ほしのくさり

第159話  煉獄の炎-01





 せっかく、自由の身になったというのに。
 なぜ、私に逢いにきたんだ。ハルシャ

 穏やかな問いかけに、すぐにハルシャは答えることが出来なかった。
 うわべだけの理由はいくつもあった。
 白い通話装置を直接返却したかった。
 サーシャを助けてくれた礼を、篤く述べたかった。
 五年もの間、利子を補填してくれていたことに、少しも気付かなかった不明を詫びて、心からの感謝を伝えたい。
 飛行車に揺られながら、懸命に考えて来た理由が、束の間、脳裏を巡る。
 けれど。
 静かなジェイ・ゼルの問いの答えとして、どれも相応しくないような気がした。
 黙したまま、ハルシャは黒のラフな普段着をまとったジェイ・ゼルを見つめ続ける。
 噛み締め続けたために、唇に血が滲みそうだ。
 内側から、懸命に心の中を探す。
 いくら正当な理由を求めても、どこにも見当たらないことに、ハルシャは途方にくれたような気持ちになりはじめた。
 瞬間、気付く。

 本当は。
 理屈など、どこにもないのかもしれない。
 あれほどまでに、会う理由を車内で考えていたのに。

 ただ。
 ジェイ・ゼルの顔が見たかった。
 声が聞きたかった。

 それだけのこと、だったのかもしれない。
 自分は、彼の側に居たかっただけなのだ。
 愚直な言葉を告げても、きっとジェイ・ゼルは笑って自分を追い返すだろう。
 予感だけが、胸を締め付ける。
 黙り込むハルシャに、静かに笑みを深めて、ジェイ・ゼルは呟いた。
「通話装置を、返却してくれるのだったね、ハルシャ」

 はっと、現実に戻る。
 とりあえず、その理由で自分は食い下がったのだと、思い出し、慌てて自分の服の袖をまくり上げる。
 ジェイ・ゼルが着けてくれた時のままに、腕にはまる通話装置を剥き出しにする。
「長い間お借りして、申し訳なかった」
 何かを言わなくてはならないという使命感だけで、言葉を呟いた。
「ジェイ・ゼルと、いつでも連絡を取れると思うと、安心できた。サーシャがさらわれたときも、ジェイ・ゼルがタイミングよくかけてくれなかったら、自分だけでは途方にくれていた」
 静寂を恐れるように、ハルシャは、考えてきた口上を、懸命に口から紡ぎ続けた。
 ジェイ・ゼルは黙って、動向を見守っている。
「貴重な通話装置なのに、借りっぱなしにするなど、配慮が足らなかった」
 練習を重ねたお陰で、言葉が思ったよりもスルスルと口から飛び出る。
 話しながら、バンドを外そうと、白い通話装置の横を指先で探る。
 確か、ジェイ・ゼルはこの辺りに触れていたはずだ、という目測を付けて触るが、バンドは緩みを見せない。
「昨日、きちんとお返しするべきだった。動揺してしまって、失念してしまい、ご迷惑をおかけしてしまった」
 詫びを呟きながらも、バンドが外れないことに、ハルシャは戸惑う。
 ジェイ・ゼルを待たせている。
 早く外さなくては、と思えば思うほど、指先が滑る。
 焦りがじわっと、滲んできて、手が汗ばんできてしまった。
 警察で外したときは、すんなりいったのに。
 次第に顔が赤らんできた。
 通話装置を外そうと格闘するハルシャをしばらく見守ってから、ジェイ・ゼルが動いた。
 固く組んでいた腕を解くと、数歩を進んで、ハルシャのすぐ前に立つ。
 無言で、ジェイ・ゼルが右の手を差し伸べてくる。
 ハルシャは動きを止めて、伸びてくる指先を見つめた。その指を辿り、前に立つジェイ・ゼルを見上げた。
 長くきれいなジェイ・ゼルの指先が、左手首の白い通話装置に触れた。
 瞬間、魔法のようにバンドの輪が大きくなる。
 鮮やかな手腕に驚くハルシャの目の前で、すっと、左の手首から、通話装置が抜かれた。
 ジェイ・ゼルは、外した通話装置を右手に持って、静かにハルシャに視線を送っていた。
 瞬きを一つすると、彼が口を開いた。
「これで、君の用事は済んだのかな、ハルシャ」

