ほしのくさり

第180話  温もりのある静寂






 ジェイ・ゼルの指示で、ネルソンは飛行車を屋上の駐車場ではなく、玄関前に直接乗り付けた。
 自ら扉を開いて外に出た途端、玄関の外で立っていたサーシャが、駆け寄ってきた。
「ジェイ・ゼルさん!」
 玄関からの階段を、足元も見ずにかけ降りてくる。

 彼女は、自分に連絡を入れてから、ずっと外で待っていたのかもしれない。
 腕にバッグを抱え、白い通話装置を握りしめて、泣きはらした目で近づく姿に、ジェイ・ゼルは胸の痛みを覚えた。
 自分の前に、息を乱して立つ少女に、
「サーシャ」
 と優しくジェイ・ゼルは声をかけた。
 青いきれいな瞳が、自分を見上げてくる。
 膝を折ると、ジェイ・ゼルは彼女と目の高さを合わせた。
「もう大丈夫だよ。一人で心細かったね。よく私に連絡をしてくれた」
 頭を撫でて、落ち着かせるように言葉を呟く。
「えらかったよ、サーシャ」
 涙を堪えるように、口をへの字にしながら、サーシャがこくんと一つ、うなずいた。
 よしよしと、もう一度頭を撫でてから、ジェイ・ゼルは穏やかな声で問いかけた。
「何があったのか、教えてくれるかな? サーシャ」
 再びサーシャはうなずき、鼻を一つ、すすり上げてから口を開いた。

 午前中、メリーウェザ先生と、学校と、アルバイト先の『福楽軒』をハルシャと訪ね、お昼ご飯を食べるためにホテルに戻って来たところ、フロントに三人の刑事がいて、何か従業員と話をしていた。
 自分たちが玄関をくぐったのを見ると、急に顔を向けて、近づいてきた。
 そして、兄が悪いことをしたから逮捕すると言って連れて行った。
 それだけのことを、懸命に述べ立てた。
「なるほど」
 ジェイ・ゼルは、身を屈めたまま、サーシャの話を聞く。
「警察が、ハルシャにどんな罪で連れて行くと言っていたか、覚えているかな?」
 サーシャは、眉を寄せた。
「確か……『かおくしんにゅう』と『せっとうようぎ』と言っていました」

 かおくしんにゅう。
 せっとうようぎ。

 ジェイ・ゼルは、サーシャの言葉を、信じられない思いで内側に反芻する。
 ――家屋侵入と、窃盗容疑、だと?
 あり得ない。
 ハルシャがそんなことをするはずがない。
 何をもって、警察がその罪状をハルシャに被せたというのだ。

「『れいじょう』というのを、警察の人は、お兄ちゃんに見せていました」
 サーシャは、思い出したように付け加える。
「警察本庁で話を聞くの一点張りで、お兄ちゃんがそんなことはしていないと言っても、何も取り合ってくれませんでした」
 新たな涙が滲みそうになるのを、唇を歪めて我慢しながら、サーシャがジェイ・ゼルに訴える。
「お兄ちゃんは、何も悪いことをしていないのに――」
「その通りだ、サーシャ。君のお兄さんは、犯罪に手を染めるような人ではない。何か誤解があったのだと思う。大丈夫だよ」
 ジェイ・ゼルは、唇を噛み締めるサーシャの頭を再び撫でてから、立ち上がった。
「警察は最初、ホテルのフロントの係と話をしていたんだね」
「はい、ジェイ・ゼルさん」
「なら」
 ジェイ・ゼルは、ガラスの向こうに見える、フロントへ視線を向けた。
「どんな話をしていたか、少し聞かせてもらおうか」

 ジェイ・ゼルは、サーシャに、飛行車で自分を待っていてもいいし、一緒にフロントに話を訊きに行ってもいいと、話しかける。
 サーシャは、一緒に話を訊きに行く方を選んだ。

