ほしのくさり

第21話  新しい生活の始まり-01






 朝。
 サーシャの隣で目覚めた時、体中が強張っていた。
 ジェイ・ゼルから受けた行為の余波が、まだ残滓のように身の内にある。
 もがくハルシャを、彼は強い力で抑え、逃さぬように腕に捕らえていた。
 全身が、悲鳴を上げている。
 ハルシャは天井を見上げる。泥の中に沈んだように、身が重い。
 それでも、動かなくてはならない。
 
 身をきしませながら、ハルシャは半身を起こし、傍らで眠るサーシャの肩を揺すった。
「サーシャ」
 うーんと、小さな唇から、抵抗を含んだ呻きがもれる。
「朝だ。一日を始めよう」
 んーっと両手足を伸ばしてから、ゴロゴロとサーシャがハルシャの方へ身を寄せる。
「今日から、リュウジが一緒に暮らすんだよね、お兄ちゃん」
 寝ぼけたような声で、問いかけてくる妹に、ハルシャは静かに微笑んだ。
「そうだ」
 ぱちっと、サーシャは目を開いて、ハルシャを見つめた。
 にこっと、笑い、勢いをつけて、布団を跳ね飛ばす。
「やった!」
 しなやかなバネのように、身を弾ませながらサーシャが立ち上がった。
 手早く、寝ていた布団を畳み始める。
 ハルシャたちが暮らす部屋は、狭かった。一つしか部屋がないので、ここで、食事も睡眠もとる。
 食べる時は机と椅子を置き、寝る時は、机と椅子を脇に除けて、場所をつくる。
 作り付けのベッドでは場所を取りすぎるため、ハルシャたちは折り畳み式の布団で、日々を過ごしていた。
 収納スペースがないため、布団は床の一角に積み重ねて、置く。
 よいしょっと、掛け声を上げながら、サーシャが布団を両手に掴み、強い足取りで歩いて行った。
「お布団、あと一組要るね」
 サーシャが布団をいつもの位置に置きながら、ハルシャに言う。
 くるっと振り向き、笑顔を向ける。
「食器はね、端が欠けているお皿をくれるって、大将が昨日約束してくれたの。だから、食べる方は大丈夫だよ」
「助かるな」
「うん。どうせ捨てるのだから、好きなのを持って行ったらいいって」
 アルバイトをしている料理店でも、サーシャは可愛がってもらっているようだった。経費節減のため、サーシャの働く職場に食事に行ったことはないが、時間が合えば、迎えによく行っている。
 老夫婦二人の営む軽食屋で、事情があって十一歳の子が働いていることを、解ってくれていた。
 孫のように、サーシャを二人は可愛がってくれている。
 残り物を、再々持たしてくれて、ハルシャ達は助かっていた。
 食費は、相殺されているとは解っていたが、いつ何時、ジェイ・ゼルから契約を切られるかもしれないというハルシャの危惧が、自立への道を、辿らせていた。
 ジェイ・ゼルに頼らずに、自分たちだけで生きて行こう。
 ハルシャの方針に、サーシャは素直に従い、懸命にやりくりしながら、日々を過ごしている。
 昼用の弁当も、サーシャはハルシャのために、毎日用意をしてくれている。
 アルバイトを始めてから、料理のレパートリーも随分増え、食卓は賑やかになってきていた。
 サーシャは、首を傾げて、
「三人で、寝られるかな~」
 と、布団を上げた部屋を見つめながら、呟く。
 布団を二枚並べて敷くだけで、余裕のない部屋の狭さだった。
「二枚の敷布に、三人並んで寝るしかないかと、思っているんだ、サーシャ」
 悲鳴を上げる体を無視して、ハルシャも布団をたたみ、サーシャが置いた上に重ねる。
 こくんと、サーシャがうなずく。
「そうだね、お兄ちゃん」
 都市部ラグレンの気温は、ほとんど変化しない。惑星トルディアの地軸は傾きがないために、ほぼ、一年中同じ気温だ。
 人類が一番過ごしやすい気候の場所を選んで、トルディアの都市は作られている。そのために、通年同じ服装で過ごすことが出来る。
 惑星ガイアの人々に言わせると、変化がなくて面白くないらしいが、ハルシャはありがたかった。薄い布団一枚で、年中過ごすことが出来るからだ。

