ほしのくさり

第155話  五年の時間-02





 大きく、サーシャの目が見開かれた。

「リュウジは、私たちと別れたくないから、一緒に帝星で暮らそうと言ってくれている。
 だが、帝星に行けば、ここで知り合った人たちとは、お別れしなくてはいけない。
 サーシャは、どちらがいいだろうか」

 触れている頭が、ぶるぶると震え出した。

「お兄ちゃん……それは、今すぐ決めなきゃ、いけないの?」

 大きくハルシャは息をついた。
「急に言い出してすまない。サーシャ。少し、時間がいるな」
 こくんと、サーシャがうなずく。
「サーシャは、リュウジとお別れしなくてはならないのは、辛いけど、メリーウェザ先生や大将たちとお別れするのも苦しいよ」
 涙が目に浮かぶ。
「でも、どちらかを、選ばなきゃ、いけないんだよね、お兄ちゃん」
「そうだね。リュウジにも都合がある。早く結論を出さないと、彼に迷惑をかけてしまう」

 こくんとうなずいてから、大きな青い瞳がハルシャを見上げてくる。

「お兄ちゃんは――どちらが、いいの?」

 問いかけの切実さが、胸を打った。
 だから、本当のことを、ハルシャは告げた。
「迷っている。サーシャのためには、帝星に行くのが良いかとは思う、だが」
「どうして、サーシャのためなの?」

 母と同じ、優しい大きな青い瞳が、自分を見つめている。
 美しい人だった。
 優しい人だった。
 なのに――あんなに酷い姿に、されてしまった。
 その傷が、心の奥から、湧き上がってくる。

「サーシャ」
 瞳を見つめながら、ハルシャは呟いた。
「もう一つ。サーシャに言っていないことがある」
 身が震えそうなのを、叱責しながら、ハルシャは言葉を続けた。
「両親の――死のことだ」

 言葉が喉につっかえて、うまく出ない。
 続きを言おうとしたハルシャの耳に、サーシャの静かな声が響いた。

「ごめんね、お兄ちゃん――サーシャは、知っているよ」

 驚きに目を開いて、サーシャを見つめる。
 彼女は唇を引き結んで、じっと自分を見つめていた。

「お兄ちゃんが何も言わないから、言ってはいけないことかと思って、聞けなかったけど――
 学校の男の子がね、教えてくれた。
 サーシャのお父さまとお母さまは、爆発事故で亡くなったって。だから、オキュラ地域に居るんだろうって。
 大人たちが話していたって――サーシャに教えてくれたの」

 教えてくれた。
 と。
 優しい表現を使っていたが、そうではないだろう。
 ヴィンドースという名から、親たちがサーシャのことについて噂をしていることを、小耳にはさんだ生徒が、サーシャに突きつけたのだろう。
 両親の爆死と、名家でありながら、オキュラ地域に過ごしている理由を。
 愕然とするハルシャに、慌ててサーシャが言う。

「サーシャは、平気だよ!」
 必死に、言葉を付け加える。
「それに、教えてくれてありがとう、って、ちゃんと、お礼を言っておいたよ。
 お兄ちゃんが、感謝を忘れないようにって、いつも言っていたから」

 サーシャが。
 両親のことを突き付けられ、人知れず、苦労をしていたなど――
 気付いてあげられなかった。
 いつも笑顔でいたから。
 学校は楽しいと、弾んだ声で言ってくれていたから。
 両親の死のことを聞かされても、兄の心を慮って、詳細を尋ねることすら、サーシャは出来なかったのだ。

「すまない、サーシャ」
 腕を伸ばして、妹の身体を抱きしめる。
「辛い思いをさせて、すまなかった――」

 ハルシャは、ぽつり、ぽつりと、腕に包んだまま、五年前の事故の様子を。サーシャに告げた。
 両親の死が、借金の始まりだったことも。

 ぎゅっと、サーシャがハルシャの体に手を回して、強く抱き締めてくる。
「ごめんね、お兄ちゃん」
 優しい声が体に触れる。
「ずっと、サーシャに悲しい思いをさせまいと、黙っていたんだね」
 力が籠る。
「ありがとうね、お兄ちゃん――大好きだよ」
 押し付ける場所が、温かく湿る。
 サーシャの涙が、身を濡らす。
「サーシャは幸せだよ。お父さまとお母さまが居なくても、お兄ちゃんが居てくれたから――幸せだよ。お兄ちゃん」
「サーシャ」
「ちっとも、辛くなかったよ。楽しい毎日だよ。サーシャは幸せだから――大丈夫だよ、お兄ちゃん」

