ほしのくさり

第15話  存在しないはずの人物-02





 途切れた沈黙の後、ハルシャは告げなくてはならないことを、口にする。
「今日、メリーウェザ先生が、君の名前で行政に問い合わせをしてくれた」
 微かに、リュウジの目が輝いた。
「ありがとうございます」
 喜ぶ彼に、ハルシャは眉を寄せて首を振った。
「残念ながら、旅行者の中にも――トルディアの住人の中にも、君の名前、オオタキ・リュウジというのは、存在しなかった」
 
 何回か、彼が瞬きをした。
「それは――」
「君が誰なのか、現在では、調べる方法がないということだ」
 凍り付く彼に、ハルシャは言葉を続ける。
「俺たちが探れる以外の方法で、君はこの惑星に来たのかもしれない。ともかく、行政の資料には、君の名がない。
 路上に倒れていた時、君は身分証を保持していなかった。
 身分が証明できなければ、この惑星から出ることが出来ない」

 固まったまま、リュウジがハルシャを見ている。
 痛みに耐えるように眉を寄せて、ハルシャは彼へ視線を向けた。
 深い藍色の瞳を見守りながら、言葉を滴らせる。

「残念ながら、君が誰なのか解らない今――居るべき場所へ、君を戻してあげることが出来ない」

 沈黙するリュウジに、ハルシャはぽつぽつと、身分証の意味と、惑星トルディアの出入星システムを話す。
 彼は、黙って聞いていた。

 途切れた言葉の後、
「僕は、ここで生きるしか、無いということですね」
 と、淡々と事実を述べるように、リュウジが言った。
「惑星トルディアで」
 今は、その選択肢しかない。
 ハルシャは、記憶を失い不安な彼に、現実を突きつけるのが、心苦しかった。

 しかも――
 身分証がない異星人であったなら、より条件が厳しくなる。
 密入星に対して、惑星トルディアは厳罰で処していた。
 オオタキ・リュウジという人物が、トルディアに入星した記録が残っていない以上、彼は不法滞在していることになる。
 先ほど、メリーウェザ医師とも話していたことだ。
 もし、今の状態でリュウジを行政に連れて行っても、密入星管理法で警察に逮捕される未来しかない。
しかも彼は記憶を失っている。
 自分の母星のことも話すことが出来ず、家族への連絡も取れないまま、刑を受けてしまう可能性がある。
 今でさえ混乱するリュウジを、行政に差し出すことは、出来なかった。

 たった一つ、彼が生き延びる方法は、ここ、オキュラ地域に身を寄せることだ。
 ここは、吹き溜まりのような場所で、よほどのことが無いと、警察も手を入れない。
 上部のラグレンでは、身分証が無ければ到底生活できない。
 だが、オキュラ地域では身分を失った者や、不法滞在者を受け入れてくれる。
 ここに身を落ち着けて、ゆっくり記憶を取り戻すのが、リュウジにとって、最も良い選択ではないかという結論に、ハルシャとメリーウェザ医師は、達していた。
 
「厳しい環境だが、今の君には、ここオキュラ地域にしか、身を置く場所がない」
 じっと自分を見つめる、深い藍色の瞳に向けて、ハルシャは呟いた。
「動けるようになるまで、メリーウェザ医師は置いてくれると、約束してくれている」
 ハルシャは、少しためらってから、口を開いた。
「元気になったら、俺たち兄妹と、一緒に暮らそう」
 昨日から、ずっと考えていたことを、ハルシャは口にした。
 狭い部屋だが、何とか一人ぐらいなら、割り込むことが出来る。
「厳しい暮らしだが、なんとかやっていけるだろう」

 ベッドに身を起こしたまま、リュウジがハルシャを見ていた。
「ご迷惑では、ありませんか」
 迷惑か、迷惑でないかと言えば、それは確かに迷惑だった。
 だが。
 彼は身元が解らず、どこにも居場所がない。
 リュウジを路上から連れてきたのは、自分だった。その責任を、ハルシャは感じている。

「俺は仕事でなかなか、妹と時間を過ごしてやれない」
 別の言葉で、ハルシャは、彼の危惧を解く。
「夜のオキュラ地域は物騒だ。もし誰かが部屋に妹と一緒に居てくれれば、ありがたい」
 彼の人柄を、大丈夫だと見込んだ上での、言葉だった。
 もし、彼が犯罪者だったら、自分の見る目がなかったということだ。
 そこまで考えて、ハルシャは提案をした。

 リュウジの深い藍色の瞳が揺れていた。
 一心に、ハルシャを見つめる。
「教えてください、ハルシャ。ここで暮らす方法を」
 思いもかけない強い口調だった。
 深い深い、宇宙の色が、ハルシャを中に映して、真っ直ぐに視線を送る。
「記憶が戻るまでの間、僕はここで、生きていきます。僕に出来ることを、させて下さい」

 
 こんな風に――
 かつては自分もジェイ・ゼルに言ったのだろう。
 必死に借金を返そうとして。何でも出来ることを、しようとしていた。
 どんなにそれが、おぞましい行為であっても。

 過去の自分と重なり、ハルシャは息が苦しくなった。
「無理をしなくていい」
 ハルシャは、過去の幻影に目を細めながら呟いた。
「君を路上から拾ったのは、俺だ。ここに居る責任の一つは、俺にある」

