当初の予定では、聞き取りはカイン・シーヴォウとトーラス・ラゼルを入れ替えて、個別にすることになっていた。
だが、ジェイ・ゼルは流れから判断したのか、二人を同時に部屋に入れて、直接顔を突き合わせて話し合うことにしたようだ。
リュウジは、ジェイ・ゼルの行動を全面的に信頼した。
彼の交渉術は素晴らしい。
まさかカイン・シーヴォウの口から、自分の犯行の全容が漏れ出すとは思ってもみなかった。
恐らく、ジェイ・ゼルは意図せぬ犯罪に巻き込まれ、苦しんでいるシーヴォウの心の内を読み取ったのだろう。
体内に誤って飲み込んだ毒を吐き出すように、カイン・シーヴォウは手を染めた犯罪について懸命に語っていた。
一言も非難を浴びせることなく、ジェイ・ゼルはただ彼の言葉を受け入れている。
話し終えたカイン・シーヴォウは、まるで救われたようにジェイ・ゼルを見ていた。
ジェイ・ゼルの指示に、部下が素早く動いた。
扉が開かれ、廊下からケイバーに伴われて、しぶしぶラゼルが部屋に入ってきた。
ラゼルが入ってきた瞬間、シーヴォウは罪を告白した安堵を消し、途端に不安そうな表情を浮かべた。
青ざめた顔で、共犯者へ視線を向けている。
ジェイ・ゼルはまだ、カイン・シーヴォウの手首を捉えたままだった。
シーヴォウは嫌がるどころか、むしろラゼルから守ってもらうようにジェイ・ゼルの後ろに身を隠すようにした。
その動きを、ラゼルはじっと見つめる。
二人の様子から状況を読み取ったらしい。
不意に、トーラス・ラゼルの表情が険しくなった。
こいつ。
裏切りやがったな。
心の声が聞こえてきそうな顔で、彼はシーヴォウへ鋭い眼差しを向けた。
そのまま入り口に立ち尽くすラゼルの背後で、ケイバーが静かに工場長室の扉を閉じた。
「トーラス・ラゼル」
ジェイ・ゼルは、身を伸ばすとゆったりとした視線を、ラゼルへ向けた。
「カイン・シーヴォウから教えてもらったよ。君が今回の事件を全てお膳立てしたようだね。金庫を開くことも、ハルシャに罪を擦り付けることも、みな、君の企みだと」
直球の言葉を吐いて、ジェイ・ゼルは静かに微笑んだ。
「君が私の金を盗んだのかな。正直に教えてくれないか、ラゼル」
ラゼルの表情は動かなかった。
鋭い視線を、彼は一瞬虚空に向けた。
思慮を巡らしている表情が束の間彼の顔をよぎり、消えた。
不意に、ラゼルは高く笑いだした。
動こうとした部下を、ジェイ・ゼルは再び視線で制した。
好きなようにやらせておけ、と、灰色の瞳が語っている。
「ジェイ・ゼルさん」
ひとしきり笑ってから、喉を引きつらせて言葉を呟く。トーラス・ラゼルは顎を傾けて斜めにジェイ・ゼルを見た。
「そいつの言うことを真に受けて、俺を疑うんですか? ちょっと違うんじゃないですか」
ラゼルは片眉を上げた。
「俺は、こいつと午前一時まで作業をして帰った。それ以降、工場へ入っていません」
ちらっと、視線をシーヴォウに向けてからラゼルは続ける。
「警察から、犯行があったのは午前二時過ぎだと聞いています。その時間俺は、ラグレン市内の酒場で飲んでいました」
最強の切り札を賭場に投げ捨てるように、勝利を確信した顔で、ラゼルが続ける。
「シーヴォウと一緒に職場を出て、その足でサンガレナ地域にある馴染みの酒場に向かったんです。
午前二時前だったかな。
その店で一時間ほど飲んでいました。数人でカードをずっとしていたので、店に聞いてもらえば目撃者は、たくさんいるはずですよ。
離れた場所で飲んでいたのに、俺が午前二時に工場にいるはずがない」
サンガレナ地域とは、初めて耳にする地名だったが、ジェイ・ゼルの表情から察するに、ここからは遠いようだ。
ジェイ・ゼルは静かに喋り続けるラゼルを見ている。
「シーヴォウが俺を罪に陥れようとして、嘘を吐いているんだ。犯罪者の口車に簡単に乗ってしまうんですか、ジェイ・ゼルさん? そいつは頂けないな」
すらすらと、ラゼルが言葉を続ける。
「やったのは、そいつだ。俺には関係ない」
「トーラス!」
空間を切り裂くように、叫び声を上げたのはカイン・シーヴォウだった。
「貴様! 俺一人に罪を擦り付けようというのか! お前が持ちかけた話だろう! 卑怯だぞ!」
怒声を受け流して、ラゼルは口元を歪めた。
「証拠がどこにある」
顔を怒りに朱に染めるシーヴォウを、ラゼルの目が、上から下まで舐めるように見る。
「よく見ると、お前は背格好が奴に似ているな」
にやりと、ラゼルが笑う。
「大方、お前がハルシャ・ヴィンドースに偽装して犯行に及んだのだろう。防犯カメラに映っていたのは、お前か?