 明日はこの家を引き払わなくてはならない。
 事実を、二人でしっかりと受け止める。
 五年間の思い出を、そこから、ハルシャとサーシャは語り合った。
 最初に作った料理は、オムレツにしたかったが、形が崩れて、スクランブルエッグになったこと。
 古着屋で、ハルシャが初めて買ってきてくれた服が、とんでもないデザインであったこと。
 辛かったはずの思い出を、笑顔で、兄と妹は語り合った。
 粗大ごみから拾ってきて、直して使っている時計が時間を刻む中、語らいは止まらなかった。

 布団に横になり、ハルシャは妹を腕に包んで、眠りの態勢に入った。
 もう、夜明けまであまりない。
 それでも、二人は中々寝ることが出来なかった。

「お兄ちゃん」
 腕に包まれたまま、サーシャが呟く。
「覚えているよ。大きなお家から移る前にも、こうやって、お兄ちゃんが腕に抱きしめてくれていたね」

 閉じていた目を開いて、ハルシャは妹の顔を見た。
 六歳の時のことを、サーシャは言っているのだ。
 まさか、記憶が残っているとは思っても見なかった。
 驚くハルシャに、優しい笑みを浮かべながら、サーシャが言う。

「ちゃんと、覚えているよ。泣いているサーシャを、お兄ちゃんは慰めてくれていた。兄さまがいるから、大丈夫だって――」
 ぎゅっと、腕を掴んで、頬に押し当てる。
「どこに行っても、サーシャは大丈夫だよ。お兄ちゃんと一緒なら」
 目を閉じて、小さな声で言う。
「お兄ちゃんのいるところが、サーシャの故郷だよ」

 呟きの後、言葉が途切れた。
 スースーっと、軽い寝息が、その後サーシャの口から響きだした。
 眠りに、引き込まれて行ったようだ。
 ハルシャは、そっと、布団をサーシャの肩までかけて、彼女の寝顔を見守った。
 きっと。
 自分がサーシャに苦しみを気づかせまいとするように、サーシャも生活の苦悩を、自分に悟らせまいと、努力をしていたのかもしれない。
 互いを支えて、これまで、懸命に走ってきた。
 そっと、金色の髪を指で梳く。
 穏やかな寝顔を見つめながら、考える。

 サーシャにとって、帝星でのびのびと暮らすことが、幸せなのだろうか――と。

 ラグレン政府が自分たちに目を付けているという一言が、今も心に引っかかっている。
 自分のことよりも、サーシャの幸せのほうが、大切だった。
 きっと。
 メリーウェザ先生の叔父さんのように、自分は器用ではないのだろう。
 自分が幸せになることよりも、相手が幸せになってほしいと、考えてしまう。
 両親が残してくれた、大切な宝。
 サーシャが一番幸せになる道――それを考えながら、ハルシャは目を閉じた。


 *


 リュウジはベッドの上に横になり、天井を見つめていた。
 昨日、ハルシャが寝ていた場所には、誰もいない。
 部屋の中に、独りだった。

 ずっと、そうやって生きて来たはずだ。
 誰も側に居ない状態で、寝ることが二十年来続けてきている習慣だ。
 なのに。
 傍らに柔らかな寝息が聞こえないことで、どうして、こんなにも心が痛いのだろう。
 独りだ。
 いつもそうだった。
 昔に戻っただけだ。
 言い聞かせようとする。
 だが。
 一度覚えた人の温もりが、心を引き裂いてくる。
 ハルシャは、サーシャと話し合いたかった。
 当然だ。
 それを、自分が邪魔をすることなど出来ない。
 彼らの大切な人生だ。
 あの部屋は、五年間の苦楽が染みついた場所なのだ。名残りを惜しむためにも、そこで最後の夜を過ごしたいというのは、十分過ぎるほどよく、解る。
 なのに。
 どうして、こんなにも、心がざわめくのだろう。
 家族だと思っているのは、自分だけではないのだろうか。
 不安が、湧き上がってくる。
 ずっと一緒に居たいと思っているのは、自分の勘違いではないのだろうか。
 やはり、ハルシャは、ラグレンに残ると言うかもしれない。
 どんなに言葉を尽くしても、ハルシャの心から、ジェイ・ゼルに対する思慕を、拭い去ることが出来ない。
 唇を受け入れてくれたのに――
 こんなにも、不安だ。
 胸が、掻きむしられるように、苦しくて仕方がなかった。

