ほしのくさり

第189話  駆け引き-02





 振り向いて驚愕を浮かべたのは、シーヴォウではなく、トーラス・ラゼルだった。

 間髪入れず
「君は出ていいよ、ラゼル」
 とジェイ・ゼルが首を捻じ曲げるようにして、こちらを見るトーラス・ラゼルに言葉をかける。
「ああ、でも、ちょっと君にも聞きたいことが出来るかもしれない。どうかな。そう時間はかからないと思うから、廊下で待っていてもらおうか。
 ケイバー」

 ジェイ・ゼルは、先ほどナイフの名手だと告げた部下に声をかける。
 無礼なラゼルの物言いに、一番に反応していたのは彼だった。
 優しい声でジェイ・ゼルが告げた。

「ラゼルについていてくれないか。すまないが、私が声をかけるまで、廊下で待機しておいてくれ」
「解りました、ジェイ・ゼル様」
 低く、金属がこすれたような声で答えてから、ケイバーが動く。
 拘束に慣れているのか、容易くラゼルの腕を捕え、強い動きで促すように歩き出した。
 ケイバーに伴われ、問答無用でラゼルは工場長室の扉をくぐって出る。
 理解しかねて軽い混乱状態に陥りながら、ラゼルは連れ出された。
 その鼻先で、スタッドが扉を閉めた。
 静かになった部屋の中で、歩を進めようとした姿勢のまま、カイン・シーヴォウは固まっていた。

「カイン・シーヴォウ」
 柔らかい発音で名前を呼んで、ジェイ・ゼルが招く。
「机の前に戻ってくれないか。先ほど言いかけた話の続きを、聞かせてほしい」

 ぎこちなく身を動かして、何とかカイン・シーヴォウはジェイ・ゼルの指示に従った。
 怯えるシーヴォウに、努めて穏やかな声で、ジェイ・ゼルが声をかけた。
「先程君は、ハルシャのロッカーから録音装置が発見されたと教えてくれたね。
 その中に――何が入っていたのかな」

 音がしそうなほどカクカクした動きで、シーヴォウが顔を上げる。
「あ……」
 自分が何か、まずいことを口走ったことだけは理解しているらしい。
 不用意な一言が、経営者に疑念を抱かせたのだと、気付いたシーヴォウは瞳を揺らしながら、ジェイ・ゼルを見つめ続ける。
 瞬きを一つすると同じ問いを、ジェイ・ゼルは口にした。
「録音装置には、何が入っていたのかな? それで警察は犯行を確信したのだろう?」

 言葉が綱のように、カイン・シーヴォウの身を縛っているようだった。
「あ……工場長の、声です」
「ほう」
 間髪入れずジェイ・ゼルが問い返す。
「どうして、ガルガーの声が証拠の品になるのかな?」
 質問を投げかけられた瞬間、すっと、シーヴォウの視線が金庫の方へと向けられた。
 一瞬のことだった。
 だが、リュウジもジェイ・ゼルも、その動作を見逃さなかった。
「今、君は金庫を見たね」
 言いながら、ジェイ・ゼルは立ち上がった。
 彼は背が高い。
 それまでリラックスして座っていたために、目線が合っていたが、立ち上がると急に上から見下ろされるようになる。体躯のいいジェイ・ゼルは、そこにいるだけで妙な威圧感がった。
「どうして、君は金庫を見るのかな?」

 射すくめられたように、シーヴォウは動けなくなったようだ。
 軽く開いた目をジェイ・ゼルに向けたまま、固まり続ける。

「録音装置と、金庫と……どんな関係があると、君は思っているんだ。カイン・シーヴォウ。私は金庫の開け方を他に漏らすなと、工場長にいつも伝えているのだがね。ガルガーもそれを守っているはずだ。なのに」

 静かに呟きながらジェイ・ゼルが動き出した。
 机をゆっくりとまわって、カイン・シーヴォウの側へと歩を進めてくる。
「君は、知っているのかな? 声と金庫がどんな関係にあるのか」
 すっとシーヴォウの横を抜けて、ジェイ・ゼルは彼の背後へと歩んでいく。
 不意に、カタカタとカイン・シーヴォウの身が震え出した。
 微笑みながら動くジェイ・ゼルは、恐ろしい迫力があった。
 黒衣をまとった、悪魔そのもののようにも見える。

 真後ろに、ほとんど身を寄せるようにして、ジェイ・ゼルがたたずんだ。圧を感じるのか、シーヴォウが小刻みに身を震わせる。
 背後から顔を寄せて、ジェイ・ゼルがシーヴォウの耳元に言葉を告げる。
「ガルガーの声が、どうして証拠の品になるのかな? 教えてくれないか、カイン。君は何を知っているんだ」

