検品は、午後から行われた。
わざわざ惑星サングラから、宇宙船の部品を買い付けに来た男の名は、ギランジュ・ロアといった。
彼は恰幅が良く、よく喋り、矢継ぎ早に質問をした。
ハルシャは丁寧に彼の疑問に答えていく。
請け負ったのは、コルドン・ファイ型と言われる駆動機関部だった。
長距離航行を主とする宇宙船に搭載されるもので、次元航法の過酷な衝撃に耐えられるように、耐久性と緻密さとまた修理のしやすさが求められる。デリケートな駆動機関部だった。
近距離ではなく、長距離航行の宇宙船はほぼオーダーメイドに近い。
ギランジュ・ロアも、そうしたオーダーメイドの宇宙船を扱うらしく、大切な客人の要望に応えるべく、駆動部のチェックにも余念がなかった。
ハルシャが示したシミュレーターの数値に、彼は満足を口にした。
「いい出来だ」
だが、最終的には宇宙船の中に組みあがって、どう動くが重要だった。
組みあがった後の微調整についても説明して、ハルシャは何とか自分の役割を終えた。
昼過ぎから行っていた検品は、気付けばもう夕方近くになっている。
「君は、ハルシャ・ヴィンドースというのだね」
仕事上の間柄から、ハルシャ個人に興味を持ったような口調で、契約主のギランジュ・ロアが問いかける。
ハルシャが検品は終わったと判断し、辞去しようとした時だった。
「はい」
短く、それだけを応える。
「ヴィンドースは、確かこの惑星を移住可能にした科学者の名前だったね」
彼は、惑星トルディアについての知識をひけらかすように言った。
「はい」
ハルシャは、当たり障りのない言葉で答える。
「ファルアス・ヴィンドースです。彼の子孫はこのトルディアで栄えています」
「なるほど、君もその子孫の一人という訳だね」
うなずきで応えてから、
「失礼します、ロア社長」と頭を下げて、さっさとその場から去った。
視線が自分にまとわりつくのを感じる。
嫌な視線だ。
彼が遠ざかるハルシャの背の向こうで、工場長に何かを言っているのが耳に入ってくる。
ハルシャは、無視した。
一つの仕事が終わって、安心している場合ではない。
ハルシャは、自分の机に向かい、新しく依頼を受けた図面を電脳に呼び出し、細部をチェックしていた。
製作前に、細かいミスを拾っておかないと、やり直しという二度手間に陥ってしまう。
ハルシャは、作業にかかる前に綿密に計算をし、いつも一度で完成させていた。
リテイクを喰らえば、その材料費が給料から引かれる。
ハルシャは、用心深かった。
今度、依頼されたのは、変わった形の駆動機関部だった。ハルシャはじっくりと、図面を読む。
長距離用の駆動機関部にしては、作りがおかしい。
これでは、次元航法に耐えられない。かといって、短距離用でもない。
図面を一度シミュレーターに落として、望む出力が出るかどうか、実験した方が良いと、ハルシャは判断を付けた。
何かが、引っかかる。
作業に移ろうとしたハルシャの元に、工場長のシヴォルトが近づいてきた。
「ご苦労だったな、ハルシャ」
彼の顔には、いつも自分を嘲るような笑いが浮かんでいる。
「満足してもらえて、良かった」
それだけを言うと、ハルシャは自分の作業に戻った。
中々、工場長はその場を立ち去らなかった。ハルシャは作業を再開する。いちいち気にしていたら、前に進まない。
しばらくその場でハルシャを見守ってから、工場長のシヴォルトが口を開いた。
「ジェイ・ゼル様から、呼び出しだ、ハルシャ」
ハルシャは、手を止めた。
凍り付いたまま、言葉を聴く。
「夕刻、飛行車が迎えに来るそうだ。それまでには作業を終えておけ」
くるりと、踵を返すと、足早にシヴォルトが立ち去っていく。
彼の気配が消えてから、ハルシャは、細く長く、息をついた。
納期を気にしていたハルシャの仕事が終わったのを、見計らったように、彼はハルシャを呼びつけた。
仕方がない。
それが、契約の条件だった。
ふっと、息を吐く。
ここ数日――自分の人生に現れたオオタキ・リュウジのことに忙殺されて、自分の現実から、目を逸らしていたのかもしれない。
改めて突き付けられて、ハルシャは、胸の奥がきりっと痛んだ。
運命を受け入れるしかない。
気持ちを入れ替えると、与えられた時間まで、ハルシャは数値を打ち込む作業に没頭した。
*
ハルシャを迎えに来たのは、ジェイ・ゼルのお抱え運転手のネルソンだった。
開いてくれた車内に、ジェイ・ゼルの姿がない。
問いかけるハルシャの視線に、ネルソンが
「向こうでお待ちです」
と、短く言う。
向こう、というのがどこかは解らないが、ハルシャはあえて問いたださずに、飛行車に乗り込む。
納期に間に合わせた仕事を終えたばかりだった。
正直、眠りたかった。
サーシャに何も言っていないのも気になる。
ジェイ・ゼルの気まぐれに振り回される自分に、ハルシャは微かに眉を寄せる。
だが、仕方がない。
諦念を瞳に滲ませながら、高い場所を滑る、飛行車からラグレンの街を見下ろす。
華やかなラグレンの街は、咲き誇る花のようだった。
きらびやかな街の底に、沈んでいる存在があるのを、富裕層は無視していた。
ハルシャは、街を見つめる。
艶やかで棘のある檻のように、この街に自分は、縛り付けられている。
