ハルシャは、自分を囲む刑事たちへ視線を向けていた。
ホテルの入り口で展開される異様な光景を、人々が遠巻きに見ているのを感じる。
サーシャが怯えたように、ぎゅっとハルシャに身を寄せてきた。
「申し訳ないが」
ハルシャは身を真っ直ぐに立て、背に妹をかばいながら、言葉を放った。
「警察本庁へ、行かねばならない理由を教えてほしい」
この前の駆動機関部の件だろうか。
それなら、マイルズ警部が帝星へ問い合わせをして、違法性がないことを、証明してくれているはずだ。
もしかしたら、何か工場で新しい証拠でも、発見されたのだろうか。
だが、自分は何一つ、警察本庁へ連れて行かれるようなことは、していない。
サーシャを背に隠しながら、ハルシャは目の前の刑事から、視線を逸らさなかった。
揺るぎないハルシャの様子を眺めてから、ふっと、刑事が笑った。
「お前はこの前も、令状を見せろと言っていたそうだな」
嫌味な言い方に、ハルシャは微かに眉を寄せた。
自分ではないが、リュウジがそう言って、ラグレンの警察官に迫っていたことを、この刑事は知っている。
したたかな眼差しが、自分を射るように見ていた。
刑事が、笑みを深めた。
「見せてやるよ」
小さく呟くと、彼は服の内側から小さな黒い展開機を取り出した。
横を押すと、空間に文字が浮かび上がる。
文字を読むハルシャの目が、大きく見開かれた。
戸惑いが湧き上がってくる。
耳に、宣告するような刑事の声が響いた。
「ハルシャ・ヴィンドース。家屋侵入及び窃盗容疑で逮捕する。詳細は、ラグレン警察本庁で訊く」
言葉が合図であったように、左右から刑事たちによって、腕が掴まれた。
「お兄ちゃん!」
荒い大人たちの動きに、悲痛な声がサーシャの口から上がった。
腕を拘束されながらも、まだハルシャは現実が信じられなかった。
窃盗?
彼らは、自分が何かを盗んだと言っている。
全く身に覚えのないことだ。
「何を言っているのか、解らないのだが。私はそんなことはしていない」
腕を取られながら、ハルシャは必死に目の前の刑事に訴えた。
すっと、目を細めて刑事が呟く。
「みんなそう言うんだよ。俺はやっていない、とな」
冷淡な言い方だった。
言葉を失うハルシャに、鋭い眼差しが向けられる。
犯罪者を見る、目つきだった。
「詳細は、警察本庁できかせてもらう」
全く感情のこもらない声で言ってから、彼は小さく顎で合図をした。
「連れて行け」
腕を掴まれたまま、彼らが望む方向へ向けて、強い力で引きずられる。
「やめてっ!」
抗うように、サーシャがハルシャの腕を掴んで引き留めようとした。
「お兄ちゃんは、悪いことなんかしていない!」
必死に警察の手から、兄を守ろうとサーシャが抵抗を見せる。
かっと、腕を掴む刑事の顔色が変わった。
「邪魔をするな」
荒い言葉と共に、引き留めるサーシャを、邪険に刑事が振りほどこうとした。
ハルシャを掴むのとは反対の手で、サーシャの腕を取り除こうと、刑事が動く。
思わず恐怖の悲鳴が、サーシャの口から上がった。
「妹に、乱暴をするなっ!」
ハルシャは、叫んでいた。
それまで掴まれていた手を振りほどき、妹に掛けられていた刑事の手を、払った。
そのまま怯えるサーシャの体を腕で包んで、激しい視線を刑事に向ける。
ハルシャの抵抗に、刑事たちが色めき立った。
サーシャの体を隠すように後ろに回しながら、
「警察には行く! 妹に手荒いことをするな!」
と、刑事たちの動きを封じるように、ハルシャは声を放った。
無言で、刑事たちと対峙する。
一歩も引かない気迫を込めて、ハルシャは三人の刑事へ視線を向け続けた。
「警察には、行く」
彼らが再び乱暴な行動に出ないように、牽制しながら言葉をかける。
「だが妹は今、思いもかけない事態に、動揺している――きちんと彼女に説明する時間を、与えてほしい」
ハルシャの迫力に、刑事たちは動きを止めている。
それでも、こちらが少しでも抗いを見せると、反撃してくるような気がした。
心を鎮めながら、努めて穏やかにハルシャは言葉を続けた。
「必ず落ち着かせるから――もう、妹には乱暴なことをしないでくれ。お願いだ」
ハルシャの懸命な言葉には何も返さず、彼らは無言だった。
沈黙を了承と取ると、視線を刑事たちから離さないまま、ハルシャはゆっくりと膝を折った。
サーシャと同じ視線になる。
刑事たちが動かないことを確認してから、ハルシャはサーシャに顔を向けた。
大人から、突然浴びせられた激しい言葉と暴力に、サーシャはショックをうけていた。
細かく身を震わせて、恐怖に目を大きく見開いている。
「大丈夫だよ、サーシャ」
なだめる様に、ハルシャは金色の髪を撫でた。
「警察の方は、兄さんと話がしたいそうだ。今から警察本庁へ行って、お話をしてくる」
