息を一つ吸い込むと、覚悟を決める。
ここから先のことを話すのは、賭けだった。
邪魔をされる可能性はゼロではない。それでも、彼に話そうと心を決める。
「リンダ・セラストンはセジェン・メルハトルの遺伝子サンプルを持っています。
僕は明日、カラサワ・コンツェルンからお忍びで惑星トルディアを視察に訪れた人物として、レズリー・ケイマンに面会を申し出ています。
今日中に本社を通じて、時間の指定が来るはずです。
レズリー・ケイマンに直接会い、彼の遺伝子を手に入れます。粘膜か血液か、どちらかを入手する予定です。
それとリンダの持つ情報が合致すれば、レズリー・ケイマンが偽物であることが証明されます。
その情報を元に、ケイマンの親に息子の捜索願を出してもらいます。まず最初に疑われる十三年前の誘拐された場所を、それで調査できます。
遺体が本物のレズリー・ケイマンだと解れば、セジェン・メルハトルを詐欺罪で逮捕することが出来ます。
一度詐欺罪で帝星へ引致し、それから余罪の追及をするという手筈になっています」
帝星に引っ張れば、何とかなるだろうと、リュウジは考えていた。
ジェイ・ゼルは説明をじっと聞いていた。
「それでは、無理だな」
沈黙の後、ジェイ・ゼルは口を開いた。
「レズリー・ケイマンは落とせない」
はっきりした言葉に、リュウジは驚きに近い衝撃が走った。
「な……」
言いかけたリュウジの先を切って、
「そうお考えの理由を、教えて頂けますか、ジェイ・ゼルさん」
と、マイルズ警部が問いかけた。
床の一点を見つめて、ジェイ・ゼルは静かに考えを述べる。
「リンダ・セラストンが持つ遺伝子情報自体を、偽物だとレズリー・ケイマンは指摘してくるだろう。自分を陥れるための罠だと、ね。
リンダ・セラストンは元宇宙海賊だ。カラサワ・コンツェルンの人間がそんな人物と交流があったのかと、逆に捩じ込んでくるかもしれない。
レズリー・ケイマンは狡猾で才知に長けている。
セジェン・メルハトルの遺伝子情報だけで攻めるのは、厳しいな」
リュウジは黙り込んだ。
ジェイ・ゼルは実際にレズリー・ケイマンに接して、彼の人柄を知っているから、戦法の危うさを指摘してくれているのだろう。
「では」
リュウジの横で、身を乗り出すようにして、マイルズ警部が再び問いかける。
「ジェイ・ゼルさんは、どうやってレズリー・ケイマンを攻略すればいいと、お考えですか」
ジェイ・ゼルは沈黙していた。
ゆっくりと瞬きをする。
マイルズ警部の刑事の勘が、ジェイ・ゼルには考えがあると見切ったようだ。
じっとヘイゼルの警部の瞳が、彼から動かない。
視線を落としていたジェイ・ゼルが、不意に口を開いた。
「一つ、約束して欲しい」
睫毛が動き、灰色の瞳が真っ直ぐにマイルズ警部を見つめる。
「汎銀河帝国警察機構の、代表として、マイルズ警部に」
二人は静かに見つめ合っていた。
「司法取引、ですか」
するりと言葉を警部が呟く。
ジェイ・ゼルの口角が僅かに上がった。
「さすが、敏腕だね。よく弁えていらっしゃる」
警部も笑顔で答えた。
「場数を踏んでいますので。取り敢えず、何を約束するのかを、教えて頂いてもよろしいですか、ジェイ・ゼルさん」
司法取引は、情報の提供などと引き換えに、罪の軽減を約束するものだ。
「別に私の罪状を軽減しろというのではないよ。ただ」
瞳がマイルズ警部を捉える。
「私の
驚きに、リュウジは目を見開いた。
結局、全ての原因はイズル・ザヒルにたどり着くような気がした。
ジェイ・ゼルは使われていただけだ。
だから――レズリー・ケイマンと一緒に、イズル・ザヒルも罪に問われるべきだと、リュウジは考えていた。
なのに。
迷惑、という言い方が妙に気になった。
次にジェイ・ゼルが口にしたのは、思いもかけないことだった。
「レズリー・ケイマンと結託し、ハルシャの両親の死を計画したのは、私だ。全ては私の一存で為したことで、
静かな声が、殺風景な部屋の中に響く。
