ほしのくさり

第210話  約束の証文







 玄関に光が走った。
 居間のソファーにもたれて映画に見入っていたハルシャは、気配に慌てて立ち上がった。
 ジェイ・ゼルが帰って来たのだ!
 昼を随分回っているが、夕食に間に合うように戻ってくれたのだ。
 食事を作る時に、夕食の分もハルシャは仕込んでいた。また、一緒に作ることに少しワクワクする。
 弾む足取りでたどり着いた玄関には、ジェイ・ゼルはいなかった。

「リュウジ……」
 ジェイ・ゼルと信じ込んでいたために、驚きが口から出た。
「リュウジが迎えに来てくれたのか?」
 すぐに彼は言葉を返さなかった。
「ハルシャ……」
 何かを彼は言おうとした。
 けれど、名前を呼んだだけで沈黙した。
 ジェイ・ゼルは迎えをよこすといっていた。なら、彼が来てくれたのだ。
「ありがとう、リュウジ」
 サーシャのことを心配していたから、リュウジを迎えに寄越してくれたのかもしれない。
「急だったから、準備をしていない。少し待っていてくれ」
 ハルシャは見かけていた映画を切り、パッケージに戻す。
 見たものとまだ見ていないものを分けて、机の上に置いた。
 残りのものは、もしかしたらジェイ・ゼルの好みかもしれないと思って、一緒に見るために残しておいたのだ。
 ベッドを整えて、戻る。
 そうだ、リュウジが迎えに来てくれて、出ていることをジェイ・ゼルにつたえなくては、と思い立つ。
 白い通話装置は結局、まだ妹に渡したままだった。
 メモ、というのは原始的だが、意外と受け取ると嬉しいものだと、ハルシャは学んでいた。
「ジェイ・ゼルに伝言をしておくから、もう少しいいだろうか」
 彼がメモを仕舞っていた場所から取り出して、書こうとした時

「ジェイ・ゼルは、そのメモを、見ることはないと思います」

 と、妙に押し殺した低い声でリュウジが呟いた。
 書きかけた手を止めて、ハルシャは顔を上げた。
 言葉の意味が解らない。
 瞬きをするハルシャに、リュウジは手を握り締めたまま

「この部屋へ、もうジェイ・ゼルは、帰りません」

 と、堅い声で言う。

 リュウジを、見つめる。

「――ジェイ・ゼルに……何か……あったの、か」

 ひゅうひゅうと、喉が鳴るような声で、ハルシャは呟いていた。
 そうだ。
 彼はいつも護衛を引き連れていた。
 敵が多いと言っていた言葉が蘇る。
 メモを書こうと手にしていた筆記具が、音を立てて床に落ちた。

「事故に遭ったのか」
 声が震える。
「病院に、運ばれたのか」

 目を見開いて、最悪の事態に恐怖する。
 まさか。
 まさか、ジェイ・ゼルは――

 リュウジが荒い息を数度繰り返した。
 伝えることが苦しい様子が、否が応でも伝わってくる。
 ハルシャは走って、リュウジの肩を掴んでいた。
「教えてくれ、リュウジ! ジェイ・ゼルに何があったんだ!」
 叫ぶ声に
「彼は――」
 と押し殺した口調でリュウジが言葉を返す。
「逮捕されました。汎銀河帝国警察機構に」

 驚きのあまり、頭が真っ白になる。

「ど、どうして……」
 違法な操業をしていると、彼は呟いていたことがある。
 犯罪性を指摘されたのだろうか。まさか、マイルズ警部が……
 そんな。
「どうして、ジェイ・ゼルは逮捕されたんだ! 知っているなら教えてくれ、リュウジ!」
 懸命な声に、ぐっと眉を寄せると
「ダルシャ・ヴィンドース夫妻の殺人に対する共謀罪です」
 と静かに彼は言った。
「それと、未成年を違法に就労させていたこと。権力者に対する贈賄罪。彼は帝星へ連行され、そこで法の裁きを受けます」

 ハルシャは無言で走っていた。
 駐車場と書いてあるボタンを押し、光に包まれる。

「ハルシャ!」
 リュウジの声が遠くなる。
 たどり着いた駐車場を走る。どうやって降りたらいいのだろう。
 すぐに腕を捕らえられて、引っ張られた。
「どこへ行くつもりですか!」
 リュウジだった。
「屋上から落ちてしまいます!」
「ジェイ・ゼルに会いに行く!」
 必死に言う。
「彼から話を聞く!」
 痛みを得たように、リュウジが眉を寄せる。
「もう、ジェイ・ゼルはバルキサス宇宙空港へ連行されています」
 無言でハルシャはリュウジの腕を払おうとした。
「なら、宇宙空港へ行く」
「間に合いません!」
「それでも!」
 ハルシャは叫んでいた。
「ジェイ・ゼルに会いに行く!」
 息を乱して、見つめ合う。
「バルキサス宇宙空港へ行く。行かせてくれ、リュウジ」
 彼は、ジェイ・ゼルから引き留めるように言を含まされているような気がした。
「ジェイ・ゼルに会いに行く。手を離してくれ、リュウジ」
 ぐっと、その手に力がこもった。
「どうやって一人で行くつもりですか。『外界ヴォード』を抜けるには特別仕様の飛行車が必要です」