俺と別れてから、お前は一人で戻って金庫を開けて逃げたのだろう――度胸があるな。ジェイ・ゼルさんの金庫から金を盗むなんてな。俺は恐くてとてもそんなことは出来ない」
ラゼルは片頬を歪めた。
「勝手に嘘を撒き散らして、俺を巻き込まないでくれないか。俺は仕事をして帰っただけだ。そもそも金庫に現金があるなんてことすら、俺は知らなかった」
「トーラス! 貴様っ!」
カッとなって、シーヴォウがラゼルに殴りかかろうとする。
その動きを、手首をきつく掴んで、ジェイ・ゼルが止めた。
「確かに」
静かなジェイ・ゼルの声が罵り合いの間に響いた。
「二人の話は、食い違っているね」
手首を握られたまま、はっと、シーヴォウが驚愕に目を瞠りながら言葉を呟く。
「お、俺は、嘘を言っていません。トーラスが全部仕組んだことです。俺は――」
縋るように、ジェイ・ゼルを見つめる。
「奴に誘われただけなんです。信じて下さい、ジェイ・ゼル様」
灰色の瞳がカイン・シーヴォウを見下ろす。
「君たちの話が異なっていると言うことは、どちらかが嘘を吐いている可能性が高いね」
冷静な言葉に、シーヴォウが震え出した。
「信じて下さい、ジェイ・ゼル様。俺は、奴に乗せられただけなんです」
絞り出すような声を聴いてから、静かにジェイ・ゼルは微笑んだ。
「カイン」
なだめるような声で、名を呼ぶ。
「トーラス・ラゼルと話をする必要がある。すまないが、君は少し廊下で待っていてくれるかな」
さっと、シーヴォウの顔が青ざめた。
「お、俺は、奴に――」
「君が勇気をもって、話をしてくれたことはよく解っているよ。ただ私は、真実が知りたいだけだ。そのためには個別に話を聞く必要がある。解るね」
穏やかなジェイ・ゼルの物言いに、ゆっくりとシーヴォウが寄せていた眉を解く。灰色の瞳を見つめながら、崇拝するような色がカイン・シーヴォウの表情に浮かんだ。
「また後で呼ぶから、少し廊下で待っていてくれるかな。いいね、カイン」
手懐けられた犬のように、落ち着きを取り戻したカイン・シーヴォウが指示に従う。
ジェイ・ゼルはシーヴォウに部下のスタッドをつけて廊下に出した。
シーヴォウとラゼルはすれ違う時に、激しい視線を交わし合っていた。
見事だ。
リュウジはジェイ・ゼルの手腕に舌を巻いた。
彼は二人を確実に仲間割れさせた。
関係が脆弱なことを、素早く見抜いたのだろう。そこを攻めてジェイ・ゼルは二人の間に反発を生じさせた。
これで、シーヴォウは自分の罪を軽くするためだけでなく、裏切りの報復として、素直にラゼルの罪を警察で告白するだろう。
シーヴォウは落ちた。
後は、ラゼルだけだ。
「君は」
部屋に残されたラゼルに向かって、佇んだまま、ジェイ・ゼルが問いかける。
「カイン・シーヴォウが勝手に共犯者に仕立て上げようとしたと、言っていたね」
「そうです、ジェイ・ゼルさん」
強い口調で彼は言う。
「遅くまで残っていたのは、シーヴォウが言い出したことです。奴が初めから俺を陥れようとして仕組んだことだ。奴のたわごとを真に受けないでください」
何とかジェイ・ゼルを説得しようとしているのだろう。
口角に泡を飛ばしながらラゼルが力説する。
ジェイ・ゼルは眉を上げた。
「先ほどまで君は、ハルシャの犯行だと言い張っていたが――」
静かな笑みが浮かぶ。
「その考えが変わったのかな?」
一瞬言葉に詰まってから、ラゼルは笑いを顔に張り付かせて