「今日の仕事上がりに、直接メリーウェザ先生の所へ寄る」
 ハルシャは、寝間着姿の妹に言う。
「サーシャのアルバイトは、先生のところだったな」
 こくんと、サーシャがうなずく。
「なら、行くまで待っていてくれ。リュウジを迎えて、一緒に帰ろう」
「わかった、お兄ちゃん」
 キラキラと輝く目で、サーシャがハルシャを見上げながら言った。
「お勉強を見てくれるって、リュウジが約束してくれたの。高次方程式の解き方を教えてくれるって」
 サーシャの成績は、中の上ぐらいだった。ずば抜けて成績が優秀というわけではなく、特に数学が苦手のようだ。
 時間に余裕があった頃は、ハルシャはサーシャの勉強を見ていた。が、ここ最近、サーシャが眠っている時間帯に帰ることが多く、彼女の勉強のつまずきを、正してあげることが出来ていない。
 リュウジは遊び相手兼教育係として最適かもしれない、というメリーウェザ医師の言葉が、胸を去来する。
 自分が十一歳の時は、アジェルダ学院で学ぶ傍ら、家庭教師もついていて、ふんだんに勉学の機会を与えられていた。
 同じヴィンドース家の人間でありながら、待遇の違いに、ハルシャは心を痛める。
 もし両親が爆死しなければ、サーシャには、ヴィンドース家の長女として、華やかな人生が待っていたはずだった。母親似の美貌を、すでに六歳の時には賞賛されていたというのに――今は、着古した服をまとい、指先を、洗い物仕事のために、荒らしている。
 ハルシャは、目を細めて、くしゃっと柔らかな金色の巻き毛を撫でた。
「高次方程式は手強いぞ。だが――解けるようになると、関数が扱えるようになる」
 ハルシャの言葉に、ぱちくりと、サーシャが瞬きをする。
「関数って?」
「ある変数によって決まる、値や対応をしめす、式のことだよ」
 サーシャが首を傾げる。
「難しいの?」
「簡単だよ」
 ますます首が傾げられる。
「お兄ちゃんの簡単は、サーシャの難しいと、同じだって、知っていた?」
 思わず笑いが出る。
 サーシャが部屋を手早く掃除し、ハルシャは、机を置いて、食事ができるようにする。
 机を置いたところに、昨日の残り物で作った料理を、サーシャが運んできた。
 二人は机に座り、かつての習慣を頑なに守って、天地へ感謝を唱えてから、静かに食事をする。
 せめて、ヴィンドース家の末裔として、恥ずかしくない食マナーだけはサーシャに伝えたいと、ハルシャは思っていた。
 どんなに生活が困窮しても、品位だけは落としたくない。
 だから、食卓を囲む二人は、五年前、両親と食事をしていた時と同じように、きちんと背筋を伸ばして、向き合って食事を口に運ぶ。
 会話を挟みながらも、食器はカタリとも音を立てなかった。
「一つ、サーシャに確認しておきたい。リュウジのことだが――」
 ハルシャは、食べ終えて、サーシャが食事をするさまを眺めながら、呟いた。
「彼は、ここにずっといる訳ではない」
 サーシャの食事の手が止まった。
 両手を膝に置き、青い瞳を兄に向けながら、サーシャは言葉に注意を傾ける。
「記憶を取り戻したら、彼は自分の世界に戻る。ここには、そのつなぎとして、生きる手助けをするために、暮らしてもらうだけだ。
 彼が本来の生活に戻ってもらうために、支援するだけで、遊びに来るわけではない」
 サーシャは、じっと、言葉の意味を考えていた。
「リュウジは記憶を失い、人生が根こそぎ無くなったような、不安を抱えている。彼の笑顔にごまかされてはいけない。
 彼は今、とても辛い状況にあるんだ」

