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突然姿を現わしたジェイ・ゼルに、ガルガー工場長は、慌てふためいていた。
「ジェイ・ゼル様!」
部下を従え、ゆったりと歩を進めるジェイ・ゼルに、ガルガーは駆け寄ってきた。
エントランスを入ったところで、来訪者に気付いた職員が工場長を呼びに行ったのだ。入り口近くにガルガー工場長はいたらしい。
数分もせずに、走って来た。
「少し、訊きたいことがあってね」
エントランスで足を止めて、ジェイ・ゼルが工場長に言葉をかける。
静かな問いかけだったが、憐れなほどガルガーは顔色を変えていた。
目を細めて、ジェイ・ゼルがその顔を見守る。
「私が言わなくても、何かを君は、解っているようだね。ガルガー」
工場長の足が、微かに震え出す。
「――申し訳、ありません。ジェイ・ゼル様」
ふっと息を吐くと、ジェイ・ゼルは、語調を変えずに言葉をかける。
「話を聞かせてほしい。一体、私の工場で何があったのかな、ガルガー」
さらに顔が青ざめ、身を震わせながら、
「お知らせするのが、遅くなって申し訳ありません。
金庫に保管していた現金が、今朝、盗まれているのを私が発見いたしました。昨夜の内に盗難に遭ったようです」
と、苦しげな言葉でガルガーが説明をする。
「すぐに、警察に連絡をしたのですが――警察の方の方針だとかで、ジェイ・ゼル様へのご報告を、止められておりました。工場はそのまま動かしていいとのことだったので、作業は行っていたのですが、現金はまだ、発見されていないそうです。大変な損失を――」
責任を感じているようだった。
工場長の様子を見つめてから、静かにジェイ・ゼルが首を振って彼をねぎらった。
「工場を任された身として、非常事態に対応してよく事態を捌いてくれたね、ガルガー」
柔らかな語調に、ジェイ・ゼルが別段とがめていないと感じたのだろう。
ガルガーは、伏せていた視線を上げた。
口角を上げて微笑みを見せると、ジェイ・ゼルは問いを口にした。
「警察はそんなにすぐに、犯人を特定できたのかな?」
ジェイ・ゼルの言葉に、
「工場長室の防犯カメラに、犯人の姿が映っており――警察はその画像を確認し、すぐに被疑者の逮捕に向かったようです」
と、ガルガーが答える。
「迅速な対応だね。その犯人というのは?」
さらりと問いかける言葉に、ちらっとガルガーがリュウジを見てから
「ハルシャ・ヴィンドースです」
と、わずかに口ごもりながら、答えた。
ジェイ・ゼルは、静かに瞬きをした。
語調を変えずに、彼は再び問いかける。
「映像だけを証拠として、ハルシャの犯行だと、警察は結論を下したのかな?」
工場長が首を振った。
「ハルシャ・ヴィンドースのロッカーに荷物が残されていたのですが……そこに、私の音声が記録された、スティック状の録音機がありました。
金庫を解錠するパスワードが入ったものです。
それを証拠として――警察は、ヴィンドースを犯人と決定づけたようです」
ハルシャのロッカーに、録音装置が入れられていた。
やられた。
瞬間、リュウジは表情を引き締めた。
わざと犯人は、ロッカーに証拠の品を入れていったのだろう。
間違いない。
ハルシャのロッカーの位置を知っている人物が、実行犯だ。
ますます内部の人間の犯行だと言う確信を、リュウジは深める。
「現金が盗まれたのは、昨日の夜だと言ったね」
ジェイ・ゼルの声は、穏やかだった。
次第に落ち着きを取り戻したガルガーが、明瞭に答えている。
「はい。夜、帰る時には金庫に異常はありませんでした」
「君が帰ったのは、何時かな?」
「昨日は――」
また、ガルガーがちらっとリュウジを見る。
「辞めたハルシャ・ヴィンドースの仕事を、別の者たちに引き継ぐために、深夜まで作業をしておりましたので――後始末をして、工場を出たのは午後十三時ぐらいだったと思います」
「なるほど」
言葉を切ってから、ジェイ・ゼルが問いかける。
「君が、昨日は最後に工場を出たのかな?」
「いえ。まだ職員が数人残っていました。彼らが――工場を閉めて帰ることになっていました」
すっと、ジェイ・ゼルが視線をリュウジに滑らせてくる。
彼は自分との言葉を忘れずに、質問をしてくれている。
「では」
視線を工場長に戻しながら、ジェイ・ゼルが質問を続けた。
「君より後に帰った者の名前を、教えてくれないか」
うなずくと、ガルガー工場長は答える。
「残っていたのは、レン・バフェットと、カイン・シーヴォウ、トーラス・ラゼルの三人です。彼らを、ヴィンドースが行っていた駆動機関部の作成に当たらせるつもりでした」
ガルガー工場長が、自分が思っていた名を口にした時、リュウジは微かに目を細めた。
視線を床に落として、考え込む。
「彼ら以外には、居なかったのだね」
「はい。自分が工場を去ってから、間もなく三人も帰っています。警察が押収していますが、外の防犯カメラに、帰宅する三人の姿が映っていました」
