ほしのくさり

第165話  過去を癒す方法-02





 再び唇を覆われていた。

 いつの間にか、保持していたファルアス・ヴィンドースの詩の額が、ジェイ・ゼルの手に渡っている。
 彼は、玄関脇の小卓の上に、腕を伸ばして丁寧に額を置いている。
 ぼんやりと感知していたハルシャの身が、ジェイ・ゼルに抱き上げられていた。
 そのまま、バスルームと大股に運ばれていく。
 ハルシャは腕を固くジェイ・ゼルに巻きつけて、なすがままになっていた。
 そこから――
 ジェイ・ゼルは優しい手つきで、ハルシャが彼を受け入れる準備をしていく。
 普段はしまってあるらしい、腸内を洗う道具をセッティングする時も、ハルシャに液を受け入れさせる時も、ことあるごとに、唇を触れ合わせる。
 まるで、これも情愛のこもった行為の一つであるように、ジェイ・ゼルは愛撫を交えながら、ハルシャの中をきれいにしていく。
 身を任せて、行為を拒むことなく、ハルシャは全てを受け入れた。

 腸をきれいにしないとね、君の内側が傷ついた時に、病を得てしまう。

 液が入れられて、排出を待つ間に、ジェイ・ゼルが耳元に囁く。
 まるで、ハルシャが初めてであるかのように。
 そうだ。
 ここからもう一度、始めようと自分が言ったのだ。そのことに、ジェイ・ゼルは従ってくれている。
 過去の過ちを償うように、彼はひどく優しい手つきで、ハルシャをきれいにしていく。

「よく我慢したね」
 数度身の内を液で清めた後、口づけと共に、ジェイ・ゼルが呟いた。
「いい子だ、ハルシャ」

 愛しげに、髪を撫でて彼は、言葉を滴らせる。
 本当は、こんな風に、最初から自分と関わりたかったのだと、優しい笑みを見つめながら、ハルシャは思う。
 時が巻き戻っていくような、不思議な感覚が広がる。
 次第に、自分が十五の少年であるような気分になってきた。
 初めて彼と出会った、五年前の自分に。
 ジェイ・ゼルは、本当は初めて抱いた時、こうやって腸内を清めてくれるつもりだったのだろう。
 けれど、その猶予を、自分は彼に与えなかった。未知の行為に対する恐怖に耐えきれず、全身で抗った。抵抗しない契約など、頭から吹き飛んでいた。
 だから。
 契約を履行するために、彼は行動に移るしかなかったのだろう。
 なんの準備も出来ないままに、ジェイ・ゼルは自分の身に押し入らざるを得なかった。
 もしも――
 あの時、もう少しジェイ・ゼルを信頼し、身を任せることが出来れば、互いに傷つくことはなかったのかもしれない。
 想いを込めて、ハルシャは、ジェイ・ゼルを見つめ続けた。

 しばらく無言で赤い髪を撫でてから、彼は口を開いた。
「今、清めた場所に、これから、私を受け入れなくてはならない。本来、排泄に使う場所だ。強い筋肉で、入り口を閉めるようになっている。乱暴に扱うと、筋肉が切れて、元に戻らなくなる。
 受け入れるためには、外からほぐす必要があるんだよ」
 髪が、ゆっくりと撫でられる。
「ぬめりを与えて、指でほぐしていく。最低でも、指が三本入るまでに緩めないと、君の内側を傷つけてしまう」
 言葉を切ると、彼は灰色の瞳を細めて、言葉を続ける。
「慣れないことで、恥辱と、恐怖を与えてしまうかもしれないが、君を傷つけないためには、どうしても必要な作業なんだよ、ハルシャ。
 痛みを与えないように、ゆっくりと作業をするから――辛抱してほしい」

 十五歳の自分に言い聞かせるように、頭を撫でながら、ジェイ・ゼルが呟く。
 五年前。
 彼が本当は伝えたかったことを、ハルシャは、胸の奥に受け止める。
「解った、ジェイ・ゼル。辛抱する」
 時を戻しながら、ハルシャは答えていた。
 嬉しそうに、ジェイ・ゼルが笑う。
「いい子だ、ハルシャ」
 唇が、髪に触れる。
「賢くて、強い子だ。優しくすると約束しよう。決して君を、傷つけないよ、ハルシャ」