 まだ不安げなサーシャの手を握り、ジェイ・ゼルは、ホテルの玄関をくぐった。
 真っ直ぐに向かったホテルのフロントの内側には、従業員が二人、こちらをみて、微かに怯える様子を見せていた。
 鋭い目を据えて、真っ直ぐにこちらに向かってくる黒服の男を、警戒しているような雰囲気だ。
 彼らの動揺を無視して、ジェイ・ゼルは、高さのあるフロントのカウンターの上に腕をかけ、
「少し、訊ねたいことがあるんだがね」
 と、静かに切り出した。

 中に居た男性従業員が、わずかに視線を泳がせた。
 ジェイ・ゼルは、サーシャに視線を落とし、
「警察と話をしていたのは、彼かな?」
と問いかけると、こくんとサーシャがうなずく。
 ジェイ・ゼルは、顔を戻した。
「先程、警察が訪ねてきたようだが」
 灰色の瞳を、真っ直ぐ男性に据えて、ジェイ・ゼルは問いかける。
「どんなことを、聞いていたか、教えてほしいんだが」

 一瞬、息を飲んでから、圧に屈したように男が口を開いた。
「警察の方たちは、当方に、ハルシャ・ヴィンドース様がご宿泊かと、お訊ねになりました」
 ジェイ・ゼルはなるほど、と頭を揺らす。
 角のない態度に安心したのか、従業員はそこからは滑らかに話し始める。
「ご宿泊頂いています、と申し上げると、部屋に連絡を入れるように指示を受けました。不在かどうかを確かめたいと。
 お呼び出しをしたところ、ご不在でしたので、そう申し上げました」
 なるほと、と、再びジェイ・ゼルは頭を揺らす。
 素直に話す従業員に、わずかに口角を上げて見せた。
 それだけで、目に見えて男の肩から力が抜けていく。
「それなら、ここで待たせてもらおうと、仰ったときに、ハルシャ・ヴィンドース様がお戻りになったので、今、玄関にお見えになったと、申し上げただけです」
 笑みを浮かべながらも見据える視線の強さに、従業員はわずかに顔を強張らした。
「それだけかな?」
 嘘を吐けば、ただでは済まないという含みを込めて、穏やかに問いかける。
「ほ、他には」
 やや、裏返った声で、彼は付け加えた。
「昨夜、ハルシャ・ヴィンドース様が外出をしなかったかと、お訊ねでした」
 昨日の夜?
「警察が、昨日の夜のハルシャの動きを訊いていたのか?」
 従業員の頭が揺れる。
「はい。答えかねるご質問だったので、こちらでは、把握しておりませんと申し上げると、また、防犯カメラの画像をもらいにくると、仰っていました」

 ジェイ・ゼルは、眉を寄せて、考え込んだ。
 昨夜、何か事件があり、その犯人との疑いをかけられ、ハルシャは引っ張られたのか。
 なら、簡単だ。
 昨日は午後から朝まで、ハルシャは自分と一緒にいた。
 それを証言すれば、簡単に無実が証明できるだろう。
 家屋侵入と窃盗など、ハルシャがするはずもない。

「貴重な情報を、ありがとう」
 ハルシャを自由にする目算を立てると、ジェイ・ゼルは愛想よく従業員をねぎらった。
 事務所へ戻り、警察署長へ直接話をつければいいだけだ。
「サーシャ。行こうか」
 手を握ったまま、彼女を促して歩き出す。
 歩を進めながら、
「昨夜の内に、何か事件が起こったらしい。ハルシャはその犯人だと、疑われているだけのようだ」
 小さな声で、自分へ真剣な眼差しを向けるサーシャへ、語りかける。
「ハルシャは、私とずっと一緒にいた。それを証言すれば、簡単に無実を証明できる」
 言ってから、ふと、どうして一緒にいたのか、サーシャに説明することが難しいことに気付く。
 さて、と言葉を飲むジェイ・ゼルに、
「良かった」
 と、サーシャが明るい声で言葉を放った。
 ジェイ・ゼルは視線を滑らせて、無邪気に笑うサーシャの様子を目に映す。
 彼女は屈託なく言葉を続けた。
「お仕事の引継ぎをお兄ちゃんが、ジェイ・ゼルさんとしてくれていて」
 心からほっとしたように、サーシャがやっと笑顔になる。
「ジェイ・ゼルさんが説明してくれたら、すぐに警察から戻ってこられますね」

