ほしのくさり

第192話  理不尽な取り調べ





※文中に大変暴力的な表現および、流血表現を含みます。
 注意喚起をいたします。
 このような表現が苦手な方は、第192話を飛ばして、次話へお進みください。
 どうか、暴力表現が苦手な方はご注意ください。

 ジェイ・ゼルが必死に真犯人を探している一方、ハルシャが警察で取り調べを受けるお話です。


  *
 ハルシャを乗せた警察車両は、二十分足らずでラグレン警察本庁へ着いた。

 車内に入れられてすぐに、両手首が緑に光る拘束具で、前で一つに束ねられてしまった。
 ハルシャは黙って、刑事たちの行為を受け入れる。
 違法な駆動機関部の時は、任意同行だったので身体的な拘束を受けなかったが、令状があると違うのだろうか。
 光の輪で縛られた手首を見つめて、黙する。

 妹の目の前で、拘束具を着けられなかったことを喜ぶべきだろうか。
 兄が警察に連行されることに、サーシャはひどく傷ついていた。
 見送る切ない妹の表情を思い出し、ハルシャは胸の奥が痛くなった。
 膝の上に置いた、手首に絡みつく緑の光を見つめ続ける。
 拘束具をはめられた手首は痛くはないが、自由が利かない。
 釈明さえ許されず、罪人のように扱われている。
 運ばれる車内では、誰も何も言わなかった。
 警察本庁で話を聞くという言葉通り、刑事たちは道中で無駄な会話を交わしたくないようだ。
 風を切る車体の音だけが聞こえる。

 沈黙の中で、ハルシャは考え続ける。

 家屋侵入と窃盗――
 誰かの家に盗みに入ったと、自分は思われているのだ。
 どうして自分がやったと警察は判断したのだろう。
 それが気にかかった。
 身に覚えがないのはもちろんだが、令状まで取るということは、ある程度の確信があるということだ。
 誰かが、犯行現場で自分を見たと言ったのだろうか。
 その証言に基づいて逮捕されたのだろうか。
 両脇を固めて押し黙る刑事に尋ねることも出来ず、ハルシャは唇を噛んで不安な時間を耐えた。
 ヴィンドース家の家長として、法を犯すことはするまいと思いながら生きて来たのに、犯罪者扱いされることが、たとえようもなく辛かった。

 前回と違い、ラグレン警察本庁の玄関に、真っ直ぐ警察車両は向かった。
 広い玄関にぴたりと止まり、その瞬間に右脇の刑事が動いて、扉を内側から開ける。
「降りろ、ヴィンドース」
 押されるようにして、車内から外へ出される。
 先に降りていた刑事が、ハルシャの腕を取って強引に引き摺り出す。
 後から扉から出た刑事二人に両脇を抱えられるようにして、警察本庁の玄関へと進んで行く。
 終始彼らは無言だった。
 どこへ行くのか、これから何があるのか、一言も説明がない。
 ハルシャは唇を噛み締めたまま、彼らに逆らわず歩き続ける。

 最初に連れてこられた部屋には、壁に身長を表す線が幾本も引かれていた。
 その前に立つように指示される。
 立っていると、写真を撮られたようだ。
「横を向け」
 上から命令する口調で指示される。
 ハルシャは黙って、警察の言葉に従った。
 手首を光の輪に捕らわれたまま、犯罪者として顔写真を撮られる。
 羞恥に顔が赤らんでくる。
 釈明を聞くことすらしてもらえず、自分はもう、犯罪を為した者として扱われているのだ。

 私は窃盗などしていない。

 叫び出したいのを、必死に抑える。
 何か誤解があるのだ。
 きちんと話せば、解ってもらえるはずだと言い聞かせて、屈辱的な時間を忍ぶ。

 その後、別の部屋に連れて行かれ、口の中の粘膜と指紋の情報を採取される。
 手の平をパッドに乗せると、緑の光が自分の指紋の形を読み取っていった。
 恐らく、犯罪者リストに、自分のDNA情報と指紋を記録するためなのだろう。
 ひどく事務的に淡々と行われる作業に、ハルシャは耐え続けた。
 身長と体重と、身体的な特徴もその場で電脳に打ち込んで、自分のリストが出来上がったらしい。
 一連の採取作業は専門の警察官がしていた。
 自分を連れて来た刑事たち二人は、部屋の入口を固めてじっと作業工程を見つめ続けている。
 記録が終わったことが告げられると、連行してきた刑事が動いた。
 彼らはハルシャの持ち物を身から剥がすように、取り上げた。
 持ち物と言っても、あったのはリュウジから預かったヴォゼル札だけだ。
 祖先の詩はサーシャに託してきた。
 大切な品が乱雑に扱われないことに、少しホッとする。
 ハルシャの持ち物を金属のトレーに入れると、再び脇を固められて、警察本庁内の別の場所へ連れて行かれた。

