ほしのくさり

第150話  リュウジの告白



※文中に、リュウジの過去に関する残酷な表現が出て参ります。そのような表現が苦手な方は、ご注意ください。




 自分に、逢う必要が、あった。

 思いもかけないことを、リュウジが言っている。

「どういうことだ、リュウジ」
 ハルシャは、混乱の中で、懸命に問いかけた。
 カラサワ・コンツェルンの次期総帥と、自分は面識などないはずだ。

 あまりに色々なことが押し寄せてきて、ハルシャは軽いパニックになりそうだった。
「混乱させてしまってすみません」
 穏やかな声で、リュウジが告げる。
「順を追って、お話させていただきます。解りにくかったら、遠慮なく質問してください」
 藍色の瞳の中にこもる強さが、ふと、ハルシャを落ち着かせた。
 掻きまわされて濁った泥水が、静寂の中で水と泥とに分離するのを待つように、リュウジはじっと、自分を見つめ続ける。
「どうしても、あなたに、理解してほしいのです。僕が今、ここにいる意味を」
 ぽつんと、リュウジが呟く。
 膝に乗せられた手が、とても、温かだった。
 言い終えた後、少し言葉を切って、彼は沈黙したまま考え込んでいた。
 長い静寂の後、リュウジは瞬きを一つ、した。

「少し、僕のことについて、話させてください」
 視線を伏せて、彼は言葉を紡いでいく。
「ハルシャは、勇気を振り絞って、僕に自分のことを、話してくれましたね。
 とても、言い難いことを、僕を信じて、伝えてくれました。
 あの時、本当に嬉しくて、心が震えました」
 ゆっくりと、彼は瞼を押し上げて、自分へ視線を向けた。
 藍色の瞳が、自分を見つめている。
「その時の気持ちを、僕は一生忘れません。だから――ハルシャにも、聞いてほしいのです。
 これまで、誰にも話したことのない、僕自身のことを」

 触れている手から、微かな緊張感が伝わってくる。
 大らかで朗らかな彼の顔から、静かに笑みが消えていった。
 全ての雑物を取り除いた、素の彼の表情を、今、見ているような気がした。
 藍色の大きな瞳を、ひたと自分に据えるリュウジは――胸の中に、癒しがたい孤独を抱えている人のような気がした。
 ジェイ・ゼルと、どこか似ている。
 ハルシャは、ふと、思った。
 達観したように、全てを要領よくさばいていく手腕の影で、内側に寂しいものを持っているような気がする。
 無心に見つめ返すハルシャに、リュウジがわずかに口角を上げた。

「僕が、記憶をなくしたのは、これで二度目です」
 思いもかけないことを、リュウジが語る。
 声が、穏やかに彼の口から響いた。
「一度目は――目の前で、両親を殺された時でした」

