気付いた瞬間、リュウジは無言で動いていた。
防犯カメラの映像が映し出されるモニター画面に向かう。
リュウジが何を目標にしているのか、ラゼルが素早く気付いたようだ。
行動を止めようとするかのように急にもがき始めた。
すぐに、彼は動きを止めた。
「大人しくしていろ」
金属が擦れるような声で、ケイバーが一層ラゼルの喉にナイフを押し付けている。
ちらりとラゼルの動きを視界の端に捕えてから、リュウジはモニターの前に素早く立った。
「ガルガー工場長。モニター画面を見せて下さい」
急かす口調で、工場長に依頼する。
工場の各所にある防犯カメラは、終日作動を続けている。
それは記録し続けられるが、ガルガー工場長はプライバシーの問題を考えてか、普段は画像を画面から消しているようだ。
コードを入れないと画面に画像が出ないような仕様になっている。
リュウジの言葉に工場長は動き、促されるままにコードを打ち込み、画面を立ち上げた。
大きなモニターに四分割で、各所の画像が映し出される。
「防犯カメラは、全部でいくつあるのですか」
「十六です」
リュウジの質問に、すぐに工場長が答える。警察にも尋ねられたのかもしれない。
「今は画像が流れているだけで、記録はしていないのですが……」
先ほど教えてくれたことを、再び口にしている。
「それは大丈夫です。工場長、画面を切り替えたいのですが――」
四分割の画面の中に、目的の場所のものを呼び出したかったのだ。
「ああ、それなら」
ガルガー工場長が、手元の白いボタンを押す。
「押すたびに、切り替わっていきます」
「ありがとうございます、工場長」
リュウジは、切り替えボタンを押し続けて、防犯カメラが睨む風景を探す。
三回目に押した時、画面の右上に開け放した金庫が映った。
そして、ジェイ・ゼルとナイフを喉に突き付けられるトーラス・ラゼルと。
この部屋が、画面に映し出されていた。
目的の画像を得て、リュウジは表情を引き締めた。
画像を食い入るように見る。
どの画像も右隅に、現在時刻が映し出されている。
それを確認する。
やはりそうだった。
確かめてから、リュウジは声を放った。
「工場長室のカメラの記録時間だけが、他のとは違います」
言葉が空間に響いた瞬間、ラゼルが暴れた。
逃げようとしたようだ。
すぐさまマシューとケイバーが動き、彼の両肩をそれぞれ床に押し付けるようにして拘束する。
「離せ!」
ラゼルの叫び声が聞こえる。
「ジェイ・ゼル。工場長室を映すカメラだけ、時刻が人為的に操作されています」
言葉に、ジェイ・ゼルが素早く近寄り、同じ画面を見る。
確認した瞬間、彼の目が大きく見開かれた。
リュウジは時刻を指さして、説明をする。
「他のカメラの表示では今は午後二時十三分ですが、この部屋だけ午後三時三十五分です。約一時間二十二分狂っています」
リュウジは視線を床に伏せられたラゼルに向ける。
「ということは、犯行時刻と思われた午前二時過ぎは、本当は午前一時前だった可能性が高いです。
そうなると、帰る前に犯行を行ったという、カイン・シーヴォウの話と合致します」
リュウジは顔を、側に立ち尽くすガルガー工場長へ向けた。
「工場長、一つ伺っても良いですか?」
どきっとしたように、工場長は顔をリュウジに向けた。
「な、なんでしょうか」
「あなたは昨夜、予備の鍵をトーラス・ラゼルに渡したとおっしゃいましたね」
「そうです」
「今朝、ラゼルはその鍵を出勤するとすぐに、返してきたと言いましたが……彼が戻してきたのはどこでですか?」
思いがけない質問に、少し驚きながら
「この部屋でです。出勤してすぐに金庫が開いているのを発見して、警察に連絡するとほぼ同時ぐらいに、ラゼルがここへ来て鍵を渡してきました。
現場を保全しなくてはならないと思って、部屋を出て廊下で受け取りましたが――」
と、思い出しながら答えてくれる。
なるほど、とリュウジは首を揺らした。
「今朝は、六時半過ぎに工場に出勤されたと伺いましたが、それは予定の行動だったのですか、工場長」