 仕事の、引継ぎ。
 自分に会いに来たことを、ハルシャはそう、妹に説明をしていたのだ。
 機転に、ジェイ・ゼルは微笑みを浮かべた。

「そうだね。ハルシャの仕事はとても複雑だからね、引継ぎをしてもらうのに、半日以上かかってしまった」
 玄関までたどり着き、従順に扉が自動で二人の前に開く。
 外へ歩を進めながら、
「だがそのお陰で、ハルシャの潔白が証明できる」
 と、自分自身に言い聞かせるように、呟いた。
 その言葉に、サーシャが笑みを深める。
 ぎゅっとジェイ・ゼルの手を握る手に、力が籠った。
「良かった――」
 右と左の手に荷物をかけ、白い通話装置を握りしめるサーシャへ、再びジェイ・ゼルは視線を落とした。
 ハルシャは、不測の事態に当たって、妹を自分に託したのだと、感じる。
「これから、私は事務所へ戻るが、サーシャも一緒に行こうか」
 飛行車の前で、ネルソンが扉を開けて待っていた。
「ここに居ても、不安なだけだろう」
 サーシャの青い宝石のような瞳が、自分を見上げている。
 ちょっと考えてから、彼女が口早に思いを告げる。
「はい、ジェイ・ゼルさん。……でも、夕方になったら、リュウジが戻ってくると思うので、ホテルに帰ってもいいですか?」
「リュウジが?」
 そう言えば、リュウジはどうしたのだろう。
 問いかけたジェイ・ゼルに、サーシャが朝から別行動だったのだと、説明をする。
「ジェイ・ゼルさんのお招きに間に合うように、夕方までにホテルに戻ると、リュウジは言っていました」
 はっと、サーシャが気付く。
「あ、あの。夕食にお招き下さってありがとうございます! 御礼が遅くなって、ごめんなさい。慌ててしまって……最初に申し上げなくてはならなかったのに」
 急にうろたえて、サーシャが詫びのように言葉をこぼす。
 ハルシャが常に、相手に感謝をするように教えているのだろう。
 こんな時でも、彼女は律儀に礼を述べている。
 ジェイ・ゼルの内側から、自然と優しい笑みが浮かんだ。
「大丈夫だよ、サーシャ」
 飛行車の中に導きながら、ジェイ・ゼルは声をかける。
「早くハルシャの無実を証明して、今夜は祝いも兼ねて一緒に食事をしよう」
 サーシャは、嬉しそうに顔をほころばせた。
「はい!」
 安堵の溜息をつきながら、ジェイ・ゼルを見上げて彼女が
「ありがとうございます、ジェイ・ゼルさん」
 と、心からの礼を述べる。
 信頼に満ちた眼差しに、ジェイ・ゼルの笑みが深まった。

 サーシャを座席の奥に座らせ、自分も乗り込んだ後、ジェイ・ゼルはネルソンに事務所へ戻るように指示を与えた。
 飛行車が浮き上がろうとした瞬間、玄関に、銀色の飛行車が滑り込むように降り立った。
 ネルソンが、衝突を回避するため、浮かしかけた飛行車を静かに降ろす。
 乱暴な動きだ。
 一体、誰だ。
 相手を見極めようとするように、ジェイ・ゼルは飛行車に注目する。
 飛来した飛行車の扉が、鋭く開けられる。
 慌ただしく、一人の人物が、中から飛び出してきた。

