瞬間、レズリー・ケイマンは温和な表情の奥にあるものを、瞳の中に浮かべた。
警戒と疑念と、狡猾さ。
それを眺めてから、リュウジは静かに続けた。
「ダルシャ・ヴィンドース氏は交易で帝星によくお見えで、カラサワ・コンツェルンとも取引がありました。
十年前から、私は氏を存じ上げています。彼は惑星トルディアの父と呼ばれる偉大な祖先の志を、果たしたいと努力を続けていました」
言葉を切ると、リュウジはレズリー・ケイマンを真っ直ぐに見つめる。
「『偽水を飲用水にすること』――それは、五年前に実用可能になったと、聞き及んでいます」
レズリー・ケイマンは、ゆっくりと笑みを顔に戻した。
無知な来訪者に言い聞かせるように、少し身を乗り出して語り始める。
「確かに、技術的には可能かもしれませんが、そうなると今度は困った問題が起こるのです。紫の森は、偽水に依存しています。人類のために偽水を汲み上げれば、バランスを保っている生態系が崩れる可能性が極めて高い。
そうなると紫の森自体が枯れてしまいます。
つまり、ラグレンでの生活を優先させると、観光資源を失ってしまうことになります。
確かに、ダルシャ・ヴィンドース氏は偽水の採掘について、許可を求めに来ました。ですが、紫の森の生態系のことを考えて、許可を出すことは出来ませんでいた」
さらさらと言い切ってから、レズリー・ケイマンはソファーにどっしりと身を預けた。
「どうやら、ウィルソンさんがヴィンドース氏からお話を聞かれたのは、ラグレン政府の判断を受ける前だったようですね。ダルシャ・ヴィンドース氏も納得して、その時はこの部屋を出たのですが」
「いいえ」
リュウジは静かな声で、ケイマンの言葉を切った。
「ヴィンドース氏は、その後で私と話をしました。偽水を飲用水にする許可が下りなかったと」
ぴくっと、ケイマンの頬が震える。
「偽水は、紫の森以外にも存在する。そこなら何一つ観光資源に影響は与えない。なのに、政府は許可を与えようとしない。偽水は地下で繋がっているととの一点張りで。ダルシャ・ヴィンドース氏が、地下水は点在しているという資料を提出しても、でっち上げだとほとんど検討もされずに却下されたと――まるで、輸入する飲用水以外は、認めないというように」
にこっと笑ってリュウジは付け加える。
「ちなみに、飲用水は全てラグレン政府の管轄だそうですね」
静寂が執政官室にしばらく居座った。
それを破ったのは、リュウジだった。
「それと……こんなこともおっしゃっていました。ケイマン
まるで、別人のようだった、と」
ケイマン執政官が小さく首を振った。
「それは私が事件に巻き込まれたせいでしょう。お恥ずかしい話ですが、十三年前に誘拐され、執拗な暴力を受けてしまったのです。今でも傷が残っているでしょう。そのために心的外傷後ストレス障害をわずらいまして――少しのことにも過敏に反応したり、親しい人々にも壁を作ってしまったりしてしまいました。
ヴィンドース氏とは、大学時代ぶりに会ったので、余計その差を感じたのでしょう」
「そうですか、それは災難でしたね」
眉を寄せてリュウジは静かに続ける。
「その時の傷がもとで、右耳の下にあった、特徴的なほくろも失われたのですか。ヴィンドース氏が少し外見も変わったと、そこをご指摘でしたが」
リュウジはさらりと言った。
これは、離縁されたセアラ・ウィンストンからの情報だった。誘拐事件の後、夫の様子がおかしいことにすぐ気付いた。寝室を別にして、自分に一切触れてこなかった。服の好みも変わり、一番大きかったのは、いつもは髪に隠れているが、右耳のすぐ下にあったほくろが、消えていたことだった、と。
リュウジはカマをかけてみた。
ケイマンは笑みを崩さなかった。
「皮膚も移植したので、その時に消えたのでしょう。あまりに暴力を受けたので、どの傷というのは憶えていませんが」
笑いを浮かべながら、警戒が目に兆す。
「これは失礼なことを――そうですか。偽水が飲用水になる目処が立っているなら、と考えてレディ・アーソルトと計画を考えたのですが……そうなると、根本から考え直さなくてはなりませんね」
ふむと、リュウジは腕を組んで虚空に呟く。
「ダルシャ・ヴィンドース氏には、ハルシャという息子がいましたね。五年前の不幸な事件の後、彼が父親の事業を引き継いでいるかと思って、ラグレンに到着次第探したのですが、見つかりませんでした」