 リュウジは天井を見つめ続ける。
 そのまま時間だけが、過ぎていく。

 長い静寂の後、リュウジはむくりと起き上がった。
 静かに、ベッドから足を下ろす。
 傍らの小卓から鍵を取ると、そのまま靴をひっかけて、歩き出した。
 部屋を出て、鍵を閉める。
 迷いのない足取りで、チューブへと向かう。
 五階下へ降り、再び廊下を歩む。

 端から二番目の部屋の前で、立ち止まった。
 番号を確認して、軽く扉を叩く。
「僕だ」
 声が聞こえたのか、走ってくる足音が聞こえた。
 扉が開く。
 静かに開けて保持する吉野が、自分を見つめていた。
「入れてくれ、吉野ヨシノ
 言葉に、彼は少し身を動かして、リュウジを部屋の中に招き入れた。
 彼の脇をすり抜けるように、扉の内側に入る。
「御用でしたら、お呼びくだされば、参りましたのに――わざわざご足労頂くとは……」
 吉野の言葉に、リュウジは首を振った。
 彼がまだ、部屋の灯りを点け、電脳を机に広げていることに、目を止める。
「仕事をしていたのか」
「はい。総帥から色々と、ご指示が来ます――それに、お答えしておりました」
 祖父にはもう、自分がラグレンに居ることは伝わっている。
「そうか」
 言葉を切り、視線を伏せる。
「世話をかける」
 吉野は静かに首を振った。
「総帥は、何も責められていません。ただ、いつお帰りになるのかと、それをご心配されているだけです」
 リュウジは、答えなかった。
 沈黙の後、吉野はマイルズ警部から聞いていたことを、リュウジに報告した。
 ハルシャが請け負っていたのは、間違いなくスクナ人を動力源とする駆動機関部だと、汎銀河帝国警察機構が判断を下したことを。
「スクナ人を、ラグレン政府が保有しているという証拠があれば、すぐにでも汎銀河帝国警察機構は動いてくださるそうです」

 リュウジはうなずいた。
「レズリー・ケイマンの尻尾さえつかめれば、何とかなるが。奴は狡猾だからな――自分の過去を、見事に消している」
 リュウジは、今日、リンダ・セラストンから聞いた話を、思い返す。

 今は、ラグレン政府のトップに座る男。
 レズリー・ケイマンの正体は、セジェン・メルハトルという、元・宇宙海賊だった。
 エルド・グランディスが頭領ケファルとして仕切っていた、宇宙海賊『ヴェンドルダ』の乗組員だったのだ。
 薄汚い裏切り者だと、吐き捨てるようにリンダ・セラストンは言い切った。
 彼は――身内を売り、その見返りとして地位と報奨金を手に入れた。
 賞金首だったエルド・グランディスに、耳寄りな情報だとして、略奪をそそのかし、その荷物の中に、醜悪な爆薬を仕込んでいた。
 リンダはそのことに、不時着した惑星で気付いた。
 三機あったはずの小型艇が、一機しか残っていなかった。一機はエルドが仲間を救うために使った。
 なら、後一機は?
 そして、仲間の一人が、誰にも気づかれずに消えていることを、発見する。
 それが、セジェン・メルハトルだった。
 今回の仕事を持ち込んだ、張本人だ。
 彼は爆薬が仕掛けてあることを知っており、そっと逃げ出したのだ。
 本来なら全員が宇宙の藻屑となるはずが――エルドの勇気によって、自分は、生き残った。
 リンダは、そこから、セジェン・メルハトルの行方を、探し続けた。
 執念の捜査のすえに、ようやく、彼を見つけ出す。
 彼は整形し、完全に容貌を変え、新しい戸籍を手に入れてレズリー・ケイマンとして、ラグレン政府の執政官に居座っていた。
 どんなに姿を変えても――遺伝子の形は変わらない。
 リンダたち宇宙海賊には、もしかの時に備えて、乗組員の遺伝子型を、記録する習慣があった。
 入り乱れた形も定かでない遺体から、確実に本人だと見分けるために。
 死と隣り合わせの、宇宙海賊らしい防御策だ。
 その遺伝子型と、レズリー・ケイマンの遺伝子が同じであれば、彼をセジェン・メルハトルと特定できる。
 それが、リンダ・セラストンが廃材屋となって、ラグレンに居る理由だった。

 レズリー・ケイマンは、厄介だ。
 彼は、イズル・ザヒルと手を組んでいる。

 考え込みながら、リュウジはベッドの端に腰を下ろした。
「まだ、仕事を続けるのか」
 リュウジの問いかけに、吉野は静かに首を振った。
「もう、休もうと思っていたところでした。竜司リュウジ様」
 リュウジは、言葉を証明するように、電脳を閉じる吉野を見つめる。
 彼は、柔らかく問いかけた。
「何か、お申し付けになることがありますか」