「リュウジ!」
 隣で、サーシャが叫ぶ。
 飛行車から出てきたのは、確かに、オオタキ・リュウジだ。
 彼は、ひどく焦っているようだ。
 まるで、ハルシャの災難を予想しているかのようだった。
 ジェイ・ゼルは、無言で扉を開き、
「リュウジ!」
 と身を乗り出しながら声をかけた。

 彼は、玄関へ続く階段を駆け上がろうとして、途中で足を止めた。
 鋭く振り向き、飛行車の窓から顔をのぞかせるジェイ・ゼルを認めた。
 瞬間、彼の顔色が変わった。
 自分がここに居る意味を、瞬時に悟ったようだった。
 素早く踵を返すと、走り寄ってくる。

「リュウジ」
 反対側の扉を開けて、サーシャが走り出していった。
 思いもかけない人物が自分の飛行車から飛び出したことに、驚いたようにリュウジが足を止める。
 その彼へ、迷いもなくサーシャが飛びついていった。
 内側の不安をぶつけるように、リュウジに腕を回して身を抱きしめる。
 背を屈めて、リュウジが少女の体を、腕に抱きとめた。
「お兄ちゃんが!」
 訴えながら、ぎゅっと、サーシャがリュウジに回した腕に力を込めている。
 震える体を、腕に包み、
「ハルシャに、何かあったのですか」
 と、確信に近い問いを、リュウジは口にした。
 顔が青ざめている。
 やはり彼は、この事態を、予測していたようだ。
 眉を寄せてから、ジェイ・ゼルは言葉を口にした。
「ハルシャは、警察に連れて行かれた。家屋侵入及び窃盗の容疑をかけられている」
 ジェイ・ゼルの言葉に、リュウジが鋭い眼差しを自分に向けてきた。
「窃盗……そんな、ばかな」
 思わず、溜息をつくと、ジェイ・ゼルは言葉を続ける。
「警察は、ご丁寧に令状を携えて来たようだ」
「まさか」
 リュウジの顔色がさらに青ざめた。

「令状付きなら、そうとう証拠固めをしてきたな」
 不意に、別の声が聞こえた。
 リュウジの背後から、マイルズ警部がゆったりと歩いてきながら、自分たちに声をかけている。
「ちょっと、厄介だな」

 彼は、リュウジと同じ飛行車に乗っていたようだ。何か警部と用事があって、リュウジはハルシャを残していったのだろうか。
 ジェイ・ゼルは、帝星の警部を見つめながら
「昨夜の内に、どこかで事件があったようです。その犯人として、ハルシャが疑われているようだが――」
 一瞬、サーシャに目を向けてから、ジェイ・ゼルは言葉を続けた。
「昨日、私はハルシャと一緒に朝まで過ごしています。何か誤解があったにしても、警察にそれを話せば、速やかに釈放してくれるかと思います」
 警部への言葉だったが、リュウジはかすかに眉を寄せた。

 サーシャは仕事の引継ぎだと思っているが、リュウジは別の考えを持っているようだった。
 オオタキ・リュウジは、賢く、勘が鋭い。
 自分とハルシャの関係を彼にきちんと把握してもらえるように、手を尽くした上で、朝、ハルシャを送り届けている。
 間違いなく、リュウジは自分のメッセージを受け取ってくれたようだ。
 視線が、合う。
 間に、火花が散るようだ。
 深い藍色の瞳の奥に、揺らめく炎が見えるような気がした。

「なるほど」
 二人の鍔迫り合いなど、いっこうに気にかけず、やんわりとマイルズ警部が呟いた。
「確かに、それは強力な証言だが――しかし」
 一瞬言葉を切ると、思いがけない鋭い眼差しを、警部がジェイ・ゼルに注いだ。
「ラグレン警察がどう出るかだな」