 解らない。
 そんなことは解らない。
 どうやって、大気浄化装置付きの飛行車を借りたらいいのか。
 サジタウル・ゲートを抜ける方法も。
 バルキサス宇宙空港へ入る手段も、何も。
 自分は驚くほど無知だ。
 けれど――
 ただジェイ・ゼルに会いたかった。

「ジェイ・ゼルに」
 想いが溢れてくる。
「ジェイ・ゼルに会いたいんだ」

 こうなることを、ジェイ・ゼルは知っていたのだろうか。
 今日、逮捕されることを。
 だから――
 昨日、子守唄を歌ってくれと言っていたのだろうか。
 もう。
 あえなくなるから。
 切ないほどに優しく、見つめていた眼差しが、胸を抉った。

「ジェイ・ゼルに……」

 ぽろぽろと、涙が溢れて頬を伝った。

「ジェイ・ゼルに、逢いたいんだ、リュウジ」

 腕を強く掴んだまま、リュウジは無言で自分を見ていた。
 小さく、彼の口から吐息が漏れた。

 不意に腕を強く掴んだまま、リュウジが歩き出した。
 向かった先には、ヨシノさんが乗る飛行車があった。
「吉野」
 扉を開けるヨシノさんに短くリュウジが言葉を告げる。
「僕が運転をする。吉野はすまないが、『外界ヴォード』仕様の大気浄化装置付き飛行車を手配してくれ。ゲートを最速で抜けたい。例の許可証を使ってくれ。いくら支払っても構わない。頼む」
 微かに眉を寄せて、リュウジは呟いた。
「これから、バルキサス宇宙空港へ向かう――急げ」

 ハルシャを後部座席に押し込んで扉を閉めると、リュウジは運転席に滑り込んだ。すぐさま車体が浮く。
 リュウジが運転するのは初めて見たが、素晴らしく上手かった。
 助手席で、ヨシノさんが連絡を取りまくっていた。

 ジェイ・ゼルに逢いたいという一言のために、彼らはここまでしてくれているのだ。
 凄まじい速さでリュウジは飛行車を駆り、サジタウル・ゲートへたどり着いた。
 彼の運転は本当に上手だ。ふわりと何の衝撃もなく、飛行車が着地する。
 着いた場所には、もうすでに、ヨシノさんが手配した大気浄化装置付き飛行車が、用意されている。飛行車の側には人が立っていた。
 引き渡しを受け、その場で、三百ヴェゼルの現金をヨシノさんが、業者に支払った。
 ハルシャは驚きに目を剥いてしまった。
「ここからは、私が運転いたします。竜司リュウジ様」
「うん、頼む」
 飛行車に乗り込むと
「横の、シークレット・ゲートの方を利用させていただきます」
 と、静かな声でヨシノさんが言った。
「ありがとう、吉野」

 シークレット・ゲートという言葉は初耳だ。
 ヨシノさんが駆る飛行車は、サジタウル・ゲートに向かわなかった。その横に車体を滑らせていく。
 驚きの中で、高い建物に入る。
 何とそこは、秘密通路になっていたようだ。
 ヨシノさんは建物に入ると、入り口にいた守衛らしき人と会話を交わし、許可証を見せている。
 驚きに見開かれた目の前で、ゲートが開いた。
 シークレット・ゲートは、サジタウル・ゲートとは別に、外界ヴォードに出るところらしい。ハルシャは初めて知った。

「国賓クラスの人達のためのゲートです。僕は祖父を通じて、ラグレン政府に面会を求めましたから、このシークレット・ゲートの使用許可を得ていました。
 ここなら、待ち時間なしに、外界ヴォードに出ることが出来ます」

 ハルシャが驚いていることに気付いて、リュウジが呟くように言った。
 前を見て、リュウジは静かに座っていた。
 驚くほど速く、通過が許可されヨシノさんの運転の飛行車が、ドームを抜けた。

