ほしのくさり

第38話  暗黒の砦-01







 なるべく、接合部品を使わずに棚を作るために、リュウジは、木を組み木細工のように、加工していた。
 木の板には、複雑な切り込みが施されている。
 ハルシャの見たことのない工法だった。
 板の上にサラサラとリュウジは線を引き、その通りに廃材屋の工具で切り取っている。どうなるのか、果たして棚の形になるのか、と、ハルシャは危惧した。
 だが――
 家に戻り、バラバラに切られた木材を、リュウジの指示で組み上げていくと、継ぎ目がほとんどわからないほど、緻密に互いが組み合った、棚が出来上がっていた。
 木を組み合わせ、強度を増した棚だった。
 驚嘆し、ハルシャは舌を巻いた。
 金属加工は手慣れているが、木材はあまり扱ったことがない。
 リュウジは木材同士が噛むことで、互いの重さを支えられるような、計算しつくされた工法で、棚を作り上げていたのだ。
 
 リュウジは木の表面を削り、きれいな木目も呼び覚ましている。
 薄汚れ、端が腐っていたことなど幻であったように、新鮮な木の香りすら漂う、白木のきれいな棚が、自分たちの生活に加わった。
 サーシャは、大喜びだった。
 
「お兄ちゃん! 棚が六つもあるよ!」
 興奮して、大きな声になりながら、サーシャが言う。
 リュウジは、棚の強度を手で確かめながら、サーシャに笑顔を向けた。
「扉がつけられればもっと良かったのですが、何もない方が、取り出しやすいということで、お許しください」
「とっても素敵! 扉が無くても、大丈夫だよ、リュウジ」
 喜びに身を震わせながら、サーシャが笑顔をこぼれさせる。
「この棚の高さなら、サーシャでも届きますか? お布団が置けると思いますが」
 棚は真ん中で仕切りがしてあり、左右に三つずつ空間が空いている。
 サーシャは棚の前に立って、高さを確かめるように、両手を差し伸ばした。
 みるみる笑顔があふれた。
「うん、大丈夫! 届くよ、リュウジ」
「計算通りで、良かったです。これからサーシャも背が伸びますから、もっと楽に置けるようになると思いますよ」
 彼はそこまで計算して、棚の高さを決めていたのだと、ハルシャは気付く。
 今はちょっと背伸びをしないと届かない。だが、あまり低いと棚の収納力が落ちる。ぎりぎり叩き出せるラインで、リュウジは棚の高さを決めたのだ。
 オオタキ・リュウジは、設計の天才かもしれない。
 ハルシャは、屈託なく会話を交わす二人を見つめながら、ふと、考える。
 一体彼は、どんな人生を送って来たのだろう、と、再び疑問がよぎる。

 六つある棚の内、二つをサーシャが勉強用と衣服用に使い、一つずつをハルシャとリュウジが使うことに決める。残りの二つは、共有のものとなった。
「本当だ!」
 サーシャが喜びに声を上げる。
「床から物がなくなると、お布団が三枚引けるね!」
 目から鱗が落ちたように、驚きと共にサーシャが言う。
「明日、ドルディスタ・メリーウェザに、布団の余剰がないか、伺ってみましょう」
 リュウジが、うなずきながら笑顔で言う。
「何となく、倉庫に置いていそうな気がします」
 彼は治療院のそこかしこを、チェック済みのようだった。
「物を除けると、意外と汚れているね……」
 サーシャは、言いながら、せっせと床を掃除し始めた。
 部屋が、すっきりと整った。
 たった棚一つのことで、これだけ変化するのだと、ハルシャは認識を新たにする。リュウジが来たことで、生活が変化を始めている。
 それは、心地の良い変容だった。

