ほしのくさり

第205話  懇願-02





 夜明け前に、ジェイ・ゼルは目を覚ました。
 傍らにある温もりの存在を、天井を見つめたまま感じ取る。
 いつの間にか、ハルシャは自分の方を向いて顔を胸に預けてきていた。
 眠ると少し幼くなる彼の顔を見守る。
 彼の長い睫毛が、顔に影を落としている。きれいな赤毛は睫毛も彩っていた。
 無言でただ、彼の寝顔を見つめ続ける。

 瞬きを一つすると、ジェイ・ゼルはゆっくりと身を動かした。
 自分にもたれて眠るハルシャの頭をそっと手で浮かせて、枕を敷き込む。
 一連の動作も、彼の深い眠りを妨げなかったようだ。

 上半身をベッドの上に起こし、屈託なく眠る姿をしばらく眺める。
 手を伸ばしてそっと、額に張り付いた髪を指で梳いた。
 記憶に刻むように、ハルシャを見つめてから、ジェイ・ゼルは身を動かした。

 静かにベッドを滑り降り、バスルームへ向かう。
 汗を流してから、服をまといその足で朝食の準備に向かった。
 自分とハルシャの二人分を作り、一人で食卓で食べる。
 ハルシャの分はきれいに並べて覆いをかけ、机の上に置いておく。
 彼が目覚めた時のために、メモを残した。
 用事で出かけるので、朝食を食べておくように、と。そして、迎えを寄越すのでそれまで、この部屋で過ごすようにと付け加える。
 メモを置き、ジェイ・ゼルは寝室へと再び向かった。

 寝室の中に備え付けられているウォークインクローゼットへ、足音を忍ばせて向かう。
 そこから、一着の服を取り出した。
 手にした服を見つめる。
 それは、ハルシャが自分に逢うために、自宅に訪れてくれた時に自分が着ていた服だった。
 泣きじゃくったハルシャの涙を、その服は吸っている。
 涙の痕がある生地を見つめてから、ジェイ・ゼルは小さな鞄に丁寧に折りたたんで入れた。
 鞄だけを手に、ジェイ・ゼルはクローゼットから出る。

 ベッドの上では、ハルシャが安らかに眠っていた。
 視線を落としてから、ふっと目を上げベッドの側へと足音を立てずに動く。
 眠るハルシャの側に顔を寄せると、
「愛しているよ、ハルシャ」
 と、小さく呟き、優しく髪に唇を触れさせた。
 目を閉じ、ジェイ・ゼルはしばらく動かなかった。
 引き剥がすように、ゆっくりと身を起こすと、手を伸ばして髪を撫でる。
「幸せに」

 一言呟いてから、何かを断ち切る様にジェイ・ゼルは背を向けて、寝室を後にした。
 そっと扉を閉め、居間へ向かう。
 ネルソンへ連絡を入れると、彼はすぐに応じた。
 意外なことにもう、セイラメの自宅の駐車場にいるらしい。
 夜明け前なのに、待機してくれていたようだ。
 ありがたいことだと告げ、すぐに向かうと言葉をかける。
 通話装置を服にしまい、ジェイ・ゼルは歩き出そうとした。
 その足が、止まる。

 抗いがたい力に引かれるように、振り向いて寝室の扉へ視線を向ける。
 その奥に眠る存在を、瞳に映そうとするように、無言で扉を見つめる。
 小さく笑うと、彼は顔を戻した。
 真っ直ぐに玄関に向かい、駐車場へ繋ぐ。
 身が光に包まれた時、
「ハルシャ」
 と、小さく名を呼んだ。
 未練を自分で笑い、ジェイ・ゼルは視線を伏せる。
 覚悟を決めたままに、駐車場へと降り立つと、すぐ前にネルソンが待っていた。
「ありがとう、すまなかったね、ネルソン」
「おはようございます、ジェイ・ゼル様」
 扉を開けてくれる中に滑り込み、ネルソンを待って向かう先を指示する。
「事務所に行く前に、少し遠回りになるが、クラハナ地域の工場へ行ってくれるかな」
 かすかな驚きをネルソンが見せる。
「はい、ジェイ・ゼル様」
 それ以上の疑問をさしはさまずに、彼はふわりと飛行車を浮かせた。
 夜明け前の都心ラグレンは、光が弱った銀河のようだ。
 静寂に包まれた中を、進む。
 ジェイ・ゼルは街並みを見つめる。
 十二年間、頭領ケファルに信頼され任されてきた支部のある場所。
 そして。
 ハルシャに出逢った惑星。
 記憶に刻み付けるように静かに見つめ続ける。
 沈黙の間に、ネルソンは飛行車を駆り、十数分で郊外にあるクラハナの工場へとたどり着いた。
 夜明け前の工場に人気は無く、灯りは非常灯だけだった。
 ネルソンは玄関に静かに飛行車を降ろした。
「ありがとう、ネルソン」
 ジェイ・ゼルは言葉を続けた。
「マシューから言付かっているかな? 清掃用品をお願いしてあったのだが」
 はっと彼は気付いたようだ。
「お預かりしています」
 と、すぐ横の座席から箱に入ったものを取り出した。
 ジェイ・ゼルは受け取り、
「少し、ここで待っていてくれるかな」
 と、柔らかい声で告げた。
 清掃用品の入った箱から手を離しながら、
「お手伝いすることがありましたら……」
 と、ネルソンが心配そうに言う。
 ジェイ・ゼルは笑った。
「君の手を煩わせるまでもない」
 動こうとしたジェイ・ゼルのことを感じ取り、ネルソンが素早く外に出て、扉を開ける。
 礼と共に外に出ながら、
「それにこれは、私一人でしたいんだよ」
 と、低く呟く。
「すまないが、待っていてくれないか」
「はい、解りました、ジェイ・ゼル様。お待ちしています」

