ハルシャは、言葉だけを、受け止めることしか出来なかった。
あまりにも、意外すぎることを、リュウジが言っている。
父が皆の幸福を思って、長年、採算が取れるかどうか解らない研究に巨額の投資をし――結果、やっとたどり着いた成果を、ラグレン政府は、邪魔だと判断したのだ。そして、両親を殺害した。
どうしたら、いい。
理解が、追いつかない。
告げられたあまりに非道な言葉に、ハルシャは心が打ちのめされ、何も言えなくなった。
ただ、沈黙を続けるしか、なかった。
しばらくハルシャの顔を見守ってから、彼は言葉を続けた。
「レズリー・ケイマンは、狡猾な男です。
彼は、ダルシャ・ヴィンドース夫妻を殺害するだけで、偽水を飲料水にする事業を阻止できたとは、思いませんでした。
彼は――ダルシャ・ヴィンドースの優秀な息子。ハルシャ・ヴィンドースが父の志を継ぎ、再び脅威が訪れる未来をも、防ごうと画策しました。
彼が相談したのは、あらゆる非合法なことを、平気で手掛ける『ダイモン』の
過去、レズリー・ケイマンとイズル・ザヒルは交流があったようです。そこから、彼に相談することを思いついたのでしょう」
ハルシャは、心臓が高鳴るのを、抑えられなかった。
「イズル・ザヒルの情報網は、凄まじいものがあります。また、彼の勢力範囲は帝星すら、揺るがすことが出来るほどです。
レズリー・ケイマンから、相談を持ち掛けられたイズル・ザヒルは――こんな計画を立てました。
よろしい。
息子が邪魔だと言うのなら、こちらで引き取ろう。
そして、ご両親の殺害方法も、巧妙に仕組んだのです。
ダルシャ・ヴィンドースは、新しい事業のために莫大な投資を必要としている。
その情報を利用し、彼らの事業に賛同するふりをして、巨額の資金をすぐさま貸し与えたのです。その時、借用書にさりげなく一文を紛れ込ませました。
返却期限は一年。
ただし、それまでに借主が死亡した時は、即刻全額を返却すること」
ハルシャは、ただ、リュウジの藍色の瞳を、見つめ続ける。
彼は、淡々と話しを続ける。
「仕込みは終わりました。ダルシャ・ヴィンドース氏は、借り入れた資金を、すぐさま帝星へ運び、事業の完成を目指しました。
新しい機械の製造は、順調でした。ダルシャ・ヴィンドース氏は喜びに満ちていたでしょう。
ですが、その陰で、ラグレン政府は計画を練っていたのです。
皆が見ている中、誰も疑われないようにして――ラグレン創立の記念すべき日に、惑星トルディアの父と呼ばれるヴィンドース家の子孫を抹殺する。
レズリー・ケイマンの、ちょっとした、意向だったのかもしれませんね。
座席指定をした場所に、ヴィンドース夫妻が座り、大きな吹奏楽の音楽が鳴り響く中、爆発は起きました。
その時、目撃していたひとが、こう証言しています。
何の兆候もなかった。
ただ、ヴィンドース夫人のバッグが、突然爆発した、と」
あまりにも静かなリュウジの目に、ハルシャは吸い込まれそうだった。
「警察の資料にも、ヴィンドース夫妻を殺害した爆発物が検出できず、という一言があります。
事実なのでしょう。
あそこには、爆発物は、なかったのです」
藍色の瞳が、まるで宇宙のようだと、ハルシャは、ぼんやりと、考える。
神秘と静寂を内包する、大宇宙に――とても似ている。
「爆発物がなくても、爆発させる方法はあります。
つい最近、僕たちはその可能性を目にしました。
悪意によって、渡された駆動機関部の設計図によって――」
リュウジの眼が、底光りした。
「あらゆることを、総合して考えれば、たどり着く答えは一つ。
ダルシャ・ヴィンドース夫妻を殺害した爆発は、スクナ人がからんでいます。
スクナ人は、物質を反物質に変え、その場で爆発を起こさせることが出来る、特殊な力を持っています。