重ねられる問いに目を何度も瞬きながら、
「いえ。昨日の内にしておかなくてはならない仕事を思い出して、いつもよりも早く出勤しました。普段なら七時前に出勤しています」
と、ガルガー工場長が真面目に答えを返す。
「だとすれば、本来ならあなたの出勤までに、半時間の余裕があったはずだったのですね」
深く考えてから、リュウジは傍らに佇むジェイ・ゼルに告げる。
「本当は、その半時間の間に――トーラス・ラゼルは操作した時間を元に戻しておく予定だったのでしょう。
けれど予想に反して、ガルガー工場長が思いもかけず、早くに出勤していた。
警察がすでに呼ばれ、部屋が封鎖されしまった。おかげで画面をいじくる機会を失ってしまったのでしょう――痛恨のミスですね。ラゼル」
リュウジの言葉に反応したのか、ラゼルが微かに身じろぎした。
「ガルガー工場長が勤勉だったお陰で、ラゼルの仕掛けたからくりに気付くことが出来ました」
リュウジはジェイ・ゼルにむかって言葉を続けた。
「嘘を吐いているのは、トーラス・ラゼルです。カイン・シーヴォウは本当のことを話しています」
「違う!」
床に押さえられながら、ラゼルが叫ぶ。
「俺は何も知らない! 第一、金など持っていない! 工場を出る時の画像を見ればわかるだろう! 俺は鞄なんて持っていない! 俺と一緒に出た後、シーヴォウの奴はこっそり戻って窓から侵入したんだ!」
「窓は、部屋の内側から割られています」
リュウジはラゼルに向かって言葉を放った。
「ガラスは力を受けた方向へ飛び散ります。ガラス片はほとんどが外に散らばっていました。
つまり、力は中から外へ向けてかかったということです。
ガラスが割れていたのは、これも偽装です。
犯人が外から侵入したと見せかけるための――実際は、部屋の中からガラスは割られていたのです」
ぐっと、ラゼルは言葉に詰まった。
「だとしたら、シーヴォウがやったのだろう! 俺の目を盗んであらかじめ割っておいて、時間が来たら戻って中に忍び込んだんだ!」
リュウジの側を離れ、言い張るラゼルの元に、ゆっくりとジェイ・ゼルが動いて行った。
無言で歩む彼は、凄まじい迫力がある。
彼の側に佇むと、膝を折りラゼルの側に顔を寄せる。
「ガルガー」
視線をラゼルに向けながら、ジェイ・ゼルが工場長に問いかける。
「君は警察と一緒に、この場で行われた犯行を防犯カメラで確かめたと、そう、言っていたね」
「はい、ジェイ・ゼル様」
「その時、側には警察の他には誰がいたかな」
問いにちょっと眉を上げてから、ガルガーが答えを返す。
「工場からという意味なら、私だけです」
「なるほど」
呟いてから、ジェイ・ゼルは静かに言葉を続けた。
「なら、ラゼル」
問いが、ラゼルの上から降りかかる。
「どうして君は、金庫から盗まれた金が、鞄に詰められていたと知っているのかな?」
自分の落ち度に気付いた瞬間、ラゼルは暴れた。
逃れようともがくガルガーの襟首を掴むと、ジェイ・ゼルが強引に立たせた。
「お前がやったんだな、ラゼル」
真正面から睨みつけられ、言葉を失うトーラス・ラゼルの襟を締めるようにしてジェイ・ゼルが呟く。
「シヴォルトが立てた計画を、金欲しさにお前は実行した――」
低めた声でジェイ・ゼルが呟く。
「全てを、警察で話してもらおうか。ラゼル。拒むならこの場で殺してやる。
解るか。
二択だ。
警察で話すか、この場で始末されるか――
選べ、ラゼル」
灰色の瞳が、燃え上がるようだった。
「喋らないというのなら、私がこの場で喉を切る。
解るか、ラゼル。
お前は私を、怒らせた」
ぐっとジェイ・ゼルの手に力が籠り、みるみるラゼルの顔色が深紅に染まる。
「ぐがっ、はっ」
鈍い呻きに重ねるように、ジェイ・ゼルの声が聞こえる。
「今生きていることを、奇跡と思え。ラゼル――お前は、ハルシャを罪に陥れようとした」
息を吸おうと、必死にラゼルがもがきながら、呟く。
「は、話す……は、話します。ジェイ・ゼルさん」
懸命に言う言葉に、ジェイ・ゼルは目を細めた。
