※文中に、過去の暴力的な性行為の表現が出てまいります。ご注意ください。
ベッドに腰を下ろすジェイ・ゼルの膝の上に、ハルシャは抱えられていた。
腕に包まれ、彼の頬が自分の髪に触れている。
温もりのある静寂が、しばらく続いた。
激しい感情の嵐の余波のように、ささくれていた神経が、不思議に沈黙の中でなだめられていく。
互いの呼吸の音しかしない静けさの中に、不意に、ジェイ・ゼルの言葉が響いた。
「どうかしていた」
ぽつんと、彼の言葉が、ハルシャの髪に触れる。
「君が強制された行為によって、快楽を得られるはずがない、と、解ってはいた。それでも、考えてしまったのだ。
私以外からの行為ならば、君の恐怖心が薄らぐのかもしれない。
その証拠に、君は自分自身の手なら、快楽を求めることが出来た。
もしかしたら、他人ならば君は快楽に没頭できるかもしれない――と、わずかな可能性に、私は飛びついてしまった。
どうかしていたんだ」
後悔の滲む言葉が、夕闇の迫る部屋に響く。
小さく、触れる頬が揺れる。
「冷静になるべきだった。私は判断を誤り、結果として、惑星アマンダの秘薬を使おうとする人物に、君を委ねようとしてしまった」
目を閉じたまま、ハルシャは、押し当てた場所から響く声に耳を傾けた。
自嘲を含んだ呟きがこぼれる。
「また、私は焦ってしまったんだろうな――君が絡むと、どうやら私は冷静でいられなくなるようだ。いつも、愚かな行動ばかりとってしまう」
消えそうな声が、耳に響く。
「全く――どうかしている」
彼は――楽しめなかったと、苦しそうに言っていた。
自分以外の手が、ハルシャに快楽を与えることが、彼は辛くて仕方がない口ぶりだった。
なのに。
ジェイ・ゼルは、ギランジュ・ロアに、ハルシャを与えようとした。
口淫の最中、支えるように頭の後ろにあった、ジェイ・ゼルの手の温もりを思い出す。
酷い行為を強いていると、彼は解っていたのだろうか。
冷静そのものに見えた彼の内側に、苦しみの炎があったのだろうか。
ハルシャの苦境に、彼は黙って手助けした。
自分の時には、彼は口から出すことを許さなかった。
けれど――ハルシャの負担を軽くするために、彼は無言で、ギランジュを駆り立てた。
ギランジュに抱かれるハルシャをみて、彼は何を思ったのだろうか。
今回のことは、全てジェイ・ゼルが企んだことだ。
ギランジュを、ハルシャにけしかけたのは、ジェイ・ゼルだ。
彼の思いやりのなさに、自分は怒っていいはずだ。
だが。
不思議にハルシャの中に、怒りが湧き上がって来なかった。
彼は、追い詰められたのだ。
他人に任せてまでも、ハルシャの身に快楽を引き出させてあげたい――
そこまでジェイ・ゼルを、追い込んだのは、自分だった。
愚かな選択をさせたのは、ハルシャだ。
胸が、痛んだ。
「すまなかった」
押し当てられた胸にむかって、ハルシャは呟いた。
「反応できないことで、あんたを苦しめていたんだな」
ゆっくりと、ジェイ・ゼルの頭が動いた。
「君は、悪くない」
穏やかな声が、髪にこぼれる。
「悪いのは、私だ。最初の時、君の知識が全くないと気づくべきだった。無知さゆえの君の――懸命な言動を、曲解してしまい、感情を荒げてしまった。
行為の時に服を脱ぐことすら、君はあの時、知らなかったというのに――」
抗うな、ハルシャ。
君を傷つけたくない。
最初の行為の時、追い詰められたように、呟いていたジェイ・ゼルの声が蘇る。
十五にもなりながら、厳格な両親に育てられたため、ハルシャには性的な知識が全くと言って良いほど、抜け落ちていた。
学院でも、ハルシャは、友人がほとんどいなかった。飛び級で進学を続けてきたためか、皆から一線をひかれ、同じ部屋で学問を学びながらも、親友と呼べるような、深い付き合いの友人は皆無だった。
それでもハルシャは、気にしていなかった。宇宙飛行士になるための勉強さえしていれば、それで満足だったのだ。
通常なら、同級生を通じて得るはずの性知識もなく、ジェイ・ゼルの部屋で自分がこれから何をするのか、ハルシャは全く理解できていなかった。
恐ろしいほど、無知だった。
行為を行うのに、服を脱がなくてはならないのすら、ハルシャは知らなかったのだ。
パルツァー係数を利用した計算式なら、息をするように解けるのに、ベッドの前に立たされて、ハルシャは途方に暮れてしまった。
さあ、準備をしようか、ハルシャ。
私が手伝わなくても、自分で出来るだろう?