「先程の話だが、リュウジ」
 ハルシャは、必死に問いかけた。
「ジェイ・ゼルが私の両親の死の共謀罪というのは、どういうことだろう」

 リュウジはしばらく口を開かなかった。
 沈黙のまま、ヨシノさんがバルキサス宇宙空港へとひたむきに道を取る。

「ジェイ・ゼルから」
 何の前触れもなく、リュウジが口を開いた。
「あなたには話すなと言われています」
 衝撃が走る。
「ど、どうしてだ」
 リュウジが前を向いたまま、目を細める。
「あなたに誤解を受け、欺いていたと恨まれること――それが」
 静かな声で彼が呟く。
「自分の犯した罪に対する、ジェイ・ゼルの償《つぐない》いの方法だからです」
 ゆっくりと、リュウジはハルシャに顔を向けると、悲しいほどの笑みを浮かべた。
「それがあなたに対する、彼の精一杯の愛の示し方なのですよ、ハルシャ」

 そこから、ぽつり、ぽつりと、リュウジがことの詳細を話してくれた。
 ジェイ・ゼルの頭領ケファルイズル・ザヒルとレズリー・ケイマンが手を組んで、自分の両親を殺害したこと。ケイマンは地上からヴィンドース家を抹殺したかったようだ。そのために、借金のからくりが仕組まれた。
 そして、ジェイ・ゼルは、その手先として使われた。
「あなたがおっしゃったように、ジェイ・ゼルは何も知らされていませんでした。それだけは確かです。
 それでも、彼は自分が計画したと、警察機構に話しました。証拠の品を携えて。
 彼の証言のお陰で、レズリー・ケイマンの逮捕令状がぎりぎりでしたが降りて、本日ケイマンは逮捕されています。
 ジェイ・ゼルが身を削って有罪を証明してくれたお陰です」

 ハルシャは、黙したままリュウジの言葉を聞いていた。

「ジェイ・ゼルは、あなたが警察で暴行を受けたことに対して、大変衝撃をうけていました。
 今回、レズリー・ケイマンとヴィルダイン・ハーベルの罪状を告発したのは、あなたを守るためです。
 あなたのご両親の死に関係しながら、何も知らなかったことに、ジェイ・ゼルは深く反省していました。
 あなたを苦しめたこと、傷つけたこと、運命を狂わせたこと――
 その罪を、ジェイ・ゼルは自分が共謀罪で裁かれることで、償おうとしています。それが、彼の誠意の示し方なのです、ハルシャ」

 苦しげに、リュウジが言葉を呟く。

「僕は、止めることが出来ませんでした。彼の意志は固く、言葉を尽くしても決意は翻りませんでした。
 これから先、ジェイ・ゼルには厳しい裁きが待っていると思います。ですが、彼には運命を甘んじて受ける覚悟がすでに決まっていました。
 自分の身すら顧みないほど――」
 リュウジは唇を噛み締めると、歯の間から絞り出すように、呟いた。
「あなたのことを、ジェイ・ゼルは想っています」


 天使の前から消えることが――悪魔の愛の示し方だった

 静かに微笑みながら、呟かれた言葉が、耳に蘇る。


 愚かな愛し方だ


 天使を愛したことで、呪いが解かれた悪魔。
 それは、あなたのことだったのか、ジェイ・ゼル。

「どうして……どうして、一言も言ってくれなかったんだ」
「あなたが、傷つくからですよ、ハルシャ」
 優しいリュウジの言葉が耳に響く。
「ジェイ・ゼルは、あなたを誰にも傷つけさせたくなかったのです。誰にも……自分自身ですら」

 唇を噛み締めると、リュウジは言葉を切った。

「愚かで――見事な人です」


 バルキサス宇宙空港へ着くと同時に、
「こちらです」
 と、飛行車を乗り捨て、リュウジがハルシャの手首を掴んで走り出した。
 一般乗船客の向かう場所とは違う、奥まったところへ。
 警察関係の宇宙船は、特別な場所に待機しているらしい。一般客との交流がないように、気を遣っているようだ。
 ハルシャは、懸命に足を動かした。

 その視界に、人の群れが見え出した。
 こちらを向いている背中に、汎銀河帝国警察機構の文字が見えた。
 警察の人達だ。
 その真ん中に挟まれるようにして、背の高い人物がいる。

「ジェイ・ゼル!」
 ハルシャは走りながら叫んでいた。
 はっと、足が止まり、ジェイ・ゼルが振り向いた。
 駆け寄る自分の姿を、彼の灰色の瞳が映す。
 口元が動く。
 ハルシャと、自分の名を彼が呟いている。
 ジェイ・ゼルたちがいる場所とこちらには、壁のようなもので仕切られている。
 胸の高さまでの壁で、ジェイ・ゼルはその壁の向こうにいて、搭乗ゲートに歩いていく途中だった。