 ブルブルとシーヴォウの身が揺れる。
「盗まれたのは、私の金だ。解るかな、カイン・シーヴォウ」
 優しい声で、ジェイ・ゼルがなおも耳元に口を寄せて呟く。
「我々は非礼を好まない。私の現金に手を付けた者は――代価をもって、贖《あがな》ってもらわなくてはならない。わかるかな、カイン。
 身体の一部か、それとも命か――」
 あからさまな脅しの言葉に、シーヴォウは青ざめていく。
 ふっと笑いの息を吐きながら、ジェイ・ゼルが言葉を続ける。
「私の金に手を付けると言うことは、それほどの大罪なのだよ」
 それなりの覚悟はあったのだろう。
 シーヴォウは震えながら
「警察は、ハルシャ・ヴィンドースの犯行だと、断定しています。ジェイ・ゼル様」
 と、懸命に言葉を呟く。
 そう言い張れと、ラゼルからきつく言われているのかもしれない。まじないを唱えるように、懸命にカインが言葉を口にする。

「君も、そう思うのかな、カイン」
 柔らかい言葉で、ジェイ・ゼルが囁く。
「は、はい。ジェイ・ゼル様」
 身を震わせながらカイン・シーヴォウは応えていた。
「そうか」
 ジェイ・ゼルは両手を上げると、背後から手を伸ばし、シーヴォウの腕から肩へと身を撫であげた。
 急に触れられたシーヴォウは、憐れなほど身をびくっと震わせた。
 ジェイ・ゼルはそのまま、彼の肩に両手を置き、微笑みを浮かべた。
「君は――」
 ジェイ・ゼルは、再び耳元へ口を寄せて囁く。
「ハルシャと背格好がよく、似ているね」
 肩を捕えられたまま、シーヴォウの表情が凍る。
「さっきから気になっていたのだけれど」
 ジェイ・ゼルが囁く声で続ける。
 右手を肩から離し、ジェイ・ゼルはシーヴォウの髪をすうっと指先で摘むように触れた。
「君の髪に混じる、この赤い毛は何かな?」

 明らかな驚愕を浮かべて、ジェイ・ゼルが触れた場所を、狂ったようにシーヴォウがはたく。

 その手首をジェイ・ゼルは、素早く掴んだ。
「何を、慌てているんだ、カイン・シーヴォウ」
 後ろを向かせるように、手首をひねる。
「そんなに恐いのか? 君がハルシャのふりをして、金庫を開けたことが露見するのが」
 上から見下ろしながら、ジェイ・ゼルが呟く。
「この工場の防犯カメラは優秀でね――画像を細密に見ていけば、すぐに解る。
 ハルシャ本人なのか、それとも、ハルシャに偽装した別人なのか――動き方も体形の差異も手に取るように明らかだ」
 思わせぶりに、手首を捕えている反対の手で、ジェイ・ゼルは再びシーヴォウの髪に手を触れた。
「君の髪に残る、この赤い毛を照合するまでもなく、ね」

 突然、カイン・シーヴォウが叫んだ。
 恐怖の声だった。
「お、俺は、頼まれただけです!」
 手首を掴んだまま、ジェイ・ゼルが問い返す。
「誰に、何を」
 はっと、カイン・シーヴォウが我に返った。
 大きく目を見開いたまま、ジェイ・ゼルを見つめている。
 言ってはならないと、気付いたのかもしれない。
 カタカタと身が再び震え出す。

 ジェイ・ゼルの眼が、シーヴォウを見下ろす。
「私から盗みを働いたものを、許すことは出来ない。解るかな、カイン・シーヴォウ」
 冷徹な声だった。
 恐れを隠そうともせずに、激しい呼吸をシーヴォウが繰り返す。
「消えたのは大金だ。私の頭領ケファルは、このような事態を喜ばれない――我々の流儀で、処罰を受けてもらわなくてはならない。
 身体の一部か命をもって、己の犯した罪を贖う。
 それが、我々の流儀だ。
 解っていて、犯人は私から金を盗んだのだろう――なら、当然の処罰だね」
 静かに、ジェイ・ゼルが呟く。

 手首を握られたまま、ガクガクとシーヴォウの身が震え続ける。
「だが」
 不意に語気を緩めて、ジェイ・ゼルが顔を寄せながら呟く。
「君が、誘われただけだというのなら、その処罰も軽くなる――もちろん、罪を速やかに告解すれば――その分も、軽減される。
 解るかな。
 どれだけの処罰で済ますことが出来るのかは……」