そう言われても、何をどう準備していいのか、ハルシャは解らなかった。
立ち尽くすハルシャに、ジェイ・ゼルは、彼が服を脱ぐのを拒んでいると、考えたらしい。
不意に、荒々しく彼の手によって、服がはぎ取られ、ハルシャは驚愕のあまり、パニックになってしまった。
それまで、身体的な暴行を受けていなかったため、ジェイ・ゼルの豹変ぶりが、ハルシャを恐怖に落とし込んだ。
恐い。
その一心で、ハルシャは、ジェイ・ゼルに抗った。
本能的なものだった。
抗うな、ハルシャ。君を傷つけたくない。
言いながら、ジェイ・ゼルが服を脱がしていく。
裸にされた上に、ベッドに押し付けられ、両手足をジェイ・ゼルの体重で封じられてしまった。
何が起こっているのか、理解できなかった。
今なら、そういう契約だと、自分を抑えることが出来るが、当時の自分は、未知の行為を迫られていることに恐慌をきたし、ジェイ・ゼルの言葉すら、耳に入らなかった。
落ち着け、ハルシャ。
必死に、ジェイ・ゼルがなだめる声すら、ハルシャは、怒鳴りつけられているように感じた。
大きな体で両手足を抑えこまれることに、恐怖しかない。
無意識に、彼に抵抗する。
だが。
十五歳の力など、たかが知れている。
暴れ続けて弱るのを、ジェイ・ゼルはひたすら待っていたようだった。
肛門を使って、性交する。
という言葉の意味すら、ハルシャには、正確に理解していなかった。
動き続けるハルシャの力を流しながら、ジェイ・ゼルはベッドに置いてあった、容器を手に取った。
ハルシャの両手首を左手ひとつでまとめて上に固定し、抗いを封じながら、ジェイ・ゼルは、ぬめりを指に乗せ、ハルシャの後孔を、入れやすいように、ほぐそうとしてくれた。
ジェイ・ゼルの指が、後孔にすっと入り込んだ。
与えらえた未知の感覚に、身を反らして、ハルシャは驚愕した。
どうして、そんなところに、指を入れるんだ!
叫んだように思う。
こうしないと、君が傷つき、痛みを得る。
答えるジェイ・ゼルの言葉に、ハルシャはますます、混乱した。
ここで、性交をするのではないのか。
身を捩りながら問いかけるハルシャに、
そうだ。
と、ジェイ・ゼルは短く言いながら、指で穴を広げていく。ハルシャは、おぞましい感覚に、身震いをしてしまった。
指を抜いてくれ!
ハルシャは、叫んでいた。
契約に必要な性交を、早く済ませてくれ! それが望みなのだろう、ジェイ・ゼル!
指など入れなくていい! 止めてくれ!
恥辱と苦痛と恐怖に苛まれて、ハルシャは言葉を放っていた。
自分の言い方が、彼の怒りをかったらしい。
ジェイ・ゼルの灰色の瞳が、不意に底光りした。
親切心は必要ないということか。
痛みは覚悟の上、なんだな。
低く呟くと、彼は問答無用で、うつ伏せにした。
強い力でひっくり返され、胸をベッドに打ち付けて、ハルシャは息が出来なくなった。
その動揺が収まらない中、さらなる衝撃が、腰部から走った。
ハルシャは、叫んでいた。
自分の身を裂くようにして、大きなものが、割り入ってくる。
逃げようとする腰がジェイ・ゼルの大きな腕に掴まれ、痛みの元に引き寄せられる。
これが、君が口にしていた、性交――契約の内容だ。
冷たい声で、ジェイ・ゼルが呟く。
これから君は、ずっとここで私を受け入れる。
それが、契約だ、ハルシャ。
ハルシャは、歯を食い縛った。
この行為がジェイ・ゼルの望むことなら、拒否してはならない。
脳を突き抜ける様な痛みの中で、それを必死に思い起こす。
力を抜け、ハルシャ。少しは楽になる。
凍るようなジェイ・ゼルの声を聞きながら、ハルシャは必死に言われた通り、強張らしていた体の力を抜いた。
その一瞬を待っていたように、ジェイ・ゼルが強い力で、ハルシャの中に、一気に押し入ってきた。
衝撃に――叫び声すら、出なかった。
身が、裂かれて、生ぬるいものが、内太ももを伝う。
血が流れていると、ハルシャは悟った。
だが、これで終わったのだと、ハルシャはほっと息をつく。
性交とは、中に入れたらそれで終わりだろうと、ハルシャは推測していたのだ。
安堵したのも束の間、ハルシャは驚きに、目を瞠った。
ジェイ・ゼルは、抜く気配がなかった。
あまつさえ、ゆっくりと動き出し、中の粘膜が擦れる感覚が広がる。
彼の行動に、驚愕しながら、異を唱えるように、ハルシャは叫んだ。
何をしているんだ、ジェイ・ゼル! 性交は、終わったのだろう!?