 優しく問いかける言葉に、瞬間、ハルシャは身を強張らせた。
 君の用事は、もう終わったはずだ。
 早く帰りなさいと、ジェイ・ゼルが言い出しそうな予感がする。
「ジェイ・ゼル」
 問いたいこと、伝えたいことが、頭の中をぐるぐると巡る。
 内側に渦巻く想いを抱えきれずに、ハルシャは口から言葉をほとばしらせた。
「どうして、もう、逢ってはいけないんだ。教えてくれ、ジェイ・ゼル」

 痛む傷に触れられたように、一瞬、ジェイ・ゼルは眉を寄せた。
 だが、すぐに解くと、静かに彼は微笑んだ。
「君が、借金を全額返済したからだよ」
 聞き分けのない子に、言い聞かせるような口調で、優しくジェイ・ゼルが言葉を紡ぐ。
「私との契約は終了した。それが理由だよ。ハルシャ」

 契約。

 それだけの関係だったのか。
 契約が消失すれば、関係を続ける理由がなくなるのか?
 打ちのめされたように、ハルシャはジェイ・ゼルを見つめて立ち尽くしていた。
 言葉を無くして、黙り込む。
 ジェイ・ゼルは、笑みを深めた。
「それが、君の人生の最大の目的だったはずだよ。借金を返済することが――願いは叶った。もう君は自由になったのに。どうして私のところへ来る必要があるのかな――教えてくれないか、ハルシャ」

 彼の言い方に、ふと、ハルシャはジェイ・ゼルが、借金を返したいかと、問いかけたときのことを思い出していた。
 そうだ。
 あれは、紫の森を見に『外界《ヴォード》』に連れて行ってくれた帰り、自分が作成した駆動機関部を搭載した宇宙船を見た後だった。
 借金を早く返したいか、と突然彼は問いかけてきた。それまでの会話と何の関連もない問いに、戸惑いながらハルシャは、借金を全額返済することが、今の目的だと、明確な言葉で答えた。
 早く返せば、妹の人生を侵食せずに済む。
 サーシャに負担をかけたくない一心で、本音をジェイ・ゼルに伝えた。
 そのときの言葉を、ジェイ・ゼルは聞き流さずに、覚えていてくれたのだ。
 不意に、気付く。
 ジェイ・ゼルはあの問いを発した時には、すでに、借金の返済とともに、二人の関係も解消されると、思っていたのだろうか。
 少なからぬ衝撃が、ハルシャを襲った。
 別れを予感しながら問いかけた言葉に、自分は何の意図も汲み取ることが出来ず、自分の想いだけで答えを返した。
 配慮にかける返事で、ジェイ・ゼルの心を傷つけたのだろうか。
 早く借金を返したい、彼との関係も清算したいと、ハルシャが望んでいると、思って――

「私は――借金の返済と、ジェイ・ゼルとの関係は別のものだと考えていた」

 茫然としたまま、ハルシャは呟いていた。
 言ってから、ジェイ・ゼルが自分へ視線を注いでいることに気付き、ごくりと、唾を飲み込む。
 想いを、きちんと伝えなくてはならない。
 両手を握りしめて、勇気を内側から絞り出す。

「借金を返済すれば、確かにジェイ・ゼルとの契約は解消される。けれど、そこから」
 彼の灰色の瞳を真っ直ぐに見つめて、想いを言葉に乗せる。
「ジェイ・ゼルと、一人の人間として、向き合えるのだと思っていた――だから、早く借金を返済したかった。
 それは、ジェイ・ゼルから自由になるという意味ではない。
 契約ではなく、自由意志で、ジェイ・ゼルと一緒に居たいと、そう、思っていたんだ」