 夢の中で、懸命にもがいていたリュウジの姿が、ふと、脳裏をよぎる。
 彼の心の傷は、まだ癒えていない。
 今でも、血を流している。それを自分自身で塗りつぶして、リュウジは優しく笑っている。それが、ハルシャには辛かった。

「リュウジは恐らく、サーシャと一番長く時間を過ごすと思う。だから、気を付けて上げて欲しい。どんなに元気に振る舞っても、彼は誰かに傷つけられて、路上に放置されていたのだと。ひどく痛めつけられた記憶は、心を蝕んでしまう。
 彼が不安な様子を見せたら、遠慮せずに、俺かメリーウェザ先生に教えてくれ」

 こくんと、サーシャがうなずいた。

「わかった、お兄ちゃん」

 引き締まった顔で、サーシャが応える。
 生真面目な様子に、思わず笑みがこぼれた。
「食事を止めてすまなかった、サーシャ。ただ、ちょっと気になっただけだ。そんなに重く受け止めなくてもいい」
「ここの危ないところも、教えて上げなくては、って思っていたの。リュウジって、隙だらけだから」
 オキュラ地域っ子らしい、いっぱしのことをサーシャが言う。
「無防備すぎて、ハラハラしちゃう。守ってあげなくては、って、先生とも話していたの。リュウジを一人で出歩かせては危険だって」
 ハルシャは、思わず声を上げて笑った。
「サーシャが護衛になってあげるのか?」
「うん」
 サーシャが胸を張る。
「お兄ちゃんがいなくても、ちゃんとするからね」
 十一歳の子に、心配されていると知ったら、リュウジはどう思うだろう。
 温かな問いを胸の奥に入れたまま、ハルシャは手を延ばし、妹の髪を撫でた。
「それは、頼もしいな。サーシャ」


 *


 工場で、昨日から着手した設計図を基に、ハルシャはシミュレーターに、数値を打ち込み終えた。
 立体画像を、画面に呼び出し、仔細に眺める。
 見たことのない、駆動機関部だった。
 試しに、出力を計算してみる。
 異常に数値が低い。これでは、惑星トルディアの大気圏を突破することも出来ない。
 ハルシャは、シミュレーターを前に、腕を組んで考え込んだ。
 どういうことだ。
 今のまま作成しても、長期航路用の出力は望めない。
 明らかな設計ミスだ。
 このまま、製作にかかることは、危険だった。
 だが――なぜ、この設計図がハルシャに託されたのだろう。
 何も考えずに作っていたら、納品の時に慌てなくてはならなかった。
 考え込むハルシャの後ろに、工場長のシヴォルトがいつの間にか立っていた。
「どうした、ハルシャ」
 シミュレーターを見つめるハルシャに、珍しく声をかけてくる。
「数値を確認しているだけだ」ハルシャは、事務的な声で答えた。
「何か用か」

 ハルシャの問いかけに、シヴォルトは、笑いを含んだ声で、言う。
「ジェイ・ゼル様から、呼び出しだ」
 ハルシャは、動きを止めた。
「明日、夕刻、迎えを寄越す――そのつもりで居てくれ、とのことだ」
 今日ではなく、明日。
 時間的余裕を与えたということは、彼を受け入れる準備をしてこいという意味だ。
 ハルシャは、後ろでニヤニヤと笑うシヴォルトに、返事をしなかった。
 じっと、シミュレーターを睨みつける。
 光る画面に、自分の背中を見つめるシヴォルトの、笑みが映り込んでいる。
 ハルシャは、画面に手を延ばし、出力数を変化させる。
 黙々と、作業を続けていると、ふんっと鼻息を一つしてから、シヴォルトはハルシャの後ろを離れた。
 ゆっくりと、彼は歩いていく。
 どんなに心血を注いで、高性能な駆動機関部を作っても、給料に反映されるわけではない。納期を守れなかったときはペナルティで減額され、失敗したときも、給料から差っ引かれながらも、プラスがあることはない。
 それでも、ハルシャは部品を作り続ける。
 虚しさに襲われそうになった時、ふと、リュウジの言葉が耳に響いた。


 ハルシャの駆動機関部は、きっと幽霊たちの好みに合っていると思いますよ。
 手形があるかどうか、一緒に確かめてみませんか?