 驚愕を、顔に浮かべてしまった。
 素のままの表情で、リュウジが困ったように、眉を寄せる。
「驚かせてしまいましたね」
 眉を解いてから、彼は続けた。
「でも、事実なのです。僕がまだ、五歳を少し過ぎた頃です。カラサワ・コンツェルン総帥の一人息子だった僕の父は、総帥名代として、各地の会合に出向くのが日常でした。
 そんな折はいつも、母と僕を同伴して行きました。
 将来の顔つなぎの意味もあったのでしょうね。いくら通信が発達しても、直接会って話をするほど、人柄を分かち合えることはない。
 事業も、最終的には、人と人との繋がりです。
 父と僕の将来を見据えて、総帥の祖父は、各地へ出向くように命じていたようです。
 カラサワ・コンツェルンの創業者家一家の動向は、常に人々の興味の対象でした。特に、父は犯罪撲滅に対して、意欲を燃やしている人でした。
 そんな動きが、煙たい人間がいたのかもしれません。
 ある会合の帰り――僕たちの宇宙船が、何者かに乗っ取られ、そのまま、連れ去られたのです。
 暴利をむさぼるカラサワ・コンツェルンへの見せしめと、犯行声明があったようですが、その実は、身代金目的の誘拐のようでした。
 僕たちをさらった犯人は、莫大な身代金を、祖父に要求してきたのです。
 命の代償として――とてつもない金額を。
 祖父は、迷ったそうです。
 金額が用意できなかったからではありません。
 危惧は別の場所にありました。
 もし身代金を支払えば、今後も、同じ目的を持った者たちに、僕らの身が狙われ続けるかもしれない。それは避けたい事態でした。
 けれども、支払わなければ僕たちの命が、危険にさらされる。
 祖父は、悩んだ末に、汎銀河帝国警察機構に、息子夫婦が誘拐されたことを告げ、救援を求めました。
 警察機構は、犯人の要求通り、金額を支払うことを指示し、祖父は従ったそうです。
 犯人が求めた金額は、彼らの要求通りの方法で、受け渡しがされようとしました。
 ですが、それは、汎銀河帝国警察機構の作戦だったのです。
 警察は受け渡しの場所に周到に罠を張り、受け取りに来た犯人を捕獲しました。
 犯人の口を即時に割らせ、彼らは僕たちが捕らわれていた場所へ、神速で駆け付けたそうです。
 ですが――」

 リュウジは、再び視線を落とした。
「作戦失敗の情報が、すでに誘拐犯たちに伝わっていたのでしょう。
 汎銀河帝国警察機構の優秀な刑事たちが、現場に突入した時には――」
 ちょっと言葉を切ると、リュウジは眉を寄せた。
「父と母、それに警護の者たちはみな、惨殺され、その血だまりの中に、僕は独りで座っていたそうです」

 愕然とするハルシャに、リュウジは小さく首を振って、大丈夫だと示す。
「どうして、僕一人が生かされたのかは、解りません」
 静かな声が、部屋の中に響く。
「その時のことが、よほど衝撃だったのでしょう。僕は、一切の記憶を失っていました。
 五歳までの両親との思い出も、自分が誰なのかも、一体、自分の目の前で何が起こったのかも」
 再び、小さくリュウジが首を揺らす。
「それだけでなく――僕は、悲しみという感情も、失ってしまいました。心が耐えられなかったのでしょう。
 両親の死を前にしても、涙も流さずにただ座り込む僕を、血の海から抱き上げてくれたのが、ディー・マイルズ警部です」
 にこっと、純粋な笑みを、リュウジが浮かべる。
「彼は、とても優秀な若手刑事で、危険な先鋒の役を、進んで引き受けてくれたようです。
 彼の腕に抱き上げられても、僕は何の反応も示さなかったと、後で警部が、教えてくれました。ガラスみたいな感情のない目で、自分を見ていたと」
 ふっと、息を吐くと、リュウジは呟く。
「マイルズ警部は、そのことで、どうやら僕の人生に、責任を感じてくれたようです。警察機構が別の判断をしていたら、両親は死ななかったかもしれない。その悔いが、いつも去らないと警部は仰っています。申し訳ないことです。警部は最善を尽くして、僕を助けてくれたのに」
 リュウジは、静かに微笑んだ。
「だから――いつも、マイルズ警部は、僕のことを気にかけてくれています。僕も、つい、頼ってしまって、無理なお願いをしてしまうのです。
 今回も帝星から、快く来てくださいました。僕がどうしても、ハルシャのご両親のことを調べてほしいとお願いしたので」
 笑みを深めて、彼が言う。
「彼は、とても優秀なのですよ、ハルシャ」

 優しい呟きだった。
 まるで、父親のように、マイルズ警部はリュウジに接していると、ハルシャは思っていた。
 両親の血の中から救い出した少年を、ディー・マイルズ警部はずっと、心にかけて、彼の人生に関わってきたのだ。
 メリーウェザ医師が、自分たちをいつも見守ってくれていたように。
 誘拐事件が警部の専門だった。
 そうか、だからサーシャの時に、迷わずリュウジはマイルズ警部に協力を依頼したのだと、得心する。