ますます、彼女の目が大きく見開かれた。
不意に涙が溢れて、ぼろぽろと頬を伝う。
「大丈夫だ、サーシャ。兄さんは何も悪いことはしていない。何か、誤解があるのだと思う。きちんとお話をして戻ってくるから、ここで大人しく待っていてくれるか」
両手を固く握りしめて、涙をこぼしながら
「どのぐらいで、帰ってくるの? お兄ちゃん」
と、震える声でサーシャが問いかける。
正直、解らなかった。
全く身に覚えのないことだが、令状を掲げて逮捕されると言うことは、何か証拠があるということだろう。
その誤解を解くのに、一体どのぐらい時間がかかるのだろう。
首を振ると、ハルシャは応えた。
「どのぐらいで戻れるのかは、解らない。すまない、サーシャ」
ぎゅっと、サーシャは眉を寄せると、手を伸ばしてハルシャの服を握りしめた。
ぽろぽろと、涙がこぼれ落ちる。
不安げな妹の様子に、胸が痛んだ。
騒ぎに、人々が好奇の目を向けている。そんな中に、たった一人で妹を放置していかなくてはならない。
心細そうなサーシャの眼差しを受け止めて、ハルシャは言葉が出なかった。
何が起こっているのか、自分でも解らない。
全く身の覚えのない罪状だった。
でも、逆らえばサーシャの目の前で、刑事は暴力を振るうかもしれない。
これ以上、妹を怯えさせたくなかった。
誰か、信頼できる人に、サーシャを託したい。
けれど、リュウジは夕方にならないと、戻らないと言っていた。
どうすれば――
その時、ふと、ハルシャの心に、一人の人がよぎった。
そうだ。
「サーシャ」
声をかけると、ハルシャは自分の左の手首にはめてある、通話装置をサーシャに見せた。
「これを、サーシャに渡しておこう」
言いながら、バンドの横に触れる。
昨日、ジェイ・ゼルが外すところをみていたせいか、触れた指先に反応して、すぐにバンドが大きく開いた。
手首から抜き、サーシャに向けて通話装置を見せた。
「ここに『通話』という文字があるだろう?」
言葉に、サーシャがこくんとうなずいた。
「押したら、ジェイ・ゼルさんに直接繋がる」
サーシャは通話装置を見つめてから、目を瞬かせた。
「ジェイ・ゼルさんに?」
か細い問いかけの声に、ハルシャは肯定するように力強く頷いた。
「そうだ、ジェイ・ゼルさんに、だ。何かあったら、この文字を押して、ジェイ・ゼルさんに連絡をするんだよ」
理解したのだろう。サーシャは、唇を引き結ぶと、首を揺らした。
手を取ると、ハルシャは通話装置をサーシャに握らせた。その手を、上から包む。
「大丈夫だ」
青い瞳を見つめながら、安心させるようにハルシャは言葉を続ける。
「ジェイ・ゼルさんなら、何とかしてくれる。これを持って、兄さんを待っていてくれるか?」
ハルシャの言葉に、サーシャは新しい涙をこぼしながらも
「わかった。お兄ちゃん」
と、はっきりとした声で答える。
少し不安が拭われ、覚悟を決めたような表情で、サーシャが自分を見返す。
ハルシャは、もう一度サーシャの髪を撫でた。
「待っていてくれ。必ず帰ってくるから」
ぎゅっと通話装置を握りしめて、サーシャは首を揺らした。
「早く戻ってきてね、お兄ちゃん」
鼻をすすり上げるサーシャの髪を撫でて、ハルシャは立ち上がった。
自分の動向を見守る刑事へ、顔を向ける。
「お待たせして、申し訳ない。妹と話す時間を与えてくれて、ありがとう」
顎で指示を受け、刑事たちが動いてハルシャの腕を取った。
抵抗はしなかった。
促されるままに歩き出した後ろから、
「待っているから……お兄ちゃん」
と、消えそうなサーシャの声が聞こえた。
腕を取って歩かされながら、ハルシャは振り向いた。
縋るように白い通話装置を握りしめて、震える足でサーシャが立ちすくんでいた。
「大丈夫だよ、サーシャ」
涙をこぼす妹に、ハルシャは笑顔を与えた。
「すぐに、戻ってくる」
言葉に、サーシャが懸命にうなずいている。
視線を触れ合わせたまま、ハルシャはホテルの玄関から、外へ連れ出された。
人々の囁き声と、視線がまとわりつくようだ。
玄関を出ると、入って来た時には気付かなかったが、玄関の横に警察車両が停まっていた。
人々の冷たい視線を浴びながら、ハルシャは、問答無用で車に押し込まれた。
こちらは抵抗していないのに、手荒い扱いだ。
刑事たちが無言で乗り込み、すぐさま飛行車が浮き上がった。
そこへ、必死にサーシャが走ってくるのが見えた。
お兄ちゃん! と叫ぶ声が聞こえる。
白い通話装置を、指の関節が白く浮くほど強く握って、兄を呼び続けている。
これは、何かの間違いだ。
すぐに戻ってくる。
想いを込めて妹を見つめる。
涙をこぼしながら、サーシャがホテルの玄関先で、遠くなる自分の姿を、懸命に目で追い続けている。
サーシャ!
