ほしのくさり

第26話  惑星アマンダの秘薬-02






 彼の灰色の瞳が、ハルシャを中に映す。
 口に出せない想いが、胸を焼く。
 ひきつったような呼吸を、ハルシャは繰り返す。
 ぴくっと、ジェイ・ゼルの眉が動いた。

「これなんだがね」
 上機嫌で、紫色の球体を手に、ギランジュが戻ってくる。
「惑星アマンダで、今一番人気のものだ」

 弾んだ声を聞いても、ハルシャは顔をジェイ・ゼルから動かさなかった。ハルシャを気にしながら、彼は視線を横の男に向ける。
「惑星アマンダで?」
 彼が口にした場所は、快楽惑星として名高い星だった。惑星中が快楽を追求する産業を営み、銀河帝国に名高い、性産業の一大拠点。日夜巨額の金が、欲望を満たそうとする人々によって、惑星アマンダに振り落とされる。
 惑星の名を冠する最高位の娼婦『アマンダの美女』は、一年間分の給料の値段で一晩の相手をする。
 そこでの性技は、もはや芸術とまで言われていた。

 その惑星アマンダで作られたものを、ギランジュは手にしていた。
 笑いを含んだ声で、ギランジュが答える。
「ああ、天国へ連れて行ってくれる、惑星アマンダの秘薬だよ」
 ギランジュが目を細めて、呟く。
「媚薬だ」

 笑みをたたえた目のまま、ギランジュは言葉を続ける。
「君の忍耐には敬服するがね、ジェイ・ゼル。躾のなっていない犬には、然るべき手を打たなくてはならないよ。
 一度快楽を覚えさせれば、すぐにこちらの思い通りになる」

 ハルシャは横たわったまま、ゆっくりと、視線をギランジュへ向ける。
 気づいたように、ギランジュがハルシャを見る。
 その眼が弓なりになった。
「ハルシャが驚いているところを見ると、まだ、使ったことはないのかな、ジェイ・ゼル」
 ふふと、口元を歪めながら、ハルシャに見せつけるように、彼は紫の球体から、透明な液を絞り出し、手に乗せ始めた。
 鼻歌交じりに、彼が言う。
「実利的な君らしくないね――わざわざ、遠回りすることはない。安心しろ。こいつには、習慣性はない。粘膜を通じて吸収されて、数時間だけ、天国へ連れて行ってくれるだけだ」
 ギランジュが、ジェイ・ゼルへ視線を向ける。
「あんたも、後で効果を自分で試してみるがいい。俺は毎回、楽しませてもらっている。両方とも、天国に行ける。この硬い体も、きっと抱きやすくなるぞ」
 ギランジュが微笑みながら言う。
「まさに天国だよ、ジェイ・ゼル」

 ああ。
 自分はそうやって、強制的に高められるのだ。
 心など、置き去りにして。
 これが、彼の望んだことなのだ。
 今まで、一度もジェイ・ゼルは自分に薬品的なものを使ったことがなかった。
 借金のかたに抱くには、不必要だと考えていたのかもしれない。
 その彼に、ギランジュが方策を授けようとしている。
 ハルシャは、諦念が身の内に広がるのを感じた。
 言葉を、心に呟く。
 大丈夫だ。永遠には続かない。いつかは終わる。
 これは作業だ。借金返済のための、必要不可欠な、作業。
 仕方がない。
 ジェイ・ゼルが、それを望んだ。
 内に言い聞かせながらも、ハルシャは屈辱に歯を食い縛る。
 自分は、ジェイ・ゼルの、性欲処理のための、ただの道具だ。
 彼の望み通りにする選択肢しか、ない。
 どんなに大切に扱ってくれているように見えても――ジェイ・ゼルの中では、自分は所詮、道具にすぎなかったのだ。ハルシャの心など無いに等しい。必要なのは、この身体だけだ。
 彼の求める快楽を与えるだけの、道具。
 身の程を、思い知らされる。


「ハルシャ・ヴィンドース」
 ギランジュの静かな声が聞こえる。
 まるで愛玩犬を呼ぶように、彼は自分の名前を口にした。
「きちんと覚えるんだ――これからすることを。今後、ご主人様を、喜ばせることが、出来るようにな」
 熱でねっとりと湿りを帯びた声が、ハルシャの耳に響く。

 ハルシャは、視線をジェイ・ゼルへ向けた。
 彼は、ギランジュを見ていた。
 ギランジュが企みを含んだ笑みを、ジェイ・ゼルへ向ける。
「こいつを使えば、手に合わない犬でもすぐに躾が出来る。安心しろ。俺は躾が上手いんだ、ジェイ・ゼル。すぐに快楽に鳴かせてみせる」

 手の平に乗せたどろりとした液体を示して、ギランジュが動く。
 ハルシャは、目を閉じた。
 快楽に反応する体――それが、ジェイ・ゼルの望みなのだ。
 ハルシャは身を強張らせたまま、液体が自分に塗られる時を、待つ。
 内側に、心臓の音が聞こえる。
 いっそ。
 止まってくれ、この心臓など。
 ハルシャは瞬間考えた。
 玩具のように、ただ身を弄ばれるのなら――命など、ないほうがいい。
 だが。
 そんなことは出来ない。自分が死ねば――この屈辱が、サーシャの肩に、移し替えられる。
 サーシャが、ジェイ・ゼルによって行為を強制させられる未来に、ハルシャは血が流れるほど、きつく唇を食い縛った。
 出来ない。
 サーシャを傷つけることなど、出来ない。
 それなら、自分が――
 どんな屈辱にも、耐えるしかない。

 苦い思いに身を焼きながら、ハルシャは待った。
 だが、いくら経っても、液体は身に落ちてこない。
 どうしてだろう。
 静寂の中、疑問を抱きながら、ハルシャは目をそっと開いた。
 横たわった低い視界に、向き合うギランジュとジェイ・ゼルの姿が映った。
 ギランジュが、驚いたように、ジェイ・ゼルを見ている。
 ジェイ・ゼルは――ギランジュの手首を固くつかんで、ゆっくりとハルシャから引き離していた。

 驚きに固まったギランジュに向けて、ジェイ・ゼルの静かな声が響いた。

「――止めろ、ギランジュ」








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