 清掃用品を手に、ジェイ・ゼルは工場へ向かった。
 ここの鍵は工場長に預けてあるが、ジェイ・ゼルはどの工場でも出入りできる、マスターキーを保有していた。
 その鍵を使って、工場を開ける。
 セキュリティも切り、エントランスを抜けて、細い廊下で繋がるロッカー室へと向かった。
 灯りを探して、スイッチを入れる。
 静かに歩を進め、ハルシャが使っていたロッカーの前に立つ。
 野卑な落書きを静かに見つめる。
 五年間、このロッカーをハルシャは使っていた。
 その事実を、胸の奥に受け止める。
 ジェイ・ゼルは手にしてた清掃用品を床に置き、その中からマシューに頼んでおいた除去剤を見つけ出す。
 マシューは丁寧に使い捨ての手袋も、クロスも入れてくれていた。
 準備を整えると、ジェイ・ゼルは除去剤を滲み込ませたクロスで、施された落書きを、一つ、一つ、消していった。
 丁寧に、これを目にした時のハルシャの心の痛みを、感じながら。
 歯を食いしばり、静かに文字を、消す。
「――ハルシャ」
 小さく言葉が口からこぼれる。
「……許してくれ、ハルシャ」
 こぶしを握ると、ジェイ・ゼルはロッカーに押し当てて、込み上げるものに、耐えた。
「ハルシャ……」

 しばらくそうしてから、大きく息を一つ吐くと、再びジェイ・ゼルは作業に戻った。
 半時間ほどかけて、ハルシャへ向けられた悪意のある全ての言葉を消し去る。

 ロッカー室の中には除去剤の香りが漂っていた。
 ジェイ・ゼルはきれいになったロッカーに、そっと手の平で触れた。
 視線を落としてから、思い切る様に背を向ける。
 道具を再び箱にしまい、抱えてジェイ・ゼルは歩き出した。
 元来た道を辿り、灯りを消し、セキュリティをかけて玄関の鍵をかける。
 大股にジェイ・ゼルは飛行車に戻り、車内でネルソンに清掃用品を手渡す。
「お待たせしたね」
「いえ、お早いお帰りでした」
 にこっとジェイ・ゼルは笑って指示を出す。
「このまま事務所へ行ってくれるかな、ネルソン」
 浮き上がった飛行車から、ジェイ・ゼルはハルシャが働いていた工場を見つめる。
 大きく息を吐くと目を閉じ、事務所へ着くまで座席に身を預けて、彼は無言だった。


 *


 ジェイ・ゼルが姿を見せたことで、宿直をしていた部下が慌てて走って来た。
「おはようございます、ジェイ・ゼル様」
 飛行車の扉を開けて、出迎えてくれる。
 予想外の登場に戸惑っているようだ。
 手を振りながらジェイ・ゼルは、彼の危惧を解いた。
「ちょっと用事があってね。奥で作業をするだけだから、気にしないでくれ」
 ネルソンにこのまま前で待つように告げてから、ジェイ・ゼルは宿直の部下をあしらいながら、事務室へ入る。
「仕事が終わり次第出るから、気遣いは無用だからね」
 言葉に、邪魔をしないようにという心を嗅ぎ取ったようだ。
「解りました。何かありましたらお呼びください」
 と、素直に引き下がる。