 二人だけの空間で、真剣な遊戯のように、互いに五年前に心を遡らせて語り合う。
 十五の自分が、過去から聞き耳を立てているようだ。
 ジェイ・ゼルは、きちんと説明をした上で、初めての自分の身を、優しく扱いたかったのだ。
 彼の切ないほどの想いが、言葉にあふれていた。
 解ったと答えた自分に、本当に嬉しそうに微笑みを浮かべている。
 五年前、互いの行為で傷つけあった心を、懸命に癒そうとするように、言葉を滴らせる。
 ハルシャを丁寧に拭ってから、ジェイ・ゼルが立ち上がった。
「ベッドへ行こうか、ハルシャ」


 記憶にあるものと、何一つ変わらないベッドが、今もジェイ・ゼルの部屋にあった。
 一瞬、息を飲んでしまったのかもしれない。
 ジェイ・ゼルが静かに肩に触れた。
「――嫌か? ハルシャ」
 振り向いて見上げた彼は、過去の痛みをまだ、引きずっているような表情だった。
 瞬間、悟る。
 ここでの行為を、嫌悪しているのは、自分ではなくジェイ・ゼルだった。
 今も、彼の心は、五年前に自分が為したことで、痛めつけられている。
 勇気を奮い起こし、ハルシャはジェイ・ゼルの瞳を見つめたまま、語り掛ける。
「そうではなかった。あの時、ベッドの側で、ジェイ・ゼルはこう言った。『準備をしようか、ハルシャ。私が手伝わなくても、自分で出来るだろう』と」

 ジェイ・ゼルが、やっと、笑った。
「さすが、ハルシャは記憶力がいいね。五年前のことを、よく覚えていたね」
 きっと、ジェイ・ゼルも忘れていないのだろう。
 なのに、わざとそういう。
 ハルシャはジェイ・ゼルを見つめたまま、
「言ってくれ、ジェイ・ゼル。五年前の言葉を」
 と、過去を取り戻す儀式のように、彼に同じ言葉を言うように促した。

 一瞬、眉を寄せてから、ジェイ・ゼルは苦しそうに、呟く。
「これから準備をしようか、ハルシャ。私が手伝わなくても、自分で出来るかな」
 わずかに言葉を変えて、彼は過去を悔いるような顔で言葉を言い切った。
 彼の想いを受け止めてから、ハルシャは口を開いた。

「ジェイ・ゼル。準備というのが、私には解らないんだ」
 五年前、彼に言えなかった言葉を、やっと、口にする。
「これまで、全く知識を得ずに生きてきてしまった。教えてくれ、ジェイ・ゼル――あなたを受け入れるのに、どんな準備をすればいいんだ」

 苦しげなジェイ・ゼルの表情が、ゆっくり緩んでいく。
 彼が、意図を読み取ってくれる。
 小さく、得心したように、彼は頭を揺らした。
「君は何も知らないんだね」

 こくんと、ハルシャは頷いた。
「そうか」
 ジェイ・ゼルは、優しい声で言った。
「これからする行為はね、互いを知りあうためのものなんだよ、ハルシャ。
 自分自身をさらして、素で相手と向き合う。
 そのためにね、服を脱ぐんだ」
 肩に触れた手が、ハルシャの服の金具に滑る。
「とても、恥ずかしくて勇気が必要なことだね。でも、大丈夫だよ、ハルシャ」
 穏やかに言いながら、ジェイ・ゼルの指が金具を、一つ外す。
「ここには、私と君しかいない。君は私だけに、肌を見せればいいのだよ。
 他の誰にも、決して、君を傷つけさせない――」
 一瞬言葉を飲むと、彼は小さく、付け加えた。
「君を、私が守るから……安心して、身を委ねておくれ」

 不思議な熱のこもる言葉を、ジェイ・ゼルが虚空に呟く。
 守る。
 一度も彼から聞いたことのない、セリフだった。
 けれど、何かの決意を込めるように、彼はその言葉を呟いている。
 まるで、五年前に伝えられなかったことを、今、口にするかのように。
 真剣なジェイ・ゼルの表情に見とれているうちに、いつの間にか、身からはらりと服が脱げ落ちていた。
 素肌に、空気が触れる。
「準備が」
 にこっと、笑ってジェイ・ゼルが呟く。
「これで出来たよ、ハルシャ」


 穏やかに、時間が過ぎていく。
 滑らかなジェイ・ゼルのベッドのシーツの上に身を横たえ、彼の指が、後孔をほぐす行為を受け入れる。
 まるで、初めて彼を受け入れているような感覚に、陥る。

