ほしのくさり

第183話   秘された事実-02






 再び、心臓が、痛んだ。

「ヴィンドース家の家族四人をまとめて始末しなかったのは、下手に親戚に遺産が渡れば、知恵の回る大人が阻止してくるかもしれないと考えたからでしょう。
 あなたの頭領ケファルは実に賢い。
 世間知らずの幼い二人の子どもなら、簡単に言いなりになると判断したのでしょう。彼らは、世間の荒波にあったことのない、実に素直で御しやすい存在です。
 何も知らない彼らから、あなたは全ての資産を巻き上げた。食堂のスプーン一本に至るまで、一切合切を、奪い去った――」

 無言のまま、ジェイ・ゼルはマイルズ警部を見つめる。
 そうだ。
 それが、自分が命じられた仕事だった。

「遺児たちが妙な考えを持たないように、あなたを監視役につけ、ラグレンで最底辺での生活に甘んじさせ、反抗せぬように注意深く扱う。
 それが現在、第三段階です」

 ジェイ・ゼルは視線を落とした。
 当初、二人は『アイギッド』へ連れて行かれるはずだった。
 自分の懇願に折れる形で、ここに留め置くことを頭領ケファルは許可をしてくれたが――裏でラグレン政府との何らかの密約が、あったのかもしれない。
 ヴィンドース家の人間は、ラグレン政府にとって、邪魔な存在だった。
 そう考えると、二人をラグレンに留めるに当たって、どうしてあれほど厳しく監視するように申し置いたのかが、納得できる。
 『アイギッド』で軟禁状態に置く代わりに、自分はラグレンで二人を監督するように命じられたのだ。
 決して反抗しないように。
 そうだ。
 警部の言う通りだ。
 憶測かもしれないが――彼の言葉を是とすると、全ての説明がつく。
 なぜ頭領ケファルが、ハルシャが自分にとって危険だと、あれほど言い切ったのかも。
 ハルシャの存在は、ラグレン政府にとって脅威だった。
 その事実を、イズル・ザヒル様は御存じだったのだ。
 知りながらも、自分との関係を許してくれていたのだろうか。
 ハルシャを求めずにはいられなかった、自分の気持ちを尊重してくれて――
 自分にも妙な動きをさせないために、賢明な頭領ケファルは、事実を耳に入れなかったのかもしれない。

 ジェイ・ゼルは、再び視線を上げた。
 鋭敏な警部は、自分が話を理解したことを察したようだ。
 静かな笑みが彼の顔に浮かんだ。

「五年間。イズル・ザヒルの体面もあってか、ラグレン政府はハルシャ・ヴィンドースに手を出してこなかった。彼らは『ダイモン』の大切な資金源だ。あなたが厳重に守ってきたのもあるのでしょう。
 ですがハルシャ・ヴィンドースは、ここラグレンでの成人の年齢を迎えた。彼の存在が、やはりレズリー・ケイマンは目障りだと感じ始めたのかもしれません。
 前回のスクナ人を動力源とする駆動機関部を作らそうとしたのも、彼を陥れる一環です 
 レズリー・ケイマンにはハルシャ・ヴィンドースの存在を恐れている。
 政府組織を動かし、彼を抹殺しようとしている。
 罪状をでっち上げ、ハルシャ・ヴィンドースを刑務所に入れることが出来れば、彼らの勝利です」
 ふっと視線を虚空に向けて、警部が呟く。

「刑務所は、世間から隔離された密室です。中で何が起こっているのかは、外部に漏れない。そこで不慮の事故で収容者が一人死んでも――情報は秘匿《ひとく》されます」
 呟きが、宙に溶ける。
 ジェイ・ゼルは怒りに我を忘れないように、瞬間、全神経を傾けた。

 こめかみが、強く脈打っている。
 まさか。
 ハルシャの命が狙われているなど――ありえない。
 一体彼が、何をしたというのだ。
「大体のことは理解出来た」
 硬い声が自分の口からこぼれていた。
「警部のお考えでは、真犯人を突きだせば、ハルシャは助けられるのか」

 全身が脈打つようだ。
 自分がハルシャの両親の死に手を貸していたという事実が、胸を抉り続けていた。
 何も知らずに自分は、ハルシャを抱いてきたのか。
 彼の両親の血に濡れた手で――
 自分の放つ言葉すら、上手く聞こえない。

「可能性はあります」
 マイルズ警部の声がする。
「先程、あなた方が危惧されていたように、ハルシャくんが強制された自白をしない限り――残念ながら、自白は何よりも強力な立件材料となります」

 意識を懸命に現実に引き戻す。
 急がなくてはならない。
 ラグレン警察が手荒い手法をよく使うのは有名だ。
 焦りが内側を焼く。
 ハルシャは――身体的な暴力を受けたことが無い。
 手練れの警察に、どんな痛みを与えられるかと考えるだけで、全身の血が沸騰しそうだった。