 言ってから、顔が自分でも信じられないほど、燃えるように熱くなった。
 冷静になったら、絶対に言えない言葉を、自分は口にした。
 かっかと、頬を燃やしながら、ハルシャは懸命に自分を励まして、ジェイ・ゼルに言葉をかける。

「本当は、このことを、戻った『エリュシオン』の部屋で伝えるつもりだった」
 これ以上ないほど、顔が赤くなる。
「どうしても、ジェイ・ゼルに想いを告げたくて、ここまで来た。
 それが、逢いたかった理由だ、ジェイ・ゼル――」

 もっと、要領よく伝えられればいいのに。
 と、内心ほぞを噛みながら、ハルシャは何とか想いを伝えきった。
 視線が落ちる。
 どんな顔でジェイ・ゼルが自分の言葉を聞いているのか、直視することが出来ない。
 頭から、湯気が出そうだ。
 落とした視線には、ジェイ・ゼルの足元だけが見える。
 床を踏む彼の足は、優美だった。
 素足に室内履きだけを履いている。
 ハルシャは頬を真っ赤にしたまま、うつむいてジェイ・ゼルの言葉を待った。

 小さく、息を吐くようにジェイ・ゼルが、笑った。
「それは、ダメだよ。ハルシャ」
 最大の勇気を振り絞った言葉を、あっさりとジェイ・ゼルは、切った。
 驚きに顔を上げたハルシャの目に、切ないほどの笑みを浮かべたジェイ・ゼルの顔が映る。
 彼は、ハルシャを見つめたまま、静かに首を振った。
「もう、私の側に来てはいけない」

 なぜ。

 問いかける前に、ジェイ・ゼルが
「君に逢うのはこれで最後だ」
 と、すらっと、言葉を続ける。
 手にしていた白い通話装置に少し目を向けてから、彼は瞬きをした。
「わざわざ、通話装置を返しに来てくれて、ありがとう。ハルシャ。君は本当に律儀で真面目な子だね」
 穏やかに呟いてから、彼は視線を上げた。
「実は、私も君に渡したいものがあってね――後で、君の宿泊所に送り届けようと思っていたが、丁度いい」
 通話装置を持ったまま、彼がすっと動いた。
「今渡そう。持って帰ってくれ。ハルシャ」
 言いながら彼は、部屋の中を歩いていく。
 ハルシャは、黒い部屋着をまとうジェイ・ゼルの背を視線で追った。
 彼の動きにつれて、ゆったりとした服が、風をはらんで優雅に揺れている。
 ジェイ・ゼルの所作はとても美しいと、ハルシャはぼんやりしながら思った。
 心が、先ほどの彼の言葉を受け入れるのを、拒んでいる。

 もう、側に来てはいけないと、ジェイ・ゼルは言った。
 反駁するのすら許さずに、言葉を封じて彼は行動に移っていった。
 揺るがない意思を感じる。
 こういう時のジェイ・ゼルは、どんなに言葉を尽くしても、考えを翻すことはない。五年間で学んだことが、内側から心臓を大きく打たせる。
 どうして――側に居てはいけないのだろう。
 自分の想いを素直に伝えれば、ジェイ・ゼルは誤解をとき、受け入れてくれると単純に考えていた自分の浅慮が、悲しかった。
 この瞬間がくることを、ジェイ・ゼルはずっと覚悟しながら生きていたのだと、彼の言葉から、ハルシャはなぜか感じ取った。
 別れの日が確実に来ることが――借金を全額返済した、その瞬間に。

 ぼんやりと見ていたジェイ・ゼルの背中が、居間を横切って壁へと向かった。
 見るともなく見ていたハルシャは、ある物を認めて、はっと、意識を現実へ引き戻した。
 突然、足が動いて、ハルシャは、ジェイ・ゼルの背を追っていた。