静かに続ける。
「事業を引き継いでいるのなら、彼とも話をしたかったのですが――」
ふっと視線を上げる。
「ケイマン
レズリー・ケイマンは、無言だった。
おや、とリュウジは眉を上げる。
「ご存じないのですか?」
驚いたというように、声を放つ。
「彼らは、惑星トルディアの父と呼ばれる偉大な一族の末裔ですね。しかも、ヴィンドース夫妻は、ラグレン政府に敵意を示す者たちによって、テロ行為に遭った……私は当然のことながら、ダルシャ・ヴィンドース氏の遺児に対して、ラグレン政府は手厚く保護をしていると考えていたのですが――」
あからさまな驚きを顔に浮かべて、言葉を続ける。
「帝星では当然の処置ですが。ラグレン政府は、社会福祉の面でどのような方策をとられているのですか? まさか、放置されているようなことはありませんよね、人道的に考えてもおかしなことです」
ぐっと身を乗り出したリュウジに、
「ああ、思い出しました」
と、あっさりとレズリー・ケイマンが言う。
彼はふっと余裕の笑みを浮かべた。
「先程仰っていた偽水を飲用水にする事業のために、ヴィンドース氏は巨額の借金を、ラグレンのまあ、いわば闇の金融業の業者に申し込んでいたようです。突然の死によって、両親の負債を支払う必要に迫られ、ハルシャ・ヴィンドースの身柄は、その金融業の預かりになったはずです」
ふふと、彼は笑いながら言葉を続ける。
「ジェイ・ゼルという男です。彼を訪ねていかれたら、ハルシャ・ヴィンドースと面会が叶うかもしれません」
まだ笑うレズリー・ケイマンに
「五年前、ヴィンドース氏の遺児は十五歳だったはずです」
と、静かな声でリュウジは呟く。
「未成年です。政府がらみのテロで両親を失った少年に対して、何ら保護を与える方策をとらなかった、というのですか。ラグレン政府――いえ、あなたは。ケイマン
真っ直ぐ見つめるリュウジから顔を逸らさずに
「我々は、偽水を飲用水にする事業から撤退するようにダルシャ・ヴィンドース氏に勧告していました。
それを無視して、借金をしたのはヴィンドース氏です。父親の愚かしさのツケを、息子が支払う――それだけのことです。ウィルソンさん」
リュウジは笑みを深めた。
「なるほど」
「因果応報というのでしょうね」
リュウジが譲歩を示したことに機嫌を良くしながら、ケイマンは言葉を続ける。
「自分のしたことはいつか報いが来る。善行は善行で、悪行は悪行で報いる。それが世の理ではないですか。ハルシャ・ヴィンドースは父親の報いを受けた。それだけです」
静かにリュウジは首を揺らした。
「因果応報とは、古式ゆかしき良い言葉ですね。善には、善で。悪には、悪で」
独り言のようにリュウジは呟いてから、静かに笑った。
短い沈黙の後、
「そういえば、惑星トルディアには、あまり分解する微生物がいないそうですね。だから、紫の森でも美しい状態で葉がしばらく残っている。ゆっくり、ゆっくりと、有機物は分解さていく――」
と、微笑みを深めて呟く。
「遺体もそのようですね。分解されないから、そのままの姿で、地中で保存されている――たとえそれが、十三年前でも」
レズリー・ケイマンは表情を変えなかった。
薄ら笑いを浮かべたまま、リュウジを見ている。
「地中に埋められた遺体は、腐らない。そのままの風貌を保ち続ける」
視線をしっかりと合わせたまま、リュウジは言葉を続けた。
「だから、ラグレンでは火葬が推奨されているようですね。ラグレンの歴史を勉強して知りました」
笑みを浮かべてケイマンが軽く返す。
「さすが、大変勉強熱心でいらっしゃいますね」
「知識は武器になりますから、最大限の情報を集めることにしています。たとえば、あなたが十三年前の誘拐事件の後、連れ添った奥様を離縁されていることや――」
視線を逸らさずに続ける。
「誘拐事件の時に、指揮を取ったラグレン警察のヴィルダイン・ハーベル警部補と長く交流があり、個人的な付き合いを続けられた。そして、執政官に就任された時にはハーベル氏をラグレン警察署長に特別任命権を発令して、据えられた。
信頼できる人物が、警察のトップにいるというのは、大変心強いものですね」
ゆっくりと、レズリー・ケイマンの顔から笑みが消えていった。
