ほしのくさり

第188話  駆け引き-01





 リュウジが思った通り、ジェイ・ゼルは事態を上手にさばいてくれた。
 安心して尋問を任せ、リュウジはひたすら二人の様子に注意を傾ける。

 工場長に先導され、トーラス・ラゼルとカイン・シーヴォウは部屋へやってきた。
 ジェイ・ゼルの部下二人に挟まれた状態だ。
 不測の事態に明らかにシーヴォウは怯え、対してトーラス・ラゼルは不遜ともとれるニヤニヤ笑いを顔に張り付かせている。

 ゆったりと工場長用の椅子に座り、足を組んでジェイ・ゼルは、入ってくる二人を見つめていた。
 警察の封鎖がこれほど早く解除されたのだろうか、と、トーラス・ラゼルが扉をくぐりながら、いぶかしそうに部屋の中へ視線を巡らす。
 対照的に、カイン・シーヴォウは縮こまって、床に視線を落とし続けていた。

 カイン・シーヴォウはハルシャと背の高さがほぼ同じだ。
 リュウジは見つめる自分の目線の角度で判断する。少し細身だが、髪色を変えれば遠目には彼で通るかもしれない。
 机に近づく二人を、リュウジは観察し続けていた。

「仕事の手を止めさせて、すまなかったね」
 穏やかな口調で、机を挟んで前に立った二人に、ジェイ・ゼルが言葉をかけている。
 部屋の隅に佇むリュウジの存在に気付き、ラゼルの顔に険悪なものがすっと現れた。
 ハルシャの友人がどうしてこんなところに、と語るきつい眼だ。
 彼の苛立ちを全面に受けながら、リュウジは表情一つ変えなかった。
 感情を露わにするラゼルに、穏やかな口調でジェイ・ゼルが問いかける。

「昨夜、私の工場から現金が盗まれたようだね」
 華々しく開いた金庫に目を向けてから、ジェイ・ゼルが二人へ視線を戻す。
「君たち二人が最後に工場を出たそうだが、少し、話を聞かせて貰えないかな」

 ジェイ・ゼルの言葉に、視線を雇い主に向けると、わずかにラゼルが眉を寄せた。
「そのことなら、もう警察にお話ししましたが、ジェイ・ゼルさん」
 どこか、高飛車な声でラゼルが言う。やけに強気な態度だ。
 ジェイ・ゼルは鷹揚に受け流しながら、言葉を続ける。
「警察に話したとしても、もう一度話してもらえるかな。何が起こったのかこの耳で聞きたいのだよ。解るかな」
 ジェイ・ゼルの眼が、真っ直ぐに心をのぞき込むように、ラゼルに据えられている。
 リラックスした態度を崩さずに、ジェイ・ゼルは言葉を続ける。
「この工場は私のものだ。管理下にあるものが、不当に扱われるのを私は好まない。現金が盗まれたのだからね――きちんと把握しておきたいのだよ。何が私の工場で起こったのかを、正確に、ね。
 二、三の質問に答えてくれるだけでいい。そう時間は取らせない。協力してくれるかな」

 穏やかな口調とは裏腹な底力のある深い声に、ラゼルは浮かべていた笑みを消した。見つめる灰色の瞳の中に、何かを読み取ったように、ごくりと唾を飲み込むために喉が動いた。
 目の前の男が『ダイモン』の幹部だと言うことを、ラゼルは改めて感得したのかもしれない。

 トーラス・ラゼルの一見強気な態度は、不安の裏返しだ――観察しながら、リュウジは心に呟く。
 彼は相当緊張している。
 今も逃げ出したいのを必死に抑えているのだろう。
 後ろで口を開ける金庫のことを、先ほどからずっと気にしていた。
 彼を追い込むために、犯行が行われた現場を尋問の場としてリュウジはわざわざ選んだのだ。
 ラゼルの動きを、リュウジは丹念に探り続ける。
 不用意に向けられた視線の先に、彼が隠しておきたいものが秘められている可能性が高い。