 おとぎ話のようなことを、彼は真顔で言った。
 不思議な言い伝えに宇宙は満ちている。
 宇宙船を難破に導く、セイレーンたち。
 宙域の磁場が見せる幻影という説もあるが、魔の宙域というのは、確かに存在する。
 子どもの頃は、胸を躍らせてそんな不思議な物語を読み漁ったものだ。
 リュウジの言葉に、当時のときめきが蘇ってくる。
 そうだ。
 自分が今、宇宙に繋がる方法は、この部品を作ることだ。
 思い返して、ハルシャはシミュレーターに向かう。
 自分の駆動機関部が、どの宇宙船に使われているかなど、調べようと思ったこともなかった。
 ふと、可能性を考えながら、ハルシャは仕事へ集中を戻した。


 *


 仕事を家に持ち帰ることにして、ハルシャは定時に近い時間に、工場を後にした。同僚たちが驚いていたが、無視する。
 ハルシャは、口をきく仲間など、ほとんどいなかった。
 仕事上、どうしようもない時だけ、彼らに協力を仰ぐ。だが。冷たい対応しか与えない人々だった。
 背中に背負う鞄に、シミュレーターのデータを入れ、ボードで道を馳せる。
 職場と家との道中は、一人で考え事に没頭できる、大切な時間だった。
 朝、あまりにもはしゃぐサーシャを見て、ハルシャは思わず釘を刺してしまった。

 リュウジは、いつか、自分たちの元から去っていく。
 彼は居るべきは、オキュラ地域ではないのだ。

 記憶が戻るか、彼を探しに来た誰かがいれば、リュウジは元の世界へ戻ることが出来る。
 自分たちとは、違う。
 ハルシャたちは、ここに留まり続けなくてはならない。
 一瞬、ハルシャは危惧してしまったのだ。
 生活に招き入れたリュウジにサーシャが懐けば懐くほど、きっと、別離が辛くなる。
 だから、別れを覚悟させるために、きつい言葉をあえて、彼女にかけた。
 サーシャは、悟ったようだった。
 不安な日々の生活を支えるために、一緒に暮らすだけ。
 彼が本来居るべき場所は、別にある。
 華やいだサーシャの心を、消沈させてしまったことは、可哀そうだったが、早めに手当てをしておかないと、余計辛い目に遭わせてしまう。

 リュウジは、ここを去る。
 自分たちは、残る。

 厳しい現実を、ハルシャは、サーシャに示して、覚悟を促した。
 彼女は、受け止めてくれたようだった。

 夕暮れの光が、空を覆う。
 珊瑚色の天だった。最も、ラグレンが美しく見える時――
 天を摩するような高い建物が、珊瑚色の空に映えている。
 光を放つ建物の照明が、淡く街を彩り始める。まだ、夜ほどの激しさはない、まどろむような光が、ラグレンを包む。
 ぼんやりと浮かぶ巨大な都市の姿に向けて、ハルシャは一筋に駆ける。
 どんなに裏側が爛れていても、やはり、故郷の都市は美しかった。

 リュウジは、この街を、嫌うだろうか。
 
 ハルシャは、胸の奥に呟く。
 旅人である彼は――ラグレンのことを、どう思っているのだろう。
 はるかな祖先が、愛し、人類のために開拓した星。
 ハルシャは顔を上げて、都市の姿を見つめる。
 彼が誇りに思う街を――リュウジには、嫌って欲しくなかった。
 彼の身を傷つけ、記憶を奪った街を。
 虫のいい話だとは思いながらも、ハルシャは、切に願った。