「シーヴォウが俺を罪に陥れようとしたから、気付いたんです。俺は何もしていない――やったのは、奴です」
それだけでは、説得するには弱いと感じたのだろう、
「それに、盗まれた金のことなんて、俺は知りません」
と、慌てて付け加える。
「何なら、家を捜索してもらってもいいですよ。何も出てきませんから」
やけに自信を持って言い張っている。
ジェイ・ゼルは腕を組んで、じっとトーラス・ラゼルを見つめていた。
そわそわとラゼルが身を動かすほど長く、ジェイ・ゼルは沈黙を続ける。
「先程、君は言っていたね。ハルシャが犯人だと告げたときに」
不意にジェイ・ゼルが口を開き、話し始めた。
「ハルシャは金に困っていた。それで追いつめられて、私の工場から、金を盗むという暴挙に出たのだと――」
静かな表情で、ジェイ・ゼルは続ける。
「それは……君にも当てはまる言葉だね、トーラス・ラゼル」
心の間隙を突かれたように、一瞬、ラゼルは表情を失った。
彼の動揺を見つめながら、ジェイ・ゼルは淡々と告げる。
「犯行があった時刻、君は酒場で飲んでいて、カードをしていたと言っていたが、それはいつものことらしいね。
カードだけじゃない。君は賭け事を好んで、色々手を出してはかなりの負債を抱えているらしいじゃないか。
私たちの仲間内では常々負債者の情報を交換している。多重負債で逃げ出されても困るからね、健全な経営のためにも情報収集は欠かせない」
ふっと笑うと彼は呟く。
「知人の一人が君が背負っている借金について教えてくれた。
私も従業員の生活には気を配る義務があるからね、丁寧に総額を聞き出しておいたのだが――」
ラゼルの表情が凍る。
「相当な金額だった。しかも、取り立てがなかなか厳しいようじゃないか。違うかい?」
腕を組んでジェイ・ゼルが静かに呟く。
灰色の瞳が、動揺を隠せないトーラス・ラゼルへ射るように向けられていた。
「ハルシャに対して言った言葉――本当は、自分の現状ではなかったのかな? ラゼル。とても真実味があったよ。
だとしたら、金庫の金が喉から手が出るほど欲しかっただろう。
カイン・シーヴォウは実家暮らしで金には困っていない。
切羽詰まっていたのは、君だ。ラゼル。
違うかな?」
ぐっと手を握りしめてから、追い詰められた獣が反発するように、ジェイ・ゼルを睨むと彼は呟いた。
「それが、今回のことと何か関係が? 俺は……」
懸命に虚勢を張ったのだろう。
高飛車に呟いた言葉が、不意に途切れた。
ラゼルが息を飲む。
その首筋には、青鈍色に光る鋭利な刃物が押し当てられていた。
何の前触れもなくケイバーが動き、無礼な彼の言葉を罰するように、喉にナイフをあてがう。
ジェイ・ゼルは笑みを深めた。
「言葉に気を付けておくれ、ラゼル。私は気にしないが、部下たちは礼儀に厳しくてね」
目視出来ないほどの速さでケイバーがナイフを抜き、その刃先を正確にラゼルの頸動脈に押し当てていた。
「先程から、君の言動で苛ついているのだよ。私の質問にきちんと答えておくれ。
そうでないと、部下たちが行動に移ってしまう。警告はしたよ。
これ以上は自己責任だ。
いいね、ラゼル」
明確な脅しに、ラゼルの顔から汗が噴き出してきた。
瞬きを一つしてから、ジェイ・ゼルが問いかける。
「君は金に困っていた。そうだね、ラゼル」
「はい……」
ナイフを気にしながらラゼルが答える。
いきなり素直になった様子に微笑んでから、ジェイ・ゼルは質問を続けた。
「その調子だよ。では、本当のことを教えてくれるかな。