 チューブで移動したその階には、憶えがあった。
 以前、違法な駆動機関部で取り調べを受けた部屋がある場所だ。
 その時は屋上の駐車場から降りてきたが、今度は下から昇ってたどり着いた。
 記憶にある通り、チューブから降りた先には長い廊下が広がっている。

 両腕を取られたまま、ハルシャは廊下を進んでいく。
 いくつかの部屋を過ぎてから、刑事はおもむろに一つの扉を開いた。

 以前、尋問を受けたところと位置は違うが、ほとんど変わらないしつらえの部屋だった。
 ただ、窓はなかった。
 部屋の真ん中に机があり、椅子が向き合う形で二脚置いてある。
 奥の隅にも別の机が置かれていて、そこにも椅子があった。

 ハルシャは部屋の中に連れて行かれ、引いた椅子に座る様に促される。
 まだ、手首の拘束は解かれていない。
 いつ外してもらえるのだろうか、と、ハルシャは眉を寄せながら考えていた。

 乱雑に向かい合う位置の椅子を引いて、二人の内、年かさの刑事が腰を下ろした。
 ハルシャは真正面に座った刑事へ視線を向ける。
 しばらくハルシャを見てから、
「さて」
 と、彼は口火を切った。
「質問に答えてもらおうかな」

 自分が罪を犯したと断定する口調で、彼は言った。
「申し訳ないが」
 ハルシャは、ようやく口を開いた。
「さきほど提示された家屋侵入と窃盗容疑について、全く身に覚えがない」
 真っ直ぐに刑事を見つめる。
「何か誤解があるようだ」

 ハルシャの言葉に、刑事は表情を変えなかった。
 無視するように、手元に書類を引き寄せてその文言を読んでいる。
「名前は」
 短く警察の口から問いが出る。
 これが、彼の言う質問なのだろうか。
 考えながら
「ハルシャ・ヴィンドース」
 と、名乗る。
 一瞬目を浮かせて
「歳は」
「二十歳になる」
 と、次々に質問をしてくる。
「住所は」
 その問いに、オキュラ地域の名を出そうとしてハルシャは詰った。
 もう、そこは自分の住所ではない。
 口ごもるハルシャに
「オキュラ地域に住んでいたそうだな」
 と、刑事が沈黙するハルシャに言葉をかけてくる。妙な含みのある言葉だった。
「そうだ。だが、昨日でそこを引っ越して――」
 ハルシャの言葉を待たず、刑事が被せてくる。
「今はホテル住まいって、ことか?」

 刑事が手にしていた書類を、軽く投げて机に放った。
「随分、良いご身分になったんだな」

 言ってから、刑事がにやりと笑った。
 悪意のこもる口調と態度だった。
 ハルシャはすぐに言葉を返せなかった。
 刑事はしばらく沈黙してから
「それまでは、金に困っていたようだが……一体どうした風の吹きまわしなんだ、ハルシャ・ヴィンドース」
 と、探るような視線を自分に向けてくる。

 ハルシャは視線を上げて、刑事を見た。
 彼は――
 ハルシャが生活を変えたのは、金銭を盗んで懐が豊かになったからと、言わせたいような気がした。

「所持金も豪勢だな」
 刑事が口調を変えずに続ける。
「金に困っていた奴が、十ヴォゼルもの金を普段から持ち歩くのか?」

 それは、余裕を持たせて朝、リュウジが渡してくれたものだった。
 ホテルにそのまま放置するのはかえって危険かと思い、ハルシャは全額を身に着けていた。
 それまで、指摘されるとは思っても見なかった。
「――友人から預かった金額だ。借りているもので、後で返す予定をしていた」
 何とかハルシャは釈明をする。
 ふんと、鼻息が漏れた。
「随分、奇特な友人がいるんだな。名前は?」

