リュウジが引いた、設計図は完璧だった。
職場で彼から託された電脳を開いて、ハルシャは無言で、設計図に見入った。
あまりの見事さに、ハルシャは、身が震えそうになった。
ジャム・ロック型の宇宙船とリュウジが言っていた言葉は、あながち嘘ではない。これほど小型で、高性能の駆動機関部を、ハルシャは見たことがなかった。
設計の足場とする概念が、これまでと全く異なっていた。
彼は、ファイ・ガレン理論を応用して、駆動機関部を設計している。
宇宙船が『星船《ほしふね》』と時に別称されるのには、理由があった。
推進力としての動力源に、多くの宇宙船は重水素の核融合を使用している。
重水素が高圧と高温で核融合を起こし、ヘリウムに変化するエネルギーを利用するのだ。
惑星ガイアを従える恒星、太陽も、同じシステムで核融合を内部で起こし、光と熱を大地に注いでいる。莫大なエネルギーシステムを、人々は模して、動力源とした。
つまり宇宙船は、内部に、小さな恒星を閉じ込めて宇宙を渡っていく、『星』の船なのだ。
だが――莫大なエネルギーを保全しておくための容れ物も、相応の強度を要求する。無軌道にならず、必要なだけのエネルギーを放出させるにも、高度なコントロールシステムが必要になる。
もし核融合システムが暴走し始めれば、内部に核爆発が起こり、文字通り宇宙船は星となって、宇宙の藻屑となる運命が待っている。
その上、核融合は、不可逆的なシステムだ。重水素がヘリウムになっても、ヘリウムから重水素を作ることは出来ない。
燃料として、重水素を補給し続ける必要があり、生成されたヘリウムを、取り除く必要がある。
宇宙船の機動力が限られているのは、そのためだった。細く長く、核融合をコントロールし、重水素の枯渇に配慮しながら宇宙を渡るのが、宇宙船《そらふね》の宿命だった。
だが。
リュウジの作り上げた駆動機関部は、それをひっくり返す理論が使われていた。
不可逆的と思われていた、ヘリウムを、強引に重水素に還元するシステムが、同時に搭載されている。
ヘリウムは、極めて安定性の高い物質だ。希ガスとも呼ばれ、水素のように爆発することもなく、取り扱いが容易な物質だ。
だが、このヘリウムを、一定の圧力と高温化に置き、特殊な刺激を与えると、分子が崩壊し、水素、もしくは重水素へと変化することが、ファイ・ガレン博士によって、発見された。しかしこの崩壊はきわめて特殊な状態でしか起こらない。
それを、リュウジは宇宙船の動力源である核融合のエネルギーを使用することで、駆動機関部の中に作り上げている。
重水素がヘリウムに変化したものを、再び重水素に戻すことで、この駆動機関部を搭載した宇宙船は、半永久的に、飛び続けることが出来る。それは、夢の宇宙船と言っても良かった。
ファイ・ガレン理論を応用した駆動機関部など、これまでハルシャは見たことがなかった。
この理論を応用するには、繊細なコントロールを必要とするために、非常に工法が難しい。
ハルシャは、設計図を睨みながら、一人で納得する。
どうして今朝、リュウジがあれほどハルシャの手助けを申し出たのか、その理由が納得できたからだ。
この駆動機関部の作成は、ハルシャの手に余る。
設計者として、オオタキ・リュウジは、ハルシャの手助けをして、部品を完成させようと、協力を申し出てくれていたのだ。
ハルシャは無言で、電脳の画面の中に、立体で示される設計図を見つめ続ける。
オオタキ・リュウジーー
彼は一体、何者なんだ。
たった一日で、これほどのものを設計できる力量を持つなど、ハルシャには、信じられなかった。間違いなく、これまで手掛けたハルシャの製品の中で、最高難度のものだ。そして、最高峰の性能を誇る。
ぞわっと、ハルシャの中に、波のような感覚が広がる。
作りたい。
この駆動機関部を――
凄まじい力を秘めた、芸術品とも呼ぶべき、製品を。
画面に見入るハルシャの背後に、人の気配がした。
反射的に振り向くと、そこには笑いを張り付かせた、工場長のシヴォルトが立っていた。
「どうだ、次の製品の、作成の見通しは立ったか?」
ハルシャは、電脳の向きをさりげなく変えながら、彼に向き合った。