「ジェイ・ゼル!」
 壁に取りつき、身を乗り出すようにして彼を呼ぶ。
「どうしてだ、ジェイ・ゼル!」

 叫びに、彼はふっと顔を背けた。
 警察たちが足を止めている。
「どうして!」
 ハルシャが身を乗り出すのを、リュウジが両手で引き留める。
 だが、ハルシャはもがいて、何とかジェイ・ゼルの側へ行こうとした。
 警察の中から、サーシャを助けてくれた、アンディが姿を見せ
「ハルシャ君――すまない」
 と、中から自分を押しとどめる。

 不意に、ジェイ・ゼルの凛とした声が響いた。
「止めなさい、ハルシャ」
 こちらに背を向けたまま、ジェイ・ゼルが言葉を放つ。
「ここに来てはいけない」

 制止に、動きが止まる。
 見つめるジェイ・ゼルの背中は、決意に満ちていた。
「ハルシャ」
 背中越しに声が聞こえる。
「私のことは、忘れなさい」

 それだけを言うと、彼は歩き始めた。

「忘れない!」
 ハルシャは身を乗り出しながら、叫ぶ。
「絶対に、忘れない、ジェイ・ゼル! 絶対に!」

 叫びを聞きながら、ジェイ・ゼルが遠ざかっていく。

「温もりを忘れないと、約束したから! 忘れない、ジェイ・ゼル!」
 涙が溢れる。
「待っている! ずっと!」
 喉に涙がつまる。それでも声を放つ。
「ジェイ・ゼルが刑を終えるまで、いつまでも、ずっと、待っている!」

 震える身を、リュウジが抱き締めてくれている。
 彼に縋りながら、体中から絞り出すようにハルシャは叫んだ。

「愛しているんだ、ジェイ・ゼル!」

 叫びに、ジェイ・ゼルが足を止めた。
 凍り付いたように、彼はその場から動かなかった。
 ふっと力を抜くと横の警察の人に、短く何かを言った。
 警察官たちが互いの顔を見合わせて、何かを相談する。
「アンディ」
 呼ばれてアンディが動く。
 彼はジェイ・ゼルの側に行くと、短く言葉を交わし、彼の腕を取るとこちらへ戻って来た。
 踵を返して、ジェイ・ゼルがハルシャの方へ歩いてくる。
 アンディの護衛をつけて、ジェイ・ゼルが近付く。
 涙をぼろぼろとこぼしながら、ハルシャはジェイ・ゼルを見上げた。
 壁を挟んで向き合う位置にジェイ・ゼルが佇んだ。
 彼はふっと笑った。
「聞き分けのない子だ」
「ジェイ・ゼル」
 ハルシャは胸の高さの壁越しに、ジェイ・ゼルに腕を差し伸べた。
 静かに笑ってジェイ・ゼルが身を寄せてハルシャの腕に包まれる。
 ハルシャは顔を寄せて、彼の匂いを胸一杯に吸い込んだ。
「私のことは忘れなさい」
 ジェイ・ゼルの言葉に、ハルシャは首を振った。
「違う幸せを見つけるんだよ、ハルシャ」
 きつく首を振る。
「ハルシャ」
「ずっと、待つ」
 頑なに言い張る。
「ジェイ・ゼルを待っている」
「何十年かかるか解らないよ」
「それでも、待つ」
 涙で上手く言葉が出ない。
「一生、待ち続ける」
 身を離してジェイ・ゼルを見つめる。
「愛しているんだ、ジェイ・ゼル」

 痛みを得たように、ジェイ・ゼルが顔を歪めた。

「聞き分けのない子だ」
 呟きが口からこぼれる。
 彼を見上げて、ハルシャは
「待つと、誓う」
 と、決意を言葉にする。
 灰色の瞳を見つめてから、背伸びをして、彼の口に唇で触れる。
 驚いた顔のジェイ・ゼルに、頬を赤らめながら
「これが――約束の証文だ。ジェイ・ゼル」
 と、小さく呟いた。

 視線を、触れ合わす。
 ジェイ・ゼルがゆっくりと、優しく笑った。

「ありがとう、アンディ」
 呟くと、彼は踵を返した。
「約束だ、ジェイ・ゼル!」
 叫ぶハルシャの言葉に、ジェイ・ゼルは答えなかった。
 もう振り向かずに、真っ直ぐに歩いていく。
 ゲートを抜け際に、一瞬振り向いて、ハルシャを見る。
 その顔には柔らかな笑みが浮かんでいた。
 ふっと顔を動かし、彼はゲートの向こうに消えた。

「約束だ、ジェイ・ゼル」
 呟いて、ハルシャは、自分の唇に触れた。
「忘れない、決して」

 その場に立ち竦み。涙を流し続けるハルシャを、リュウジは黙って腕に抱きしめ続けてくれていた。
 涙が収まり、ようやく歩き出せるようになるまで、ずっと――









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