と、叫び出したいのを必死に抑え、ハルシャは黙したまま、小さくなる妹の姿を、見つめ続けていた。
*
「ジェイ・ゼル様」
扉を叩く音の後、マシュー・フェルズの声がくぐもって聞こえた。
「少し、よろしいですか」
事務所の奥の私室で、工場の業績について電脳のデータを見ていたジェイ・ゼルは、視線を扉に向けた。
「何かな、マシュー」
許可の響きを込めた返事に、静かに扉が開かれた。
一礼をして、マシューが部屋に入ってくる。
「失礼します」
顔を上げながら、
「ご集中のところ、申し訳ありません」
と、マシューが詫びを呟く。
仕事に集中したいときは私室に籠るという、ジェイ・ゼルの癖を知っている彼が、わざわざ中断させる事項が起こったのだろう。
「大丈夫だよ」
ジェイ・ゼルは、危惧を解くように、愛想よく言葉をかけた。
椅子を回して、入り口に佇んだままのマシューに体を向ける。
「何かあったのかな?」
「あまり急ぎではなかったのですが」
言い訳のように呟いてから、マシュー・フェルズは手にしていた書類を、ジェイ・ゼルに見えるようにして差し出した。
「御目通しの上、サインを頂戴したい書類と――」
言葉を切ると、彼は視線を上げた。
「『ヴェロニカ』の個室に、四人で予約が出来ましたことを、お知らせさせて頂きます」
報告に、ジェイ・ゼルは微笑みを浮かべた。
「随分、手こずらせてしまったね。急なことで、しかも個室だから、今日は無理かと思っていたよ」
人気店の『ヴェロニカ』は、予約が取りづらい。
しかも個室は、随分前から予約をしないと取れない。
今朝、事務所を訪れた時に、マシューに依頼していたが、どうやら相当手間がかかったらしい。
昼過ぎまでかって、彼は自分の要求を、『ヴェロニカ』に捩じ込んでくれたようだ。
マシューは軽く首を振った。
「支配人が、ジェイ・ゼル様のお申し出ならと、快諾してくださいました」
「そうか」
ジェイ・ゼルは静かに笑みを深めた。
「なら、私からも支配人に礼を言っておくよ。彼はいつも無理を聞いてくれる」
マシューが、軽く笑みを浮かべて、ジェイ・ゼルの言葉を受ける。
「ジェイ・ゼル様の、普段のお心掛けの賜物だと思います」
いつもは辛口のマシューの言葉に、ジェイ・ゼルはふっと声を上げて笑った。
「君には、苦労をさせるね」
言ってから、ジェイ・ゼルは視線を落とした。
「礼を言うよ、マシュー。ハルシャを寄越してくれたのは、君が尽力をしてくれたお陰だと、ネルソンから聞いたよ」
ジェイ・ゼルは、ハルシャが来ても追い返すようにと、不在の間に言い置いていた。
普段なら、自分の命令に絶対服従のマシュー・フェルズが、その禁を犯してハルシャを自宅へ連れて行くようにネルソンに命じたと、朝の飛行車の中で、彼から聞かされていた。
ネルソンは、マシュー・フェルズの命令違反を、どうかお責めにならないようにと、懇願に近い形で自分に告げたのだ。
ジェイ・ゼル様を想う気持ちで行ったことだと、言外に彼は伝えようとして、必死だった。
恐らく、マシュー・フェルズは処分を覚悟していたのだろう。
朝、事務所へ出勤したジェイ・ゼルへ、彼は緊張した面持ちで、挨拶をしてきた。
妙に、皆の空気がピリピリしている。
解っていて、ハルシャを制止しなかった責を、皆が感じているようだった。
ジェイ・ゼルは、意に介さず、いつも通りに皆に接した。
一日の予定を聞いた後、マシュー・フェルズを自分の前に呼んだ。
彼は、やや青ざめた顔で自分の前に、静かに立った。
ジェイ・ゼルは笑みを与えてから、今日の晩餐を『ヴェロニカ』でとりたい。ついては個室を押さえて、四人で予約を入れておいてくれと、マシュー・フェルズに依頼をしたのだ。
彼は処分の言い渡しを覚悟していたのだろう。
長い沈黙の後、
それだけですか?
