が黒づくめの男だった。
 護るように、左右に武器を持った者が従う。
 さっと、冷たいものが背中を滑り落ちたようだった。
 ハルシャは玄関に向かっていた。

 玄関のベルも押さず、彼らは家の中に押し入って来た。
「この家の代表者は誰だ」
 冷たい声が、玄関に響いていた。
「どちら様ですか」
 という、カイエンの問いに、男は答えなかった。
「連れてこい。今すぐに」
 なおも名乗りを求めるカイエンの体が、左右を護る者によって、乱暴に突き飛ばされた。
 見ていたハルシャは、走った。
「この家の代表は、私だ!」
 叫びながら、階段を駆け下りる。
「何の用だ!」

 男は、驚いたようにハルシャを見た。
「おやおや、随分と可愛らしい代表者だな」
 笑いを含んだ声が、彼の口からこぼれた。

 黒い髪に、灰色の瞳がアンバランスな印象を受ける男だった。
 整っているが冷酷そうな顔をしていた。身が大きく、威圧感がある。
 彼は腕を組み、階段を降りたハルシャを見下ろす。
 かっと、ハルシャは頬が熱くなるのを覚えた。
「父亡き後、私がヴィンドース家の家長だ」
 彼を無視して、カイエンの側に膝をつき、ハルシャは老齢の執事を助け起こした。
「大丈夫か、カイエン」
「申し訳ありません、お坊ちゃま」
 騒ぎを聞きつけたのか、家のあちこちから人が集まって来た。
 男は、酷薄そうな顔を歪めて、なおもハルシャを見つめていた。
 ふっと、笑みが浮かぶ。
「なら、君に支払ってもらうことになるわけだな」
 支払う?
 その言葉に籠る、冷酷な響きに、ハルシャは身が緊張するのを覚えた。

 顎で、男が指示をする。
 側に居た同じ黒服の男が、胸から一枚のカードを取り出した。
 操作すると、空中に光る文字が浮かぶ。
 それは――借金の証書だった。

「君の父親は、私に借金があるんだよ。可愛らしい家長殿」
 示された数字を素早く読み取ったハルシャは、顔が青ざめて行った。
 とんでもない金額だった。
 一四七万ヴォゼル(日本円に換算すると、約四八億円)。
 数字を見つめた後、男へ、顔を戻す。
「嘘だ」
 ハルシャの言葉に、男は、にっこりと笑った。
「本当だ。法的拘束力のある、借金の証書だ」
 男の眼が弓なりに細められる。
「出るところへ出ても、良いんだよ、坊や」

 嘘だ。
 ハルシャは、心の中だけで呟いた。
 そんなはずはない。
 お父さまが、こんな男に借金を申し出るなど、あり得ない。

 両手を固く握りしめたハルシャに、男は楽しそうに告げる。
「君の父親はどうやら、事業を拡大しようとしていたらしい。宇宙船を一つ購入するつもりだったようだ。あまり、事業がはかばかしくないにも、拘わらず――無茶な投資に、どの銀行もそっぽを向いた。
 それで、親切な私が声をかけて、宇宙船一基分の金額を、ぽんと出したわけだ。
 返却期限は、十標準年。
 だが、借入主が死亡した場合は、即刻返却を求める――ほら、坊や。ここにきちんと書いてあるだろう」
 男が、宙に浮かぶ緑の文字に触れる。
「ちゃんと勉強をしていたら、この文字が読めるはずだがね」
 小馬鹿にしたような口調で、彼は呟く。
「君の父親は死亡した。ゆえに、即刻この金額を返却して欲しい――と、至極まっとうなことを、お願いに来たわけだ」
 不意に、男の雰囲気が変わった。
 上から、ねめつけるようにハルシャを見下す。
「遺産を全て受け継いだ、小さな家長殿。耳を揃えて返してもらおうか、一四七万ヴォゼルを、な」

 質の悪い脅しだ。
「事情は分かった」
 ハルシャは、何とか事態を収拾させようと、言葉を放つ。
「あまりに巨大な金額だ。今すぐという訳にはいかない」
 突然、男が笑い出した。
「お坊ちゃま」
 先ほどの、カイエンの口調をまねて、男が呟く。
「私たちは、親切にも、もう五日も待ったのですよ――ご両親が亡くなってから、五日も、ね」

 細めた灰色の目が、ハルシャを射る。
「これ以上は、待てないな」
 
 凍り付く空気の中、
「お兄ちゃま!」
 と、叫ぶ声がした。
 はっと、ハルシャは声のした方角へ顔を向けた。
 事態の緊迫を感じ取ったのか、サーシャが必死にハルシャに駆け寄ってくる。
「来るな! サーシャ」
 とっさにハルシャは叫んでいた。

 幼い妹に見せてはならない。
 父親の不手際など。

 そう判断したハルシャの言葉に、周りの大人が動く。
 だが、全ての手を振り切ってサーシャはひたむきに走り、ハルシャに取りついた。
 ぎゅっと足に手を回し、守るかのように身を寄せる。
 面白そうに、男がサーシャに視線を向けた。
「これはこれは、また、可愛らしい相続者だ」
 サーシャは腕に力を込めて、男を見返す。
 ハルシャは、妹を隠すように、身を前に出してかばった。
「妹には、関係ないことだ」
 男が、静かにサーシャを見つめる。
 妹は、母親に似た金色の巻き毛と、青い瞳だった。愛らしさも母にそっくりとだと賞賛されている。
 男が、小さく笑った。
「いや。父親の借金を返さなくてはならないのは、君たち二人の兄妹だ。責任は等分だよ、坊や。ラグレンの法律ではね」

 身を寄せ合う兄妹の姿をしばらく見つめてから、男は口を開いた。
「健気な妹に免じて、今日のところは、帰るとしよう」
 不意に妥協をにじませながら、男が言った。
 わずかに、ハルシャが息を吐いたのだろう。
 すぐさま、厳しい言葉が飛んだ。
「明日来る」
 はっと、ハルシャは顔を上げた。
 灰色の瞳が、ハルシャを見下ろす。
「明日までに、借金の全額を用意しておけ」
 きつく冷たい口調だった。
 
 その言葉を最後に、男は踵を返した。
 扉が閉められた静寂の中、ハルシャは足が震えるのが、止められなかった。




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