 ふと。
 疑念をよぎらせる、言葉だった。

 マイルズ警部が暗示する不安を払拭するように、ジェイ・ゼルは努めて明るい声で説明を施す。
「これから、事務所へ戻って、すぐに警察本庁に連絡を入れようと思っています。証言が必要なら、いくらでも、出るべきところへ出る心づもりはあります」
 もしかしたら、自分の仕事の都合で警察が証言を信用しないと、警部は危惧しているのかもしれない。
 そう思って、断りを入れる。
 ラグレン警察には、毎年寄付という名の投資をし、ことに警察署長個人へは特別な菓子を差し入れしている。
 もちろん、中身は金銭だ。
 頭領ケファルの指示だった。
 友好な関係を築き、仕事を有利に進めるための潤滑剤として、相応の金額を毎年渡してある。
 決して表沙汰には出来ないことだが、そのお陰で、少々荒いことをしても、警察が目こぼしをしてくれているのは事実だった。
 前回同様、今回も、自分のコネクションを使えば、ハルシャをすぐに自由に出来るとジェイ・ゼルは踏んでいた。
 マイルズ警部は、沈黙したまま、ジェイ・ゼルの言葉にすぐに応えなかった。
 沈思黙考する姿に、何故か不安がかきたてられる。

「僕も、事務所へ同行させてください」
 リュウジが、切羽詰まった声で言う。
「ハルシャが連行された責任は、僕にあります」
 ジェイ・ゼルは眉を寄せた。
「どういうことだ?」
 何か、事件のことを知っているのかと、ジェイ・ゼルは疑念をよぎらせた。
 リュウジは目の奥の炎を消して、自分を真っ直ぐに見つめてきた。
「こうなる事態が予測できたはずなのに、僕は、ハルシャの側を離れてしまいました」
 自身を戒告するように、苦しげな言葉をリュウジが呟いた。

 リュウジには、出来れば裏の繋がりは見せたくなかった。
 それに、サーシャのこともある。
 ハルシャから託された彼女を、事務所へ伴おうと考えていたが、本意ではなかった。
 事務所はやはり、裏家業を取り扱う場所だ。どうしても荒っぽい雰囲気が漂う。
 わずかの沈黙の後、ジェイ・ゼルは考えを口にした。

「君にはサーシャのことをお願いできればありがたい。誰もいないのなら、事務所へ連れて行こうと思っていたが、あまり彼女に相応しくない場所だ」
 呟いた言葉に、サーシャとリュウジが同時に顔を向ける。
「このホテルに泊まっているのだろう?」
 問いかけに、サーシャが素直に首を揺らした。
 頷く様子が、兄と妹はとても似ている。気付いたジェイ・ゼルの胸が急に苦しくなった。

 突然、身に覚えのない罪で連行されて、どれだけハルシャは恐怖と屈辱を感じているだろう。警察に、暴行を受けていないかが、一番に気にかかっていた。ラグレン警察は、自白をさせるために、被疑者を手荒く扱うことで有名だった。
 ハルシャに理不尽な暴力が加えられると考えるだけで、ジェイ・ゼルは怒りに我を忘れそうになる。
 早く彼を解放してあげたいという思いが、内側を焼いた。

「それなら、ここに居てくれるか。
 ハルシャのことは、私が警察に話せば済むことだ。リュウジはサーシャと一緒に、このホテルで待っていてくれないか」
 かっと、リュウジの頬に朱が散った。
「僕がいては、邪魔ですか。ジェイ・ゼル」
 挑むような物言いに、ジェイ・ゼルは眉を寄せた。
 はっきりと、邪魔だと宣言した方が、彼はすっぱりと諦めるだろうか。
 そう思いながらも、ジェイ・ゼルは柔らかな表現を選んだ。
「ハルシャは、私が必ず連れて戻る。ここで待っていてくれ、リュウジ」

 再び、ジェイ・ゼルとリュウジは視線を交わし合った。
 彼の瞳の中に、再び炎が燃えた。
「時間が惜しい」
 説得する口調で、ジェイ・ゼルは言葉を放つ。
「こうしている間にも、ハルシャは警察で手荒い扱いを受けているかもしれない。早く彼を助けたい」
 リュウジは眉を寄せた。
「僕では役に立ちませんか、ジェイ・ゼル」
 なおも、彼が食い下がる。
 視線が、ぶつかり合う。
 緊迫した沈黙を破ったのは、マイルズ警部だった。
「ジェイ・ゼルさん」
 穏やかな口調で彼は割って入る。
「ことは、そう簡単に進まないかもしれませんよ」