「細かな調整をしているところだ。もうすぐ、外枠の作成にかかることが出来る」
ハルシャの言葉に、小さくシヴォルトがうなずく。
「これは、きわめて特別な注文品だ。失敗は許されない」
ハルシャは、シヴォルトの、腐った魚のような瞳を見つめる。
「わかっている」
呟くハルシャに、彼は小さく笑った。
「ハルシャ。ジェイ・ゼル様から、呼び出しだ。明日の昼、迎えに来るそうだ。準備をしておいてくれと、おっしゃっていた」
ハルシャは無言で、にやにやとするシヴォルトの顔を見つめる。
昼から――今までにない時間帯だった。
午後からは仕事が出来ないということだ。シヴォルトが言いに来たということは、彼も了承していると判断して良さそうだ。
幸い納期は先だ。
「わかった」
ハルシャはいつもは無視する彼の言葉に、返事をする。
シヴォルトは瞬きを一つした。
「それだけだ」
言って踵を返そうとしたシヴォルトに
「工場長」
と、ハルシャから、声をかけた。
彼は足を止め、振り向いた。
「知り合いになった男が――」
ハルシャは、リュウジのことを話す絶好の機会だと感じ、懸命に言葉を続ける。
「この仕事に興味を持ち、働きたがっている」
一度言葉を切り、シヴォルトの表情を見守る。
彼は、ハルシャが言ったことに、何の感慨も抱かないような、白けた眼で見返している。
「ずぶの素人で、今、職場ですぐに役に立つとは思えない。どれだけ使えるのか、俺の側で確認する必要がある――もちろん、見習い扱いで、給料は必要ない。その条件で良ければ、工場長へ話をすると、その男に言ってある」
少し、言葉を切り、彼の表情を見守る。
給料は必要ないという言葉に、シヴォルトは反応した。
「仕事を仕込みがてら、ここに置いて欲しいのだが――」
ハルシャは、シヴォルトを真っ直ぐに見つめる。
「許可してもらえるだろうか、工場長」
死んだようなどろんとした目でハルシャを見ながら、シヴォルトはしばらく考えていた。
「何かあったら――お前が責任を取ると言うことだな、ハルシャ」
相変わらず、嫌な言い方をする。
「ああ。全面的に、俺が彼の責任を持つ」
ふっとシヴォルトが笑った。薄ら笑いだった。
「給料も必要ない、何かあった時にはお前が責任を持つというのなら――様子を見てもいい」
息を、詰めていたのかもしれない。
工場長の許可の言葉に、細くハルシャは息を吐いた。
「ありがとう、工場長」
ハルシャの感謝の言葉に、ふんと、彼は鼻息で応えた。
明日から彼を連れてきてもいいか、と言いかけて、ハルシャは思い止まった。
昼から、ジェイ・ゼルの呼び出しがある。
自分が出ることを、リュウジに、どう説明していいのか、ハルシャは解らなかった。
「明後日から――連れて来ても良いだろうか」
恐らく、ジェイ・ゼルの呼び出しが無いと思う、二日後を指定する。
ふんと、シヴォルトが息を荒げる。
「好きにしろ」
嫌味な言い方だった。
「妙な奴を引き込んで、後悔しないようにな、ハルシャ」
ふと。
この設計図がハルシャに渡されたのには、悪意があると言った、リュウジの言葉が、耳に蘇って来た。
ジェイ・ゼルに飼われていることを、快く思っていない者が、この工場には多くいる。理由は、敢えて詮索しないことにしていた。
自分が気に入らないのだろう。
その一言で、結論をつける。仕事に手を抜いたことはない。高給だけの働きをしているつもりだ。ジェイ・ゼルの七光りで、仕事を潤沢に与えてもらっていると、勘違いしている人々があるのだろう。
ジェイ・ゼルは、ハルシャに手心など加えなかった。いつでも、シビアに借金の取り立てをする。
彼らはそれを、知らないのだ。
不穏な言葉を呟いて、シヴォルトは踵を返して去っていった。
ハルシャは、床を見つめる。
自分のせいで、リュウジに対して、風当たりが強いかもしれないが、仕方がない。彼を護るために、出来るだけのことをしようと、静かにハルシャは心に誓う。
息を一つ吐くと、仕事に戻る。
電脳を元の位置に戻し、椅子に座り、計算式を読む。
ふと、気付く。
二日後からは、横に、リュウジが居てくれる。
彼の、宇宙のような優しい藍色の瞳を、思い出す。
