長い間、見つめ合っていたような気がする。
だが。
それは、もしかしたら、一瞬のことだったのかもしれない。
ジェイ・ゼルの手が動き、次の瞬間、唇が覆われていた。
魂を貪るように、ジェイ・ゼルがハルシャを身に引寄せて、口で探る。
舌が絡まる。
ハルシャは、無心に彼の舌を迎え入れた。
馴染んだ感覚に、安堵が身の内に広がっていく。
ああ、ジェイ・ゼルだ。
彼だ。
思った途端、甘く痺れるような感覚が舌先から広がり、ハルシャは一瞬動きを止めた。
自分の中に湧き上がるものに、戸惑いを覚える。
すっと唇が離れ、ジェイ・ゼルの言葉が響いた。
「君を、抱きたい」
荒い息の下で、甘やかな呟きが口から漏れる。
「愛し合いたい――今すぐ」
今。
初めて、この行為の本当の名前を、ハルシャは知った。
愛し合う。
そういうのだ。
肉体を蹂躙されているとだけ思っていたこの行為は――
美しい名を、持っていた。
返事の代わりに、ハルシャはジェイ・ゼルの唇を覆った。
深く身を合わせ、唇で互いを探り合う。しばらくして、なだめるように髪を撫でながら、ジェイ・ゼルが口を再び離した。
「部屋を替えよう、ハルシャ」
髪に頬を当てながら、ジェイ・ゼルが呟く。
「――ここは、媚薬の匂いがきつすぎる」
こくんと、ハルシャは頷いた。
ジェイ・ゼルは、服から通信装置を取り出し、片手で操作をする。
作業を行いながら、空いている方の手で、彼はハルシャの髪を撫でる。
「ああ。ジェイ・ゼルだ。手違いで床を汚してしまった。部屋を替えて欲しいんだが――出来れば、同じ階がいい。空いているか」
短い沈黙の後、彼は静かに答える。
「ああ、助かる――ありがとう」
通信装置を切ると、
「すぐに、別の部屋を用意してくれる」
と呟きながら、手に装置をもったまま、ハルシャを腕に包んだ。
数分で、支配人の声が扉の向こうから聞こえた。
ハルシャを抱きしめたまま、ジェイ・ゼルが立ち上がる。
促されるようにして、ハルシャも起き上がった。
ハルシャは、肩を手で包まれながら、誘われて、廊下へ出る。
支配人が笑顔で、ジェイ・ゼルに新しい部屋の鍵を差し出している。
片手で受け取り、部屋を汚したことの詫びと、今の部屋の荷物は、フロントで預かってくれと、ジェイ・ゼルが告げている。
ハルシャは、極めて親密な動作を、臆面もなく支配人の前でとっていることに頬を赤らめながら、視線を床に落としていた。
会話を終えて、ジェイ・ゼルが肩を手で包んだまま、歩き出す。
新しい部屋は、三つ隣だった。
鍵を解放し、部屋の中に入った途端、ハルシャは唇を覆われていた。
息が出来ないほどの激しさで、ジェイ・ゼルがハルシャを貪る。
ジェイ・ゼルの手から、鍵が床に落ちた。
それにも気付かないほど、ジェイ・ゼルはハルシャに集中を傾ける。
力を抜いて、ハルシャは、彼を受け入れた。
舌が、ハルシャの中に、何かを求めるように差し入れられる。
ハルシャは、答えを与えるように、彼に舌先を絡めた。
ジェイ・ゼルの手が、ごく穏やかな動作で服の金具を外していく。
ハルシャは、逆らわなかった。
最初の行為の時、彼の手から無慈悲に服を奪われてからはじめて、ジェイ・ゼルがハルシャの服を脱がせていく。
唇を合わせたままで、器用に服を肩から滑らせ、ハルシャの素肌を、薄闇の中にさらす。
彼は、部屋の灯りを付けなかった。
星々が大地に降り注いだようなラグレンの街の灯りだけを頼りに、ハルシャの服を、身から外す。