思わず声を放ったハルシャに、笑い声が答えた。
違うよ、ハルシャ。
性交は継続中だ。
君の中で、私が射精するまでが、性交だ。
私が君の中で精を放ったら、そこで今回の行為は終了だ。
今後のためにも、覚えておくといい、ハルシャ。
冷たく、容赦のない言い方だった。
ハルシャは、自分の知識のなさを呪った。
こんなに厳しいものだとは、契約するまで知らなかった。
そして、射精という言葉の意味が、よく理解出来ない。
自慰すらしたことのなかったハルシャは、男性器が刺激を受けて吐精するという知識が、おぼろにしかつかめない。
信じられないほどに、当時の自分は無知だったのだ。
けれど、彼が射精をしないと終わらないということだけは、理解出来た。
なら、早く終わってくれ!
射精をしてくれ、頼む、ジェイ・ゼル。
ハルシャは、痛みに顔を歪めながら、ジェイ・ゼルに懸命に訴えた。
この苦痛にどれだけ耐えられるのか、ハルシャには自信がなかった。みっともなく泣きわめく前に、早く行為を切りあげて欲しかった。
言い方が、彼の中の何かを動かしたらしい。
ジェイ・ゼルの手が、するっとハルシャの腰を撫でた。
初めてだから、優しく、ゆっくりとしてあげようと思ったが。
不意に語調が変わる。
早く終わることをお望みなら、ご希望に添うようにしよう。
それまでの緩やかな動きとは違い、激しく打ち付けるように、ジェイ・ゼルが腰をハルシャの中に、ねじ込む。
ハルシャは痛みのあまり、意識が薄れそうになった。
力が抜け、身をシーツに擦るハルシャの腰を抱えあげて、彼は容赦なく、身を打ち付けた。
ハルシャは、細い腰を彼の手に掴まれて、逃れることも出来ずに、ただ、太い彼を後孔に受け入れた。
痛みと恐怖で、ハルシャは魂が抜けた人形のようになってしまった。全身に力が入らず、ひたすら、ジェイ・ゼルの手によって、身を引き寄せられ、太い楔を打ち込まれ続ける。
そうか。
これが、極めて好条件の契約の内容なのだ。
苦痛と屈辱と――容赦ない仕打ちを受けることが。
ハルシャは、心の中で納得する。
早く、終わってくれ。
そう願った時、ジェイ・ゼルがうっと小さく呻き、動きを止めた。瞬間、ハルシャの奥に、熱いものが注がれた。
ジェイ・ゼルは、ぐっ、ぐっと二回ほど、奥に押し込むように、自分自身をハルシャの中に押し付けてから、完全に動きを止めた。
終わったのか?
ハルシャは、荒い息を吐きながら、痺れた脳の片隅で考える。
これで、今回の行為は、終了したのか? 彼は射精をしたのか?