「失礼。マサキ・ウィルソンさんは、紫の森の観光資源のことで、カラサワ・コンツェルンの代表としてここにお見えになった、という認識でよろしいのですね」
ケイマンの言葉に、リュウジは鷹揚に頭を揺らした。
「そうです。カラサワ・コンツェルンとして、ぜひ美しい紫の森のことを銀河系に知らしめ皆に感動を与えたいと思っています。
ですが、それにはやはり、観光に訪れる人々の安全を守ることも、肝心です。そのために私たちカラサワ・コンツェルンは新規事業を起こすにあたって、自分たちの名を冠するに足る場所かどうかを、詳細に調べます。それこそ、街中にある飲食店の雰囲気一つまで、細かくです。
結果――あまりはかばかしくない手ごたえを得ました」
指を組み、ゆったりと微笑んでリュウジは言葉を放った。
「どうやら、このラグレン政府の根は腐っているようですね。レズリー・ケイマン執政官」
鋭い視線がケイマンから放たれる。
「我々を侮辱しに来たのですか、ウィルソンさん」
「いえ。単に事実を述べたまでです」
さらりとリュウジは告げる。
「惑星トルディアの紫の森は素晴らしい。文句がつけられないほどです。ですが迎え入れるラグレン政府が腐っていては、こちらとしては迷惑です。
なので、ご提案です。
レズリー・ケイマン執政官、あなたがその高い椅子から自ら身を引くというのなら、カラサワ・コンツェルンはラグレン政府に、協力を惜しみません。
銀河の各地から、美しい森と行き届いた政治の街を目指して、人々が押し寄せるでしょう。
ラグレンの未来のためには、あなたはその椅子から去るべきです。レズリー・ケイマン執政官」
突然、ケイマンは立ち上った。
「何様のつもりだ!」
怒声が部屋に響き渡った。
「静かにしてください、ケイマン執政官。第一秘書が来ますよ」
予言通りに扉が開かれ、顔色を変えた秘書が顔をのぞかせた。
「執政官、先ほど大きなお声が――」
「こいつらを……」
レズリー・ケイマンが口を開きかけた時、
「きちんと本当の名を呼ばなきゃ、自分のことだとわからないんじゃないのかい」
と、それまで沈黙を守っていた水色の服の女性が口を開いた。
「なあ、セジェン」
びくっと、執政官の頬が震える。
座ったままでゆっくりと帽子のつばを上げると、薄青い左だけの目が立ち尽くす男へ向けられた。
「あんたのことが言われているんだよ、セジェン・メルハトル」
「さがれ!」
突然、レズリー・ケイマンは第一秘書へ向けて声を放った。
「下がって、何があっても、この部屋に誰も近づけるな。いいな、誰もだ!」
凄まじい剣幕に気圧されるようにして、第一秘書は扉から顔を引っ込めた。
静寂が、再び戻った。
どかっとレズリー・ケイマンは腰を下ろすと。
「品位を疑われますよ、ウィルソンさん」
口元を歪めて彼は静かにうそぶいた。
「宇宙海賊なんかと、取引をするなんてな」
くすっと笑ってから、女性が優雅な銀河帝国公用語で呟く。
「良く知っているじゃないか、私が宇宙海賊だと、ね。語るに落ちたね。セジェン」
「何を言っているのか、解らないな。あんたがリンダ・グランディスだということは、一度顔を見たものなら知っている」
ふふふと、リンダは笑って目を細めた。
「夫以外に、しげしげ顔をみられたことはないがね。もちろん、仲間は別だ。私は引っ込み思案で人見知りだったからね」
帽子を脱ぐと、さっとリンダ・セラストンは亜麻色の髪を振った。
「言い逃れは無駄だよ。さきほど、あんたの血液を採取させてもらった。握手をした時にね。宇宙海賊が良く使う手だ。忘れたのかい? 指輪に細い針が付いていて、握手をすると相手の手から血液を吸う。
思いっ切り握ったから、相当量吸い込んでいるよ。
こいつと、エルドが残してくれた遺伝子サンプルを照合すれば、すぐにあんたが誰かが解る。
レズリー・ケイマンではなく、セジェン・メルハトルだとね」
優雅に座るリンダに目を向けず、突然レズリー・ケイマンは笑い出した。
「傑作だ」
笑いながら言う。
「誰が宇宙海賊の言葉など聞くか。お前は俺を罠に引っ掛けようとしただけだ。どこにお前の持っている遺伝子サンプルが、『セジェン・メルハトル』のものだという確証がある。
俺の遺伝子をあらかじめ手に入れておいて、それを別人だとでっち上げているじゃないのか!