上半身を脱がせると、唇を合わせたままで、ジェイ・ゼルが自分自身の服も脱ぐ。
素肌を触れ合わせて、彼はハルシャを抱きしめた。
そうしながら、髪に指を差し入れて、ジェイ・ゼルはゆっくりと撫でる。
指先で語るように、彼の手が、触れる。
次第にジェイ・ゼルの口づけから、性急さが消え、柔らかな動きに変わっていった。
ハルシャが受け入れていることに気付き、焦りが消えて行ったように。
舌がゆるやかな動きで、ハルシャを探る。
再び甘い痺れが、背筋を駆け抜けた。
自分の変化に、ハルシャはわずかにためらう。
これまで、味わったことのない感覚だった。
微かな心の動きを合わせた唇から感じ取ったように、ジェイ・ゼルが目を開き、ハルシャをのぞき込む。
行為を拒否していないか、読み取ろうとしている。
灰色の眼の奥にある、暗い炎のような熱を感じ取った。
脇に垂らしていた腕を上げ、ハルシャは、ジェイ・ゼルの首に絡めた。
自分から身を寄せて、深く唇を合わせる。
目を閉じて、感覚を彼で満たす。
背中に、ジェイ・ゼルの手が滑っていく。
鍛えられた背中の動きを確かめるように、丹念にジェイ・ゼルが手で探る。
しばらく動きを続けてから、まだ下ばきは脱いでいないハルシャの腰に、ジェイ・ゼルが両手を当てた。
唇を離して
「掴まってくれ、ハルシャ」
と、小さく呟く。
ぐっと体が持ち上げられた。
足が浮き、ジェイ・ゼルによって、抱えあげられていた。
ハルシャは身を安定させようと、首に回していた腕に力を入れ、足を、ジェイ・ゼルの腰に絡める。
正面から強い力でハルシャを抱き上げると、ジェイ・ゼルが真っ直ぐに、ベッドへと向かっていく。
運ばれたシーツの上に、ハルシャはそっと身を横たえられた。
ジェイ・ゼルが、覆いかぶさるように、上からのぞき込む。
彼の彫りの深い顔が、陰影をもって、浮かび上がっている。
闇に慣れた目に、彼を映す。
露を含んだような、濡れた瞳が、ハルシャを見つめていた。
初めて見る、ジェイ・ゼルの表情だった。
今の彼は、口の端に笑みを浮かべているいつものジェイ・ゼルではなかった。
思い詰めたような、恐いほど真剣な表情だった。
ひとかけらの余裕すら、彼の顔に見えない。
むき出しの魂のままで、ジェイ・ゼルが、ハルシャへ眼差しを向ける。
笑いを消す彼は、ひどく孤独な人のように思えた。
ハルシャの表情を読み取ると、ふっと彼は優しく笑った。
ジェイ・ゼルの手が、ハルシャの頬に触れる。
顔を寄せて、唇が再び合わさる。
ハルシャは、腕を首に絡めて、彼を抱き寄せた。
互いを味わいながら、ジェイ・ゼルの手が、ハルシャの下ばきに触れる。
服を解放され、ハルシャは、腰を浮かせて、ジェイ・ゼルが服を取り去る手助けをする。
器用にハルシャを脱がせてから、彼は口を離した。
そのまま起き上がり、手早く自分自身の服を脱ぎ去る。
互いを守るものを何も持たないまま、二人は白いシーツの上に裸体で向き合った。
五年間、見慣れてきたはずのジェイ・ゼルが、初めて会った人のような気がする。
彼はこんなに、寂しい笑みを浮かべる人だったのだと、ハルシャは気付く。
横たわるハルシャの上に、ジェイ・ゼルが覆うように、かぶさって来た。
両腕で身を支え、ハルシャに体重をかけないように空間を作りながら、上から見つめる。
薄闇の中で、沈黙をしてから、彼は口を開いた。