安心して共に仕事が出来る仲間がいるということが――妙にハルシャの心を、沸き立たせた。
*
サーシャは、ハルシャの帰りを待ちわびていたようだ。
定時を少し過ぎた時刻で工場を後にしたハルシャは、メリーウェザ医師の医療院の扉を入った途端、サーシャの熱烈な出迎えを受けた。
「お帰りなさい、お兄ちゃん!」
飛びついて、ぎゅっと、ハルシャを抱きしめる。
金色の髪を撫でながら
「今日も一日、無事に過ごせたか?」
と、ハルシャは、妹に問いかける。
「うん」
キラキラと、輝く青い瞳が、ハルシャを見上げる。
「お兄ちゃんたちと、一緒にお出かけするのが楽しみで、一日中ワクワクしていたの!」
弾んだ声で、サーシャが言う。
そういえば。
サーシャと買い物に行くということは、ほとんどない。
必要な物を、時間が空いているどちらかが購入する、という日々だった。
生活に追われているのだと、実感する。
出かける先が、廃材《ジャンク》屋《や》だとしても、サーシャにとっては大切なイベントに思えたのだろう。
ハルシャは、よく父の交易に便乗して、近くの星々に出かけていた。
両親と一緒に、異星の街を歩くのが、大好きだった。
そんな楽しみを――六歳で両親を失ったサーシャは、知らない。
きりりと、胸が痛む。
家に棚を作るために、古材を買いに行くことを、これほどまでに、楽しみにしてくれている。それが、悲しかった。
「そうか。待たせてすまなかったな、サーシャ」
撫でる頭が揺れる。
「楽しいことはね、お兄ちゃん。待つのもやっぱり、楽しいんだよ」
こぼれるような笑みを浮かべて、サーシャが言う。
いい子に育ってくれた。
ハルシャは心の中で、両親に呟く。
あなたたちが残してくれた、大切な妹は、こんなにも健やかに育ってくれています。彼女の笑顔に、私はいつも、救われているのです。
お父さま、お母さま。
成長したサーシャを、お見せ出来ないのが、残念でなりません。
さぞ、ご覧になりたいでしょう。
あなたたちの愛娘は、まるで花のように、笑うのです。
お母さまと同じ――優しく大らかに。
きっと、素敵な女性になってくれると思います。それまで、必死に守ります。
だから――
ハルシャは、ふと、思いがあふれそうになった。
「お戻りですか、ハルシャ」
奥から、声を聞きつけたのか、リュウジが姿を現わした。
「僕の勝手な思い付きで、仕事を早く切り上げさせてすみません」
詫びながら、彼は笑う。
なぜか、ほっとする笑顔だ。彼の中には、悪意など、微塵もなかった。
今も、藍色の瞳が、穏やかにハルシャを映している。
「リュウジ――待たせてすまなかった」
「いえいえ。ドルディスタ・メリーウェザが、廃材屋は基本的に二十六時間いつでもやっているから、好きな時間に行けばいい、と言ってくれています。なんでも、ドルディスタとお知り合いだそうで」
初耳だ。
「あらかじめ、僕たちが行くと、連絡もして下さっているそうです」
「それは、助かるな」
「はい」
リュウジが、品よくうなずきながら、笑顔になる。
「手袋を持って行けと、ドルディスタ・メリーウェザが仰っています。相当年代物もあるからと」
「先生に、礼を言ってから、出かけよう」
ハルシャの言葉に、サーシャが横で嬉しすぎて、ぴょんぴょんと飛び跳ねだした。
「サーシャ。落ち着きがないぞ」
そっと、彼女の幼い態度を、ハルシャはたしなめる。
ヴィンドース家の長女としての、品格を持って欲しかった。
しょぼんとするサーシャに、
「嬉しかったのですね、サーシャ。でも、あまり飛び跳ねると、医療院の床が抜けてしまいます。この建物は年代物ですから」
と、理由を告げながら、リュウジがフォローを入れてくれる。
サーシャが、こくんとうなずく。
「ごめんなさい、お兄ちゃん」
しおたれるサーシャの手を、ハルシャは取りなすようにぎゅっと握った。
「先生に、ご挨拶しよう」
「うん!」
元気を取り戻して、サーシャが笑う。
その笑みに、ふと、ハルシャは、母親を見た。
母は、甘い香りがした。花とお菓子の甘やかな匂い。
懐かしい母の微笑み。
さよならも言えなかった別れが――いつもハルシャの心を、締め付ける。