政府はダルシャ・ヴィンドース夫妻抹殺のために、証拠の残らないスクナ人を使ったのです」
ふうと、小さく息を吐いてから、リュウジは瞬きをした。
「そして、僕たちに作らせようとした違法な駆動機関部。
あれも、ラグレン政府の差し金でしょう。
ラグレン政府は、帝国法違反のスクナ人を、今でも保有し、それを自分たちの都合で使っています。
ダルシャ・ヴィンドース夫妻は、その悪辣な手段の、犠牲になったのです」
リュウジの言葉の残響が、部屋の空気をうならせている。
「今、
そのまま、マイルズ警部にお渡しし、帝星の調査機関に提出します。
ラグレン政府が、スクナ人を保有し、それを帝国から隠ぺいしているとしたら、それだけで、レズリー・ケイマンたちを逮捕する立派な理由になります」
リュウジは、静かに、ハルシャを見ていた。
「イズル・ザヒルが、あなたがた兄妹を、ご両親と一緒に始末する、という選択肢を取らなかったのは、全ての財産をあなたが引き継いだあと、そこから一切を奪う方が、手軽だと考えたからだと思います。
あなた方が一緒に死亡すれば、財産は親戚に行きます。
ダルシャ・ヴィンドース氏には、弟がいたようですね。彼が財産を引き継げば、厄介な法的な手段に出る可能性があります。
その点、無知な十五の少年と六歳の少女なら、どうとでも手玉にとることが出来ます。計算高いイズル・ザヒルらしい、考え方です。彼はリスクを低く抑え、最大の利益を得る方法を熟知しています。
実利的な理由から、あなたがたは、生かされたのです。
莫大な借金を理由に、今後、ハルシャが父親の事業を引き継ぐという可能性を消すためにも、財産も家屋も事業も、一切を取り上げて。
その上で、あなた方を屈辱的な境遇に置き、徹底した監視をさせました。
イズル・ザヒルの意図を体現し、このラグレンで実際に手足として動いたのが――あなたが、五年間隷属を強いられた、ジェイ・ゼルです」
自分が大切に思う人の名を。
吐き捨てるように、リュウジが口にする。
その事実を、ハルシャは、静かに、受け止めた。
「ダルシャ・ヴィンドース氏と、借金の契約を結んだのは、ジェイ・ゼルです」
リュウジが、視線を逸らさずに、言葉をこぼす。
「彼は、イズル・ザヒルからの指示を受け、ダルシャ・ヴィンドース氏に、巨額の投資を申し出ました。
偽水を飲料水にする事業を褒めたたえ、協力を約束し、資金を即金で支払った。
そして、あなたの父上と、握手を交わしたのでしょう。
同じ手で、彼は――あなたを地獄へ叩き落としたのです」
リュウジの瞳が、真っ直ぐに自分を見つめる。
「ジェイ・ゼルは、全てを知っています。
ヴィンドース氏の高邁な思想も、目的も。
宇宙船を作るつもりだったと、話をすり替えたのは、偽水のことを、あなたに知られたくなかったからです。
もし、ハルシャが父親の事業を知っていたら、志を継ごうと、努力をし始めるかもしれない。それだけは、阻止する必要があった。
だから、宇宙船のためだと言い、期限も十標準年だったと、偽りの事実を伝えたのです――全ては、ことを、レズリー・ケイマンとイズル・ザヒルの思い通りに進めるために」
リュウジは、微かに眉を寄せた。
慈しむように、彼が、見つめる。
「あなたたちは、ジェイ・ゼルに五年間、欺かれ続け、虚偽の情報で操られ、不当に管理を受けていたのです」
不意に、痛みを得たように、リュウジは眉を寄せた。
「ジェイ・ゼルは――あなたの信頼に、値しない男です。ハルシャ」
私は、君が思うほど、善良ではないよ
透明な悲しみを湛えながら、微笑んでいたジェイ・ゼルの眼差しが、ふと、蘇る。
あの時、ひどく彼を傷つけた様な気がした。
ハルシャは、ことりと、告げられた事実を、心の中に落とし込む。
そうか。
自分は、五年間。
両親の死の原因を作った人間に、抱かれていたのか。