 リュウジのことを説明しようとして、はたとハルシャは気付いた。
 彼がカラサワ・コンツェルン次期総帥であることは、口外してはならない。
 もし正体が露見すれば、彼の身の安全が脅かされるかもしれない。
 これまでも幾度か誘拐など、彼を狙った犯罪に巻き込まれたとリュウジは言っていた。
 何とか彼の本当の名を告げずに、乗り切ろうと心に決める。

「オオタキ・リュウジという名で、帝星からの旅行者だ」

 刑事の目がじっと、ハルシャを見つめる。

「オオタキ・リュウジ」
 聞いたことがある言葉のように、刑事が呟いた。
「そいつとは、しばらく一緒に、工場で働いていたようだな」

 どうして――
 刑事はそんなことを知っているのだろう。

 驚きを顔に浮かべてしまったのかもしれない、にやっと、刑事が笑った。

「昨日付で、お前と一緒に辞めたそうだな」
 笑みを顔に張り付かせたまま、刑事が言葉を続ける。
「五年働いた工場を、どうして急に辞めたんだ。ハルシャ・ヴィンドース。何でも突然のことだったようだな。
 前もって何の話もなく、急に辞めたと……その理由はなんだ?」

 なぜ、刑事に仕事を辞めた理由を言わなくてはならないのだろう。
 戸惑いが隠せない。
 それでも、自分の身の潔白を証明するために、必要なことかもしれないと思い直してみる。
 なるべくリュウジの正体に触れないように注意を払いながら、ハルシャは説明をしようと最大の努力を傾けた。

「わ、私には、支払うべき金銭があり、工場は高給を約束してくれていたので、働いていたのだが」
 光の拘束具に捕らわれたまま、ハルシャは両手を握りしめる。
「亡くなった父の資産が、帝星に残されていた。それを受け取ることが出来たので――これ以上、工場で労働を続ける必要がなくなり、仕事を辞めただけだ。
 急であったのは、大変申し訳ないことだった」
 実際はまだ受け取っていないが、釈明としては間違っていないはずだ。
「今は、新しい仕事を探しているところだ」

 刑事はちょっと眉を上げた。
「なるほど。ダルシャ・ヴィンドースの遺産が手に入ったから、仕事を辞めた訳だな」
「そうだ」
「――それは、どうして五年前ではなかったんだ」
 父の死亡の時にどうして手に入らなかったのかと、彼は聞いている。
 途端に、ハルシャは口ごもった。
 正確なことを話せば、リュウジの正体に触れざるを得ない。
 沈黙するハルシャに
「父親の遺産が入ったから、豪勢な暮らしを始めたわけか?」
 と、妙に嫌味な口調で刑事が言う。
 ジェイ・ゼルとの契約で、借金を返済した段階で、彼の庇護を離れ賃貸住宅を引き払わなくてはならなかった。
 仕事もそうだ。
 どこまでこの刑事に説明していいのか、ハルシャは迷い続けていた。

「これまで随分金に困っていたようだが――相当手に入れたんだな、ハルシャ・ヴィンドース」

 口調に、ハルシャは何故か心を傷つけられたような気がした。
 苦しんできた五年間のことを、汚い事柄であるかのように、刑事は口にした。
 そこから解放されたことを説明しても、彼は色眼鏡を通して、妙に解釈しているようだ。

「父の遺産が手に入ったのは、本当だ」

 懸命に、ハルシャは伝える。
 刑事の表情が静かに消えていく。
 彼は再び資料を引き寄せて、しばらくその書類を見つめていた。

「昨夜は、どこにいた」
 質問だけが彼の口から出る。
 昨日の夜。
 さあっと、ハルシャは顔が赤らんでくるのが止められなかった。
 昨日の昼から今朝まで、自分はジェイ・ゼルと一緒に居た。
 そう言ったら、ジェイ・ゼルに迷惑がかからないだろうか。
 ためらいが口を重くする。
「どうした」
 刑事の声がする。
「すぐに言えない場所にいたのか?」

 質問の雰囲気から、ハルシャは察知する。
 恐らく、昨夜に、何か犯罪が行われたのだ。
 自分がどこに居たのかを告げなくては、身の潔白が証明できない。
 ジェイ・ゼルは、許してくれるだろうか。
 ハルシャは唇を噛み締めた。
 きっと、彼なら自分が一緒に居たと言っても、迷惑とは取らないだろう。
 彼は――自分とのことを恥ずかしいとは思っていないと、言ってくれた。
 勇気を奮い起こす。
 ジェイ・ゼルを信じて、ハルシャはようやく口を開いた。