 まさか。
 まさか、そんな――

 信じられない気持ちが、ハルシャの足を小走りにさせる。
 確かめたかった。
 まさか、そんなことは、あり得ない。
 思いながらも、目にしたものに吸い寄せられるように、ハルシャはジェイ・ゼルの傍らにたどり着いた。
 ジェイ・ゼルの自室は、転移装置から出るとすぐに、玄関があり、その奥に広い居間がある。
 上質そうなソファーが置かれた部屋の壁に、額が、一枚かかっていた。

 ジェイ・ゼルに追いついたハルシャは、彼と並んで額の前に立っていた。
 小さな額だった。
 壁にある額を外気や塵から守るように、透明なケースがさらに上からかけられている。
 まるで、美術館の絵のような扱いを受ける額に、ハルシャは見覚えがあった。

 息を弾ませながら、ハルシャはしばらく、信じられない気持ちで、小さな額を見つめ続けていた。
 ターコイズブルーを基調にした上に金彩が施された、シンプルな紋様が浮き彫りになった額。
 その中には、少し黄ばんだ紙に、朴訥な筆跡で書かれた文字が綴られていた。
 十五年間、見つめていた額。
 見誤るはずがない。
 諳んじることが出来る言葉の数々が、視界を埋め尽くす。
 ハルシャは、小さく首を振ると呟いていた。
「どうして――」
 歯の間から絞り出すよう、声が漏れる。
「ファルアス・ヴィンドースの詩が、ここにあるんだ」

 ジェイ・ゼルは、無言だった。
 さっと、ハルシャは彼を仰ぎ見た。
「五年前に、競売にかけられたのでは、ないのか――ジェイ・ゼル」
 問いかけに、ようやく彼は視線をハルシャにむけた。
 小さく、彼が笑う。
「そうだ。競売にかけられた」
「なら、どうして」
 ふっと、ジェイ・ゼルが静かに笑みを深めた。
「競売にかけた上で」
 灰色の瞳が優しく細められた。
「私が競り落とした」

 言葉に、ハルシャは大きく目を見開いた。
 ジェイ・ゼルが、競り落としたのか?
 大切な祖先の遺品を――
 信じられない気持ちが、中から湧き上がってきて、ハルシャは立ちすくんだ。
 五年前のことが、脳裏をよぎる。


 思わぬ高値で売れたよ、ハルシャ。
 ファルアス・ヴィンドースは、今でも惑星トルディアでは、人気なんだな。


 『エリュシオン』に呼び出された時、彼はそう言って、競売一覧表を見せてくれた。
 ファルアス・ヴィンドースの直筆の額の落札価格は、三〇二ヴォゼルだった。
 まさか。
 まさか、それを――
 ジェイ・ゼルが支払ってくれていたのか。

 信じられない気持ちが、思考を奪っていく。
「どうして――」
 呻くように、問いを口にすることしか出来ない。
 ジェイ・ゼルは小さく笑った。
「さあ」
 瞬きの後に、彼は呟く。
「なんでだろうな」

 灰色の瞳が、ハルシャを見つめる。
 同じことを、彼は言った。
 紫の森で、ファルアス・ヴィンドースの墓に連れて行ってくれた時にも。
 明るい陽光にきらめく、紫の木の葉の影が、ちらちらと、視界をよぎるようだ。
 あの時、ごく自然に詩の話をジェイ・ゼルは、切り出していた。
 自宅に大切に保管してくれているとは、全く気取らせもせずに。
 この部屋で、ジェイ・ゼルは毎日、ファルアス・ヴィンドースの詩を、見つめていたのだろうか。

