ほしのくさり

第204話  黒い翼の天使-02






 語り終えた声が、空気に消えた後も、ハルシャは動けなかった。
「――ハルシャ?」
 短い呼びかけに、顔を巡らせる。
 ジェイ・ゼルが覗き込むようにして顔を見てから、眉を寄せた。
 ハルシャは、流れ落ちる涙が止められなかった。
「昔話だよ、泣くことはない」
 指で涙を拭いながら、ジェイ・ゼルが微笑む。
 だが。
 悲しかったのだ。
 悪魔も、天使も。
「あ、悪魔は……」
 鼻をすすりながら呟く。
「どうして呪われているんだ」
 くすっとジェイ・ゼルが笑う。
「悪魔だからさ」
「ど、どうして……」
「さあ、どうしてかな」
 ぽろぽろと涙をこぼすハルシャを見つめてから、彼は自分をハルシャの中から抜き、場所を動くと正面に向き合う場所に動いた。
 そのまま横たわり、涙をこぼすハルシャを腕に包んだ。
 温かな胸に顔を寄せて、ハルシャは押し寄せる感情の波に身を任せた。
「悪魔は、幸せだったのか」
 小さくジェイ・ゼルに問いかける。
 自分はサーシャと同じことを訊いている。兄と妹はやはり似ているのだろうか。
「そうだね、幸せだったと思うよ」
 腕に包み、ハルシャの髪を撫でながらジェイ・ゼルが呟く。
「天使に呪いをかけて去って行ったんだからね」
 え?
 とハルシャは押し当てていた胸から顔を上げて、ジェイ・ゼルへ視線を向ける。
「呪い?」
 少し距離を取り、ジェイ・ゼルがハルシャへ微笑みを与えながら言う。
「そう、呪いだ。自分の翼を与え、愛していると告げることで、悪魔は天使に呪いをかけたんだ。
 翼を見るたびに、天使は悪魔のことを想う。百年間自分の身を痛めつけて、挙句の果てに殺そうとしながらも、命を助けた悪魔のことを。
 天使は永遠の命を持つ。その永劫の人生の中で、天使はずっと、悪魔のことを想い続ける。
 そうやって永遠に天使の心を捕えることが、悪魔の選んだ道だったんだ」
 笑みを深めてジェイ・ゼルが呟いた。
「実に、悪魔らしい遣り方だ」

 何となく、涙が収まっていく。
 ひどくシビアな見方をジェイ・ゼルはする。

「でも、幸せだろうね」
 涙を引っ込めたハルシャに微笑みを与えながら、ジェイ・ゼルが囁くように言った。
「愛する者と一つになれたのだから――翼を失っても悔いがないほどに、悪魔は天使を愛していたんだと思うよ」

 ふと。
 黒い大きな翼を背に、宇宙の一点を見つめる天使の姿が、脳裏に浮かんだ。
 天使は、微笑んでいるのだろうか。
 自分を愛した悪魔の面影を胸に抱きしめながら。
 ああ、そうか。
 もう、悪魔は孤独ではないのだ。
 愛を知ったのだから。
 美しい天使と一つになれたのだから。
 悪魔の愛の証として、天使は彼の暗黒の翼を、背に負い続けるのだろうか。
 天使の命の尽きる時まで。

「悪魔は幸せだった」
 呟きながら、ジェイ・ゼルがハルシャを抱きしめていた腕を解いた。
 彼の手が下に向かい、上になっているハルシャの右足を持ち上げる。そのまま身を寄せるようにして、彼は自分の足の上に右足を導いた。
 先ほどのように、ハルシャの足がジェイ・ゼルの太腿の上に預けられた。
 移動するために抜いていた熱い昂ぶりが、再び後孔に触れる。
 腰に手を当て、
「愛する者と、一つになれたのだから」
 と小さく呟いてから、
れるよ、ハルシャ」
 と耳元に言葉を滴らせる。

