ほしのくさり

第27話  伝わる心の声-01






 硬いハルシャの態度にじれて、媚薬を使おうとしたギランジュの手が、空中でジェイ・ゼルに止められていた。

「どうした、ジェイ・ゼル」
 状況をやっと把握したように、ギランジュが困った顔で笑う。
「お前がハルシャに、自分で塗りたかったのか? それなら譲るよ。自分の手で快楽を与えてやれ」
 ほら使え、と、差し出された紫の球体を、ジェイ・ゼルは手の甲で払った。
 弾かれた惑星アマンダの秘薬が、床に叩きつけられる。
 圧に耐え兼ねたように、硬質な音を立てて球体は砕けた。

 押し殺したジェイ・ゼルの声が、破壊音に重なるように聞こえた。
「私のハルシャに、下品なものを使うな」

 しんと、部屋が静まりかえった。

 薄青いギランジュの目が、驚きに見開かれる。
 沈黙の後、怒気を含んだ声でジェイ・ゼルが呟いた。

「言っておいたはずだ。ハルシャに、快楽だけを与えろと」
「だから――俺はこいつを用意したんだ、ジェイ・ゼル。とっておきの快楽を与えるものを……」
 戸惑い言葉をこぼすギランジュを無視して、ジェイ・ゼルが低く呟く。
「痛みを与えず、妙な手管も使うなと――念をおして、何度も言ったはずだ。お前は大丈夫だと請け合った」
 灰色の瞳が、目の前の男を見る。
 声が低く響く。
「これは契約違反だ。違うか、ギランジュ」


 息が詰まるほど緊迫した沈黙の後、不意に激しい言葉が部屋に響いた。

「そんなに、怒るほどのことか!」

 ギランジュの顔が、紅潮している。
 燃える眼差しをジェイ・ゼルに向けて、彼はつかみかからんばかりの調子で言葉を吐く。
「こいつを抱くのを、快諾したのは、お前じゃないか! ジェイ・ゼル」
「ああ、そうだ。私以外のほうが良いかと思ったからな」

「なら、何をいまさら言い出すんだ! 惜しみが出たのか! お前は随分ご執心のようだからな、この、反応もまともに出来ない丸太のような体にな!」
 炎のような怒りを浴びながらも、ジェイ・ゼルは表情一つ変えなかった。
 静かな声が、怒りを割るようにして響く。
「私は手管を使うなと、言ってあったはずだ。媚薬など――」
 ふっと、ジェイ・ゼルは笑った。
「そんなたやすい方法……使うなら、とっくの昔に使っている」

 今。
 彼は、何と言った?
 耳にしたことが、信じられなかった。
 媚薬を使って快楽を与えこの身体を従わせることは、ジェイ・ゼルにとっては簡単なことだったのだ。
 だが。
 彼はこれまで、幾度も身を合わせながら、一度もその方法を取らなかった。
 ひたすら、原始的とも思える手段――ただ、己の身だけを使ってハルシャに接してきた。
 それが考えのあってのことだと、ハルシャは初めて気づく。

 ジェイ・ゼルはまだ、ギランジュの手首を握ったままだった。
 灰色の眼で見据え、彼は静かに話し始めた。

「惑星アマンダの収益の半分は、媚薬の売り上げだ」
 ギランジュの眉が、微かに寄せられた。
 淡々とジェイ・ゼルが続ける。
「惑星アマンダの製品には、どれも強力な習慣性がある。どんなに無毒を謳《うた》っていても、必ず、からくりが仕込まれている。使った者がもう一度購入せざるを得ないような、快楽のシステムがな。銀河帝国の科学者のトップクラスの人材を集めて、媚薬を作らせているんだ。本人の意思を捻じ曲げて、媚薬に走らせるようにするなど、簡単なことだ。
 現に、お前も手離せないのだろう――ギランジュ。得られる快楽を求めて、もうこれなしではいられないほどに。
 知らず知らずに身の内を蝕んで快楽で縛り付ける。それが、惑星アマンダの媚薬なんだよ、ギランジュ」
 ジェイ・ゼルの瞳が、ギランジュを見る。
「そんなものを、ハルシャに使うことなど、私が許さない」


 ジェイ・ゼルが強い力で、ハルシャから引きはがすように、ギランジュの腕をねじりあげた。
 抗い、腕をもぎとるように、ジェイ・ゼルから彼は逃れる。
「偉そうな物言いだな。こいつは、借金のかたに抱いているだけだろう!」
 吠え声が、罵りを叫ぶ。
「俺に、恥をかかせやがって。それが、お前の礼儀なのか、ジェイ・ゼル!」
「契約を先に破ったのは、お前だ。ギランジュ」
 静かなジェイ・ゼルの声が、部屋に響く。
「惑星アマンダの秘薬に頼らねばならないほど――君は、自分に自信がないのか」

 男のプライドを傷つけられて、怒りに全身を染めながら、ギランジュはベッドを揺らして立ち上がった。
 服を手早くまとうと、部屋から足早に立ち去る。
 出口でジェイ・ゼルへ、視線を向けた。
「覚えていろ、ジェイ・ゼル。この非礼には、相応のもので報いさせてもらう」