「私はいつも、自分の勝手な行為を、君に押し付けてきたのかもしれない――こうすれば、君が快楽を得る、次はこうしてあげよう。
焦るあまりに、君の心を、置き去りにしてしまったようだ」
灰色の潤んだ瞳が、上から、ハルシャを見下ろす。
「だから――今夜は、君が望む通りにさせてくれないか。君が欲しいところへ、私を導いてくれたらいい。私は従う。君が望まなければ、それ以上は何もしない」
誓いを口にするように、言葉がこぼれる。
「君が望まない行為は決して、しない。だから」
寂しく、彼は微笑んだ。
「お願いだ、ハルシャ。君に、触れさせてくれ――」
命令でない言葉を、彼は呟いた。
君の魂に、触れさせてくれ。
ジェイ・ゼルの言葉は、そう聞こえた。
彼は――
闇の金融業を取り仕切る、悪質な高利貸しであるのに。
ハルシャたち兄妹を、一四七万ヴォゼルという破格の借金で縛り付け、夢と自由を奪い去った、張本人であるのに――闇の世界で、したたかに生きている男であるのに。
どうして。
こんなに傷ついた目で、自分を見るのだろう。
言葉で告げる代わりに、ハルシャは見上げるジェイ・ゼルに顔を寄せた。
彼は、解ってくれたようだ。
静かに、ハルシャが望んでいた行為が、与えらえられる。
優しく唇を触れ合わせて、穏やかに互いを探る。
ハルシャの動きに、ゆっくりとした行為を望んでいると気づいたらしい。いつもなら、すぐに歯を割り裂いて、中に忍び込む舌が、入ってはこない。
自分に合わせてくれているようだ。
性急な動きが、ハルシャは苦手だった。
自分の中の感覚がついていけなくなる。だから、今も、緩やかにジェイ・ゼルを探り続ける。
馴染んだ唇の形に、安心感が広がる。
これほどまでにも、自分はジェイ・ゼルに慣らされていたのだと気づく。
忍耐強く、ジェイ・ゼルがハルシャに応える。
命を養う場所を通じて、二人は互いの魂に、触れ合った。
ハルシャは、自分からそっと、舌を彼の中に入れてみた。
気付いたジェイ・ゼルが、迎え入れる。
舌が触れた瞬間、また、甘く痺れるような感覚が、脳を突き抜ける。
あっと、小さく声が上がる。
呟きをジェイ・ゼルが口で飲み込む。次第に、ジェイ・ゼルが舌を深く絡めて口の中を、舌先でなぞった。
ぞわぞわと、ハルシャの中に、さざ波のようなものが湧き上がってくる。
しばらく抱き合ったまま口づけを交わしていたハルシャは、身のうずきを覚え始めていた。
先ほどギランジュから、乳首の頂きを触らずに乳輪だけを責められ続けたときの余波が、身の内に埋火《うずみび》のように、残っている。
口づけが深まるにつれて、体が刺激を求めてざわめき出した。
ジェイ・ゼルに気付かれたらしい。
合わせていた口が離れる。
すうっと透明なものが糸を引き、離れがたいように二人の間をつないだ。
「どこに欲しいんだ、ハルシャ」
からかいなど微塵もない、真剣な言葉で、ジェイ・ゼルが呟く。
ハルシャは、口に出来ずに、真っ赤になった。
深紅に頬を染めるハルシャに、優しく微笑むと
「言えないなら、私の手を、望むところに持って行くといい」
と、ハルシャの右手を、ジェイ・ゼルの左の手が包んだ。
燃えるように、顔が熱い。
灰色の眼が自分を見つめる中、ハルシャは、ジェイ・ゼルの手を、そっと自分の胸の頂に、運んだ。
静かに、ジェイ・ゼルが微笑む。
「わかった、ハルシャ。ここだね」
指先が、触れた尖りの先をなぞる。
うっと、小さく呻きが口から漏れる。