 そのまま、腰が引き寄せられ再びジェイ・ゼルが中に這入ってくる。
 今度は前から、一度飲み込んでいた場所が、すんなりと彼を受け入れた。
 熱い質量に喉を反らして、ハルシャはあえやかな喘ぎを上げた。
 奥まで押し入れてから、ジェイ・ゼルが腰を引く。
 横たわった体勢のために激しい動きではなく、ゆったりとした動作だ。
 ハルシャの中をじっくりと味わうように、ジェイ・ゼルが動く。
 先ほどまで中断していたため、冷めかけた体が再び熱くなる。
 ハルシャは唇を噛み締めて込み上げる衝動に耐えた。

「呪われた存在は、そんな風にしか愛せなかったんだ」
 快楽に色めいていくハルシャを見つめながら、ジェイ・ゼルが呟く。
「天使の前から消えることが――悪魔の愛の示し方だった」

 灰色の瞳を見つめる。
 彼は静かに微笑んだ。

「愚かな愛し方だ」

 呟いた後、彼はしばらく無言でハルシャを見つめ続けていた。
 静かに身が動き続ける。
 内側に高まる快楽に、思わず眉を寄せるハルシャの表情を見守っていた。
 喘ぎがもれる。
 ゆっくりと顔が近づき、唇が覆われていた。
 ハルシャはジェイ・ゼルの背中に腕を回し、彼を引き寄せる。
 抱き締めながら、ゆったりと愛し合う。

 自分の身に負担をかけまいとするように、ジェイ・ゼルの動きはとても穏やかだった。
 ゆるゆると時が引きのばされたような中で、それでも無視しがたく快楽が溜まってくる。
 はじめに中だけで達したせいだろうか、今までとは違う種類の快感が押し寄せる。中が甘く痺れて、絶頂の果てがないような不思議な愉悦が身の内に広がる。
 全身が快楽の巣になったようだ。
 長く静かな抜き差しの後、ハルシャは身を反らして再び中だけで達した。
 びくびくと震える身をジェイ・ゼルが抱きしめて、唇を合わせてくれる。
 呻きも飲み込みながら、彼の腰が動き続ける。
 時間の感覚がなくなり、肌と内側の境界線すらあいまいになるほどの、深く静かな快感が内側に幾度も押し寄せる。
 中で達し続け、ハルシャは全身がガクガクと痙攣するほどだった。
「あ、ああ、ジェイ・ゼル」
「ジェイドだよ、ハルシャ」
「ジェ……ジェイド」
 強すぎる快楽に意識が朦朧としながら、ハルシャは懸命に彼の名を呼ぶ。
「私の……ジェイド」
 腕と足を絡め、一つに溶け込もうとしながら、ハルシャは彼の唇を求めた。
 汗ばむ肌と、熱い吐息と、深い慈しみを込めた眼差しと。
 宝石の名を持つ愛しい人の全てが、ハルシャを高めていく。
「ハルシャ」
 口づけを与えながら、離した唇で彼が名を呼ぶ。
「私の愛しい人」

 重い呟きと共に、ジェイ・ゼルの瞳の色がゆっくりと変っていく。
 灰色の虹彩の端から、滲むように緑の色が現れてくる。
 ハルシャは魂を奪われたように、色の変化に見入った。
 染め上げられていく。
 緑に――
 翡翠の色に。

 身体の内側がブルブルと震えるような、脳が痺れる悦楽がジェイ・ゼルの瞳の変化を見つめているハルシャに湧き上がってきた。

 瞳が語る。
 君との交わりで、快楽に酔っていると。
 君が――
 愛しい、と。

「ああああっ!」
 信じられないほどの悦びが内側を突き抜けて、ハルシャは叫んでいた。
 もう幾度目か解らない、中だけでの絶頂が訪れる。
 ジェイ・ゼルに回した腕に力がこもり、身が反る。
 荒々しい手つきでジェイ・ゼルが腰を引き寄せて、それまでの穏やかさをかなぐり捨て激しく自身を打ち込んだ。
 甘く痙攣を繰り返すハルシャの中を、熱いジェイ・ゼルが擦り上げる。