縛っているのは、ジェイ・ゼルだった。
その彼に身を差し出すために、自分は向かっている。
虚ろな眼差しで、ハルシャは虚空を見つめる。
あなたにお逢い出来て、僕は、幸運でした。
ふと、昨日聞いた言葉が耳に蘇る。
本当に幸運かどうかは、解らない。
ハルシャは、心の中に呟く。
どうしてあの時、自分を見捨ててくれなかったのかと、リュウジがいつか口にするだろうと、ハルシャは考えていた。
身に受けた記憶が、蘇った時に。
ネルソンが向かったのは、いつもの『エリュシオン』だった。
飛行車から出る時に、彼からジェイ・ゼルが待つ部屋の番号が告げられる。
これから、ハルシャが何をするのか知りながら、ネルソンは表情一つ動かさなかった。五年の間、数限りなく、ハルシャは彼の運転する飛行車で、この場所に送り届けられている。
羞恥など、感じる必要もないことのはずだった。
短く礼を述べてから、ハルシャはボードを手に、指定された部屋に向かった。
玄関で、入った姿が報告されたのかもしれない。
触れる前に、ジェイ・ゼルが彼のために、扉を開いてくれた。
「どうしても、外せない用事があってね」
ハルシャを見下ろしながら、彼が呟く。
「食事もしてないのに、呼びつけてすまなかったね」
ハルシャは、ジェイ・ゼルを見上げた。
灰色の瞳が、自分を見ていた。
「別に、腹は空いていない」
戸口に佇む彼を押しのけるようにして、ハルシャは部屋の中に入った。
仕事をしていたのかもしれない。
複数の電脳が、机の上にあった。
「そうか、この部屋に料理を運ばせようと思ったのだが――」
扉を閉じながら、ジェイ・ゼルが呟く。
「食事はいらないか?」
ハルシャは、黙っていた。
ふっと、小さくジェイ・ゼルが笑いをこぼす。
「そう言えば、納期に間に合ったようだね。取引先が君の技術を褒めていたそうだ。私も鼻が高い」
顎がジェイ・ゼルの指先に捉えられ、そっと、彼の方へ向かされる。
「納期が迫っていないから――今日は飲めるのだろう。ハルシャ」
ハルシャは、小さく呟く。
「ああ」
にこっと、ジェイ・ゼルは微笑むと、軽く彼の唇に触れた。
「この前と同じ程度に、上等なものを用意しておいた」
手を離し、彼は机に向かって歩いていく。
グラスが一つ置かれていて、すでに赤い液体が満たされていた。
ジェイ・ゼルがグラスを手に、ハルシャの元へ戻ってくる。
「気に入ってくれると、嬉しいのだがね」
呟くジェイ・ゼルから、ハルシャはグラスを受け取ろうとした。
だが、彼はすっと引くと、自らが酒を口に含んだ。
え、と思う間もなく、ハルシャは彼に引き寄せられ、唇を覆われていた。
合わされた場所から、温みを帯びた赤い酒が、押し込まれる。
ハルシャは、眉を寄せながら、彼の口移しの酒を受け取ると、飲み下した。
かあっと、喉を熱いものが滑り落ちてくる。
ハルシャは思わず咳き込んだ。
「ちょっと、性急すぎたかな」
ハルシャの背を撫でながら、彼が呟く。
「早く飲ましてあげたいと、思ってしまってね」
悪びれなく呟いてから、再び彼は酒を口に含み、ハルシャを覆う。
ごくんと、ハルシャは、熱い液体を喉に滑らせる。
空腹のために、急激にアルコールが身を回っていく。
「ハルシャは、あまりお酒に強くないね」
よろめく腕をとりながら、ジェイ・ゼルが笑いを含んで言う。
「このぐらいにしておこうか、ハルシャ。意識を失っては、面白くない」
グラスを持ったまま、ジェイ・ゼルが再びハルシャの唇を覆った。
ハルシャの中のアルコールの残り香を舐め取るように、ジェイ・ゼルが舌を口内に這わせる。
執拗なジェイ・ゼルの舌の動きに、くらりと目眩を覚える。
彼はいつもと、何かが違った。
妙に切羽詰まったように、ハルシャを貪っていた。
ハルシャは抵抗せず、彼を受け入れ、舌を絡める。
次第に、ジェイ・ゼルの息遣いが荒くなってきた。
彼の口からも、アルコールの味がしている。ハルシャを待つ間に、飲んでいたのだろうか。
頬が、飲まされた酒のせいで、熱い。
ゆっくりと、ジェイ・ゼルが顔を離した。
近くで、ハルシャを見つめる。
瞳を細めて、彼は無言でハルシャへ視線を落とし続ける。
目を逸らさずに、ハルシャは彼を見返し続けた。
「納期に間に合わそうと思って、相当体に負荷をかけたのだろう」
ひどく近い場所で、ジェイ・ゼルが呟く。
「目の下に、くまがあるな」
余計なことだ。
と、思ったが、ハルシャは呟いた。
「あまり、寝ていない」
「そうか」
ジェイ・ゼルが微笑む。
「なら、早く解放してあげなくてはならないな――私も仕事で忙しい」
突然、ジェイ・ゼルが思い遣りに満ちた言葉を、ハルシャにかけてくれた。
ジェイ・ゼルのグラスを持たない方の手で、すっと頭が撫でられる。
「疲労の蓄積は、事故の元だ。私は君に怪我をして欲しくない」
優しく、手がハルシャの髪を滑り落ちる。
「ハルシャ」
重い、企みを含んだ言葉が、ジェイ・ゼルの口からこぼれた。
灰色の眼が、ハルシャを捉えて動かない。
頭に手を置いたまま、ジェイ・ゼルが唇のすぐ側で呟いた。
「今日は――君が自分で慰めるところを、私に見せてくれ」
どくん、と。
重く心臓が打った。