 全員の視線が、マイルズ警部に向かう。
 彼はにこっと、笑った。
「おっしゃる通り、あの事務所にサーシャちゃんを連れて行くのは、どうかとは思います。どうでしょうね。サーシャちゃんは、別の信頼できる誰かに預かって頂いて、この足で私とリュウジと一緒にあなたの事務所へ行くというのは」
 優しげな、警部のヘイゼルの瞳が、底光りした。
「そちらの方が、早くハルシャくんを、取り戻すことが出来ると思いますよ」

 深い思慮のこもった声に、ジェイ・ゼルは眉を寄せた。
 歴戦の強者の眼差しが、自分を見つめている。
 マイルズ警部は最初から、令状を示してハルシャを逮捕しにきた、ラグレン警察の意図を考えていたようだった。
 帝星から来た、経験豊富な警部の言うことを、ジェイ・ゼルは信じることに心を決める。

「了解した、警部。仰る通りにさせて頂こう」

 目に見えて、リュウジがほっとしている。
 彼は傍らにいつの間にか佇んでいた、ヨシノという青年を呼び寄せて、短く指示を与えていた。
 リュウジはヨシノを、自分の知人だと告げ、そのように扱っているが、二人の関係はどう見ても、主従だった。
 主であるリュウジの言を、軽くうなずきながら、ヨシノが受けている。

「ドルディスタ・メリーウェザのところへ、サーシャを連れて行ってあげてください。彼女のところなら、サーシャも安心するでしょう。
 ハルシャのことで、サーシャはとても動揺しています。ドルディスタ・メリーウェザのお仕事のお邪魔になってはいけないので、もしよければ、ヨシノさんは、サーシャと一緒に、ドルディスタのところにいて頂けませんか」
 ヨシノが、快諾の言葉を呟いている。
 どうやら、リュウジは自分の代わりに、信頼篤いヨシノをサーシャにつけることにしたようだ。
 英断だと、ジェイ・ゼルは心に呟く。
 サーシャの身体はまだ、受けた衝撃に震えていた。
 メリーウェザ医師のところなら、彼女を安心して預けられる。だが、患者を診る手を止めさせては、迷惑をかけてしまう。
 そのために。腹心のヨシノをサーシャにつけるのだろう。
 何かあっても、ヨシノならリュウジの意を汲んで動くことが出来る。

 話がまとまったらしい。
 サーシャは、ヨシノが乗ってきた飛行車でメリーウェザ医師のところに向かうことになる。
 ジェイ・ゼルの飛行車に、マイルズ警部とリュウジが乗り込み、二台の車は、ほぼ同時にふわりと浮き上がった。

「マイルズ警部は、ハルシャの容疑が簡単に晴れないとお考えなのですか」
 サーシャの前では言えなかった質問を、ようやくジェイ・ゼルは事務所へ向かう飛行車の中で、口にした。
 マイルズ警部は、かぶっている帽子をちょっと指で突いて、額をポリポリと掻いた。
「令状が、やけに早く出されたなと思ってな――昨日の今日で出すなら、相当有力な証拠を警察は掴んでいるはずだ」
 前の座席に座っていた警部は、振り向いてジェイ・ゼルへ視線を向けた。
「外から、いくらハルシャくんの無実を証明しようとしても動かせないぐらい、強力な物証があると見た方がいい」
 ヘイゼルの瞳が、静かに自分を見つめる。
「残念なことに」
 穏やかな言葉を、マイルズ警部が呟いた。
「証拠は、作ることも出来るんですよ、ジェイ・ゼルさん」