目を閉じ、ハルシャの唇を再び口でふさぎながら、ジェイ・ゼルの指先が、優しく乳首をころころと転がしだした。
今までは一切の感覚を切り捨てて、感じないようにしてきた。
鈍感なのだと思っていた胸の尖りは、彼の行為を受け入れた途端、鋭敏に反応した。
五年間――彼に開発されてきた感覚が、心を許したためか、花のようにハルシャの中で開いていく。
刺激の強さに、ハルシャは身を震わせた。
「感じるんだね」
わずかに離した唇が、言葉をついばむ。
「反応する君は、とても可愛いよ」
ちゅっと、尖らせた唇で、挨拶のように口に触れてから、ジェイ・ゼルが場所を動いた。
彼は、ハルシャの胸に、顔を持ってきた。
左の手で乳首を転がしながら、空いている方へ、舌先で触れる。
「あっ」
ハルシャは、高い声を上げた。
「良い声だね」
ジェイ・ゼルが舌先で、乳首の先をつつきながら、微笑んで言う。
「もっと鳴いてごらん。私に聞かせておくれ、ハルシャ」
あられもない言葉に、ハルシャは赤面し、両手で口を押え、声が漏れないようにした。
ジェイ・ゼルが微笑む。
「そんな風に、羞恥に顔を赤らめる君も、とても、可愛いよ」
微笑み、上目遣いにハルシャに視線を送ったまま、彼は乳首を責め始めた。
見せつけるように、わざと伸ばした舌先を乳首の尖りに近づけ、そのまま静止し、刺激に身構えるハルシャを、見つめる。
中々彼は、舌先で触れなかった。
じわじわと警戒を解いたハルシャの隙を見極めたように、瞬間、さらっと、乳首に舌が触れる。
ハルシャは、びくんと、体を震わせた。
舌がさわさわとなぞる度に、びくびくと体が震える。
笑みを消すと、彼はハルシャを見つめたまま、口に乳首を含み、絶え間ない刺激を与え始めた。
口を押えたまま、ハルシャは身を反らす。
「ハルシャの乳首は、敏感だね」
歌うように、ジェイ・ゼルが言う。
「もう二度と、ここを乱暴に扱わせないよ。私以外の、誰にも――」
さらりと、彼は言葉を紡いだ。
二度と、ジェイ・ゼル以外の相手をさせないと、今、彼は言ってくれている。ハルシャは荒くなる息の下で、彼を見つめた。
視線が、絡み合う。
そうだ――
いつも、彼は自分を見つめてくれていた。どんな行為の最中でも。
自分の快楽に没頭することなどなかった。
ざわっと、ハルシャの中に、鋭敏な筋のようなものが、走った。
気付いた真実に、体の芯が燃える。
彼が五年間、行っていた行為の正体に、ハルシャは瞬間気付いた。
これは――
ハルシャのための行為だった。
ギランジュは、自分の快楽を求めるように、天を仰ぎ目を閉じていた。
彼は自分が心地よくなるために、ハルシャを利用していたのだ。
だから、目を閉じて、自分の感覚に集中していた。
なのに。
ジェイ・ゼルはいつも、ハルシャへ眼差しを注いでくれていた。
彼は、見ていたのだ。
ハルシャがどう反応するのかを。
灰色の瞳は、細かな変化を読み取ろうと、ひたむきに見つめていた。
彼の目的は、自分の快楽ではなく、ハルシャに快楽を与えることだった。
五年もの間――彼は自分のために、注ぎ続けていてくれたのだ。
どんな手管も使わず。
ただ、己の身だけで――ハルシャを高めようと、彼を注ぎ込んでくれていた。
気付かなかった。
屈辱と羞恥に紛れて。
彼の行為の本当の意味を。
最初の時もそうだった。自分はあまりにも、無知だった。
彼はこの行為のことを――愛し合う、と、呼んだ。