 考えに耽るハルシャの耳に、リュウジの声が響く。
「結局、記憶は戻りませんでした。僕は両親の命と共に、彼らと生きたはずの記憶まで、失ってしまったのです」
 辛い事実を述べているのに、リュウジは淡々としていた。
「祖父は厳格な人でしたが、たった一人の跡取り息子とその妻を、残虐な方法で失ったことに、かなり衝撃を受けたようです。
 一人生き残ってしまった僕を、後継者にすると、祖父は早い段階から宣言しました。
 僕の人生は、五歳からしかありません。
 もう二度と、僕が誘拐されないように、常に僕の側には吉野ヨシノが付き添ってくれるようになったのも、この頃からです。
 吉野ヨシノの父親は、僕の両親の警護で――あの時、両親と一緒に、殺害されていたのです。
 だから、より一層、吉野ヨシノは僕のことを、守ろうとしてくれていたようです。命を失った父親の分まで――誰にも、何の罪もないことなのに、吉野ヨシノは、僕の両親が殺害されたことに、責任を感じているようなのです」

 突然、リュウジは言葉を切った。
 視線が、遠いところを見る。

「カラサワ・コンツェルンの後継者として、僕は、特別扱いを常に受けました。
 初等科の教育機関を飛び越えて、七歳の頃から、シンクン・ナルキーサスで学んだのです」
「シンクン・ナルキーサス……」
 耳にした言葉を、ハルシャはただ、復唱していた。
 最初に、メリーウェザ医師が、リュウジはシンクン・ナルキーサスで学んだことがあるかもしれないと、教えてくれていた。
 ドルディスタという敬称は、あそこでしか使われないと。
 七歳から――
 驚いたハルシャを見て、リュウジは目を細めた。
「そうです、帝政の最高学府です。僕はどうやら、優秀だったらしく、七歳で入学を許可されました。ですが祖父は、僕の身をひどく案じたようです。大勢の生徒たちと一緒に学ぶ機会は、僕には与えられませんでした」
 リュウジが、虚空に呟く。
「僕のために、特別に部屋が用意され、帝国随一と呼ばれる人々が、一対一で、授業をしてくれたのです。考えられないほどの贅沢ですね。
 でも、それが祖父の考える、僕の教育の仕方だったのです。
 祖父の傍らで事業を学びながら、学府でも教育を受け――十五の時には大学院卒業と、宇宙飛行士の資格を手にしていました。
 学業として学ぶことが済んだ後は、次期総帥となるべく、祖父と共に、事業に参加して行きました。
 僕が祖父から任されていたのは、宇宙船部門です」
 にこっと、リュウジが微笑む。
「大手宇宙船製造会社のシーガージェン社は、カラサワ・コンツェルンの子会社です。僕はその事業を手掛けていました。
 当時は、他社とも契約のあったアジャスパ・ヴェルド社を、シーガージェン社と専属契約を結ばせたのは、僕です」

 はっと、ハルシャは思い出す。
 サーシャがさらわれた時、リュウジがその椅子のメーカーから、ギランジュたちの偽装を見抜いたことを。
 自身が経営する会社だったから、彼は誰もが気付けないところに、気付けたのか、と、突然納得する。
 息をするように、簡単に未知の駆動機関部の設計を引いたのも。
 宇宙幽霊のことに詳しいのも、もしかしたら、そのせいかもしれない。

「経営に携わって間もなくのことです。僕は、個人で宇宙船を作りたいという、依頼を受けたのです。
 当時、シーガージェン社では、大型運送用の宇宙船の開発を主にし、オーダーメイドの宇宙船は、作成していませんでした。
 けれど、その依頼主は、僕たちの会社の製品の完成度の高さを見込んで、ぜひ、受注したいと頼んできたのです」