 言葉を無くして佇むハルシャへ、優しい笑みを向けてから、彼が動いた。
 数歩を近づき、透明なケースに触れる。
 特注で、額に合わせて作らせたようなケースだった。
 大切に守ってくれていたのだ。
 ヴィンドース家の家長が、代々伝え続けた、貴重な祖先の遺品を。
 ジェイ・ゼルは、日の当たらない場所を選んで、大事に壁に掛けていた。
 守るようにケースを周囲に巡らせて。
 足が、震えてくる。
 もう二度と見ることは叶わなくても、買い取った人が大切にしていて欲しいと願っていた。
 額は、この上なく大切にされていた。
 恥辱に満ちた行為を強制する、闇の金融業者だと思っていた人に――。
 自分はジェイ・ゼルのことを、何一つ、理解できていなかったのだ。
 内側の想いに耐え兼ねて、微かに身を震わせるハルシャの見守る前で、ジェイ・ゼルは上部に触れて、ロックを外し、ケースを壁から外した。
 身を屈めて透明な枠を床に置くと、彼は身を伸ばして真っ直ぐに、額の正面に立った。
 ファルアス・ヴィンドースの文字を、無言で見つめてから、彼は両手を差し伸べて、丁寧な仕草で額を壁から外した。
 どうして、外すんだ。
 ジェイ・ゼルの動作の意味が解らずに、戸惑うハルシャへ、彼は額を手にしたまま、身を返して向き合った。
「君の大切な祖先の書いた詩だ」
 額の向きを変えて、ハルシャの正面にしてから、彼は両手で額を差し出した。
「持って帰りなさい」

 額と、ジェイ・ゼルの顔と、ハルシャは何度も視線を往復させた。
「どうして――。これは、ジェイ・ゼルが競売で競り落としたものなのだろう」
 権利は、ジェイ・ゼルにあると、言おうとしたことが、ジェイ・ゼルの言葉でやんわりと途切れた。
「君が借金を全額返済したら、渡してあげようと思っていた」

 視線を上げて、ジェイ・ゼルの灰色の瞳を、ハルシャはひたむきに見つめる。
 今。
 ジェイ・ゼルは、何と言った。
 借金を全額返済したときに、渡そうと、思っていたのか。
 揺れるハルシャの視線を、包むように受け止めながら、ジェイ・ゼルが呟く。
「これは、ヴィンドース家に伝えるべきものだ。正当な所持者にお返しするよ、ハルシャ」

 どうして。
 ジェイ・ゼルは、これを競売でわざわざ競り落としながら――
 なぜ。

 混乱するハルシャの前に、額が差し出された。
 五年前と同じ、少しも傷んでいない額。
 ジェイ・ゼルが大切に保管してくれていた、ヴィンドース家の家宝。
「落札額を――お支払いしなくては……」
 動揺の中で呟いたハルシャの言葉に、彼は一瞬、眉を寄せた。
「借金を返済した祝いに、贈らせてくれないか」
 ジェイ・ゼルは、呆然と彼を見つめ続けるハルシャの前に、なおも額を差し出し続ける。
「受け取ってくれ、ハルシャ」

 言葉の真摯さに促されるように、ハルシャは両手を上げて、ゆっくりと額を受け取った。
 温もりのある木彫の額の手触りが、手の平に馴染む。
 かつての日々と、両親の声が、鮮やかに蘇る。
 無意識に、ハルシャは額を胸に引き寄せて、抱き締めていた。
 失ったと思った、一番大切なものが、手の中に戻ってきた。
 喜びに身が震える。
 仕方ないこととはいえ、歴代の祖先が、大切に引き継いできたファルアス・ヴィンドースの詩の額を、自分の代で喪失してしまうことが、やるせなかった。
 責任を感じざるを得なかった。
 かつての後悔と苦悩が、手にした額の手触りに癒されていく。

「ありがとう、ジェイ・ゼル――ヴィンドース家の大切な宝を」
 固く額を身に引き寄せて、ハルシャは呟いた。
「もう二度と、手に出来ないと思っていた」
 馴染のある形に、目頭が熱くなる
「ありがとう。ジェイ・ゼル。言葉に尽くせないほどに、感謝している」
 潤みそうな目を、ジェイ・ゼルに向けて、震える唇で感謝を呟く。
「本当に、嬉しい」

 瞬間、痛みを得たように、ジェイ・ゼルが眉をきつく寄せた。
 額を離した両手を固く握りしめると、
「それを持って、帰りなさい。ハルシャ」
 と、思わぬ冷たい声で言った。
「もう二度と、私の側に来てはいけない。いいね」







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