と、問いかける。
それだけだ。
と、ジェイ・ゼルは答えて、仕事に入る。
どうやらお咎めが無いらしいと悟った事務所の空気が、一気に変わった。
改めて礼を述べるジェイ・ゼルに、マシュー・フェルズは珍しいことに、頬をほんのりと赤らめた。
「申し訳ありませんでした。ジェイ・ゼル様のご命令に背き……」
言葉を、手を振ってジェイ・ゼルは制した。
「君が勇気をもって、決断しなければ――私は大切なものを失うところだった」
笑みを消して、ジェイ・ゼルは真っ直ぐな目を、マシューに注ぐ。
「感謝している。心から。
ありがとう、マシュー」
彼は小さく首を振った。
「それでも、命令違反は、命令違反です。どうか、ジェイ・ゼル様、正当なご処分をお願いいたします。
そうでなければ、他の者に示しがつきません。今後ジェイ・ゼル様のご命令を軽んじる者が出たとすれば、組織としての規律が乱れます」
懸命なマシュー・フェルズの言葉に、ジェイ・ゼルは破顔した。
「君は、真面目だね」
笑みを浮かべたまま、ジェイ・ゼルは呟く。
「私はいい部下を持った」
その言葉に、再びマシュー・フェルズが首を振る。
「本当にいい部下であったなら、ジェイ・ゼル様の個人資産が再び減るかもしれない危機を、回避すると思います」
生真面目な物言いに、声を放って、ジェイ・ゼルは笑った。
「ハルシャのことでは、よほど君に心労をかけていたのだね」
くっくと、喉の奥で笑いを飲み込みながら、ジェイ・ゼルは身を揺らした。
「――今後は、個人資産のことで、もう君に心配をかけないように、配慮するよ」
笑いを収めてから、ジェイ・ゼルは、ふっと虚空に目を向けた。
「ハルシャは、料理が上手でね」
今朝。
目覚めた後、自分の傍らで、ハルシャが朝食の準備をしていたことを、ジェイ・ゼルは思い出していた。
自分の服をまとい、寝ぐせのついた髪のままに、ハルシャはコーヒーを淹れてくれていた。
胸が押しつぶされそうなほど、幸福だった。
このまま永遠に時が止まればいいと思うほどに――
「今後は、彼と逢うにしても、自宅でにしようかと思っている」
夜明けの光の中で、まどろむハルシャの寝顔を、心に抱きしめる。
温かな笑みが、ジェイ・ゼルの口元にこぼれた。
「一緒に料理を作れば、食事代の節約にもなる」
微笑むジェイ・ゼルへ、マシュー・フェルズは優しい目を向けた。
「それはとても、素晴らしいことですね。ジェイ・ゼル様」
会計係らしい実務的な言葉を、続いて彼は呟いた。
「ホテル代と食事代――合わせて約三〇〇ヴォゼルほど、経費が浮きます」
ふっと、ジェイ・ゼルは笑みを深めた。
「私がサインをする書類は、どれかな?」
マシューは、手にしていたものを、机の上に広げる。
「土地の売買の権利に関するのもです。モーガン・ディズリが所有していたものを、こちらの名義に書き換えました。ここに、サインを」
マシューが示す書類に目を通してから、ジェイ・ゼルは丁寧に名前を記した。
作業を続けながら、
「今度」
と、ジェイ・ゼルは呟いた。
マシューがかすかに、眉を上げる。
微笑んでから、ジェイ・ゼルは顔を彼に向けた。
「『アイギッド』を訪問する時に、ハルシャを伴っていこうと思う」
驚きに、マシュー・フェルズが微かに目を見開く。
勤勉な会計係の驚きに、くすっと、小さくジェイ・ゼルは笑う。
「ハルシャに、会わせたい人がいる」
個人的なことを、呟きながらも、笑みが深まる。
「出星手続きが煩雑になるかもしれないが、お願いできるかな」
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