「解りました、ジェイ・ゼルさん」
 膝を屈するように、彼が言葉を絞り出した。
 にこっと、ジェイ・ゼルは微笑んだ。
「当事者に直接聞くのが、一番の近道だ。又聞きでは情報が歪む可能性がある。私は真実を知りたいんだよ。偽りではなくてね」
 ラゼルがジェイ・ゼルの言葉の真意に考えを巡らせる前に、ああ、と声を出して、ジェイ・ゼルは続けた。
「紹介しておこうかな。私の工場から盗難があったということで、帝星からお見えになった刑事の……マイルズ警部が同席して下さることになった。
 ご協力に感謝します、警部」
 最後はマイルズ警部へ顔を向けて、ジェイ・ゼルが言う。
 帝星からの刑事?
 と、トーラス・ラゼルが眉を寄せる。
 彼の記憶に、先日の違法な駆動機関部の時のことが浮かんだのだろう。はっと、ラゼルの表情が動いた。
「警部は犯罪のスペシャリストなので、我々が気付かないところも教えて頂ける。とても、ありがたいことだ」
 顔を戻しながら、ジェイ・ゼルがラゼルたちに向けて言葉を放った。

 帝星からの刑事、という言葉に、シーヴォウは敏感に反応していた。大丈夫だろうか、という危惧がその顔を駆け抜ける。
 ちらっと、カイン・シーヴォウがラゼルの表情を伺う。
 瞬間、リュウジの中で主犯と従犯の関係が確定する。
 間違いない。
 トーラス・ラゼルが主犯。
 カイン・シーヴォウが従犯だ。

 ジェイ・ゼルは、リュウジの依頼通りに、質問を重ねていく。
「まずは、君たちの名前を聞かせてもらえないかな」
 その言葉に、二人はそれぞれ、トーラス・ラゼルとカイン・シーヴォウと名乗る。
「そう、ラゼルとシーヴォウだね。
 二人は昨日、最後に工場を出たそうだが、残されていたのは三人だと工場長から聞いていたのだが、どうして二人だけ遅くなったのかな」
 それに、ラゼルが答えている。
「辞めたハルシャ・ヴィンドースの仕事を急遽引き継ぐことになり、二人で残って作業の手順を確認していました。次の日の作業をスムーズに進めるために、必要だと考えましたので」
 用意していたかのように、ラゼルが明確な言葉を述べる。

「それは、ありがたいことだね」
 悪びれなく、ジェイ・ゼルがさらりと礼を口にする。
 微笑みすら、その顔に浮かんでいる。
 こういう時の彼はひどく魅力的になる。今も笑顔に魅せられたように、ラゼルの言葉が滑らかになっていた。
 何時に帰ったかという質問にも、素直にラゼルが答える。
 午前一時前。先に帰ったレン・バフェットから遅れること一時間弱で、自分たちはきちんと戸締りをして帰ったと告げる。
 警報機も作動しているのを確認した、と、問わず語りにトーラス・ラゼルは付け加えていた。
「二人で帰ったんだね」
「はい」
 ジェイ・ゼルの質問に、すらすらとトーラス・ラゼルが答え続ける。
 その間、カイン・シーヴォウは黙って視線を床に落とし続けていた。
 なるべく自分の存在に気付いてほしくない、というように、沈黙している。

「その時には、何も異変はなかったのだね」
 ジェイ・ゼルの穏やかな口調に、単に状況を聞き取りたかっただけなのだという、安心感がラゼルの顔に広がっていく。
 恐怖の裏返しだった言葉の尖りを引っ込め、彼はごく素直に質問に返している。
「はい。いつもと同じでした」
「そうか。では、最後の質問になるが――現金を盗んだのは、正直、誰だと君は考えるかな」
 ラゼルが口を開こうとした瞬間、ジェイ・ゼルは質問を投げかけた相手の名を呼んだ。
「カイン・シーヴォウ。君は、どう思う」

 ぎくっと身を強張らせてから、彼は反射的にトーラス・ラゼルへ視線を向けた。
 音がしそうなほどぎこちなく、シーヴォウは視線をジェイ・ゼルへ向けた。
「お、俺ですか」
 にこっと、ジェイ・ゼルが笑う。
 リュウジから見ても、とても魅力的なジェイ・ゼルの笑みだった。
「そう、君だよ。カイン・シーヴォウ。君の意見を聞かせてくれないか」
 うろたえながら
「け、警察からは、ハルシャ・ヴィンドースの犯行らしいと、聞いています」
 と、シーヴォウが上ずった声で返す。
「ほう」
 ジェイ・ゼルは静かに呟いた。
「警察が、そう言っていたのかな?」
「――はっきりとは聞いていませんが……ロッカーからも証拠の品が、出た、と」
「証拠の品、とは、どんなものかな?」
「あ、あの……録音装置、らしい、ですが」
「録音装置?」
 初めて耳にしたというように、盛大に眉を上げてジェイ・ゼルが問いを返す。
「どうして、録音装置が証拠になるのかな?」
「そこに――」
 カインが言いかけた途端
「俺も、ハルシャ・ヴィンドースだと思います」
 と、急にトーラス・ラゼルが会話に割って入った。