 彼と別れてジェイ・ゼルは事務室へまっすぐ向かった。
 鍵のかかっていない扉を開き、歩を緩めずに奥に行く。自室に入り、振り向いて鍵を降ろすとそのまま、頭領ケファルへの専用回線ホットラインのある部屋を開いた。
 椅子に座り、ヘッドセットを手にする。
 数度のコールで、頭領ケファル
『どうした、ジェイ・ゼル』
 という声がした。
「申し訳ありません、頭領ケファル。少しお時間を頂戴してもよろしいでしょうか」

 ジェイ・ゼルの言葉に、すぐにイズル・ザヒルは返事をしなかった。
『こちらからかけるまで、待っていてくれるか、ジェイ・ゼル』
 何かややこしい状況なのかもしれない。
「ありがとうございます。お待ちしております」
 丁寧に礼を述べると、頭領ケファルからの通信が途切れた。
 椅子に座り、ジェイ・ゼルは視線を落として連絡を待った。
 無言で待機していると、昨夜のハルシャの姿がふわりと意識の底から漂い出してきた。
 傍らで身を寄せながら映画を観ていた様子。
 初めて自分に対して見せた独占欲。
 痙攣しながら自分を締めつけていた熱い、内側。
 甘やかに熟れる、金色の眼差し。
 優しい唇からあふれる、自分の本当の名前。

 愛しい、と。
 心に呟く。

 この後の話し合い次第では、自分はこの場で死を命じられるかもしれない。
 頭領ケファルは裏切りを許さない。
 自分が為そうとしていることは『ダイモン』への裏切りに他ならない。
 許されるとは思っていない。
 ただ。
 無駄だと解っていても、あがくだけはあがいてみようと、心に決めたのだ。
 死を命じられた時は、マシューに手持ちの資料だけはマイルズ警部に渡すように伝えてある。
 効果は少ないかもしれないが、無いよりましだろう。
 ジェイ・ゼルは考えながら、待ち続ける。

 私の……ジェイド。

 ふと。
 ハルシャの声が耳に蘇る。
 彼への想いだけを抱き締めて、ジェイ・ゼルは目を閉じた。
 この命は、ハルシャのものだ。
 彼のために自分が出来ることを、ただ、為そう。
 愚かだと、人はいうかもしれない。
 だが。
 自分はこんな生き方しかできない。
 なぜなら――
 この身は作られた存在。
 『愛玩人形ラヴリー・ドール』だからだ。
 愛する者のために殉じることができるなら、それを無上の幸福と感じてしまうのかもしれない。


『何かな、ジェイ・ゼル』
 不意に前に声が聞こえ、ジェイ・ゼルは目を開いた。
 画面には、椅子を引き寄せて腰を下ろそうとするイズル・ザヒルの姿があった。
 彼は夜着をまとっていた。就寝中だったのかもしれない。
「お休みのところ、申し訳ありません」
 詫びる言葉に、イズル・ザヒルが小さく笑った。
『火急の用なのだろう? どうした。レズリー・ケイマンと戦争をするのか?』
 椅子に座を占めてから、ふふっと、彼は微笑んだ。
『ライサム・ゾーンが行くと言っていたよ。他にも手練れの者を数人そちらへ遣ろう。
 レズリー・ケイマンの始末は、数分で済む話だ。
 あとは、執政館を爆破しておけばいいだろう。
 五年前に、ラグレンの名士ヴィンドース夫妻を殺害した同じ犯人だと言っておけば、マスコミは納得するだろう』

 滔滔と述べ立ててから、ゆっくりとイズル・ザヒルが足を組んだ。

『私との契約を先に破ったのは、レズリー・ケイマンだ。
 ハルシャ・ヴィンドースの借金があるうちは手を出すなと、あれほど言っておいたはずなのに、五年経つと忘れてしまったらしい。
 私の許可も得ずに、姑息な手段を使ってハルシャ・ヴィンドースを罠にかけようとした。
 もし、有罪が立証されていたら私は損害を受けていた。
 ライサムは思い上がったレズリー・ケイマンに対して、激怒していてね。
 遺伝子が判別できないまでに、身を擂《す》りつぶすつもりらしい』

 一瞬無言で、二人は見つめ合った。
『どうした。ジェイ・ゼル。それでは気に入らないか』
 静かな声で、イズル・ザヒルが問いかける。

「恐れながら、頭領ケファル
 ジェイ・ゼルは、真っ直ぐにイズル・ザヒルを見つめながら言葉を続けた。
「それでは、レズリー・ケイマンが為した悪事を、公《おおやけ》にすることが出来ません」