「金はどこだ」
まだ手を緩めずに、ジェイ・ゼルが問いかける。
「盗んだ金を詰め込んだ鞄だ。言え」
ラゼルは歯を食いしばった。
「そうか。言いたくないか――なら」
ジェイ・ゼルの目が底光りする。
「言いたくなるように、してあげようか。トーラス」
トーラス・ラゼルは、盗んだ金を工場から持ち出していなかった。
彼は、ハルシャが駆動機関部を作る時に使う、高温溶接施設に、鞄に入れた現金を隠していたのだ。
ハルシャ以外にそこを使う者がいないことを、逆手に取ったのだろう。
全ての真実を述べるまでに、彼の顔にはいくつかの痣が浮いていた。
現金の在り処へ案内する途中、逃走しようとし、裏口で待ち構えていたジェイ・ゼルの部下に手荒く取り押さえられていた。
現金の入った鞄の中には、まだ処分していなかった赤毛のカツラも入れらている。
工場長室に戻されたトーラス・ラゼルは、ジェイ・ゼルが用意した録音装置に向けて、全ての自分の罪を告白した。
やはり、計画を立てたのはシヴォルトだった。
当初の予定では、防犯カメラの映像をすべて消しハルシャの指紋を残す予定をしていたらしい。
だが、予定していた時刻にシヴォルトが現れず、計画は頓挫してしまった。
それでも借金に困るラゼルはどうしても、現金を手に入れる必要があった。
思いついたのが、誰かをハルシャに仕立てて実行させるというものだった。
カイン・シーヴォウが、仕事に残されたのは偶然ではなかった。
ガルガー工場長から、ハルシャの仕事の引継ぎを打診された時、トーラス・ラゼルが奴なら出来ると、名前を上げて推挙していたらしい。
それも全て計画だったのだ。
リュウジの考えていた通り、今朝時間を戻す予定をしていたが、ガルガー工場長の出勤が早かったために、計画が狂ってしまったらしい。
いつ、防犯カメラのことに気付かれるかと思うと不安で、彼は暴言を吐き続けていたようだ。
一通りの録音を終えて、ジェイ・ゼルは機械を停止させる。
わずかな沈黙の後、
「同じことを、警察でも喋ってもらおうか。ラゼル」
と、言いながら立ち上がった。
「ケイバー、ジェン、ダレッサ、ウィレム。君たちが護衛してラゼルを警察まで運んでくれ。
マシュー、アイゼン、スタッド、私と一緒にシーヴォウを乗せていく」
名を呼ばなかった部下へ、ジェイ・ゼルは顔を向けた。
「レグル。君はリュウジと警部を宿泊所まで送り届けてくれないか」
はっと、リュウジは表情を変えた。
「僕も一緒に行きます!」
ハルシャを助けるのなら、どうあっても同行しなくてはならない。
気迫を込めたリュウジの言葉に、ジェイ・ゼルは静かに首を振った。
「汚れ仕事に、君たちを巻き込むことは出来ない」
灰色の瞳が、自分を見ていた。
「君は、多くのものを背負っている。こんなところで不用意に厄介ごとに巻き込むことは出来ない」
ふっとジェイ・ゼルが笑う。
「ハルシャは必ず連れ戻すから、安心してくれ」
一瞬遠い目で彼が呟く。
「こうなったのは私の責任だ。始末は自分でつける。そのぐらいの常識はあるからね」
眼差しが、マイルズ警部に向かう。
「ご協力に感謝します、警部。ここから先は、私たちでします」
「ああ、解った。武運を祈っているよ」
「警部!」
あっさりと引いた警部に対して、リュウジは非難の声を上げた。
ふわっと、大きな手がかぶさる様にリュウジの頭を押さえる。
「ジェイ・ゼルさんの邪魔をしてはいけない。俺たちは大人しく待っていよう、な。坊」
ラゼルを運び出す部下を見送ってから、ジェイ・ゼルがリュウジに顔を向けた。
「協力に感謝する、リュウジ」
静かな笑みが彼の顔に浮かぶ。
「――憎まれることが私の仕事だ。君は、来る必要は無い」
そのまま彼は踵を返して歩き出した。
「あなたの事務所で!」
リュウジはその背に向かって叫んでいた。
「そこで僕たちは待っています」
足を止めて、振り向くことなくジェイ・ゼルが言葉を返す。
「どちらでも」
再び彼は歩き出した。
警察へ向けて、一筋に――
ハルシャを、助けるために。