金庫から金を盗むように指示したのは君だね、トーラス・ラゼル」
ごくっと喉が動いてから、
「違います、ジェイ・ゼルさん」
と、汗を滲ませながら、ラゼルが言う。
「俺はやっていない。金も知らない――疑うのなら、家を捜索してください。俺は金を持っていない。金庫がどうやって開くのかも、俺は知らない。
それに犯行時刻には、俺は別の場所に居た」
魂から絞り出すように、トーラス・ラゼルが虚空に叫んだ。
「全部、カイン・シーヴォウがやったことだ。奴が金を盗んで、ハルシャに罪を被せたんだ。
信じて下さい、ジェイ・ゼルさん! 俺は無実だ!」
トーラス・ラゼルは、自分の身を守るためにあえてシーヴォウを巻き込んだのかもしれない。信じてくれと、懸命にジェイ・ゼルへ視線を向けるラゼルを見ながら、リュウジは考えていた。
生贄の羊として、彼はカイン・シーヴォウを選んだ。
金庫を開け、現金を盗み出した実行犯に仕立て上げるために。
トカゲが尾を切り逃げるように、いざとなれば全てをシーヴォウに押し付けて罪を免れるつもりだったのだろう。
防犯カメラに映っているのは、ハルシャに偽装した人物だ。
それは揺るがない。
トーラス・ラゼルの犯行だと確定するためには、犯行時刻のからくりと、盗まれた現金の二つを、彼に突き付けるしかない。
見破ることが出来ないと踏んでか、彼は賭けに高額投資するような顔で、ジェイ・ゼルの表情を見守っていた。
無実だと主張したことが、通るように、彼は歯を食いしばって、重い沈黙に耐えている。
どうして――
犯行時刻に、ラゼルは酒場に居たんだ。
いや。
そもそも、シーヴォウの言葉が正しいとすれば、犯行時刻は午前一時前のはずだ。
なのに、実際の犯行は午前二時に行われている。
カイン・シーヴォウが嘘を吐いているのか。
トーラス・ラゼルは関係なく、シーヴォウが一人で犯行を行ったのか。
それとも、指示だけしてラゼルは別れ、酒場に行き、残ったシーヴォウが金庫を開けたのか。
だが、シーヴォウは金庫に入った金は鞄に移し、それをラゼルが持ち去ったと言っていた。自分は午前一時過ぎに工場を出て、そのまま家に帰ったと。
嘘を吐いているのは、どちらだ。
カイン・シーヴォウなのか。
トーラス・ラゼルなのか。
それとも――二人とも虚偽の証言をしているのだろうか。
罪を逃れるために、必死に彼らは自分たちを煙に巻こうとしているのかもしれない。
先ほどの反目ももしかしたら、打ち合わせ済みのことで――本当は二人で協力して、口裏を合わせているのだろうか。
何が真実で、何が嘘なのか、解らない。
疑心が生じてくる。
全てが疑わしく感じられて、リュウジは眉を寄せた。
落ち着けるように息を吐くと、リュウジは部屋の奥で口を開ける金庫へ視線を向けた。
この金庫は、開いていた。
今と同じ状態で。
どうしてあらかじめ金庫が開けられていたのだろうという、最初に感じた疑問にリュウジは立ち戻っていた。
金庫が開いていなければ、発見を遅らせることが出来たはずだ。
だが、そうはしなかった。
犯人は、すぐに発見してほしかったのだ。
防犯カメラには、録画しておく期限がある。その期限が過ぎれば、過去の画像は消える。
犯人は防犯カメラに収められた映像を、見て欲しかったのだ。
はっと、リュウジは一つの事実に気付いた。
そうだ。
犯行時刻が午前二時過ぎだったと断定できたのは――
それが……。
防犯カメラに犯行が映っていた時刻だったからだ。