 リュウジの眼が、真っ直ぐに自分を見つめる。

「それが、あなたのお父さまの、ダルシャ・ヴィンドース氏なのです。ハルシャ」

 リュウジと父の意外な接点に、ハルシャは大きく目を見開いた。
 理解したことを見て取ると、彼は小さく頷いた。
「断ってもよい仕事でした。ですが、僕は新規事業について考えている時だったので、参考にしたいと、彼の話を聞く気になりました。
 どんな要望か、直接話をしてみたいと、興味がわいたと言った方がいいかもしれません。それで、席をもうけてヴィンドース氏に、僕は会ったのです。
 彼は、人柄のよさそうな紳士でした。
 惑星トルディアのラグレンを本拠地とし、貿易を営んでいると彼は自己紹介をしていました。とても朗らかに笑う方で――楽しく話をすることが出来たのを、憶えています」
 唐突な話の成り行きに、茫然とするハルシャに、リュウジは優しい笑みを向けた。
「ハルシャは、父親似なのですね。笑い方が、そっくりです」

 不意に。
 懐かしい記憶が、胸の中に湧き上がってきて、ハルシャは息が詰まりそうになった。
 リュウジは、父親に会ったことがあるのだ。
 そして、自分が似ていると、言ってくれている。
 失ってしまった、温かな微笑みに満ちていた日々が、胸を締め付ける。
 大らかで、人の過ちを赦す寛容さがある人だった。
 自己にはとても厳しかったが、他人に対しては限りない慈愛の眼差しを注いでいた。
 憧れていた。
 父の生き方に――いつも遠くを見つめているような、高潔な視点の高さに。
 心から母を愛し、家族の中心として、揺るぎなく道を示してくれる見識に。
 安心して、もたれかかっていた日々が、何の前触れもなく、蘇る。
 そのまま、家族と共に、ずっと歩んでいけると、あの時は信じ込んでいた。

 呼吸を乱すハルシャの膝を、ゆっくりとリュウジがなだめる様に、撫でている。
「すみません、ハルシャ。
 辛い思い出を、呼び起こしてしまいましたね。大丈夫ですか」
 浅く呼吸をしながら、ハルシャは、リュウジに視線を向ける。
 彼は、父親を知っている。
 それだけで、彼ととても強い絆がある気がする。
 不思議な感覚だった。
「大丈夫だ。ちょっと、父のことを思い出しただけだ」
 リュウジが、理解を示して頭を揺らす。
「お父さまの髪の色と、ハルシャの色は違いますね。お母さまは金色だそうですが」
 この赤毛のことを言っているのだと、ハルシャは理解する。
「私の曽祖父が赤毛だったそうだ。隔世遺伝だろうと、言われていた」
「そうですか。でも、とてもきれいな色ですよ、ハルシャ」
 そこから、少し、両親が生きていた頃の話になった。
 リュウジは、話の先を急いでいないようだった。
 あえて関係ない話を挟み、自分を和めてくれようとしている。
 サーシャがとても母親に似ているという言葉に、彼は、鏡を見ればそこにお母さまがいらっしゃると、ハルシャは教えているのですね、と、静かな悲しみを湛えて言う。
 両親の姿を伝えるものを、自分は何も持ち出せなかった。
 だから、それしか方法が無かったのだ。
 ぽつりと呟いた言葉に、リュウジは益々悲しげな顔になった。

 言葉の途切れた後、彼は再び話し始めた。
「ダルシャ・ヴィンドース氏が、当時僕に言ったことは、こうでした。
 自分には、十歳になる息子がいて、宇宙飛行士を目指している。
 その息子が二十歳の成人を迎える時に、祝いの品として、宇宙船を贈ってあげたい。
 だが、残念ながら、ヴィンドース氏は現在研究を委託している新規事業があり、なかなかそちらに資金がかかるので、すぐに宇宙船一機分を支払うことが出来ない。どのくらいの金額になるのか、見積もりをして欲しいのと、十年後の完成を目指すには、いつぐらいから発注をかければいいのか、それを、ダルシャ・ヴィンドース氏は、お訊ねだったのです」