「き、昨日は――午後からずっと、ジェイ・ゼルと一緒に、いた」
 刑事の表情は変わらない。
「いつまでだ」
 短く問いが繰り返される。
 顔が赤くなる。
「今日の朝まで」
 羞恥をかなぐり捨てて、
「ジェイ・ゼルに確かめてもらえば、証明してくれると思う」
 と、懸命に付け加える。
 唇を噛み締めて、刑事の顔を見つめる。

 長い沈黙の後、ふっと刑事が笑った。
「図太い奴だな、お前は」
 思いもかけない罵りの言葉を口にしてから、彼はにやにや笑った。
「愛人のところから金を盗んでおいて、自分のアリバイを証言してもらうように、頼み込んだのか?」

 愛人のところから、金を盗んだ?

 思いもかけない言葉に、ハルシャは衝撃を隠せなかった。
「わ、私は」
 何故か、声が震える。
「金銭を盗んだことなどない」

 愛人。
 彼はジェイ・ゼルと自分との関係を、知っている。
 様々な衝撃が、波状に押し寄せてくる。
 羞恥と困惑と言葉を信じてもらえない苦しみと――
 感情の波に飲み込まれそうになる。

「なら、どうしてこんなに高額を持ち歩いているんだ」
「それは友人が――」
「友人のオオタキ・リュウジと協力して、工場から金を盗んだのか? それで、二人で同時に仕事を辞めたのか?」
 畳みかけるように、刑事が質問を口から吐き出し続ける。
「リュウジも私も、金銭など盗んでいない」
「嘘をつけ!」
 ばんと、刑事が平手で机の表面を叩いた。
 ハルシャは視線を上げて、刑事を見つめる。
「嘘など、私は言っていない。本当だ。工場から金銭など盗みはしない」

 刑事はしばらく沈黙していた。
「盗みをするお前の姿が、防犯カメラに映っていた」

 刑事の言う言葉の意味が、すぐにはハルシャには理解できなかった。

「昨日の夜だ」

 自分の姿が、防犯カメラに映っていた?
 盗みをする様子が――
 それを証拠として、警察は自分を逮捕したのだとハルシャは悟る。
 どうして。
 そんなことを自分はしていないのに。
 なぜ、防犯カメラに?
 混乱が、嵐のように内側に荒れ狂った。

「どうした? 犯行が暴露して、動揺しているのか?」

 刑事の声に、ハルシャは知らず知らずに落としていた視線を上げた。

「何かの間違いだ」
 ハルシャは、震えそうになる声を叱責しながら、懸命に伝える。
「昨日は朝までジェイ・ゼルと一緒にいた。私はそんなことはしていない」
 爪が食い込むほどきつく、手を握りしめる。
「ジェイ・ゼルに聞いてもらったら、彼が証明してくれる。
 私はやっていない」

 ふっと、刑事が笑う。
「父親が死んでから、五年後に遺産が手に入ったとは、上手い言い訳を思いついたな」
 静かな言葉だが、中に嘲りが籠っていた。
「理由をつけて仕事を辞めて、その上で工場に忍び込んで金庫から金を奪ったんだろう――そして、その足で惑星トルディアから逃げるつもりだったのか」
 ハルシャは、刑事の言っている意味が飲み込めなかった。
 自分は、ジェイ・ゼルの側にいたいと思っていた。ラグレンを去る気はない。
 なのに、なぜ。
「逃げる?」
 つい、問い返した言葉に、刑事が表情を険しくした。
「午前中に、出星手続きをラグレン中央役所に出しているな、ハルシャ・ヴィンドース。ことが露見する前に、この星を出るつもりだったのか?」

 驚きを隠せずに、ハルシャは目を幾度もしばたたかせた。

「出星手続きを、出した覚えはない」
 正直なことを述べた途端、先ほどよりも激しく机の上が叩きつけられた。
「嘘を吐くな!」
 怒声と共に、ハルシャの前に一枚の書類の写しが出された。
「朝、お前の代理人が出星手続きをしに来た! これが証拠だ! さっきから、お前は嘘を吐いてばかりだ!」