かつて、覚えていた感覚が、蘇る。
心の一部が、死んでいくようだ。
両親の死は、仕組まれたことだった。
手を下したのは、自分たちが信頼して暮らしている、ここ、ラグレンの政府だと、リュウジは言う。
汎銀河帝国警察機構の警部も、その事実を知っているようだ。
なら。
真実なのだろう。
自分は何も知らずに――ずっと、彼らの手の上で、踊らされていたのだ。
ジェイ・ゼルの優しい言葉も、眼差しも。
偽りの上に成り立つ、ことだったのだ。
自分は、彼を無邪気に信じ込んでいた。
寄せていた信頼と愛情と。
自分の無知と、無力が、辛かった。
ハルシャは、ゆっくりと、両手で顔を、覆った。
マイルズ警部の言っていた通りだ。
心には、許容範囲がある。
耐えられる限度があるようだ。
なぜか、無性に一人になりたかった。
逃げ出すかわりに、ハルシャは闇の中に自分を包んだ。
「マイルズ警部は今、部下の方たちも使って、ハルシャのご両親の真相を、探って下さっています」
両手で顔を覆った闇の中に、リュウジの静かな声が響く。
「何としてでも、正義が行われるように、尽力させていただきます。僕たちを、信じて下さい、ハルシャ」
ジェイ・ゼルを疑い。
リュウジを、信じる。
足元が、崩れていくようだ。
「ありがとう、リュウジ」
顔から手を離せぬままに、ハルシャは呟いた。
「マイルズ警部も――わざわざ調査をしてくれて、本当にありがたい。両親も、喜んでいると思う。感謝の言葉もない」
嬉しいはずだ。
両親がどんな理不尽な扱いを受けていたのか、白日の下にさらしてもらえる。
喜ぶ、べきなのだ。
淡々と、リュウジの声が響く。
「ラグレン政府が絡んでいる以上、ハルシャとサーシャが惑星トルディアに留まるのは、危険だと僕は判断しています。
なるべく早く、帝星へ移動したいと思います。出来れば、それまでにご両親の無念が晴らせればいいのですが」
事実を受け止めかねて、凍り付くハルシャの肩に、優しくリュウジが手を触れた。
「辛い事実を、申し上げて、すみません――ですが、これが、僕たちが何とか手に入れた、ハルシャのご両親の死の真実です」
偽水を飲料水にされては、都合が悪い。
たった、それだけの理由で。
両親は殺害され、自分たちは借金の虜となった。
悪意が公然と横行する、それが、自分がこの上なく愛する故郷の真の姿なのだろうか。
そんな星に、自分は骨を埋めたいと、思っていたのか。
悲しみと自嘲と、訳の分からない感情が、内側から湧き起ってくる。
ハルシャは懸命に堪えながら、肩を震わせた。
触れた手から、リュウジが自分の動揺を感じ取っている。
そのことを解りながらも、身の震えが止まらなかった。
ラグレン政府が両親を殺したということより。
スクナ人が使われたということより。
何より――
ジェイ・ゼルが、自分を欺いていたという事実が、突き刺さる。
どうやって、感情を処理すればいいのか、分からない。
笑っていいのか。
泣けばいいのか。
それとも、怒るべきなのか。
ただ。
彼を信じて愛した自分の愚かさが、身を捩るほどに辛かった。
リュウジはそんな自分を、これまで、じっと見守っていたのだ。
ジェイ・ゼルから解放されるまでは、事実を告げても自分が受け付けないと、解って。
黙って、側に居てくれたのだ。
だから、あれほどまでに、ジェイ・ゼルに食ってかかっていたのだろうか。
彼は――『ダイモン』の後ろ盾のある、闇の金融業者なのに。
何の恐れも見せずに、彼は、喉元に刃物を斬りつけるように、ジェイ・ゼルに言葉で迫っていた。
ただ――
自分のために。
「リュウジは」
ハルシャは、小さく呟いた。
「全部、知っていたんだな――私が騙されていることを」
肩に置かれた手が、強張った。
騙されて、ジェイ・ゼルを信じていた自分を、リュウジはどう見ていたのだろう。