 視線を自分に引き付けてから、彼は口を再び開いた。
「急に仕事を辞めたのは、犯行後の行動を掴ませないためだと思います。あらかじめ現金を盗むことを想定して辞めたのでしょう。あまりにも急な離職でした。俺たちに何の説明もなく――」
 ちらっと、ラゼルが工場長を見る。
「仕事も途中でした。引継ぎに俺たちが苦労しているのは、そのせいです。今回の事件は、ハルシャ・ヴィンドースが企んだことだと、俺は確信しています」
 ハルシャの辞職がとんでもない悪行であるように、ラゼルは強い言葉で言い切る。
 ジェイ・ゼルは、一つ、瞬きをした。
 短い沈黙の後、
「ハルシャの行動で、これまでに、何か犯行を匂わすようなことはあったのかな」
 と、ラゼルに水を向けるように問いかける。
 ちょっと口ごもってから、彼は答えた。
「奴は金に困っていました。それで追いつめられて、ジェイ・ゼルさんの工場から、金を盗むという暴挙に出たのだと思います」

 ゆっくりと、ジェイ・ゼルが瞬きをする。
 何かを言いかけたが、その言葉は飲んで、ジェイ・ゼルは笑みを浮かべた。
「なるほど」
 短い呟きが、形のいいジェイ・ゼルの唇から漏れる。
 魅惑的な微笑みが、彼の端正な顔に浮かぶ。
 だが。
 リュウジはその眼が笑っていないことに気付いた。
 灰色の瞳は冷静に二人を見つめ続けていた。

「ご質問は、それだけでしょうか、ジェイ・ゼルさん?」
 最初のつっけんどんな物言いに戻って、ラゼルがジェイ・ゼルに問いかける。
「出来れば、仕事に戻りたいのですが……」
 この場から逃れるための言い訳のように、トーラス・ラゼルが言う。

 懸命に虚勢を張っているが、額からは汗が滲み、目が泳いでいた。
 強気に出ないとぼろが出るとでも思っているように、人を喰ったような物言いでジェイ・ゼルへ向けて話す。
 ラゼルは見えていなかったが、彼の背後でジェイ・ゼルの部下達がぴくりと反応していた。
 ボスに対して無礼な態度だと感じたらしい。
 ジェイ・ゼルは目線だけで、部下の動きを制した。
 それ以上部下が何もしないのを確かめてから、ジェイ・ゼルが机の上に置かれていた資料に指先で触れる。ガルガー工場長が置いていたものだ。数字が羅列された資料の角度を、机に真っ直ぐになるように直しながら、彼は口を開いた。

「君たちが仕事を終えて工場を出たのは、午前一時過ぎ。その時には不審な人物はいなかった、という訳だね」
 机に目線を向けたまま、ジェイ・ゼルは彼の証言をまとめて、問いかけた。
「そうです、ジェイ・ゼルさん」
 ラゼルは、力強く頷いて肯定する。

 ふっとジェイ・ゼルが、口角を上げて笑みを浮かべる。
「協力に感謝するよ、トーラス・ラゼル。後でもう少し聞きたいことが出来るかもしれないが――仕事が忙しいのだろう。もう、退出していいよ」
 微笑みながらかけられたジェイ・ゼルの言葉に、あからさまにラゼルが安堵する。
「解りました、ジェイ・ゼルさん」
 と、軽く会釈のように頭を下げる。
 踵を返して出て行こうとするラゼルの背を、カイン・シーヴォウも同じように礼をして追おうとした。

「ああ」
 漁網を投げるように、彼は言葉をやんわりと空間に吐いた。
「君は、残ってくれないか、カイン・シーヴォウ。もう少し、聞きたいことがある」




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