 自分の名前で出された出星手続きの正式な書類に目を向けてから、ハルシャは顔を上げた。
「私は、知らない」

 刑事はじっとハルシャを見つめていた。

「お前は――クラハナ地域の工場に長く勤めていた。その間、ずっとジェイ・ゼルと愛人関係にあったようだな。
 その関係を利用して、金庫の開け方を愛人から聞き出したのだろう。何でもお前に首ったけだそうだからな」
 ジェイ・ゼルと自分とのことを、ひどく汚いもののように、刑事が口にする。
 羞恥に顔が赤らんでくる。
 自分のことなら何とか辛抱できる。
 だが、ジェイ・ゼルのことを悪し様に言われることは――どんな暴言を受けるよりも、苦しかった。

「私は、そんなことはしていない」
 ジェイ・ゼルの無実を証明するように、ハルシャはむきになって言った。
「それにジェイ・ゼルは、仕事のことを軽々しく口にするような人ではない」
 仕事のことは、ハルシャに関係すること以外、一切ジェイ・ゼルは語らなかった。公私を分ける彼の態度が、自分は好きだったのだと、不意に言いながら気付く。
「金庫のことなど、私は知らない」
 急に激しさを増したハルシャの言葉に、刑事がわずかに目を細めた。

「金庫の開け方を聞き出し」
 ハルシャの弁明など何も聞こえなかったように、刑事は続ける。
「仕事を辞めて後腐れのないようにしてから、深夜に忍び込み、金庫の金を盗んだ――お前の愛人の金を、な」

「私はしていない!」
「嘘をつくな!」

 不意に高い音がして、左の頬が燃えるように熱くなった。
 机越しに立ち上がり、刑事が自分の頬を平手で叩いたのだと気付くまでに、しばらく時間がかかった。
 痛みよりも衝撃が、身を襲った。
 頬を叩かれたのだ。
 一度も受けたことのない暴力に、頭が真っ白になる。
 口の中が切れたのかもしれない。
 鉄さびの味が、口の中にじんわりと広がっていく。

 自分の言葉を信じてくれず、刑事は暴力で言葉を封じようとしている。
 ハルシャはぐっと唇を噛むと、打たれた衝撃で横を向いた顔を、正面に戻した。

「嘘ではない」
 燃えるように熱い頬を無視して、ハルシャは言葉を続けた。
「私はジェイ・ゼルから、盗みなど働いていない」

 刑事は再び無言で自分を見つめていた。

「証拠がある」
 彼は静かに言った。
「防犯カメラと――金庫の解錠に使った録音装置だ。それが、工場のお前のロッカーに残されていた。
 そこなら、発見されないと思ったのか」

 やけに自信ありげな様子だと思っていたが、証拠の品があったのだ。

「防犯カメラに映っていたのは私ではない」
 懸命にハルシャは伝える。
「録音装置のことも、何も知らない――私はやっていない」

「ならどうして、急に金回りが良くなったんだ、ハルシャ・ヴィンドース」
「先程も説明した通りだ。亡き父の遺産が手に入った。だから――」
「だから? どうして、手に入れば仕事を辞めるんだ。高給なら仕事を続ければいいだけの話だ。
 どうして辞める必要があるんだ。おかしいだろう」

 だんだん自分が追い詰められていくのを感じる。
 借金のことなど、調べればいくらでも警察は事実を知ることが出来るだろう。
 だが。
 自分から口にすることが出来なかった。
 借金を介在として、ジェイ・ゼルと契約を結んでいたのだと。
 彼との関係は、借金のためだったと告げることが――
 愛人と、汚く吐き捨てるように言う刑事に、ジェイ・ゼルとのことをどうしても話せなかった。
 大切な人とのことを、曲解されてしまうのが――身が裂かれるように辛かった。

 黙り込むハルシャに、
「さっき言っていた支払うべき金とは、借金のことだな、ハルシャ・ヴィンドース」
 と、刑事が切り札を出すように、言う。
 頬が、ズキンズキンと痛む。
 唇を引き結んで、ハルシャは顔を上げた。
 刑事が自分を見つめている。
 細めた目から発する眼差しは、射るようだった。