 にやっと、イズル・ザヒルが片頬を歪めた。
『罪の告発は、煉獄の門の前ですればいい』
 薄青い瞳がジェイ・ゼルを見つめる。
『この世界では、力が正義だ。目をかけてやったのに分を弁えない飼い犬は、私は必要ない。
 一度裏切った者は、必ず再び裏切る。
 レズリー・ケイマンは、性悪の犬だ。世間の迷惑になる前に、始末しておくのも飼い主の責任だからね。レズリー・ケイマンには、自分の罪は自分の舌で語ってもらおう。地獄でな』

 目をかけてやったのに、分を弁えない飼い犬。
 それに今から自分はなろうとしている。

「お願いがあります、頭領ケファル
 何の技巧も使わずに、ジェイ・ゼルは真っ直ぐに思いを伝えた。
頭領ケファルがレズリー・ケイマンと、ヴィンドース夫妻を殺害する共謀の記録を、私にお与えください」

 イズル・ザヒルの顔から笑みが消えた。

「決して、頭領ケファルにご迷惑はおかけいたしません」
 はっきりと言い切る。
「共謀したのは、ラグレンで支部を預かる私です。イズル・ザヒル様は何もご存じではありません。私が勝手に最大の利益を得ようとして、名士であるヴィンドース夫妻を殺害することに手を貸したのです。
 全ては、私の一存です」

 切なる思いが伝わる様に、懸命に言葉を絞る。

頭領ケファルは用意周到な方です。恐らくレズリー・ケイマンと話し合われた時に、その会話を後のために、記録として残されていると思います。
 どうか、その記録を私にお与えください。
 イズル・ザヒル様の会話はすべてこちらで消去しておきます。私がヴィンドース氏と契約したときの音声記録は、残してあります。
 それと、レズリー・ケイマンの会話を総合すれば、私が裏で手を回したと判断されるでしょう。
 決してイズル・ザヒル様の名は出しません。
 お願いです。
 レズリー・ケイマンがヴィンドース夫妻を殺害した証拠を、私にお与えください」

 言い切った後、ジェイ・ゼルは頭を下げた。
 ただひたすら、懇願を示し続ける。

 長い沈黙の間、ジェイ・ゼルは顔を上げなかった。

『それで』
 イズル・ザヒルの声が、静かに響いた。
『お前はどうするつもりだ、ジェイ・ゼル』

 息を一つ吸ってから、
「殺人罪、もしくは共謀罪で、起訴されると思います」
 と、静かに告げた。

 再び長い沈黙が続いた。

『それで、誰が得をするんだ』
 イズル・ザヒルの問いに、顔を上げないままジェイ・ゼルは答えた。
「ダルシャ・ヴィンドース氏の名誉が回復します」

 ふっと小さな笑いが聞こえた。
『違うだろう、ジェイ・ゼル』
 笑いを含んだまま、イズル・ザヒルが呟く。
『ハルシャ・ヴィンドースの、だろう』

 ジェイ・ゼルは顔を上げなかった。
 伏せたままのジェイ・ゼルの耳に、静かなイズル・ザヒルの声が響く。

『恋人のために、命を捨てるのか。
 解っているのか。刑務所へ行く前に、我々がお前を殺す。たとえお前でも、裏切りを許すことは出来ない。それが『ダイモン』だ』

 解っていた。

「私が死んでも、証拠が警察機構に渡れば、裁きは行われます」
 ジェイ・ゼルは静かに続けた。
「ご処分は当然です。相応の裏切りを私は行います。ですが、その前に」
 ようやくジェイ・ゼルは顔を上げて、頭領ケファルへ視線を向けた。
「どうか、レズリー・ケイマンが頭領ケファルと話し合われた時の音声記録を、お与えください。
 その後、警察に情報を売った男として私をご処分下さい」

 薄青い瞳がじっと、ジェイ・ゼルを見つめていた。

「ただ」
 自分が愚かなことを上書きしているのが解りながら、ジェイ・ゼルは続けた。
「――部下たちは」
 一人一人の顔が浮かび、一瞬ジェイ・ゼルは言葉を詰まらせた。
「これは私の一存でしたことです。どうか、部下たちにはご温情をたまわりますように、伏してお願い申し上げます」

 再び頭を下げたジェイ・ゼルに、
『お前の部下は、誰も止めなかったのか』
 と、静かな声が聞こえる。
「私の独断です。頭領ケファル。部下たちは何の関わりもございません」

 この場で殺されてもおかしくないほどのことを、自分は言っている。

『恋に血迷った挙句、私だけでなく、お前を信じて付いてきた部下たちも裏切ることになると、きちんと理解しているんだな、ジェイ・ゼル』

 冷たい声が画面から聞こえた。
 その通りだ。
 ハルシャのために動く自分をどんな目で部下が見ているか、推測するにもあまりある。
 それでも。
 自分は止められない。