ジェイ・ゼルの手が腰を離し、ずるっと、ハルシャの中から、彼自身が抜かれた。瞬間、支えを失ったハルシャは、ベッドに倒れ伏した。
足に力が入らない。
起き上がることが出来ず、歯を食い縛る。ジェイ・ゼルによって、後ろの孔に刻み込まれた痛みに、必死に耐える。
身が、震える。
自分の身に降りかかった痛みと衝撃に、がくがくと、体が痙攣する。
血が、身を伝い流れ落ちた。
ぼろくずのように、ハルシャはベッドに倒れ、身動きできなかった。
痛い。
これほどの痛みを伴う行為とは、知らなかった。
圧倒的な力で凌駕し、ジェイ・ゼルは自分を暴力的に支配した。
痛みに耐えるハルシャの側から、ジェイ・ゼルが動いた。
一人になれることに、ほっとしながら、ハルシャは、顔をベッドに押し当てる。
どうして、みなが性交を喜ぶのか、ハルシャには理解できなかった。
こんな行為を、人は楽しんでするのだろうか。
凄まじい痛みを伴う行為を――なぜ、好んでする必要があるのだろう。
少しして、ジェイ・ゼルが戻ってくる気配がした。
彼はベッドに上がり、ハルシャの側に、腰を下ろした。
拭いておこう。
小さく声をかけてから、ハルシャの後孔に、人肌ほどの温もりのある濡れた布が触れた。
びくっと、ハルシャは身を震わせた。
何もしない。ただ、拭くだけだ。
ハルシャの恐怖を読み取ってか、なだめるように、ジェイ・ゼルが言う。
彼は、行為の後の始末をしてくれているようだ。
ぬめるものが、ハルシャの身から、拭われていく。
彼の手ではなく、自分でしたかったが、ハルシャは身を動かすことが出来なかった。
すまなかった。
我を忘れてしまった――君は、初めてだったのに。
小さく、ジェイ・ゼルが詫びの言葉を呟く。
――痛むか?
ハルシャは、歯を食い縛って、答えなかった。
血が出ている。見ればわかるはずだ。
震えるハルシャの髪に、ジェイ・ゼルの大きな手が触れた。
痛むんだな。
すまなかった、ハルシャ。
なだめるように、髪を手が滑る。
触って欲しくなどなかった。自分を傷つけた同じ手で、もう、身に触れて欲しくなかった。
だが、自分はこの行為を継続しなければ、父親の借金を返済することは出来ない。
だから。
どんなに辛くても、耐えるしかない。
泣くな。
自分に命じる。
父亡き今、自分がヴィンドース家の家長だ。
誇りを胸に掻き立てて、必死に勇気を振り絞る。
大丈夫です。
ハルシャは、押し付けたシーツに向けて呟く。
すぐに、慣れます。
この契約を、継続してください。お願いします、ジェイ・ゼル。
ジェイ・ゼルの手が、止まった。
わずかに震えてから、再び、手が動き出した。
わかった。契約を続けよう、ハルシャ。
ジェイ・ゼルの言葉に、ほっとハルシャは息を吐く。
どんな痛みも、屈辱も、耐えられる。
自分は、ヴィンドース家の直系だ。
しばらく頭を撫でてから、ジェイ・ゼルが呟いた。
次からは、痛みを与えないように、配慮しよう。
借金の返済が終了するまで、君との関係は続く。私に出来る努力をするよ、ハルシャ。
静かな声で、誓うように彼は言った。
今なら――知識不足のために、ジェイ・ゼルが自分の身を心配して為そうとしたことを、必要ないと拒否したことが、解る。暴れるハルシャの身体をいなしながら、彼は極力痛みを与えないよう、指でほぐそうとしてくれていた。
けれど、当時の自分は、ジェイ・ゼルの行為の意味が理解できなかった。
自分に恥をかかせるために、ジェイ・ゼルがしているとしか、思えなかった。
彼の好意に気付かず、羞恥と困惑から、ハルシャは手ひどく拒んでしまった。
あの時、ジェイ・ゼルにも、余裕がなかったのだろう。
拒むことは、契約違反だと思ったのかもしれない。
身の程を知らない生意気な少年の言葉に、彼は逆上してしまった。
激情にかられて、手荒く扱ってしまった行為を、今もジェイ・ゼルは後悔している。
五年前の自分は――罪深いほどに、無知だった。
それは――
今も変わっていないのかも、しれない。
ジェイ・ゼルが懸命に差し伸ばしてくれている腕を、自分は知りもせずに、拒んでいるのかもしれない。
沈黙の後、ジェイ・ゼルが口を開いた。
「一向に服を脱がない君に対して、単に反抗しているのだと、短絡的に私は考えてしまった。まさか、十五にもなって性に関する知識がないなど、思っても見なかったからな――自分の価値基準で判断し、そして、手ひどく君を傷つけてしまった」
後から、ジェイ・ゼルに訊かれて、ハルシャは無知をさらしてしまった。
ハルシャよりも、知ったジェイ・ゼルの方が、驚いていた。
誰も君に教えなかったのか、と、彼は叫ぶように声を放っていた。
赤子レベルの知識しかないと知ったジェイ・ゼルは、絶句し、動揺していた。
自分で、昂ぶりに触ったことも、ないのか?