「借金の相手は、ジェイ・ゼルだ。お前は彼の愛人をしていたんだな。何か融通でもつけてもらっていたのか?」

 刑事の言い方に、混乱と羞恥と悲しみが湧き上がってくる。
 刑事は――自分がヴィンドース家の人間だと知っている。
 その上で、屈辱的な言葉を投げかけ、自分を動揺させて、真実を引き出そうとしている。
 彼が欲しい証言――罪を犯したのは自分だという、ハルシャの自白を。
 ぎゅっと、ハルシャは唇を噛み締めた。
 手に乗ってはいけない。
 自分は窃盗などしていない。
 それだけは、確かだ。
 大丈夫だ。
 ジェイ・ゼルがきっと自分の潔白を証明してくれる。
 耐えろ。
 自分に命じる。
 サーシャは、ジェイ・ゼルに連絡を入れてくれているだろうか。
 困った時は連絡をしなさいと言っていた。
 もし、妹がジェイ・ゼルに連絡を取ったら、必ずジェイ・ゼルは動いてくれる。
 違法な駆動機関部の時も、彼は手を尽くし、警察の廊下で釈放されるのを待ってくれていた。
 大丈夫だ。
 耐えてみせる。
 私は、ジェイ・ゼルの工場から盗みなど働いていない。

「相手はいささか違法な金融業を営む男だ。関係を続ける中で、悪辣な手段でも、教えてもらったのか?」
 ジェイ・ゼルを貶めるような言葉に、きっとハルシャは眼差しを強める。
 だが、反論はしなかった。
 時間が過ぎるのを待とうと、不思議な覚悟を決める。
 大丈夫だ。
 ジェイ・ゼルは、きっと手を尽くしてくれる。
 彼への信頼が、ハルシャに勇気を与えてくれていた。

 強いハルシャの眼差しを見つめながら、刑事が言葉を続ける。
「工場長が交代し、まだ落ち着かない経営状態を知って、犯行を思い立ったのか?
 愛人をアリバイの証明に利用するとは、考えたな」

 かっと顔に朱が散るが、ハルシャは耐えた。

「仕事を辞め、足がつかないようにして金を盗みだす。
 防犯カメラが金庫のある部屋に備えられているということは、確かめなかったのか?
 お前の姿が記録に残されていた――もう、ネタは上がっているんだよ、ハルシャ・ヴィンドース。
 さっさと自分の罪状を認めろ」
 机に肘をつき、身を乗り出すようにして刑事が顔を寄せる。
「お前は金に困っていた。愛人のところから金を盗みだし、それで借金を清算したのか? よくそんな手を思いついたものだ。
 盗んだ金で借金を返して、今はホテル住まいか?」

 きっと、ハルシャは刑事を見た。
 違う。
 叫びたい言葉を飲み込み、ただ、彼を見つめる。
 にやっと、刑事が笑った。

「惑星トルディアを逃げ出すつもりだったようだが、そうはいかない。
 きっちりと、自分のしたことを吐いてもらおうか、ハルシャ・ヴィンドース」
 視線が舐めるように自分を見る。
「『惑星トルディアの父』の子孫も、地に堕ちたものだな」

 その一言が、ハルシャの忍耐を吹き飛ばした。

「私はやっていない! ジェイ・ゼルから金銭を盗むような、あさましいことなどしたことはない!」
「ふざけるな!」
 怒声が絡み合う。
「証拠はあがっているんだよ!」
「何かの間違いだ! 私ではない!」

 再び左頬に衝撃が走った。
 不意打ちに近い殴打に、身が受けきれずに右に傾いだ。
 手首を拘束されていたために、机を掴んで衝撃に耐えることも出来ず、ハルシャは吹き飛ばされるように椅子から落ちた。
 受け身が取れず、肩から落下する。
 硬い床に頭と肩を打ち付けて、瞬間、ハルシャは目の前が暗くなった。
 リュウジは、暴力を受け流す方法を学んできたと、かつて語っていたのを、ふと、ハルシャは思い出していた。
 他人から無軌道に受ける暴力が、想像以上に恐怖を巻き起こす。
 床に倒れ、まだ動けないハルシャの腹部を、強い一撃が襲った。
 身を折り、嘔吐感に耐える。
 靴で蹴り上げられたのだと、すぐには解らなかった。

「お前が盗んだんだ、ハルシャ・ヴィンドース」
 上から言葉が振ってきた。
 頭部と腹部の両方の痛みに耐えながら、ハルシャは目を開いた。
 自分の前に立つ刑事の姿が見えた。
 にやにやと笑いながら、彼は自分を見下ろしていた。
 すっと膝を折ると、ハルシャの髪を掴んで持ち上げる。
 かつて感じたことのない痛みに、ハルシャは眉を寄せた。