そんな底の浅いことなど、誰が信じるか!」
「セジェン・メルハトルは、宇宙海賊に入る前に、窃盗罪で汎銀河帝国警察機構に一時捕らわれたことがあるようですね。
小さな罪状だったのですぐに釈放されたようですが。その時に指紋が採取されているのをご存じでしたか?」
割り込んだリュウジの声に、ケイマンが鋭い視線を向ける。
「どうして俺が知っている」
「もちろん、ご存じないのは当たり前ですね。ですが――先ほどお渡しした、事業計画のタブレット画面が……指紋読み取り用の機能を備えていると聞いたら」
はっと顔を上げたケイマンに、リュウジは笑顔を与える。
「少しお考えが変わるのではないですか。
しかも、最新式の指紋読み取り装置です。触れたあなたの指先から読み取ったパターンを、すぐさま通信で帝星へ送っています。
そして、警察機構本部のデータバンクと照合し、本人の特定を行ってくれます」
突然レズリー・ケイマンが立ち上がった。
「渡せっ!」
吉野に向かおうとする。
「無駄です! もう情報は送信済みです。後はあなたの指紋から正体を探るだけです」
真っ直ぐにリュウジはレズリー・ケイマンを見つめる。
「すぐに警察機構は結果を出します。それを受けて十三年前にあなたが監禁されていた家の床下が掘り上げられます。腐らない土の中に埋められていた遺体が発見され、あなたの悪事が暴露されます。
もう逃げ場はないのですよ、セジェン・メルハトル。あなたは十三年間レズリー・ケイマンとして振る舞い悪事を尽くしてきた。
あなたとヴィルダイン・ハーベルの接点も判明しました。
十三年前の誘拐事件の時、すり替わりがばれないように警察側から協力したのが、ヴィルダイン・ハーベルだった。あなたは口をつぐんでもらう代わりに、ハーベルを警察署長に推した。
二人で共存関係を保ち、自分たちの悪事を隠蔽し続けてきたのですね。
ですが、それをダルシャ・ヴィンドース氏に気付かれてしまった。
だから、殺したのですね。スクナ人を使って」
切り込む言葉に、ケイマンが笑う。
「どこに証拠がある。全ては妄言だ」
「少なくとも、床下を暴けば何かがあります」
「俺が許可すると思うのか」
「逆に、なぜ許可しないのですか――疑われるのなら、掘り返してもらい身の潔白を証明すればいいだけです。
それが出来ないのは、あなたにとって都合が悪いものが、あの床下に埋まっているからです」
「何を言っているのか解らないな」
「ならご理解いただける方法を提案しましょうか。あなたのご両親の遺伝子とあなたの遺伝子を照合するというのはどうですか。
そうすれば、親子関係にあるかどうかが解ります。
それならいかがですか」
ケイマンが黙り込む。
ふっと、彼は笑った。
「――マサキ・ウィルソン。いや、カラサワ・リュウジと言った方が良いのな」
口調を変えて、彼は狡い眼差しをリュウジに向けながら、呟いた。
「どうして自分の両親が殺されたかを、知りたくないか」
何を、言っているんだ。
リュウジは真っ直ぐに、ケイマンを見つめる。
彼はにやにやと笑いながら、言葉を続けた。
「あの事件は未解決のままだろう? 俺なら事件の全てを教えてやれる。
どうだ、聞きたくないか?」
弓なりに目が細められ、誘惑するようにレズリー・ケイマンを装う男が呟く。
「お前たちが全てを黙っていてくれるなら、教えてやるよ。汎銀河警察機構のボンクラ共が突きとめられなかった、事件の真実を――親の仇を取りたいだろう? 誰がカラサワ・ヨシフミ夫妻を殺害したのか。どうだ、リュウジ。悪い話ではないだろう?」