「――実行犯は、工場内部の人間です」
 不意に、空間を切り裂くように声が響いた。
 リュウジだった。
 ジェイ・ゼルは額に薄っすらと汗を浮かせながら、彼に視線を向けた。
 話をすべて聞いていた彼は、目から険を消して、静かに自分を見つめていた。

「ハルシャを良く知る人物が、罪を被せようとしているのです。
 ジェイ・ゼル。
 事前に連絡を取らずに、このまま工場へと参りましょう。
 あなたの部下を貸してください。
 工場を封鎖し、誰も出さないようにします――警察が引き上げていないといけませんから、警部の部下をお借りしては、角が立つかもしれません。時間も惜しい。
 今回のことは、工場の経営者であるあなたが、事実を確かめるために来た、という理由をつけましょう。
 ハルシャが警察に逮捕されたことで、実行犯は油断しています。
 そこを、突きます」

 リュウジの藍色の瞳が、真っ直ぐに自分を見つめる。
「金銭が盗まれたのです。本来なら経営者であるあなたに、一報があってもしかるべきでしょう。ですが、ガルガー工場長から何も連絡がないのは、警察が口止めしているのだと思います。
 ラグレン警察は、あなたに知られたくなかったのです。
 知ればあなたがハルシャのために動くことが解っていますから。
 ハルシャを自白に追い込み、罪状を認めさせるまで、あなたに動いてほしくないという意図が見え見えです。逆に言えば、それだけ証拠が脆弱だと言うことです。勝機はあります」

 明確な言葉に、不思議とジェイ・ゼルの中の焦りが、静まっていった。
 見かけは二十歳を少し過ぎたほどの青年なのに、リュウジは妙に老成した雰囲気を持っている。
 彼の力を借りることが出来れば、ハルシャを助けることが出来るような予感がする。
 もしかしたら、自分はリュウジを信頼し始めているのかもしれない。

 少し言葉を切ってから
「クラハナの工場では、どのような形で金銭を保管していますか?」
 と、考えながらリュウジが問いかける。
「工場長室の金庫でだ」
「どのような形式で開錠するのですか? 指紋認証ですか? それとも網膜認証……」
「いや。音声認識だ。それとパスワードを設定している。言葉は、十日ごとに変えるように指示してあった」
「シヴォルトから工場長を引き継いだ時、当然音声認識の設定は、変更したのでしょうね」
 顎に手を当てて、独り言のようにリュウジが呟く。

 会話を交わしながら、ジェイ・ゼルはふと、気付く。
 リュウジの、問いかける言葉が柔らかだった。
 責めるような雰囲気が消え、協力を求める色を帯びている。
 彼の中で、自分に対する何かの認識が変わったような印象を受けた。
 穏やかなリュウジの言葉に、ジェイ・ゼルは頷きで応えた。

「シヴォルトからは、異動を伝えた次の日に認証等の変更を行うと聞いていた」
「そうでしたか」
 ジェイ・ゼルの話に、リュウジは一瞬黙り込む。
「シヴォルトから、ガルガーに工場長が変更になったのは五日前ですね。だとすれば、二日目シヴォルトから引継ぎを受け、音声認証の設定を変更したとして、七日。まだ、パスワードは変更されていないと考えても大丈夫そうですね」
 リュウジは、凄まじい速度で物事を考えている。
「今回、金庫の音声認証を破られたのは、誰かがガルガー工場長の音声を記録していて、それを使ったと考えることが妥当でしょう」
 リュウジの眼がジェイ・ゼルをみつめる。
「前回の駆動機関部の事件は、シヴォルトが噛んでいました。今回のことにも、彼が関わっていないとは言い切れません」
 真っ直ぐな目が、自分を射る。
「音声認証時の声とパスワードを、ガルガー工場長に不審を抱かせずに録音できる人物――それは、前任者として引継ぎを行った、シヴォルトである可能性が一番高いと思います」
 言葉を切ると、語気を強めてリュウジは言葉を放った。
「彼は、意図をもって引継ぎの時に、ガルガーの音声を録音しておいたのでしょう。シヴォルトがハルシャに罪をなすりつける計画をあらかじめ立て、誰かに協力を仰いでいた可能性も否定しきれません」

 シヴォルト、が。
 ジェイ・ゼルは額に手を当てた。
 死しても、人の悪意は残るのだ。
 打ちのめされるジェイ・ゼルの耳に、静かなリュウジの声が響いた。

「シヴォルトに近く、ハルシャに対して悪意を持つ人物なら、僕は心当たりがあります。
 あなたの部下を貸してください、ジェイ・ゼル。
 必ず、実行犯を見つけ出します」

 強い言葉でリュウジが言い切る。
 ふっと笑うと、ジェイ・ゼルは部屋に備えている緊急招集のサイレンを入れた。
 音が聞こえる範囲に居る部下は、全ての作業を止めて事務室へ来ることになっている。
 数度鳴らして、ジェイ・ゼルは切った。
「すぐに、皆が来る」
 穏やかな藍色の瞳を、見つめる。
「いいようにしてくれ、リュウジ」