「この髪が、防犯カメラに映っていたんだよ、言い逃れなどできない」
 刑事が顔を近づけて言葉を滴らせる。
「素直に白状しろ。昨夜、クラハナの工場の金庫から、金を盗んだのはお前だな、ハルシャ・ヴィンドース」
 ぐっと髪を掴んだまま、上に顔を向かされる。
「さっさと、吐け――言わない限り、お前はここから出ることは出来ない」

 罪を犯したのは自分だと、断定する口調で彼は言う。
 自白しない限り、この部屋から出ることは出来ないと――

「解るな」
 軽く頬が叩かれる。
「この可愛い顔が二目と見られないようにしたくないだろう? さっさと吐くんだな」

 ハルシャは、室内照明に逆光となって浮かぶ刑事の姿を見つめる。

「私は――」
 苦しい息の中から、ハルシャは懸命に言葉を告げる。
「やっていない……ジェイ・ゼルに聞いてもらえば、わかる。彼とずっと一緒に居た」

 刑事が手を離した。
 頭部が落ち、したたか床に打ち付けられる。

「往生際の悪い奴だな――」
 痛みに耐えるハルシャの耳に口を寄せて、刑事が言う。
「どこの世界に、自分の金を盗んだ相手のアリバイを証明する奴がいると思う」
 冷たい言葉に、ハルシャは衝撃を受けて、目を開いた。
 まさか。
「ジェイ・ゼルは、お前のことなど知らないと言っていたそうだ」

 嘘だ。
 ハルシャは、頭が真っ白になってきた。

「どうした? 当然だろう。自分の工場から金を盗むような性悪の愛人など、誰がかばうと思うんだ」
「――嘘だ」
 もう、ごまかしようもなく声が震える。
「ジェイ・ゼルは、そんなことはしない」
 にやにや笑いを深めながら、刑事が呟く。
「現場に入ってすぐに、お前の犯行だと判明した。経営者であるジェイ・ゼルに一報を入れた時には、お前のことなど一言も口にしなかったそうだ。解るか、お前の工作は失敗したんだよ。裏切り者を飼うなんて酔狂だな、ジェイ・ゼルは」

 嘘だ。
 ジェイ・ゼルはそんな人ではない。
 昨日は朝まで一緒に居た。
 彼は――そう、警察に証言してくれるはずだ。

 かつてないほど、ハルシャは動揺していた。
 それを見抜いたのか、刑事が顔を寄せて呟く。

「悪いことは出来ないな――素直に自分の罪を認めろ。ハルシャ・ヴィンドース。証拠は揺るがない。お前が、愛人の工場から金を盗んだんだよ」

 身が震える。
 これは、刑事が自分に自白をさせようとして言っているだけだ。
 ジェイ・ゼルは、そんなことはしない。
 必ず証言してくれるはずだ。
 ジェイ・ゼルのことすら利用する手口に、身の内に怒りに似た震えが起こる。
 自分はやっていない。
 ジェイ・ゼルを、裏切ってなどいない。
 ハルシャは懸命に潔白を伝えようと言葉を絞る。
「私は、やっていない!」
「まだ言うのか!」
 瞬間襟首を掴むと身を持ちあげて、左の頬を再び叩かれた。
 鉄さびの味がする。
 何を言っても、この刑事は信じてくれない。
 ジェイ・ゼルはそんなことはしないと解っているのに、突きつけられた言葉が胸を抉る。
 自白をしないと、この部屋から出られないと、刑事は言った。
 どれだけ、刑事からの暴力に、自分は耐えることが出来るだろうか。
 自分は無実だと、主張を曲げずに保てるだろうか。
 苦しい時間が待つことに、絶望が広がりそうになる。

 ジェイ・ゼル――

 折れそうになる心に、たった一つの名を呼ぶ。

 ――けて。

 かつて、ギランジュの相手をさせられた時に、救いを求めたように。
 理不尽な暴力を凌ぎながら、ハルシャは心の中に叫んでいた。

 たすけて――ジェイ・ゼル。

「さっさと吐いて楽になれ、ハルシャ・ヴィンドース」

 冷たい刑事の言葉に重なる様に、不意に扉が激しく打ち付けるように鳴った。
 ハルシャの襟首を掴む刑事が、はっと身を起こして扉へ視線を向ける。
「誰だ!」
 鋭く刑事が叫ぶ。
「邪魔をするな」

 その瞬間、衝撃音と共に扉が開かれ――
 ハルシャが呼び続けていた人が、姿を現わした。










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