「お送りします」
ジェイ・ゼルの部下にしては物腰の柔らかな、レグルと呼ばれた人が近づいてきた。
彼はマシュー・フェルズ同様、ジェイ・ゼルの部下の中でも重用されているような気がする。リュウジは人と人との関係性を見抜く目に長けていた。
「一つ、教えて欲しいことがあるのですが」
ジェイ・ゼルたちが去った工場に残され、不思議な寂寥を覚えながらリュウジは問いかけていた。
「ジェイ・ゼルは……ハルシャがこの工場でどんな境遇にあったか、ご存じだったのですか」
マシュー・フェルズの態度が気にかかっていた。
彼に直接尋ねようかと思ったが、答えを返してくれないような気がした。
だから、やり取りを知らないレグルに思わず訊いていた。
すぐに言葉が返ってこなかった。
「ジェイ・ゼル様は」
静かな声でレグルが答える。
「毎日、ハルシャ・ヴィンドースのご様子を、工場長のシヴォルトに尋ねていらっしゃいました。
一日が終わる前に」
不思議な深みのある、茶色の瞳を自分に向けながら、レグルが言葉を続ける。
「怪我はしていないのか、職場で困ったことはないのか、納期はどうなのか――いつも欠かさず。惑星トルディアを出られている時も、連絡だけはなさっていました」
彼は寂しげな表情で呟く。
「いつも、工場長の言葉に安堵されていたのを覚えています。
私が申し上げられるのは、それだけです」
リュウジは、目が見開いていくのを、止めることが出来なかった。
毎日――
ジェイ・ゼルは、シヴォルトにハルシャの様子を訊ねていた。
告げられた事実が、どうしようもなく胸を打った。
施された落書きを見たときの、ジェイ・ゼルの深く傷ついていた表情が、脳裏をよぎる。
毎日、彼は聞かされていたのだろう。
ハルシャは元気にやっている、仲間との関係も良好だと。
五年の間、ジェイ・ゼルはシヴォルトに欺かれてきたのだ。
何という悪意。
あれほど深く想いながら、守り切れなかった苦渋が、ジェイ・ゼルの顔に浮かんでいた。
同じ人を愛する身として、その事実がただ、しんと胸を打つ。
黙り込むリュウジの肩に、マイルズ警部の温かな手が触れた。
「行こうか、坊」
ぽんぽんと、肩を叩く。
「せっかくジェイ・ゼルさんが、俺たちを巻き込むまいとしてくれているんだ」
リュウジは視線を警部に向けた。
彼の優しいヘイゼルの瞳が、自分を映す。
「帝星の刑事が、虚偽を伝えたとあってはラグレン警察に顔が立たないと思って、坊の計画も変えてくれた。それが、彼の優しさだ」
そうだ。
結局、シヴォルトのDNA痕跡が出たと警部に言ってもらう前に、ジェイ・ゼルはラゼルから証言を引き出した。
それが、意図したものだと警部に言われて初めてリュウジは気付く。
笑みを深めて警部が呟く。
「待っていよう。大丈夫だ。彼ならきっと、ハルシャくんを連れて戻ってくる」
そこは疑っていない。
ただ。
どうしてこんなにも、胸の中が苦しいのだろう。
想いの深さに、心が揺さぶられるのだろう。
「警部」
ぽつんとリュウジは呟く。
「僕は、この世界のことを何も知らないような気がします」
ぽんぽんと、警部が肩を叩いた。
「奇遇だな、坊」
優しい声で、警部が呟く。
「俺もいつも、そう感じているんだよ――自分の存在はとんでもなくちっぽけだと、な」
温かな手が肩を包む。
「でも。それでいいんだよ、坊」
かつては、世界の全てを支配しているような気持ちでいたのに。
今ではひどく頼りない。
「サーシャちゃんと、ヨシノもどうなったか心配しているだろう。どれ、ジェイ・ゼルさんの事務所に戻って、朗報を待つことにしよう」
サーシャの名前に、はっと現実に立ち戻る。
そうだ。
彼女もきっと、兄の身を心配している。
「解りました、警部」
リュウジはやっと、工場長室から歩き出すことが出来た。
去り際に、約束していた通りに警察の封鎖を復帰させておく。
ガルガー工場長の見送りを受けて、レグルの運転する飛行車に身を預け進みながら、空を見つめる。
ラグレンの上に広がる空は、どこまで青く、澄み切っていた。