呻くような彼の言葉に、ハルシャは真っ赤になりながら、うなずいた。
母に、禁じられていた、と。
結婚するまでは、そのようなことに、興味を持ってはなりませんと、ハルシャはきつく言われて育ってきた。
純粋培養だったのだろう。
ハルシャも、そちらよりも、宇宙の知識を得ることに夢中だった。
宇宙船は、狭い空間だ。
中で長期間、多数のスタッフと生活する。
様々なトラブルを回避するため、船内では、禁欲生活が当たり前で、宇宙飛行士専用に開発された、性欲を抑える薬もあるらしい。
興味を持たないことは、自分にとって宇宙飛行士になるための、一つの資格のようにもハルシャは思っていた。
露呈したハルシャの知識の乏しさに、ジェイ・ゼルはしばらく衝撃を受けたように動かなかった。
キスをしたことがないとは思ったが、男女がどうするかも、知らないのか?
なぜ、ジェイ・ゼルにこんな自分の私的なことを、話さなくてはならないかと、一抹の疑問を抱きながら、
知りません。
と、ハルシャは言い切った。
ジェイ・ゼルは、真っ直ぐな眼で、ハルシャに訊ねた。
射精というのも、知らなかったのか?
ハルシャは、ますます顔を赤らめて、
この前、知りました。あなたから。
と、やっと、応えた。
ジェイ・ゼルの表情が消えた。
何かを悟ったような、顔だった。
知らずに、私を煽ったのか?
彼の口調に動揺しながら、ハルシャは必死に首を振った。
煽る、という意味が、よく解りません。
ジェイ・ゼルの眉が、きつく寄せられた。
くそっ。そういうことか。
小さく、罵り声が彼の口の中で呟かれた。
その後、長く彼は沈黙していた。
ベッドの前に立たされていたハルシャは、彼の様子が変であることに、危惧を覚えた。何か、自分は妙なことを言ったのだろうか。
彼に声をかけようとした時、不意に手首が掴まれ、彼に引き寄せられていた。
すまなかった。
ハルシャを腕に包んだまま、彼は苦味のある言葉をこぼした。
知っていて、私を煽っていると思った。
違ったんだな、ハルシャ。
君は何も知らなかった。
素直に、想いを私に伝えていた、だけだったんだな――
痛いほど、身に抱きしめられる。
苦痛を与えて、すまなかった。
私が、間違っていた。
それから、ジェイ・ゼルは、ハルシャの服に手を触れず、脱ぐ時は自分でするように、命じだした。
余計羞恥を感じたが、彼が最初に荒々しく身を剝いたことが、その時は恐怖として残っていたから、ありがたいことだった。
誓いを守るように、どんな状況でも、ジェイ・ゼルは後孔に痛みを与える行為は決してしなかった。
そして彼は、地上に留まるのに、必要な知識でもあるかのように、ハルシャに互いの身体を使って出来る、あらゆることを教え込んでいった。
受け入れる前に、彼の指に身を任すことも、力を抜く術も、舌を絡めることも、一つずつ、丁寧に教えてくれる。
一つ、覚えるたびに、より深く泥に沈んでいくようだった。
けれど。
それが、ジェイ・ゼルがハルシャに対してしてきた、彼なりの努力だったのだ。
行為を通じて快楽を得て欲しいと、ジェイ・ゼルが願っていることも、強く感じた。
最初の行為の過ちを、重ねる愛撫で消し去ろうとするかように。
思いが伝わる度に、ハルシャはかたくなな態度で彼の心を拒否した。
どうしても、彼に心を預けることが、出来なかったのだ。
最初の行為で、ジェイ・ゼルは誰も侵入したことのなかった後孔と共に、ハルシャの心をも、引き裂いてしまったのだ。
柔らかな静寂のあと、ジェイ・ゼルが再び口を開いた。
「君が応えられないのは、私が自ら蒔いた種だ」
小さく頭が揺れる。
「何もハルシャは悪くない。解っているのに、私はその事実が苦しかったんだろうな――耐えきれずに、安易な方法に、逃げようとした。
他人の手を借りて、君を高めてもらう。
卑怯な手だ――責任を放棄するに等しい。
だが、それしか、方法が無いように思えたんだ――」
頭を、ジェイ・ゼルの手がゆっくりと撫でる。
子どもにするような、動きだ。
「ハルシャ。君はどんな状況にあっても、決して逃げずに、立ち向かっていく。
そんな君に行為を強いながら、私自身はそこから逃げようとした。
たった五年で、忍耐が尽きるなど、思っても見なかった。
結局」
笑いが小さく響く。
「自信がないんだろうな――私もギランジュのことを、言えない。何かに頼らずには、いられないほどに――不安になってしまった。結果、間違えた方法を、選んでしまったようだ。愚かなことだ。本当に――愚かな……」
ハルシャ――
ぼんやりとした意識の中で聞いた、低いすすり泣きの声が、耳に蘇ってくる。
あの声は――ジェイ・ゼルだったのか?