そのやり取りを聞いていたリュウジは、素早く顔を上げて、問いかけた。
「帰ったのは、三人一緒にでしたか。工場長。防犯カメラの映像を思い出して、答えて下さい」
突然リュウジが口を挟んできたことに、ガルガー工場長が驚きを露わにする。
リュウジを見てから、戸惑った視線を、ジェイ・ゼルへ向けた。
穏やかな口調を崩さずに、
「彼の質問に、答えてくれないか。ガルガー」
と、ジェイ・ゼルが答えをうながす。
視線を、ジェイ・ゼルとリュウジの間にせわしなく行き来させた後、
「いえ。最初は、バフェットが一人で出てきて、暫くしてから、シーヴォウとラゼルが帰りました」
と、まだ困惑したように言う。
「バフェットとラゼルたちの時間差はどのぐらいですか?」
畳みかけるようなリュウジの言葉に、ガルガーが首を振る。
「警察は画像を早送りして見ていたので、実際の時間差は解りませんが、結構間があったように思います。次の日の作業の段取りをしていたのかもしれません」
答えに、リュウジは眉を寄せて、考え込む。
残っていたのは、三人。
一人が先に帰り、二人が後になった。
ふっと顔を上げて、再び問いかける。
「工場の鍵は、誰が持っていたのですか」
「帰り支度が遅くなるからと言ったので、ラゼルに預けました。予備のものです。今朝、出勤と同時に、私に返してきました」
鍵は、ラゼルが持っていた。
情報を刻む。
「鍵の予備はいくつあるのですか」
「一つだけ――オリジナルは、私が持っています」
リュウジは、答えるガルガー工場長を見つめる。
オリジナルと予備一つ。
鍵は、二つだけ。
「今朝、最初に工場に来たのは、誰ですか」
「私です」
ガルガーが明確な言葉で答える。
「朝の六時半前過ぎに。工場を開けて、最初に工場長室に入り、金庫が荒らされているのを発見しました。
そこで、すぐに警察に――」
不意に、申し訳なさそうに眉を寄せ、ジェイ・ゼルへ視線を向ける。
「情報が漏れて、ハルシャ・ヴィンドースが逃亡してはいけないと言うので、警察が工場内に緘口令をしいていました。
ご報告が遅くなって申し訳ありません」
重ねて詫びを口にする。
サリオン・ガルガーは真面目な人柄だった。
「警察が来てから、どんな捜査が行われたのですか?」
リュウジが問う言葉に、ガルガーが答える。
警察は、鍵の所在を聞き、ガルガーとラゼルが持っていたことを確認する。
彼らはラゼルたちにも話を聞き、夜帰る時には、異常はなかったと聞き取りをしたようだ。
金庫を睨む防犯カメラの存在に警察は気付き、データを確認し始めた。
すぐにガルガー工場長が呼ばれ、一緒に画像を見せられる。
そこには、深夜二時過ぎに、工場長室に忍び込む、赤毛の青年の姿が映っていた。
忍び込んだ青年は録音装置を使い、スムーズに金庫を開けた。
その後、手にしていた鞄に現金を詰め、金庫を放置して逃走した。
この人物に、見覚えが無いかと、警察が聞いてくる。
ガルガー工場長は、昨日付で仕事を辞めたハルシャ・ヴィンドースに髪の色が似ていると告げた。
警察官たちは、その言葉に確信を得たようだった。
すぐさま、ハルシャ・ヴィンドースのロッカーと、作業を行っていた場所が調べられた。
警察の一人が、ロッカーからスティック状の録音装置を発見し、再生してみたところ、ガルガー工場長の声で、パスワードが記録されていた。
動かぬ証拠を手にして、警察たちは色めき立ったようだ。
犯人は、そのロッカー室の窓を破壊し、侵入している。
防犯カメラの死角となる場所を選んだようだ。
侵入に当たって、警報機も切られていた。
ロッカー室は簡易な建物で、廊下で工場と繋がっている別棟だった。繋ぐ細い廊下を抜けると、工場長室はすぐだった。
警察は事実を確認すると、現場写真を取り、工場長室を立ち入り禁止にした。
工場内の全ての防犯カメラの映像を押収してから、警察はハルシャ・ヴィンドースの逮捕に向かったと、ガルガー工場長は答えた。
「つい先ほどまで、警察の方が二人いらっしゃったのですが、何か動きがあったようで、現場に触らないようにと言い置いて、戻られました」
ハルシャが逮捕されたからだ。
リュウジは無言でガルガーの説明を聞いていた。
窓を割って侵入しておきながら――金庫を開けるのに使った録音装置を、自分のロッカーにわざわざ残していく犯人などいない。
ハルシャを罪に陥れようという悪意に満ちた手段だ。
そんな見え透いた手口を疑うこともせずに、ラグレン警察はハルシャを逮捕したのだ。
実行犯の、思うがままだ。
何と杜撰な調査しかしないのだろう。
怒りが湧き上がる。
両手を強く握りしめて、リュウジは凶暴な衝動に耐えた。
マイルズ警部が、横で静かに吐息をつく音が聞こえる。
同じことを、警部も考えているのだろう。
「なるほど、状況はよく解ったよ」
穏やかに言ってから、ジェイ・ゼルは言葉を続けた。
「一度、盗まれた現場を見せてくれるかな。この眼で確かめたいことがある」