 下種な脅しに、静かにジェイ・ゼルは、微笑んだ。
「楽しみにしている」
 壁を殴ってから、ギランジュは立ち去って行った。


 しんと、部屋に再び、静寂が満ちる。


 沈黙の中に、甘い匂いが、漂っていた。
 床に叩きつけられて壊れた、媚薬の容器からのようだった。
 ハルシャは身を起こした。視界に、ジェイ・ゼルの背中を捉える。
 自分が誘っておきながら、商売相手であるギランジュ・ロアを激怒させて、ジェイ・ゼルは立ち去らせた。
 彼は窓の外へ顔を向けたまま、動かない。
 長い静寂の後、ジェイ・ゼルが微かに息をついた。

「惑星アマンダの秘薬は強烈でね」
 向けられた背から、言葉が響いた。
「帝国の科学の粋を集めて開発された、とっておきの媚薬だ――効果は絶大で、一度味を覚えると抜け出すのは困難になる」

 途切れた言葉のあと、彼は床で砕けた秘薬の容れ物に目を向ける。
「こいつは――相手を縛り付けるには、優秀な手段だ。快楽におぼれさせ、それなしでは生きられないようにして従わせる。餓えたように快楽を求め続け――得られない時は何でもするようになる。どんなことでも、媚薬を得るために、為してしまう。
 そういう薬だ、惑星アマンダの秘薬はな」

 苦味を帯びた口調で呟いてから、彼は振り向いた。
 ハルシャと、視線が合う。
 彼は、優しく微笑んでいた。
「惑星アマンダは、表は美しいが、裏は爛れた醜い星だ。性の快楽と引き換えに、相手から金品を搾取することで成り立っている。
 そこでは、命はただの道具になる。尊厳もなにもない、ただの、金儲けの道具に。媚薬は、生命体を性の道具にするために使われる隷属の手段だ」

 言葉が途切れた。
 微笑む瞳の奥にある、暗い闇の存在に、ハルシャは気付いた。
 彼は、惑星アマンダに、何か思い出でもあるのだろうか。
 言葉が秘める痛みに、推測をめぐらせる。
 裏の醜い姿を、彼は実際に目にしたことがあるようだった。

 ハルシャは、そろそろと足を引き寄せて膝を抱えた。
 身を守るように背を丸めて、じっとジェイ・ゼルの瞳を見つめる。
 彼は、無言でハルシャへ視線を向けている。
 膝を身に寄せ抱きしめながら、ハルシャも同じように、静寂を守る。
 無言で見つめ合った後、微かに眉を寄せると、ジェイ・ゼルが口を開く。

「――そんな汚れた手管を、君に使いたくなかった」

 ぽつりと、言葉が、こぼれる。
 不意に彼は、ハルシャに背を向けた。
 前を向いたジェイ・ゼルの広い背中を、ハルシャは驚きに目を瞠ったまま見つめ続けていた。

 自分は彼に、隷属させられているのでは、無かったのか?
 意志を奪われていると思っていた。
 が。
 彼は強力な従属の方法を知りながら、あえて、自分には使わなかったのだ。

 自由が与えられていたことを、ハルシャはおぼろげながらも悟る。
 彼の目的は、自分を彼の性の奴隷にすることではなかったのだろうか。
 それなら、手っ取り早く媚薬を使えばよかったはずだ。
 彼は方法に精通しているようだった。
 なのに――なぜ。


 戸惑うハルシャの耳に、虚空に呟くジェイ・ゼルの声が響いた。
「習慣性のある媚薬におぼれれば、君はまともに働くことが、出来なくなるからね」
 答えが、宙に消える。

 ああ、そうか。
 ハルシャはやっと納得する。
 借金を返済させるために、ハルシャの体の負担になるような、ことは避けたということだ。
 彼にとっては、借金の返済が、自分の欲望よりも大切だったのだろう。
 ジェイ・ゼルはとても実利的だ。最大の利益が望める選択を、為したということだ。
 感謝――するべきなのだろう。
 彼の配慮に。
「なら、礼をいわなくてならないな」
 ハルシャは、膝を抱えたまま、ジェイ・ゼルにやっと声をかける。
 無様なほど、声がかすれていた。
「ギランジュを、止めてくれて」

 ゆっくりと、ジェイ・ゼルが振り向き、ハルシャへ目を向けた。
 不意に、ハルシャの胸が痛んだ。
 理由はわからない。
 彼は口に出来ない言葉を心に抱えながら、ただ、見つめているような気がした。
 抱える彼の懊悩が、ふと、心を打つ。
 何かに耐え兼ねたように、ジェイ・ゼルが目を逸らし、再びハルシャに背を向けた。
 虚空に、ジェイ・ゼルの言葉が響いた。
「君の声が、聞こえた」
 囁くような、小さな呟きが、彼の口からこぼれ落ちる。
「――助けてくれ、と」






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