 痛くないか? ハルシャ。辛かったら教えてくれ。

 ジェイ・ゼルが、優しく、問いかけてくれる。
 その度に、大丈夫だと、ハルシャは答えた。
 彼は、本当に自分を最初の時のように、扱っている。
 上向きに横たわるハルシャの腰の下に、クッションが入れられて、高い姿勢を保つ。開いた膝の間にジェイ・ゼルが片方だけ膝を立てて、座っている。
 彼はゆったりと、指を動かしていた。

 あの時、ぬめりのある液は、ベッドの側にあった。だが、今は行為の前に、ジェイ・ゼルは別の場所から運んで来た。
 いつもは、ベッドサイドに用意をしていないようだ。
 五年前、ジェイ・ゼルはもうすでに、この部屋で自分と行為をするつもりだったのだと、ハルシャは悟る。
 だから、あらかじめ準備をしてくれていたのだろう。
 最後の銀行の手続きを終えたとき、戻る飛行車の中で、突発的に契約の話を持ち出したのだとずっと、自分は思っていた。
 だが。
 それ以前から、彼は自分とのことを、考えていたのかもしれない。
 彼が口にしていた、複数の人間を相手にする未来が、彼と契約することで、変化した。
 思いもしなかった側面が、見え始めた。
 もしかしたら――
 彼とだけの行為は、深い配慮が巡らされたことだったのだろうか。
 ジェイ・ゼルは、自分を、守ると、言った――

 考えに沈んでいた身体が、ぴくっと震えた。
 いくら最初の時に心を戻しても、五年間ジェイ・ゼルとの行為を受け入れてきた身体は、馴染みのある彼の指の動きに、鋭敏に反応をする。
 優しく後孔を広げる動きですら、快楽を拾い上げていく。
「あっ」
 小さく、呻きが口から漏れた。
「いい子だね、ハルシャ」
 手を止めずに、ジェイ・ゼルが呟く。
「声を出していいよ。君の声を、私に聞かせておくれ」
 一気に、心臓の鼓動が跳ね上がる。
「君のここは、熱くてとても、きれいだよ」
 詩を諳《そら》んじる時のように、歌うような声でジェイ・ゼルが言う。

 自分に初めて入る時、こんな風に、優しく言葉をかけたかったのだろうか。
 内側が、どくどくと、熱く痺れていく。
 彼が、欲しくて、仕方がなかった。
 馴染んだ熱と太さを、挿れて欲しくて、内側がうごめく。
 変化を、ジェイ・ゼルは読み取ったようだ。
「もう少し、待ってくれないか、ハルシャ。まだ指を二本しか飲み込んでいない」
 初めての身体を優しく扱うように、とても丁寧にジェイ・ゼルが、後孔をほぐしていく。少しずつ、決して力を入れずに、柔らかくくつろげられる。
 刺激に慣れた身には、もどかしいほどだった。
 ゆったりとした動きに、堪えられない熱が、内側に溜まっていく。

 れてほしい。

 渇望のように、こいねがう。
 彼を失うかもしれないと、覚悟した時の焦燥が、再び胸を焼き出した。
 彼が、欲しかった。
「ジェイ・ゼル」
 ハルシャは、思わず虚空に呟いていた。
「早く、挿れてほしい――お願いだ」

 小さく、ジェイ・ゼルが笑った。
「初めてなのに、ハルシャは積極的だね」
 言葉を呟きながらも、ジェイ・ゼルの手が、後孔を刺激し続ける。
 びくっと、身が震える。
 次第に余裕をなくし、ハルシャはもう、演技を続けることが難しくなっていた。
「――ジェイ・ゼル……」
 切羽詰まった声で、彼を呼んでしまう。
 自分が言いはじめたことなのに、五年前から、現在の自分へと、身が戻る。
「ハルシャは、おねだりが上手になったね」
 笑いを含んで、彼が言う。
「とても、かわいいよ」
 意図を汲み取ってくれたように、ジェイ・ゼルは動きを速め、ハルシャが望むように準備を手早く終えてくれる。十分に広げたことを確認してから、彼はゆっくりと、指を抜いた。
 挿れてもらえる。
 はしたなくも、期待に胸が弾んでくる。
 頬を赤らめて、ハルシャは自分の膝の間に座るジェイ・ゼルへ、視線を向けた。
 彼は指を抜いた後、何かを考えているようだった。
 しばらく無言で動きを止めてから、彼は顔を動かした。
 唇を噛み締めて、彼を一心に見つめるハルシャへ、眼差しを与える。
 静かに、ジェイ・ゼルが微笑んだ。