 宇宙船を、自分のために?
 ハルシャは、驚きを隠せなかった。
 苦しい資金繰りの中で、自分の夢を実現させるために、リュウジに打診をしてくれていたのだと、初めて知る。
 リュウジは、温かな笑みを浮かべていた。
「ヴィンドース氏は、息子はずっと宇宙飛行士になりたいという夢を、ひたむきに追い続けている。親として何とかその夢を実現させてあげたい。
 息子は、他人に申し上げるのは少々気が引けるが、とても優秀なので、恐らく成人までには、宇宙飛行士の資格を手に入れているはずだ。
 成人の祝いに、目の前に宇宙船を降りたたせて、驚かせてあげたいのだと、満面の笑みで、おっしゃったのです」
 ふっと、視線が、遠くを見た。
「親というのは――子どものために、ここまで考えるのかと、その時、僕は、なぜか、不思議な感慨を、覚えたのです」

 ひどく、覚束ない口調で、リュウジが呟いた。
 両親と過ごしたはずの日々を、彼は完全に記憶から失って生きてきたと、言っていた。
 そのリュウジが、自分の父親の言葉に、本当なら自分も得たはずの親の愛のことを、考えたのかもしれない。
 その時――
 ハルシャは、はじめて、リュウジを本当に見た様な気がした。
 本音をもらしたことに、ちょっと頬を赤らめながら、リュウジは視線をハルシャへ向ける。
「初めて取り組む事業でしたが、その時僕は、ダルシャ・ヴィンドース氏の要望に、応えたくなったのです」
 はにかんだように、リュウジが笑う。
「周りの者は慌てていましたが、僕はビジネスチャンスだと、説得しました。
 それは、本当です。
 この事業を聞きつけ、各惑星の資産家から、後に個人的な宇宙船の注文が相次いだのです。そのため、別の会社を打ち立てました。ダルシャ・ヴィンドース氏が、可能性を開いてくれたお陰です」

 再び言葉が途切れた。
 過去を思い出しながら、リュウジが、丁寧に言葉を綴る。
「失礼ながら資産状況をお訊ねしたら、なかなかに、厳しいものがありました。宇宙船の、しかもオーダーメイドとなると、一五〇万ヴォゼルは覚悟をしてもらいたいと申し上げた僕に、ヴィンドース氏は少しく、お困りの様子でした。
 そこで僕は、カラサワ・コンツェルンが経営する投資会社のことを、ご提示したのです。
 一定期間、金額を預けて頂き、こちらに投資の銘柄をお任せしてもらうことで、相応の利益を得る、投資信託です。
 元金が保証されている、とても安全な投資なので、思い切ってそちらに金額を預けて頂ければ、十年後、御子息が成人を迎える時には、宇宙船を造るだけの資金が、確保できているはずだと。
 ダルシャ・ヴィンドース氏は、あまり投資はなさらないようでしたが、僕の言葉を信じて、十万ヴォゼルを預けて下さいました。
 一応、五年で見直しを予定し、何もなければさらに五年を追加でお預かりする、十年で満期を迎える、無分配型の長期投資信託です」

 用語について行けないハルシャに、リュウジが微笑んで説明をしてくれる。
「信託とは、投資家の方から資金をお預かりして、それをこちらの会社で優良な事業に投資をして、運営していきます。
 投資家の方は、当然ながら利益を求めてこちらに預けて下さるのですから、収益は分配金として、投資家の方へお支払いします。
 僕がヴィンドース氏にお勧めしたのは、一度お預かりした資金に、途中で収益を分配せず、それも上乗せしてさらに運用し、満期時にまとめてお支払いする、というものです。
 これなら、増資効果が大変高くなります。
 ただ、一定期間は、資金に手を付けられないというリスクが伴います。
 全てご了解の上、ハルシャのお父さまは、僕を信じて、貴重な資金を預けて下さいました。
 そのお心に報いるように、僕は大変注意してヴィンドース氏の資金を投資するように心がけました――」
 リュウジは、視線を伏せた。
「五年後、見直しの時期が来たのですが、ヴィンドース氏から、何もコンタクトがありませんでした。見直しのことについては、通知を送ったはずです。
 それについて何も行動を起こされないと言うことは、そのまま契約を継続し、最終的に十年後の満期時まで、待たれると言うことだと、僕は解釈しました」
 悔いを滲ませるように、不意にリュウジの語調が変わった。
「その時、もう少し僕が慎重に調査をしていれば、解ったはずです。
 ヴィンドース氏は、連絡をしなかったのではないのです。出来なかったのです。
 なぜなら」
 リュウジは不意に顔を上げた。
「非道な方法で、すでに命を奪われていたからです」