 警察がやろうとすれば、ハルシャを罪に陥れることが可能だと、彼は言っている。
 ジェイ・ゼルは、無言で警部の瞳を見返した。

 どうやら。
 彼らは自分が知らない何かを、知っているようだ。
 ハルシャが狙われると確信するに足るだけの、何か、を。

 そうか。
 それを伝えるために、自分と行動を共にしようとしているのか。

 不意に、ジェイ・ゼルは悟る。

「なるほど」
 静かに、ジェイ・ゼルは言葉を返した。
「ハルシャは、相当厄介な事態に巻き込まれたと、お考えなのですね。マイルズ警部」
 ふっと、警部が微笑んだ。
「杞憂であることを、祈っていますがね」

 気休めのように、警部が笑みを浮かべて言う。
 彼は――ハルシャを釈放するのは、容易ではないと考えているのだ。
 経験と実績に裏打ちされた警部の言葉に、ジェイ・ゼルは沈黙した。

 ジェイ・ゼルの横で、苦しげにリュウジが溜息を吐いた。
「僕が、もっと気をつけておくべきでした」
 小さく、悔悟を滲ませた言葉が、リュウジの口から漏れる。
「側を離れてはいけなかったのに、僕は……なんてことを……」
 不意に、彼が両手で顔を覆った。
 沈黙の後、絞り出すように、リュウジが呟く。
「――ハルシャ……」

 彼の苦しみを見つめてから、ジェイ・ゼルは前を向いた。
 そうか。
 君も、大切なのだな。
 ハルシャのことが。
 今も、魂が焦げるほどに、彼のことを心配している。
 何を捨ててもハルシャを助けたいほどに。
 彼はいつも――
 ハルシャの幸せのことだけを、一途に考え続けていた。

 沈黙の中、ジェイ・ゼルは、事実を一つ、胸に受け止める。
 そうだ。
 ハルシャが自由になったのは、リュウジの尽力があってこそだ。
 彼が、『アイギッド』の遊戯に供される未来から救われたのは――
 リュウジが、莫大な負債額を、即金で支払ってくれたお陰なのだ。

 ふっと息をつくと、座席に身を沈めて、ジェイ・ゼルはしばらく沈黙を続ける。

「大丈夫だ」
 前を向いたまま、ジェイ・ゼルは呟いた。
「ハルシャは必ず取り戻す。どんな手を使ってでも、必ず――」
 こぼされた言葉に、リュウジが顔から手を離し、自分へ視線を向ける。
「ハルシャを罪に陥れようとする者が、いれば」
 ジェイ・ゼルは、ゆっくりと視線を巡らせて、リュウジへ向けた。
 彼の瞳と、視線が触れ合う。
 藍色の瞳を見つめたまま、ジェイ・ゼルは呟いた。
「私が許さない」
 小さく笑うと、ジェイ・ゼルは付け加えた。
「安心しろ、リュウジ。汚れ仕事は、私の得意分野だ」

 深い叡智を秘めたリュウジの瞳が、微かに見開かれた。
 譲歩を感じ取ったのだろうか、悲壮だった彼の表情が、わずかに緩む。
 彼は、初めて自分を見たような顔で、しばらく無言で視線だけを注ぎ続けていた。
 ふと、口元に笑みが浮かんだ。
「ジェイ・ゼル」
 名を呼ぶと、彼はわずかに目を細めて呟く。
「策を弄するのなら、僕も慣れています」

 ジェイ・ゼルは、ふっと笑いをこぼすと、前を向いた。
「それは心強いな」

 呟いた言葉の後、沈黙を続けるジェイ・ゼルの横で、リュウジは屈めていた背を伸ばし、座席にもたれかかった。
 事務所に着くまで、誰も口を開かなかった。
 飛行車の駆動音以外は聞こえない、静けさが支配している。
 だがそれは――不思議に温もりのある静寂だった。





※龍虎図ゴゴゴゴゴゴから変化し……どうやら、龍と虎がタッグを組むことにしたようです。







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