 ハルシャの言葉に、小さくリュウジは頭を振った。
「オキュラ地域がどんなところであるか、恐らく僕は確かめもせずに、足を踏み入れたのでしょう。
 罪は、無知であった、過去の僕にあります。
 ハルシャは、何も責任を感じないでください。全ては、僕の責任です」

 つかめない過去を懸命に手繰るように、彼は眉を寄せて、一点を見つめる。
「記憶がないのも、僕のことです。それでハルシャが、苦しまないでください」
 穏やかな瞳が、真っ直ぐにハルシャを見る。
 彼は優しく微笑んだ。
「路上から救い上げて頂き、ここまで運んで下さった。それでもう、十分です。
 そのご恩に、どうやって感謝を述べたらいいのか解らないほどです。
 今もこうして、僕のことを心配してくれている――」
 笑みを深めて、言葉が紡がれる。
「あなたにお逢い出来て、僕は本当に、幸運です」

 屈託のない言葉に、ハルシャは胸を突かれた。

 あの時。
 路上で倒れる彼を発見した時、一瞬ハルシャは迷った。
 身が傷つけられていることに、気付いたからだ。
 性的な暴行を受けた記憶を引き摺りながら、生き続ける未来を、彼に与えて良いのかと、ハルシャは迷った。
 今放置しておけば、気を失ったまま、誰かに命を奪われる。
 そちらが、楽なのではと、実にオキュラ地域らしいことを、思ってしまったのだ。
 だが。
 指に感じた力強い脈動に、生じた思いを振り切って、ハルシャは彼を医療院へ運ぶことを決断した。
 自分も、泥まみれになって生きてきた。
 もし彼が、自分の身に起こったことに衝撃を受けた時は、彼の心に寄り添って、手を差し伸べようと、決めたからだった。

 俺も泥まみれだ。お前だけじゃない。
 それでも――生きていられる。

 どんなに長い闇でも、いつかは明けると、ハルシャは知っていた。たとえ、夜が四百年続くタルタロスであったとしても、四百一年目には、夜明けが来るのだ。

 だが、今。
 彼は記憶を失うことで、ようやく心の均衡を保っている。
 記憶を取り戻すことは、過去をよみがえらせること。
 その事実が、胸に刺さる。

「困った時は、お互い様だ」
 ハルシャは呟いていた。
「礼には及ばない」
 
 にこっと、彼が微笑んだ。
「それでも、あなたのご厚意のお陰で、僕は生きています」
 まろやかな言葉が、彼の口からこぼれる。
「ここであなたに出会えて、良かったです」

 ああ。
 惑星ガイアにふる、恵みの水のようだ。
 彼の言葉は、天から落ちる雨のようだった。静かに降り注ぎ、ハルシャの中に沁み通っていく。
 穏やかに、音もなく。
 心が慰められていく。
 理由は解らなかった。だが、彼の存在が、ハルシャの中の、堅い何かを解いていくようだった。
 無心に向けられている、眼差しのせいかもしれない。
 信頼に満ちた、無垢な、瞳。宇宙を宿した瞳の――


「お兄ちゃん!」
 賑やかな声と共に、サーシャが走って来た。
 アルバイトが終わったらしい。
 奥に居ると、メリーウェザ医師に聞いたのかもしれない。
 まっしぐらにハルシャを目指し、たどり着くと胴をぎゅっと抱きしめてくる。
 長い別離をそうやって埋め合わせをするように、妹は必ず、ハルシャの身を抱いて心を落ち着かせる。
 ハルシャは、金色の髪を撫でた。
「無事に一日を過ごせたか?」
「うん、お兄ちゃん」
 抱きついたまま、顔を上げる。
「まかないのご飯を貰って来たから、一緒に食べようね」
 そこでようやく、リュウジへ恥ずかしそうに顔を向ける。
「リュウジくんの分も、晩御飯を持ってきたら、食べてね」
 にこっと、リュウジは笑うと
「リュウジ、で良いです」
 と、サーシャに告げる。
「くん、は、いりません、サーシャ」

 柔らかな笑みが、ハルシャとリュウジの顔に、同時に広がった。

 *

 夕食を終えて、ハルシャはサーシャと手を握って、昨日のように、家路をたどっていた。
「随分元気になったね、リュウジは」
 弾んだ声で、サーシャが言う。
「食べるものに、何でも感動してくれて、なんだか嬉しい」
 リュウジは、どんなものでも、美味しいですね、と、笑顔で言いながら、パクパクと食べてくれる。
 それが、サーシャはくすぐったいように、嬉しかったようだ。
 ハルシャは、ぎゅっと、妹の手を握った。
「サーシャ」
「何、お兄ちゃん」
 言葉がすぐに出ずに、ハルシャはしばらく無言で道を歩いた。
「リュウジを、家で引き取ろうと思っている。すぐにじゃない。メリーウェザ先生が、もう大丈夫だと判断されたら」
 サーシャは黙って、ハルシャを見上げていた。
「部屋が狭くなって、食費もかさむと思うが、良いだろうか、サーシャ」
「もちろんよ! お兄ちゃん!」
 はしゃいだ声で、サーシャが言う。
「嬉しい」
 ぴょんぴょんと、サーシャが跳ねだした。
 握っているハルシャの手も、ついでに揺れる。
「そうか」
 ハルシャは喜ぶ妹を見ながら、静かに微笑んだ。
「サーシャが嬉しいなら、それでいい」




 





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