 夕食は豪華だった。
 リュウジが生活に加わったお祝いと、棚の完成祝い、それとハルシャの仕事が無事納期を満たしたこと、その三つのお祝いだと、サーシャは言う。
 白身魚の加工ペーストを基本にしたムニエルに、乾燥野菜を戻したものを付け、パンとトマト風味のスープが、夕食の膳に並んだ。
「とっても美味しいです、サーシャ」
 笑顔をこぼしながら、リュウジが賛美を口にする。
 えへへと、サーシャが照れている。
「大将に教えてもらったの。下処理をしっかりすると、加工ペーストでも、美味しくなるって」
「素敵な職場で働いていらっしゃるんですね、サーシャ」
 ますます照れながら
「リュウジの今使っているお皿も、大将が下さったの」
「親切な方なのですね。教えて頂いてありがとうございます。今度お逢いした時に、お礼を僕の口からも、申し上げておきますね」
「きっと、大将も、喜んでくれるよ! ありがとう、リュウジ」
 二人の会話を聞いていると、なんだかハルシャの心の中が、ほのぼのとしてくる。リュウジはサーシャを子ども扱いにせず、一人の人格を持った人間として、きちんと向き合って接してくれていた。
 そのお陰で、サーシャはここ数日でとても精神が安定してきている。
 穏やかに会話をする声に耳を傾けながら、ハルシャはスープを口にした。
 ふと、懐かしい味を覚える。
 昔、ヴィンドース家の食卓に出ていた味に近い。
 ハルシャは、動きを止めた。
 サーシャの中に、かつての味の記憶が残っているのかもしれない。
 無意識に、彼女はこの味を作り出したのだろう。
 失ってしまったものと、まだこの身の内に刻まれて残るもの。
 過去と現在が交錯し、ハルシャは目を細めた。
 思いを包み込むと、静かにサーシャが心を込めて作ったスープを、ハルシャは飲み干した。

 
 夕食を食べ、一息入れたところで、ハルシャは工場長がリュウジの申し出を受けてくれたことを、伝えた。
 二日後から、仕事を始められることを、告げる。
「良かったです」
 リュウジは、とても嬉しそうに言葉を呟く。
「僕がハルシャのお役に立てるのが、とても嬉しいです」
 無邪気な笑顔を見ながら
「設計図を見させてもらった」
 と、ハルシャは呟いた。
 リュウジが明るい顔を向ける。
「ハルシャの目から見て、おかしなところはありませんでしたか? 急いで作ったので、色々、抜けていると思います」
 ハルシャは、静かに首を振った。
「いや。完璧だった」
 リュウジは、目をぱちくりとさせた。
 ハルシャの口調に、何かを感じたのだろう。
「なら、良かったです」
 優しく、リュウジの口から言葉がこぼれる。
 どちらとも口を開かない沈黙が一瞬、訪れた。
「ファイ・ガレン理論」
 ぽつりと、ハルシャは呟く。
 ひゅっと、リュウジの眉が上がった。
 彼の、藍色の瞳へ視線を向けると、ハルシャは言葉を続けた。
「不可逆と思われたヘリウムから重水素への還元装置を搭載した、駆動機関部――俺が、初めて目にするものだ。ファイ・ガレン理論を応用するというのを、どこで思いついたんだ、リュウジ」
 あまりに疑問を内側に、ふつふつと持ち続けたためだろう、つい、ハルシャの口調がきつくなってしまった。
 リュウジは、明らかに困惑した顔で、ハルシャを見返している。
「ああしたら、なんとなく作れるような気がしたんです――僕も、よく解りません」
 なんとなく。
 それで、あれほど緻密な駆動機関部を作り上げることが、可能だろうか。
「設計図にあった小型の駆動機関部に、要求される能力を搭載するには、ファイ・ガレン理論を応用するしかない――と、どこかで声が聞こえたんです」
 むむむと、リュウジが眉を寄せたまま呟く。
「もしかしたら、過去の自分が、囁いたのかもしれません」
 しばらく、ハルシャはリュウジを見つめていた。

 その理屈で、納得するしかないのだろう。
 今は思い出せない。
 だが、過去には知っていた。
 その知識が、無意識のうちにリュウジの中で発露して、必要な情報を、今の記憶を失った状態のリュウジに与えている。
 彼は――それを自分の意思でコントロールすることが出来ないだけ。
 長い沈黙の後、ハルシャは受諾を込めて、うなずいた。
「そうか――」
 ほっとしたように、リュウジが眉を解いた。
 その顔を見て、不意にハルシャは罪悪感に捕らわれた。記憶を失おうと思って、失った訳ではないのに、自分は今、確実にリュウジを追い詰めようとしていた。
「すまない。きつい言い方になってしまって。あまりに見事な駆動機関部だったので、驚いてしまったんだ。
 ありがとう、リュウジ。大変な時に、一日がかりで設計をしてくれて。
 最初に、その礼を言うべきだった。
 感謝している、リュウジ。礼儀知らずを許してくれ」
 