「申し訳ありません」

『愚か者がっ!』

 椅子を後ろに蹴倒して立ち上がり、イズル・ザヒルが吼えた。

『お前がこの場に居たら、即刻喉首を掻き切ってやる! もう二度と御託が言えないようにな!』

 これほど頭領ケファルが感情を荒げることなど、めったにない。
 彼は深く静かに怒る。
 微笑みながら始末をするのが殆どだ。
 彼が声を荒げたのは、二度目だ。
 いつも、自分のために彼は怒りを向けてくる。

『その前に、ハルシャ・ヴィンドースを始末せねば、収まらないな』
 はっと、ジェイ・ゼルは顔を上げた。
 怒りの極にある顔で、イズル・ザヒルがジェイ・ゼルを見返す。
『お前を惑わした、張本人だ。
 然るべき処分をしなくてはならない。ライサムなら、上手くやるだろう。大丈夫だジェイ・ゼル。彼の腕は確かだ。ハルシャ・ヴィンドースは痛みも感じずに命を失っている』
「イズル・ザヒル様!」
 叫んでいた。
「ハルシャは、彼だけは、どうか――」
 恐怖で身が震える。
 頭領ケファルはやると言ったら、実行する人だ。
 必要と判断すれば、ハルシャを始末するだろう。

『なら、音声記録は諦めるか』 
 静かな声に戻って、イズル・ザヒルが呟いた。
『レズリー・ケイマンを始末するのなら、こちらとしても協力させてもらおう。もちろん、君は何もしなくていい。私が直接指揮する。
 君はハルシャと仲良くラグレンで過ごしているといい。ただ、ニュースで執政館ごと、レズリー・ケイマンが吹き飛んだのを聞くだけだ。
 君が殺人罪で警察に行くことはない』

 証拠は出さない代わりに、レズリー・ケイマンを始末すると頭領ケファルは提案をしているのだ。
 どちらでも同じことだろう、と。
 怒鳴ったことで心が落ち着いたのか、イズル・ザヒルは蹴倒した椅子を元に戻し、静かに腰を下ろした。

『次の執政官に誰を推すのか、少し考える必要はあるが、些細なことだ。
 君が手を汚すことはない。元々、ラグレンに君を長く置いておくつもりはなかった。丁度良かったではないか。
 借金の返済も終えたなら、ハルシャ・ヴィンドースと二人で『アイギッド』に移ってくればいい。君が伴侶として選んだ子だ。こちらでも大切にさせてもらうよ。彼なら、エメラーダとの交流を許可してもいい』
 最大限の譲歩を示すように、笑顔を浮かべてイズル・ザヒルが言う。
『もちろん、遊戯に出すような無粋なことはしないから、安心しなさい。彼に手を出すものがあれば、私が始末をしよう。
 ハルシャ・ヴィンドースは宇宙が好きなのだろう? なら私のコロニーを気に入ってくれるのではないかな』

 ふっと、その未来が見えるような気がした。
 エメラーダとハルシャはきっと話が合うだろう。
 そうだ。
 ハルシャは宇宙が好きだ。
 『アイギッド』からなら、気軽に他星へ出かけていくことが出来る。宇宙船の免許を取れば、彼は自由に宇宙を翔けることも可能なのだ。

 そこまで考えてから、ジェイ・ゼルはイズル・ザヒルへ視線を戻した。
 頭領ケファルは――
 あらゆる手を尽くして、自分を守ろうとしてくれているのだと、気付く。
 『ダイモン』の幹部であるのに、自分の手を汚させるまいと、頭領ケファルは心を砕いてくれている。
 ライサム・ゾーンなら、一言殺せと、命じることを――
 彼は自分に、命を奪わせたことが無かった。
 もしかしたらラグレンを赴任地として選んだのも、ここが平和な土地だったからだろうか。
 見えなかったものが今、突然見え始めた。
 厳しさの向こうにあるもの。
 今も昔も、同じ眼差しで、彼は自分を見つめていた。

「イズル・ザヒル様」
 真っ直ぐに姿勢を正すと、ジェイ・ゼルは目の前の人を見つめた。
「お時間を頂戴し、大変申し訳ありません。これから、私の想いをお伝えすることをお許し下さい。
 『ダイモン』の幹部のジェイ・ゼルではなく――」
 一瞬言葉を飲んでから、目の前に座る眼差しを信じて、言葉を続けた。

「惑星アマンダで生まれた、あなたの養子であるジェイドとしての想いを――どうか」










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