 沈黙の後、リュウジは口を開いた。
「ベッドを半分貸してくれ」
 電脳を閉じる手を止めて、吉野が驚いたように、自分を見ている。
「狭くて、不便をかけるが――すまない、吉野」

 唇を噛み締めるリュウジに、吉野はただ、静かに笑った。
「右側がいいですか、それとも、左がお好みですか。竜司リュウジ様」
 そっと、電脳が閉じられた。
「右がいい。左側に人がいると、落ち着かない」
「承知いたしました。では、右にお休みください」

 無茶な申し出に、吉野は素直に肯いてくれた。
 誰かが側に居てほしいと、はじめて思った。

 たぶん。
 自分は寂しかったのだ。

 兄と妹の深い絆に、近づけない自分が。
 切なくて、辛かったのだ。
「安眠の邪魔をして、すまない」
 リュウジの、詫びるような言葉に、吉野は静かに首を振った。
「それで、御心が落ち着かれるのなら、いいのですよ、竜司リュウジ様」
 リュウジは靴を脱いで、ベッドに入り込んだ。
 一つしかないベッドを回って、リュウジの傍らに、布団をめくり、静かに吉野が身を横たえる。
 誰かの温もりが側にあることに、何故かほっとする。
 こんなにも、自分はハルシャとサーシャの存在を求めていたのだと、思い知る。
「明かりを落とします。よろしいですか」
「うん」
 リュウジの答えに、すうっと、部屋が暗くなる。
 身を締め付けるような孤独が、吉野の気配に、和らいでいく。
「ハルシャは」
 我知らず、リュウジは吉野に問いかけていた。
「帝星へ、一緒に来てくれるだろうか。吉野ヨシノ

 こんなに不安な気持ちになることなど、今まで無かった。
 それが、問いを口にさせていた。

竜司リュウジ様の誠意は、ヴィンドース家の兄妹に、十分伝わっていると思います。どうか、案じられますな」
 彼の言葉を、黙したままリュウジは受け入れた。
 語調を明るくして、吉野が続ける。
「明日は、オキュラ地域で彼らの引っ越しの手伝いを、させて頂きましょう。共同で作業をする中で、さらに打ち解けることも考えられます。
 あまり結果を考えず、出来る最善を尽くさせて頂きましょう」
 目を閉じたまま、リュウジはうなずいた。
「わかった。そうしよう」
 そのまま沈黙するリュウジの耳に、優しい吉野の声が聞こえた。
「ご安心ください。吉野がお側におります」

 はじめまして、竜司リュウジ様。
 吉野と申します。
 父同様に、どうかお側でお使いください。

 最初に出逢った時、彼もおそらく少年だったのだろう。
 自身の父親を、リュウジの両親と共に失いながら、彼は涙一つ見せずに、側で仕えることを誓ってくれた。
 そこから、ずっと彼はリュウジを見守り続けていた。
 どこに姿を消しても――彼は必ず自分を見つけ出した。

「ありがとう、吉野ヨシノ
 呟いて、布団の柔らかさと温もりに身を任せる。
 はやり疲労していたのだろう。
 いつしか、眠りの底に、リュウジは引き込まれていった。

 
 吉野はしばらく目を閉じ沈黙していたが、規則的な寝息をリュウジがたてはじめたことを確認すると、静かに目を開いた。
 彼は、音を立てずに動いた。
 ベッドを滑り抜けると、布団をそっと直し、リュウジの身を覆う。
 彼は足音を立てずに、電脳を置いてある机への元へと歩いていく。
 椅子を引き腰を下ろすと、電脳を開いて、作業を開始した。
 リュウジの寝息の響く中、彼は再び、仕事へと戻った。
 レズリー・ケイマンの経歴を洗うこと。
 ラグレン政府の電脳に侵入しながら、彼は慎重に情報を探り続けていた。
 時折手を止めて、リュウジの寝息が規則的なことを、確認する。
 安らかな息の音を聞きながら、吉野は、目を細めた。

 人恋しさを全身に滲ませて、途方に暮れたように、リュウジは廊下に佇んでいた。
 初めて見る、カラサワ・リュウジの姿だった。
 心を取り戻した彼は、幼い子どものように、人の温もりを欲していた。

 リュウジのためにも、そして、ヴィンドース家の兄妹のためにも、早く帝星へ移り住む未来を、静かに吉野は心の中に祈った。
 しばらくしてから、彼は止めていた手を、再び動かし始めた。








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