 ハルシャの言葉に、リュウジが首を振る。
「僕も、設計したものの、本当にこれが駆動機関部として成り立つのか、疑問が拭えませんでした。そのこともあって、ご一緒に作業をさせて頂きたいのです」
 真剣な言葉に、ハルシャは、深くうなずいた。
「リュウジが手伝ってくれると、とてもありがたい。正直、これほど緻密で高度な加工は、俺一人の手に余る」
 にこっと、リュウジが笑う。
「大丈夫ですよ。あなたは、優秀な職人の手をしています」
 ふっと、彼は遠くを見た。
「緻密で無駄のない動きをする、良く計算された、手の使い方をします。常に物を考えながら生きている人の手です」
 彼は――
 鷹揚で、おっとりしているようで、しっかり周囲を冷静に観察していると、ハルシャは気付いていた。だからこそ、歴戦の猛者のような廃材屋とも、渡り合えたのだろう。
 一番にリュウジは、あの廃材屋で最も価値がある物――レンドル・ヴァジョナ型の駆動機関部に、目を止めた。


 寝るまでの間、ハルシャはサーシャの宿題をみてあげた。
 二次方程式を因数分解する宿題だった。
 サーシャの苦手な分野だ。彼女は眉を寄せながら、懸命に式と格闘している。
 その様子を、にこにこしながら、リュウジが眺めていた。
 穏やかに時間が流れていく。
 机をたたみ、眠る段になって、サーシャはリュウジとハルシャの間で寝たいと言い出した。
 当初、ハルシャが真ん中になって寝ることになっていた。
 だが今、サーシャは自分が中央になりたいと主張している。
「だって、お兄ちゃん。間にお兄ちゃんが居ると、リュウジのお話が聞き取りにくいもの」
 と、懸命な顔で、ハルシャに訴える。
 真剣な眼差しを見つめてから、ハルシャは迷った。
 何と言っても、リュウジは他人だ。
 幼い妹に何かあっては困ると、つい思ってしまう。
 けれど。
 リュウジと接するうちに、彼もサーシャを妹のように見てくれていると、ハルシャは思い始めていた。
 自分が置かれている爛れた状況から、勝手に邪推を巡らせていただけかもしれない。
 ふと、リュウジを疑った自分の身が、ひどく汚れているような気がした。誰もが、性的欲望を相手に向ける訳ではないのだ。きっと自分は、ジェイ・ゼルたちの所属する世界に、毒され切っているのだろう。
 サーシャの懇願に、ハルシャは折れた。
「いいだろうか、リュウジ」
 問いかけるハルシャに、彼はもちろんと、うなずく。
「僕もあまり声が大きくないので、サーシャまで届かないと困ると、思っていました」
 そういわれると、ハルシャも承諾するしかなかった。

 敷かれた布団の上で、サーシャは嬉しげに二人の間に挟まり、お話を聞こうと、リュウジに顔を向ける。手元には、大切そうにぬいぐるみ生物を抱きしめていた。
 サーシャは、この上なく、幸福な顔で微笑んでいる。
 嬉しいのだ、寝物語が。
 寝る前に、何か物語を語ってあげることを、ハルシャは忘れていた。
 幼い頃は宇宙の話を、いつまでも、いつまでもねだって母に話してもらっていたのに。
 照明を落とした部屋の中に、リュウジの静かな声が響く。
「暗黒の砦のお話の続きでしたね」
「でも、リュウジ。お兄ちゃんはこのお話を、初めて聞くから、最初から話してあげて。サーシャは何度聞いても、嬉しいから」
 そんな心遣いを、いつの間にするようになったのだろうと、ハルシャは考える。
「では、最初から、お話ししましょうか」
「うん。お願いします」
 ワクワクしながら、サーシャがぬいぐるみ生物を抱きしめて、聞き耳を立てていた。
 ハルシャは、頬杖をつきながら二人の様子を見つめる。
 二人はとても、仲が良かった。
 あそこまで廃材屋でリュウジが粘ってくれたのは、ひとえにサーシャのためだった。
 そのことが、たとえようもなく、嬉しい。
 自分以外にも、サーシャを守ってくれる人がいる。
 ふと、肩の荷物を、リュウジが半分背負ってくれたように思えた。
 今までたった一人で、サーシャをかばってハルシャは生きてきた。傍らにもう一人、妹を大切に慈しんでくれる存在がいることが、この上なく心強い。
 優しい藍色の瞳が、自分とサーシャに向けられていることに、不思議な安心感を覚える。
 ハルシャにとってやはり彼は、神秘を秘める、宇宙のように思える。
 静かなリュウジの声が、柔らかな闇の中に響いた。






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