 *

「お兄ちゃん!」
 来訪を医療院入り口のインターホンに告げた途端、間髪入れず、サーシャが走って来た。
 扉を開けるハルシャに、がばっと飛びつく。
「早かったのね!」
 ぎゅっと、身を抱きしめてくる妹の頭を、ハルシャは撫でる。
「無事に一日が過ごせたか?」
「うん! 今日は授業で作文を書いたんだけれど、校長先生に褒めて頂いたよ! とっても良いって」
 ハルシャは、キラキラと瞳を輝かせるサーシャを見下ろす。
 もしかしたら、サーシャは母親に似て、文学的な方面の才能があるのかもしれないと、束の間、考える。
「今度、ラグレンで行われる大会に、応募して下さるって。参加賞に、商品券がもらえるんだって! 嬉しいね、お兄ちゃん!」
 作品を応募してもらうことよりも、もらえる商品券の方が嬉しいように、サーシャが言う。
 所帯じみさせてしまったことが、ハルシャの心を打つ。
「そうか、良かったな。普段の努力が実を結んだんだな」
 胴から離れたサーシャの手を取り、ハルシャは、並んで廊下を渡る。
「リュウジはどうだ」
「とっても調子が良いみたい。もう準備をして、待ってくれているよ」
「そうか。仕事はもう終わったのか?」
「うん。今日は患者さんが少ない上に、リュウジも手伝ってくれたの。すごく、仕事が早く終わったよ」
 そうだろうな。と、ハルシャ思う。
 彼は、おっとりとしているが、仕事は早そうだった。
 サーシャと手を繋いでたどり着いた医療室で、楽しそうにメリーウェザ医師とリュウジが談笑していた。
 メリーウェザ医師が素早く自分たちに気付き
「早かったな、ハルシャ。急いで仕事を切り上げて来てくれたのか?」
 と、柔らかい笑みを向けてくれる。
 
 昨日、彼女が心を開いて示してくれたことが、じんわりとハルシャの気持ちを変えていた。
 自分が宇宙を見る限り、宇宙もまた、自分へ眼差しを注いでくれる――
 たとえ、叶わないとしても、見上げ続けることはできるのだと。
 磁気嵐の中のジャイロスコープのように、ミア・メリーウェザの言葉が、ハルシャに進む道を示してくれていた。

「一つ仕事を終えて、きりが良かったんだ」
 リュウジのために、必死に自分が時間を作ったことを知られるのが、不意に恥ずかしくなり、ハルシャは言葉を濁した。
「そうか。幸運だったな」
 柔らかく、メリーウェザ医師が微笑んで言う。

「おかえりなさい、ハルシャ」
 リュウジが、しっかりとした足で立ち、ハルシャを見ていた。
「準備をしようと思ったのですが、気付けば、僕の持ち物は、この身一つでした」
「食器もちゃんともらってきたから、大丈夫だよ、リュウジ! 身一つでも生活できるから、ね、お兄ちゃん」
 鼻をふくらませて、サーシャが勢い込んで言う。
 その顔はいかがなものか、と、注意しようかどうか、ハルシャは迷った。
「生憎、布団には雑魚寝になるが――ラグレンは温かいから、なんとかなるだろう」
 注意をするのを諦めて、ハルシャはリュウジに言う。
「色々考えて頂いて、ありがとうございます」
 リュウジがぺこりと、頭を下げた。
 様子を見守っていたメリーウェザ医師が、不意に
「じゃ、行くか」
 と、言って、立ち上がった。

 ハルシャと、サーシャは同時に
「行くって、どこへ?」
「どこへ行くんだ、先生」
 と、声を発していた。
 くすっと、ミア・メリーウェザが笑う。
「今日から、本格的なオキュラ地域での、リュウジの生活が始まるんだろう? 祝いをしなくてはな」
「祝い?」
 問い返した、ハルシャに、
「みんなで、夕食を食べに行こう――オキュラ地域にも、まともなものを、食わせてくれる食堂がある」
 ええっ!と、サーシャが叫んだ。
「でも、お金が」
 オロオロとするサーシャに、
「お前たちに、払わせるか。私のおごりだよ」
 と、メリーウェザ医師が、カラカラと声を上げて笑った。
「今日は早く患者が引けて、ハルシャも思ったよりも早い時間に帰って来た。
 飯をゆっくり食って、門出を祝おうや――宇宙船乗りはね、船出の前に、みんなで大騒ぎをして飲むんだ。次生きて地上を踏めるかどうかわからないから、悔いが残らないようにね」
 片目をつぶる。
「酒もおごるよ」
 言ってから、サーシャを見る。
「だが、サーシャは、ジュースだな」





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