そんなことを、思ってみる。
自分の感情を、正視するのが、あまりに辛い。
「すまない、リュウジ。気にしないでくれ。事実を教えてくれて、ありがとう」
言ってから、申し訳ない気持ちになり、ハルシャは慌てて付け加えた。
この事実を知るために、リュウジはきっと、八方手を尽くしてくれたのだろう。
何一つ、リュウジに非はないのに。
どうして自分は、八つ当たりめいた言葉を、吐いてしまったのだろう。
狭量で、弱い自分が辛かった。
長い沈黙の後、リュウジが口を開いた。
「マイルズ警部」
声が、遠くへ向けて放たれる。
「ハルシャと、二人で話がしたいのですが」
ソファーがきしむ音が響いた。
「解ったよ、坊。俺は、自分の部屋で待機している。ヨシノにも、こっちに来るように言っておきな」
「はい、そうします。ご配慮に感謝します」
会話を交わした後、マイルズ警部は静かに出て行ったようだ。
扉が開いて、閉まる音が、小さく聞こえる。
その後、ただ、静寂があった。
まだ両手を顔から外せないハルシャの耳に、リュウジの静かな声が聞こえた。
「ハルシャ」
呼びかけの優しさに、ようやく、ハルシャは覆っていた手を何とか、顔から外した。
混乱をそのまま顔に出して、リュウジへ視線を向ける。
マイルズ警部のいない今、素のままの自分を、さらけ出せるような気がした。
彼は、肩に手を置いたまま、自分を見つめていた。
わずかにためらってから、リュウジは口を開いた。
「僕の本当の名前は、オオタキ・リュウジではありません」
そっと、言葉を舌先に乗せるように、丁寧に彼が告げる。
「カラサワ・リュウジ。それが、僕の本名です」
目を見開くハルシャに向けて、彼は穏やかに言葉を告げた。
「黙っていて申し訳ありません。僕の祖父は、カラサワ・コンツェルンの総帥です。僕は、次代を継ぐ宿命を背負って生きてきました」
ジェイ・ゼルの、言葉を、ハルシャは思い出す。
では。
本当だったのだ。
巨額の紙幣を、ぽんと机の上に置いた理由を、はっきりと、ハルシャは悟る。
そうか。
やはり、リュウジはもう、記憶を取り戻していたのか。
事実をハルシャが受け止めたことを確認してから、リュウジは辛そうに、眉を寄せた。
「そうです、僕は、カラサワ・コンツェルンの次期総帥と言われています」
ゆっくりと、ハルシャが理解出来るように、リュウジが丁寧に言葉を発する。
「記憶を取り戻していたのに、お伝えするのが遅くなって、申し訳ありません」
メリーウェザ医師の言葉が、耳に蘇る。
リュウジは――
言わないのではない。言えないのだと。
ハルシャは、唇を噛み締めてから、何とか笑みらしきものを浮かべた。
「良かったな、リュウジ。記憶が戻って」
小さく首を振り、彼の詫びをやんわりと否定する。
「気にしないでくれ。言えない事情があったのだろう」
一瞬、リュウジは、ひどく苦しげな表情になった。
何かを言いかけたリュウジの言葉を、ハルシャは断ち切った。
「ヨシノさんは、リュウジの知り合いなのか」
どうして記憶を失ったのか、彼に言わせたくなかった。
ハルシャの質問に、歪んでいた顔をほころばせて、彼はうなずく。
「お目付け役のような人です。僕がやんちゃなことをするので、心配してついてきてくれているのです」
言葉に、ハルシャは納得する。
そんな雰囲気だった。
お目付け役がいるなど、やはり、リュウジは立場が違うのだと、ハルシャは、ふと思う。
「今回僕は、皆の目をかいくぐって、単身惑星トルディアへ来ました」
ハルシャが、ずっと疑問に思っていたことに、リュウジが今、明確な言葉を告げている。
「それは――」
ちょっと言葉を切ると、するりと肩から手が落ち、ハルシャの膝の上に、手の平が乗せられた。
「どうしてもあなたに、お逢いする必要があったからです。ハルシャ」