 灰色の瞳が、近い場所でシーヴォウを見つめ続ける。
 不意に目を細めて、ジェイ・ゼルが吐息のように囁く。

「君次第だ。カイン・シーヴォウ」

 まるで睦言のような甘やかな声で告げてから、ぞっとするほど艶やかに、ジェイ・ゼルは微笑んだ。

「教えておくれ。誰にそそのかされたのかな? 君が主犯でなければ罪はもちろん軽くなる。解るね、カイン」
 瞳を交わしたまま、耳元で言葉が滴る。
「全てを教えてくれたら、君のしたことを割り引いて考えよう。考えてご覧、どちらにつくのが得かな。カイン。
 我々なのか、君を罪に引き込んだ者なのか――答えはおのずと明らかだ」

 深い灰色の瞳が、巻き付くように相手を見る。
 息も忘れたように、シーヴォウはジェイ・ゼルへ視線を注ぎ続けていた。

「このまま黙っていれば、君も同罪と見なさざるを得ない」
 突然冷たい言葉で言い放ってから、ジェイ・ゼルは再び微笑んだ。
「けれど、君はそんな愚かな選択はしないだろう」
 優しい問いかけが、口からこぼれ落ちる。
「君を犯罪に巻き込んだ人は、誰か――たった一言で済む。ほんの少しの勇気で、君の未来は変わるんだよ。
 教えておくれ、カイン。誰が君に、卑劣な犯罪を持ちかけたのかな?」

 艶めいた視線が、カイン・シーヴォウの魂を絡めとっているようだった。
 魅入られたようにジェイ・ゼルへ視線を向けたまま、
「――トーラス・ラゼルです」
 と、ほとんど無意識にカイン・シーヴォウが、呟いた。
 自分が共犯者の名を告げたことにも、もしからしたら気付いていないかもしれないと思うほど、彼は一心にジェイ・ゼルへ視線を向け続ける。
 静かにジェイ・ゼルは笑みを深めた。
「そうか。彼に誘われたんだね」
 呟いた後、ジェイ・ゼルが目を細めてカイン・シーヴォウへ柔らかく言葉を吐く。
「詳しいことを、教えてくれないか」


 悪魔は――
 人々を堕とすとき、彼のように凄まじく魅力的なのだろう。
 リュウジは、カイン・シーヴォウの口から、真実を吐き出させるジェイ・ゼルを見つめながら考えていた。
 ハルシャといる時には、穏やかな笑みを浮かべる彼の、もう一つの顔を見たような気がした。
 意識を根こそぎさらわれるほど、ジェイ・ゼルは妖艶な笑みを浮かべて、犯罪を語る相手に眼差しを向けている。
 ジェイ・ゼルの灰色の瞳に囚われながら、カイン・シーヴォウは、自分が為した罪を語り続けていた。
 まるで魔術にかけられたように、半ば恍惚として犯行を告白する。


 ――昨夜。
 シーヴォウは不意にトーラス・ラゼルに犯行を持ち掛けられた。
 彼はハルシャ・ヴィンドースに対する不満を口にし、金庫の金を盗む罪をハルシャに擦り付ければ、自分たちの身は安全だと力説する。
 拒めばひどい目に合わせると言外に脅され、自分は従うしかなかった。
 その場で赤毛のカツラを被せられ、一人で工場長室へ忍び込み、音声録音装置を使って金庫を解錠した。
 金庫から盗んだ現金は鞄に詰め込んだ。
 ラゼルは鞄をシーヴォウから受け取ると、ハルシャの犯行に見せかけるために、彼のロッカーに録音装置を入れ、ロッカー室の窓も破壊するようにシーヴォウに指示して、姿を消した。
 しばらくしてラゼルは戻って来た。
 後で金を渡す、今は二人で帰ろうと言われるままに、工場を出た。
 そこでラゼルと別れて家に戻った。


 それだけの説明を、彼は口早に告げる。
 カインのすぐ側に顔を寄せて、ジェイ・ゼルは言葉に耳を傾けていた。

 リュウジはすぐに、彼の話の矛盾点に気付いた。

 ラゼルは帰ったのは午前一時だと言っていた。
 今のカイン・シーヴォウの話だと、ラゼルは帰る前に金庫を破ったと言っている。それだと、犯行時間は午前一時前のはずだ。
 けれど、ガルガー工場長が警察と防犯カメラを確かめた時、犯行が行われたのは午前二時過ぎだったと言っていた。

 おかしい。
 どうして、時間が食い違っているのだろう。

「話してくれてとても嬉しいよ。カイン」
 嫣然と微笑みながら、ジェイ・ゼルが呟く。
「そうだね。今回の事件の真相を、直接トーラス・ラゼルに確かめてみよう――君を犯罪に巻き込んだ男からね」
 すっと顔を離すと、まだシーヴォウの手首を取ったままジェイ・ゼルが口を開いた。
「スタッド。ラゼルを呼んでくれ」









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