 五年前。
 両親が、殺された時――父が自分を喜ばそうとして積み立てられていた、資金が、帝星にあった。

 リュウジは唇を噛んだ。
「マイルズ警部に調査を依頼して、その結果をお伺いした時に、気付きました。
 どうして、賢明なダルシャ・ヴィンドース氏が、ジェイ・ゼルから無謀な資金援助を受けたのか。
 その理由が、僕にはわかったのです。
 ダルシャ・ヴィンドース氏には、まとまった金額を手にすることが出来るという、明確な目算があったのです。
 それは、カラサワ・コンツェルンに投資信託として預けていた、十万ヴォゼルです。毎年、彼の手元に金額の情報が伝わっていました。投資が成功し、十万ヴォゼルは約七倍近くになっていたのです。
 五年の満期は、数か月先。目前でした。
 だから――ダルシャ・ヴィンドース氏は、ジェイ・ゼルの資金援助を、受けたのです。あなたのために、積み立てていた金額でしたが、それよりも、ラグレン市民の命の方が、大切だったのでしょう。五年で契約を打ち切り、借金の返済に充てる予定をされていたのだと思います」
 ちょっと、考えてから、彼は続けた。
「七十万ヴォゼルだと、返済には足りませんが、受注していた機械が完成すれば、事業の成功を見込んで、銀行で資金を借り入れることが出来ます。恐らく、銀行から新たに借り入れたお金と、五年間積み立てた投資信託の分配金を合わせて、一年後にジェイ・ゼルに支払いを終える予定を、立てられたのでしょう」
 膝に置かれた手が、震える。
「なのに――ご両親の死に、僕は気付けなかった。
 ハルシャが、ラグレンでどんな境遇に落とされたのかも、知らずに――僕は帝星で、五年の契約更新の手続きを済ませたのです」

「リュウジは何も悪くない!」
 とっさに、ハルシャは叫んでいた。
 膝に置かれた手を、上から手の平で包む。
「父のために、リュウジは精一杯を尽くしてくれていた。どうして――リュウジが責任を感じる必要があるんだ」
 藍色の瞳が、静かに自分を見つめている。
 その瞳に向けて、ハルシャは優しい声で呟いた。
「リュウジは何も、悪くない。悪いのは――両親を危険視し、命を奪ったラグレン政府と、手を貸した……ジェイ・ゼルだ」

 言い切ってから、心が引き裂かれたような痛みを覚える。
 ジェイ・ゼルが――
 両親を死の淵に追いやった。
 口にした冷酷な事実に、自分自身が追い詰められていく。
 どうしよう。
 身が、震え出した。