まさか。
彼が泣くなど、あり得ない。
「私はまた、君を理解出来ずに、一方的に傷つけてしまった」
呟きが、耳に染み入ってくる。
ふうっと、小さく息を吐くと、彼は腕を解放した。
「引き留めてすまなかったね」
離れたジェイ・ゼルの手が、ベッドに置かれる。
身を引きながら、彼は微笑んだ。
「約束通り、今日はこれ以上、君には何もしない――帰ってくれないか。ハルシャ」
薄闇が支配し始めた部屋の中に、ジェイ・ゼルの彫の深い顔が浮かんでいた。
灰色の瞳が、真っ直ぐにハルシャを、見つめていた。
自分の間違えた行為を罰するように、彼はハルシャに手を出さずに、帰そうとしている。
乗せられた膝の間のものが、張りつめて、彼を求めているのに――
それでも、ハルシャを、去らせようと、している。
残ったこの部屋で一人、あんたは、何を考えるんだ。
ハルシャは、瞳を見つめながら、心の中で、問いかけた。
五年前の自分の配慮に欠けた行為の懺悔か、他人にハルシャを与えようとしたことの後悔か。
それとも――ハルシャに反応を引き起こすことの出来ない、自分自身への侮蔑なのか。
ラグレンの街の灯りだけが差し込む、地上百七十階の建物の中で、ハルシャは、目の前の男と、向き合っていた。
灰色の瞳の中に、自分の姿があった。
五年の間――
ジェイ・ゼルは反応しないハルシャを、一言も、責めなかった。
私に慣れないね、と悲しげにつぶやくだけで。
彼は
待っていてくれたのだ。
ハルシャの心が、ジェイ・ゼルを受け入れ、反応を返す時を。
忍耐強く、五年間もの間。
待ち続けてくれていたのだ。
媚薬など、従わせる手段を熟知しながら、あえて使おうとはせずに。
原始的ともいうべき方法で、ただ身を触れ合わせながら、彼はハルシャに語り掛けていたのだ。
私を、受け入れて、くれと――
聞こうとしなかった、彼の心の声が聞こえる。
私の愛撫に応えてくれ。
私を見てくれ。
決して君を、傷つけはしないから、と。
黙するハルシャに、静かにジェイ・ゼルが微笑みを与える。
「君の礼は、思いがけなくて、嬉しかったよ。だが、もう帰ってくれないか、ハルシャ。――そうでないと、私はまた、君との約束を、破ってしまう」
ジェイ・ゼルが、ハルシャとの距離を取る。
「私は、今日は君に手を出さないと、約束をした。
きちんと約束を守らないと、また君が拗ねるからね」
軽い調子で言いながら、彼の身が緊張しているのが解る。
額に、かすかな汗がにじんでいる。
鼻孔をくすぐる媚薬の匂いが、部屋に充満している。これは、粘膜から吸収されるとギランジュが、言っていた。もしかしたら、微量の成分が、粘膜を通じて今も身に取り込まれているのかもしれない。
ジェイ・ゼルは、内の衝動に、必死に耐えているような気がした。
ハルシャは、彼の眼を見つめていた。
両手を動かすと、彼の頬を包んだ。
引き寄せながら、唇を合わせる。
ジェイ・ゼルが、驚いたように、目を見開いていた。
唇を離しながら、ハルシャは呟いた。
「俺は、あんたが望む行為に従う」
灰色の瞳をのぞき込む。
「あんたが、帰ることを望んでいるのなら、俺は帰る」
震えそうになる声を叱責しながら、ハルシャは続けた。
「違うことを望んでいるのなら――」
灰色の瞳に映る、自分を見ながら、ハルシャは呟いた。
「俺は、残る」
ジェイ・ゼルの瞳の中の自分が、自分を見返す。
「あんたの、本心を教えてくれ。ジェイ・ゼル」
瞳の中のハルシャも問いかける。
お前の本心は、どうなんだハルシャ、と。
「俺は、あんたの望む行為に従う」