「ダルシャ・ヴィンドース氏に多額の借金をさせ、ラグレン政府と結託し彼の死に関わった。計画を立てたのも、実行を確認し、遺児たちから遺産を取り上げたのも――全て私だ」
ジェイ・ゼルは、イズル・ザヒルから何も知らされていなかった。
間違いのない動揺が浮かんでいたというのに。
全ての罪を、自分が被るとジェイ・ゼルが告げている。
リュウジは思いもかけない展開に、激しく動揺した。
驚きをよそに、淡々とジェイ・ゼルが言葉を続ける。
「汎銀河帝国警察機構が、レズリー・ケイマンが何を言っても、イズル・ザヒル様の関与を否定してくれるというのなら――」
灰色の瞳が、警部を見つめる。
「動かぬ証拠を、私はあなた方にご提供しよう」
マシューが静かに、ジェイ・ゼルの後ろで控えていた。
彼の顔に驚きが無いことに、気付く。
腹心の部下とジェイ・ゼルは話し合っていたのだろう。
眉を寄せて、痛みに耐えるように、じっとマシューは口をつぐんで視線を伏せていた。
「そうなると」
マイルズ警部が穏やかな声で、呟いた。
「我々は、あなたを殺人共謀罪で刑事告発しなくては、ならなくなります。それにあなたの
ジェイ・ゼルの口元が笑みを作った。
「君たちはレズリー・ケイマンを、有罪に持って行きたいのではないのかな?」
「それは、もちろんです」
「なら、私の申し出を受けることだ。確実に彼の罪を証明する証拠を、ご提供しよう。
ただし、イズル・ザヒル様に一切の災いが及ばないという確約を頂いてからだ。
そこだけは譲れない。
私に、汎銀河帝国警察機構を信じさせてくれるかどうか、それは君次第だよ、マイルズ警部」
警部とジェイ・ゼルが視線を交わし合う。
リュウジは動揺し続けていた。
ジェイ・ゼルは、犯してもいない罪で裁いてくれと言っているのだ。
そんな、ばかな。
「ジェイ・ゼル」
リュウジは声をかけ、ジェイ・ゼルに愚かな考えを捨てさせようとした。
瞬間、マイルズ警部が手を上げて、リュウジの前にかざす。言葉を封じる動きだった。
「坊」
静かな声で警部が呟く。
「すまんが、ここは俺に預からせてくれ」
警部の真剣な眼差しが、ジェイ・ゼルに注がれる。
ディー・マイルズは今、提案を必死に考え続けている。
ふっと笑うと、
「マシュー」
と、ジェイ・ゼルが軽く部下に声をかけた。
無言でマシューは立ち上り、部屋の隅から黒い鞄を持ってきた。見覚えがある。
病院に携えてきていたものだ。ハルシャの着替えを入れていたはずだ。
マシューはその中から、手早く書類を出すと、自分たちの方へ向けて並べた。
「未成年のハルシャ・ヴィンドースを違法に就労させていた記録だ。
そして」
しぶしぶというように、マシューが領収書の写しらしいものを出す。
「毎年私はレズリー・ケイマンとヴィルダイン・ハーベルほか、政治家たちに献金をしているのだけれどね、その領収書だ。
もちろん、表に出さない約束で受けたものだ。
私の
七年分だ。
私は違法な操業をする経営者だ。その怪しい人物から、レズリー・ケイマンたちは使途不明の献金を受けていた。
まずは、この証拠を渡せる」
ふっと小さく息を吐いてから、ジェイ・ゼルは微笑む。
「ダルシャ・ヴィンドースと借用について話をした時の、音声記録もある。私の声が入っている。これもお渡しできる。
もう一つ。今は具体的なことは言えないが、確実な証拠を約束しよう」
穏やかな声で、彼は続けた。
「イズル・ザヒル様に類が及ばないように確実に処理して下さるのなら、全てをお渡ししよう。
返事は、どうかな。ディー・マイルズ警部」
警部は無言で見つめていた。
ふっと息をすると、親指の爪でカリカリと額を掻いた。
「つまり、レズリー・ケイマンの有罪を証明するために、無実のあなたを殺人の共謀罪で罪に問えと仰っているのですね、ジェイ・ゼルさん」
ニコッと笑って、ジェイ・ゼルが答える。
「言ったはずだよ。私が全てを企てたと。無実ではないよ、警部」
彼は、イズル・ザヒルの罪をかぶり、レズリー・ケイマンの罪を証明しようとしている。
昨日一晩中、考え抜いた答えなのだろう。