 互いの想いに、身を震わせながら、しばらく二人は無言で見つめ合った。
 先に口を開いたのは、リュウジだった。
「僕が、異常に気付いたのは、十年の満期時を迎えても、ダルシャ・ヴィンドース氏から、何の連絡もなかった時です。
 おかしい。
 ご子息の二十歳の誕生日が近付いているのに、なぜ、コンタクトがないのだろう。
 ダルシャ・ヴィンドース氏が描いていた宇宙船の設計図も、すでに出来上がっていました。十年の満期を持って、その宇宙船の製造にかかる予定になっていたのです。
 僕は、もう一度、ラグレンに連絡を入れました。音沙汰がなかったとき、彼の動向について、調査を入れたのです。
 その時に、初めて僕は事実を知りました。
 ダルシャ・ヴィンドース夫妻は、五年前に爆破事故で亡くなっていたのです」
 リュウジが視線を落とし、静かな声で続ける。
 手の震えが消えて、元の落ち着きが戻って来たようだった。
「どうして気付けなかったのだろう、と僕は自分の配慮のなさを、まず思いました。
 次に思ったのは、ダルシャ・ヴィンドース氏が宇宙船を贈りたいと言っていた、ご子息はどうなったのだろう、ということでした。
 両親を失った子どもたちの安否が、心配でした」
 彼の言葉に、同じ境遇を抱えた者に対する、思いやりが滲んでいた。
「ですが、惑星トルディアは、帝星から遠い距離にあります。
 調査も、思うように行きませんでした。何とか掴んだ情報は、どうやら、ダルシャ・ヴィンドース氏の遺児たちは、大変困難な状況にあるらしいということだけです。とても、もどかしかったのを、憶えています。何とか、ダルシャ・ヴィンドース氏の遺産を、ご子息たちにお渡ししたい。
 思いが募りました。
 そこで僕は――単身惑星トルディアを訪れ、自分の目で、彼らの行方を直接調査することにしたのです」

 リュウジは目を伏せた。
「僕は――幼い頃から、祖父の庇護を受け、他人と極力接触しないように、育てられてきました。
 それが、祖父の愛情の在り方だったのでしょうが、僕は、カラサワ・コンツェルンを継ぐという使命があります。
 そのためにも、見識を広げたいと、常に考えていました。
 本来父が継ぐべきものを、僕は不慮の事故で、受け継ぐことになりました。力不足は承知していました。
 祖父が大切にしている事業を、僕の代で潰す訳には行かないのです。それが、何十万もの従業員を抱える、カラサワ・コンツェルンの総帥の責務なのです」
 言葉を切ると、彼は静かに微笑んだ。
「十代の頃から、僕は警護の者たちを出し抜いて、よく、単独で行動していました。
 この眼で、実際に人々の暮らしを見たいと、思っていたからです。
 その時には、必ず母方の姓である『オオタキ・リュウジ』を名乗っていました。お忍びというのは聞こえが良いですが、恐らく、規制のない中で、自分で物事を感じ取りたいというのが、本心だったのでしょう。
 祖父は、僕が自由行動をしているのに気づいても、咎めませんでした。
 ただ、自分のしたことの責任は、自分で取るようにとだけ、厳しく言い渡されていました。
 警護を付けているのに、自分から振り切ったのなら、身の安全は自分で守れ、と。
 内心では、僕が無謀な行動をすることに、心痛していたと思いますが、両親のいない僕に、祖父は、とても甘かったのです」
 黒い睫毛を伏せて、彼は言葉を続ける。
「それでも、やはり祖父は心配だったのでしょうね。僕の頭に、探索用のチップを埋め込んで、やっと安心したようです。
 ですが、僕は工学が専門です。チップを無効化することなど、簡単な作業でした」
 小さく、リュウジが笑う。
「チップを無効化して、行方をくらませても、いつも――吉野ヨシノは僕の居場所を突き止めて、いつの間にか、側に居ました。
 彼は、不思議な能力があるようです。ここ惑星トルディアでも、彼は僕を、見つけ出しました。
 一切の手掛かりを、残していなかったのに」

 次の言葉まで、しばらく間があった。
 どくん、どくんと、心臓が、打つ。
 予感がした。
 リュウジが、話そうとしている。
 ここで。
 彼が。
 路上で。
 倒れるまでに――
 一体、何が、あったのか。
 記憶を失うほどの。
 辛い、体験
 を。