 何か意図があるように、彼が身を動かし、ベッドの端に移動する。
 優雅な動作で、床に足を降ろした。
 そのまま、立ち上がり、数歩を進む。
 どこへ、行くのだろう。
 ハルシャは、朱に頬を燃やしながら、ジェイ・ゼルの動きを、視線で追う。
 ベッドから少し離れた場所で立ち止まると、彼は振り向いてハルシャに体を向けた。
 片足に重心を乗せて、くつろいだ姿勢で、彼は佇んでいる。
 そのまま、しばらく無言で、自分を見つめている。
 柔らかな笑みが、彼の口元に浮かんだ。
「ハルシャ」
 微笑みながら、ジェイ・ゼルが言う。
「私も、準備をしよう――君と、愛し合うために」
 笑みが、深まる。
 それは、心を奪われるほどに、妖艶な笑みだった。

 彼は、ハルシャの服を脱がせながらも、自身は服を身にまとったままだった。
 ジェイ・ゼルが着ている普段着は、柔らかな生地の黒いシャツだった。
 先ほどまで自分の後孔を愛してくれていた指が、ゆっくりと、黒く上質な服へと向かう。
 視線を合わせたままで、ジェイ・ゼルが、まとう服の上部に触れた。
 一番上を止めているボタンを、ジェイ・ゼルが緩慢な動きで、外す。
 指先が、歌っているようだった。
 ハルシャは、彼の動きに釘付けになる。
 動き一つ一つが、とんでもなく、艶やかだった。
 知らず知らずの内に、ハルシャは、上半身を起こしていた。
 視線を惹き付けていることに、明らかにジェイ・ゼルは気づいていた。
 上がわずかに解放される。
 長い指が、少しだけ襟元を開く。
 黒い服の下から、透明感のある、白いジェイ・ゼルの肌が、こぼれた。

 視線を絡めながら、ジェイ・ゼルが、もうひとつ下のボタンを、外す。
 服の下の、白い肌が、深い黒の服の下から、さらにのぞく。
 深い黒と。
 透けるような白と。
 鮮やかな色の対比に、なぜか、胸が躍る。
 ハルシャの表情を見守っていたジェイ・ゼルは、微笑むと、シャツから手を滑らせて、自分の下穿きの服に触れる。
 その前を、ゆっくりと外し、少しだけ、開く。
 ジェイ・ゼルは、それ以上、服を脱ぐことはせずに、ハルシャへ視線を送る。
 再び微笑むと、手が、上に戻る。
 優美で、緩慢な動作で、ジェイ・ゼルが自分の服のボタンを外す。
 上から下まで、八つあるものが、時間をたっぷりとかけながら、外され、その度に、白い肌の面積が、増えていく。
 きれいに筋肉がついた、ジェイ・ゼルの胸部が見える。
 シャツの最後のボタンを外すと、上から下まで、一筋にジェイ・ゼルの肌がみえた。
 六つに割れた、鍛え抜かれた腹部と、その下に続く、逆三角形の脇からの筋肉の盛り上がりが、鮮やかにハルシャの目に映る。
 ジェイ・ゼルは、視線を合わせたまま、少し、胸元から服を開いた。
 だが。
 彼は、完全に、脱ぎ捨てようとは、しなかった。
 ハルシャを見つめたまま、右の袖の留め具を外す。
 そして、時間をたっぷり取りながら、左の袖も、彼は外した。
 袖を解放すると、作業を終えたように、彼は腕を弛緩させて、脇に垂らした。

 前をくつろげた、しどけない姿で、ジェイ・ゼルが自分の前に、佇んでいた。
 小首を傾げ、隙のある様子で、静かにハルシャを見つめている。
 心臓が、さっきから、ドキドキと、高鳴っていた。
 下穿きも、先ほど中途半端に下ろされたままだった。腰の高い場所に服がひっかかり、肝心の場所を隠したまま、開いている。
 鍛えられた精悍なジェイ・ゼルの身体と、それを隠すように覆う、柔らかな服の風合いの対比が、妙に心を搔き乱す。
 ジェイ・ゼルは、とんでもなく、色めいた姿だった。

 視線に無防備に身をさらしながら、彼は静かに微笑んだ。
「ハルシャ」
 笑みが深まる。
「――脱がせて、くれないか。私の服を……君の、手で」


>






Page Top