ハルシャの寝顔を見つめながら、彼は自分が刑を受ける未来を選んだのだろうか。
リュウジは思わず声を放っていた。
「あなたは何も知らなかった。違いますか、ジェイ・ゼル」
さっと、全員の視線がリュウジに集まる。
警部が制止しようとしても、言葉を続ける。
「罪をかぶっても、ハルシャが悲しむだけです。ハルシャはずっと、あなたを信じ続けています。僕がご両親の死の関与を指摘したときも、ジェイ・ゼルはそんなことをしないと、必死に否定していました。
あながた罪を被れば、ハルシャは傷つきます。どうして……」
小さくジェイ・ゼルが首を振る。
「知らなかったとしても、私はハルシャの両親の死に関わっていた。同じことだよ、私が殺したのと――その罪は、消えない」
ほろりと、本音をこぼしてからジェイ・ゼルは微笑んだ。
「君がダルシャ・ヴィンドース氏のために、犯人の罪を暴いて償いたいと思うように、私もハルシャのために何かをしたいのだよ。
彼の人生を狂わせた、許されざる罪の
覚悟の滲んだ言葉に、リュウジは言葉を飲んだ。
「それに」
ふと視線を伏せると、静かな声で彼は呟いた。
「もう誰にも、ハルシャを傷つけさせない。そのためになら私は何でもしよう」
張りつめた沈黙の後、視線を上げてジェイ・ゼルが微笑んだ。
「どうかな。答えをもらえるだろうか、警部」
ごくっと、マイルズ警部の喉が動いた。
「解りました。条件を飲みましょう。ジェイ・ゼルさん」
何かを吹っ切るような、明瞭な声で警部が応える。
「死に物狂いで上を説得します。警察機構を信じて下さい」
ジェイ・ゼルは笑みを深めた。
「あなたを信じるよ、マイルズ警部」
無言で視線を交わし合ったあと、彼は顎でマシューに指示して、書類を全て鞄に収めさせた。
「申し訳ないが――証拠をお渡しするのは、明日の朝でもいいだろうか」
静かな声で、ジェイ・ゼルが言う。
「少し、時間が欲しくてね」
マイルズ警部は静かに肯きで応えた。
「もちろんです。『アルティア・ホテル』の一七八八号室へ来てください。そこでお待ちしています」
「解ったよ。一七八八号室だね」
何事もなかったように会話をする二人を、リュウジは見つめ続ける。
「あなたは――」
リュウジは呟いていた。
「それで良いのですか。ハルシャは……ハルシャは、どうするのですか」
ぽんと、マイルズ警部の手がリュウジの頭の上に乗った。
「坊。この部屋の中に、辛くない人間がいると思うか?」
マシューが眉を寄せている。苦しげに、辛そうに。
「さっき坊が言ったな。レズリー・ケイマンをこのままラグレンに居座らせておいたら、息子の成長を楽しみにしていた、罪のない父親の命が失われるかもしれない、とな。
みんな同じ気持ちだよ。
この中でな、一番ハルシャくんのような人を出したくないのは、ジェイ・ゼルさんだ。
だから、自分の身を切ってくれるんだ。彼以外に、誰も出来ないからね」
ぽんぽんと頭の上で手が跳ねる。
「俺もな、もう二度と坊のような悲しみを味わう人がいないように、刑事を続けているんだ。どんなに辛くてもな。
それが、おれの償いだ」
低い声で警部が続ける。
「俺は、ジェイ・ゼルさんの無実を知っている。それでも、彼の申し出を受けるしかない。そうでしかレズリー・ケイマンの罪を証明出来ない。解るな、坊」
あえて毒を飲むと、警部は言っているのだ。
リュウジは、それ以上何も言えなくなった。
いくつかのことを、その後も打ち合わせをし、確実にレズリー・ケイマンを追いつめる計画を煮詰める。
それなら行けるだろう、と最終的にジェイ・ゼルが承諾を示して、打ち合わせは終了した。
気付けば三時間以上が経っている。
明日の再会を約束してから、リュウジたちはジェイ・ゼルの元を辞した。
扉を閉じる直前見たジェイ・ゼルは、静かに虚空へ視線を向けていた。
その顔は、静謐な穏やかさをたたえていた。
彼の中でもう、心は決まっているのだと気付く。
それが、ジェイ・ゼルの償いのありかたなのかもしれない。
苦しみに眉を寄せながら、リュウジは扉を閉じた。