 どくん、どくんと、中の音の響きが、耳を覆う。

 止めなくては。
 話さなくても良いと。
 言わせてはいけない。
 彼が必死に封じた、記憶を――


「リュウジ……」
 どくんと、こめかみが脈打つのを感じながら、ハルシャは、手に汗を滲ませ、リュウジに呼び掛ける。
 瞬間、言葉の先を切るように、静かな声で、彼が呟いた。
「ハルシャは」
 絞り出すように、彼が言葉を滴らせる。
「どんな僕でも、受け入れてくれますか」

 どくん、どくんと。
 心臓の音が聞こえる。
 藍色の瞳が、自分を見つめている。
 かつて、自分がジェイ・ゼルに懇願した言葉が、記憶の中に蘇る。
 瞳の中の心が、問いかけている。

 軽蔑を、しないでくれますか。

 リュウジが、勇気を振り絞って、今。
 何があったのかを、話そうとしてくれている。
 ここ、ラグレンで。
 自分を探して単身訪れてくれた場所で、何があったのかを。

 深い宇宙のような瞳を、ハルシャは見つめた。

 言わせたくない。
 という、強い思いが湧き上がってくる。
 けれど――
 リュウジは、話そうとしていた。
 不意に、ハルシャは、一つの真実に、気付く。

 言わせたくないというのは――
 本当は、自分が聞きたくないだけだ。

 ぎゅっと唇を噛みしめて、リュウジが静かにハルシャの言葉を待っていた。
 自分の返答一つで、心を深く傷つけてしまうかもしれない。
 固まるハルシャに、無防備に心を開いて、リュウジが一心に眼差しを向けている。

 そうだ。
 言わせたくないというのは、きれい事だ。
 リュウジのためと理由を付けて、本当は彼を襲った酷い事実から、目を背けたいだけなのだ。
 彼のためではない。
 自分のためだ。
 膝に乗せられた、リュウジの手が震えている。
 こんなに怯えながらも、彼は話そうとしてくれているのに――
 語られたリュウジの真実を、自分が受けとめ切れないことが、恐いのだ。
 許容を超えてしまい、彼を傷つけてしまうことが――
 リュウジは、自分を信じて、両親の死さえ、話してくれたと言うのに。
 誰にも言ったことのない、心の奥を、明かしてくれたのに。
 そんな彼の覚悟から、自分は逃げようとしている。
 弱さと卑怯さが、恥ずかしかった。
 リュウジはあの時、毒に満ちた自分の言葉を、ただ、聞いてくれたというのに。
 それが嬉しかったと、言ってくれたのに。
 きれいな理屈を付けて、自分はリュウジの過去から、顔を背けようとした。

 藍色の瞳を、見つめる。

 ぐっと、彼の手を強く握りしめた。
 心を開いて、彼の眼差しを、ただ、受け止める。
 ジェイ・ゼルのことで、リュウジは黙って苦しみを耐えてくれていた。
 自分も、彼のために、出来ることをしよう。
 彼と同じ毒を、自分も身に浴びよう。
 覚悟を、決める。

「リュウジ」
 言葉が心に届きますようにと、祈りながら、ハルシャは言葉を口にした。
「何があっても、リュウジは、リュウジだ」
 震える手を、手の平で包む。
「私は受け入れる――安心してくれ」

 言葉のない時間が、訪れた。
 ただ、二人で見つめ合う。

 ゆっくりと、内側の痛みをこらえるように、リュウジが静かに微笑んだ。
 そのまましばらく見つめ合った後、不意に、彼が動いた。
 ハルシャの手の下からするりと手が抜かれる。そのままリュウジは、横に座るハルシャに腕を回し、すがるように、肩に顔を埋めた。
「あなた以外には、話せません」
 苦しげな声が、耳元に響く。
「僕は――」
 間違えようもなく、声が、震えている。
「あなたに、知って欲しいのです。ここラグレンで、僕が何を見たのかを」
 ハルシャは、黙って彼の身を腕に包んだ。
 温もりに、わずかに身の力を抜いてから、リュウジが小さく呟いた。

「僕がここにいる、意味を……ただ、あなただけに――ハルシャ」








Page Top