 彼が静かに微笑んだ。
「ありがとうございます、ジェイ・ゼル」

 一瞬視線を落としてから、ジェイ・ゼルは踵を返した。
「行こう」
 自室から、事務所へつながる扉を開ける。
 部屋の中にはすでに、数人の部下が顔を揃えていた。
 扉から出るジェイ・ゼルへ、視線が集まる。
 彼らの目が、自分の後に続いて出てくる、リュウジとマイルズ警部を認めた途端、かすかに驚きを滲ませる。
 ジェイ・ゼルは彼らの前に歩を進め、執務に使う机の端に腰を軽く当てて、部下が集まり切るのを待った。
 廊下から慌てて走り込む足音が途絶え、部屋に部下が揃ったことを確認してから、ジェイ・ゼルは口を開いた。

「私の工場から、金を盗んだ者がいる」

 静かな言葉に、さっと、部下たちの顔色が変わった。
 口々に何かを言おうとした先を切り、
「警察は見当違いの人物を捕え、それでことを済まそうとしている。私の金が、盗まれたのにも、拘わらず、だ」
 と、厳しい声で伝える。
 マシューだけが、警察が逮捕したものが、ハルシャだと彼は気付いたようだった。部下の顔を見守りながらジェイ・ゼルは続けた。

「私達には、私達の正義がある――工場から金を盗んだ者を、のさばらせるわけには行かない」
 意図を察した部下たちの表情が、変化していく。
「報いを受けるべきものを、炙り出しに行く」

 ジェイ・ゼルは机から腰を浮かせ、真っ直ぐに立った。
「マシュー、レグル、アイゼン、スタッド、ウィレム、ケイバー、ジェン、ダレッサ」
 呼びかけに明瞭な返事が飛ぶ。
「私についてこい。クラハナの工場だ」
 視線を滑らせ、部屋にいる顔をすべて見る。
「後の者は、ここで待機。増員が必要な時は呼びつける。飛んでこい」
 再び力強い声が応える。
 静かに笑みを浮かべると、ジェイ・ゼルは顎でリュウジを示す。
「指示は、私とオオタキ・リュウジが出す。
 何かあるか、リュウジ」
 ジェイ・ゼルがしつらえた舞台に、彼は鮮やかに乗って来た。

 彼は臆することなく、自分が選んだ者たちに、どう動くのかを指示する。
 工場に着いたら、まず出入り口を固め、決して人を出さないことを指示する。
 二人一組にして、二つある出入り口を抑える。
「警察がもし工場内に居たら、マイルズ警部が対応してくれます、決して彼らと争わないでください」
 リュウジの言葉に、マイルズ警部がちょっと眉を上げている。
 人使いが荒いな、と、彼の口から小さな呟きが漏れたのを、ジェイ・ゼルの耳が拾う。
 その後の手順も説明を終えて、彼は
「僕からは以上です、ジェイ・ゼル」
 と、こちらへ主導権を戻してきた。

 視線が、一瞬触れ合う。
 すぐにジェイ・ゼルは部下へ目を向けた。

「『ダイモン』を甘く見た愚かしさを――不心得者に教えてやろう」
 静かに告げ、やる気にあふれた部下たちの顔を見守る。
 柔らかく微笑んでから、ジェイ・ゼルは呟いた。
「行こうか」

 歩き出したジェイ・ゼルの前の人垣が割れ、道を作る。
 すっと、マシューが横に従った。
「ジェイ・ゼル様、武器は」 
「特別必要は無い。今、身に着けているものだけで十分だ。戦争をしに行くわけではない」
「解りました」
 歩き続けるジェイ・ゼルの前に、扉が開かれる。
 そのまま廊下に出る。
 いつの間にか指示が通っていたのだろう、飛行車が幾台か、玄関へ舞い降りてくる。
 黒いジェイ・ゼルの飛行車が正面に停まった。
 中からネルソンが降りて来て、扉を開けている。
 歩を運ぶジェイ・ゼルの後ろに、部下たちが無言で従った。
 前を向いたまま、揺るぎない足取りで、ジェイ・ゼルは進んでいく。
 玄関から、ラグレンの青い空が広がっているのが見える。
 胸の奥に、痛みが走った。

 待っていてくれ、ハルシャ。
 すぐに、君を助けてあげるから――私を信じて、耐えてくれ。

 唇を引き結ぶと、ジェイ・ゼルは迷いのない動きで、ネルソンの開ける扉から、飛行車の中に滑り込んだ。
 リュウジとマイルズ警部、そしてマシューを飛行車に招き入れ、用意を整えたネルソンに指示する。

「ネルソン、クラハナの工場だ。
 急いでくれ」









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