 さらに奥のところを激しく刺激され、今まで精を一度も吐いていない昂ぶりに、射精感が訪れた。
 意識の枠が壊れたようになり、ハルシャは叫んでいた。
「ハルシャ」
 声が自分を呼ぶ。
 揺すぶられながら、ハルシャは懸命に声の方向へ顔を向けた。
 そこには透明な緑に瞳を染めたジェイ・ゼルの、真剣な表情があった。
「見つめてくれ。私を――」
 荒い息の間に、彼が呟く。
「私の緑の瞳を、頼む。ハルシャ」

 何とか頷こうとした。
 だが、身体が上手く動かない。
 眼差しを交わし合ったまま、身体の内側に絶頂感が駆け抜ける。
 それでも、ハルシャは目を逸らさなかった。

 翡翠の色。
 きれいな。
 彼の心の色。

「あ、ああ、あっ、ああぁ」
 喘ぎを漏らしながら、ハルシャは必死に目の焦点を合わせてジェイ・ゼルを見つめる。
 身がどうしようもなく痙攣してきた。
 苦しげにジェイ・ゼルが眉を寄せる。
 自分の中を穿つ強い力に、愛しさが込み上げて来て、ハルシャは虚空に呟いていた。

「――翡翠ジェイド

 宝石の彼の名を呼んだ瞬間、ぐっと強くジェイ・ゼルが身を入れた。
 ハルシャは叫んで絶頂を迎えていた。
 昂ぶりに一度も触れられていないのに、白濁した液がほとばしり出る。
 同時に奥にジェイ・ゼルの熱いものが注がれるのを感じた。
 熱い。
 溶けた鉄のようだ。
 想いの深さのように、彼の吐いたものは熱かった。
 痙攣する身をジェイ・ゼルの腕が包み、唇が覆われた。

 きれいだよ。
 あなたの瞳は。
 永遠に、見ていたいほどに――
 澄んだ翡翠の色だ。

「ジェイド」
 小さく名を呼んでから、快楽の波に攫われるように、ハルシャの視界が暗くなっていった。
 強く、息が出来ないほど強く、ジェイ・ゼルの腕に抱き締められているのを感じながら、ハルシャはふっと意識を失った。


 *


 名を呟いた後、ハルシャの全身が弛緩した。
 幾度も中で達したために、身体が限界を迎えてしまったのだろう。
 抱き潰すつもりなどなかったのに、抑えが効かなかった。
 まだ快楽の余韻に酔いながら、ジェイ・ゼルは腕をほどくことが出来なかった。

 長い時間彼の呼吸に耳を澄ませてから、ようやく腕の力を抜く。
 薄っすらと口を開いて、ハルシャは意識を飛ばしていた。
 腕を支えにして身を起こし、眠るハルシャの頬を撫でる。
 しばらくそうしてから、顔を寄せて優しく唇に触れた。
「愛しい人」
 小さく呟く。
 ハルシャは目を開かなかった。

 腕から枕の上にハルシャの頭を移し替えると、ジェイ・ゼルは彼の中からそっと昂ぶりを抜いた。
 して来たことを考えれば、もう彼を抱く資格などないはずなのに。
 それでも、彼の乞いを拒むことが出来なかった。
 自分が与えられるのはただ、身の快楽だけだったからだ。

 眠るハルシャの足を自分の上から動かし、ジェイ・ゼルはベッドから動いた。
 バスルームへ行き、温めた湯で浸したタオルを運んできて、ハルシャを清める。
 夜明けまで、まだ時間がある。
 濡れた場所にタオルを敷き込み、ジェイ・ゼルはハルシャの横に身を滑り込ませた。
 背中から彼を抱き締める。
 小さくハルシャが声を上げた。

「私だよ、ハルシャ」
 髪を撫でてそっと耳元に呟く。
「夜明けまで、こうしていようか」

 応える声はなく、すうっと静かにハルシャは再び眠りに入った。
 彼の温もりを腕に包む。
「愛しているよ、ハルシャ」
 首筋に向けて囁く。
 その言葉が彼には聞こえないと解りながらも。
 愛し合った疲労の残る体をハルシャに添わし、ジェイ・ゼルは目を閉じた。











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